Q679
質問ではありませんが、午前中お話ありがとうございました。元気なうちに伝えたいことは伝えたほうがいいということで、野田先生に感謝しています。ありがとうございました。アドラー心理学に出会える場を日本で作っていただいて、お客さんとして敷居の低い自由な出入りをさせていただいたおかげで、変な宗教に入ることもなく、鬱病や神経症で病院に行くこともなく、日々過ごせています。講演会の帰りなど、「ほんとに私はアホだなあ。でも1つ賢くなった」と思います。でも次に来るときは、またアホに戻っているような気もします。とてつもなく難しい心理学でなく、離乳食のように野田先生が与えてくださっているのだと思います。心の栄養をいただいて私はほんとに助かっています。
A679
ありがとうございます。アドラー心理学というのは、今のところ、人類の宝だと思うんですよ。今のところというのは、将来もっといいものができるかもしれんから、いつだって。たぶん今僕たちが抱えている社会的諸問題を解決できる鍵だと思っているんです。残念なことにこれが広まらないんですよ。オスカー・クリステンセンというアメリカの、もうおじいちゃんでもうすぐ“あちら”へ行かれるんですが(もう行かれました)、最近も一応元気に出てこられるんです。鼻になんか管が入っているんです。酸素が付いてて、酸素と一緒に歩いてますのでそう長くないだろうと思うんだけれど、彼が元気な時代(1990年でしたか)に日本へ来てくれて、そのときに言ってたんですが、彼が大学院生のときにドライカースが来たんです。彼は教育学部なんですけど、アドラー心理学による学校教育の講演をして、これでアメリカの学校の問題の全部解決したと思ったんです。それから50年くらいたったけど、何ひとつ解決していない。だから「何かどっかで運動の仕方に間違いがある。それは何だかよくわからない」とクリステンセンは言うんですよ。私もよくわかんないんです。その、日本へアドラー心理学が入ってきて20年(現在は44年か)になるんですね。確かにたくさんの人たちが熱心にアドラー心理学を学んでいただいて、それで家庭も良くなり学校も良くなっているけれども、基本的な問題は増え続けているじゃないですか。不登校はどんどん増えるわ、非行はどんどん凶悪かするわ、子どもの自さつは増えるわ、夫婦の離婚は増えるわ、じいさんばあさんは一層不幸になるわで、全然、焼け石に水もいいところだなって。かといって、マスコミに打って出てテレビでお話をしたり一般向けの本にじゃんじゃん書いたら、なんか問題が変わってくるかというと、そうも思わないんですよ。そんなんしたら結局、質的に悪いものが広がるだけで、ほんとに良い知恵が広まらない。だからせいぜいのところ、わたくしにできるのは、まあこの世にいる間に多くの人と会うことね。それもこうやって「対面」でライブで会うことね。テレビとか「野田ライブラリー」とかでなくて、顔を合わして会うことね。それからたくさんご質問をいただいて、ご質問をいただいたら、変なことを訊くねと思っても、にこやかに答えることね。できるだけ知恵を絞って答えることね。それをあとで、ライブラリーなどを通じて遠いところにいて参加できない人たちにも分かち与えていくことかな。もうちょっとどうにかならないかなとずっと考えているんですよ。テレビとかを信用しないのは、やっぱり対面で会う機会のない人たちはどう受け止めているか全然わかんないと思うの。野田ライブラリーなんかをわりと信用するのは、僕があっちこっちへ行って実際に会った人たちが聞いてくれているから、だからそのときのことだけじゃなくて、「ああ、あんなこともあった。こんなこともあったな」と、その人たちの頭の中にエピソードがあって、それで聞いてくださるから大丈夫だと思うんです。今の社会の軽薄さといいますか、上っ調子というのが、やっぱりライブをあんまり信用しなくなっていること、面と向かって話をすることの力を信じなくなっていることだと思うので、面と向かって話をしたい。テレビ講座だけで話したくないと一応思っています。一応というのは、もうぼちぼち定年にしたいんです。当方の希望としては、一方的希望としては、65歳になると世の中から高齢者と呼ばれるじゃないですか。そしたらやっぱり定年やで、これは。事務所も替わって、なんで事務所を替わるかというと、うち、借金あるんです。この事務所、学会さんに借金があって、あれ返さんといかんと思うんです、やっぱり。踏み倒してしまうという手もないことはないんですけど、それも具合が悪いから返さんといかんし、それから資本金も食い込んでいるんです、当然、借金があるということは。もともと出資していただいた資本金を全部使っちゃったから借金しているわけで、資本金を取り返したら、その資本金をちょっと利子を付けて返し、借金も返し、僕らもここで退職金をもらうし、いつでも会社をたためますがね。会社をたたんで、海から30分山から30分の場所へ引っ越しをし、晴釣雨読、晴れてる日は釣りをして雨の日は本を読むか書くかという、こういう暮らしになると、しかし食っていけんなと、こう思うんです。で、その食っていくためには、それまでにきっとインターネットがもう一段発達しているだろう、インターネットの未来なんて全然わかんないわ。10年前に、今みたいにインターネットがいろんなことに使えると思わなかったもん。30年前には夢にも思わなかったもんね。でもいろんなことに使えるようになりますから、もう10年するとね、もっといろんなことができるようになって、インターネットで私が老後細々と食えるくらいの商売ができるかもしれない。会いたい人はどこにいるか知らんけど、和歌山県だか高知県だか沖縄県だか知らんけど、会いにおいで。庭に離れを作っておくから、という線でどうかな?と思っているのですが、そうもいかんかね。
SMAPに追い散らされる
2001年07月28日(土)
今日と明日とは、新潟県長岡市でアドラー心理学の講義をするのだが、同じ日にSMAPのコンサートがある。朝から駅前は若い人々でいっぱいだし、鉄道はすべて満員のようだし、道路も混んでいるようだ。会場は、信濃川の向こう岸なのだそうだが、周辺へは車では入れないことになっていて、駅前からシャトルバスが出ているのに乗らないといけないようだ。その案内をする人たちがハンドマイクで叫んでいる。茶髪の若者が群れになって移動している。
私はすこし前に長岡にきていたので、交通については問題はなかったのだが、ホテルがとれない。しかたなく燕三条の駅前のホテルを予約したのだが、今では燕三条はおろか、新潟市内も、さらには柏崎も、ホテルはとれないという。ビジネスなどで出張してくる人もいるだろうに、どうしているんだろう。
講義の値打ち
2001年07月29日(日)
新潟県長岡市でアドラー心理学の講座をしているのだが、富山大学の先生の向後千春さんが受講してくれている。朝食をいっしょに食べながらあれこれ雑談をした。その中で出た話だ。
私は、佛教大学文学部仏教学科の通信教育を受けていたことがあるが、スクーリングのときの講義がとても面白かった。私だけではなくて、他の受講生も熱心に聴いていて、私語をする人も居眠りをする人もいなかった。むかし、医学部で講義を聴いていたころは、しかし、そんなに面白くなかった。それどころか、「早く終わらないかな、眠いな」などと考えたりしていた。ときどき居眠りもしたし、サボったりもした。
じゃあ、客観的にみて、佛教大学の仏教学の講義はよくできていて、医学部の講義はできが悪かったのかというと、けっしてそんなことはない。今、タイムマシンで昔に戻って、医学部で解剖学なり内科学なりの講義を聴かせていただくことができるとすれば、感動的に面白いに違いないと思う。教える立場になってはじめてわかったのだが、教師はたいへんな量の下準備をして、全力投球で講義をするのだ。実際、むかしの医学部の先生方の講義を思い浮かべて、そう思う。実に実にありがたいお話をしてくださっていたのだと、今になるとわかる。だから、悪いのは私のほうなのだ。猫に小判というやつだな。講義の値打ちがわかっていなかったんだ。
向後さんにこんな話をしていたら、彼は看護学校にも教えにいっているのだが、卒業生が聴きにくることがあって、学生とは熱心さがまったく違うというようなことを言っていた。また、彼自身が、いまは私の生徒をしているわけだが、とても熱心に聴いてくれている。大人になって、みずから必要を感じて講義を聴くとき、はじめて講義の値打ちを鑑賞する能力ができるのだ。
高校を出て、そのまま大学へ入って、しかも親に金を出してもらっているのでは、講義のありがたさがわからないんだよな。いちど社会へ出て、それから自分の金で大学に入るのであれば、うんと熱心に勉強するだろう。そういう制度にしてしまったらどうだろうか。
善行の可能性
2001年07月30日(月)
まだ読みはじめたばかりなのだが、金谷治『中国思想を考える』(中公新書)という本を読んでいる。中に、儒教がいう「仁」について、次のような記載がある。
「仁」はもろもろの徳を総合する意味を持っていますが、その核になるものは「忠恕」だとされています。(中略)「忠」とは人の真心です、良心と考えてよいものです。「恕」とは思いやりで、その真心から温かく人をおしはかることです。「自分の望まないことを人に押しつけない」こと(顔淵篇)、「他人のことをわが身に引き当てて考えられる」こと(雍也篇)、それが「恕」といわれる思いやりです。
仁とは「人を愛することだ」とも言われていますが(顔淵篇)、その愛とはこうした温かい思いやりをかけることを意味しています。最高の徳である「仁」が、神の命法といった厳しいものではなくて、人間の真心とそれにもとづく思いやりの情を基礎にしているというのは、大事なところです。(pp.35-36)
これはこれで完全に理解できるのだが、しかし、そういう「仁」って人間に可能なのだろうかと思ってしまう。
悪行をおこなっているとき自分は確実に悪人だが、善行をおこなっているときに善人だとはかぎらない。人間の行為は、しばしば(あるいは常に)私利私欲に根ざしていて、自己一身の利益(たとえば生存することや所属すること)を目的におこなわれているにすぎない。たまたまその行為が他人に利益となっている場合もある。それを他人が善行だと思い、それをおこなう人を善人だと思うのだ。それはいいのだが、その行為をおこなっている本人がそれを善行だと思い、自分を善人だと思うのは、実際にはそうじゃなくて、自己一身の利益をはかっているだけなのだから、自己欺瞞だということになる。心の底からの善行が、あるいはあるのかもしれないが、それと、実際には利己的な行為が表面上善行に見えているものとを、区別する方法がない。
儒教はこういう点、きわめて楽観的だ。ほんとうの善人がもし存在して、その人が仁を実践して生きているのなら、それはたいへんに結構なことだ。しかし、善人じゃない人が、行為だけの善行をおこなって、それを手段として自己一身の利益を計りつつ、しかもみずからを善人だと思い込んでいるのであれば、それは、悪人が悪人と知りつつ暮らしているよりも救いがたい状態だと思う。親鸞みたいなことを言っているな。
蕎麦と鰻
2001年07月21日(土)
昨日は、夕方に東京へ着いて、蕎麦屋へ入った。日本酒の熱燗二合とテンプラ付きのザル蕎麦を注文した。日本酒を呑みながら蕎麦をすするのは、大阪人はふつうしないのではないかと思う。こういう食べ方は江戸風なんじゃないかな。なんとなく古風でいい感じがする。一人で店に入って、徳利をかたむけて酒をすすって、ときどき蕎麦を食っている図なんか、しかし、私もすっかりオジンだな。
悔しいけれど、蕎麦と鰻は東京がうまい。大阪の蕎麦はどうしようもない。よくまあ、あんなものを蕎麦だといって売るね。大阪の近くだと、兵庫県の出石の蕎麦はうまい。なんでも、信州のどこかの殿様が国替えになって出石にやってきて、そのときに蕎麦を移植したんだそうだ。蕎麦打ちの職人も連れてきたんだとか。だから、江戸時代の蕎麦の香りなんだろうな、ちょっと他にはないうまさだ。東京の蕎麦は、そこまではいかないが、それでもうまい。
東京の鰻は、いちど蒸してから焼くのだそうだ。口に入れるとフワッと溶けてしまう。大阪の鰻は蒸さないで焼くので妙に脂っこくていけない。歯ざわりも粘っこくてしつこいように思う。他にうまい鰻というと、福岡県(だったよな)の柳川かな。ここの鰻はセイロ蒸しだ。歯ざわりが、東京のものとは反対で、プリプリしていていい。大阪のは、中途半端なんだよ。ちなみに、鰻が名物の浜松では、申し訳ないけれど、そんなにうまい鰻にあたったことがない。
大阪は、食い倒れなんていうが、そんなに食べ物がうまいとは思わない。ちょっと前だが、高知県の友人(女性)が大阪に訪ねてきて、居酒屋で、やめろというのにカツオのタタキを注文した。「これ、なに?」と彼女は言った。だから頼むなといったろ。まずいんだよ、このごろの大阪の食べ物は。
呉春
2001年07月22日(日)
名古屋で仕事をして、夕方に大阪へ帰った。家の近所の酒屋へ寄って、「呉春」という日本酒があったので買った。これは大阪の池田市の地酒で、私が知っているかぎり、もっとも旨い酒だ。なんでも、蔵元は与謝蕪村と縁者だったとかで、蕪村がこの酒のことを書いている。その時代からの銘酒だ。大阪の酒呑みなら誰でも知っているが、生産量が少ないようで、他県ではまず呑めない。
新潟県の友人がよく酒を送ってくれる。たしかに旨い酒ではあるが、雪国の酒は、われわれ瀬戸内躁鬱圏の住人には、すこし濃厚すぎる。もうすこしあっさりした酒がいい。大阪だと、枚方市の「菊養老」は、知られていないがとてつもない銘酒だ。河内長野市の「天野酒」も、すこし癖があるが、いい酒だ。他に私が好きな酒は、大分県の「西の関」だとか、高知県の「土佐鶴」だとか、富山県の「立山」だとかいった、甘くもなく辛くもなく、呑めばいくらでも呑めるタイプの酒だ。灘の銘酒は、今では灘で生産しているわけではなくて、全国に下請けに出して作った酒をブレンドしているようなので、あまりいい酒がない。それでも、たとえば「白鷹」のような旨い酒がないことはない。
蝉
2001年07月23日(月)
何年かに一度、蝉の多い年がある。今年は、そういう年であるようだ。朝早くから裏庭で鳴いている。それも一匹や二匹じゃない、ブラスバンドなみにたくさん鳴いている。小さな庭に、よくあれだけたくさん集まれるものだ。夜明け方にモデラート・ノン・トロッポではじまるのだが、6時を過ぎるとアレグロになり、6時半にはプレスト・モルト・アジタートだ。だから、8時過ぎまで寝ていたいのに、早く目がさめてしまう。目がさめると、暑さで眠れない。パートナーさんは、あい変わらず「クーラーはなしよっ!」とがんばっているのだ。
しかし、伊東静雄が、蝉の声がやかましいやうでは/所詮日本の詩人にはなれまいよと、ある詩の中に書いていて、このフレーズが頭に響いてしまうのだ。私は詩人なわけじゃないが、日本人ではあって、日本人の感性としては、蝉の声をうるさがってはいけないのだなと思ってしまうのだ。
税務調査
2001年07月24日(火)
私の大阪のオフィスに税務署の調査が入った。別に悪いことをしたわけではない。定期的な調査だ。ひさしぶりだ。普通は3年に一度あるんだそうだが、業績がよくない年には来ない。昨年度はたまたま業績がよかったので、7年ぶりだか8年ぶりだかに税務署がやってくることになった。
私は経理のことはほとんどわからないので、はじめに事業内容の説明をしたら、後は経理部長と税理士さんにおまかせだ。彼らをある部屋に監禁しておいて、関係ないスタッフは事務室で仕事をしていた。税務署は、次々とあれこれ細かい書類を出せというようで、経理部長(実は部長しかいないのだが)はしょっちゅう事務室にやってきては、「あれはどこだっけ」、「そんなものあったっけ」などとあせっている。そのうちだんだん表情が硬くなってきて、しまいには怒りだし、「小役人め!」だの「とてもつきあってられないわ!」だのと言う。まあ、そう言わないで、つきあってやってくださいよ。あの人たちも仕事なんだから。
結局、帳簿の不備を二ヶ所ほど指摘されて、数万円追加で納税することになった。これくらいで済んでよかったと思う。税務署は、来るたびに、とても小さなミスを摘発して、いくらか税金を持っていく。タダではぜったいに済ませてくれないようだ。しかし、よくまあ、あんな細かい仕事を毎日できるものだ。私にはできない仕事だな。感心してしまう。もっとも、向こうも、精神科医の仕事なんてできないなと言うかもしれないが。
眼鏡を買う
2001年07月25日(水)
訪問販売の眼鏡屋さんがあって、はじめパートナーさんが誰かの紹介で知った。私もそこで、釣りのときに使う偏光レンズ付き二重焦点眼鏡と、登山のときに使う二重焦点眼鏡を作ってもらったが、とても品質がいいのに、信じられないほど安い。
昨日、その眼鏡屋さんに大阪のオフィスまで来てもらった。彼に予約した後に税務調査が入ることが決まったのだが、まあ、経理部長以外のスタッフはそんなに仕事があるわけではないのでいいだろうと思って、断らずに来てもらうことにした。私を含めて3人が眼鏡を新調することにしていたのだが、他のスタッフもとても関心をもって、あと3人も注文することにした。その中に、税務調査で忙しい経理部長も入っていた。合間に出てきてはフレームを選んだのだ。すこしはイライラの緩和になったかもしれない。
私は、とても気に入ったフレームがあって、これにしようと決めた。しかし、ちょっと待てよ、この模様は見覚えがあるな。たまたま山用の眼鏡を持っていたので見くらべたら、なんのことはない同じフレームだ。好みというのは一貫したものだなと感心してしまった。百以上もある候補者から、まったく同じものを買おうとするのだから。
このごろ、性格というのは美意識の一種だと思っている。美しいことをしようということと、醜いことをしないでおこうという、両方の感覚が、人間の行動をある範囲内に定めているのではないか。そうだとすると、同じフレームを選ぶことも、そう驚くべきことではない。
Q
「病気の人を勇気づける(講演)」に行こうとしたら、家族の体調が悪くなり講演を受けられなかったので、病気の人を勇気づけるポイントをお願いします。
A
「病気の人を勇気づける」と言ったかなあ?そんなの言ってないような気がするけど、まあよろしいわ。病気ということがあるから何か変わったわけでないと思う。僕たちの人間と人間とのつきあいというは、人格と人格のつきあいであって、行動と行動や状態と状態のつきあいではないんです。子どもに向かって話をするときに、「あなたのやっていることは好きではありませんけれども、あなたのことは好きです」と言いなさいと、いつも言うんですよ。子どもの一々の行為はムカついたりするんだけど、それは子どもの人格そのものにムカついているんではないんです、ほんとは。だって、僕らは僕らの子どもが好きだもん。僕らの配偶者が好きだもん。僕らの配偶者が好きだけど、鼻毛抜きながらテレビ見るのは嫌いなんです。だから、行動と人格と区別したいんです。それから、状態と人格も区別したいんです。元気だから好きよ、病気だから嫌いよというのはないんです。病気だから特にやさしくしてあげようとも思わないんですよ。いつものあなた、いつもの私なんですよ。体の状態と関係なく、その人の意識なり、その人の人格なりがあるわけじゃないですか。だから、病気だから病気の人に向かって特別の接し方をするというのは、たいていの場合有害なんです。アルフレッド・アドラーが「器官劣等性」というお話を若いころにしていました。器官劣等性というのは、子どもの生活に支障をきたすような子ども時代の体の障害のことです。例えば、喘息か何かで運動ができないとか、アトピー性皮膚炎で容貌が醜いとか、あるいは目が弱いとか耳が弱いとか、あるいは子どもの腎炎でやっぱり運動制限がかかっているとかいうことがあると、子どもがそのことに対して何か対処しないといけないじゃないですか。その態度決定する対処する仕方に3とおりあると、アドラーは言ったんです。例えば喘息で体の弱い子は、体を鍛えようとするかもしれないんです。一生懸命体を鍛えて、それで凄い強い子になって、それで運動選手になるかもしれない。運動選手にはけっこう喘息の人が多いんです。子ども時代に喘息だったので、それでランニングしてランニングが好きになってマラソンに出た人を何人か知っていますから、だから器官劣等性の補償として劣等な器官を鍛えるというのがあります。棟方志功さんは目が弱いから、だから画家になりました。耳の聞こえない音楽家がけっこういるんですよ。ベートーヴェンとかスメタナとか耳の聞こえにくい音楽家もけっこういます。そこへ意識を集中しちゃうのね。それから2番目は、喘息だから体は諦めて頭を鍛えて賢くなる人がいるんです。哲学者なんかで喘息の人がけっこういます。例えばエマヌエル・カントは喘息持ちです。それからカール・ヤスパースといって、現代精神医学のご先祖みたいな良い仕事を20世紀の初めにやった精神科のお医者さんが喘息持ちで、臨床で患者さんを持つのがしんどいから、哲学者に転向したんです。友だちが「哲学者っていい仕事だね。紙と鉛筆があったら仕事ができる」と言うと、彼は「そんなことはない。大きなゴミ箱もいるんだ」って。なるほどね。紙と鉛筆と大きなゴミ箱があったらできますから、良い仕事だと思うんですけど、体が弱かったから頭を鍛えた人たちもいます。そういう器官劣等性の補償があります。3番目の補償は、自分は弱いから人に頼ろうとする。「私はこういう病気だから何もできない」と言いたくなる。それにしたくないんです。アドラーとしてはそういう障害のある子どもを、自分の障害を盾にして社会参加から身を引く方向に動いてほしくないから、同情しないように手助けしないように、子どもが自分で自分の問題を解決するように、健康な子よりももう少し気をつけましょうねと言っているんです。そしたら大人だって一緒なんですよ。大人で病気になっちゃったときに、僕らが必要以上に手助けしてあげるのは、たぶん本人が病気を自力で克服することを、勇気をくじいちゃうと思う。まあ、いわゆる日本アドラー心理学ふうに言いますと、課題の分離と共同の課題で、その病気とどうつきあうかとか、病気をどう克服するかというのは、基本的に患者さんの課題なんです。患者さんに頼まれたことを引き受けるかどうかは、その都度相談して、共同の課題にしたりしなかったりします。あんまり気を回して、僕たちのほうからあれやこれやしてあげようとすると、患者さんの病気とつきあう、病気を克服する勇気をくじいてしまいかねないんだと思うので、わりとクールにつきあうと思う、たぶん。病気になった途端に、あんまり頑張って看病しないと思う。私の母親は悪いクセがありました。私の一番下の弟が喘息持ちだったんです。彼は「喘息を使いまして」母の全エネルギーを吸収したんです、兄二人から。母はずっと喘息持ちの弟を気にして暮らしました。弟のほうは、母から離れて結婚して子どもができたら喘息は治りました。もう使い道はないからね。そしたら今度は、真ん中の弟が、もう15年くらい前になるんですが、十二指腸潰瘍の手術をやって、その後ずっと病弱なんですよ。母が凄く心配するの。僕のところへ、「あの子が心配だ。何とかならんか」と言ってくるんですよ。「あんたは一生それやる気か?」。病気の子がかわいいんです、彼女は。僕なんか全然病気にならないから、全然かわいくないんですよ。だからあんまりあれをやりますと子どもの自立を妨げて、かえってずっと子どもを病気のままに置いておくことになるかもしれない。真ん中の弟がずっと病弱なのは、あれは絶対母との関係だと、私は思っているんです。病気の克服というのは、基本的に病者の課題だと思い、手伝えるものについてちゃんと一々相談しながら決めていくということだと思います。
数学は好きなのか嫌いなのか
2001年07月15日(日)
高橋昌一郎『ゲーデルの哲学』(講談社現代新書)を読んだ。数学者クルト・ゲーデルは、「自然数論において、真であることはわかっているが、自然数論だけを用いては証明できない命題が存在する」という定理(不完全性定理)を証明したのだが、前半はこの定理の解説だ。不完全性定理の解説は、これまでにも何冊か読んだが、さっぱりイメージがつかめなかった。この本で、いくらかイメージはつかめたが、厳密な証明はあいかわらず理解できない。頭が悪いんだね。
学生時代には、数学は苦手科目の筆頭だった。しかし、物理学は得意科目の筆頭だった。数学の教師が悩んで、「君は物理がこんなにできるのに、どうして数学はこんなに駄目なんだ?」と尋ねたが、私には答えようがなかった。今になって考えるに、数学については、「なぜこんなことをするのか」という目的がわからなかったのだ。物理は、目的がきわめて明確だ。目的さえはっきりしておれば、どんな厄介な計算だってしてみる気になる。「自然数論だけを用いて証明できない自然数論の真なる命題がある」というようなことを、なぜ手間ひまかけて証明しなければいけないのか、当時もわからなかったし、今もよくわかっていない。しかし、大学を出てからは、暇つぶしにそういうことを考えるのも悪くはないなと思うようになった。だって、試験がないものね。
そういうわけで、数学の本をときどき読む。父は医学部に入る前は理学部数学科にいて、複素数論かなにかを研究していた人なので、遺伝因子がないことはないのだろう。数学そのものは今でも苦手意識があるが、心理学を考えるとき、きわめて数学的に考えているなと自分では思っている。それは、「数量的に」という意味ではなくて、「公理論的に」という意味だ。むしろ、数量的に考えることは反数学的だと思っているふしさえある。公理論的にものを考えることができるようになるためには、数学の本を読む必要がある。そう思って読むと、きわめて抽象的な数学理論も、けっこう楽しんで読める。
液晶が破れる
2001年07月16日(月)
旅先にもって歩いているDynaBookがあるのだが、土曜日に、広島に行ったときに開いてみたら、液晶画面に黒い木の葉のような模様が見える。表面には傷はないのだが、内側になにかがおこっているようだ。スイッチを入れると、そこだけ明るくならない。手で触れると、木の葉の周辺が動く。虹色の隈取もつく。長さ7~8センチ、幅3~4センチの木の葉の部分は暗いが、他は見えるので、しなければならない仕事はなんとかできた。しばらくしてまた開くと、木の葉の位置が移動している。どういうことなんだろう。
今日、販売店に持っていって修理を依頼したが、窓口のお兄さんも、こんな故障は見たことがないという。保証期間内なのでよかった。とにかく修理に出す。8月にパラオ島にダイビングに行くのだが、そのとき持っていって、水中デジカメで撮った写真を見ようと思っていたのに、それまでに帰ってくるかなあ。
理性の限界
2001年07月17日(火)
高橋昌一郎『ゲーデルの哲学』(講談社現代新書)によれば、ヴィトゲンシュタインはゲーデルの「不完全性定理」を気に入らなかったようだ。
ウィトゲンシュタインの『数学の基礎』は、不完全性定理を「矛盾に直面した数学者の迷信的な恐怖と畏怖」とみなしている。(中略)ウィトゲンシュタインはこの〔不完全性定理の〕帰結を「無意味」とみなし、ゲーデル命題を「命題ではない」と考えたわけである。(中略)後にウィトゲンシュタインの見解を知ったゲーデルは、不完全性定理を、「ウィトゲンシュタインが理解していない(あるいは理解していない振りをしている)ことは明らかです。(中略)」と述べている。ゲーデルは、ウィトゲンシュタインの分析そのものが、「無意味と思えます」とも述べている。(p.131)
「自然数論において、真であることはわかっているが、自然数論だけを用いては証明できない命題が存在する」というゲーデルの不完全性定理を拡張すれば、「われわれが考えうるかぎりの理性的命題の全体の中には、真であることがわかっているのに、理性では証明できない命題がある」という主張になる。つまり、理性(的推論)には限界があるのだ。じゃあ、証明できないのに真であるとわかっている命題とは、どういうものだろう。それは、理性を超えているのだから超越的な真理であり、別の言い方をすると神秘的な真理であることになる。
ヴィトゲンシュタインは、「語りうることは、すべて明晰に語りうる。語りえないものが存在する。それが真理である。語りえないものについては沈黙しなければならない」というフレーズで、理性(=論理的言語)の限界を指摘しつつ、一方で神秘の存在を肯定したのだと、私は理解している。そうなると、ゲーデルもヴィトゲンシュタインも、理性の限界と超越的真理の存在について考えていたのに、どういうわけか折り合えなかったのだ。ヴィトゲンシュタインがゲーデルのどういう点が気に入らなかったのか、あるいはゲーデルがヴィトゲンシュタインのどういう点が気に入らなかったのか、しっかり考えてみようと思っている。これは、「科学とはなにか」ということを考えるとき、かなり重要な課題だと思う。
夏空
2001年07月20日(金)
午後4時前の新幹線で、新大阪から東京に向かった。東海道はずっと、真っ青な空に、あるいは多くあるいは少なく、はじめは白くやがて夕映えの、雲が浮かんでいた。何年に一度か、こういう空を見る。ふだんもあるのだろうが、町中にいるときは、雑事にまぎれて、それがあっても気づかないことが多いのではないかと思う。たとえば山にいて他になにも見るべきもののないとき、こういう空の青さに気づいて、今生でこういう日に出会えたことに深々と感謝する。
最初にこういう空を見たのは、たぶん3~4歳のころだと思う。ある日、庭に植えてあった背の高い青桐の向こうに真っ青な空を見た。ただその風景しか覚えていない。私にとっては、この世界のいちばん基本的な背景が、そういう空なのだ。
これは今の季節のことではないが、こういう空を見ると、伊東静雄の「夏の終り」という詩を思い出す。
夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
気のとほくなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大気の空をながれてゆく
太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほきく落す静かな翳(かげ)は
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
いちいちさう頷く眼差しのやうに
一筋ひかる街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田の面を移り
ちひさく動く行人をおひ越して
しづかにしづかに村落の屋根屋根や
樹上にかげり
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
ずっとこの会釈をつづけながら
やがて優しくわが視野から遠ざかる
これは、昭和21年の作品で、敗戦後の、詩人の心象風景であろう。それを私はわずかに共有できる。場所は、かつて詩人が住んでいて、いま私が住んでいる堺市の界隈だろう。こういう詩を知っていることが、ある日の列車の窓から見た空を、それを知らないときに見るであろう空とは違ったものにする。それが文学の力というものだ。