MENU
129,878

「ジョニーのリンゴ」

Q 
 野田先生はアメリカで“ジョニー”と言われたんですか?

A
 「ジョニーのリンゴ」ね。“ジョニー・アップルシード”というアメリカの伝説があるんです。その人はスウェーデン人かノルウェー人かデンマーク人かのおじいさんで、アメリカ中にリンゴの種を持って回って植えた。アメリカのリンゴの多くは多くはジョニーが植えたものの子孫です。「あなたは日本のジョニーアップルシードで、アドラー心理学というリンゴを持って帰って、種を植えるんだよ」と言われた。だから、こうやって植えています。あまり育ちませんが(笑)。
 浩→野田先生の回答はここまでですが、ネットに詳しく説明がありました。一部を引用します。
 ↓
 ジョニー・アップルシード(Johnny Appleseed、1774年~1845年、本名ジョン・チャップマン)は、アメリカ合衆国初期の開拓者の1人で、実在した人物です。西部開拓期の伝説的人物の1人として、現在もさまざまな逸話や伝説で語り継がれています。
 マサチューセッツ州レミンスターに生まれた(おや?野田先生は勘違いでしょうか?)彼は、成人するとリンゴの種を携えて西部の開拓地一帯(当時の西部なので、現在のアメリカ東部から中西部に当たる)を回り、エマヌエル・スヴェーデンボリの著書を手に新エルサレム教会(英語版)の教えを説きながら、オハイオ州、インディアナ州にリンゴの種を植えて回ったそうです。
 以下のようなエピソードもあります。
 コーヒー豆用の麻袋を外套として着用していた。
 壊れた鉄製の粥鍋を帽子代わりにしていた。
 裸足で町を歩き巡った。
 彼は質素で親しみやすい人柄と行為によって多くの人に慕われ、死後も開拓者精神を代表する人物として数多くの逸話や伝説が残っていて、現在も小説等の題材に取り上げられ、親しまれています。(野田俊作)

編集・削除(未編集)

精神統一病    野田俊作

精神統一病
2002年01月21日(月)

 精神神経学会は、「精神分裂病」という病名をやめて「統合失調症」と呼ぶことにしたのだそうだ。賢い人たちが一生懸命考えた結果なのだろうが、あまり素敵な病名じゃないな。
 私の出身の大学のゼミでは、よく「精神統一病」と言っていた。「分裂」よりも、むしろ妙なところに「統一」しているのが病気の本体だと、私の同輩たちは思っていたわけだ。彼らの多くは単科の精神病院で数多くの精神分裂病患者とつきあっている人たちだったから、感覚は確かだと思う。私は当時、総合病院精神科にいて、分裂病者よりも神経症者とのつきあいのほうが多かったから、あまり発言権がなかったし、今でもない。
 しかし、「統合失調」というのは、どうも違うような気がする。精神神経学会の人たちの中にも、「おかしな精神統一」が問題だなと気がついている人はいたと思うのだが、schizophreniaというヨーロッパ語の名称にひきずられて、「失調」という言葉を入れたくなったのだろうか。
 あるいは、この変更は、社会的差別をなくすることだけが目的であるのかもしれない。「分裂」は響きが差別的で、「失調」はそうじゃないというのだろう。しかしね、概念(signified)をそのままおいておいて名称(signifier)だけ入れ替えて、差別がなくなるものだろうか。DSM(アメリカ精神医学会の「精神科診断統計マニュアル」)などでは、他の精神疾患と明確に区別できるものとして精神分裂病(ないし統合失調症)を操作的に定義してある。精神神経学会には、そこを動かす気はないようだ。だとすると、概念をそのまま温存して、ただ名称を入れ替えただけじゃないか。それって、ごまかしのような気がするなあ。
 差別をなくするためには、社会制度上の差別を撤廃しないといけない。つまり、精神病者と一緒に社会の中で生きていくことを、制度として保障(ないし強制)しないといけない。つまり、平等ということと同等ということとをはっきり区別して、「同じじゃなくても平等に」つきあう練習を、みんながしないといけない。一方で、育児や教育の中で強烈な同等化圧力(みんな同じでありなさい)をかけながら、一方で、名称だけ変えて精神障害者差別をなくそうというのは、土台が腐った家のペンキだけ塗り替えて高く売ろうというようなものだ。
 精神障害者って、“変わった人たち”なんだよ。変わった人たちだということを知って、それを認めてつきあえば、いい人たちだ。「変わっていてはいけない、《普通》になりなさい」と圧力をかけると、いい人たちでいられなくなるかもしれない。そういう圧力さえかけなければ、ほんとうに純粋で正直ないい人たちだと思う。変わっているけどね。



睡眠時間
2002年01月22日(火)

 いつも午前1時ごろまで起きていて、早ければ朝7時半、遅ければ8時半に起きる。ところが、昨日は午後10時半に寝てしまって、今朝は午前9時まで寝ていた。疲れているんだ。催眠のワークショップははじめてで、どうしていいかよくわからないままに2日間をすごした。ひどく気疲れしているみたいだ。
 社長業をしているおかげで、出勤はいつも午後1時ごろだ。午前中は論文を書いたり、この日記を書いたり、メールを書いたり、そういうことに使っている。だから、サラリーマン諸氏には申し訳ないが、疲れていれば朝寝坊ができる。朝寝坊ができるのは、まだ若い証拠じゃないかと思っている。朝早く眼がさめて困るということはない。
 寝つきはいいほうだ。ベッドに入ると、数分で寝てしまう。それでもときどき眠れないこともあって、そういうときはあっさりと起きて、仕事をすることにしている。午前3時とか4時とかになることもあるが、それでも7時半とか8時半に目がさめる。その翌日はきっと眠れる。
 寝すぎると夢をたくさん見る。今朝も、たいして意味のない夢を次々と見ていた。今はもう思い出せない。

編集・削除(未編集)

アドラー心理学は覚えることが少ない?

Q 
 アドラー心理学では、覚えなきゃならないことはわずかしかないと聞きましたが、これはどういうことでしょうか?

A
 そのとおりです。人間は、究極的には、信頼し合って、尊敬し合って、責任持って、勇気づけ合って生きよう、これくらいでしょう。
 そのためにどうするか。そんなん知らん。うちの子どもをどうやったら尊敬できるんだろうか。うちの主人をどうやったら信頼できるんだろうか。いつも問いかけてください。方法はない。答えはない。方針だけあって。
 株の名人がいるんです。株で儲ける方法は簡単で、安いときに買って高いとき売る。原則はこれだけ。どんなとき安いかどんなとき高いか。それは言えない。長年の経験からでないと。10年株をやって、それから聞きに来たら言える。まだ1回もしたこともないときに聞きに来ても、何も言えない。そう言うんです。
 どうやって勇気づけるか。それはわからん。やってごらんよ。いろいろやって3年5年して、わからなかったら聞きに来る。
 知識と技術とは別です。知識としての、理論としてのアドラー心理学は極端にコンパクトです。これ以上切り詰めようがない単純な理論です。でも、実践するのは別の話で、お稽古がいる。ゴルフは玉に棒を当てて穴に入れればいい。それ以外何もない。囲碁は交互に打って、回りを囲んだら相手を取れて、相手が入れない状況を作ったら地(じ)だ。地の目数の多いほうが勝ち。ルールが単純なことと実践とは別です。さいわいなことに実践が不可能ではない。
 複雑な理論だと、理論をマスターするだけで手間がかかってどうしようもない。僕は大学ではフロイト心理学を2年間正規の講義でやった。卒業してからもセミナーを受けた。本もたくさん読んだ。いまだに全然わからない。あらましわかっているけど、ちょっと細かいことを突っ込まれたらわからない。そんなん具合が悪い。2年も3年も勉強してようわからんというのは困る。アドラーなんか2か月やれば理屈は全部わかる。ペーパーテストをやると百点取れる。でも実技をやるとみんな落第する。理屈が単純なのは、早く実践に入れるからいいことですね。(野田俊作)

編集・削除(未編集)

臨床家と教育者    野田俊作

玉葉風雅の和歌
2002年01月19日(土)

 内輪で連絡用に使っているホームページに「うらない」をするCGIをつけている。乱数で番号を決めて吉凶のメッセージをひとつ選んで掲示するという、きわめて単純なプログラムだ。もうすぐ春なので、デザインを変えようと思って、春の短歌を集めていた。吉凶の後に短歌を掲示すると優雅だからね。もっとも、吉凶と短歌の意味のつながりは、私にもよくわからないのだけれど、遊びなので、まあ適当につけている。
 古今の名歌の中から好きなのをメモしているが、現在15首決まっていて、そのうちなんと5首が南北朝時代の『玉葉集』あるいは『風雅集』所載の、いわゆる京極派の歌だ。これでは偏愛としか言いようがない。自分でも驚いている。当然『万葉集』が多いだろうと思っていたら、そんなことはなくて、2首しかない。「一人の歌人は一つ」という制限をかけているのだが、それがなければ、京極派の歌はもっと増えるだろう。

みねのかすみふもとの草のうすみどり野山をかけて春めきにけり 永福門院

山の端も消えて幾重の夕霞かすめるはては雨になりぬる 伏見院

沈みはつる入日のきはにあらわれぬ霞める山のなほ奥の峰 京極為兼

越ゆれども同じ山のみ重なりて過ぎゆく旅の道ぞはるけき 花園院

のどかなる霞の空の夕づく日かたぶく末に薄き山の端 藤原為子

 平安時代から鎌倉時代の和歌は、「見ざることをも見、聞かざることをも聞き、思わざることをも思い、なきことをもあるように詠む」(『野守鏡』)というように、旅をしていなくても旅の歌を詠み、恋をしていなくても恋の歌を詠めるのが、歌の上手だとされていた。ところが、鎌倉時代末期の伏見天皇のサロンに京極為兼という歌人がいて、そういう伝統に反発して、「心のままにことばのにおいゆく」(『為兼卿和歌抄』)詠み方、つまり実景と実感を重視する作法を主張した。伏見天皇やその皇后の永福門院、後継者の後伏見天皇、花園天皇など、いわゆる持明院統の宮廷でこの作法が伝えられたが、これを、伝統的な和歌作法に固執していた二条派と区別して、京極派という。そのグループから『玉葉集』と『風雅集』という二つの勅撰和歌集が発行された。その後、この門流は衰えて、彼らの歌は長く忘れられていた。
 折口信夫やその門下生が京極派の和歌を評価していたので、むかしから知っていたし、嫌いではなかったのだが、いつのまにこんなに好きになっていたんだろう。心境の変化なのだが、年をとったためなのだろうか、それとも今の時代の雰囲気なのだろうか。焦点がフワフワと移り変わるような彼らの詠みぶりが、同じ写実でも、万葉集の直線性と違って、一つの風景にさまざまの心情が重ね焼きにされているようで、かぎりなく美しいと感じてしまうのだ。



臨床家と教育者
2002年01月20日(日)

 昨日から大阪府河内長野市で催眠とポストモダン心理学のワークショップをしている。人格がひとつではなくて複数あること、それらが単一の無意識の上に乗っていること、状況によって違う人格があらわれること、ただし、意識だの無意識だの、あの人格だのこの人格だのというのは、言葉によって恣意的に現象を区分したものであるにすぎず、実在ではないこと、だからその区分は変更できること、などを話している。
 臨床家たちは大変なショックを受けているようだ。20世紀の心理学が探求していた、人格の診断だとか、人格の変容だとかは、いったいなんだったのか。ある心理臨床家が、「性格を分析して、それを洞察してもらい、問題点を矯正するという考え方とは、どう折り合いをつけるんですか?」というようなことを質問したので、「そう言えば、そういう考え方もありましたねえ。ともあれ、21世紀へようこそ」などととぼけて答えたりしていた。人格理論が根底的にひっくり返っているので、折り合いなんかつきようがない。
 食事をしながら、ある精神科の看護師さんと話をしていたのだが、患者さんの態度は、看護師さんの出方でまったく違ってくる。看護者がやさしく接すると患者さんはおだやかになるし、看護者が厳しいと患者さんは荒れる。厳しく接する人たちは、患者さんの人格がひとつしかないと思っているので、問題行動があれば、それを分析し、洞察させ、反省させ、別の行動を選択させるべきだと考える。そういう看護師さんに対して、患者さんはいい顔をしない。そのうえ、そういうやり方で患者さんがちゃんと学ぶかというと、そうでもないようだ。ジェーン・ネルセンというアドラー派の学者が言っているのだが、「子どもに学んでもらうために、苦しい目にあわせる必要はない」のだ。しかし、モダニズム的な単一人格理論に乗っかって考えるかぎり、患者さんの問題点を指摘せざるをえないことになる。そうなると、治療的人間関係がまずくなって、患者さんはかえって学ばなくなる。
 ポストモダニズム的な多重人格理論では、問題を分析し除去することを断念して、かわりに、患者さんの中に解決に向かうリソースとしての別の人格がないかどうか探す。そして、それを使うように勇気づける。この方法だと、患者さんを責める必要がまったくないので、厳しく接する必要がなく、治療関係が悪くならない。看護者がやさしく接したときに出てきているおだやかな患者さんの人格と、厳しく接したときに出てきている荒れている人格とは、別の人格だと考えられるし、それら双方とは別に問題解決につながるリソースがあるのかもしれないし、すくなくとも荒れている人格はリソースではない。そう考えると、「よい治療関係」と「問題解決」という、かつてはある局面では矛盾する概念だったものが、いまやなんの問題もなく並立できるようになった。これは実に貴重なことだ。
 看護師さんたちは、臨床家と教育者のちょうど中間あたりの意識をもっているように思う。心理臨床家たちは世界の根底が揺らぐほどのショックを受け、看護師さんもそれなりに驚いていたのだが、学校の教師はそれほどびっくりしていなかったように見えた。臨床よりも教育への影響がより大きいと思うんだがなあ。パートナーさんにそんな話をしたら、教師と一緒に仕事をすることが多い彼女は、「先生ってそんな風よ。具体的なノウハウには興味があるけれど、理論的な話を聞いても、それを自分の現場の問題と結びつけて考えないの」と言う。ふうん、そうなのか。まあ、そんな教師ばかりではないとは思うのだが、たしかに臨床家ほど理屈と実践とを直結させることはないようだ。そういうことが、教育が新しい時代に即応できなくなっていることと、あるいは関係があるのかもしれない。

編集・削除(未編集)

寝たきりの父親を母が1人で介護

Q
 脳卒中の患者には入院も在宅も医療効果にそう変わりないと聞きました。私のうちには寝たきりの父親がいます。公的機関の助けを借りながら、母が1人で父の看護をしているので、ときどき「看護を代わろうか」とたずねますが、いつも母の話を時間中ずーっと聞いて終わるだけになっています。何時間も聞くと疲れて、結局何もしないで帰ります。結局こんなもんでしょうか?

A
 こんなものでしょうね。看護している方のお話を聞いてあげるのもすごい大事なことです。自分がその立場になるとわかるけど。「何かできることある?」と、ときどき聞いてあげてください。
 寝たきり老人になっても、そりゃおうちにいるほうがいいよ。エアマットレスとかウォーターベッドとか置いて、ときどき訪問看護してもらったりして、家族と一緒にいる。家族は大変ですけど、まあお互い様ですよ。それが家族というものじゃないですか。
 結婚式にときどき行くんですが。なるべく私を呼ばないでくださいね。きれいなお嫁さんもそのうち垂れ流しになるんです。ババアになってしわくちゃになってシミが出てきて、きれいなおっぱいが全部垂れ下がってくる。そのときにご主人は、この奥さんをまだ今と同じように愛していられるかどうか?旦那だって、そのうち頭はハゲて腹はでっぷり出て脂ぎってくる。そのうち脳卒中を起こして半身不随になる。それでも奥さんはこの人と一生連れ添おうと思えるかどうか?そこがもしもはっきりしないんだったら、今だったら間に合いますから、別れましょう。
 結婚するというのはそういうことなんです。若くてきれいな相手と結婚するんではない。将来垂れ流しになるであろう、ハゲになるであろう相手と結婚するんです。その人たちが「お互い最後まで面倒見合って生きようね」という決心なんです。だからそうしようよ。おじいさんになってもおばあさんになっても最後まで面倒見るし、まあ親の面倒も見てあげましょうよ。僕たちも子どもに面倒見てもらわないといけない。順送りなんだから。僕らが親の面倒見ないでいると、子どもたちも見てくれないだけです。(野田俊作)

編集・削除(未編集)
合計881件 (投稿875, 返信6)

ロケットBBS

Page Top