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文脈依存    野田俊作

文脈依存
2002年11月11日(月)

 昨日のことなのだが、ある人が「アドラー心理学で『失敗から学ぶ』というが、これがうまくできなくて、何度失敗しても、同じ間違いをしてしまうが、どうすればよいか」というような質問をした。私は、「『失敗から学ぶ』という言葉には文脈がある。その文脈を離れたところでその言葉を使うのはどうかと思う」と答えた。
 「失敗から学ぶ」という言葉は、私が作った『パセージ』という育児プログラムの中に出てくるのだが、そこでは、「適切な行動/不適切な行動/失敗」という三つ組の概念が出てくる。このうち、不適切な行動に対しては、アドラー心理学は「注目を与えない」という対処法しか教えない。しかし失敗に対しては、積極的に「勇気づける」ことを教える。そこで、不適切な行動だと思われるものを、なるべく失敗だと分類して、積極的な対処法を考えたほうがよいと勧める。
 次に、『パセージ』によれば(「アドラー心理学によれば」ではない!)「勇気づける」には、「適切な行動に注目する」ことと「結末を体験してもらう」ことの2つのやり方がある。失敗に対しても、適切な側面を見つけだして注目することができる。たとえば、自分でミルクをコップに入れようとしてこぼしてしまった子どもに対して、「自分でやろうとして、すてきだね」と言ってあげることができる。また、結末を体験してもらうこともできる。たとえば「こぼれてしまったけれど、どうすればいいと思う?」というのは、結末について話し合おうとしているわけだ。
 「失敗から学ぶ」というのは、この文脈の中で語られている言葉だ。すなわち、子どもが失敗したとき、親がどう行動すれば、子どもが失敗から最大限に教訓を引き出してくれるか、ということについて言っている。それを、自分が失敗したことに応用しようとするのは、定義域を越えて使っているので、不当な使いかただ。
 同じような不当な意味拡張はたくさんある。私は名言(迷言)家みたいで、いろんなフレーズを思いつく。たとえば「しあわせは心こもらぬ言葉から」と言ったことがある。これは、横暴な上司に悩む部下(おー、児玉先生のことだ)の相談の中で、その上司がおべんちゃらを言うと機嫌がよくなって風当たりが弱くなるということがわかり、それで「じゃあ、別に心は込めなくていいから、上司の喜ぶ言葉をかけませんか」と言って、それだけでは愛想がないので、ハガキにベッカンコしている観音様の絵を書いて、その側に「しあわせは心こもらぬ言葉から」と書いてあげた。この言葉は、だから、「仕事の関係」というのが定義域だ。これを夫婦関係や親子関係に拡張するのは危険だと思う。
 人々は、しかし、単語や文の意味が文脈に依存して決まるとは思わないようで、とんでもない応用をしてくれる。その結果、人間関係がかえって冷たくなったり、問題解決からかえって遠ざかったり、よくない効果が出ているように思う。もちろん「失敗から学ぶ」だの「しあわせは心こもらぬ言葉から」だのと言った私にも責任がないではないが、やはり間違って使った人の責任の方が大きいと思う。これは責任逃れかな?

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夫が退職してからの暮らし方

Q
 来年古稀を迎える夫婦です。夫はまだ会社に行っていますが、やがて退職を迎えます。友人・知人を見ていると、妻が夫のお守をしている感じの夫婦が多いように思います。私は、お互いが対等で趣味も一緒のものと別々のものとあって、お互いの自由も尊重していけたらと希望しています。どんな心がけが大切でしょうか?子どもはみな自立していて、同居しないと思います。

A
 老年期になるというのは、人生の最後の発達段階を迎えることですね。社会に対する建設的な貢献的な活動からすべて身を引くと老年期です。会社へ行ってたらもちろん建設的で貢献的です。会社を辞めてもそれはできる。近所の老人会の世話役をするとか、子どもたちに何か教えるとか、自分が何かお勉強を始めるとか。趣味の世界に没頭するだけとか、毎日池へ鮒を釣りに行くだけでは、建設的でも貢献的でない。このごろ池が汚れてきたから、池をきれいにする運動をするとかすると、建設的で貢献的です。何か社会に対してプラスの作用を及ぼそうと、自分はやがて死んでいくけど、あとに残る人たちにちょっとでも役に立っておこうと思うと、老年期に入らなくてすむ。
 つまり、「初老期のままで」一生いられる。そしたらボケないし、保障しませんけど、たぶん癌にもならない。心理学の側から他人が癌になるのを見ていると、生体が自さつしようと思うとき癌になるなと思う。何かイヤになっちゃったとき。「定年になって悠々自適に暮らそう」と口先では言うてるものの、実際は何も夢もなくてぼんやりと暮らしていると、ちゃんと、「もういいだろう」と体が癌になってくれる。配偶者に死なれたとか、子どもに裏切られたという感じを強く持っていて、イヤだなと思うと、体が癌になってくれる。ボケもそうで、あれは体は残るけど心のほうが自さつするということですね。
 そんなにならないように、いつもこの世に夢と希望があって、自分の役割があって、自分の場所があって、自分の貢献できることがあるように気をつければやっていける。そんな計画を話し合われたほうがいいのではないですか。(野田俊作)

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安息日(2)    野田俊作

安息日(2)
2002年11月07日(木)

 今日も休暇をとって、一日家でぶらぶらしていた。午前中はオペラ『ラ・ボエーム』の音をDVDからMDに落とした上で、それを段落分けしていた。MDの録音は、著作権法上の問題だとかで、いったんアナログ化したデータを入れるしかないので、自動的にトラックに分かれない。それで、楽譜を見ながら手動で段落分けした。面倒な作業だ。こうしておくと、頭出しが簡単なのでね。もっと古い時代のオペラだと、1曲1曲が独立しているので、別に楽譜など見なくても段落分けは簡単だ。しかしワーグナー以後のオペラは無限旋律とかいうやつでだらだらと続くので、楽譜を見ないで分け目を見つけだすのが難しい。
 その後、昼寝してしまった。昨夜もゆっくり寝たのに、昼食後どうしようもなく眠くなって、2時間ほど寝てしまった。最近、毎晩ほど悪い夢を見る。胸が苦しいためだろうか。そのため眠りが浅いのかもしれない。
 午後遅くに目覚めて、今度はオペラ『愛の妙薬』をMDに入れた。これはまだ段落分けしていないが、むかしのオペラなので、楽譜を見なくても分け目は聴いているだけで分かる。また暇な日に段落をつけよう。



歯磨き
2002年11月08日(金)

 今のところ歯はどこも悪くないのだが、3月に一度歯科に通っている。「80歳20本」をめざしてがんばっている歯科医で、歯周病管理を徹底的にしてくれるのだ。毎日歯磨きに30分以上かけている。まず歯周ポケットを普通の歯ブラシで磨いて、次に歯間ブラシで磨いて、次に歯間フロスで磨いて、最後に全体を普通の歯ブラシで磨く。最後だけ、研磨剤の入っていない歯磨きペーストを使っている。夜、テレビを見たりしながら、ゆっくりと時間をかけて磨く。これ以外に、食事の後にはなるべく磨くようにしている。ここまでやっても、3月目に歯医者に行くと、歯石がみつかる。この調子だと、一生にわたって3月に一度歯科へ行かないといけない。先生よりも早く死ぬようにしないと、先生が先になくなると、同じような歯医者さんを探すのに困る。
 この先生にかかるまでは、なんといい加減な歯磨きをしていたのだろうと、今になって思う。歯科医学でこういう歯磨きの仕方がどれだけ一般的に認められているのか知らないが、これまでの歯科では習ったことがなかった。やりはじめると、癖になってやめられない。歯がとても気持ちがいいのだ。一日30分、一月に15時間、一年に180時間=7日半、十年で2月半、歯磨きに使うことになる。それでも、するだけの価値がある。



黒豆茶
2002年11月09日(土)

 不整脈がひどくなってから、コーヒーやお茶をやめている。カフェインを飲むと心臓に響く気がするのだ。その結果、水を飲んで暮らしている。以前は、コーヒーを日に3~4杯、緑茶を大量に飲んでいた。不健康な生活をしていたものだ。今は、お茶もコーヒーも別に飲みたくない。
 仕事で広島に来てそんな話をしていたら、「黒豆茶をあげる」と言って、わざわざ車で家まで帰って持ってきてくれた人がいた。黒豆を炒って粉にしたもののようで、香ばしいかおりがする。これならカフェインがないので、楽しめそうだ。
 お酒はワインをグラス1杯に決めて、もう1月になると思う。以前はウィスキーを飲んでいたが、今はワイン以外の酒は一切飲んでいない。そうなると、ウィスキーは飲みたくならない。酒の好みは簡単に変わるものだ。
 仕事の後、数人の友人と食事に行ったら、ワインがあったので、飲むことにした。外では一切飲まないようにしていたのだが、ここ数日、調子がいいので大丈夫かなと思ったのだ。ほんとうに久しぶりに外で飲んだ。さいわい、心臓は別に悪化しなかった。



病気見舞い
2002年11月10日(日)

 体調が悪いのをこのページで宣伝していたりするので、会う人みんなが「お加減はどうですか。しっかり養生して、早く治って、いつまでも元気でいてくださいね」などと言ってくださる。ここまではいいのだが、多くの人が「早く亡くなっちゃうと、私が困るから」とつけ加える。なんのことはない、私利私欲なんだ。ま、どの道、人間は私利私欲でしか動かないんだし、それで悪いというわけではない。また、私のことを必要としてくださっているので、ありがたいことだと思う。素直に喜ぶ。
 今日は福岡にいた。中州を流れる那珂川でハゼ釣りをしている人がいた。秋なんだ。釣り人は、ハゼ釣りを見ると秋を感じる。
 帰りの新幹線「のぞみ」は喫煙席しかあいていなくて乗ったら、両側に大男のヘビースモーカーが座って、窮屈だし煙たいし、気分が悪くなって岡山で降りて、「ひかり」に乗り換えた。むかしはタバコを吸っていたのだが、よくまああんなもの吸っていたなと思う。

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学級運営が空回りしている息子の担任を助けたい

Q
 息子(小5)の担任(40歳男性)のことです。学級の運営は空回りしています。先生の対処が感情的であったり先入観であったりするので、子どもと先生の距離がどんどん遠くなり、子どもは先生を好きでない。一部ののんびりした子や手強い子を憂鬱に思っています。息子は自発性にすぐれ、学ばなくてもアドラー的生き方をしています。野田先生、「ほんならええやないか」と言わないで、息子の担任だから母親の私にできることを教えてください。
 私が先生に言いたいこと。空回りを先生に気づかせたい。「上靴が汚い」「エプロンが汚い」「着替えが早くできない」などと、細かいことを言わないでほしい。どんなタイプの子どもにも話をよく聞いてやってほしい。話さない子を増やさないでほしい。子どもたちが先生のところへ話を持っていくと、「チクリだ」と言ってそのことを非難します。それを気づいてほしい。私は担任を助けてあげたい。

A
 「担任を助けてあげたい」というのは、これは余計なお世話です。
 2つ言おう。すぐ1つとか2つとか言うところが賢いねえ。
 1つ目。親と教師と子どもと三角関係がある。今、相談者は親です。このとき、「教師─子ども」の関係はお母さんには触われない。自分と子どもが仲良くなることはできます。自分と教師が仲良くなることもできます。でも、教師と子どもが仲良くなるお手伝いは、原則としてできない。他人の課題だから。
 絶対にできないかというと、ある条件のもとではできる。それは、先生が困って、「何とか僕はクラスの子どもと仲良くなれないでしょうか、ひとつ相談に乗ってくれないでしょうか」「では乗ってあげましょう」ということになれば手伝える。
 カウンセラーの仕事がそうです。われわれがアドバイスできるのは、向こうが頼んでくるからです。契約ができて、こちらがコンサルタントだと向こうが認めてくれるからです。この先生はお母さんをコンサルタントして認めてくれそうに思わない。したがって、たぶんどんなことをしてもこの先生は変わらないでしょう。
 アドラー心理学のカウンセリングは強力だと思う。受けられるとまあ利益があるだろう。これは当たり前みたいに思われるかもしれないけど、そうでもないんですよ。よそへ行くとどんなにスカみたいかわかるから。ここだとカウンターパンチを入れられたりして痛い目に遭いますけど、とにかく「体が何をしていけばいいか」がわかります。僕のところへ来たら、「子どもを愛してあげなさい」と言われることはない。「あなたは愛が足りないからもっと子どもを受け入れてあげなさい、愛してあげなさい」と言われたら、愛してあげようと思っても具体的にどうしていいかわからないでしょう。僕のところでは、そんなふうに言わないで、例えばご飯ちゃんと食べたら、「食べてくれて嬉しいと言いなさい」。お手伝いしてくれたら、「助かったと言いなさい」とか、具体的に「体が何をすればいいか」を言う。しかも「心は伴わなくていい」と言う。“幸せは心こもらぬ言葉から”。「口先アドラーをまずやりなさい」。やっているうちにこっちも向こうも本気なるから。それは実行可能です。で、すごく強力なカウンセリングだと思う。
 じゃあ、望まない人はどうか?親御さんが、イヤがる子なんかを無理やり引っ張ってくるとダメですね。向こうにニードがないから。あちら側が困っていて、変わりたいと願っていれば強力です。全然願ってない人には何を言っても聞こえない。この先生は願ってないかもしれない。「こんなもんだ」と思っているかもしれない。また願っていても、自分の生徒の親に相談しようとは思わないと思う。だからダメ。諦めてください。
 2つ目。子どもとの関係を良くすることにしっかりエネルギーを使ったらどうか。それと、先生と仲良くするのにエネルギーを使ったらどうか。先生を改造する計画はお捨てになったほうがいい。(野田俊作)

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衝動買い    野田俊作

衝動買い
2002年11月03日(日)

 名古屋で講演をしたが、会場がとても寒かった。数日前から寒波が来ているし、会場は広くて天井も高く日当たりも悪く、しかも連休の中日なので聴衆も少なめと悪条件が重なった上に、公的な施設なので11月の後半まで暖房は入れないという。あまり寒いので、昼休みに外へ出てみた。外はいい天気なので暖かいかと思ったが、そう変わらない。近くに大きな楽器店があるのを見つけて、そこに入った。暖房が入っていて、ちょうどいい暖かさだ。
 楽譜を見ていると、Doverというアメリカの出版社のものを特売していて、あれこれ珍しいものが見つかった。こんな会社、聞いたことがないのだが、声楽中心に、ちょっと毛色の変わったレパートリーを並べている。しかも他社より安い。お金を持ってこなかったのでただ見ていたのだが、そのうちどうしてもほしくなって、会場まで帰ってお金をとってきて、プッチーニの『ラ・ボエーム』のピアノ伴奏譜を買ってしまった。3200円という値段に負けてしまった。他社のだと5000円以上する。他にもほしいものがたくさんあったが、ふところ具合と相談すると、これ一冊でせいいっぱいだ。
 名古屋からは新幹線ではなく近鉄線で帰ることにしている。なんとなく新幹線よりも落ちつくからだ。そのかわり2時間以上かかる。電車の中で譜面を見ていた。聴いてよく知っている曲だが、譜面を見るのははじめてで、とても面白かった。帰宅してからは、もちろん、DVDをかけながら譜面を見た。舞台を見ているとずいぶん長い気がするのだが、舞台を見ないで譜面だけ見ていると、とてもコンパクトに作ってあって、短い気がした。
 木曜に東京へ発って、日曜に帰ってくるというのは、普段だとどうということはないのだが、今は疲れてしまって、頭が働かない。何通か書かなければいけないメールがあったのだが、そういうのはすべて明日にのばして、ぼんやり楽譜を見て、あちこち小さな声で歌ってみたりしてすごした。



安息日
2002年11月04日(月)

 なにもしないで一日すごした。なにもしないといっても、夢枕獏『陰陽師:鳳凰の巻』の文庫本をすこし読んだり、お正月に見にいくプッチーニの『トゥーランドット』のDVDを見て予習したり、『野田俊作の旅のページ』に掲載予定の今年の山行・釣行・潜行報告をすこし整理したり、体力を使わないことはいくらかした。なんとなくぼけていて、本を読んでもそれほど頭に入らない。
 ほんとうは、近くでハイキングの会があって、なんでも郷土史家があれこれ説明してくれながら9キロほどを歩くとかで、9キロ程度なら今だって大丈夫だろうと思って、参加するつもりでいたのだが、極端に寒いし風も強いし、やめにした。別に予約もなにもいらない集まりで、当日集合すればいいだけのことだったから、やめてもだれにも迷惑はかけないしね。しかし、こんな天候でも参加した人がいるのかしら。
 パートナーさんは勉強会で出かけて夕方まで帰ってこないので、夕食を作ろうと思ったが、手の込んだものはいやなので、ちょうど寒いし、鍋にした。今年後半の鍋始めだ。子どもたちは出かけていないので、2人で食べた。昨夜来の風もおさまって、静かな夕方だった。



昔の論文
2002年11月05日(火)

 ある学術誌の最新号を読んでいたら、20年前に私が書いた論文が引用されているのを見つけた。残念ながら心理療法関係の論文ではなく、薬物療法関係の論文だが、それでも嬉しかった。ある疾患に対して、その疾患とはまったく関係がない別の疾患のために使われていた薬物が効果があるということを書いた論文なのだが、発表当時はまったく注目されなかった。まさか20年も経って注目されるとは思わなかった。息長く生き残る論文を、すくなくともひとつは書いたわけだ。
 学術誌はよく読む。学会誌が和文4つと英文1つと独文1つ、一般の精神医学・臨床心理学関係の雑誌が和文2つと英文3つ、定期購読しているのだが、目次を見て、面白そうなのはすくなくともサマリーは読んで、特に面白そうなのは中身も読む。アドラー心理学以外の世界と疎遠になっているので、せめて雑誌だけでも丁寧に見ておこうと思っている。
 多くの理系出身者がそうなのではないかと思うのだが、研究室にいる時代に雑誌を読む習慣をつけられる。教科書は記事が古すぎて役に立たないのだ。特に私は、ゼミで新着雑誌の面白い論文を探す係をしていたことがあって、その時代に関係分野の新着雑誌を網羅的に見る習慣がついた。和文・英文だけじゃなくて、ドイツ語もフランス語も、はてはロシア語の雑誌まで読んでいた。あるとき大学の図書館から問い合わせが来て、「ロシアの医学雑誌を購読中止にしたいがいいか?」と言う。どうして私に聞くのか尋ねたら、私しか借り出していなかったのだ。
 今はロシア語はもちろん、ドイツ語もまともには読まない。1つだけ定期購読しているドイツ語雑誌は英文のサマリーがついているので、これを読んでいる。面白そうだと中身まで読むが、幸か不幸か、めったに面白い論文は載らない。むかしはドイツ語にもロシア語にも面白い論文があったんだがね。アメリカ化が進んで、大切なことはすべて英語で書かれる時代になってしまったということだろう。

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