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胃袋と性器(2)    野田俊作

胃袋と性器(2)
2001年09月13日(木)

 大学を卒業して、内科の研究室にいたとき、顕微鏡標本の作り方を学んだ。まず、組織をアルコールやエーテルで脱水して固くする。何日かかけて脱水して、十分固くなったら、蝋で固定する。それをミクロトームというカンナで削って、数ミクロンのカンナ屑のようなものにする。それをプレパラートに貼りつけて、蝋を除去する。そのままでは透明で見えないので、染料で染色する。染料の種類によって染まる部分が違う。
 あるとき、肝臓の組織に鍍銀染色した。これは神経細胞を染める染色法だ。何も見えないかもしれないと思っていたのだが、細胞のひとつひとつに神経繊維がつながっている。それはそうだよね。肝臓の細胞だって、脳の制御下にあるんだから。頭ではそう知っていたが、実際に目で見ると、ちょっとしたショックがあった。「肝臓や胃や性器は出張所で、脳が本店なんだ」とそのときは思った。このできごとは、後に精神医学に転向する、ひとつのきっかけになった。
 しかし、今は、「脳が本店で脳以外の臓器が出張所」だとは思っていない。脳は、各臓器からのフィードバックがないとちゃんと機能できないことを知っているからだ。つまり、脳と臓器は相互作用をしている。システムを作っているといってもいいし、オーガニズムだといってもいい。脳→臓器でもなく、脳←臓器でもなくて、脳と臓器とが全体としてひとつの塊なんだ。
 だから、昨日書いた、胃袋と性器の話にしても、脳と胃袋・性器が対立しているとは思っていない。脳も胃袋・性器も、ひとつの全体の部分なのだ。とはいえ、脳は脳で暴走しうるし、胃袋は胃袋で暴走しうるし、性器は性器で暴走しうる。こういう関係は数学の用語でいうと「非線形」なので、うまく言語で記述しきれないのだが。
 シッダルタ太子(お釈迦様のこと)の胃袋も性器も、満足を通り越して、飽き飽きしていた。現代人は、胃袋は飽き飽きしているが、性器が飽き飽きしていることはそんなにない。しかし、彼は、胃袋だけではなくて、性器も満ち足りすぎていた。これほどの不幸はない。人間は、ぜったいに最終的には満足しないのだ。満足すると、もっと強い刺激を求める。しかし、刺激には限りがある。特に、性に関しては、すぐに「同じことの繰り返し」に陥る。
 それで彼は出家して、胃袋と性器を思い切り干しあげた。それもまた違う種類の不幸であることを悟るのに、六年だか七年だかかかった。そうして、「苦楽中道」に到達した。つまり、脳と胃袋・性器とのバランスを回復した。それまでは、どちらかが暴走していたのだ。
 食に関しては、彼の教団はそう極端な禁欲を強いない。しかし、性に関しては、完全な禁欲を強いる。このアンバランスは、おそらくシッダルタ太子・ゴータマ・ブッダが決めたものではなくて、禁欲主義者のマハーカーシャパのアイデアではないかと思っている。原始仏典を丁寧に読んでいると、そういう臭いがするのだ。マハーカーシャパは、ゴータマの教えをそのまま受け継いだわけではなさそうだ。
 すくなくとも、性的禁欲を命じた戒の条文は、内的な必然性があったわけではなくて、出家教団に対する当時の民衆の期待で、そうでなければ布施がもらえなかったのだ。そのことは「律」にちゃんと記載があったはずだ。ただ、今は金沢にいるので、「律」が手元にない。大阪に帰ったら、ちゃんと参照して紹介することにする。



破門と寛容(6)
2001年09月14日(金)

 網野喜彦・阿部勤也『中世の再発見』(平凡社ライブラリー)を読んでいたら、次のような一節があった。

阿部 ヨーロッパの場合は、宴会の場はアジール(「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」)ですから、そこへ仇(かたき)が飛び込んできても、みんなと何か食べてしまったら。その男をころすことはできません。

 へえ、そうなんだ。これは「布薩を共にする」のと似ているな。アメリカの同時多重テロ・グループは、おそらくイスラム教徒なのだろうが、ムスリムにとって、アジールになるのはどういう場なのだろう。アメリカ国民とテロリストの大衆が、アジールで出会えば、問題は解決しそうに思うのだが。武力による報復攻撃よりも、パーティをして水に流すほうが、ずっといいアイデアだと思うのだが。酒を呑まないムスリムにとっては、パーティはアジールじゃないのかもしれない。しかし、人間であるかぎり、なにかそのようなことがありそうに思うのだけれど。



散居
2001年09月15日(土)

 富山県砺波市で仕事をした。砺波なんて知らない人が多いんじゃないか。北陸本線からも少し離れている。金沢と富山の真ん中あたりにある高岡で城端線というローカル線に乗り換えて、20分ほど南下したところにある。飛騨の山地から庄川がようやく平野に出たところにある、広々とした扇状地だ。高速道路が市内を貫いたので、車で行くなら便利な場所だ。
 砺波平野の村々は散居という構造をしている。小高い場所に一家族の家があって、数棟からできていて、屋敷林に囲まれている。その周りに田畑が広がっている。一家族ごとに孤立していて、集落構造を作っていないのだ。とてもよい景色だ。今はチューリップなどを作っているようなので、その季節にはきれいだろうな。写真を撮ろうと思ったが、あいにく天気が悪くて、いい写真ができなかった。
 言葉も、富山とも金沢とも違う気がする。「~が」で終わる、高知弁に似た語尾があった。気風も、なんとなく富山とも金沢とも違う。活発な人が多いように思うのだが、それは私の知り合いだけのことだろうか。
 インターネットのおかげで、地方の町のめずらしいことについて、すぐに知ることができるのは、たしかに便利だ。砺波に来る前は、岐阜県にいたが、事前に、五箇山、白川郷、荘川村について予習して、12日と13日は、そのあたりで遊んでいた。都会の役所のホームページは、巨大すぎてあまり便利じゃないのだが、田舎の役所のは、コンパクトでいいのが多い。



3歳児のお絵かき
2001年09月16日(日)

 富山県へ行ったついでに、向後千春さんのお宅へ伺った。上のお嬢さんのあいなちゃんが、絵を描いて見せてくれた。3歳だと思う。「ママ。これはおめめ。お口。髪の毛。リボン」というように、ひとつひとつ言葉で言いながら描いてくれる。ちゃんと人間を描いているのだと識別できる。ママとパパとは、髪の毛の形で区別されているらしい。言葉で言ったこと以外のものは描かない。やはり、絵を描くことは、言語機能の発達と平行しているように見える。
 以前に(08/23)「音声や文字ではなくて、『絵』がシニフィアンの役割を果たす」と書いたが、絵には恣意性がないので、シニフィアンとしては働いていないな。あれは間違いだ。言語と独立に、絵を描くということはないのかなあ、やはり。
 自分の子どもが小さかったころには、こういうことに関心がなかったので、こういう風に子どもの絵を見たことがなかった。もっぱら、兄弟間の葛藤ばかり面白がってみていたな。そのうち孫ができたら、絵の発達の観察材料にしよう。しかし、結婚しそうにない娘たちの様子を見ていると、孫なんてできるんだろうかと、ちょっと不安になる。

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会議で大切なこと

Q 
 会議で大切なことは、十分に相手の話を聞くことですが、どんな心得が必要ですか?

A
会議で人の話を聞くときには、人の話を聞くことよりも自分の話の仕方が問題です。
 みんなどうやってしゃべっているか。だいたい自分の論敵に向かってしゃべるんです。多くの人は、「あいつ、イヤなやつだ。あいつを説得しないといけない」と思う人に向かってしゃべる。そうすると、それ以外の人が自分に向かって語りかけていないと感じる。あのしゃべり方は絶対駄目ですね。
 いろんな人を見ることです。あっち向いたりこっち向いたりしていろんな人を見る。自分の意見に反対の人をなるべく見ないこと。賛成してくれる、うなずいてくれる人ばかり見ること。「そうだそうだ」と思う人に、「そうでしょう」と語りかけること。
 それから、絶対に「みなさーん」というしゃべり方をしないこと。全員に向かってでなく、1人1人に向かって語りかけること。鎌ちゃん(鎌田穣さん)は「みなさーん」が好き。「みなさーん」をしたら誰も聞いてくれない。「私は“みなさん”でない」と誰もが思うから。「あなたにしゃべっているんですよ」というふうにしゃべらないと駄目です。そうやって説得力を上げること。話の内容よりも話し方のボディランゲージのお稽古しないといけない。(野田俊作)

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無我と利他  野田俊作

 今日はこちらでご覧ください。↓

http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-08-11.html

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会議のコツ

Q
 家族会議は、外の会議、職場などに応用できますか?

A
 昔、会議の運営の仕方についてのワークをやったことがあります。会議の運営の仕方についてアイデアがあってね。そこへ学校の先生がたまたま3人参加していたんです。
 その3人がそれから1年間、私のワークショップで学んだことをを活かし続けた。1人の先生は学校へ帰って、自分が議長のときに、「みんな会議の仕方が下手ですから会議の仕方の練習をしましょう」と言って、学校中から浮き上がった。2人目の先生は誰かが議長しているときに、「みんな会議の仕方が下手ですから練習しませんか」と言って、その議長に「私の議長の仕方に不満があるのか」と嫌われた。3人目の先生は何にもしないで私に習ったとおり1年間やった。そしたら、職員会議が住み心地が良くなった。それがアドラー心理学の極意です。
 外の会議で、ここで習ったことを教えようと思ったら絶対失敗します。だから、そういう野望は早く捨ててください。会議の中で自分がどのようにふるまっていけばいいのかを考えてほしい。
 家族会議と職場の会議とが違う点が1つあるんです。家族会議みたいに、みんなが合意するまで措いておくとか、中途半端のままで継続するとかがそう簡単にできなくて、最終的に多数決に委ねざるをえない場面が多い。だから、「多数決は民主主義でない」とまで突っ張れない。そこでどう動くか。みんなやるのは、反対者を説得にかかることです。「あんたの言うことは違います。なぜならこうです」。あれをやめてほしい。多数決というルールで動く会議の中での作戦計画は、「敵を沈黙させること」ではなくて「味方を増やすこと」です。「問題除去」ではなくて「目標を達成する」こと。1人でも多く私の意見の側についてくれればいいので、そのためには敵を黙らせる必要はない。反論をやめる。自分の意見だけ言うことです。(野田俊作)

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アナーキズム

アナーキズム
2001年09月09日(日)

 なだいなだ・小林司『20世紀とは何だったのか―マルクス・フロイト・ザメンホフ』(朝日選書)という本を読んだ。きわめて面白かった。両氏共に私と同業の精神科医なので、関心の持ち方に共通点があるように思う。一方、20歳ほど年上の昭和ひと桁なので、戦後派の私と感じ方が違うところもかなりある。

 冒頭は次のようにはじまる。

なだ:いま、共産主義も社会主義も全部まとめて、何でもかでも粗大ゴミみたいに捨て去ろうとするような、そんな流れになっているね。しかし、この100年のあいだに一体何があったのか、その中でマルクスやレーニンがどんな役割を果たしてきたのか。それを現状の中で考え直さなくてはならない。粗大ゴミのように捨てるにしても、すくなくとも存在していた意味まで捨てるわけにはいかないものね。
小林:そう。社会主義にはいいところもあると思うんだ。一口に社会主義といってもイギリスやスウェーデンなどの例もあるし、ソ連型社会主義がだめだから他の社会主義も全部だめということにはならないだろう。(p.4)

 対話らしく、話はあちらへ行きこちらへ行きするが、この二人の結論は、だいたい次のようなことらしい。

なだ:社会主義について考えるなら「アナ・ボル論争」に戻る必要があるね。社会主義の大きな系譜として、アナーキズムとコミュニズムの二つの流れがある。アナーキストたちは、一党独裁の危険を認識していた。プロレタリアートでさえ、権力を握ってしまえば抑圧者になってしまうという主張を繰り返してきたわけだけれど、その「アナ・ボル論争」は、もう一度見直す価値がある。現在のソ連・東欧の行きづまりは、アナーキストたちが指摘したボルシェヴィキの欠陥が証明されただけで、現状を見ながら過去をふりかえってみると、浮かび上がってくるのはアナーキストたちの予言の正しさだ。(中略)
小林:アナーキズムというのは、すべての権力、つまり政府、警察、軍隊などの政治権力、財産などの経済権力、宗教などのイデオロギー的権力をなしにすることによって社会問題を解決しようという考えですよね。
なだ:そうです。私有財産は否定するんだけれど、それを国家に捧げてしまい、官僚の支配を仰ぐのが共産主義。人民全体の財産とするが、財産そのものは私企業的に独立させるというのが、バクーニン風の集産主義。権力を奪取しようと考えるよりも、権力をいかに弱めるかという闘争をすればいいんで、権力を自分で取ったら、必ず自分が支配者の論理で抑圧せざるをえないという矛盾をかかえてしまう、そういう主張なんだ。(pp.159-161)

 ああ、この年代の人らしいなと思う。昭和初期に生まれた彼らは、私などよりもはるかに人間の本性に対する信頼が強いのだ。政権を奪取しないで、市民が良識でもって政府の機能をチェックしようというのだが、その市民がけっこう「欲ボケ」なんだよね。むかしのアナーキストたちのような、禁欲的な知的階級だけから市民ができているのならいいけれど、そうじゃないんだよ。テレクラや出会い系サイトに夢中な人もいるし、株や競馬やマージャンにうつつを抜かす人もいるし、社会的地位をかけのぼることしか関心がない人もいる。

 私がいわゆる深層心理学を学んで知ったことは、人間は結局、私利私欲でしか動かないということだ。そういう人間同士が助け合って生きられるような、そういうシステムを考えないといけない。アナーキズムはだめだと思うな。やはり政府もいるし法律もいるし警察もいるんだ。そういう文化装置をうまく使って、私利私欲が結果的に利他的に働くようなシステムを作る。資本主義的自由主義の理想のほうが、集産主義的アナーキズムよりも現実的だと思う。
 しかし、なだ氏や小林氏は、あの世代の最良の人たちだし、彼らが、そういう風に考えることは、そういう先輩を何人も知っているので、理解できる。いい人たちなんだ。



日本人同士外国語で話す
2001年09月10日(月)

 ある友人が、どういうわけか、最近エスペラントを学び始めた。他の仲間もいる場所で、その人とエスペラントの話をしていたら、まわりにいた人が、「エスペラントで話してよ」と言う。それで、すこし話をしてみせた。その友人は、おそらく数週間か数ヶ月かしか学んでいないはずなのだが、それなりに喋れたので、やはりエスペラントってすごいなと再認識した。英語じゃ、とてもこうはいかないよ。
 それはそれとして、日本人同士でエスペラントで喋るのは、なんだか気恥ずかしいものだ。エスペラントでなくても、英語だってそうだな。外国人が混じっていると、日本人同士が日本語で喋るのは失礼かなと思って、日本人にも英語で話しかけることにしている。そういう場合でも、日本人同士が英語で喋るのは、なんだか気恥ずかしい。まして、日本人ばかりの中で英語で喋ることは、まずしない。
 自分の知らない言語で話しあわれることに関連する話がある。むかし、フランスへ行ったことがあって、そのときフランスのエスペランティストと知り合いになった。その人は、戦争中、レジスタンスにいた。ナチの兵隊がいる前では、仲間同士は、フランス語ではなくてエスペラントで話をしていたんだそうだ。フランス語だと、ドイツ人にも知っている人が多いが、エスペラントなら安全だと思ったのだ。いつもそうしてうまくやっていた。ある日、そうしていると、ナチの兵隊が一人やってきて、エスペラントで、「ドイツ人にもエスペラントがわかる人間がいるから、気をつけるように。私は大丈夫だけれど、そうでない人もいるからね」と忠告してくれたんだそうだ。冷汗ものだね。
 私の外国人の友人たちの中でも、特にユダヤ系の人は、自分のいるときに日本人同士が日本語で話すのをいやがるように思える。アメリカで生まれ育った人はまだいいが、ヨーロッパから亡命してきた人やその子どもは、特に敏感に反応するように思う。彼らの歴史の、そういう暗い部分をいくらか知っているので、たとえ気恥ずかしくても、なるべく彼らにわかる言語で日本人同士話しあおうと思っている。(野田俊作)

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