Q
最近、フリーターやニートなど学ばない働かない若者が多くなっていますが、先生はどう思われますか?
A
彼らの心配は彼らにさせよう。ニート、フリーターというような働かない若者を心配しているのは、われわれではなくて小泉さん(首相)です。小泉さんは税金の収入とか国民健康保険の支払いを気にしているだけなんですよ。若者たちの将来を心配しているわけではないんです。彼にとって関心があるのは、自分や自分の仲間の老後の心配だけなんです。だから小泉さんが心配しているだけで、僕らは心配せんとこう。若者たちは若者たちで面倒見てもらおうよ。
Q
今日の講演は、幸せの本質を突くとても意義ある内容でした。ところで24歳ニートの息子には私の誤った育児(の訂正)はもう遅いのかなあと後悔しています。親鳥が雛を巣立ちさせるように人間だって、仕事も勉強もしなくてパラサイトのような息子と一緒に暮らすことが、時に大きなストレスになります。今更他人の話に耳を傾けるような人間ではありません。親鳥としては巣立ってもらいたいのですが、良いアドバイスをお願いします。
A
まあ、巣立たなくていい社会的状況をどっさり作ってしまいました。頑張りすぎましてな、高度成長だとかいって必要以上にお金を蓄え、物を蓄えてしまいました。いいじゃないですか、これを食い潰すまでは。僕らが年老いて、その子たちの時代になればその子たちがその子たちの世界を作るでしょう。僕、そう思うんです。われわれ、僕今57歳なんですけど、団塊の世代でね、70年安保世代でね、まあ困った世代でね、教授さんたちを殴りに行った子もたくさんいてね(僕行きませんでしたけど)、そこまでせんでも親や教師に逆らって暮らしてきたんです。大変問題児だったんですよ。「この子たちが世界を担ったらいったいどうなるんだろう」と思われたと思うの。確かに今でも浮いてると思います。前の世代からも浮いてるし、後ろの世代からも浮いていて、この間、ライブドアの堀江さんという人がフジテレビを買収するだの何だの言っているので、テレビ局がアンケートをして、「堀江さんに賛成しますか?フジテレビに賛成しますか?」と言ったら、多くの人が堀江さんのほうに賛成するんです。買い取りのほうへね。しかも50歳の男性が圧倒的に賛成が多いんです。他の世代より。つまり僕ら浮いているんですよ。それはそうだと思う。われわれは前の世代とも違うしあとの世代とも違うけど、一生何とかこれでやってこられて、会社なんかでは僕らは「70年問題」って言われているんですって。問題世代でめったやたら頑張って働いて、前後の見境なく上にも下にも迷惑かけて暮らしたんだそうです。僕らのひと世代半下、今の20代くらいの人たちも、あれはあれで問題世代なんでしょう。けれどもそれはそれで一生何とかやっていくんではないでしょうか、きっと。僕らの作ったものを食い潰して、次の世代へあまりたくさん相続しないで終わる。それでいいじゃない。われわれは彼らについて心配するのをやめたい。彼らの心配は彼ら自身にしてほしいんです。僕らは僕らの心配で精いっぱいなんです。だから課題の分離をして、あの子たちに、まあ冷たく「家から追い出せ」とは言いませんけれど、もう心配してあげたり必要以上援助をしてあげたりするのをやめて、「あなたもいい年なんだから、援助やめ!」と言うて最低限のことだけしてあげたら?
Q
関係は悪くないのですが、家事を手伝ってもらおうと思って頼むんですが、断られることが多いです。家族の者にそういう傾向があります。長い習慣がこのようになったと思いますが、どうしても家事労働が多くなります。頼むときの言葉やチャンスが下手くそなのかもしれません。自分自身に勇気づけするのにどのようにすればよいでしょうか?家事を丁寧にすること、毎日の日常生活を丁寧にすることに喜びを感じるにはほど遠い毎日を送っています。
A
だいたいね、これは発想の一番根本のところで間違っていて、「家事はあんまり楽しいから子どもになんか絶対にさせるものか!」と、こう思っているの。子どもに、「あんたはダメ。こんな楽しいことをあんたにはさせられません」と言うと、したがるんです。まず親のあなたがそれをエンジョイする方法を見つけないといけない。家事って楽しいことよ。僕、毎日お掃除するんです。「生きるとは掃除することだ」という哲学があって、僕らの細胞は24時間ずっと掃除をし続けているんですよ。知ってますか?われわれはなんで呼吸するかというと、体全体をお掃除するために呼吸するんですよ。なんで食べたり排泄したりするかというと、体全体をお掃除するために食べたり排泄したりするんですよね。食べるというのは1日3回とかしかしないし、排泄も小便も含めて1日数回とかだし、呼吸もたかだか1分に20回ほどしかしないけど、細胞1個1個のレベルで見れば、その瞬間瞬間に新しいものを入れ古いものをそこから排泄しないと死ぬんです。家というのも生き物です。家、生き物だと思いませんか?ここからちょっと南へ行って西中島のほうへいくと、古本屋さんが前あったのが、そこの店主が亡くなったかなんかで誰も住む人がいなくなったら、家が朽ち果ててきてるんですよ。おじいちゃん(店主)がそこで古本屋をしているときは、その家は生きていて朽ち果てたりしなかったのに、人がいなくなったらどんどん崩れていくんです。あれ不思議だと思いませんか?もっと神秘的なことを申しますと、私の父親が死んだとき、家の心電計が壊れたんです。「おー、これ親父が生きてるときこの人も一緒に生きてたんだ」と弟と笑ってたんですけど、ほんとに機械とか家とか道具とかいうのは持ち主がそれを一生懸命使っていると、命が吹き込まれて生きていて、持ち主がいなくなると死ぬじゃないですか。家ってそうなんですよ。だからあなたの家も生きてるんですよ。その生命を保つためには、毎日掃除をしてあげないと家が腐ってくるんです。そう思って掃除をする。「これは家を生かすためなんだ」と。生きている家に住むのと死にかけ腐りかけている家に住むのとどっちがお好きですか?そう思うと、家事は楽しい仕事をしていると思うんです。「あー生きてるなこの家は」と。「お母さん、手伝わせて」「ダメ、何言ってんのよ。こんな楽しいことあんたなんかにやりません」と言うと、「そんなこと言わないで手伝わせて」「しょうがないわね、ほんとに。困った子ね」と言って手伝わせてあげるんです。
Q
うまく質問できないかもしれないけど、野田先生の中でアドラー心理学の中で、スピリチュアルなことを扱っているのかスピリチュアルの中でアドラー心理学を扱っているのか、それとも両者同じことなのでしょうか?私は野田先生編曲のアドラー心理学がとても好きです。アドラー心理学が科学で言語システムの1つだとすると、言葉を超えたものを扱うスピリチュアリティを考えるとこんがらがってきます。私の修業にはあまり関係ないのですがちょっと訊いてみたくなりました。
A
基礎講座では「理論」と「思想」を扱います。スピリチュアリティはアドラー心理学の「思想」の部分です。アドラー心理学の科学の部分は「理論」の部分です。「共同体感覚」というのをアドラーが言っていた時点で、共同体感覚はすでにもう理論じゃなかったんです。あれは思想で、「人間はいかに生きるべきか」という話だったんです。理論というのは「べき」でなく、「人間はこのようだよ」という「である」の話なんです。スピリチュアリティというのは思想ですから、アドラー心理学の中に収まります。スピリチュアリティという大きな運動、たくさんの運動がありますけど、その中にアドラー心理学をあてはめてもいいし、アドラー心理学の中にスピリチュアリティをあてはめてもいいし、別にどっちでもいいです。科学じゃないから、入れ子構造のどっちが外でどっちが内かあまり気にしないんです。アドラー心理学は昔からそうでした。ユダヤ教徒のアドラー心理学者が、「ユダヤ教の中にアドラー心理学があるのか、アドラー心理学の中にユダヤ教があるのか」と言ったら、「そんなんどっちでもいい」と当然言います。キリスト教徒もそう言います。1人の人間の中に混然と混じり合った生き方ですから、それを「どっちが外でどっちが内か、どっちが先でどっちがあとか」と言うのが近代的自我のやる仕事ですね。
Q607
日ごろ忙しくてなかなか趣味の時間がありません。特にこれといった取り柄もない私ですが何か手軽にできる趣味はないか?と思います。体力的にも自信がないのであまりハードなものは望みません。趣味ですから自分のしたいことをすればいいのですが、多くの人はどんな趣味を持っているのでしょうか?また趣味と仕事を両立させる方法を教えてください。
A607
えーとねえ、僕はこう考えないんです。子ども時代の中途半端でやり残したものの続きをやろうと考えたんです。少年時代に僕はラジオとか無線機とかを作るのが1つの方向性だったんです。これはね、終わったんです、結局。満足して納得するまで作っちゃったんです。だから、「もういいわ」と思うのね。大学へ入ってから、歌を歌うことになったんですが、これもうんざりするほど納得するまで向こうの端まで行ったので、これも「もういいわ」と思ったんです。「もうよくないわ」というのは何か?山登りがまだやりたいままに置いてあったから、30歳をちょっと過ぎたころに「もう1回山登りをしよう」と、それから「釣りをしよう」と思ってそれを始めました。子ども時代にやっていたものの続きというのは、自然な方向でしょう。だから何か子ども時代にやってたもので、子ども時代は例えば時間がない、学校に拉致監禁されているからわりと時間がない、勉強もしないといかんかもしれんし、あかんかった。あるいは金がない。今だったらわりと買えるものが当時金がないので買えなかった。今3万4万のカメラは買えますけど、子ども時代に3万4万出ないから買えなかったとかいうようなことがあるので、何か子ども時代にやり残している遊びを思い出してください。
先生ご無沙汰しております。たまに覗かせて頂いています。最近息子(今年小1)を習いごととして囲碁に誘いました。最初は遠くから腕組みしながら見ていようと思っていたのですが、あれよあれよという間にネットショップで本をポチポチ。家中が欲しかった碁の本だらけになってしまい、気が付けば火がついておりました。昔の趣味を振り返るのは趣味を作る上で効果的かもしれませんね。
先生も現役で素敵です。趙治勲も現役です。
幸地俊樹様
幸地君、ご投稿ありがとうございます。ほんとにお久しぶりです。現在、どちらにお住まいですか?小学校1年生のお子さんがいらっしゃるんですね。温かそうなご家庭の様子が目に浮かぶようです。息子さんの「囲碁への関心」、すごいですね。あのころの岡工相談室を思い出します。そして、不思議なご縁で、現在、児玉先生は岡工に戻られて(60歳過ぎられましたから再雇用ですが)、そして私も児玉先生に誘われて、昨年4月から岡工で「アドラー心理学の講座」を再開しています。今月22日(土)でちょうど1年になります。
来年度も継続できそうです。講座の内容を「第二掲示板」にアップしますので、できましたらご覧くださいね。ここはパスワードがいります。メールでおたずねください。
専門的な心理学の論文が多いですが、もし興味がおありでしたらお読みください。
この「質疑応答」掲示板は私からの一方通行が続いていましたので、ご投稿に気づかなくて、お返事が遅くなりました。お詫びいたします。これからもよろしくお願いいたします。
ご返信ありがとうございます。
児玉先生も還暦なのですね。卒業してから時が止まっており全く想像ができません。
大森先生も児玉先生も現役バリバリにご活躍をされていて嬉しく思います。
昔からパワフルでしたので当然のような気もいたしますが(笑)
掲示板のパスワードを教えて頂きたいのでメールいたします。
よろしくお願いします。