MENU
81,639

もう一度(賢い)伝統を取り戻すには?

Q
 私たち40代はすでにもう伝統を失っていて(ホントだね)、子どもに伝えることが少ないように思います。もう一度伝統を取り戻すためにはどうしたらいいでしょうか?

A
 それは「おばあちゃんの知恵」ですよ。今年の日本アドラー心理学会の総会に猿学者の長谷川真理子先生を是非呼びたいと思ったのは、「おばあちゃんの知恵」ということについて論文を書いていらっしゃるからです。僕たちは「世代間伝承」を失ってしまったんですよ。あなた方は自分の父親や母親の「一代記」(一生の暮らし)を聞いたことある?私は聞いたんです。無理に持っていって、それで生まれてこのかたを全部聞きました。僕らに言ってほしいことも聞きました。凄い良かったです。そうか、この人こんなふうに考えて、こんな女学生時代を送り、こんなふうにして結婚し、そんなふうに思って僕らを育てたんだと思って、改めて聞くとなかなか感動的じゃない。僕たちだって子どもにそれが語られると凄い幸せだと思いませんか。だからまずお父さんやお母さんやお姑さんのところへ行って、その人の一生の話を聞いておいでよ。それから僕らに伝えたいことがいっぱいあるでしょうから、それを是非教えてもらってくださいよ。祖母がたくさん知っていたのに、母親が祖母からあんまり聞かなかったもんだから、たくさんのことが祖母と一緒に失われてしまいました。人間が長いこと生きていると図書館みたいなもので、ホントにたくさんの知恵をみんな持っているなと思います、誰しも。私だって持ってるし、あなた方だって持ってるんです。それをどうやって次の世代へ伝えていくかが問題なんです。これもやっぱりデカルト・パラダイムの1つの枝だと思うんですけど、「新しいことはいいことだ」という考え方をするようになりました。だいたい昔の人は、「古いことがいいことで、新しいことはダメだ」と考えたんです。インド人だって、お釈迦様の時代が「正法(しょうぼう=正しい法の世の中)」で、像法、末法で、今は末法の世の中で、教えも失われて、いや教えだけ残って教団も失われ悟りもなくなった時代だと言うんです。中国だと、孔子聖人の時代は良い時代で、古代の帝王はもっと良い時代で、それからどんどん悪くなっていると思うんです。西洋人もそうで、古典古代のソクラテスとかローマ帝国とかが黄金時代で、中世を経てだんだんダメになったと思ったんです。ところがだいたい17世紀くらいに、思想家で具体的に言うとヴォルテールだと思うけど、「古代人近代人優劣論争」をやりまして、「近代人のほうが古代人より優れている」と世界で初めて言ったんです。それで「進歩」という概念がこの世に現れたんです。古いものはダメで新しいものがいいんだと思うようになりました。これは人間のとんでもない思い上がりだと思うんです。僕たちは何にも知らないと思う。僕たちは電気があり石油がありガスがあるから生きていられるんです。でもみんなそうじゃない、昔の人はね。そんなもの何もなくても生きていられたんです。私、登山をするんですけど、だいたいホームグラウンドが紀伊半島にある大峰山系というところでそこは自然道の土地なんです。山伏さんたちがいっぱい山の中にいるんです。僕たちは重装備で、テント担いで手袋持ってガス持って暮らすんですけど、山伏さんたちは何も持たないで山の中にいるんです。なんで何も持たないでいるかというと、彼らは古代の知恵の中に今でも生きているから、何も持たないでもちゃんと暖かく寝られる場所を言い伝えられて、あそこに洞窟があって、ここ入ったらこうでとちゃんと知っているから、彼らはやっていけるんです。僕らはやっていけないですよ。どっちが優れた、どっちが生活の力があるかというと、向こうです、明らかに。それは山伏さんでなくても街に暮らしているわれわれでもそうなんで、江戸時代の人とわれわれと何にもない状況で、電気もなくガスもなく何にもない状況で、「はい暮らして」と暮らしたら、僕ら3日目には餓死してますよ。だからわれわれの力は弱っていると思う。僕らは知恵を失っていると思う。それが凄いはっきりしたのは、神戸の地震があったときに電気も水道もガスも全部止まったんです。誰が役に立ったかというと、じいちゃんとばあちゃん。何でも知ってるんだもの。戦争で空襲を生き残ってきた人たちは、何でもかんでも知っているんです。僕らはその知恵を受け継いでいないので、あれを受け継がなきゃいけないし、いつまでも電気やガスや水道があることを前提に暮らしてはいけないと思う。これは膨大なエネルギーの浪費なんですよ。エネルギー量で言うと、人間がまったくエネルギーを使わないで原始生活をして、裸ん坊であるいは毛皮をまとって暮らすと、1日に使うエネルギーがだいたい2000キロカロリーくらいなんだけど、それが電球に換算するとだいたい150ワットくらいなんです。人間は150ワット電球なんですよ。ところが今日本人が消費している全エネルギーを人口で割ると、日本人はだいたい2500ワットから3000ワットくらいなんです。もの凄い膨大なエネルギーを使っているんですよ。この暮らしって続けられないんです、残念ながら。永久にこれが続けられるならいいんですが、そうはいかないんです。もう完全に限界なんですよ。だからこれからワット数を減らさないといけないんです。そうなると、昔の人の知恵をどう活かしていくかなんです。それはみんなが生きているうちにたくさん訊いておかなきゃ。1人1人が自分のお父さんやお母さんやおじいさんやおばあさんに訊いてほしいんです。で、習ってほしいんです。できるようになってほしいんです。子どもたちに伝えてほしいんですね。

引用して返信編集・削除(未編集)

論理的組み立て

Q
 私自身、交渉は苦手です。決めつけたりすべて譲ってしまったり、パセージのテキストどおり、課題の分離や話し合いや目標の一致の流れじゃなく、何かポイントがあれば教えてください。

A
バーナード・ショーという皮肉ばっかり言うおじさんは議論好きでね、何でもかんでも論争するんですよ。それで全然決着がつかない時ってあるじゃないですか。どう言うかというと、「あなたが正しいのかもしれず、私が正しいのかもしれず、どちらも間違っているのかもしれない」と言ったんです。これ、賢いと思いませんか?あなたが正しいのかもしれず私が正しいのかもしれず、どちらも間違っているかもしれないんです。人間の知恵はたかだかしれたものですから、今すぐ決着をつけられないかもしれないんですよ。鄧小平というおじさんがいて、中国の親玉が、尖閣諸島の領有権に関して「今決着をつけることはないだろう。次の世代はわれわれよりも賢いかもしれないから」と言ったんです。中国人はときどきああいう賢い人がいますね。でも中国の政治制度が悪いから、ああいう賢い人が次々総理大臣にならないところが問題なんですけど、僕らの世代、世代でなくても、今ここで決着をつけなくてもいいことはたくさんあるし、それから、今私の考えていることが間違っていたり、向こうの考えていることが間違っていたり、両方とも間違っていたりすることもあるわけですから、だからまず「楽しむ」ことです。話をすることを楽しんで、何が何でも白黒つけようと思わないことね。でも、ゲームですから真剣に、ちゃんと論理的組み立てをして真剣にやる。で、この前、「論証」、物事を人にわかりやすく説明するやり方について質問を受けたことがあって、私は仏教学のついで、ついででもないんですけど、インドの論理学のお勉強をしたんです。インド論理学って凄い面白いんです。あれやこれやあるんですけど、その中に論証の式の立て方、論証の言い方があって、最初に結論を言うんです。「アドラー心理学は未来を、良い方向の未来を作るであろう」と最初に結論を言うんです。それからその理由を言うんです。「なぜならば、アドラー心理学は人が人を人として扱う暮らし方を模索していて、それを今まで100年間の実績で証明してきているから、これがもっと広まれば、世界が人を人として扱う世界になっていくだろう」と理由を言うんです。最後に「喩え」を言うんです。「それは例えば…」って。これが素敵なんです。全然違う喩えを言わないといけないの。アドラー心理学と関係ないことを何か探すんです。今すぐ思い出さないけど。これをいつも練習するんです。おばちゃんの話って、理由があって理由があって理由があって、結局「何が言いたいの?」っていうのが多いから、最初に「何が言いたいか」言ってくださいよ。それで、「喩え」を1つ見つけて。「それは例えば…」って。そしたらいい感じなんです。
 これは出していい例なのか悪いのかわからないけど、この間ね、関西のある自助グループの人がいてね、そこは名前がついているんだけど、フランス語の名前をつけているんです、オシャレに。それは日本語の意味があるんだけど、自助グループの紹介パンフレットに、日本語の意味を後ろに書いちゃったんです。そしたら自助グループやっている人がイヤがったんです。「あれはカフェオレを出したのに、コーヒー牛乳みたいなもんだ」と言われたの。これはとても良い喩えだと思いました。喩えで一発決める。

引用して返信編集・削除(未編集)

育児教育システム

Q 
 社会の学校化について、育児教育こそが解決の鍵とのことですが、もう一度説明をお願いします。

A
 もう一度説明したら2時間かかります。だから、教育改革をしないと。今の教育のやり方を変えないと今の社会が変わらない。そのためには今の育児のシステムを変えないと。親たちが学校に対して臆病になっていて、学校に何も言わないで暮らしていると、何も変わらないんですよ。親たちがちゃんとヴィジョンを持って、自分たちがどんな子どもに育てていきたいか、どんな社会を作りたいかわかって、学校の先生に向かって論陣を張らないとね。それから文部科学省に向かって論陣を張らないと。で、それを世論にしていかないとダメだと思うんです。そのためにはやっぱり実績がいると思うの。アドラー心理学を使って子育てしていると確かに良かったと自分の実感もいるし、よそから見て「あれは良い子育てをしているな」と思ってくれることをやってないと、口先だけ言っててもしょうがないじゃない。

引用して返信編集・削除(未編集)

学校教育の問題点(2)

 でもアメリカ人やドイツ人が漢文を読むのは大変よ。小学校でも習ってないもん。ゼロから漢字を覚えるのがどんなに大変か。漢文読めて英語読めて、その間に僕らがいるわけで、東洋も西洋もここから見えるんです。でもアメリカにいたら、東洋世界ははるか彼方にあるんですよ。漢字というものの向こうにあって見えないんですよ。中国にいたら今度は中国には「て・に・を・は」がないもんだから、漢文は。表音文字がないから、例えば「アドラー」って書けないんですよ。何か当て字するんです。あれはあれで不便な世界じゃないですか。だから、良いところに生まれました。ここは見通しが良いと思うの。新しいことを考えていく上で、今、西洋文明が行き詰まっちゃったときに、東洋人が持っている凄い大きな遺産をちゃんと見渡して仕事ができると思う。それを西洋人の言葉、今、学者が読んでくれる言葉で書いていくっていうのは凄い意味があると思う。日本語では滅多にそういう論文を書かないんです。日本人に書いてもしょうがないから。でも、アメリカ人やドイツ人に向かってそういうものを書いていくのは意味があることなんだと思う。この国に生まれて凄いラッキーだったと思います。民主主義にせよ日本の文化伝統にせよ、そのことについて子どもに良かったなと思ってほしいんです。次の自分の子どもたちにそれを伝えていきたいと思ってほしいんです。それが学校という場所の役割です。学校というのは、ある意味で、文化伝承する場所なんです。今、学校の先生たちはなんか、日の丸・君が代問題か何かで「愛国心」と言ったとたんに鼻ズルズルのアレルギー症状になって変な感じなんですけど、もう1回「国」っていうものを考えてほしいんです。僕たちは、小泉さんや靖国神社を言ってるんじゃないんです。われわれの住んでいるこの国土と文化と民族ね。それが、ちょっと中国が野心を持ちまして、今の中国人はいつどうなるかわかりませんから、あの政治は僕らのと違いまして、上の人が言うとコロッと変わりますからね。今の中国の親玉がたまたま良い人でも、次の親玉がどんな人かわかりませんもの。日本は大丈夫なんです。総理大臣が替わってもこの国は何も変わらない。保障されているもの。良いほうにも悪いほうにも変わらないもの。あの国はわかりませんので、「日本のチベット化」かなんか目ざしまして、昔、足利義満か誰かが「中国の家来です」という書類を出しているんですよ。600年ほど前に。それを根拠に、「お前らは家来だ」と言って、日本を占領するかもしれない。どう思います?その事態を。中国語が学校で必修科目になって、みんな「ニーハオ」って言うんです。ちょっとねえ、あんまり感心しないので、やっぱりわれわれの民族自決、日本の言語と歴史と文化を共有している人たちが自分たちの政府を持って自分たちでやっていくのを支持したいと思うんだけど、どうですか?それがたとえ共産主義であれ何であれ。そうするとそのことを子どもたちに伝えていきたいと思いませんか?それが抜けちゃうと、教育は何になるかというと、私利私欲だけになるんです。子どもたちに、「未来の世界はあなた方が作るんだ。それは過去の世界と連続線上にあって、過去の良いものを引き継いで悪いものをなくして、今よりもベターな世界をあなた方が作るんですよ」ということを絶えず伝えていく。「民主主義は国民が賢くないと自滅するんですよ」ということを伝えていく。「みんなが話し合うというのがホントに大事なことなんですよ」ということを伝えていく場所が学校だと思う。その働きをしないと、結局「勉強しないとお前が損だ。勉強するとお前が得だ」だけが論理になるじゃない。それって完全に倫理がないんですよ。ただの金儲け主義なんですよ。それって凄い具合が悪いと思います。今の教育の問題点はそのへんかな。1つは競争主義だからということ。1つは道徳がないということ。ただ先生たちが言う規律に従わせるという、はなはだファシズム的な、長い目で見て何の意味もない校則だけがあって、ホントの意味で人間が誇りを持って、内在的な倫理観念を持って生きていく方向へ子どもたちを導いていないということじゃないかな。

引用して返信編集・削除(未編集)

学校制度の問題点

Q 
 現在の学校制度の問題点についてもう一度整理していただけますか?

A
 はい。一番大きいのはやっぱり競争だと思います。子どもどうしを競争させること。比較すること。順位をつけること。欠点を指摘すること。問題点を指摘すること。苦手克服に努力を集中すること。こういう競争としての人間の、なんか学校の尺度ね、数学の成績などでもって計ること。数学の成績っていうのは、何か人生にとって意味があるんでしょうか?二次方程式が解けるということが、僕らがこの人生を生きていくということとほんとに意味があるんやろか?僕、大学を出ましてね、それ以来自分の人生のために二次方程式を解いたことはない。あれ、全然役に立たない。ただ子どもたちを比較したいだけなんですよ。手っ取り早く比較するには、ああいう簡単に試験ができて簡単に点数が出るものが比較しやすい。それでもって子どもを計っているけど、算数とか国語とか社会とかいうものが、人間のすべてを表しているわけじゃない。たまたま試験しやすいだけじゃないですか。そのもので子どもを計っているだけなんですよ。凄いくだらないと思うんです。そんなんやめたほうがいい。それどころか、絵とか音楽にまで成績をつけるんです。どう思いますか?成績つけられる類いのもんじゃないです。フランス人は賢いので、学校に「音楽」の時間はないんですって。なんでかというと、フランス人の感覚としては、音楽とはシャンソンで、シャンソンというのは日本で言うと演歌で、あんなもん学校で教えるもんじゃないから。子どもがこっそり街で覚えるもんだから、学校で教えちゃいけない。そんなもんの歌い方を学校で成績つけると、シャンソン歌手みんな落第すると思わない?あんなん個性ですから、絵とか音楽とかに成績つけちゃいけないと思います。ということは本当は算数とか国語にも成績をつけちゃいけないんですよ。その子たちがどれだけ書けるようになったか、どれだけ計算できるようになったかに誇りを持ってほしいんです。それが1つ。競争させ比較させ劣等感を抱かせるのが問題の1つ。ということはその反対側に、子どもたちが助け合い協力するということをあまり強調しなくなっている。アドラー心理学のクラス運営を考えるときに、子どもたちにどう助け合ってもらうかというのが凄く大きな問題だといつも思うんです。算数のよくできない子がいて、算数のよくできる子がいたら、そのよくできない子によくできる子が何をしてあげたられるか考えたいんです。あるいは国語がよくできる子がいたら、その子が何ができるか。何にもできない子がいても、その子が他の子のために何かできることがあるはずなんですよ。虫の名前をたくさん知っているとか、植物の育て方を知っているとかがあるはずなんです。それでもって他の子たちに貢献できるはずなんです。で、「私は役に立つ人間なんだ」という感じをクラスの子全員が持てるようにクラスルーム運営をしたいんです。そんなこと言うと先生たちは「とてもそんな時間はありません」と言うんです。ということは、あんた方は無駄なことに時間を使っているんだ。こういう本質的なことに使えないんだったら、今やっていることを全部やめろ!いらないことに時間を使いすぎているんですよ。だから、協力という側面が抜け落ちてしまっていると思う。ついでに言うと、民主主義国家というものがあって、これはベストの制度じゃないと思います。民主主義というのはすぐ衆愚主義に変わりますから、愚かな選挙に変わります。民主主義というのは結局「欲望民主主義」で、みんなが自分の私利私欲を満たすために選挙しているわけだから、ベストな政治制度じゃないけれど、今まで人間が持っていた政治制度の中では一番マシなんです。お殿様がいたりする社会よりも王様がいたりする社会よりも、プロレタリア共産主義独裁社会よりも、このほうがマシな制度なんです。さしあたってわれわれは、良い意味でのアナーキーな社会に、政府なしで暮らせる社会に移行できるほど賢くないんです。未来のヴィジョンとしては、そんな中央に政府があって僕らを統治してくれなくても、われわれが自分の力で暮らせる世界になっていけば一番いいと思う。みんなそう思っているんです。最終的に政治のない世界が来るのベストだとマルクスも思っていたし、民主主義者たちも思っているんだけど、過渡的なものとして民主主義というものをちょっと大切にしたい、そうしないとすぐに変なところへ突っ走ってしまって、独裁的になったりするからね。あるいは民主主義じゃなくても、この国、日本という国があって、日本という国に生まれてきたことは、日本という国家、僕は小泉首相のことは言ってないので、靖国神社のことも言ってないので、文化と伝統のことです。一応この国にわれわれが住み着いてまあ2000年だか2500年ぐらいだか、縄文時代から数えると10万年ぐらいかな、住んでるんだけど、その中で作ってきたものがあるじゃないですか。それってそれなりに凄いユニークだと思うんですよ。その国に生まれてきたのは、中国に生まれてきたのよりアメリカに生まれてきたのよりも、たぶん良いことなんです。まあ、生まれてきちゃったから良いも悪いもないけど、僕はこの国に生まれたことを凄く良かったと思うんです。論文を書くときに、一応英文で書く論文は、西洋の心理学と仏教の比較研究なんだけど、漢字が読めるんですよ、一応。漢字が読めるというのは凄い大きなことで、まあ仏教だから中国の漢文を読めなきゃいけないけど、私が漢文を読むのはそんなに努力はいらないんです。(つづく)

引用して返信編集・削除(未編集)
合計723件 (投稿717, 返信6)

ロケットBBS

Page Top