着信メロディ
2002年04月01日(月)
スタッフの一人が、「『ロード・オブ・ザ・リング』の音楽を、携帯の着メロに入れていただけませんか?」と言う。どうも、以前に約束したらしい。私は(とくに女性に頼まれると)「○○してあげる」と気軽に約束する癖があって、しかもそれをコロッと忘れてしまう。そのことは知っているので、実行不可能な約束だけはしないようにしている。
サウンド・トラックのCDを聴いて、どれにするか考えたが、映画だと最後に物語が終わってから鳴る"May it be"という歌の、そのまた最後、歌が終わった後のコーダの部分を入れることにした。映画の最後の部分、客席が明るくなり始めるころに鳴る旋律だ。もっとも、ホビットのライト・モティーフなので、劇の中でも何度も鳴るのだが。
着信メロディの音質と用途を考えると、美しいメロディだからいいというわけではなくて、適した旋律と適していない旋律とがあるように思う。ガンダルフがホビット村に入っていく場面とか、アラゴルンとアルウェンのラブシーンの音楽とか、"May it be"の旋律とか、きれいな音楽はたくさんあるのだが、着信メロディ向きじゃないと思う。ともあれ、CDを聴音して3声部の楽譜を作って、それを入れてあげた。せっかく作ったので、自分の携帯電話にも入れておいた。
他のスタッフが「私にも以前に約束した」と言う。そうかもしれない。「曲を選んでおいで」と言っておいた。音楽に関する仕事はまったく苦にならないので、仮に約束していなくても、してあげるのはちっともいやじゃない。
未来予測
2002年04月02日(火)
先日、ハインラインの『夏への扉』を読んだ勢いで、フレドリック・ブラウン『火星人ゴーホーム』(ハヤカワ文庫)とロバート・ハインライン『人形つかい』(ハヤカワ文庫)を読んだ。いずれも1950年代の作品で、舞台はおおむね2000年ごろ、つまり現在だ。小説の中に出てくる「未来」の生活は、われわれが生きている「現在」とあまり似ていない。人類が宇宙へ進出していることになっていたり、空飛ぶ自動車があったり、立体テレビがあったり、服装もすっかり変わっていたりする。しかし、実際には、そういう点では50年代と今とで、大きな変化はない。
一方、はっきり違うのは、いわゆるIT技術だ。パソコンもインターネットも携帯電話も予測されていない。主人公が電話ボックスを探したりすると、ちょっとおかしい。政治的なことでは、今はソ連がない。小説の中では、相変わらずクレムリンが陰謀をたくらんでいる。社会的なことだと、喫煙する主人公が多いので驚く。そういえば『指輪物語』のフロドやサムも、小説の中では喫煙するな。そういうことを丹念に拾って読んでいけば、大学の卒論くらいにはなるんじゃないかな。
ともあれ、未来予測というものが、いかに当たらないものかということがわかる。2050年の世界なんて、どうなっているのかまったく見当がつかない。世界が存在すればいいんだがね。ま、私はどうせいないのだが。
注意欠損
2002年04月03日(水)
次の土曜・日曜にワークショップをする。同じワークショップを1月にもして、そのときプレゼンテーション用のスライドをこしらえた。パワーポイントを使うことを覚えてから、重要な話をするときは、要点をまとめたスライドを作ることにしている。今回も同じテーマで話をするのだが、部分的に手を入れたほうがいいかなと思って、ひさしぶりに見てみたところ、なんと、話の筋をよく覚えていない。前回、このスライドを作ってすぐに人々に説明したときは、細部までよくわかっていたのだが、今では、大まかな話の筋はわかるが、細かい論理のヒダが見えなくなっている。
いつもこんな風なのだ。論文を書いたり講演をしたりしている間は、その問題について完全にわかっているのだが、書き終わってしばらくすると別の話題に興味が移ってしまって、その話のテーマに関心を失ってしまう。多動で注意欠損なんだ。ひとつの話題をじっくり煮詰めるということをしない。あちこちつまみ食いしながら、その都度その都度、そのときの話題に夢中になる。これは、浮気性ともいうな。女性とのつきあい方も、そんな風なのかもしれない。
ともあれ、そうして、次々と関心が移っていくが、しばらくすると元の話題に戻ってくる。ただし、「しばらく」というのは、数年単位だ。(女性も、数年待ってくれるといいんだけどね)。今回は、数年後の「しばらく」を待っていられないので、無理やり思い出さなければならない。ちょっと苦痛だ。
Q
自閉症の子どもにはどのように関わったらいいでしょうか?
A
あのー、自閉症とかー、ADHDとかー、それからアスペルガー症候群とかいうのは、差別用語です。そんな子はいません。田中太郎さんとか山田花子さんとかいう子がいるだけなんです。だから子どもひとりひとりとつきあってほしいんですよ。「この子は病気だからこうつきあう」という発想をやめてほしいんです。それ自体が差別なんです。そのことによって僕らの目が曇るんですよ。世の中には、ゆっくり学ぶ子もいるし早く学ぶ子もいる。まっすぐ学ぶ子もいるし変わった学び方をする子もいる。みんなと交わりたい子もいるし、みんなと交わりたくない子もいる。それはみんな個性なんです。それが、「病気だから」と言って僕らがつきあい方を変えるということが、かえって病気であるということを固定していくと思うんです。だからひとりひとり違うつきあい方を工夫しなきゃいけないと思うけれども、「自閉症だからこんなつきあい方をしよう」という発想は間違いだと思う。(野田俊作)
心を観る
2002年03月28日(木)
火曜日の朝、山を登りはじめた。心の中でなにを考えているか、観てみることにした。瞑想法の一種で、ときどきやってみると、面白い発見があったりする。
そうすると、セクシュアルな内容が多いんだね。思い出してみると、山に入ったときは、そういうたぐいのことを考えていることが多い。男の子だから、そういうことを考えると元気になるのかね。女性はセクシュアルなことを考えるとうっとりしてしまうから、登山の助けにはならないだろう。山道をたどりながら、次々と想念が出てくるのを、すこし距離をおいて観て楽しんでいた。
水曜日も山歩きだった。この日はセクシュアルな考えは出てこず、あれこれ音楽が聞こえていた。童謡だったり、演歌だったり、クラシックだったり、さまざまだけれど、聞こえたり消えたりしていた。桜が満開で、とても美しかった。
木曜日、つまり今日は、朝から怒っていた。6時半に朝食だったのだが、6時20分ころには食堂に集合した。民宿のおかみさんが、「3人ほど、桜を見に出てゆかれましたよ」と言った。大日寺の前に、見事なしだれ桜があるのだ。その人たちは6時半寸前に帰ってきたが、それまで10分間ほど、私は怒っていた。時間までに帰ってきたので、その人たちには怒られる筋合いはない。だから当然、なにも言わなかった。歩き始めてからも、そのことだけでなく、あれこれ思い出しては怒っていた。今回のお遍路がはじまってからのこともあるし、もっと昔のこともある。次々と思い出しては腹を立てている。お昼には徳島へ出て解散した。その後、みんなは一緒に食事に行ったが、私は機嫌が悪いので、一緒に行くと迷惑をかけるかもしれないと思い、消えることにした。誰かに怒っているわけではなく、ただ心が怒りたがっているだけだ。それでも、周囲にいる人はかなわないだろう。こういうときは退散するのが人のためだ。
祈り
2002年03月29日(金)
歩き遍路はハイキングではないので、参加者はそれなりに仏さまにお願いすることがあるのだろうと思う。もっとも、私自身は、ありがたいことに、仏さまに頼らないと解決できないような問題をかかえていないので、なにもお願いしていないが、一緒に行った人々の中には問題をかかえている人もいるので、きっとあれこれお願いしたことだろう。歩き遍路で仏さまにお願いすると、他の場合よりもよく聞き届けてもらえるだろうと私は思っている。
もっとも、かなわないたぐいの願いもある。たとえば、「うちの子をいい子にしてください」だの「夫をやさしくしてください」だの「入試に合格しますように」だのは、かなわない願いだ。「私をいい親にしてください」だの「いい妻になれますように」だの「落ちついて勉強できる自分にしてください」だのは、かなう(かもしれない)願いだ。
祈りというのは、要するに自己暗示だと思う。山中を歩くと瞑想状態になって被暗示性が高まるので、その状態で本気で祈れば、自己暗示にかかりやすい。自己暗示でもって他人を変えることはできない。変えることができるのは自分だけだ。
もっとも、自分についてのことであればなんでもかなうかというと、そうでもないと思う。「羽根が生えますように」などという物理的に不可能な願いがかなわないのはもちろんだが、「自然にふるまえますように」などという抽象的な願いもかなわない。具体的なイメージを描けないと、自己暗示にかかりようがない。「よい母」だの「よい妻」だの「まじめな学生」だのというのは、具体的なイメージをもちやすい目標だから、虚心に祈れば願いは聞き届けられるだろう。
仏さまにお願いしない人にかぎって、よく喋る。他の参加者に自分の悩みを打ち明けても、なにも解決しないよ。仏さまに打ち明けても解決しないくらいだから、人間に打ち明けて解決するはずがない。問題に注目せず、解決像に注目しなさいって、心理学も言っているでしょう。グチを言うのをやめ、口を閉じて、心から祈ることだ、そうすれば解決するだろう。
グリーン車
2002年03月30日(土)
広島で仕事をしてから東京に向かった。飛行機にしようか新幹線にしようか迷ったのだが、空港が遠いので新幹線にした。しかし4時間もあの椅子はかなわないので、贅沢をしてグリーン車をとった。やっぱり楽だなあ。これなら、博多から東京までだって行けるよ。広島から東京へ行くことなどめったにないのだが、いつも通っている大阪・東京間もグリーン車だと楽なのになあ。しかし、毎回グリーン車にしては会計がもたない。残念。
ラーメン
2002年03月31日(日)
東京は日暮里駅前の『馬賊』という店でラーメンを食べた。店頭で手打ちしている。長く伸ばしては二つにたたんで、また伸ばしてたたんで、1本が2本、2本が4本、4本が8本と、結局256本になるまで伸ばす。見ていてとても面白い。スープの醤油味が、関東風なのか、塩辛すぎる気はしたが、麺はおいしい。以前から入ってみたいと思っていたのだが、東京のオフィスから日暮里駅までの間においしい店がたくさんあるので、ここまでたどりついたときには満腹状態で、入ることができなかった。今日は、オフィスを出る前に決心をして、そこで夕食にすることにした。
ラーメンはよく食べる。博多風のトンコツ味や札幌風の味噌味よりも、清んだスープのものが好きだ。あっさりしたむかしの中華ソバ風のものもいいし、うんと油濃い、たとえば尾道ラーメンのようなのものもいい。尾道ラーメンはマイナーなので食べたことがある人が少ないかもしれないが、清んだスープの中に豚の背脂がたっぷり入っていて、ものすごいボリュームだ。麺は固めに茹でたのがいい。細い麺よりもやや太目のほうがいいかな。あまりあれこれトッピングしたものより、チャーシューとメンマ程度のシンプルなものを好む。
尾道ラーメンの他に、おいしいと思うのは、東京は有楽町にある『客家』という店のラーメンだ。清湯が絶品で、あれほどおいしいスープは他に知らない。東京のオフィスの下の階は『かむなび』という超有名ラーメン屋で、いつも待ち行列が並んでいる。ちょっとあっさりしすぎていて、私は物足りない気がする。概して、東京のラーメンはおいしいと思う。大阪にも有名なラーメン店はたくさんあるが、残念なことに、あまりおいしいと思ったことがない。
塩分をとりすぎると血圧があがるので、そうしばしば食べることができないし、食べてもスープをたくさん飲むことができない。これはとても残念なことだ。ま、ラーメンと心中することもないので、ときどきにしておこう。
Q
長男は26歳。東京で一橋大の大学院でドイツ文化論を専攻しています(ヒマ人だなあ)。しかし博士課程を出ると30歳になり、今の状態を聞くと、その年から大学で安定した職を得ることは極めて厳しく(ほんとにそうだ)、いわゆる高学歴ワーキングプアとなって、不安定な条件の中で生きていかなければならない可能性が大とのことです(そうですね)。先日私もテレビで高学歴ワーキングプアがたくさん存在し、悲惨な生活を送っていることを報道した学歴を見て、びっくりというかガックリしました。それで本人に(おー、過保護)「大学院に残るのをやめて就職活動をしてみたら?」と言ったのですが、本人は「やることはやってみるよ。お父さんも知ってのとおり、今は100年に一度の世界的経済危機で、やりたい仕事は簡単に見つからない」と言います。確かにタイミングは最悪。「どうしたい?」と聞くと、「この経済危機の中では大学院で研究しているほうがまだマシかな。社会状況の変化を見ながら進路を考えていく。とにかくまだ院に残る」と答えました。なるほどとは思うけど、博士を出てから職のないいわゆる野良博士になってしまいそうで、こちらの経済的援助も覚悟しないといけないかなと思うと、しんどい気持ちになってしまいます。野田先生、どうか良いご助言をお願いします。
A
えー、ミスキャスト。私は一種のワーキングプアです(爆笑)。僕の同級生たちは大学の教授とか公立病院の院長とか開業医とかになって、いわゆる健康保険というものとか国というものからお金をもらって、とてもまっとうな職業に就いていますが、私は健康保険にも国にも企業にもお世話にならず、零細企業の親分をやって、こんな所へ来て人々を言いくるめて騙して暮らしているわけで、でもこれは僕のほんとの仕事じゃなくて、ほんとの仕事というのは誰も読まない論文を書くという、世のために人のためにまったく役に立たないことをするというのが本来の業務ですから、立派に高学歴ワーキングプアなんですよ。プアのほうも大変誇りがありまして、なんでこんな所へ(講演に)来ているかというと、金がなくなったから来ているわけで、私に聞くのはまったくのミスキャストだと思います。ちゃんと生きていけます。僕もたくさんそういう友だちがいます。非常勤講師しながらときどき本を書いて、誰も読まないような本を書いて、いっとき売れてすぐ売れなくなって、まあしょうないわと、学生向きの教科書を書いて自分の講義を採る学生に無理やり売りつけて、みんなブーブー言いながらそれ買って、それで暮らしている人がいて、そういう人たちが社会の底辺を支えているんですよ。大学院出た博士たちが。次の時代の一番底ならしをしてるんだから、誰かがそうしなきゃいけないので、そりゃあ会社へ勤めて、ほんとに生産的な現場でね、日本の総生産を上げるのもとても立派な仕事だと思うけど、学生たちに向かって一生何の役にも立たないような講義をして単位をあげる、で、ときどき試験していじわるするいうのも、これも立派な仕事だと思うんです。人それぞれ向き不向きがありますから、あんまり子どもの職業に、この年になってから介入しないほうがいいと思います。皆、親の世話にならないで、貧しいながらで暮らしていますので、何とかなるでしょう、はい。きっと大丈夫だと思います。だから、お任せしたら。「子どもを信頼しなさい」とさっき言ったでしょう。(野田俊作)
音の記憶
2002年03月24日(日)
別府にいる。午後から講演なのだが、昼食は会場で仲間と食べることになっていた。少し早い目に着いたので、諸井誠『音楽の現代史』(岩波新書)を読んでいた。古本屋で百円で買った本なので、今は絶版かもしれない。
昼食は持ち寄りで、オムスビやら、サンドウィッチやら、さまざまのおかずやら、多彩だ。本を置いて食べていると、耳の中でバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番が鳴る。考えが頭にこびりつくのと同じで、ときどき、こんな風に音楽が耳にこびりつく。実際に聴いたときにはそういうことは少ないように思うが、音楽についての本を読んでいるとよく起こる。上述の本に知っている曲が出てくるたびに耳の中で鳴らしていたので、その後遺症だろう。
人の話を聴くとき、その人の語り口のままで覚える記憶と、文章を文字に直して覚える記憶と、意味を自分なりに翻訳して覚える記憶とがあるように思う。パートナーさんは語り口のまま覚えるのがうまくて、上手にまねをする。しかし、あの方法では大量記憶ができない気がする。情報量が多すぎるから。
私は文字に直して逐語的に記憶しているように思う。音楽を思い出すのも、誰かの演奏が聞こえるのではなくて、楽譜から自分が演奏している感じだ。楽譜そのものを暗記しているわけではないのだけれど、なんとなく続き具合を覚えている。誰かの演奏を聴くときも、演奏家にあまりこだわらない。実際に演奏されている音楽を聴いているというより、その向こう側にある抽象的・理念的な音楽の設計図を聴いているような気がする。うまく説明できていないが、おわかりになるだろうか。要するに、現実の声ではなく、文章を記憶しているのだ。この方法は、必要な情報だけを切り出しているので、大量に記憶できる。
ある人たちは、相手の声でもなく文章でもなく、自分の言葉に直して記憶するので、もともとの言葉と意味が違ってしまうことがある。私は、それはしないように努力している。それをすると、学べないもの。なにを聞いても、いつまでも自分の解釈の世界に閉じこもってしまうから、自分から一歩も外へ出ることができない。
夏への扉
2002年03月26日(火)
お遍路に来ている。徳島に着いてから、ロバート・A・ハインライン『夏への扉』(ハヤカワ文庫)を買った。この本は、中学生か高校生のころ読んでいるはずだ。母がこの本を好きで、本棚にあったのを読んだのだ。しかし、中身はまったく覚えていない。題名が印象的なので覚えていたのだ。
昨夜は泊まって、朝から山を登って、一日かかって山中の第12番霊場焼山寺に着き、そこの宿坊で読みふけった。話はこうだ。主人公は電子技術者で、掃除ロボットを発明し、弁護士の資格のある営業マンと共同経営でガレージ・カンパニーを経営している。時は1970年だ。その会社に雇っている秘書に恋をしたが、捨てられてしまう。しかも彼女は、共同経営者の営業マンと結託して会社を乗っ取ってしまう。絶望した主人公は、冷凍睡眠で2001年まで眠ることにする。まあ、その後いろいろあるのだが、さんざんハラハラさせてくれた末に、ハインラインらしいハッピーエンドで終わる。
読んでいて気がついたのだが、主人公が私そっくりなのだ。独創的な発見をする才能はないが、すでに存在する技術を組み合わせて新しいものを作り出すのが得意だとか、完全に仕上げない間は商品として売り出したくないとか、お金は暮らせるだけあればいいので贅沢できるほどほしくないとか、女に弱くてすぐに参ってしまうとか。若いころに読んで、パーソナリティを取り入れたのではないかと思うくらい、似ている。
もし私がこの主人公を見習ってこうして生きてきたのだとすれば、思春期の読書って、やはり大事なのかもしれない。もういちど、あのころ読んだ本を読み返してみようかと思っている。
伝灯
2002年03月27日(水)
第12番焼山寺を出て、一日がかりで山を下り、第13番大日寺まで来て、その近くの民宿で泊まっている。夜はなにもすることがないのだが、『夏への扉』は昨夜のうちに読み終わってしまって他の本はもっていないので、一緒に来た人々と喋っていた。
わりとアカデミックな話をしていて、英英辞典の話から漢和辞典の話になって、漢訳経典の中の音訳語の話になり、やがて大蔵経と経録の話になり、そのうち、「インドの論書は、何世代にもわたって書きついで、ほんとうの著者がわからないものが多い」というような話をしていた。たとえば『阿毘達磨大毘婆沙論』は、「五百大阿羅漢等造」と書かれている。説一切有部という部派が全力をあげて書き続けた論書だ。著者の個人名はわからない。唯識派でこれに相当する『瑜伽師地論』は「弥勒菩薩説」と書かれている。これも百年以上の期間にわたって多くの論師が書き続けたものだと思う。それを弥勒菩薩に仮託したのだ。こういう何世代にもわたって書き継いだものでなくても、たとえば『大智度論』は「龍樹菩薩造」ということになっているが、実際には龍樹菩薩(ナーガールジュナ)ではなく、その後継者の誰か(複数かもしれない)が書いたものだと思う。直接の師匠あるいは学派の始祖の名前で本を出すことが普通にあった。インドだけでなく、日本仏教でもそういうことはあって、たとえば平安時代の恵心僧都源信は多くの論書を仮託されている。
こういう話を聞いて驚いている人がいた。現代の学者は、自分の業績だということを誇示したがる。他人の名前で論文を書くとか、著者不明のままでおいておくとか、考えられないという。それはたしかにそうだが、しかし、それは西洋的な悪習で、個人の業績を誇るより、ある学派の伝統の中でいくらかの貢献ができたことを喜ぶべきだと、私は思う。私自身も、アドラー心理学の学統の中にともし火をひとつつけられればそれで満足だと思う。私自身の名前が記憶されるかどうかはどうでもいいことだと思っている。古代仏教の論師のように、何百年もの時間尺度でものを考えたいのだ。