病院
2002年10月24日(木)
大阪市内の循環器専門病院に受診した。循環器内科と心臓血管外科しかないという、極端に特化した病院だ。待合室は年寄りばかりで、しかもかなり容態が悪そうだ。診察室から漏れ聞こえてくる話も、ペースメーカーだの心房細動だの心筋梗塞だの、物騒な単語が散りばめられている。私なんか、元気で申し訳ないくらいだ。
10時の予約で、9時半に病院に入って、診察までに心電図と胸部レントゲン写真を撮った。実際に診察室に入ったのは11時だった。丁寧に診る先生で、時間が遅れがちになったのだ。しかし、私の場合は、そう時間をかけてくれない。まあ、そうだろうね、この程度の病気では、この病院ではまったくの軽症なのだ。先生がおっしゃるには、「心電図と症状から見て、まず命に別状のあるタイプの不整脈ではないでしょう。しかし、念のために検査をしておきます」ということだった。検査予約が混んでいて、11月下旬まで検査できない。次回の診察は12月初旬だ。
「運動してもいいですか?」と聞くと、運動しても不整脈が悪化しないなら、してもかまわないが、念のために検査結果が出揃うまでは過激な運動はやめておいたほうがいいということだった。くそっ、山登りができない。ということは、11月のはじめに予定している歩き遍路に行けない。まあ、行けても、今のように不整脈の数が多くては、ちょっとしんどすぎると思うが。
薬も、検査結果が出てからということで、どうしても苦しい時用の頓服薬をくれただけだった。しかし、1月以上もこの心臓をかかえて生きるのかね。ま、主治医と相談して、病院には無断で抗不整脈剤をもらおう。そうしないと、とてもたまらない。
病院受診というような辛い試練にはご褒美が必要だと思って、近くにある楽譜屋さんでオペラ『トゥーランドット』のピアノ伴奏譜をみつけて買った。1月にポーランド国立歌劇団の大阪公演を見にいくので、予習しなければね。次回受診時も、なにか無駄遣いをしようっと。
英文雑誌
2002年10月25日(金)
論文を書くたびに、The Journal of Individual Psychology(個人心理学雑誌)というアメリカのアドラー心理学関係の雑誌の過去20年分を見て、関係のある論文をコピーする。今回も、10報ほどの関連論文があった。数日かかってすべて読み終えたが、これをネタに論文を書いて出版社に渡して、たぶん6万円くらいだ。あまりいい商売じゃないな。
この雑誌は、創刊号以来のほとんどすべての号を持っている。1945年の創刊から25年分ほどは、リプリントされたものが一括発売されていたのを買った。1982年からは定期購読している。この間の10年余りの分については、手に入る限り手に入れたが、それでもすこし欠号がある。実際上はあまり不便がないが、なんとか手に入れたいと思っている。しかし、何十年も前の雑誌なので、方法がない。出版元にも問い合わせたが、在庫はないそうだ。
アドラー心理学の研究者は楽だ。この雑誌と、ドイツの Zeitschrift fuer Individualpsychologie(これも和訳すると個人心理学雑誌)と、日本アドラー心理学会の『アドレリアン』を読んでおけばいいのだから。そう思うのだが、このごろの若い学者は外国語が不得意みたいで、独文はもちろん、英文も読もうとしない。だから、誰も借り出しに来ない。おっと、こういうグチはオジン臭いな。
元気に暮らす
2002年10月26日(土)
元気に暮らしてみることにした。不整脈はまったく同じように続いている。時には正常な拍動2つに対して1つで三拍子のメヌエット、時には3つに対して1つで四拍子のガヴォット、時には変拍子で現代音楽と、延々と変奏曲が続いている。安静にしてもよくならないし、運動しても悪くならない。それならと「山岳会ペース」の早足歩きをしてみても、特に息切れが悪くなるわけではない。じっとしていても息切れがよくなるわけでもない。さまざまの薬を試しても、マシなったような気が一時はするが、また悪くなる。それなら、気をしっかり保って元気に暮らせばいい。そのほうが、すくなくとも気分的には楽だ。
今日は朝から広島県福山市へ出張して講演してきた。3時間半喋り続けたが、そうひどいことは起こらなかった。事情を知らない聴衆には元気に見えたんじゃないか。福山のお世話役さんはお酒がお好きなので、いつもは終わったあと夕食がてらおいしいお酒をいただいたりするのだが、今回は終わってすぐに帰ることにした。体調の問題もあるけれど、仕事があるのでね。明日のアドラー心理学基礎講座のためのスライドを作らなければ。
論文のほうは、往復の新幹線の中で文献を読んで、構想は完全にまとまった。明日は忙しいので、月曜日に一気に2報書いてしまおう。火曜日はカウンセリングがあるので論文には手がつかないだろうが、水曜日にもう一度見直して、その日か、あるいは木曜日にメールで送ればいい。
Q
現在中学3年の長女のことですが、小学3年の2学期終わりごろから登校拒否が始まり、登校したり休んだりしながら中学校へ入り、1年生の2学期ごろからまた行けなくなり、2年生にはほとんど行けず、3年生1学期の初めから行けるようになり、この夏休みをきっかけにまた行けなくなりました。
本人の性格はもともと消極的で、人の中に入っていけず、自分の意見もはっきり言えないような状態だったので、学校へ行っているときにも、早くみんなの中に入るようになりたいと思っていたようです。
今、学校から勧められたカウンセラーにかかっているので、あまり刺激しないようにしていますが、2学期になって毎日のように友だちから「早く学校へ来て」と電話がかかってきています。1日に3回くらい学校からもかかってくる。
A もうすぐ学校側も飽きますわ。
Q 本人も「早く行かなければ」と、だいぶ追い込まれているようです。カウンセラーの先生が「友だちの刺激が良いよ」と言うのでそのままにしていますが、このまま良いのでしょうか?
A と言われても、私のお客さんでないので、何もよう言わん。
よその先生にかかっているときに私が何か変なこと言ったら、きっと方針が違うのでややこしいでしょう。もし今そっちへかかっているんだったら、その先生を信じて、言われるとおりにすること。それで治るかもしれない。私の言うとおりしてもアカン(=ダメ)かもしれない。よそのカウンセラーにかかっていてアカンって、こっちへ来られる方がいらっしゃる。こっちで治ったりすると、「私は名医、向こうはヤブ」と思うでしょう。違うんですよ。きっとうちでアカンかった人は向こうに流れている。お互い様です。
どの方針が正しいか、どの方針が正しくないか。ある程度あります。統計があるから。何派の治療は何パーセント治っているというかなりきっちりした統計がある。20年とか30年とかの間にいい研究があるんです。私も先日、『日経サイエンス』の特集号「脳と心」に治療統計についての論文を書いた。ものすごく成績の悪い流派もあるんです。私がロジャース(派)の悪口を言うのはそれだからです。自然治癒率をはるかに下回っている。何もせんほうがいい。治療やめたらだんだん治っていく。あれは良くないね。せめて自然治癒率まで行っていれば罪はない。でも、治療中どんどん悪くなって、治療が終わったら自然治癒率に近づくというのは良くない。
ロジャースが向いている対象もあるんです。ロジャースはもともと大学のカウンセラーです。それもシカゴ大学ね。日本で言うと東大、京大クラスです。ものすごく優秀な大学で就職相談をしていた。学生さんが「どこへ就職しようか」と迷って相談に来たら、「なるほどね、迷っているんですね」「この会社とこの会社とどっちがいいですかね?」「ふーん、どっちがいいか困っているんですね」と言っていると、学生さんが自分で考えて決めていく。何もしない方法がうまくいった。それで論文のをいっぱい書いた。今でもそうです。ハイレベルの大学のカウンセラーが就職相談をするなら、アドラーよりロジャースのほうがいい。でも、僕らのお客は知的にそんなに優れているわけでもないし(笑)、東大、京大の学生ではない。仮に昔、東大・京大の学生さんでも、もう20年前30年前にそうだったから、今はだいぶボケているでしょう。
学生の相談と違ってほんとに深刻に悩んでいるようなとき、あの方法ではダメですね。主観的にロジャースが嫌いだというわけでなくて、登校拒否には実際に効かないという証明があるからダメなんです。
よそのカウンセラーにかかっていて、その指導のもとでやっているんだったら、まず徹底的に信じてやること。それでうまくいく可能性もある。もしもそのカウンセラーを信じられない、「どうもアカンで」と思ったら早く見限って私のところへ来る。私のところで3回とか5回とか相談して、「これはアカンで」と思ったらよそへ行く。不信感がある限り動かないから。
今のところ、そのカウンセラーさんのおっしゃるとおりにしてください。(野田俊作)
安息日
2002年10月21日(月)
今日はとにかく自宅で休憩することにした。といっても、まったく何もしないわけにもいかない。午前中に、アドラー心理学会関係の事務で急いでしなければならないことをいくらかすませた。インターネットのおかげで、自宅でできる仕事が増えて、ありがたいようなありがたくないような。無理をしないで、ほんとうに急いで必要なことだけにして、後はぼんやり暮らすことにした。
昼からはドニゼッテイのオペラ『愛の妙薬』のDVDを見ていた。リヨン歌劇場の公演で、ごひいきのゲオルギューが出ている。ここの演出は妙に現代的で面白い。話は、もてない男が浮気な美女に恋をして、相手にしてもらえないので、インチキ医者から「トリスタンとイゾルデの愛の妙薬」(実はただのワイン)を買って飲み、それからあれこれあって、結局は結ばれるというコメディーだ。若いころの自分がちょっとこの男みたいだったので、面白く見ていた。
ドニゼッティという作曲家は即席音楽作家で、このオペラも2週間で書いたという。なるほど、オーケストラの部分は、ギターでだって弾けるほど単純だ。ただ、旋律を作る才能がものすごくあるので、それでもとても楽しく聴ける。バカにしていたけれど、他のも聴いてみてもいいなという気になった。プッチーニみたいに、1曲に5年もかける作曲家もいいけれど、即席音楽にもそれはそれでいいところもあるみたいだ。
このごろ自分についてもそう思っている。脂汗流して長時間かかって書き上げた論文も、3日か4日で即席で書き上げた論文も、そんなに違いはないみたいに思う。どうせ知っていることしか書けないんだから。それで、気軽に原稿を引き受けて気軽に書くようになった。月末までに2本書かないといけないのだが、大丈夫だとタカをくくっている。しかし、この体調で本当に大丈夫かしら。
午後4時ごろ、疲れてきて、1時間ほど眠ってしまった。やがて7時ごろパートナーさんが帰ってきて、もう一度買い物に行くというので、待っている間にまた眠ってしまった。疲れきっているんだな、きっと。不整脈はほぼおさまっているが、血圧が下がりすぎている。
戦後処理
2002年10月22日(火)
いくらなんでも今日は出勤しないわけにはいかない。午前中は実家に寄る用事があって、お昼ごろ事務所に着いた。実家の近くにおいしいケーキ屋さんがあるので、そこで慰労のためのケーキを買って、いそいそと登社したのに、留守部隊をしていたスタッフがひとりいるだけで、他は誰も来ていない。わが社はフレックスタイムで、出勤時間は決まっていないのだが、2時をすぎても誰も来ないのはめずらしい。ようやく3時前から人が来はじめてにぎやかになった。総会で送った宅急便が着いて、その後始末で大騒ぎだ。みんな疲れていて、あまり作業がはかどらない。
総会のとき撮った写真を現像に出した。記録写真は専用のスタッフが撮ってくれるので、真面目な写真はそちらにおまかせして、私は180ミリのレンズ1本だけもっていって、美しいおばさま方のポートレートを撮った。事務所に来る人には会ったときにあげるし、遠隔地の人には送ってあげようと思う。もっとも、気に入ってもらえないかもしれない。ニコンが作っているニッコールというレンズは、ドキュメント写真用の設計で、シワもシミもバッチリ写ってしまうのでね。まあ、気にいらなければ捨ててくれればいいさ。合計100枚近く撮ったが、出来のいいのを何枚か2Lサイズ(サービス版の2倍)に伸ばした。これも送ってあげよう。
今日は、降圧剤をやめて、昨日まで服んでいた抗不整脈剤に加えて、降圧作用のある別の抗不整脈剤を服んでいる。調子はかなりいい。これだと普通に生活できそうだ。木曜日に病院の予約をとった。こんなに調子がよくてはお医者さんが困るかもしれないので、明日は薬を服まないで、調子を悪くして受診しよう。
ウォッシュアウト
2002年10月23日(水)
朝から薬を一切やめて様子を見る。一種類は体内滞留時間の長い薬だが、これは昨日の朝服んだだけなので、今日中には体内からなくなるだろう。もう一種類は日に3回服むので、昨夜眠前に服んだが、朝から服まなければすぐにウオッシュアウトされてしまうだろう。
さて、そう思って暮らしていると、やはり不整脈が復活した。これではちょっと出勤できないなと思い、電話して自宅にいることにした。自宅にいても完全休養する必要もないと思うので、論文を書き始めた。昨日、こういうこともあろうかと、必要文献を山ほどコピーして持って帰ってきてある。あれこれ書いているうちに、規定の25枚のうちの15枚ほどが書けてしまった。これに表の解説を入れると、25枚をオーバーしてしまいそうだ。一度オーバーさせてから、あちこち削るのが常套手段なので、かまわず書き続ける。ドニゼッティ風の即席論文作者だな。
夕方4時ごろになると、エネルギーが尽きて寝てしまった。1時間ほども眠ったか。起きて顔を洗いに行く夢を見る。二重見当識で、寝ていて体が動いていないのは知っているのに、動いている気もしている。一種の金縛りで、苦しいといえば苦しい。しかし、恐がらなければどうということはなくて、面白がって観察していた。不器用な幽体離脱といったところか。ベッドの触覚ではない触覚がある。ドアとかタオルとかをありありと感じるのだ。しかし、水を流しても水は感じない。どう違いがあるのだろう。どうせ触覚があるなら、もっと色っぽいものがいいのにと、夢の中でもしっかりオジサンをしていた。待っていると、やがて身体の感覚がひとつに戻ってきて、自然に目覚めることができた。
これまでもこういう体験はあったが、面白いものだ。脳の知覚領に全身の地図があって、そこが興奮すると、対応する皮膚の感覚を感じる。だから、皮膚に何も触れていなくても、脳が興奮するだけで、実際に触れたのと同じ感覚がおこる。だから、こういう現象は、神経生理学的にはなにも驚くべきことではない。しかし、どういう場合に、皮膚とは無関係に脳の知覚領が勝手に興奮しだすのかがよくわからない。浅い睡眠の中でおこるし、催眠でもおこせる。自分で自由におこせると、面白いことがいろいろあるかもしれない。しかし、あまりそういうことにのめり込むと、現実なのだか幻覚なのだか、区別がつきにくくなって困るかもしれない。人間の自然をあまりいじくらないほうがいいだろう。
ひょっとして、薬のウォッシュアウトと関係があるのだろうか。そういえば、昨夜も触覚のある夢を見た。もしそうだとすると、そうたびたびは経験できないな。あまりたびたびは経験したくないけれどね。
Q
娘(中3)が拒食して大変なとき野田先生の本を読ませていただき、一度お顔を拝したくて来ました。「子どもの課題・親の課題・共同の課題」を心得て、初めから出直します。
A
うち(アドラーギルド)は拒食の人がよく来ます。オープン・カウンセリングなんかで座っています。よー治ります(笑)。論文を書きたいと10年くらい願い続けています。拒食・過食の論文をきっちり書いて出したいのに、それがダメなんですよ。アドラー心理学で拒食症はよく治るんです。短くて3か月、長くて半年くらいで問題はなくなる。しかも薬を使わない、入院もしない、お話を聞くだけで治る。子どもが来ればね。もちろん親が来られても。ところが、論文を書いてもよその人があまり信用してくれない。前に書いたんですが、「こんなの拒食じゃない。違う」と言われた。治ってから言われても困るよ。悔しいので書けない。
拒食だと言っても何も変わらない。とにかく一本調子。アドラー心理学はとても一本調子です。親子関係の話を始めたら1個しかレパートリーはない。そうしないとややこしくてしょうがない。拒食だからこう、登校拒否ならこう、両方合併したらこうと、片方治って片方残ったらこうと、場合の使い分けしたら、親がそんなに器用にやり方を変えられますか?今まで僕の言っている単調なやり方でも、みんな不器用でなかなかできない。みんなそうです。僕もそうです。だから、1種類しか親の対応はない。何だって一緒なんです。これはいいところですね、きっと。(野田俊作)
※浩→ひところあれほど流行った「拒食」が、最近はほとんど耳にしません。野田先生がおっしゃっていたように、ああいう現象も「親や教師の注目を引くための行為」だったと理解すると、時代で「はやり」があるということよくわかります。最近は拒食でなくて何をもって注目を引いているのでしょうか?非行や犯罪が過激化していることは気になります。子どもたちの大人への「反抗」についても野田先生は、それは先に「大人による強圧」があるからだとおっしゃっていました。反抗する子どもの心の中を探求するよりも、その子が誰に対してどういうとき反抗しているかと、「対人関係論」を採用すると、不思議なくらいクリアーに対処法も見えてきます。
アドラー心理学会総会(1)
2002年10月18日(金)
今日からアドラー心理学会総会の本番だ。午前中は役員会、午後2時からは総会で、これはまあ型どおりに進んだ。
3時から6時まではシンポジウム『ポストモダンとアドラー心理学』で、私もシンポジストで出る。心臓の具合はきわめて悪く、心室性期外収縮が頻発している。歩く程度の運動には支障はないが、長時間喋ると息切れがするかもしれない。あまり頻繁に息切れすると聴衆が心配するだろうから、どうしようかと思っていたが、心配したほどひどくならなくて、なんとか気づかれない程度ですんだ。発表内容は不消化なので、もういちど考え直して、ちゃんとした論文にしようと思う。
夜は、『ネットワーク集会』といって、各地の運動組織の連絡会があるのだが、これはパスして、部屋でオペラ『椿姫』を見ていた。オペラ同好者が何人か一緒だったが、うまく泣くように作ってあるね。みんな泣いていた。プッチーニやリヒヤルト・シュトラウスなどの20世紀のオペラを聴きなれていると、19世紀のヴェルディの音楽はなんとなく間延びしているように感じるのだが、それでも続けて見ていると、なかなか盛り上がる。
とにかく無理をしないようにして、3日間を乗り切れば、来週はあまり予定がないので、ゆっくり静養できる。循環器の専門家に診てもらいに行こうと思う。同級生で循環器内科へ行った人もいるのだけれど、知り合いだと手がゆるむかもしれないから、知らないお医者さんに行こうと思う。主治医が紹介状を書いてくれるそうなので、それでいいだろう。
アドラー心理学会総会(2)
2002年10月19日(土)
アドラー心理学会総会は、午前中は分科会だ。「理論」だの「医療」だの「教育」だのといった分野に分かれて討論する。いちおう理論分科会に登録してあったのだが、休養のためパスして、事務の手伝いをしていた。不整脈は、今朝から新しい薬を服みはじめたら、すこしましになってきた。吸収の速い薬なので、1錠服んだだけで効果がわかる。
昨日、主治医が2種類の薬を持ってきてくれて、1番目を服んだら、なんだかいっそう調子が悪くなった気がしたので、夕方、2番目に変えた。自覚的にはよくなったが、持参の携帯用心電計で見てみると、不整脈そのものはそれほど改善していない。他のお医者さんが別の薬を持ってきてくれていた。その人は自分も不整脈があって、その薬を愛用しているという。別の内科のお医者さんに聞くと、「不整脈の薬はトライアル・アンド・エラーで、飲んで効くかどうか試すしかない」とおっしゃる。そこで今朝から3番目の薬にした。どうやらこれが当たったみたいで、不整脈はゼロにはならないが、正常な脈の率が増えている。自覚的にもずいぶん楽だ。
午後は、向後千春さんが『学ぶこと・教えること:教育工学の視点』という話をしてくれた。それに引き続いて、4人の学校の先生が、模擬授業をしてくれた。国語・理科・音楽・理科の順だったが、どれもとても楽しめた。司会の向後さんが、「この4人の先生方がいらっしゃる学校があったら、うちの子どもをそこへ入れたいです」と言っていたが、まったく同感だ。
フロアから、「そういう実践とアドラー心理学と、どういう関係があるんですか?」というような質問がいくつかあった。特に、仮説実験授業をした理科の先生が批判されていたように思う。しかし、そういう批判は教条主義というものだと思う。アドラー心理学の本質は「勇気づけ」であって、教科教育を通じて子どもを勇気づければ、それはアドラー心理学の精神に即している。われわれがアドラー心理学といっているものは、カウンセリングの中でクライエントを勇気づけるための工夫がもともとあって、それをたとえば育児に応用したりクラス運営に応用したりしたものなのだ。それはそのままでは教科教育に使えない。それプラスアルファの工夫が必要なのだ。「ヨコの関係」だのなんだのだけでは、子どもが学ぶように勇気づけられない。もう一工夫が必要なのだ。今回は、その「一工夫」の部分を見せてもらった。パリサイ的(浩→ユダヤ教の保守派・パリサイ派のような)な批判はやめるべきだと思う。要は、子どもが学問に向かって勇気づけられればいいのだ。たしかに「ヨコの関係」などのアドラー心理学のお題目は一言も話題にのぼらなかったが、実際の授業実践の中でアドラー心理学的な人間関係の典型を見せてもらったじゃないか。それ以上に、なにを不満を言うことがあるのか、私にはわからない。
夜は懇親会で、恒例のコーラスもあったが、他に2つの出し物があった。まず「劇団ひぐらし座公演:ヴェニスの商人」だ。私が台本を書いて、東京の仲間たちが演じた。自画自賛だが、素人離れした立派な出来だったと思う。もうひとつはオークションで、アドラー心理学会を社団法人化するための資金集めに、アドラー心理学にちなんだ珍しい品物をせり売りした。思ったよりも高額で買い取ってもらえて、17万円あまりが集まったそうだ。すべて学会に寄付された。
アドラー心理学会総会(3)
2002年10月20日(日)
アドラー心理学会総会は今日で終わりだ。午前中は、一般主婦が4人で『アドラー心理学の家庭への浸透:その失敗と成功』というシンポジウムをしてくれた。非専門家が大勢いて、独自に発言もするし専門家の発言を批判もする。これは、日本だけではなくて、アメリカのアドラー心理学会も同様だ。元気なおばさま方が沢山いて、専門家を圧倒し続けている。ただし、ドイツは違っていて、うるさい非専門家を切り捨てて、専門家だけの学会を作った。その結果、ドイツのアドラー心理学はきわめて思弁的な、具体性を欠いたものになってしまった。やはり「素人の目」が必要なんだ。そうでないと、心理学のような実証性に乏しい科学は、すぐに空理空論に陥ってしまう。
午後は、地域住民向けの公開講座だった。私が担当なのだが、今日は、不整脈はなんとかおさまっているものの、降圧剤が効きすぎて血圧が下がりすぎている。水の中を歩いているような感じで、手足を動かすのがおっくうだ。しかし、今更どうしようもない。
1時間半の講演は、なんとか無事におわったようだ。「ようだ」というのは、記憶があまりないのだ。話している瞬間のことはちゃんとわかっているのだけれど、すこし前に話したことがわからない。どうせこんなことだろうと思って、午前中に講演の要旨をメモして覚えておいた。そうしないと、話がどこへ行ってしまっていたかわからない。質問されると、自分の言ったことを覚えていないのがバレるかもしれないので、時間ぎりぎりまで喋って質問できないようにした。それでも、講演終了後に聞いてくる人がいて、案の定、自分の言葉を思い出せない。あいまいな返事をするしかなかった。申し訳ないと思うけれど、脳に血が回っていないのだから、許してくださいね。
地元の仲間に高岡まで車で送ってもらった。秋の雨の中の散居村は、センチメンタルに美しかった。ただし、帰りの列車は、温泉帰りの団体さん満載で、大阪までずっとにぎやかだった。