素質と教育
2001年08月28日(火)
アドラー心理学のカウンセラー資格試験の合格率が低いことについて書いていたのだが、ある場合には、受講者に「人の話を聴く」素質がないことを問題にし、ある場合には、私の教え方に問題があるのではないかということを考えた。しかし、「低合格率の原因は、受講者の資質なのか、教師の教え方なのか」という問いの立て方は、一種の「うじ・そだち論争(nature-nurture controversy)」で、論争の構造上、永久に決着はつかないだろう。要するに、どちらにもいくらかずつの責任があるのだ。
私の友人に、はじめ外科医を志して、やってみた結果、適性がないことが自分でわかって、他科に転進した人が何人かいる。考えてみると、私も、学部学生の時代に、神経生理学の研究者になろうと、ちょっと思った。神経生理学の研究室にお邪魔して、先輩の実験を見せていただいたりして、ちょっとだけ実験もさせていただいて、1年もすると、基礎研究者にまったく向いていないことがわかった。適性がないということは、実際にやってみないとわからないものであるようだ。
外科から他科に転進した人の中には、本人が納得して転進した人もいるが、外科の教授に「お前は向いていないから、やめろ」と言われて、半ば不本意に転進した人もいる。やってみても、適性がないことが自分でわからない人が、たしかにいるようだ。そういう人たちは、不本意に転進して、後は不幸な一生だったかというと、そうでもなくて、他科でけっこう満足して暮らしていることが多いように見受ける。
音楽家やスポーツ選手などは、小さいころから淘汰がかかる。だから、子どものころ、ピアニストやプロ野球選手になりたくても、実際に音楽大学に入ったり、高校野球で甲子園に出たりできる子どもはほんの一握りで、他は早い時期に断念して他の進路を考える。逆に、音楽大学に入れた子どもや甲子園に出られた子どもは、素質なり適性なりのある子どもばかりだから、その後、伸びるか伸びないかは、いい教師に出会うかどうかに、相当かかっていると言ってもいいのではないか。
カウンセラーという職業は、今のところ淘汰圧が低いので、ほとんど誰でも、養成講座を受けることができる。だから、適性がない人でも、実際に養成講座を受けるまでわからない。だから、厳格な試験をすると不合格者が多くなり、教師は「うじ・そだち論争」で悩まされることになるのだ。
別に、教師としての責任を逃れようとして、こんなことを書いているわけではない。私が言いたいのは、以下のようなことだ。
外科医とかピアニストとか野球選手とかカウンセラーとかのような専門的な職業には、すべての人が向いているわけではない。そのうちのあるものには、早い時期に淘汰圧がかかり、あるものにはかからない。淘汰圧がかからない職業については、現場に出てからはじめて適性がないことがわかる場合もある。だから、試験の合格率が5割以下というのも不思議ではないかもしれない。しかし、適性がないと思われる人々にも、教育法を工夫すれば、能力が伸びる可能性はある。
モーツァルト
2001年08月29日(水)
1か月ほど前にフレッツIDSNにした。家にいるときはパソコンをインターネットにつなぎっぱなしにして、ラジオを聞いている。外国の放送局につないで、クラシック音楽を鳴らしているのだが、有線放送と契約したみたいなもので、なかなかいいものだ。スピーカをもっといいのと買い換えようかしら。パソコンを買ったときにおまけについていたものだから、たいした音じゃない。
モーツァルトが嫌いで、自分から好んで聴くことはまずないのだが、こうして向こうから供給してくることになると、かなり高い確率で、あの独特の音に出会う。まじめに聴かなければ別に被害はない。その点で、ブラームスとは違う(ブラームスも嫌いなのだ)。彼の音楽は、転調やら主題の入れ替えやらが非論理的で、本気で順を追って聴くと、ちょっと耐えられない。しかし、BGMに鳴らしておく分には害がない。思想がないからね。
好き嫌いは別にして、モーツアルトの管弦楽は、いつも嬉しげに歌っていることに感心する。バロック音楽時代のドタドタした通奏低音から逃れて、自由になって、言いたいことが言えるようになった喜びで跳ねまわっているんだな。音楽がいちばん書きやすかった時代じゃないかな。モーツァルトはまじめに聴きこんだことはないが、ハイドンは一時しっかり聴いたり演奏したりしたが、ほんとうにシンプルに書けている。それ以前の時代にもそれ以後の時代にも、あの時代のような透明な音楽語法はなかった。
他の芸術や思想や科学と関係づけて音楽を聴くことがないので、ハイドンやモーツァルトの時代に、他の領域でどういう芸術家や思想家や科学者がいたのか知らない。でも、きっと時代精神なんだ。こんど、暇なときに、ちょっと調べてみよう。
カント 1724-1804
ハイドン 1732-1809
ゲーテ 1749-1832
モーツァルト 1756-1791
山に会う
2001年08月31日(金)
山の中にいると、「いま、ここ」で見ている風景はきわめて一回限りのもので、この次に同じところへ来たときには同じものは決して見ることができないと思う。同じ山や同じ川へ何度も行くが、毎回、まったく違ったものが見える。光も違うし、流れも違うし、木々も違う。晴れている日は晴れている日の美しさ、雨の日は雨の日の美しさがある。夏は夏の美しさ、冬は冬の美しさがある。
風景が移り変わるのと同じことで、実は私も移り変わっている。山へ来るのは、町の暮らしから切り離されて来るわけではなくて、その直前までの日常生活をぶら下げたままでやってくる。この前来た時の直前の日常と、今回来る直前の日常が違うから、山へ来た私は違うものを引きずっている。それがやがて、山を縁として、日常から離れていくのだけれど、山が違うものだから、離れていく場所も違っている。だから、山が違うように、私も毎回違うところに着く。
山は大きな縁起の流れの中にあって、私も縁起の流れの中にあって、あるとき私と山が因縁和合して出会う。私の側に因(因縁)があって山の側に縁(所縁縁)があるが、その両者が出会うためには、その出会いを支える、世界全体の流れである大きな縁(増上縁)というものがあって、それでもってようやく山は、私の前にあらわれる。そういうものの捉え方に、このごろなじんできて、生きていることをとてもありがたいと思う。
森を見ていて、実はこの木々は自性空で、実体があるように見えているが、実際にはたえず縁起によって移り変わる無常の現象の一瞬の断面にしかすぎないのだとも思い、それを見ている私も自性空で、実体があるように見えているが、実際には絶えず縁起によって移り変わる無常の現象の一瞬の断面にしかすぎないのだと思うと、今という時間があってここという場所にいられることが、かぎりなく嬉しくなるのだ。
抹香臭い話でごめんね。もう秋なんだな、こういうことを考えてしまう季節になったんだ。
山に会う(2)
2001年09月01日(土)
山や川は、たえず移り変わる現象であるにすぎず、実体はなく、たとえてみれば夢のようなものだ。私もまた、実体として存在するわけではなく、やがて滅んでゆく現象であるにすぎない。われも夢、世界も夢、諸行は無常にして空だと、仏教は言う。松明(たいまつ)を回すと光の輪が見えるが、世界はその輪のようなもので、実際には存在せず、ただ見えているだけだとたとえる。
中世の日本人は、このようなとらえ方に慣れ親しんでいて、一方では無常の自然に「もののあはれ」を感じて耽美的に生きようとしたし、一方では刹那主義に陥って享楽的に生きようとしたようだ。
チベット人が書いたものを読んで、中世日本人の理解は、たぶん間違っていると思うようになった。インドの仏教者たちが言いたかったのは、自分にも世界にも実体がないからこそ、縁起が可能になる。縁起が可能になるから、迷っているわれわれも、善業という因の積み重ねによって、やがて悟りという果にいたることができる、ということだったようだ。つまり、諸行無常だの空だのというのは、日本人が考えたような情的な感慨ではなくて、きわめて知的な論理的要請だったのだ。
この一切が空でないとすると、生起は存在しないし、滅も存在しない。そうであるとすると、四諦は存在しないという誤りを汝は犯すであろう。(『中論』第24章)
「自分や世界に実体があるとすると、変化がおこらないのだから、悟りが生じることもないし、迷いが滅することもない。そうであれば、因から果に至る縁起もなくて、善業を因として迷いを脱し、悟りという果に至る道もないことになる」という意味だ。
とはいうものの、私も日本人なので、情的な感慨もある。情的な感慨と知的な論理が二重写しになって、二倍楽しめるわけだ。美しい森の中にいて、澄んだせせらぎを見て、この時があることに情的に感謝もし、やがて私にも救いの日が来るのだろうと、無常のもうひとつの意味を知的に思いもし、すっかりリフレッシュして町に帰る。
破門と寛容
2001年09月02日(日)
朝、熊本に来て、夕方まで仕事をして、終わってから繁華街を歩いていた。大きな本屋があった。ついフラフラと入ってしまう。一冊の本がなんとなく輝いていたので、高かったけれど買ってしまった。佐々木閑『インド仏教変移論―なぜ仏教は多様化したのか』(大蔵出版)。この本に書かれていることは、一般の人々には、ほとんど興味のない話題だと思う。でも、私は、ものすごく面白かった。
話は、アショーカ王の碑文から始まる。その中に、仏教教団の分裂と和合についての記載があって、それを振り出しにして、推理小説風にさまざまのことがわかっていく。まず、「破僧」、つまり教団を破壊する行為、という言葉の定義が、どうもアショーカ王(紀元前304-紀元前232)の時代に変わったらしいことがわかる。それまでは、理論的な対立をもとに分派ができて、「われわれのは正しい仏教だが、お前たちのは非仏教だ。だから、同じ寺には住めない。出ていけ」と言っていたらしい。追い出されたのが一人ならいいが、集団で追い出されると、その人たちが新しい学派を作る。こうして、さまざまの学派が、すでにアショーカ王の時代にできていたらしい[1]。アショーカ王は教団分裂を防止しようと思い、教団に政治的な圧力をかけて[2]、布薩[3]を共にできさえすれば、たとえ理論的に対立していても、相手を非仏教だと決めつけて破門してはいけないことにした。
アショーカ王のブレーンは、どうも大衆部(だいしゅぶ)らしい。彼らは、「布薩を共にできないときは破門」という説をきわめて積極的に受け入れていて、それまでの「理論を共にできないときは破門」という考えを完全に捨てた。そのために、律を大幅に改変して、古い文章を徹底的に削除して、新しい考え方だけで統一した。南方上座部は、圧力に屈して不承不承アショーカ王の提案を受け入れて、律を一部改変した。しかし、大衆部のように積極的ではなかったので、古い文章もそのまま残して、そこに新しい文章を付け加えた。説一切有部(せついっさいうぶ)は、アショーカ王の圧力に反抗して、カシミールへ逃げた。したがって、律は改変されていない。
この「改革」の結果、布薩を共にできさえすれば、つまり、律の条文が同じでさえあれば、理論的にどんなに違っていても、同じ寺に住めることになった。そこで、やがて大乗仏教のような、原始仏教とはかけ離れた考え方も生まれてくることになったのだ[4]。
ここまでが、この本の内容だ。「布薩を共にできれば仏教」という考え方は、今でも生きている。逆に、布薩を共にできないと仏教ではない。南方上座部の僧は、日本の僧は比丘ではないという。なぜなら、彼らがタイやスリランカに旅行すると、ホテルに泊まるからだ。律には、在家の家に泊まることは禁止されている。僧は、僧院に泊まるか野宿するかしなければならない。上座部の僧も、野宿はかなわないので、ふつうは地域の僧院に泊まる。僧院に泊まると、現代でも、布薩に参加しなければならない。日本の僧は戒を守っていないので、布薩に参加すると、ただちに教団追放になる。ホテルに泊まっても僧院に泊まっても、どちらにしても駄目なのだ。
私は、仏教が生き残るためには、律を復興するしかないと思っている。そうして、全世界の教団が布薩を共にできる状況を作りさえすれば、どんなに理論上の違いがあっても、ひとつの教団としてやっていけるわけだ。われわれ在家だって、戒律をちゃんと守っている僧なら尊敬できるしね。
これは通説とは違っている。通説では、アショーカ王の時代までは教団は一味和合であったが、その時代に大衆部と上座部に分かれたことになっている。佐々木氏は、その説は説一切有部が作り出したものであって事実ではないことを、それとなく示唆される。南方上座部の伝承では、王は命令に従わない長老を処刑することさえしたようだ。ウポーサタ。月に2回おこなわれる儀式。地域の全比丘が集まって、律の条文を朗読して、違反がないかどうか確認する。これも通説と違っている。大乗仏教は、最初は在家の運動であったのが、後にその人たちが出家するようになったのだというのが現在の多数説なのだが、佐々木氏は、はじめから出家教団の中で大乗仏教がおこったと言われる。
Q
普段から手紙を書こうとか身の回りを片づけようとかほんとによく思っていますが、なかなか実行しません。実行できるアドバイスがあればお願いします。
A
私は「お片づけ」に関しては2つの原則を守っていますので、これはうまくいっています。1つは、うちのおうちは私が住んでいるのではなくて、神様・仏様が住んでいらっしゃるお社(やしろ)なのでございます。あなた方は知らんでしょうが。『法華経如来神力品(ほけきょうにょらいしんりきぼん)』にそう書いてある。「君の住んでいるおうちは昔お釈迦様がお生まれになり、修行をなさりお悟りを開かれた、その場所なのである。だから、ゆめゆめおろそかにしてはならずお掃除はちゃんとし、きれいにしておかないといかん。そうしないとお釈迦様が出て行かれて、あんたのおうちはどんどんみすぼらしくなり、あんたの暮らしも惨めになるであろう」と書いてある。こりゃいかん。やっぱりきれいにしておくと、良い神様が住みつかれて心もすがすがしくなり体も元気になりますので、神様のお守りで。神様っていうのは汚いところがお嫌いなんです。汚くすると、今いる神様が出て行って、代わりに貧乏神が住みつくんですよ。これが住むとなかなか厄介なので、そういうのが住まないようにいつもお掃除をしようと、まあ基本的に思います。これが第一。「家に神様が住む」と言うと、みんな「ふーん?」と言うんだけど、でもねえ、それは僕、ある程度実感として思う。1つはねえ、この近所にあるおうちがあって、おじいちゃんとおばあちゃんと2人で暮らしていらっしゃったんですけど、両方とも亡くなっちゃったんですよ。亡くなっちゃったあと、その子どもさんたちが来ないのかいないのか、家をそのままにしばらく置いてあったらね、ひとつきもしないうちに、家が荒れてくるんです。昔の造りの家で瓦の家なんですけど、なんか傾いてくるんですよ。ということは、そのおじいちゃん・おばあちゃんがいらっしゃったときに、家の神様がいて、おじいちゃん・おばあちゃんが住めるように家を保っていたのが、いないからどっか行っちゃって、それで家の力がなくなっていっているんだと思いますが、皆さんはそんな経験ないですか? 人の住まなくなった家ってアッという間に荒れるんだって。なんもないのに。それから僕の父親が死んだときのことなんだけど、ずっと開業医をしていて、年取ってきたら、「医療機械が心電図とかそんなんも買い換えてもねえ、先どんだけあるかわからんし、騙し騙し使おうよっ」て、古い心電図とか血圧計とか使ってた。親父が死んでしばらくすると、その機械たちがみな故障するんです。動かないんです。親父が死んだあと、親父の患者さんの紹介状を毎日毎日書いて暮らしたんだけど、その間に父親の使ってた医療機械がどんどん壊れていくんです。これは親父が生きてた間、皆頑張って生きてたんだと思いました。そんなもんじゃないですか。皆さん方だって、皆さん方が亡くなられたら、皆さん方が大事にされている掃除機とか洗濯機とかが壊れるかもよ。だから、そう即物的に神も仏もいないと思って暮らさないほうが、生活に潤いがあって生きている世界に生きられますがね。だからきれいにしてあげておこうと思います。
もう1つは「超整理法」という血も涙もない方法です。この間、CDを40枚くらい人にあげました。なんであげたかというと、泣く泣くあげたんですけど、新しいCDが買いたいからなんです。わが家のルールは本棚に入ることができる以上の本を買うことができない。もし買いますと、古い本を捨てなきゃいけない。だからどの本棚もどの引き出しも絶対はみ出ないんです。古いのを捨てないと新しいのを入れられないから。いつも満タンなんですけど、これ僕の絶対的秘訣。だから超整理法で、一冊買ったら、「さあどれにしようかな」って、どの子かを捨てないと新しい子を買えない。これいいでしょう。あなたたちの洋服ダンスはきれいになりますよ。絶対着ない服をどっかへ捨てれば。そうやってお掃除してください。手紙はねえ、一応年賀状は、長いこと年賀状はやめようと思いまして、あんなん「明けましておめでとうございます」って書いてもしょうがないじゃないですか。と思ったら、団四郎さんという心理療法家で漫画家の人が、びっしり書き込んだ年賀状をくれたんです。その年1年の出来事を。これいいと思って、うちもびっしり小さい老眼の人は絶対見えない字で前の年1年の出来事を報告する年賀状を復活いたしました。私から年賀状ほしいという人は、言ってくれたらあげます。もうすぐ年賀状書きますからね。何も芸はない。ただ1年の出来事をびっしり書いてあるだけなんですけど、これを出してから、結構長いこと会わなかった人が返事をくれるようになったんです。それで手紙のやりとりとかメールのやりとりとかできるようになったから、まあああいうものをうまく利用することだと思います。(野田俊作)
人の話を聴く
2001年08月24日(金)
先週の木曜から土曜と、今週の木曜から土曜は、東京にいて、カウンセラーの養成講座の講師をしている。8日間、48時間の集中講座だ。講座といっても、理論的な話はそれまでにほとんど終わっているので、全時間数の3分の2以上は模擬カウンセリングによる実習だ。参加者の一人がカウンセラー、もう一人がクライエントになって、20分間の模擬カウンセリングをする。クライエント役をビデオ撮影して、後でそれを見ながら解説する。クライエント役の人は、ほんとうに困っている問題を相談しなければならないことにしてある。そうでないと、リアルなカウンセリングにならない。
2週目に入ると、実技試験をする。演習のはじめに「試験を受けます」と宣言して、そのカウンセリングが成功すれば合格だ。不合格なら、その次に順番が回ってきたときに再受験できる。受験料2千円を支払ってもらって、それは試験官の懐に入るので、落第が多いと儲かってしまう。しかし、公開の場所で試験をしているので、誰が見ても合否はわかる。カウンセリングが成功しているか失敗しているかは、2週目にもなれば、どの参加者の目にもあきらかだ。だから、小遣い稼ぎのためにどんどん落第させるというわけにはいかない。残念。
それでも、最終的に半数くらいは落第する。落第する要因は、要するに、相手の話が聴けていないことだ。人の話を聴くというのが、難しい技術であるのかどうか、私にはわからない。話を聴ける人は講座のはじめから聴けていて、聴けない人は最後まで聴けない。講座の途中でこの技術が改善する人はほとんどいない。だから、そもそも習得できる「技術」であるのかどうかさえ怪しい。
受講前から知っている人が多いので、事前に誰が合格して誰が落第するかを、きわめて高い確度で予測できる。つまり、ふだん話が聴けている人は合格するし、聴けていない人は合格しない。「この人は合格しないな」と思っても受講を許可するのは、落第することから学んでもらえることもあるだろうと思ってだ。たいていの受講者は、「私はカウンセラーに向いている」と思っている。しかし、向いていない人もいて、そういう人に、「あなたは向いていない」と口で言ってもめったに納得してくれないので、体験から学んでもらおうと思うのだ。ちょっとムゴい教育方針かもしれないけれど。
大学の教師じゃなくてよかったと思う。大学だと、カウンセラーに向いていない学生も、最終的に合格させて社会に出さないといけない。こんなに簡単に落第させられない。カウンセラーに向いていないのに卒業させてしまうと、その人たちも苦労するだろうし、その人たちにカウンセリングを受ける人たちも苦労することになるだろう。早い目に、「あなたは他の仕事を探したほうがいいですよ」と教えてあげるのが親切というものだと思う。
人の話を聴く(2)
2001年08月25日(土)
カウンセラー養成の話の続きだ。
人の話が聴けていない受講生がいても、「共感性が低い」だの「人の気持ちがわかっていない」だのといった抽象的な批評はしないことにしている。ビデオを見ながら、「今、クライエントはこう言ったが、カウンセラーは次はどう言うべきか」というように、まったく具体的な技術として教えている。そうでないと、学ぶことができないと思う。しかし、それでも学ぶことができない人がいる。それ以外の教え方を思いつかないので、困ってしまう。
いつの講座でも、講座のはじめから上手にカウンセリングができる人が、10人あたり1人か2人いる。アドラー心理学では、さまざまの治療者が公開カウンセリングをしているので、この人たちは見学しただけで技術を学んだのだろう。講座の中で技術を教えると、やがてカウンセリングができるようになる人が3人から5人くらいいる。しかし、そういう人は、はじめから人の話は聴けていたのだ。残りの5人ほどは、はじめから人の話が聴けていないし、最後まで聴けない。話が聴けていないから、技術も使えない。
つまり、講座を受けて、はじめて人の話が聴けるようになった人は、おそらく今まで1人もいない。もっとも、今後永久に人の話が聴けないかというとそうでもなくて、1年か2年して再受験すると(一度講座に出ると、いつでも再受験できることにしている)、合格する人もいることはいる。その人たちの多くは、医師や臨床心理士などの、相談のプロだ。きっと、血のにじむような努力をされたのだと思う。頭が下がる。それはそれとして、この人たちは、私が教えたので人の話が聴けるようになったわけではない。これが悔しい。
人の話を聴くことを教育する具体的な方法は研究されているんだろうか。抽象的なお題目として、「相手の気持ちになれ」だの「人の関心に関心を持て」だのということはどこにでも書いてある。しかし、そういうことができるようになるためのトレーニング法を具体的に書いたマニュアルは見たことがない。不勉強で知らないだけかもしれないが。
人の話を聴く(3)
2001年08月26日(日)
カウンセラー養成講座は終わった。今回はじめて受講した人12人と、前回までに受講して不合格だったので試験を受けにきた人3人、計15人のうち、最終的に試験に合格したのは7人だった。いつもだいたいこんなものだ。
不合格だった人もウツ気味なんじゃないかと思うが、落とした私もちょっとウツ気味だ。チャンスは何度もあげたし、問題点や改善案を丁寧に解説したつもりだ。しかし、やはり、話が聴けない人は、最後まで聴けないままだった。
具合の悪いことは、その人たちは、自分が人の話を聴けていないのだということを、講座を通じて、頭ではわかったかもしれないが、実感していないことだ。それはもっともなことで、なにしろ、その人はずっとそういう感じ方・ふるまい方で生きてきたわけで、他の人の目や耳や心でものを見たことがない。だから、自分が感じる以外の感じ方がありうることを実感できない。
それで、その人たちの多くは、最後まで希望を捨てない。何度も受験しようとするので、最後には「あなたは今回は受からないから、受験はしないで、練習だけして帰ったほうがいい」と言うことになる。受験料2千円をだまし取っているみたいで、いやなんだ。不合格だということは、試験を受ける前からはっきりしている。そういうものなんだ。ところが、私が断ると、その人たちはショックを受けるみたいで、悲しんでみたり怒ってみたりする。困ったな、親切で言ってるんだよ。まぐれで受かることなんかないんだ。
カウンセラーの適性がないことは、恥じることではない。私は手先が不器用なので、外科医になる適性がなかった。誰でもが外科医になれるわけではないし、誰でもがカウンセラーになれるわけではない。そういうものなのだ。
カウンセラーとして人の話が聴けなくても、ふつうの生活では困らないと思う。なにしろ、人口の半分以上が、ここで言う「人の話が聴けない人」なのだから。逆に、カウンセラーの適性があるから、日常生活で人とうまくつきあえるというものでもない。私なんか、人間関係がとても下手だと思う。病院に勤めていたころは、看護師詰所との関係も医局との関係も、あまりよくなかった。不適応すれすれだったと思う。ここで「人の話が聴ける」というのは、だから、純粋にカウンセリングの技術の話だ。
人の話を聴く(4)
2001年08月27日(月)
やっと大阪に帰ってきた。水曜日に、台風を追いかけて東京へ行き、4泊して、日曜までいた。毎晩、呑んだくれていたので、かなり疲れている。
それに、どうも後味が悪い。なにしろ、カウンセラー試験で、15人の受験者のうち8人も落としたのでね。恨まれているかもしれないな。これは今回の受験者ではないが、試験に落ちて、怒ってしまって、「もうアドラー心理学はやめた!」と言って、アドラー心理学会も退会し、私ともつきあいを断った人が2人いる。そこまで過激に反応しなかった人も、陰で私の悪口くらいは言っているかもしれない。今回の不合格者の中にも、私に怒っている人や、私を恨んでいる人がいるだろう。でも、仕方がないんだよ。おまけで通すわけにはいかないしね。
大学の臨床心理学教室も、臨床心理士認定協会も、民間のカウンセラー養成機関も、こんなにどんどん落としたりしないようだ。「アドラー心理学は、サディスティックに厳しいそうだ」という噂もあるとか。そんなことはないんだよ。ただ、客観的に試験をして、水準に達した人を認定し、水準に達しない人を認定しないだけのことだ。そうすると、残念なことに、半数ぐらいの人しか合格しない。こちらとしては百パーセント合格してもらいたいと思い、そのためにできるだけわかりやすく指導しているつもりなのだが、どうしても半分くらいの人が不合格になる。これはどうしようもないのだ。他の流派の指導者は、こんな悩みはないのだろうか。ほんとうに、そんなに高率の人が水準に達するんだろうか。
カウンセラーの品質管理をしっかりしたいので、力が不十分な人には認定書を出さない。そのかわり、うんとわかりやすい講習をする。「相手の気持ちになれ」だとか「心の中を読め」だとか、わけのわからない精神訓話はしないで、具体的な観察法と思考法と行動法を教える。だから、もともと人の話が聴ける人は、アドラー心理学のカウンセラー講習を受けると、とてもいいカウンセラーになる。問題は、もともと人の話が聴けない人がいて、その人たちに、人の話を聴く方法をどうして教えればいいのかがわからないことだ。やはり無理なのかなあ。
Q
午前中のお話ありがとうございました。小さな子どもを残したまま、まだ共同体へのお仕事が残っているような人の死というのは、どのように考えたらよいですか?
A
まあ、お気の毒ですが、死ぬときは死にますな。「何が与えられているかではなく与えられているものをどう使うかが問題だ」とアドラーが言いましたから、それならそれでそのことが子どもにとってプラスであるように、子どもが小さいときにお母さんが死んでしまうということが避けられないんだったら、そのことが子どもにとってマイナスだと決めてしまうとトラウマになるんですよ。それはいいことなんだ恵みなんだ、そこから学べるものがあるんだと思うとプラスになるんです。それはわれわれの「意味づけ」によって決まるわけじゃないですか。だから、まわりの人がその出来事をまあプラスにといっても人の死をプラスに意味づけるのはなかなか根性がいりますから、マイナスに意味づけないことね。「気の毒に」とか「かわいそうに」とか思わないことだと思う。そのことにもきっと意味があるんだろうと思い、体勢を立てていくことだと思う。(野田先生)
サルは絵を描かない(2)
2001年08月20日(月)
私の愛読書、池田清彦『構造主義科学論の冒険』(講談社学術文庫)を読み返していると、ハンソンの規約主義科学論の説明の中で、絵の認知には、あらかじめ頭の中に理論(つまり言語)をもっていることが必要だということを書いてあった(pp.42-50)。この本は、今までに何度か読んだのに、こういうことが書いてあることを忘れていた。こんなものなんだな。先生は、一所懸命いいことを教えてくださっているのだが、生徒のほうは、そのときそのときの興味と力量に応じてしか、先生のおっしゃることを理解できないのだ。
絵ではないが、ローマ字を見たり書いたりして、いつも不思議に思う。大文字のAと小文字のaとは、まったく似ていないが、同じものとして認知する。手書き文字の認知になると、もっと不思議で、傾いていたり、一部が書かれていなかったり、癖がひどかったりしても、ちゃんと認知する。なぜ認知できるかというと、あらかじめ「典型」が頭の中にあって、それと照合するからだろう。
絵も同様で、あらかじめ、頭の中に「典型」があって、それと照合して、はじめて意味を持つのだ。だから、猫の絵を人間が見るときには、人間の頭の中に、あらかじめ猫の「典型」があって、それと照合して、子どもが描いたまずい猫の絵でも、ちゃんと猫だと思う。しかるにサルやネコの頭の中には、そういう「典型」がないんだろうな。
このような「典型」を、池田先生は「理論」ないし「言語」と呼ばれるが、ちょっと飛躍しすぎているような気もする。せいぜい「イメージ」とか「見取り図」とかいう程度のものではないのかな。
台風
2001年08月21日(火)
台風11号が大阪に近づいていて、とても嬉しい。嬉しいと言ってはいけないね。被害を受ける人もいるのだから。だから、小さな声で言うが、嬉しい。
パートナーさんも台風が好きだ。彼女は台風を見物するのが好きなのだが、私はそれだけではない。見物も好きなのだが、台風の直後に山に登ると、空がすばらしく美しい。だから、休暇が取れるのなら山へ行く。残念ながら、明日・明後日は仕事が入っているので登山はできない。でも、イメージするだけで楽しい。
山だけでなく、沢も美しくなる。今年は渇水気味だったのだが、これで水量は十分になるだろう。9月には何度か沢登りを計画しているのだが、水がないのではないかと心配していたのだ。
もっとも、土石流で埋まってしまう可能性もないではない。全国の沢が、とても微妙なバランスの上で、なんとかかんとか現状を保っているのではないかと思う。そのバランスがほんの少しでも崩れると、神童子谷のように(07/12)死んでしまうのだ。困った世の中だ。
サルは絵を描かない(3)
2001年08月22日(水)
絵画療法の研究をしている友人から、ガードナー(Howard Gardner)『子どもの描画』(誠信書房)という本に次のように書いてあると教えてもらった。
チンパンジーの<自己認識>に関する同様の研究の追跡調査として、ルイスは乳児の顔に赤い口紅をこっそりつけて、それから彼らが鏡のなかの自分の像を調べる機会を与えた。像をただ見つめるだけの子、鏡を触るだけの子に自己概念があるとは信用できなかった。口紅を見て、手を自分の顔にやった子は、おそらく鏡映像が自分のものだと理解しているだろう。一歳児が自己概念を示すことはめったにないが、二歳児はほとんど確実にできた。(pp.67-68)
著者が言いたいのは、ある年齢になると乳児は、鏡の中の自分を見て自分だと認識するが、チンパンジーはしない、ということなんだろう。ラカンが「鏡像段階」という概念でこれを説明しているが、ガードナーはラカンを知っているんだろうか(それにしてもひどい訳文だ)。
私が言っているのは、このことと関係があるのかないのかわからない。「鏡に映った自分の像を自分だと認識する」ということと、「線で粗雑に描かれた猫を猫だと認識する」こととの間には、だいぶ隔たりがありそうに思う。私はむしろ、線画のような抽象的なものを具体的な現実の存在と関係づけることについて、この話をはじめたのであって、鏡に映る像とか写真とかのように、写実性の高いものは、性質が違うんじゃないかなという気がしている。どう違うかは、だいぶ理屈をこねないと説明できないように思うが、さしあたっては、直感的に違うと思う、ということでおいておこう。
また、その友人は、『造形教育事典』(建帛社)から、次のような一節を教えてくれた。
幼児が自分の描いたなぐりがきの形に暗示を得て「ブーブー」とか「キントト」などと名付ける時期である。したがって「命名期」とか「意味づけ期」と呼ばれる。
これは、初め運動にばかり感じていた興味に視覚的なものが加わり、併せて言葉の発達とともに、描かれたものを意味化する傾向が表れたものである。描くことが手の運動から想像的なものへと発達したことを意味している。この時期からチンパンジーなどの絵描き行動をはるかに超えることとなる。(林健造)
言語が先に出て、それから写生画が描けるようになるという話だ。どうも気に入らないな。言語の発生、あるいは描かれた絵に名前を付ける、ということと、世界を絵として写す、あるいは絵から世界を想う、ということとを、こんなに短絡的に結びつけていいのだろうか。「先に抽象的な線画が現実の対象への記号になっていて、それから言語がその両方に対して付けられる」というような理屈だってこねることができそうに思う。
西洋人は、「自己」と「言語」を、人間精神を説明するときの自明の前提として話をする癖があるので、どうもピンとこない。さらに、その二つが人間と動物の違いだと、最初に決めてから考えはじめる。そういうことをはじめに決めてから、観察なり実験なりをすれば、当然、それを支持するデータばかり集まるだろう。
ともあれ、サルが絵を描かないということは、文献によって裏づけられたので、よかったことにしよう。
サルは絵を描かない(4)
2001年08月23日(木)
パートナーさんは、ある日突然、部屋の模様がえをする習性があって、私が帰宅すると、居間の様子がすっかり変わっていたりする。もっとも、新しい家具が入ったりするわけではなくて、以前からあった家具の配置が変わるだけだ。たとえば、テーブルのあった位置に食器棚が来ていたり、テレビのあった位置に本棚が来ていたりする。私は、もとテーブルのあったところに食器棚があっても、それをテーブルだと思ったりしないで、食器棚だとわかるし、前とは違うところにテーブルがあったとしても、それをテーブルだとわかる。
なにをクダらないことを書いているのかと思われるかもしれないが、これは重要なことなのだ。テーブルがどこにあろうが、それをあのテーブルだと認識できるのは、私の中にあのテーブルの思い出があるからだ。しかも、その思い出は、現実のテーブルの「像」ではない。現実に見える「像」は、ある角度から見た絵なのだが、私は、上から見ても横から見ても、ひょっとしたら一部だけを見ても、テーブルクロスがかかっていても、ちゃんと「あの」テーブルだとわかるのだから、感覚されている「像」とは別に、典型としての「図」があるに違いない。だからこそ、前に見た角度と違う角度からそのテーブルを見ても、同じテーブルだとわかるのだ。
たえず変化する現象の「像」を、変化しない「図」にあてはめる。この「図」のことを、構造主義者たちは「シニフィエ」というのだが、ふつうこれには、音声や文字による「シニフィアン」、たとえば「テーブル」という音声や文字、が対応すると考えられている。しかし、今は、音声や文字ではなくて、「絵」がシニフィアンの役割を果たすと考えている。(「像」と「図」と「絵」とを使い分けているので、注意)。
こういうことを考えるのは、サルが手話や絵文字を理解するのに、絵を描かないことを不思議に思うからだ。サルが人間と対話できるということは、サルにもシニフィエを作る力があるということになる。ということは、サルにも「図」があるんじゃないかということになる。じゃあ、どうしてサルは、手話や文字しかシニフィアンとして使用しないのだろうか。音声を使用しないのは発声器官の構造のためだと言われている。それは理解できる。では、絵を使用しないのはなぜか。手で書かないのは運動神経の未発達かもしれないが、こちらで描いた絵を実物と対応づける力がないみたいだから、「絵」と「図」との間に対応関係がないみたいだ。
そういうことを考えていると、昨日引用していた人々が、ヒトの乳幼児の発達で、言語が先にあって、それから絵と実物とを対応づけるという言い方は、やや乱暴であることがわかる。「図」と「言語」の対応と、「図」と「絵」の対応は、別のことのようだ。