Q
野田先生はいろいろな国の言葉を話されるのですが(野田:あんまりそんなことに興味を持たんほうがよろしい)、外国語を学ぼうと思ったきっかけは何ですか?また、さまざまな国の言葉は野田先生の心にどんな影響を与えているんでしょうか?
A
後半は答えやすい。きっちりとものを考えるとき、ほとんど外国語で考えているんです。英語かな、フランス語かな。というのは、そのほうがずっとものを考えやすいから。日本語はものを考えるために作られた言語ではないと思う。例えば単語1つにしても、「自立」だとか「平等」だとかを考えるときに、あれは英語やドイツ語からの翻訳語で、もとの意味が失われて日本語が独り歩きしている。だから、すごく間違った議論がいっぱいあって、わけがわからなくなっている。もとの単語に遡るとよくわかる。それだったら、初めからその言語で考えたほうが便利じゃないかと思うので、日本語であまり理屈っぽいことは考えないことにしている。そのほうが間違わない。
そもそも外国語を学ぼうと思ったのは、英語が嫌いだったからです。今でも英語は嫌いです。中学でも嫌いだった。かといって英語嫌いで押し通すわけにはいかない。他の言葉だったら好きかな。
中学校で英語を最初に教えるのは、外国語教育法としてはまずいと思う。あんな不合理な言語を。中学1年生には、インドネシア語を教えるといい。これはすごくやさしい。過去も現在も未来もない。単数も複数もない。主格も目的格もない。ただ単語を並べりゃいい。発音しやすい。ローマ字で書いてあるから誰でも書いたとおり読めばいい。使用人口も1億人以上いる。インドネシア共和国とマレーシアとで通じる。その周囲にもインドネシア人がいるから便利です。子どもたちに1年も教えれば、インドネシアの新聞を読んだり放送を聞いたりできる。それから英語を教えるといい。英語とインドネシア語とは似ている。言葉の順番とか構文とか。だからすぐ英語が覚えられる。アジアに対する差別的な態度もなくなるしね。
Q
精神病質の人たちは物事にこだわらないタイプの人だと本で読みました。すると禅のお坊さんたちもこだわりを捨てる悟りを開く修行をしていますが、お坊さんたちは精神病質の人たちの行動とは違うのでしょうか?
A
こんなん私に聞いてもわからん。精神病質という言葉は、今は使わなくなったんです。精神医学の考え方が変わって。精神病質というのは精神科医が使う差別用語だったので、「あの人はイヤな患者だ」とか「あれは絶対治らんぞ」というのを精神病質という名前で呼んでいたから、使わなくなったので、かつてどんな意味で使っていたかよくわからないんです。精神病というのは病気で、治療したら治るけど、精神病質は性格で治らないんだというくらいのニュアンスで使っていたんですが、今は使わないからあんまり意味ないし、悪い意味でこだわりを持たない人で(自分が)、変なことにこだわるから、世間の人がこだわっていることにこだわらない人だと思うんです。僕、禅のお坊さんは嫌いなんです。個人的に何人か禅坊主を知っているけど、あんなになるんだったら悟りなんか開きたくないと思うような人だから、ちょっとコメントしがたいんです。ごめんね。コメントなし。
Q
現在、会社のある部門の責任者をしています。部下は10人です。この部門は会社内では軽く見られています。何かあるとこの部門のせいです。(はー、ショムニだな)。仕事がうまくいかないと攻撃の的にされています。このことに部下はやる気をなくし、余計に悪循環に陥っています。私は何とか部下を引っぱっていき勇気づけたいのです。良きアドバイスをお願いします。
A
抽象的でよくわかんないけど、何か軽く見られる要因があるんでしょうか。あんまり的確な判断ができない、イメージが読めなくて。僕はD形だからよくわからない。重く見られようという気がないんです、本人に。人からどう評価されるかというのは、大して別にどういうこともなくて、そんなんより自分に納得のいく仕事ができたらいいと思っているので、具合が悪い。社会不適応を起こす原因なんです。勲三等なんか目ざして頑張るとね、もうちょっと世の中の受けが良くなるとかも、全然いらないし、大阪文化賞もいらんし、何もいらんから、外からの評価が欲しくないので、てなこと言ってたら変人ですね。ですからこの質問者の意図と違って、軽く見られたらかえって楽じゃないか。重視されて頼りにされたらしんどいじゃないか。楽だから自分たちの納得のいく仕事がやりやすいなんて考えますが、ごめんなさい。あまり答えにならなくて。
Q
夫さんはCタイプだと思いますが、私が外出するのをとてもイヤがります。一緒に行こうと誘ってもイヤなようです。どうしたらいいでしょうか?外出するために。
A
もう感謝し感激し「あなたのおかげでこうやって外へ出してもらって、あなたと結婚してほんとに良かった」と言う。彼がボスで、「私が幸せなのはボスのおかげ」って言われたいんですよ、きっと。「あなたのおかげで今日までやってこられてほんとにありがとうね。こうやって外へ出してくれて」って忘れず言ってください、今日帰ったら。
Q
親の責任について教えてください。
A
責任というのは「仕事」という意味なんですよ。「親の仕事について教えてください」と聞いているんです。親の仕事はごく簡単。子どもの食事を作ったり、身の回りの世話をしたり、子どもの相談に乗ったりすること。責任という言葉も尊敬と一緒で、日本語では変な意味で使われますから、いつも出てきたら「仕事」と言い直したほうがわかりやすいと思う。親の仕事ってどんなものか知りたかったらまあ「PASSAGE」に出てください。そんなにたくさんの仕事はない。どうしてかというと、子どもは基本的には育つ力を持っているわけです。人間の子どもは大きな脳みそをしていましてね、僕の友だちで障害児治療をやっている先生が言っていたんですけど、昔、心理学の実験室にいて、ネズミの条件づけ、ネズミに学習させる実験をしていました。なかなか賢くていろんなことをするようになるんです。ある日、障害児の施設を見に行きました。そしたら無茶苦茶なんで、「おかしいなあ。障害児でもネズミよりも脳はでかいぞ」と、「ネズミが学ぶのにあの子らが学ばないはずはない」と、次の日から障害児教育に転向しました。実験心理をやめて。そして彼のところへは重度障害の人がいっぱい行くけど、「ネズミでも学ぶんだから」という彼の信念が良い成績を上げてくれています。子どもは育つ力があるんだと最初に思っておかないと、私が引っぱってあげないと動かないと思うと、何か重苦しいじゃない、親としては。育つ力があるのを、ちょっと方向を変えてあげないと、ちょうど羊の群れをシェパードさんがあっちへ向けたりこっちへ向けたりするように、少し方向修正はしてあげないといけないだろうと。それが親の仕事だと思うんです。だからまず子どもに自由にいろんなことをしてもらってて、それをこちらから見てて「これは将来自立するほうにつながるな」と思うことには言葉をかけ、「つながらないな」と思うことにはそーっとしておくと、向こうに気づかれないままにこちらの思う方向に操作していけるではありませんか。ひどいことを言ってるなー。初め手がかかるけどね、人間の子どもはね。ゼロ歳から2歳くらいまでの生活能力が極めて低いから手がかかりますが、お母さんたちはあの乗りでずっと中学生・高校生まで行こうとするから、子どもに背かれるんですよ。最初だけなんです、あんなに手がかかるのは。3歳を越えるとだんだん手がかからなくなって、小学校に入ると相当手がかからなくなって、何だったら中学に入ったら放し飼いにしてもいいんだけど、そうもいかないから、一応高校へ入ったら放し飼いの線で行くほうがいいんじゃないかな。