MENU
64,867

物事を達成するために最も効果的な方法は?

Q 
 物事に取り組むときに、それを達成するために最も効果的な方法というのがあれば教えてください。

A
 僕はスポーツはあまり得意じゃないんだけど、あるスポーツのコーチをやったことがあるんです。それで、僕がまず何をやったかというと、あるものを上手にさせるのに、一番早く、しかも努力少なく身につけさせるにはどうすればいいかということなんです。
 いくつも方法はあるんですけど、普通スポーツのコーチがやるのは根性主義ですね。「繰り返し繰り返し練習すれば、必ずできるようになるはずだ」と言うのね。でも、ならないものもあるよ、そりゃ。
 僕は無努力主義です。まず、「努力なしでも達成できるはずだ」と思う。そうするといろんなことを考えることができる。「これは努力しないと達成できないぞ」と思うと、もう答えは見つからない。人間というものは基本的にもともと努力家なんです。基本的に努力家なんだけど、それ以上に努力を強いるから逆効果になってしまうんですよ。そして、人間というのは基本的にサボリでもあるんです。サボリでもあるから努力家でもあるのね。ここでうんと頑張っておくと、あとでゆっくりとさぼれるなぁと思うでしょう。一生ずっと頑張り続けるぞなんて思ったら、もうやる気がしないですよ。
 千葉周作という幕末の剣豪がいました。千葉周作さんのところが、江戸の道場の中でも一番流行っていたし、強い人もいっぱい出たんです。どうしてかというと、彼は“努力しない主義者”なんです。それまでの剣術というのは、要するに棒を振っているうちに、いつか必ず開眼するという主義ですわ。だから、滅多やたら修業修業、稽古稽古なんです。
 千葉さんのやり方はそれと違う。剣のやり方を全部バラバラにして、向こうがこうやって来たときにはこっちはこうすればいいとか、あっちがこう前に出たらこっちはこう後ろへ下がるなどと、全部型を作っちゃった。ある意味で剣術を学問的にしたんです。だから、その型を1つずつ身につけていけば、必ず勝てるようになるんです。ただ、やみくもに努力して繰り返すんじゃなくて、最も効率の良い努力のやり方を考えたんです。ある訓練をするには、はっきりとした理論があり、裏付けがあり、方向がないと無意味です。または無意味でないかもしれないけれど、猛烈に効率が悪い。
 武田健先生という心理学の先生が、関学(関西学院大学)で昔、アメリカンフットボールが強かった時代に監督をしてたんです。彼はアメリカンフットボールなんて生まれてから一度もやったことがなかった。彼がアメリカから帰ってきて、このスポーツを実験台にして、どういうことをやればチームが強くなるかという『コーチの心理学』の実験をしようとしたんです。
 当時、関学のアメフトチームは全然強くなかった。彼がやったことはただ1つです。それは、選手がいいプレーをしたら、「今のプレーは良かった」と必ず言おうということ。それ以外は何もなし。ずっとただ見てて、「おお、そのプレーは良かった」。それだけなんです。だけど、それだけ言っていると、選手はどんどん思い上がる。メチャメチャ思い上がった結果、試合に出たら全然アガらない。選手は自分たちのプレーは全部いいと思っているから。わずか彼が監督に就任してから2年で日本一になりました。2年というのは、大きな試合を2回しか経験してないんですよ。
 僕たち人間は、潜在的にものすごく大きい能力を持っています。ただ、それが発揮できないのは、“間違った努力”をするからです。あるいは、勉強するのでも、自分を勇気づけるのとは反対の努力をしているから。不得意なところばかりに注目して、「まだあれができていない、まだこれができない」ということばかり気にしているから。得意なほうを見て、「あぁこれはもうできた、これもできた、これもまたできるようになっていってる」と思えば、いつもいつも前に進んでいくんです。
 中学生になっても、分数の計算ができない子どもたちというのがたくさんいます。ある子どもが高校に行けるか行けないかを判断する最も簡単な方法は 1/2+1/3=? という計算をやらせる。それがすぐできる子は、何とか高校へは入れる。2と3を足して5。1と1を足して2だから2/5だと答える子は、相当テコ入れしてあげないと高校には入れない。では、その計算ができないこというのは駄目な子かというと、そうではなくて、例えば「2足す3」はできるわけだし、「1足す1」はできるわけです。それができるというほうに僕たちが注目すれば、この子たちを勇気づけることができるんだし、さらに次のことも学んでもらうことができる。でも、「君は 1/2+1/3 もできないのか。これもできない、あれもできない、全部できないじゃないか」と言うと、この子たちはすっかり勇気がくじかれてしまいます。
 とにかく、われわれが新しいことができたり、困難を克服できるための絶対の条件は、思い上がっているということです。「私はできる」と思い込んでいること。思い込んだときに、「なぜならば」というのはあとから大急ぎでついてくることことなんです。「僕はきっとできる。なぜならば、えっと、何だったっけ。あぁそうだ」という具合にね。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

手に唾をつけて顔をこする子

Q 
 唾を手につけて顔をこする癖がある子がいるんですが、どのように指導したらいいでしょうか。

A
 いいじゃないですか、趣味なんだから。これだって共同体にとって破壊的な行動じゃないと思う。なんでこんなことをするかというと、これをするとかまってもらえるから。注目を呼ぶための手段だからです。チックとか爪噛みとかは、みんなそうです。それをすると誰かが「やめろ」と言ってくれる。もしも、それをやめたらその子は何も声をかけてもらえなくなるんですよ、きっと。だから、こんな不適切な行動ではなくて、適切な行動に対してたくさん注目してあげてください。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

行動するときの判断基準は?

 今日はこちらからどうぞ↓

http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-5-26.html

引用して返信編集・削除(未編集)

反省するのは?

Q
 反省することは良くないことですか?

A
 反省するのはいいんですけどね、感情的に反省してもしょうがないですね。(極端な例えですが)戦争してね、敵が強くて味方が負けているときに、将軍が反省してオロオロ泣いたとしたら負けるでしょう。ここで将軍はどう反省するかというと、敗因だとか、劣勢を盛り返すための戦術だとか、そういうところを考えないといけないですね。
 数学の成績が下がったら、なぜ下がってしまったかとか、勉強の仕方のどこに問題があったのかとか、どの部分がわかってなかったのかとか、どうすればそれは理解できるだろうかとかという部分を、冷静に反省しないといけないわけです。「ああ、努力が足りなかった。ガックリ」というのは良くない。「無駄な努力をした」というのが正しい。自分をすぐ卑下するのは駄目ね。日本人はもっと効率というのを学ぶといい。「最小努力・最大収益」です。日本人の古典的発想からすればそれは美徳ではないかもしれないけれど、そのほうが楽に生きられます。私は美徳でなくてもいいからできれば楽に生きたい。
 だんだんと世の中もそうなってきつつはありますね。ゆっくりとだけど。努力していればそれでいいというのでなくて、やっぱりきちんと科学的に考えて、効果的な努力をしないといけないと、企業なんかは考えていますね。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

中1娘の友人が気になる

Q 
 中学1年の娘のことです。同級生の友だちが来ると2階の自室にこもって楽しくやっています。お昼ご飯もおやつも自分で2階に運びます。私は、初めて来た友だちを観察する暇が…。
A
 観察せんでよろしい。
Q
 観察する暇がありません。友だちがどんな子か知りたいと思うのですが…
A
 知りたいと思わんでよろしい。
Q
 …あまり干渉しないほうがいいでしょうか。
A
 干渉しないほうがいいです。子どもは、自分に一番必要な友だちを選ぶ能力があると信じてください。あるいは、そうでないかもしれないけれども、体験の中から「この友だちとはあまりうまくつきあえないから他の友だちを探そう」と、自分で決めるだろうと思います。
 子どもの友だちと友だちになろうとしないでください。子どもの友だちと友だちになってもいいのは、向こうから言い出したときだけです。例えば、娘さんが年ごろになって、「ボーイフレンドに会ってほしい」と言ったら、「イヤだ」と言わずに会ってあげてください。ちょっと悔しいかもしれませんがね。あるいは、友だちのほうから、「ちょっとおばさん、相談があるんだけど」って言ってきたら、ぜひ会ってあげてください。いつも、向こうから僕らのほうへ働きかけがあったときに動いてほしい。こっちから積極的に動かないこと。思春期の子どもを抱えた親は、すぐスパイ行為をやりたくなるんです。友だちを垣間見たいし、できたら手紙を開封したい。頭のほうから開けるとバレるから、尻のほうからナイフで切って、あとで糊で貼ったりするんですよね。子どもの机の中を見て日記を見るとかね、そんなことを絶対にしてはいけない。それが、子どもを信頼してないということなんです。子どもを一人前の人間として扱わないということです。私が監視しておいてあげないとあの子は必ず悪くなる、と信じているんですね。親が信じているのは何かというと、あの子は必ず悪くなるということね。そのパワーが子どもに伝わって、子どもは必ず悪くなる。私なんかがいなくたって子どもはちゃんと生きていくと信じていると、子どもは実際にそうなるんです。
 このお母さんは、「私が友だちを監視してあげていないと、あの子はきっと悪い友だちとつきあう」と思ってるので、きっと悪い友だちとつきあっていくでしょう。それをやめてください。知らなくていいです。ですから、おやつや昼ご飯を持って行くのを口実に、覗きに行くというような汚い手は使わないようにしてください。特に、もう少ししますと、今度は男の子が来ます。そのときも、向こうから言ってくるまで覗きに行かないほうがいいです。
 どうしても心配だったら、友だちがそこにいないときに、「あの子はどんな子なの?」って聞くくらいはできます。それでも、「放っておいて」と言われたら放っておいてあげます。聞いてみるのはいいんだけど、それは言葉とかではなくて、いい友だちなのか悪い友だちなのかこっちが判断しようとか、もし悪い友だちだったらつきあいをやめさせようとか、こちらの敷いた路線(下心)に子どもを乗せようとしているのだったら、きっと失敗するんです。ただ、野次馬根性で週刊誌を見るようなつもりで覗いて見たいというのだったら、子どもは許してくれるかもしれない。指導しなかったらいい。ただ知るだけだったらいい。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)
合計665件 (投稿659, 返信6)

ロケットBBS

Page Top