MENU
83,985

課題の分離ができない

Q 
 “課題の分離”と頭ではわかっていても、なかなか実行に移せません。親の健康状態の不安、子どもへの不信感、仕事の行き詰まりと荷が重く(野田:暗い生活だな)、毎日気が晴れません。登校拒否でも幸せに暮らせる方法があると話されましたが、その切り換えができません。
 子どもが学校へ行くか行かないかは「子どもの課題」だから、子どもに任せましょうと、“課題の分離”のことを聞きましたが、そうかなと頭ではわかっていても、なかなか実行に移せません。親の健康状態への不安や子どもへの不信感からも抜けられなくて、仕事も行き詰まり気味で荷が重く、毎日気が晴れません。子どもが登校拒否でも親は幸せに暮らせるそうですが、その切り換えができません。

A
 「できません」と言わないでよ、お願いだから。「したくありません」と言ってよ。自分でそう言うんです。「私にはできない」と言うんじゃなくて、「私はしたくない」と言うんです。そうすると“主体的”です。自分が全部決めているから。
 「感情」というのも、自然に発生してくるものではありません。感情は他ならぬこの私が作っているんです。多くの場合は、「縦関係」の中で相手を支配する道具に使っています。マイナスの感情がなくなるにはどうすればいいかというと、「縦関係」をやめて「横関係」になるとなくなります。
 『スマイル』(「パセージ」の前身)を受けられた方は、スマイルの「親子関係質問紙」というのをご存じでしょう。スマイルを作ってから5~6年したころに、自分は最近どうかなと思って、あれをやってみました。よく「うちの子どもが言うことを聞かないで困る」とか、「勉強しないで困る」とか書いてあるけど、「うちの子どもは言うことを聞かないけど、僕は困らない」、「うちの子どもは勉強しないけど、僕は困らない」と書きました。前のほうはアドラー心理学を始める前とほとんど変わらない。言うことは聞かないし、勉強はしないし、だらしないし、片づけもしないんですけど、親はちっとも困らない。そこだけ変わりました。それはなぜかというと、「横関係」になったからです。前は「縦関係」だったから、子どもを自分の理想の子どもに作り変えるという計画が、私の中で密かに、あるいはあからさまに進んでいたんです。その時期には、「私の理想と違う!」と、いつもムカムカしていたんです。理想から引き算をして、「ここがまずい」「この点が理想じゃない」と思っていた。でもあるとき、私は考えました。「理想の子どもってどんなんだろう?」。まず、学校から帰ったら、言われなくても当然宿題をする。宿題が終わったらすぐに台所に飛んできて、「お母さん、お手伝いしましょうか?」と言う。私がボーっと座っていたら、「お父さん、肩をもみましょうか」と言う。お風呂も自分で入れて自分で入る。布団もちゃんとたたむ。自分の洗濯物が乾いたらさっさと持っていってタンスに片づける。成績はどんどん上がっていく。友だちはいい友だちばっかりで悪い友だちとはつきあわない。テレビも良くない番組になると、パッと消す。新聞は、政治面とか国際面しか見ない。漫画なんか読んだことがない……。そんなの病気ですよ、もしほんとにいたとしたら。そういう子どもが「理想の子どもだ」とみんな思っていませんか?そこから引き算して、「うちの子どもはあれが足りない、これが足りない」と言うんです。そうすると、「感情」が起こります。これが「縦関係」の場合です。
 そうではなくて、今、目の前にいるこの子しかいないわけで、この子とどうつきあっていくかが問題なんです。その子の伸びたい方向に伸ばしたい。その子が例えば、「漫画家になりたい」と言ったら、「まあいっぺん、漫画家になってごらん」と思うし、その子が「エンジニアになる」と言ったら、「エンジニアになってごらん」と思う。「しばらくプー太郎する」と言えば、「まあそうしてごらん」と思う。それはそれで引き受けておいて、その上で、どんなふうに良い関係を築くかを工夫し始めるんです。
 それは、完全にではなくても「横関係」でないと、なかなか動かないんです。けれども、「そうしたくない。まだまだ縦関係でいたい」と言うのなら、OKです。私の人生ではないから。その人が、「やっぱりアドラーをやろう。もう今までの育児法とか今までの家族生活の方法は愛想が尽きた、やめよう」という実が熟すまでは、アドラー心理学の新しい芽は接ぎ木できないから、もう少し熟させましょう。精も根も尽き果てて、古いやり方にうんざりしたら、きっとまたこれをやりたくなります。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

落ち込まない方法は?

Q 
 私は「楽観的」な人間だと思っていましたが、「楽天的」だったみたいです。私は感情の起伏が激しく、よくハイになったり落ち込んだりするのですが、別に今までライフタスクを意識していたわけではありませんが、落ち込んでいる自分は、自分であまり好きな状態ではありません。今まで、誰かと話をしたり、素敵なものに出会ったりして、その状態を抜け出しているのですが、他に何か早く抜け出せる方法とか、落ち込まない方法があれば教えてください。

A
 なぜわれわれは落ち込むかというと、1つは無意識からの警告なんです。感情が暗いほうへ向いているのは何かというと、1つは人生の設計を間違えているからです。今行っちゃいけない方向へ進み始めているから。だから何を間違えているのか、ちょっと点検してみないといけません。絶対に不可能なことを実現しようとしていたりすると、だんだん疲れて落ち込みます。
 例えば、「すべての人から好かれよう」とか、「誰よりも偉い人になろう」とかしていると、まぁしばらくはいいんですけど、そのうち息切れして、「誰かに嫌われたら…」と思うと落ち込むんです。なんでこんなに落ち込んでいるのか原因を探すと、原因は見つからなくて、“きっかけ”が見つかります。「あの人に嫌われたから」とか、「仕事をやりすぎたから」とかいうのが見つかるけど、それは原因じゃなくてきっかけです。
 落ち込む原因は人生の方向性の誤りです。しなくていい仕事を片っ端から抱え込んだとか、好かれなくてもいい人にまで好かれようとしたとか、しなくていいお節介をいっぱいして回ったとか、そういう「自分の人生の方向性の誤りがあるんだよ」という警告です。
 ですから、せっかく落ち込んだのだから、まず一度“方向性”の点検をします。「何か間違っているのかな?」って。今と違う生き方を少し考えてみるんです。そうすると人生の方向が開けることがあります。みんな、感情が行動の原因だ、落ち込んでいるから動けないと思っているんですが、感情よりまだもっと前に原因があるんですね。それは何かというと、1つは「人生の向き」が間違っているから変な感情が出てくるんです。もう1つは人生の向きと関係していますが、「考え方」の間違い。しちゃいけないことをしようとしているとか、しなきゃいけないことをしないでおこうと、何か変な理屈をこねているとか。そんな理屈をこねている結果、頭の中に変な呪文ができているんです。「私って駄目だ!私って駄目だ!…」とか、「あの人が悪い!あの人が悪い!…」とか、「悪いあの人、かわいそうな私。悪いあの人、かわいそうな私……」とか、「人生って暗くて思いどおりにならない」とかというのを、まるでお経みたいに頭の中で唱えているんです。
 そんなことしていないと思うかもしれませんが、朝起きた瞬間はそれがよくわかります。朝お布団の中で、ムニャムニャって目が覚めてくるでしょう。そのときに自分は何をしているのか考えてみて、ちょっと頭の中を点検するんです。そしたら、「あ~ぁ、何てイヤなんだろう!今日も1日が始まるなー。仕事に行っても、同僚は馬鹿ばかりだし、上司は無理解だし、お得意先は偉そうにしているし、給料は安いし、また交通事故に遭うんじゃないか……」なんてことを思うと、憂鬱になります。これは良くない。そういう言葉が、実は朝ばかりじゃなくて、1日中ずっと無意識の中で動いているみたい。それを探し出すこと。特に朝方はわかりやすいから、朝方に探してほしい。
 すると、相当間違っていることがわかります。だって、仕事に行くのはイヤなことかいいことかというと、価値相対主義ですから、イヤでもあるし良くもある。イヤな面もあるしいい面もある。物事には良い面と悪い面と両面あって、その良い面と悪い面のうち、われわれは勝手に悪い面を選んだりしている。無意識的に。でも良い面だって、もしも選ぼうと思えば選べるわけで、良い面を選ぶほうが問題解決につながりそうならそれを選ぶ。別に良い面のほうが本当だから選ぶわけではなくて、どっちも嘘なんです。けれど、良い面を選んだほうが今動き出せそうなら、良い面を選んで動き出せばいいじゃないですか。
 そうやって、ブツブツブツブツ唱えている呪文みたいな考え方、勝手に考える「自動思考」(浩→行動療法の用語)、それを引っ張り出すこと。それが2番目の方法です。
 それから第3番目の方法は、もしもこれができればですけど、意欲とか気分とかいうのは、「気分が良くなったら仕事をしよう」とか、「気分が良くなったら運動しよう」とか、みんな思うけど、あれって因果性が逆さまなんです。仕事しているとだんだん気分が良くなるんです。運動しているとだんだんやる気が出てくるんです。だからどうしても動かなきゃならないときは、“イヤな気分のままで”動き出す訓練をします。
 雑誌の原稿ですと、だいたい2か月後が締め切りです。でもときどき「急ぎ」で、2週間とかいうのがあります。雑誌社のほうで頼りにしていた著者が1人断ってきて、「先生、何とか15枚ぐらい書いてくれませんか」「締切はいつ?」「再来週」。真っ青になります。そんなの、気が向かないことおびただしい。「2週間でそんなの書けるかしら。原稿は多いし、イヤだなあ」なんてことを思っている間に、とにかく書き始めるんです。
 最初2時間くらいは無意識が抵抗しています。「こんなことしていないで、あんなことしよう。あれしよう、面白いことしよう」とブウブウ言うんですけど、「お黙り!」と言ってやっていると、2時間目くらいから、カーッと燃えます。
 けれど、誰でもそうなんですが、あんまりこの手を使うと、ストレスが溜まります。そのうち十二指腸潰瘍になったりするから、いつも使う手ではないけれど、どうしてもというときは使えないことはない。動き出せば、気分は動くために良くなってきます。
 だいたいそんな克服法というか、抜け出すための方法を知っていると便利です。実はこれについて書いた本が何冊かあります。そのうちの1冊、『嫌な気分よさようなら』(誠信書房)は、私(野田俊作)の友だちが翻訳した本ですが、面白い本で、イヤな気分よさようならのための、ありとあらゆる細かい小ワザ・テクニックがいっぱい書いてあります。まあそんな本もありますので、もし興味があったら本屋さんで探してみられたらどうでしょうか。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

自分がどうなりたいかわからない

Q 
 前向きに生きたいのでまずプラスに考えて、それからどうなりたいのか具体的なイメージを持つことと、迷ったらいつもそこに帰るということで、人生の課題とつきあってきました。しかし最近、自分はどうなりたいのかわからなくなりました。こんなときはどうすればいいのでしょうか?

A
 あのー、私はずーっとどうなりたいかわからないんです。昔、3つの願いがあったんですが、ある時点でわからなくなりました。1つは外国へ行って暮らしてみたかった。一生じゃなくてもいいから。1つは自分で本を書いてみたかった。それからもう1つは、ずっと同じオフィスに座っているのはイヤで、旅をしながら仕事をしたかった。これは35歳までに全部実現しました。おかげさまで、そこから人生の目標を見失いました。
 それは私にとってはすごく快適なことなんです。明日この命が終わってもいいから。この世で基本的に最低限やらなきゃならないことはやってしまったように思うので、あとはオマケというか付録というか「プラスα」でやっていることだから、すごくラッキーなんです。そうすると、大きな目標はもう考えなくていいので、さしあたって、当面やりたいこと、当面やりたいことをこなしていたら、それで幸せに生きられるんじゃないかと思っています。
 私にとってはどちらかというと、人生の目標・イメージを失ったことは、とても自分の生活をリラックスさせてくれて、良かったと思います。人生は基本的に無意味ですから(浩→ニーチェの影響)、がっかりしないでください。あまりカリカリと意味を求めて走り回らなくても、生きていけますから。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

自分を勇気づける

Q
 「自分を勇気づける」とか「受け入れる」というのは、どういうことですか?また、どのようにしたらいいのですか?

A
 逆に、われわれが一番受け入れられないことは何かというと、年を取ることではないでしょうか。そう思いませんか?女性は顔にシミなんかできるとパニックで、30万円出してエステに行ったりします。なんで年を取るのがそんなにイヤなのか。私(野田)は自分で克服しました。考えてみると、むしろ年を取るのはすごくいいことだと、いろんな点で年を取ることの長所というか、プラスの面を見つけることができました。
 まず、確実に賢くなっています。そりゃそうです。それだけ長いこと生きていますから。20年とか30年しか生きていない人に比べたら、50年以上も生きているから、知恵が積み重なってきています。一方で物忘れも激しくなっていますが……。アドラーによれば、「覚えているのは必要なことで、忘れるのはいらないことだ」と言うから、「きっと忘れたことはいらないことばっかりなんだ」と思います。それから、最近性欲が下火になって、世の中が大変美しく見えるようになりました。これっていいですね。10代の後半なんか困りました。もともと元気な人だから、そのころはものすごい元気でね、アパートでひとり暮らしをしていましたが、駅からアパートまで20分くらいの距離を、夜、大学から帰るのに、前を若い女性が歩いていると、襲いそうで困りました。なるべく見ないようにして歩かないといけないくらい元気だったんですけど、このごろそんなこともしなくなって、女の人たちと平静にお友だちとしてたくさんつきあえるようになったし、色香に迷わなくなって実に良かったです。こんな美人ばっかりたくさん集まると、昔はクラクラっとしたんですが、今はしないです。もっとも、お客も僕と一緒に年を取ってきているから。
 それから、年を取るのがイヤだというのは、社会の流れの中で、社会に任せて生きるからイヤなんでしょう。例えば定年になるとか、世間のみんながしていることができなくなるという発想をみんながするんです。私なんか、年間だいたい80日から100日くらい出張していますが、最近ときどきちょっとつらくなりました。新幹線で博多とか東京とかへ行っていると、腰が痛かったりしてね、イヤだなと思うことがあるので、来年からはちょっと出張回数を減らそうと思っています。その代わり、大阪にいる時間は増えるから、大阪でできることは増えます。例えば、過去10年くらい、「登校拒否について書いてくれ」だの「劣等感について書いてくれ」だのという心理学関係雑誌の原稿依頼をずっと断ってきましたが、今年から引き受けることにしました。
 私は“7年周期”という変なものを信奉していて、「7年目ごとに人生は変わる」と強く信じています。嘘だとは思うんですけど、信じておくと7年目ごとに変われていいでしょう。48歳、56歳と変わりました。63歳には、都会を引き払って田舎で暮らそうと思っています。月に1回くらい大阪へジャーンと出てくると、すごい値打ちがあるでしょう。2泊3日くらいいて、また消えていく……。それから本をゆっくり書こうと思っている。そうやって、もしも自分の人生を自分で決めてしまうのなら、年を取るってすごくいいことで、年を取ったときにしかできない暮らし方がまたあるだろうと思います。
 私が言いたいのは、自分を受け入れるというのは、気持ちの問題じゃないということ、思い込みじゃないということ。自分の人生を自分で操縦していれば、受け入れる方向へ受け入れる方向へと操縦していけるし、人に任せておけば、受け入れられないことがいっぱい出てくるわけです。だから、毎日の暮らしから、今日1日どうやって暮らすかから、あの人と会うか会わないかから、買い物に行くか行かないかから、果ては人生全体をどうやって暮らすかまで、なるべく自分で決めよう。自分にとって一番いい方向へ、自分の貴重な時間を一番うまく使う方向へ動かしていこうということが、つまり自分を受け入れていく方向なんだと思います。
 年金の支給は、私なんか難しいと思います。昔、役所に勤めていました。退職のとき、「退職金ください」と言ったら、「退職金もらうと、あとで年金なくなりますよ」と言われた。「それ、何ですか?」と聞くと、「制度が変わって、退職金を一時払いでもらうと、年金がなくなる」と言うんです。「そんなの聞いたことないけど」と言ったら、「でも、そうなんです」と言われて、退職金をもらわなかった。その後、厚生年金に切り替わったけど、「厚生年金なんて、われわれが老人になったときに本当にくれるんだろうか」なんて心配すると、だんだん人生と自分が受け入れられなくなるでしょう。だからあんなものアテにしないで、自力で生きる。「クサレ年金なんかもらってたまるか」と思うと、自分を受け入れることができ、勇気が湧いてきます。政府に頼らない。友だちに頼らない。妻に頼らない。子に頼らない。「俺の人生は、全部何とかできる限りは手作りでやるぞ」と思っていることが、勇気を持って生きることだし、自分を受け入れていくことへつながる道だと思います。だから、「悪いあの人、かわいそうな私」をやらないためにも、まずもう少し人生を自分の手に取り戻してください。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

アドラー心理学はどこの大学で学べますか?

Q 
 高2の娘が自分の進路について、あれこれ悩んでいる様子です。今日の講演会のことを話すと、「聞いてきて」と頼まれました。アドラー心理学を大学で学びたいと思ったとき、どこの大学のどんな学部のどんな学科を専攻するとよいか教えてください。

A
 結論。日本の大学では学べません。心理学を大学で勉強されることに、私は基本的に反対しています。まず、職業としてすごく成り立ちにくいからです。今の日本では、カウンセラー、臨床心理士の需要・就職先がほとんどないんです。現にある就職先は、すでに先輩たちが占めていて、ポストがもう空いていない。要するにカウンセラーになって、プロのカウンセラーで暮らそうという道はほとんど絶望的です。それを知っていてまだやりたいと、そこまで言うなら反対しませんが、他の可能性があるなら他の可能性を探ったほうがいいです。
 他にどんな可能性があるか。うんとお勉強が好きなら医学部です。6年間医学部へ行って、その後、精神医学を専攻して、精神科のお医者さんになれば、これは就職先は永久的にあります。これから精神科の活動領域はむしろ増えるでしょうから、大丈夫でしょう。
 お医者さんになるほど成績が良くないなら、1つはお医者さんに近い職業で、看護師さんです。看護師さんもできたら看護学校じゃなくて保健学部がいいので、4年生大学の保健学部へ行くように勧めています。いろんな状況があって、今の日本では、看護師は比較的社会的に地位の低い職業にされています。それは絶対改善しなきゃいけないと、私は思っています。どうしたら改善できるか。一番いいのは、まず大学を作ること。保健学部を全国の大学が作りつつありますので、4年制保健学部へ行くことを当面の目標にする。それから、そのうち博士課程、修士課程ができるだろうから、できれば大学院まで行くというのも一応射程に入れておく。それで新しいタイプの看護師さんになる、あるいは保健師さんになるというのが、1つの方向性です。
 「看護師さんもかなわん」というのであれば、あとは社会学部とか社会福祉学科とかに行って、ケースワーカー、社会福祉士とかの資格を取る。こちらはカウンセラーと違って、就職は比較的あります。これも1つの方向です。
 「それもイヤだ。医学部はイヤ。看護学もイヤ。社会学もイヤ。どうしても心理学」なら、臨床心理学を選ばないこと。心理学には、大きく分けて実験心理学と社会心理学とそれから臨床心理学の系統があります。学部で言うと、文学部の系統と教育学部の系統があります。臨床心理じゃないのは、だいたい文学部に多いです。文学部心理学科で、実験心理学をやっているところ、あるいは社会心理学をやっているとことへ行って、臨床じゃないことを4年間みっちり勉強してくるのがいいと思う。
 じゃあ、アドラー心理学はどこで学ぶかというと、大学を出てからアメリカへ行きます。アドラー心理学専門の大学院がありますから、そこへ行ってそこでうんと一生懸命勉強すれば、2年くらい、ゆっくりなら4~5年くらいかけて帰ってくると、バリバリによく知っていることになるでしょう。
 だからどうしても心理学に興味があるなら、実験心理です。臨床心理の席がないというのは、非常に困ったことなんですが、実は自業自得なんです。アドラー心理学なんかやっていると、結構、心理学って使えるなと思います。親子関係とか夫婦関係とかに使うと、シャープな切れ味で、子どもが元気になったり、夫婦が仲良しになったりするし、登校拒否が治ったりすることもあるのでね。でも他の心理学は、こんなに切れ味が鋭くなくて、何をやっているんだかよくわからないんです。
 「お困りでしょうね」「本当に困ってるんですよね」「あっ、そりゃお困りでしょうね」なんていうのを、ずっとやっている人とか、箱庭をかき混ぜている人ばっかりで、例えば学校の先生とか、裁判所の裁判官とかが見ていて、「いったい心理学って何なんだ?あんなもの使い道ないじゃないか」と思ってしまう。それでつい市場が狭くなるんです。「あんなカウンセラーなんかいりません」「あんな砂場をかき混ぜている人はいりませんから、もっとちゃんと働ける人がいる」。
 それに引き替えケースワーカーは、例えば困った人を福祉事務所に連れて行ってくれたり、病院を紹介してくれたり、いろいろしてくれていかにも使いごたえがあるから、就職口がいっぱいあります。だから心理学の就職口がないのは、心理学の側の問題です。
 日本でアドラー心理学は優勢にならないです。大学は概してこういう心理学が嫌いです。というのは実用的だから。大学は実用的なものは嫌いなんです。もっと深遠な理論をこねくり回すのが好きなんです。外国でもそうです。アメリカでも、大学でアドラー心理学を教えているところはごく少ない。シカゴとニューヨークにアドラー派の人自身が、アドラー心理学の大学院を作りましたが、それしかないです。だからみんな大学を出てからそこへ入ります。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)
合計728件 (投稿722, 返信6)

ロケットBBS

Page Top