デビッド・シズナー(David Cizner)
セバスチャン・キャリントン(Sebastian Carrington)
アントニオ・デ・ラ・トーレ(Antonio de la Torre)
マラカイ・バヨー(Malakai Bayoh)
フィリップ・チェン(Phillip Cheng 8歳)
デビッド・シズナー(David Cizner)
アンソニー・ウェイ(Anthony Way)
「オンブラ・マイ・フ」(Ombra mai fu)は、ヘンデルの作曲したオペラ『セルセ』(Serse, Xerxes)第1幕冒頭のアリアで、ペルシャ王セルセ(クセルクセス1世)によって、プラタナスの木陰への愛が歌われています。
このオペラ『セルセ』は、ヘンデルの死後、次第に上演されなくなりましたが、「オンブラ・マイ・フ」だけが19世紀になって、「ヘンデルのラルゴ」という名称で愛唱されるようになりました。元来は、カストラートのための曲ですが、今日は主に声域が近いソプラノにより歌われています。日本でこの曲が有名になったのは、ソプラノ歌手キャスリーン・バトルによる歌唱の映像が、昭和61(1986)年からニッカウヰスキーのCMに使用され、売り上げにも貢献したことが挙げられこの影響もあり、翌年の第38回NHK紅白歌合戦では、初出場の佐藤しのぶが同曲を歌唱しました。
スーパーニッカCM キャスリーン・バトル
土屋道典、小牟禮利郎の二人が歌う「おいでよピーターパン」は、慶応大学の学生であった頃の冨田勲を迎えたときの作曲で、オーケストレーションも見事です。時代を先取りした新しい感覚の曲で、同時期に作られた童謡と一線を画しています。当時冨田勲はひばり児童合唱団でピアノ伴奏を担当していました。ここでは、土屋道典(1番、4番)小牟禮利郎(3番)がソロをとっていますが、いずれも似通った歌声ですばらしい発声です。
土屋道典 小牟禮 利郎/ゆりかご会「おいでよピーターパン」
花のデュオ「ラクメ」
後藤 海喜哉 小3 「うたえバンバン」
近藤匠真は、『童謡こどもの歌コンクール』に変声前だけでなく、変声後もエントリーして、決勝にも進出して入賞しています。もともと抒情的な声質なのですが、変声後も現時点ではオペラよりも歌曲に向いた歌声です。そこで、その歌声を追ってみました。
近藤 匠真 小5 「ふるさと」
ウィーン少年合唱団の映像を1967年から1986年まで追ってみました。昭和の終わりごろに当たります。この頃は、3年に1度ぐらいの来日でした。
ウィーン少年合唱団 1967年
私は、今、時間を見つけて過去約40年間にVHSビデオに録画した音楽や映画・ドラマなどをBRに移行しています。古いものは40年前のものもあり、また数も多く、ダビングには録画時間と同じだけ時間もかかり、しかも、8年前から日本ではビデオデッキは新製品が販売されていません。
当初は、調子が悪い時は訪問修理をしてくれていましたが、今では
「テープが出なくなったので、持参したら出していただけませんか。」
と電話しても、「お断り」と言わないまでも、
「会社に問い合わせましたが、古い製品なので、修理できないそうです。」
は、まだ良心的な方で、
「取り出すだけならできても、それ以外の故障があっても対応できません。」
「もう、今では、部品がないので修理できません。」
等と、「逃げ」の姿勢が見える対応しかしてくれないところばかりです。むしろ立派な肩書を掲げているところが、かえって冷たい対応で、
「どれぐらいの予算までならよいのですか。」
と、聞かれるような状況でした。
ところが、インターネットで「ビデオ 修理 大阪」で検索したところに電話したら、相手の立場に立って対応してくださり、翌日、店に故障した機器を持参したら、約30分できれいに修理して、あきらめていたテープの補修までしてくださいました。親切な対応だけでなく、技も優れ、お値段もお手頃で、映像も以前よりもきれいに見えるようになりました。(なお、このお店では、整備した製品の販売もしておられ、偶然持ち込んだのと同じ機種の製品があったので、1台買いました。)
全国には、同じような困りごとのある方もおいでになると思います。
そのお店は、大阪日本橋のオーディオ・アンプ・ビデオ・AV・家電の西山商店です。お問い合わせは、お電話にてお願いします。同じような悩みをお持ちの方、インターネットで「大阪 日本橋 西山商店」で検索してみてはいかがでしょうか。
ウィーン少年合唱団やリベラは、大手の音楽事務所がチケット販売を行い、来日する前からかなりしっかりした広報活動が行われますが、それ以外の少年合唱団の来日情報は、7・8月の夏休み期間に日本で開催される合唱祭に参加するような形で来日することもあり、情報がなかなか入ってきません。
NFM少年合唱団は、親日国のポーランドの割合新しく誕生した少年合唱団で、コロナ禍前の2017年に来日して所沢と米子で歌っていましたが、全く知りませんでした。なお、ホームページには、動画も掲載されています。
米子での歌唱(「クンバヤ、私の主」「神あって喜ぶ」「女の子が歩いていた」)
昭和35(1960)年は、子ども向けのテレビドラマがさらに量産されましたが、その基調は、現代劇も時代劇も正義の味方が悪をやっつけるというものが主流でした。それは、単純であっても、子どもの正義感を育んでいたという側面もあります。「ポンポン大将」は、東京の下町のポンポン船の船長の桂小金治を主人公にした人情劇でしたが、東京に住んでいない子どもにも、何となく東京にも山の手(少年探偵団が活躍する洋館造りの家があるまち)と、ポンポン船がある庶民的な下町があることを感じさせました。そこに住む子どもの服装もちょっと違うような・・・
しかし、何よりも大きかったことは、そのような子ども向けのドラマの主題歌(子どもにも理解できる歌詞)を日本の少年合唱団が歌うことによって、当時の子どもたちにとっては、少年合唱団の歌声が、日常生活に結び付いた身近なものであったということです。その傾向は、昭和50(1975)年ぐらいまで続きました。令和の今は、Eテレ等に子どもが歌う番組はあるものの、テレビを通して日本の少年合唱団の歌声を聴くことが難しくなってきました。
なお、「鉄腕アトム」は、歴史的にも日本初のテレビアニメで、フジテレビ系列にて、昭和38(1963)年1月1日から昭和41(1966)年12月31日まで放送されました。日本で最初の本格的な1話30分の連続TVアニメで、日本初の国産ロボットアニメです。それまで日本のテレビ放映していたディズニーのアニメはもとより、「ヘッケルジャッケル」「バックスバニー」「ウッドペッカー」「トムとジェリー」等は、すべてアメリカから輸入していたものです。なお、アニメという用語は、現在は一般化していますが、当時は、特撮も含めテレビ漫画と呼ばれていました。
「鉄腕アトム」の主題歌には、上記した実写版のものとアニメのものがあり、曲想も全く違います。なお、現在では、ほぼ後者しか歌われていません。「鉄腕アトム」の主題歌「鉄腕アトム(アトムマーチ)」が、アニメソングの元祖とされています。この楽曲は、当時の子どもたちの心に大いに響きました。
昭和35(1960)年
「ポンポン大将」 (キング少年合唱団) http://www.youtube.com/watch?v=_ZmA3wJJfpQ
httpsは、動画が現れますが、httpは、現れません。アドレスをクリックしてください。
「白馬童子」(高野政次/コロムビア児童合唱団)