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書籍紹介のコーナーの在り方について

 これまで、書籍紹介のコーナーは、最新刊の少年合唱・独唱の書籍を紹介すると共に、ホームページ内で記述した文書の出典を記載してきましたが、少年合唱・独唱の書籍の数がたいへん少ないというのが現状です。そこで、ときどき、その分野の重要と考えられる書籍について書評のようなものを書いていきたいと考えています。

 ヘルドゥール・ハリー・ポルダ(1996~   )の歌声は、イギリスの聖歌隊の少年にみられるような繊細さよりも、中音域で芯のある響きを聴かせてくれます。とにかく歌声を聴いていただきたと思います。歌っているヘルドゥール・ハリー・ポルダの映像は、今もネットで聴くことができます。
シューベルト「アヴェ・マリア」(2010) 

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「痕跡」(2011)            

カッチーニの「アヴェ・マリア」ヴァヴィロフ作曲(2011) 
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グルーバー「きよしこの夜」(2012〉   


 コーマックも13歳になり、変声期に入りましたが、歌声は哀愁に満ちたものになりつつあります。
コーマック Deep Peace / Let There Be Peace On Earth (Celebrating Christmas with The Salvation Army)

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昨年12月17日に「ボーイ・ソプラノによるCD等の紹介」のコーナーに、「月寒の少年」をめぐってを掲載しましたが、その後、このシングルレコードの画像が見つかりましたので、入れ替えて掲載します。

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フランスでは評価の高かった映画『コーラス』

 映画『コーラス』(原題:Les Choristes)は、2004年のフランス映画ですが、DVDも Blu-rayも、日本語吹替盤が出ています。主演は、ジェラール・ジュニョが演じたクレマン・マチューですが、ジャン=バティスト・モニエが演じる少年時代のピエール・モランジュ(少年時代)役は、村上想太が吹き替えています。
Les Choristes - Vois sur ton Chemin (Scene)


Les Choristes - "La Nuit" (夜)


 映画『コーラス』や映画『野ばら』には、原作本の翻訳がありますので、書籍のコーナーでご紹介します。どこが映画で描かれ、どこが描かれていないかを知ることができます。

 ダニー・オズモンドは、ボーイ・ソプラノであった期間に、かなり多くのレコーディングをしていますので、年代ごとにまとめてみました。変声期は、以前の声で歌うのがかなり苦しかったのではないかと思います。変声後は、かえって解放されたと感じるような歌を歌っています。
Donny Osmond - Go Away Little Girl(1971)

Donny Osmond - Puppy Love (1972)

Donny Osmond - Too Young (1972)      


おそらく、保存を間違ったため、「日本のソリスト」160番前後のの約10名のデータが、消えていました。下書きの記録等をもとに、一部復元しましたが、まだ、完全にできているとは言えません。私も全力で復元と再生に取り組みますが、データをお持ちの方は、ご連絡ください。

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 このホームページ並びに掲示板を訪問された皆様、大変ご心配をおかけしました。外付けハードディスクにデータを保存していたので、それに加筆して、アップします。

 平賀晴は、令和5(2023)年1月13日には、 ヨコハマ・ワーグナー祭『東西の風』に出演し、斎藤ゆり夏と重唱で「小さな星の歌」を歌いました。
小さな星の歌  



大前優樹が歌ったA.スカルラッティの「陽はすでにガンジス川から」と、A.カルダーラの「たとえ つれなくとも」の歌う映像が公開されています。バリトンという声質から想像される重厚で深みのある歌声とは違って、みずみずしい感じのする歌声です。今は、変声期の中で歌える声域で歌っていると思います。これから、年齢と主にどのように歌声が高まっていくか期待しています。 

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新しい動きをどう観るか?

 京都市少年合唱団第127回演奏会のレポートをお送りします。マスクをした演奏であり、「みやこ光」(男子部)の復活はまだありませんでしたが、このような時期における合唱のコンサートとして素晴らしいものであったと思います。その理由は、レポートに詳細を書いておりますが、「知っている曲と知らない曲のバランスのよさ」や「合唱曲にあった振り付け」も、挙げられます。

 その後、昨年のクリスマス公演で、レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊の女子聖歌隊の演奏が行われました。ただし、ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2023のような男女合同の混声合唱等ではなかったようです。これをどう観るかですね。ここでは、あえてレーゲンスブルク大聖堂聖歌隊男子の昨年の演奏からお送りします。
"Vom Himmel hoch" 「空の上から」- Ausschnitt aus dem Weihnachtskonzert 2022 der Regensburger Domspatzen.



 また、暁星学園の昨年行われた最新情報が入りました、やっぱりマスク演奏ですね。しかし、演奏の質は素晴らしいです。
「喜びは平和のうちに」(暁星学園 小学校聖歌隊・中高合唱部) ※東京教区優秀作品


 以前この掲示板でご紹介したボーイソプラノ奏やん♪が、一人二重唱で「しあわせ運べるように」をYouTubeチャンネルにアップしました。情愛あふれるよい歌に仕上がっています。なお、奏やんは、神戸市在住の少年です。(これは自ら発信しているので書いてもよいでしょう。)この歌は、阪神淡路大震災が起きた平成7(1995)年に当時神戸市の小学校教師 臼井真先生(現 神戸親和女子大学)の作詞・作曲で創唱され、今も被災地だけではなく全国各地で歌い継がれている曲です。ボーイズ・エコー・宝塚のある宝塚市も阪神淡路大震災の被災地であり、それ以来、定期演奏会で歌い続け、第二の団歌と言われるほどでした。
「しあわせ運べるように」【ボーイソプラノ奏やん♪】

臼井真先生の定年退職直前の指導の様子が関西テレビや読売テレビで放映され、今でも視聴することができます。阪神淡路大震災から28年。1月17日が近づいてきます。

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年末から年始にかけて聴いた音楽

 12月25日に放映された『THEカラオケ★バトル』U18四天王ブロックに出場した北本莉斗と久保陽貴を採り上げましたが、プロの歌手を含め、あのICマシーンと言う機械による点数だけは、いつまでたっても疑問です。 

 大前優樹が、本格的に声楽を学んでそれが第43回全日本ジュニアクラシック音楽コンクールで高く評価されたことは嬉しいことです。ボーイ・ソプラノの期間は決して長くなかったと思いますが、人生は、トータルで考えないといけません。

 ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2023は、ウィーン少年合唱団、ウィーン少女合唱団が、合同で出演し演奏しましたが、いかにお感じになられましたか。確かに声の高さは同じではあるのですが・・・合同演奏もあってよいのかという想いと、声の質が違うものを一緒に演奏させてもという想いがあります。別々にどちらか1曲ずつということも考えてもよかったのではないでしょうか。合同演奏に価値を見出す人もいたことでしょうが、私はそこに新たな魅力を感じませんでした。むしろ、政治的な意図を感じました。
ヨーゼフ・シュトラウス ポルカ・フランセーズ〈上機嫌〉op.281合唱団付
ヨーゼフ・シュトラウス ポルカ・シュネル〈いつまでも永遠に〉op.193合唱団付
さらに、舞台上はもとより、観客席もほぼ誰もマスクしてないのを観て、FIFAのマスクしてない観客を観たのとはまた違ったことを感じました。FIFAワールドカップカタール2022のような屋外の会場の観客だけではないのです。コロナの感染状況は国によっても違いますが、せめて、日本も舞台上はマスクなしであってほしいと思っています。

NHK第65回ニューイヤーコンサート、約半世紀見続けていますが、人の入れ替わりも激しいし、知らないオペラアリアもあると感じました。今回は、過去の日本の名歌手たちの映像も紹介していましたが、実際のオペラの舞台に接しなければ、やがて知らない声楽家ばかりということになりそうです。

 桃太郎少年合唱団第60回定期演奏会の映像が、ホームページにアップされたので、それを観てレポートしてみました。第37回定期演奏会から聴き続けていますので、あえてその成果と課題を書いてみました。歌声としては、全体的にボーイ・ソプラノの合唱団というよりファルセットの合唱団という印象をもちました。OBはともかく、現役団員は、楽譜を見ないで歌ってほしいというのは、これまでも感じてきたことですが、切なる願いです。
https://momotaroboyschoir.blogspot.com/p/past-concerts.html 

 広島少年合唱隊が、創立間もない昭和40(1965)年、作詞/持田勝穂・作曲/森脇憲三に委嘱して、昭和40(1965)年11月第6回定期演奏会で初演した組曲「ひろしま」(Ⅰ 清純 Ⅱ 希望 Ⅲ 平和)は、後年にレコーディング化されています。(OB会のHBC記録保管班がYouTubeチャンネルにアップしました。)のこの合唱組曲に深入りしてみました。
組曲「ひろしま」より Ⅰ 清純


組曲「ひろしま」より Ⅱ 希望

組曲「ひろしま」より Ⅲ 平和


 「世界のソリスト」にトニー・ブタ―ラの映画出演情報が入りましたので加筆します。これまで声優としての活躍しか紹介していませんでしたが、聖歌隊の少年のような歌声の美しい少年俳優としても映画出演しています。

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新春に寄せて

 あけましておめでとうございます。本年が、皆様にとって良いお年であることを祈念いたします。ジルベスターコンサートの新年のお知らせに合わせてアップしました。

 ウィーン少年合唱団が出演する映画で、日本で一番最初に公開されたのは『野ばら』でしょう。ウィーン少年合唱団が初来日した直後に公開されているので、観客動員もかなりあったのではないでしょうか。その後、テレビでも1960年代から80年代にかけて何度か日本語吹き替え版が上演され、昭和44(1969)年には、映画が夏休みの期間にリバイバル上映しています。

 ウィーン少年合唱団は、毎年ウィーンニューイヤーコンサートに出演しているわけではありませんが、比較的最近出演した2012年の演奏をYouTubeとリンクします。ウィーン少年合唱団は、今年のウィーンニューイヤーコンサートに出演します。ただ、気になるのは、インターナショナル化することで優雅なワルツが聴かれなくなり、せかせかしたポルカばかりが演奏されることです。
トリッチ・トラッチポルカ 


鍛冶屋のポルカ  


 今回採り上げた芦野宏や、五十嵐喜芳が学芸会で独唱したというところから、戦前の小学校の学芸会は、古くは、保護者や地域の人々に学校教育の実情を知ってもらうことも一つのねらいであったでしょうが、出演者は、ある分野が得意な一部少数の児童であったと考えられます。最近では、学芸会(音楽会)も全員参加でしかも独唱は、たとえ部分であってもなしという傾向が強まっています。
芦野宏が、紅白歌合戦に昭和30(1955)~昭和39(1964)年10回連続出場という記録は、おそらくシャンソン歌手としては、破れない記録ではないかと思います。そのことから、当時の日本人の音楽嗜好がわかってきます。偶然ですが、『九重佑三子のコメットさん』第1期:昭和42(1967)~昭和43(1968)年前半で、コメットさんが住み込んでいる家庭の父親役が芦野宏で、『大場久美子のコメットさん』第2期:昭和53(1978)~昭和54(1979年)で、コメットさんが住み込んでいる家庭の父親役が五十嵐喜芳であるというのも不思議な縁です。
芦野宏の少年時代の歌声は、聴くことができませんが、昨年6月18日に生誕98年記念 50周年記念ディナーショーより5曲メドレー映像が公開されました。
芦野宏 生誕98年記念 50周年記念ディナーショーより5曲メドレー映像   

若い時の歌声は、「芦野宏」で検索して代表曲の一つである「幸福を売る男」等をお聴きください。芦野宏の声質が甘いのでテノールと思っている方もいるかもしれませんが、バリトンです。秋川雅史はテノールと自称していますが、バリトンだと思うのですが・・・

2年前の第35回 童謡こどもの歌コンクールグランプリ大会の子ども部門で村方乃々佳ちゃん(2歳)が、「いぬのおまわりさん」で銀賞を獲得、その後、「アルバムをリリースした最年少ソロアーティスト」としてギネス世界記録に認定大活躍していますが、乾澤奏志くん(4歳)は、将来「歌のおにいさん」になるかどうかは別として、村方乃々佳ちゃんとはまた、違った活躍をしてほしいと思っています。重永大武君は、とにかく、「どんなことがあっても、負けないで。」という言葉を贈りたいです。
第37回童謡こどもの歌コンクール こども部門・銀賞 重永大武「大きな古時計」 

第37回童謡こどもの歌コンクール 審査委員特別賞  乾澤奏志「ありがとうの花」


過日ご紹介したフレーベル少年合唱団が歌った「おなかのへるうた」は、消えていましたので、YouTubeのコーナーから消去します。そのほかにも消えているもので新しくつながるサイトがあるものはそれにつなぎ、ないものはリンクを外します。それぞれ、消えたり、つながらなくなったりしたのはどのような事情かは不明ですが、これは、ネット動画にありがちなことです。だから、ネットで拾ってきた映像を掲示板に貼り付けることはしても、それをホームページのメインにはしません。

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変声前と変声後の歌声の比較コーナーを新設

 「ボーイ・ソプラノと変声期」のコーナーは、新しい研究情報が入らないと、最近は、個人の声の変容を紹介するだけになっていますので、変声前と変声後の歌声の比較コーナーを新設します。
 先ず、第1弾は、ペーター・シュライアーです。この分野は、海外の事例が多いのですが、変声前と変声後の表に基づいて、ジャンルはクラシックに限定します。

 ジェイミー・レッドファーンをポップス歌手として紹介しましたが、歌の基礎もしっかりしていますし、ボーイ・ソプラノとしてもかなり長期にわたって、活躍しています。世界的にボーイ・ソプラノの独唱者を紹介しているYouTubeチャンネルのBoySopranolover2でも、boy sopranoとboy singerの区別は、かなりあいまいであると感じる時もあります。例えば、Joseph McManners(ジョセフ・マクマナーズ)は、boy sopranoと紹介されていますが、私は、最初boy sopranoとして紹介しましたが、後年、boy singerに移行しました。なお、「クラシカルクロスオーバー」という言葉があるように、この二つには、重なりもあるように思います。先月ご紹介したデニス・チメレンスキーは、本来クラシックを学びながら、ポップスの系統の歌も歌っています。
ジェイミー・レッドファーン「ジーン」    


ジェイミー・レッドファーン「虹のかなたに」 

ジェイミー・レッドファーン「星に願いを」  


来春来日予定のウィーン少年合唱団は、12月17日にNHK BSプレミアムで放送された『ヨーロッパ街角中継』では、ハイドンコアのようです。ハイドンコアのカペルマイスター(指導者)は、平成30(2018)年にも来日されたジミー・チャン先生のようですが、メンバーは、それから5年経つので全部入れ替わっていると思います。

ビクター少年合唱隊の「とんび」と「埴生の宿」は、LP『世界も歌を歌ってる』に収録されています。
とんび ビクター少年合唱隊   

埴生の宿 ビクター少年合唱隊  


フレーベル少年合唱団が歌った「おなかのへるうた」は、既に昨日掲示板に載せていますが、YouTubeのコーナーにも載せます。

さて、話題は変わりますが、日本では、昭和44(1969)~昭和60(1985)年の16年にわたって、『8時だョ!全員集合』という番組がありました。昭和47(1972)年にその1コーナーとして少年聖歌隊をモチーフにした音楽コント「少年少女合唱隊」が、放映されました。いかりや長介が神父の衣装で、他のメンバーやゲストは白い帽子にスモックを着用して歌っていました。主に歌うのは童謡ですが、どんどん脱線していくのが、その特徴とも言えます。このコーナーで一番有名なのは「東村山音頭」「ドリフの早口言葉」や「カラスの勝手でしょ」です。この番組は、放映当時は、PTA等から低俗番組と批判されることもありましたが、このような音楽コントが受け容れられた社会的背景には、当時、児童合唱が盛んで人気のある音楽ジャンルであったことが挙げられます。そのような意味では、コマーシャル等いろいろな形で、少年合唱がマスコミに採り上げられることは、よい側面もあります。

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みんなのうたの転換期

 使い方を教えていただきありがとうございます。新しい掲示板でよくわからず、書き込む内容と場所を取り違えました。
 みんなのうたは1973年ごろ、登場する作品の曲風が急に大人っぽいものにかわり、当時の私にとっては寂しく感じられました。逆にいまの番組に親しんでいる人にとっては、黎明期の曲は子どもっぽく感じるのかもしれませんね。手元には1972-1975年あたりのテキスト(楽譜)がありますが、だんだんタネ切れして、選曲が難しくなっています。そういえば最近「たのしいね」がポップス風のソロにリメイクされ、TVで流れていました。
 フレーベル少年合唱団はみんなのうたに出ていたのですね。西六郷とか杉並あたりのイメージが強いので新鮮な感じです。

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 ファルセットさん、私もこの掲示板を使いこなせているとは言えません。メールだけで交信している若い方から、表示できるスレッドの数や、YouTube映像の数を変えられるのではないかと教えてもらって、少しずつ改善しているところです。Teacupの掲示板をホームページ開設以来20年以上使ってきたので、まだ、このロケットBBS掲示板には、慣れていません。
 このホームページの「日本の少年合唱」の中の「17 児童合唱を主とした番組が果たした役割」で、『みんなのうた』誕生の社会的背景等について記載しています。念のために、アドレスを記載しておきます。どう表示されるでしょうか?
http://www5d.biglobe.ne.jp/~yakata/japan.htm
確かに、初期の『みんなのうた』は、N児・西六郷・杉並・東京少年(少女)合唱隊あたりのイメージが強いですね。

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みんなのうた 風と光と YouTube動画公開

館長様、みなさま、たいへんご無沙汰しています。8か月ぶりに1970年代の「みんなのうた」から、風と光と ―スキーのうた― 西沢 実作詞 中田喜直作曲 のVOCALOID(合成音声)動画をつくり、YouTubeで公開いたしました。この曲は児童合唱団で歌ったことがあります。個人的にはラーラララーで始まる短調の中間部が美しくて心にしみます。


(URLの書き込み場所を修正しました)

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年12月23日 21:52)

ファルセットさん、お久しぶりです。
 最近では、交信はメールのやりとりばかりで、この掲示板になってから私以外では初めての書き込みですが、歓迎いたします。
「ファルセット」の部分をクリックするとYouTube映像が出てきますが、この掲示板では、アドレスを書き込んでいただくと、YouTube映像が現れます(5つまで)。
もう、そのころ『みんなのうた』をほとんど定時に視聴していなかったので、「風と光と ―スキーのうた―」を聴くのは初めてですが、転調の部分は美しいですね。
『みんなのうた』は、昨年60周年でしたが、特集番組を見ても、世代によって、好きな曲が全く違うという現象が起きています。
幼児から、小・中学生の頃視聴していた歌が好きと言うケースが多いようです。私は、フレーベル少年合唱団の名前を知ったのは、『みんなのうた』の「おなかのへるうた」でした。その時歌った方と、後年会えるとは・・・人生って不思議なものですね。
「おなかのへるうた」  フレーベル少年合唱団

引用して返信編集・削除(未編集)

少年聖歌隊の伝統

以前、レーゲンスブルグ大聖堂少年聖歌隊が女子を入れるかということで、当地の記事を紹介したことがありましたが、今回は、最近アメリカのニューヨークタイムズに掲載されたイギリスにおける聖歌隊の少年少女混声合唱団化の動きを紹介します。過日のエリザベス2世の葬儀でも、聖歌隊が重要な役割を果たしました。キリスト教が国教である国と、日本のような国教のない国では、同じではありませんが、その動きは注目に値します。少年聖歌隊の文化が崩れることは、ひいては、少年合唱の文化の衰退にもつながると考えるからです。日本の少年合唱が厳しい状況に置かれている原因は、ヨーロッパと同じではありませんが、世界の動きは違った形であっても日本に影響することはあり得ます。この問題について、海外で少年聖歌隊の文化を守っているという情報があれば、お知らせください。
イギリスの伝統的な聖歌隊の歌っている姿を見ながら、少年でなければ出せない歌声をお聴きください。
ケンブリッジキングスカレッジ聖歌隊 アレグリ「ミゼレレ」



『「月寒の少年」をめぐって』は、音楽愛好家のノースエンド氏との共作です。その研究の中で、抒情歌「月寒の少年」が月寒の地域に親しまれるようになった理由と共に、上高田少年合唱団の選抜という狭い捉え方をしがちであったコロムビア少年合唱隊についてさらに多くのことを知りました。この研究を通して、一つの曲の背景を探ることが大切であることを改めて感じました。
「月寒の少年」   コロムビア少年合唱隊  

「神州天馬侠」   コロムビア少年合唱隊  

「ウラルのぐみの木」コロムビア少年合唱隊  


 田中誠人とその歌「ひとりごつ」についても、「日本のソリスト」に記載します。去年秋~冬に東京と大阪で上演されたミュージカル『オリバー!』で、キッパー役をしていることがわかりました。しかし、1回の鑑賞では、登場するフェイギンの子分である多くのギャングたちを「見て」いたのかもしれませんが、一人一人までを「観て」いませんでした。「見」と「観」の差は、いろいろなことろに出て来て、鑑賞の質を問うことになります。
ミュージカル『オリバー!』プレスコール  

 田中誠人が12月7日(水)の「2022FNS 歌謡祭 第1夜」で歌った「ひとりごつ」のYouTube映像は、アップされてもすぐに消されますので、歌声だけをお聴きください。

声楽家で、サカモト ミュージックスクール校長の坂本博士さんが12月3日にご逝去されました。「ボーイ・ソプラノの歴史」にも(5)『われは海の子』と不思議な縁があった坂本博士 と記載しています。ご冥福をお祈りいたします。

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ショパンの人生を四季になぞらえて

 牛田智大のショパンアルバムのBRは、8月末に入手していたのですが、生演奏なら忘れないうちにと思って拙速にでも文章化するのですが、今回は逃げない録画なので、何度か聴き込んでから文章化することが必要と感じて、やっと3か月以上たってから文章化しました。リサイタルは、祖国ポーランドの革命から逃れるため、祖国を離れ、ワルシャワ蜂起の失敗による国家の存続危機への怒り、家族や友人の死に対する悲しみ、そして自身の病への絶望を原動力に多くの作品を残したショパンが20代に残した手記「人間が成しえるもっとも偉大な行為とは死であり、もっとも罪深き行為は生きることである」という言葉をテーマに牛田智大自身が構成したもので、アルバム『ショパン・リサイタル2022』にはそのような想いを踏まえながらも、聴きながら感じることは少しずつ変わってきました。ロシアによるウクライナ侵略を重ねて聴いたから余計にそう感じたのかもしれません。
この時の録画が、YouTubeのUshidaTomoharuVEVOにあがっているので、「牛田智大」のコーナーの中にリンクします。
 ブロウニング・ブライアントは、少年時代に数枚のアルバムを残し、変声後は、違ったジャンルの音楽に挑んで(これが成功とは言い難いのですが)、やがて音楽界の表舞台から姿を消した人です。この選択がよかったかどうかは別問題として、映像に残された「Try to Remember(思い出そう)」を聴けば、その美しい声と歌に感動して、放っておけなくなって文章化しました。この曲を初めて聴いたのは、ビクター少年合唱隊の「天使のハーモニーシリーズ 4」ですが、時と国境を越えて感じるものがあります。
 「Try to Remember(思い出そう)」は、1969 年 12 月 10 日に放送されたジョニー キャッシュ主催のクラフト ミュージック ホールのエピソード。 音楽はハーヴェイ・シュミットが作曲し、トム・ジョーンズが作詞しました。 「It Ain't Gonna Rain No Mo'」 ウェンデル・ホールの作だとされていますが、この曲はホールが書く前から存在していたことが示唆されています。ジョニー・キャッシュはカール・サンドバーグから朗読しています。
 ブロウニング・ブライアントの12~13歳という短い間に2枚のLPに刻まれた少年時代の歌声を聴いていただきたいと思います。YouTubeにもリンクしてします。
「Try to remennber(思い出そう)」   


「Patches」               
 
「Yesterday」


『ちいかわ』というアニメ番組をこれまで全く見ていなくて知らなかったのですが、12月7日(水)の「2022FNS 歌謡祭 第1夜」で田中誠人の「ひとりごつ」が歌われました。YouTubeの再生数からも大変な人気曲のようですが、このアニメや田中誠人についてほとんど知らないので、調べたうえで来週ご紹介します。本日は、歌声だけをお聴きください。
田中誠人「ひとりごつ」


道楽さんの「第61回 呉少年合唱団定期演奏会」のレポートは、もしかしたら久しぶりの同時公開かと思われましたが、道楽さんは、最終点検のため、公開を一週間遅らせました。それだけ、自分の文章に慎重さと責任をもっておられるんだと思います。おなじみのお人形さんとの対話は、一つのステージを複眼的な観方をするために、あえてされていると思っています。

ウィーン少年合唱団が、来年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートに出演して演奏するそうです。また、ウィーン少年合唱団は、来春、4年ぶりとなる来日ツアーを予定します。詳細は、わかった時点でお知らせします。
https://twitter.com/JA_WSK

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