ジーリ以来、少年歌手を含む多くの歌手によって「マンマ」は歌い継がれてきました。 ベニャミーノ・ジーリ Beniamino Gigli - Mamma - 1940
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五十嵐喜芳 マンマ
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ロベルティーノ ロレッティRobertino Loretti - Mamma
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ハインチェ Heintje Mama (映画『Zum Teufel mit der Penne』より)
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エリック・ル・ロシニョール Eric le rossignol (10 ans) Mamma
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3月下旬になって、昨年11月に行われた桃太郎少年合唱団第61回定期演奏会のYouTube動画が一部公開されたので、レポートしました。 第1ステージ 歌い継ぎたい愛唱歌
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第2ステージ 松下耕《合唱のためのエチュード》より
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第4ステージ 中田喜直を歌う
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桃太郎少年合唱団のホームページには、現在の指導体制になってからの動画が公開されていますが、この時点では楽譜を見て歌ってはいません。歌声も、これまでに積み上げてきた発声のよさが生きていると思います。第53回定期演奏会では、合唱曲において、これまでにほとんどなかった動きを採り入れています。
第51回定期演奏会 第1ステージ 僕らの愛唱歌
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第53回定期演奏会 第3ステージ 女声(児童)のための合唱組曲「キュイジーヌ」
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映画『男はつらいよ 寅次郎真実一路』の中で、隆(芦田友秀)が歌う「里の秋」は、bilibiliで聴くことができます。https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=%e7%94%b7%e3%81%af%e3%81%a4%e3%82%89%e3%81%84%e3%82%88+%e5%af%85%e6%ac%a1%e9%83%8e%e7%9c%9f%e5%ae%9f%e4%b8%80%e8%b7%af&&mid=B6DADAE278ABB92DC261B6DADAE278ABB92DC261&&FORM=VRDGAR 映画『男はつらいよ 寅次郎真実一路』のように、映画の中で少年の独唱や少年合唱(児童合唱)がある作品を順次書いていこうと考えています。「この映画に少年が歌っているこんな歌があるよ。」といった情報があれば教えてください。 吉岡秀隆は、子役としてデビューした5歳当時、吉岡ひでたかの芸名で、子供向けの歌をいくつか吹き込んでいます。昭和51(1976)年に『ユミちゃんの引越し・山口さんちのツトム君 みなみらんぼうのこどものうた』の中で「山口さんちのツトム君」等を歌っています。 吉岡ひでたか 「山口さんちのツトム君」
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吉岡ひでたか(吉岡秀隆)・平塚磨紀「ユミちゃんの引越し」
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吉岡ひでたか 「名物おばあちゃん」
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吉岡ひでたか 「お酒でロックンロール」
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映画『ラストソング』の主題歌「ラストソング」は、シンガーソングライターとしてのデビュー作で、自身最大のヒット曲です。「ラストソング」を聴きたい方は、「ラストソング」で検索してください。
ここでは、ビッグマンモスやビクター少年合唱隊のような少年合唱と、東京放送児童合唱団(現 NHK東京児童合唱団)のような少年少女合唱の歌声の違いもお聞きください。また、初めて聞かれる方もおいででしょうが、同じ旋律に違う歌詞をつけた「テキサス決死隊」も、ある世代の方にとっては懐かしいのではないでしょうか。 大野かおり&ビッグマンモス
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ビクター少年合唱隊
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西六郷少年合唱団&東京マイスタージンガー
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東京放送児童合唱団
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若山彰 テキサス決死隊
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3月30日(土)8:30~9:00 BSテレ東で放送された「エンター・ザ・ミュージック」をご覧になられたでしょうか。
アンドリュー・ロイド=ウェバー「レクイエム」(2023/7/15関西フィル定期演奏会より)は、日本では、めったに上演されない演目です。それは、ソプラノとボーイ・ソプラノのデュエットがあるからで、これを歌いこなせる日本人の少年はなかなか見つからないようです。
今回も、マックス・トーマスをイギリスから招聘して行われました。時間的にハイライトですが、マックス・トーマスの歌声は聴くことができます。帰国してからの独唱での演奏は、YouTubeのコーナーにあります。
先ずは、ボブ・チルコットが少年時代にソリストして歌ったフォーレのレクイエムをご紹介しましょう。やはりが、ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団で学んだことが、原点になっていると思います。
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それ以後は、ボブ・チルコットの作品をご紹介します。特にBBC Young Choristerの決勝に出場した少年たちの歌声をお聴きください。
「真冬」(ルカ・ブルグニョーリ)
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「Sweet Was The Song 」(フレディ・シンプソン)
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「羊飼いのキャロル」(マックス・トーマス)
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「リトルジャズミサ」(シンシナティ少年合唱団)
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ソジエ 玲生の「恋とはどんなものかしら」は、YouTubeのコーナーにリンクしています。
kiyoshiさん、道楽さんの新しい更新がないので、「貴賓室」に移します。このお二人をはじめ、貴賓室にお名前のある方は、本HPを支えるため投稿された方々です。「貴賓室」を読み直してみたら、新しい発見もあります。ホームページの更新の内容とペースについて、亡くなられた道楽さんの分もと思っていましたが、今のペースでやると息切れしてしまいそうです。来年度は、少しペースを落とそうかと・・・
21世紀(2004年)になって、ウィーン少年合唱団に、日本人の団員が入団するようになって以来、現在まで常時3~5人ぐらいの団員がいるようになりました。 その歌声を現在でも聴ける団員は限られていますが、中島信太郎の歌声は、今でも聴くことができます。来日したときは、幸いなことにモーツァルトコアのトップソリストでした。アンドリュー・ロイド=ウェバー「レクイエム」の2重唱の完全版は、ネットから消えました。ウィーン少年合唱団の来日公演プログラムに、本名で執筆されていたので、フルネームでご紹介してもよいと判断しました。 中島 信太郎 WSK Practice at soul in 2009, Mozartchor
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中島 信太郎 "Alcina" Staatsoper Wien 2010より
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中島 信太郎 Japanischer Wiener Sängerknabe (ORF2 Heute in Österreich / 26.Jan.2011)
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少し以前にもご紹介しましたが、最近の石嶋天風の歌声を聴けば、アマール役以来1年間の成長がよくわかると思います。
ウィーン少年合唱団 2023年12月15日 ポツダム
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昨年来日したハイドンコアの最近の演奏も視聴することもできます。2月19日と書かれていますが、今年の映像でしょうか?昨年来日したメンバーの姿を見ることもできます。
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『ウィーン少年合唱団 たのしいオペレッタ』には、どういうわけか、ドレクスラー(Josef Dreschsler 1782-1852)の『優しいお兄さん(いとしい兄弟)』が掲載されていません。もしかしたら、もうその頃は演目に入っていなかったのかもしれません。そこで、この曲について調べてみました。 『優しいお兄さん(いとしい兄弟)』は、一幕(5枚の絵)に音楽が入った民謡作品です。 オペレッタに近い作品です。 レオ・フォールが音楽を書き、ユリウス・ヴィルヘルムが台本を書いた。 タイトルは、フェルディナンド・ライムンドの戯曲「億万長者としての農夫」の中で最も有名な曲を暗示しています。 初演は1909年12月1日にウィーンで行われました。 この曲の焦点は、歴史的な作曲家でありバンドマスターでもあるヨーゼフ・ドレクスラーです。 ウィーン少年合唱団(1977)
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ウィーンの森少年合唱団
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映画『野ばら』(1957)の原題は、「我が人生最良の日」ですが、挿入歌は数多くあります。『優しいお兄さん(いとしい兄弟)』も歌われていますが、この映画は、吹き替えで何度かテレビ放映されています。
フジテレビ旧版(武藤礼子) フジテレビ新版(宇佐美豊) NETテレビ版(永吉健太郎) TBS版(菊池英博)がトーニ役を吹き替えたという記録も残っています。YouTubeにその一部がアップされていますが、これは菊池英博の声ではないかと思っていますが、いかがでしょうか。
映画『野ばら』より『優しいお兄さん(いとしい兄弟)』
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映画『野ばら』一部(日本語吹替)
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映画『野ばら』全編より 55.58~
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ここでは、ウィーン少年合唱団の来日公演からご覧ください。 オペレッタ『古いウィーンの物語』1978年
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オペレッタ『古いウィーンの物語』1983年
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オペレッタ『デニス氏夫妻』1989年
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オペレッタ『ウィーンの人々の生活』1994年
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ウィーン少年合唱団員の石嶋天風が、アマール役を演じるオペラ『アマールと夜の訪問者』のBRを新年に入手しました。コンサートレポートは、コンサートのコーナーに書いておりますが、最近のオペラの演出の傾向については、言いたいことがあります。
11年ほど前、NHKのBSが見られるようになって、NHKBSのプレミアムシアターでオペラを観られるようになるのが楽しみでしたが、すっかり裏切られてしまいました。それは、声楽的な問題ではなく、世界的に昔の話を現代に置き換えていく現代的な演出が多くみられるためです。日本では、かろうじて藤原歌劇団がよい伝統を守っていると思います。
現代的な演出はこれからますます増えていくでしょうし、それは止められない流れになっています。しかし現代的な演出のために、一般的な観客、あるいは古くからのオペラファンががどんどんオペラから離れていき、原作者の意図から遊離していったのでは、意味がなくなってしまいます。現代的な演出が一人よがりになっている限り、オペラは次第に、あるいは急激に衰退していくでしょう。
オペラ『アマールと夜の訪問者』の歴史的な演奏については、今後機会があればご紹介しましょう。
オペラ『アマールと夜の訪問者』予告編
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これから、全日本こどもの歌コンクールに出演した少年ソリストを他のコンクールなどに出場・入賞したりした記録と共に、わかる範囲でご紹介します。ただし、小学4.5.6年生の部のような大ぐくりで紹介されるため、学年がはっきりわからい場合もあります。先ずは、ミュージカル系の髙崎佑心から。
アメリカ少年合唱団は、映画『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』に合唱団として出演したことでも知られており、さらなる活躍をしていると思っていましたが・・・・・。「南アフリカのメロディ」の中の「シアバンバ」は、広島少年合唱隊の定期演奏会でときどき演奏されることがあります。 「South African Medley 南アフリカのメロディ」
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「The Storm Is Passing Over 嵐は過ぎ去っていく」
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「Adiemus さあ行こう」
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「The Lord Bless You And Keep You 主はあなたを祝福し、あなたを守ってくださいます」
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「Domine Deus 神様」
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ここでは、ベルリンの壁が崩壊して、統一ドイツが誕生した1990年以後のシェーネベルク少年合唱団の歌っている動画を集めてみました。 「私たちの街はブランデンブルク門に止まらない」 - 1990
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「メルキッシュ・ハイデ、メルキッシャー・サンド」 1990
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「サンスーシの旋律」 1993
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「一年で最も素晴らしい時期は」 1995
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「ベルリンはベルリンのまま」 2003
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昨日アップした1980年代のシェーネベルク少年合唱団の団員の髪形を見ると、マッシュルームカットの団員が多く見られ、このあたりにもビートルズの影響を感じたりしますが、1990年のドイツ再統一後は、耳を隠すような長髪は少なくなっており、21世紀になると、半ズボンの丈が長くなり、この辺りに少年のファッションの変化を含む時代の変化を感じます。
調べてみると、シェーネベルク少年合唱団だけでなく、以前ご紹介したウィーンの森少年合唱団のほかにも、アメリカ映画で活躍したロバート・ミッチェル少年合唱団や、映画『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』に出演したアメリカ少年合唱団なども解散しています。日本の少年合唱団でもそうしているように別枠「想い出の少年合唱団」のコーナーを下に作りました。
ただし、そのようなコーナーを作っても、新たな発見や後世に残る業績が見つかった場合は、加筆することもあります。
全日本こどもの歌コンクール全国大会に出場するような少年は、声楽(童謡・ミュージカルを含む)の先生に師事したり、合唱団に所属して指導を受けており、他の声楽コンクールに出場している可能性や自ら、SNSで発信している可能性がありますので、学年程度が調べてわかった場合は、「日本のソリスト」に書き加えていきます。
カルーソーの最初の録音の場所について、3月3日 No.144の記載で、エンリコ・カルーソーの最初の録音は、1902年に行われたことは間違いありませんが、一番最初に録音した場所は、ニューヨークではなく、イタリアのミラノで、4月11~12日に、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニ、レオンカヴァルロのオペラアリア等計20曲録音していますが、アメリカでは 1904年ビクターに9曲録音しています。
ということを歴史的事実として訂正いたします。このことから、アメリカでは、早くより声楽曲の録音が行われ、1910年代の半ばには、ボーイ・ソプラノの録音もされていたことがわかります。
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