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ウィーン少年合唱団の演奏の変遷(3)

 ウィーン少年合唱団日本公演(1989)には、マックス・エマニュエル・ツェンチッチも団員の一員とした参加しています。なお、この頃は、来日のたびにテレビ朝日系列でテレビ放映もありました。日本語の字幕が貼っているのはそのためです。また、この当時は3部構成で、第2部はオペレッタが上演されていました。
 なお、来日公演では、日本の代表的な唱歌である「ふるさと」が歌い続けられてきましたが、1998年の日本公演では、現在と比べて日本語の発声は西洋風です。その後、発音が改善されて自然に感じられるようになってきたことは、日本人の団員が入団して同じコアの仲間に教えたという側面もあると思います。

ウィーン少年合唱団日本公演 1989 


ウィーン少年合唱団日本公演 1992 

ウィーン少年合唱団日本公演 1994 
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ウィーン少年合唱団日本公演 1996

ウィーン少年合唱団日本公演 1998 


ご好評に応えて、映画『カラオケ行こ!』の劇中使用衣装等展示会第2弾です。虎柄の音叉は、想像したよりも小さかったです

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祭林組のヤクザたちの本当の歌声

 映画『カラオケ行こ!』における「紅」は、この映画の主題歌であり、また、祭林組のヤクザの歌は、令和元(2019)年当時カラオケでよく歌われていた歌が中心ですが、あえてここで詳しく書きません。「紅」の演奏にも、創唱者のX(X JAPAN)だけでもいろいろなバージョンがありますが、この映画で特筆するところは、狂児がこの歌を毎年勝負曲にし、歌う時には練習であっても上着をきちんと着ていることろや、他の曲を歌う時でも間に「紅」を挟むところから、この歌に対してリスペクトの感情を持っていることが伝わってきます。この映画では、最初の英語の詩の部分をあえて大阪弁に翻訳することろが、「肝」であり、それによってこの歌の背景のようなものが浮き彫りになってきます。聡実が、「鎮魂歌」として、「紅」を歌う時にも、聡実の歌唱の間に、狂児との想い出が聡実の視点から映した映像で流されています。
 また、祭林組のヤクザの歌は、はっきり言って創られた下手さです。ヤクザの役の俳優は、本当はかなり歌うまです。狂児役の綾野剛は、かつてバンドを組んで歌っていた時代もあります。毎年刺青を彫られていたことになっている「ハイエナの兄貴」こと小林を演じた橋本じゅんは、ミュージカル『レ・ミゼラブル』で、テナルディエを演じるほど歌は堪能ですし、チャンス大城は、ギターの名手で歌もうまいです。声が汚いと評価されたRED RICE(湘南乃風)は、プロの歌手です。やべきょうすけは、「白日」を歌って、聡実から「カスです。」と言われながらも、その後のアドバイスに従って、本番ではノリ系の山本リンダのヒット曲「狙いうち」を歌っていたところが面白いです。なお、ヤクザたちの歌声は、次のYouTubeで視聴することができます。
 それに対する聡実のコメントも、最初の方のともかく、狂児に対する「終始裏声が気持ち悪い。」を含め「声が汚いです。」「うるさいです。」「カスです。」は、アドバイスというより悪口に近いものです。それは、怖がって狂児の腕にすがりついていた聡実とはまた違った姿でした。  

綾野剛/作詞・作曲・歌「エーテル C2H5」 


チャンス大城 「ハチの大群に襲われたウィーン少年合唱団」  https://www.youtube.com/shorts/n-fWDOIdRlQ
RED RICE  「Made in Fujisawa」 

橋本じゅん 『Les Misérables』♪宿屋の主人の歌/橋本じゅん&鈴木ほのか&アンサンブル」  

やべきょうすけ 「やべはカラオケでいったい何点取れる?」  
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 映画『カラオケ行こ!』の劇中使用衣装等展示会

私自身、これまで同じ映画を観に映画館まで足を運んでもせいぜい2回までで、後は、ビデオやDVD・BRで、せいぜい10回以内です。同じ映画を映画館で5回足を運び、動画配信を入れると20回以上観た映画はこれが初めてです。8月6日には、予約注文していた映画のコメンタリー付きのBRや、舞台挨拶やメイキングのDVDが届きましたが、これからどうなるのでしょう。 
 ただ、「岡聡実誕生祭」や「成田狂児誕生祭」で上映された舞台挨拶の映像は、円盤に入っていませんでした。これは、まだ、原作の漫画が完成作品でなく、映画化が未定な『ファミレス行こ。』にふれているためではないかと考えられます。  

 大阪市の電器の街「でんでんタウン」にあるジョーシン日本橋店2Fディスクピアで、8月7日(水)~8月18日(日)まで、映画『カラオケ行こ!』の劇中衣装(成田狂児、岡聡実 各1着)劇中使用小道具(カラオケショップの料理メニュー・森丘中学校合唱部 歌唱の手引き・虎印の音叉)場面写真パネル展示開催中です。(ジョーシンも、店を整理・統合しています。)
 私も、巻き戻しをしたときに切れたオペラ『ラ・ボエーム』のビデオソフトを、その近くにある日本橋商店会の西山商店で修理してもらった帰りに、この展示会を観て、写真撮影(自由)をしてきました。

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「オンブラ・マイ・フ」(その3)

デビッド・シズナー(David Cizner) 


セバスチャン・キャリントン(Sebastian Carrington) 

アントニオ・デ・ラ・トーレ(Antonio de la Torre) 

マラカイ・バヨー(Malakai Bayoh)   

フィリップ・チェン(Phillip Cheng 8歳)

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「オンブラ・マイ・フ」(その2)

アンソニー・ウェイ(Anthony Way) 


アクセル・リクヴィン(Aksel Rykkvin 14歳)  

ロイ・ヴァン・ヴグト(Roy van Vugt) 

カイ・トーマス(Cai Thomas)

モーレイ・ウェスト(Moray West)   

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「オンブラ・マイ・フ」(その1)

 「オンブラ・マイ・フ」(Ombra mai fu)は、ヘンデルの作曲したオペラ『セルセ』(Serse, Xerxes)第1幕冒頭のアリアで、ペルシャ王セルセ(クセルクセス1世)によって、プラタナスの木陰への愛が歌われています。
 このオペラ『セルセ』は、ヘンデルの死後、次第に上演されなくなりましたが、「オンブラ・マイ・フ」だけが19世紀になって、「ヘンデルのラルゴ」という名称で愛唱されるようになりました。元来は、カストラートのための曲ですが、今日は主に声域が近いソプラノにより歌われています。日本でこの曲が有名になったのは、ソプラノ歌手キャスリーン・バトルによる歌唱の映像が、昭和61(1986)年からニッカウヰスキーのCMに使用され、売り上げにも貢献したことが挙げられこの影響もあり、翌年の第38回NHK紅白歌合戦では、初出場の佐藤しのぶが同曲を歌唱しました。
スーパーニッカCM キャスリーン・バトル  


昭和62年(1987年)/第38回 紅白歌合戦 佐藤しのぶ 


 同時に、この歌は、ボーイ・ソプラノでも歌われていますが、ボーイ・ソプラノとしての最後の歌になっていることも少なくありません。それだけ、ボーイ・ソプラノにとってこの曲は難曲とも言えます。
ハンス・ブッフヒール(Hans Buchhierl) 

アレッド・ジョーンズ(Aled Jones)   

サーシャ・チェルカス(Sasha Cherkas)   

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今回採り上げた日本のソリストを中心に

 土屋道典、小牟禮利郎の二人が歌う「おいでよピーターパン」は、慶応大学の学生であった頃の冨田勲を迎えたときの作曲で、オーケストレーションも見事です。時代を先取りした新しい感覚の曲で、同時期に作られた童謡と一線を画しています。当時冨田勲はひばり児童合唱団でピアノ伴奏を担当していました。ここでは、土屋道典(1番、4番)小牟禮利郎(3番)がソロをとっていますが、いずれも似通った歌声ですばらしい発声です。
土屋道典 小牟禮 利郎/ゆりかご会「おいでよピーターパン」 



 上山 隆についての詳しい情報はありませんが、「早起き時計」は、昭和12(1937)年にキングレコードからリリースされました。また、池田 欽一も詳しい情報はありませんが、藤沼 千美と同世代の童謡歌手ではないでしょうか。「蛙と雀と一茶さん」は、昭和31(1956)年にレコーディングされました。藤沼 千美については、「日本のソリスト」で採り上げています。「早起き時計」は、1937年にキングレコードからリリースされました。
上山 隆 「早起き時計」  

池田 欽一・滝川 正子・藤沼 千美 「蛙と雀と一茶さん」  
 

 石橋陽彩の歌声は、「リメンバー・ミー」を聴いてしまうと・・・以前の個人YouTubeチャンネルでは、少年時代の歌声もたっぷり試聴できたのですが。
「リメンバー・ミー」 
&t=18s 
「音楽はいつまでも」 

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エル・エスコリアル王立修道院少年聖歌隊の歌声

花のデュオ「ラクメ」  


鳥の歌(カザルス)   

舟歌 (歌劇『ホフマン物語』より) J. オッフェンバック  

オー・ホーリー・ナイト  

エスコラニア・デ・エル・エスコリアル - コンサート 2017   
&t=2s

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第38回童謡こどもの歌コンクール/こども部門/二次審査収録会の録画第5弾

後藤 海喜哉 小3 「うたえバンバン」   


後藤 レイサ 小6 「ちびっこカウボーイ」 

杉保 知隼 小5 「にじ」        

高良 奏丞 小5 「ふじの山」      

田中 壮之介 6歳 「ドラネコそらきた」   

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近藤匠真の歌声を追って

 近藤匠真は、『童謡こどもの歌コンクール』に変声前だけでなく、変声後もエントリーして、決勝にも進出して入賞しています。もともと抒情的な声質なのですが、変声後も現時点ではオペラよりも歌曲に向いた歌声です。そこで、その歌声を追ってみました。

近藤 匠真 小5 「ふるさと」


近藤 匠真 中2 「早春賦」

近藤 匠真 中2 「早春賦」

近藤 匠真 中2 「トスティ/セレナータ」 
&t=79s
近藤 匠真 高2 「浜辺の歌」   

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ウィーン少年合唱団の演奏の変遷(2)

 ウィーン少年合唱団の映像を1967年から1986年まで追ってみました。昭和の終わりごろに当たります。この頃は、3年に1度ぐらいの来日でした。

ウィーン少年合唱団 1967年  

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ウィーン少年合唱団 1973年  

ウィーン少年合唱団 1978年 日本公演  
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ウィーン少年合唱団 1983年 日本公演

ウィーン少年合唱団 1986年 日本公演  

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