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ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。

(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

飢え 喜太郎

愛を二人で食べてた少しずつ
すぐに減らない様に少しずつ
すぐに無くならない様に
二人で愛を足しながら
どんなにお腹が空いても
どんなにたくさん食べたくても
ずっとあなたと食べていたかったから
少しずつ少しずつ食べていたの
でもやっぱり男なのね
食べるの早いし沢山だし
気づいたら私は沢山の愛を足していた
食べる暇もないくらいに足し続けて
あなたは飢えた子供の様に際限なく食べたわ
私の足し続けてきた愛は心だけでは足りなくて
身体も生活も全て捧げて足し続けて
それでもあなたと食べていたかった
それでもあなたに食べていてほしかった
私の愛を 私だけの愛を永遠に食べていてほしかった
其処はまるで回る中華テーブル
あなたは空の皿を回して避けて別の盛られた皿に手を出したの
汚れた空の皿は下げられて まるで私の心のよう
二人で少しずつ食べていたのに
二人で愛を足しながら食べていたのに
私は一人残った部屋の中 汚れた皿を洗い流す
また美しく料理を盛り付ける日まで
小傷だらけのガラスの皿は食器棚へと片付けられる
また食べられるように
またすぐに減らない様に
私は愛を心の中で育てていくの
男はみんな飢えてるから

編集・削除(未編集)

流星  埼玉のさっちゃん

弱い自分をさらけ出せるのは貴方にだけ
近くに居ても
寂しい想いをしているのは
私だけだと思っていた
貴方と流れ星を見るまでは
二人でベランダから見れた奇跡
一生忘れない
人生の中で大事な一場面になる
コーヒーを抽出するような
ゆったりとした味わい深い想い出
隣の貴方は
私がそう感じているとは知らずに微笑む
そして
私も微笑み返す
この倖せな時間が続いて欲しい
また何年後かに
二人で流星が見られるようにと願う

編集・削除(未編集)

お言葉ありがとうございます

皆様
今回のダブル受賞の
お祝いのお言葉
誠にありがとうございます。
これからも
よろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

三浦様 評のお礼です。  荒木章太郎

 いつも、深く読んで下さりありがとうございます。本作は宗教色が強くなることを恐れて、表現を自粛してしまったことで、分かりづらい作品になってしまいました。キリスト教、特に聖書に書かれている意味での「父と子」のテーマが中心にあり、そこに付帯する、人間の不条理、不完全さや愚かさをユーモラスに表現したかったのですが力不足でした。ここは、怖がらずに宗教的な部分もしっかりと描けばよかったと後悔しています。
「はじめに言葉ありき」と聖書に書かれているように、人類は言葉を持ち、意識を持ち、空想や信仰を持ち、文化、社会システムを作って進化しました。本作ては、神についてはキリスト教の概念に絞り込みました。神(父)の子であるという概念を持った人間が、さらに科学を発展させて神を越えようとする。昔はバベルの塔を作って天に辿り着こうとして失敗しますが、現代は人工知能を作って神を越えようとします。しかし、所詮は人間。その生命体の枠組みだけに捉われて、世界を構築しようとしている間に、宇宙では地球外にいる知的生命体と天使が手を組んで、全く人間の発想を超えた世界を構築すると言う話でした。

編集・削除(未編集)

批評です 11/5〜11/7までのご投稿分の評です。  滝本政博

「しない人」  喜太郎さん  11月5日

恋愛詩を様々なモチーフで描いてきた作者。
今回の全体を貫く設定は、<あなたは「しない人」だから>というものだ。その設定がよく効いていて複雑な女心を上手く描き出しています。逆説的に効果をあげていきます。私とあなたの関係性がしだいにあきらかになり読ませる。
やはり書き方が上手なのだと思います。引き込まれていきました。

気になったのは一点。
「あなた」という表記が12回出てきますが、省略できる個所もあると思います。

あと今回は最後まで連を分けずに書いていますが、わたしなら三連ぐらいに分けて書くかもしれません。これは、そうしなければいけないというわけではありませんが、一度ご検討ください。
少し甘めの佳作とします。



「コツコツさん」  じじいじじいさん   11月6日

歩くことや旅を人生に喩えるのはよくあるパターンです。が、人気のある喩えであり、堂々たる作品から少しひねったものまで、古今東西多くの作品が書かれています。ご存じのものもあるかもしれませんが、参考になればと少し例示いたします。

「道程」 高村光太郎
どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
道は僕のふみしだいて來た足あとだ(以下略)

「感動」 アルチュール・ランボー
私はゆこう、夏の青き宵は
麦穂臑(すね)刺す小径の上に、小草(おぐさ)を踏みに
夢想家・私は私の足に、爽々(すがすが)しさのつたうを覚え、
吹く風に思うさま、私の頭をなぶらすだろう!
私は語りも、考えもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往こう、遠く遠くボヘミヤンのよう
天地の間を、女と伴れだつように幸福に。

「The Long And Winding Road」  ビートルズ
君の扉へと続く
長く曲がりくねった道
それは決して消えることなく
たびたび現れては
この場所へ僕を連れ戻す
どうか君の扉へと導いてくれ(以下略)

「坂の途中」  スガシカオ
そう西行きのバスに乗って 3つ目のバス停でおりてね
ノラネコが沢山いるけど
エサをあげてる場合じゃないよ
長い長い坂道のぼって 1度だけ休んだら もう
うしろを見ないで のぼること
坂の途中 夕やみが おりたら ぼくに電話をしてよ
休まないでのぼること まだ半分だよ(以下略)

さて御詩ですが、
コツコツと一歩ずつ頑張る人を「コツコツさん」と命名したところがいいですね。
<コツコツさんは雨の日も晴れの日も
 自分の夢に向かって歩いています。
 一歩づつ 一歩づつ
 コツコツと頑張っています
 決して大きな一歩ではないけれど
 前に向かって歩いています>
ときには、乗り越えられない壁や、泳ぎきれない大きな河にぶつかります
そんな「コツコツさん」に作者は優しく忠告します。
「たすけて」と泣くことも大切だよ、人なんだから
「できないよ!つらいよ!たすけてよ!」

「コツコツさん」は作者であり読者でもあるのでしょう。
ある種、前向きで、温かい詩でした。



「睡歌」  秋乃夕陽さん  11月7日

一連、二連、夢の中で詩を作っている。
三連目で
<目覚めてからやっと
 それはすべて夢だったと気付くのだ>
頑張って詩作をしているので、夢の中でまで詩を書いている。
ある種の覚悟が感じられ頭がさがります。
作者の人柄によるものか、誠実かつ切実な詩人像が垣間見えます。
一連目は制作過程を教えてくれているのか、面白いね。
最終連や、タイトルもよく考えて作られている。

〝いまはまだ蒼い空の下で〟
という詩句もいいです。

<どうやら寝ても覚めても詩を書き綴るらしい
 休まる暇などなく
 しかし自分にとって詩を書くしかないのだと
 自覚せざるおえない
 これからもこうやってツマラナイ言葉を
 黙々と考えてゆくのだろう
 たとえ周りの草木が枯れて風が吹いても>
凄いなー。もう決意表明!

でも、わたしも仲間なので安心してください。
わたしの場合はノートを二冊用意して、片方は思いついた詩を一行でも二行でも毎日書くようにしています。
もう一つのノートには人の詩を読んで気にいったところを書き写しています。



「今は此所にいる」 津田古星さん  11月7日

佳作といたします。
一読、とてもよい詩だと思いました。
お父様の晩年のエピソードが、ややエッセイ風に描かれています。
「今は此処にいる」これはとても深い言葉ですね。これが詩の後半に大きく反映されてゆきます。
<今居るところで生きてゆくしかないという
 諦念であったのか
 今居るところを自分の天国にするという
 心構えであったのか>
このあたりもとてもよいのですが
特に最終連は感動的であたたかい気持ちになりました。日常生活の中での父への思いが詩へと昇華してゆきます。
父の病と死は重いテーマですが、乾いた書法で温かさを醸し出している。生活の中から詩を取り出す手際に才能を感じます。
生活詩であり追悼詩と言える詩は、この高齢化社会で今後増えてゆくかもしれませんね。

わたしの家にはわたしの母と、妻の母が同居しています。91歳と93歳です。
他人事でなく、読ませていただきました。



「一次関数」  人と庸さん  11月7日

佳作といたします。
まず正直に告白いたしますと、算数の時代から数学は苦手で、高校時代に怠けたもので、第一連の数式が理解できませんでした。知り合いに一次関数についてレクチャーしてもらいました。

面白い詩だと思います。形式、視点がユニークで読ませます。
趣向・形式・主題がきれいに収まっているのを感じる。
数式の中に詩を見出そうとする新奇な企て。その構造が美しいです。
前例があるのでしょうか?わたしは知らないので驚きました。
瑞々しい感性で、特徴としては、その視覚性をあげられます。動的表現も加わって魅力的です。

第一連の一次関数の問題のあと
二連は
<「走ってくるわ」と言って
  君は夜の道にとび出した>
と唐突に詩が動き出す。ここいいですね。

最終連の
<君は今
 どこら辺を走っているんだろう
 x秒後の未来では
 どんな三角形が描かれるんだろう>
も優れていると思います。

だが一次関数については付け焼刃なので、わたしはこの詩のよい読者ではないでしょう。力不足といえます。ごめんなさい。

編集・削除(未編集)

青島江里様  評の御礼です  温泉郷

青島江里様 今回もお読みいただきありがとうございました。佳作の評価をいただき、大変うれしく思っております。いただいた評の中で、私自身が明確には意図していなかった様々な人間関係における感情を読み取っていただけたこと、少し驚きをもって拝読いたしました。改めて作品を読み返してみると、不思議なことに、ご指摘いただいたさまざまな感情が新たに作品から浮かんでくるように感じて、評をいただくことのありがたさを改めて実感した次第です。今後とも、よろしくご指導くださいますようお願い申し上げます。

編集・削除(未編集)

金魚にできること

ぼくは金魚
毎日水槽の中から
ぼくの前を通る人
ぼくの前に来る人を見ている

昼寝をしていた金魚の歌を
ぼくのことなんか目もくれないで
歌いながら通り過ぎる人は
大あくび
赤いベベを着てるぼくを
見てもらいたいな

とぼとぼとぼくの前を行く人の
足音が聴こえる
俯いて涙がこぼれ落ちる
ぽとんという音も聴こえたけれど
ぼくはこの人に
何もしてあげられない

毎日 
ぼくの前を通る人たち
一定のリズムではなく
音色も色彩も形も
バラバラな人たち
ぼくの前にやって来る人たちも
誰ひとり同じ波長ではない

水槽の中の僕を見つめる人が言った
「おまえかわいそうだな。
川に住んでりゃ大きな海に行けたかもしれないのにな。
海にはいろんな魚がいるんだぞ。そりゃあ美しいのにさ」
そう話した人の表情を思い出すと
なんだか切ない

「明日から私が金魚にえさをあげるので休んでください」
「ありがとう。でも大丈夫ですよ。あなたこそ休んでください」
ぼくの目の前での立ち話
きっとぼくに聴かせるつもりじゃないんだろうけど
二人が交わす息づかいが
水槽の中のぼくまで緩ませる
「ありがとう」の言葉のかわりに
ぼくは泡をぽかんと上手に吹く

今日ぼくは初めて水槽の上で
ぴちゃんと跳ねてみた
思ったより水の跳ねる音が響いて
素通りしていた人たちがみんなして
ぼくのほうに振り向いてくれた

いくら魚とはいえ
川や海を知らない
小さな金魚のぼくが
流れてもいない 波もない水を動かすのは
とても大変なんだ
でも 今日やっとできた
やっとだよ…そしたらね 
いつもとぼとぼ歩いて泣いていた人が
一目散にぼくの前にやってきてこう言った
「今日からきみは『ぴちゃん』!」

みんな明日もぼくに会いにきてほしいな
明日がどんな日であっても
今日のぼくを忘れないで
いつかまた
水槽の水を飛び散らして跳ねてみせるよ
もっと高く
そう ぼくは金魚のぴちゃん

編集・削除(編集済: 2024年11月15日 14:50)

青島江里様 御感想の御礼  ふわり座

今回も丁寧な御感想ありがとうございます。
やっぱり難しいです。何回も読み直してはいるのですが、なかなか直す場所を見つけるのが難しいです
もっと目を光らせたいと思います。
これからも宜しくお願いします。

編集・削除(未編集)

10月29日(火)~10月31日(木) ご投稿分、評と感想です。  (青島江里)

お待たせいたしました。
10月29日(火)~10月31日(木) ご投稿分、評と感想です。

☆恋せよ乙女  喜太郎さん

青春ですね。女の子からの告白なんて、すごい勇気がいるでしょうね。友達が代理で渡すっていうところが、女子のあるあるパターン?!(私はどちらも経験ありませんが、クラスで似たようなことをやっている人たちがいました!)結果的にはハッピーエンド。ドラマのようなストーリー。めでたし、めでたしの気分で読み終えました。

今回の主役は告白した女の子と告白された男の子でした。そこでこの作品を盛り立ててくれた名脇役がいました。それはなんでしょう。それは「西陽」でした。作中で説明風のところになっている部分を「西陽」メインを意識しながら書くと更に二人のひとつになる気持ちが浮かび上がってくるのではないかと思いました。一例をあげてみますね。何かのご参考になれば嬉しいです。

読み終えて振り返ると
西陽の入り込む教室に
彼女が立っている

泣き出しそうな
少し微笑んでいるような
今にもこわれそうな顔で
僕を見つめている

西陽が僕の背中を熱くする
僕は何も言わずに笑って
両手をあげて大きな輪をつくる
彼女も同じ輪をつくる
笑いながら泣いている
彼女の涙の頬に
まぶしい西陽が光っている
今彼女が僕の天使になった

……こんな感じで西陽を意識して書いてみました。丸ですが、今回の作中での響き的なものとして「輪」を選択してみました。僕が大きな丸をつくるシーンの西陽は、告白されてドキドキしている様子と嬉しさで高揚している気持ちを込めて「熱くする」を加えてみました。「複雑な顔」は固い感じがしたので、彼女の不安でどうにかなりそうな気持ちを意味する感じで「今にもこわれそうな」としてみました。あとは「キラキラ」の部分は彼女の頬の涙を強調する意味をこめて、あえて改行して西陽を強調する行をつくって言葉も変更してみました。

「西陽」を取り入れたのは大成功だと思います。それだけで放課後という時間をしめすことができますし、体温のようなものを表すことも可能ですし。二人を取り巻く背景が、光でぼやけて夢のような雰囲気を醸し出すことも可能ですし。気になったのは説明的な部分を整理するところだけでした。気持ちの表現としてはとても純粋なものを上手に伝えてくれている作品になっていると思いました。今回は佳作一歩手前を。



☆ねむる 人と庸さん

小動物の動画をみていると、なんてうまくはまっているんだよって思うほど正確に形に添って寝そべっているシーンをよくみかけます。あれって、本能なのでしょうか?個々の気性によるものなのでしょうか?みていてよくそんなことを考えたりすることがあります。今回の登場する動物はお犬様ですね。上手に形にそって寝ている様子を思うと、かわいいなという気持ちが湧きあがりました。

そして、その対象としての「わたし」は全く逆のかたちのない水のような寝方だといいます。「わたしへのあてつけだろうか」と思ってしまうところが面白いですね。また、こぼれた水のようにねむるという表現は、疲れていて、かたちよく(=お行儀よく)なんて考えているところじゃないんだよっていう感覚が伝わってきてよかったと思いました。

全体的にみると、中盤にあと少し書き込みが必要かなと感じました。「四角い敷物なら四角くなって」のあとなのですが、改行して「ねむる」をつけた方がわかりやすいと思いました。タイトルですでに「ねむる」とされていますが、この場合はどうしているのかということがちゅうぶらりんになってしまう可能性がでてくると思いました。

「わたしへのあてつけだろうか」のあとにも犬の様子、たとえば「わざとこっちのほうを向いているのか」など、あてつけと思われる所作のようなものを持ってくると、更に場面がはっきりとしてくると思いました。

いずれにしても、犬と人間の自由な関係が感じられて、疲れていても遠慮なしに好きなように眠れることを感じさせてくれる作品でした。今回は佳作一歩手前で。



☆壁 相野零次さん

なかなか複雑な心模様です。人によって色々な読み方のできる作品になっているのではと思いました。私は私なりに思った感想をお伝えしますね。

「無数の血でできた手形」という言葉はいきなり衝撃ですね。一行目の「幸せなんてやってこない」という言葉もインパクト大でしたが。次の行からは世界の残酷さが語られていきますが、こちらも捻じれた空気を彷彿させるような独創性。

世界は残酷で待っているだけじゃなにも与えてくれない
警察や軍隊は犯罪者だけを捉える
刑務所に入るのは罪人ばかり
何も犯しちゃいない何も盗っちゃいない僕は無視される
そう僕は誰にも相手にされない 

上記の表現の数々はすべて、通常とは真逆の表現。警察、刑務所は罪人を捕まえるというところを覆しています。この表現で驚かされたかと思うと、何も犯しちゃいない僕はだれにも相手にされないと持っていっています。この無理矢理に結んだようにも捉えられる表現は、意外にも、罪を犯すことも正しく強く生きることも、両方ともできずにいる自らの弱さを歯がゆく思う気持ちや、どこにも行くことも決めることもできない分厚い壁にぶち当たってしまった絶望のようなものも感じさせてくれました。更に後半でのあの叫びのような表現は、どうしようもない世の中と、どこにも行けない自分という存在についての怒りさえも感じさせてくれました。もう少し深読みすると、感情を失ってしまいそうな不安に襲われている毎日も感じさせてくれました。

色々な意味に捉えられる部分が多い作品なのですが、一番恐ろしいのは、ただ真逆に表現しただけの作品として読まれるだけで終わってしまうこと。つまり、この作品はそういう紙一重の危険もはらんでいるということです。どちらに捉えられるのかという判断は読み手にゆだねることになります。読み終えて感じたのは、実験的でもあり、冒険的な要素を含んだ作品であるということでした。踏み込んだ部分は、かなり力がいったと思います。登場人物の叫びと脱力、両方を感じさせてくれる作品でもありました。

詩を書いていると、ずっと調子よく書ける日が続くわけでもなく、停滞ぎみになってしまうこともありますが、このように、ふだんあまり誰もやらないようなことをやってみるのも、スランプから脱出するきっかけをくれることもあると思います。それが、周辺からよい評価を得ても得なくても、とにかく自分の気持ちを一番にして書かれていくことが大切なのかなと、ふと、感じました。一息ついたり、ちょっと寄り道したり。マイペースでいいのだとも。相野さんのこれからの詩生活が充実したものとなりますように。



☆遠い日のアルバム  ふわり座さん

生きているとたくさんの出来事があって、それを一から十まで覚えていられる人なんていませんね。ずっと、大切にしたい記憶や、誰かと一緒に共有しておきたい記憶。そんな思い尾を助けてくれるのはアルバムですね。

流れをつかみたいので、読後、おおまかに要点をまとめながら、再度、作品を追っていきたいと思います。

① 遠い日をアルバムをみる。笑っている写真で涙が出てくる。過去とは違う自分。
② 騙し騙しに笑っている自分。本気の涙を流したい自分。
③ 時は流れていく。アルバムは色褪せる。流れていく時間の背景が全部アルバムに詰まっている。玉手箱のようなアルバムに記憶を詰め込む。
④ アルバムの中に詰め込まれたものは、昨日のように新鮮に思える。
⑤ もしもロボットだったら、御主人様に記憶は消されてしまう。人間の記憶の大切な記憶は一生涯残るものは少なくない。
⑥ 大切な記憶を思い出と呼ぶのかもしれない。
⑦ 思い出が慈しみの目でみている。
⑧ 僕は弱くない
⑨ たまには弱くなるけどその時はよろしく。
⑩ 一生の親友のようだ遠い日のアルバムは。

順番に追っていくと④と⑤の部分がうまくかみ合っていないように思いました。突然のロボットの出現は、ロボットとは違って、人間の記憶は、やり方によっては、自らの意思で大切なものを残すことができるという意味合いであげられたかと思われるのですが、④の古いアルバムの記憶は取り出すと新鮮だということとのつながりは感じにくいですし、場面転換の部分としても難しいものがあるように思いました。ロボットを別の例にするか、「人間の記憶の大切な記憶は一生涯残るものは少なくない」という部分だけを残して次に繋げていかれてはどうかなと思いました。

あとは「僕はそんなに弱くない」の部分ですね、このままだと、僕はそんなに弱くないけど、これからもアルバムを抱いて眠るという意味にも捉えることも可能になってしまいます。なので「僕はそんなに弱くないけれど」というように、逆接の接続詞が必要になってくると思いました。

時間の記憶ということについての作者さんの感覚。数えきれない出来事、覚えきれない出来事の中でも、大切にしたい思い出という記憶について、丁寧に綴られている作品になっていると思いました。今回は佳作二歩手前で。



☆空っぽの鳥かご  温泉郷さん

ふくろうを巡るお話。ふくろうに関しては、私は福来朗や不苦労の語呂合わせからくる幸せのシンボルという一説の方しか知らなかったのですが、世界の文化の中で死の象徴と捉える国もあるのだと知りました。

お人柄のよさそうなご夫婦の経営されているおもちゃ屋さん。鳥かごの中の珍しい鳴くこともできるふくろうのおもちゃ。これは子供の目をひきそうですね。ほしいと思うでしょうね。やっと願いを叶えて買ってもらえたと同時に起こった悲しい出来事……。

五連目から展開する女の子の家の引っ越しをめぐる人の受け止め方。非常に心が曇りました。人が悲しい目にあった時、そこに接する人の本性がわかるといいますが、ふくろうが死の象徴といういわれを結び付けて噂をするような人は許せませんね。営業妨害にもなりそうなとんでもない噂です。そこから六連目にかけてのおばあさんの「そんなことあるかい」の力強さ。痴呆症になりかけても、ふくろうを悪く言わない。だけど詩行の裏側には、もしこのふくろうを買わなかったらそんな目に合わなかったのか?という、滲んできそうなかなしみも感じさせます。最後の方ではおばあさんに合わせるように鳥かごをつり続けるおじいさんの姿がこれもまた、女の子の元気な姿を浮かび上がらせるような表現になっていそうで、とても切ない気持ちになりました。

ひとつの詩の中に、人間のいやらしさ、いいことを信じようとする人のまっすぐさと強さ。強がって今にも割れてしまいそうな気持ちを一心に支えてあげようとする、愛するものに寄り添ってあげようとする心。可愛い存在を突然なくしてしまうことのどうしようもないかなしみなど、人間の様々な心の動きが織りこまれていました。最終行のおしいさんがおばあさんを信じて鳥かごをつり続けるという夫婦愛の表現は、灯りのようで救われるような気持ちにさせてもらえました。佳作を。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

11月。今年は夏の気温が長すぎて、秋をゆっくり感じる暇がないような気がしました。
秋かなと思うと、いきなり天気予報では木枯らしのお知らせも。服装の調整も大変なこの頃。
どうぞ、お元気でおすごしください。

みなさま、今日も一日おつかれさまでした。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様へ お礼  司 龍之介

三浦志郎様へ。
評をくださりありがとうございます。
推敲が足りませんでしたね。
最近は自分の日本語力に少し自信を喪失してました。
チャットGPTで誤字脱字チェックしてとお願いしても
完璧にはいかないようです。
自分の感覚を信じます。
佳作ありがとうございました。

編集・削除(編集済: 2024年11月10日 23:50)
合計6151件 (投稿6151, 返信0)

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