◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
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ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
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本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
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ありがとうございます。
確かに、それ以上の広がりに欠けておりました。
一般性と個別化、難しいですが、これからの課題にさせていただきます🙇
申し訳ありません。
所属してる日本詩人クラブをはじめ、詩人会のイベントが週末に立て続き
私はどちらも関係者のため、今週はその準備にすっかり費やしてしまったので、評が遅れております。
4/26~4/29ご投稿分の評は、14日(火)夜のアップ予定です。
すみませんが、いましばらくお待ち下さい。
また、次の評者の方は、遠慮なく先に行って下さい。
よろしくお願い申し上げます。
潮溜まりに座って
そっと足を突っ張り 砂を押し出す
穴を掘り
砂でプールをつくる
砂糖のように脆い砂の土手
崩れた砂をサルベージして盛り上げていると
小さなヤドカリが
ぞろり
と 躄(いざ)ってやって来た
貝殻に潜り込んだヤドカリは
はさみを出し
触覚を出し
眼を出し
ぎょろっ とあたりを見廻している
身の丈に合った巻貝の殻を探し廻り
宿を借りる
イソギンチャクを背負って
天敵から身を守る
その生き様が けなげだ
ヤドカリは潮溜まりのなかで
自分なりに装い
自分の世界を
自分らしく
懸命に生きている
**
ごうら(*)に散在する
黒い石
ところどころに濃い緑の縞が混じる蛇紋岩
波に洗われ
鏡面となったつるつるの石が
十文字の光を放散する
おのれの運命(さだめ) とばかりに
水の中でみじろぎもせず
鎮座する黒い石
ぴかぴかに磨かれた墓石のようだ
石と石の狭間に貝殻の堆積がある
古びた巻貝の死骸
夥しい蝟集
ここは
ヤドカリが永の眠りについた場所
やがて上げ潮となり
潮の流れは
小さきものへの哀歌を奏でる
洗われる黒い石
水が揺れる
石が揺れる
霊(たましい)が揺れる
**
南風が顔を撫で
漣がたつ
僕のこころに共鳴する哀しき微風
夕刻となり
小さきものへの供養のため
盂蘭盆の灯し火を流そうと
紙の船を折る
蝋燭を乗せて点し
海へ放つと
紙の船は沖に向かって流れ
青い夜光虫が葬列のように光る
黒い石の下の小さき骸に
想いを致し
灯火の行方に
万物流転の無常を感ずる
*ごうら 石がゴロゴロしている浜辺
世の中にはたくさんの花があります
どの花を「好き」と想う事も
どの花を「愛してる」と想う事も
どの花に「好き」と言う事も
どの花に「愛してる」と言う事も
それは自由です
そして私が「好き」と想う花や
私が「愛してる」と想う花から
「好き」と想われたいと想うことも
「好き」と言われたいと想うことも
「愛してる」と想われたいと想うことも
「愛してる」と言われたい想うことも
それは自由です
あなたが白い花とします
あなたにむかって私が「黄色が流行っている」と言ったらあなたは黄色い花になりますか?
私はあなたが黄色い花になってくれても嬉しくありません
ちっとも嬉しくありません
なぜなら私は私の目で見える白い花の色だけを好きなったわけではないし
たとえ私の目で見えるあなたという花が白から黄色になってもそれは私の目にうつる色を流行りに合わせて変えてくれただけだからです
私は私の目に見えるあなたの花の色だけではなく白い花のあなたの中身がそして全てが好きだから、愛しているからです
中身とは何でしょう
私は花の内面にある心だと思います
私はあなたの花の色だけを好きになったわけではなく花の色だけを愛してしまったわけではありません
だから花の色は変わらなくていいのです
私はあなたという花の色も心も全てが好きであり愛しているのだから
私の好きなあなたという花は、私にとって世界一、美しい花です
それはあなたという花の色も心も全てです。
私の愛してるあなたという花は私にとって世界一 美しい花です
それはあなたという花の色も心も全てです
私にとって世界一 美しい花へお願いがあります
どうか今のあなたのままでいてください
私はいつもかわらず美しくいてくれるあなたを愛しています
今もこれからも 晴れの日も雨の日も
ずっとずっと私はあなたを愛し続けます
あなたが辛い時も泣いている時も私は私の命をかけてあなたを守り愛し続けます
あなたの世界一美しい笑顔を見ていたいから
私はあなたという花の色も心も全てが世界一 好きなのだから
私はあなたという花の色も心も全てを世界一 愛しているのだから
あなたをずっと好きでいることを
あなたをずっと愛することを
私はあなたに誓います。
私にとって世界一美しいあなたという白い花へ
「申し訳ない」なんてことないです。
丁寧にお読み頂き、本当に感謝致しております。
場違いなものとは思いつつ、自分が感じたことをどうしても
お読み頂きたくて投稿してしまいました。
にもかかわらず、お目を通して頂き、ありがたく存じます。
「JOE」の詩、とても素敵です。切ないほど。
今後とも、どうかよろしくお願い致します。
三浦志郎さま 評ありがとうございます
戦後名詩選という詩集を読んで、長くて難解な詩ばかりで、そういうのをイメージして書きました。
猿真似みたいなものですが、全く実力が伴っていません。ユーモアをもりこんだり、ストーリー性をもたせるとかして、自分らしさを出してるつもりです。作風とか特に決めてないんですが、谷川俊太郎さんが好きなので、いろんなスタイルで書いてみたいです。精進します。
三浦志郎様 ご感想ありがとうございました。
知人夫妻がモデルでして、
連休は公園に行ったということから
想像して書いたものでしたが、
多分、こんなやりとりだったろうな、と。
知人妻は本の虫でキャラが独特です。
いつも二人を面白いなあと思って見ています。
今後ともよろしくお願いいたします。
こんにちは。上田です。
終戦における大陸からの引き揚げについては多くが語られ、書かれています。その艱難辛苦を口で表すのは難しいが、一度は挑戦してみたいテーマでした。
私の一族は父方、母方ともに朝鮮からの引き揚げ者が多く、法事など身内での集まりでは自然引き揚げ時の困難が語られました。そのような環境にあったこと、父母は話し上手で、寝物語に聞かされた逸話は大層リアルで私の心に深く刻まれました。
ご指摘のようにこの物語の船には父は乗っておりませんが、引き揚げた後、一家が住んだ菊川(現下関市)で、祖父や伯母、伯父から詳細な話しを聞いたようです。
又聞きではありますが、父から聞いた引き揚げ時の困難は非常にリアルで、あたかも自分が乗船していたような気分になったものです。富海海岸から釜山に引き返した祖父のくだりは何度聞いても、凄いと思わされました。
いかにも長州人的でしょう。
ここらは小説にでもならないかなと思っています。
私の詩に迫力を与えてくれた今は亡き祖父に感謝です。また、そこのところを読み込んで下さった上、高い評価を与えて下さった三浦さんには本当に感謝しています。ありがとうございました。
予定の関係でお先に失礼致します。
1 理蝶さん 「カントと小石、宇宙と人間」 5/3
評を書く前にカントを大急ぎでさらいました。大雑把に言えば、彼は今まで神の庇護や後見にあった理性や認識を人間の自主性の側に解放したとでも言えばいいでしょうか。カントを扱うだけに、なかなか抽象度を高めてきています。この詩にも原因~結果の因果関係、認識論、「かみさま」の存在が少なからず語られています。上記のことを考えると、特に7連目と最終連は象徴的、暗示的と言えそうです。認識することにおいて神の手を借りずに人間本位で、かつての神の意義を人間が自ら行う。そんな風に感じています。宇宙が何故出て来たかは、残念ながらわかりませんでした。 タイトルから察するに「大いなるものとちっぽけなもの」の対比。世界への対し方の隔絶―といったようなことも感じています。
甘め佳作を。
2 温泉郷さん 「連休」 5/3 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。
少しライトな書き方で、どこかユーモアも感じるようです。「僕」は大汗かいて各種提案するのですが、「君」(奥さん?)の気の抜けたような受け答え。常に本に接している。このおざなりな返事がかえって際立っていて評者は好きです。キャラが見えるような気がします。 けっこう夫婦間でありそうなセリフと場面ではあります。「私が行ったことがなくて~どこでもいいの」の受け答えは秀逸で、(実に上手い逃げ道だなあ)と思いますね。英語で言うCLEVERといった感覚でしょうか。実際にカイツブリのいる公園の池に行きますが、ここでも本に夢中になっている。最後はオチ的というか、ユーモアで終わっています。ここがキャラの極め付けでしょう。この詩はあっけらかんと額面通りに読んでいいのか、それとも、この詩の裏に何か深遠な節理とか哲学が内蔵されているのか気になるところではありますが、まあ、面白い二人ではあります。又書いてみてください。
3 上田一眞さん 「組曲 海峡」 5/4
またまたの大作ですね。上席佳作。僕は今回も手法としてプリントアウト、地名、海名、島名の全てに赤丸をつけ、WIKIとグーグルマップを駆使して土地勘、航路の把握に努めました。これ、全て事実ですよね。とんでもない話です! 大航海です!よくぞご無事で帰国されました。まずは「Ⅰ、Ⅱ」。時制のスライドを見せながら、この大作の序章になります。僕にとっては、少し観光ガイド的に読めます。「関門トンネル人道」と、やはり源平合戦の壇之浦ですね。この詩全体にとっては、航路の暗示と一族の関係性を予告した意味で価値があると思っています。さて、いよいよ「Ⅲ」。僕にとっても大変な「評航海」です!
地図を見て思ったのは「六連島」。ここから始まっている。ここはすでに日本近海、内海への玄関口ですね。すでに行程の3分の2はクリアしています。ここを起点として物語を一挙に8・15まで逆戻りさせる。この章でも時制のスライドは行われているわけです。ここで見ておきたいのは、祖父の決断力と一族・郎党の従順と絆でしょう。難所は文中、小タイトルにもある通り、むしろ関門海峡のようです。機雷あり、航路狭し!操船の至難が想像されます。「機雷~狙撃~爆発」のシーンは手に汗握るものがあります。もうこれはひとつの戦いですよ。「スクリューの空回り」がいかにもリアルです。ことほど左様な艱難辛苦。本当によく帰って来られました。地図を追って読んでいくと、それがありありとわかるのです。この詩が語る通り、当時の満州・朝鮮からの引き揚げは言いようのない苦労あり、文学も多く取り上げ、日本現代史の重要なエピソードであるでしょう。この作品の手法ですが、時制をスライドさせることによって、変化をつけながら、最終的に有機的に物語を繋ぐ。僕はこういった手法を、若い頃、森村誠一の小説を読んで、多少違和感を覚えながらも(こういった書き方があるんだ―)と感銘したことでした。こういった手法は普通の中型詩でも採用可能ですが、長編詩においてこそ威力を発揮するというもの。この手法はその意味で適材適所と言えるでしょう。
アフターワアーズ。
ここからはエッセイ風に。 追記も驚きです。まさに律儀の鏡。ところで壇之浦・満珠・干珠(源平関係)・三田尻(海軍関係)等、興味深かったです。軽い指摘があるとすれば、昭和35年と昭和55年のくだり、冒頭付近に記した以外の役割としては、少し曖昧な感触を受けました。それと、これは指摘ではありませんが、文中ある通り、上田さんはまだ復員していない「末っ子の父」のお子さんですよね。そうすると、リアルタイムにはまだこの世に存在していない。けれども、ここまで克明に書けることを軽く紹介―伝承をほのめかすとか―しておいたほうが、書き手も読み手も居心地が良いように思ったりするのです。 最後に海について。僕も比較的海の近い所に住んでいますが、源平や海軍の昔を引くまでもなく、内海・外海共に有しているので「海は西国」というイメージが僕の中にはありますね。 お疲れさまでした。
4 荒木章太郎さん 「錆びた下弦の月夜」 5/4
前作よりも抽象度が上がっています。本作のようなところが本領なのかもしれないです。
まずは月の「下弦」と楽器の「弦」をダブルイメージさせています。雰囲気からして生ギターでしょうね。似たような趣向として「錆びた」~「寂れた」「爪弾く」~「つまびらか」「動機」~「動悸」の繋がりも挙げられそうです。音を描きたかった気もしますし、何か幻想的な光景も浮かんできそうです。
意味は取れませんでした。ただ、この詩で「パンダのぬいぐるみ」が出て来たのは、多少の違和感をもって驚きました。荒木さんの方で何か事情があったのだろうと推測はしています。パンダのイメージがこの詩の硬質とブレンドするかどうか、が評価のカギとなるようです。佳作半歩前で。
5 詩詠犬さん 「雨音」 5/5
この詩は「例えようもない」が思考の主軸になっているわけですが、「みんなも同じような気持ち」―おそらくその通りでしょう。それを受けての4蓮です。ここでわずかに世界が動き広がりを見せますが、基本的に、どうも袋小路というか、これ以上発展できない気がしてしまう。サラリと書いた一般性で終わりそう。そこがツライところに思うわけです。そういった場合、この詩に即して書くと、例えば雨音の擬音を入れるとか、雨だれの小景を入れてみるとか。具象性を狙ったほうがいいと思う。ただ、それにも新たな問題が生じて、そういった個別性は、この詩の主旨である「みんなも同じような気持ち」とは少し距離ができてしまう点ですね。そこをどうするかなんです。まあ、これはこれとして、そういった課題を次回作にどう活かすか、という事で―。前作がウイットに富んだものだっただけに今回は少しツライですかな? 佳作一歩半前で。
6 相野零次さん 「歩く男」 5/5
今回が2作目で趣向、作風共に変えてきています。なかなか面白い詩です。興味深いという意味です。これは実際歩いていると見てもいいし、人生の比喩と受け取ってもいい。「国語と算数の教科書」がちょっと笑えます。何か作者氏個人の来歴があるのかもしれない。まず語るべきは歩く男の懸命さ、真摯さ、気持ちの良さでしょう。これは特筆できます。この詩の主人公は歩く男ですが、もう一人の主人公、この詩の発話者にも僕は興味があります。初見読みでは普通に読んでいましたが、後半(これは俯瞰的、鳥瞰的意識をもって読んだほうがよさそうだ)と思いました。するともう一人の主人公も見えて来る気がします。正確には”一人を含む我々“という構図です。その視線は遥か高いところにある。たとえば神々を想像してもいい。曰く、陽の神、雨の神、風の神、etc。それらを統括する自然神でもいい。カメラ目線で言うと、アップから始まってだんだん視野を遠くにしていくような感覚ですね。それと仄かにストーリー性もあります。なかなかです。ただ、まだ二度目なので佳作二歩前からでお願いします。
7 ベルさん 「カラフル」 5/6
ああ! なんと言いますか、こういう美しい心に溢れた詩を読むのは気持ちのいいものです。
初連でささやかな思いから始まり、続く連での感謝と奉仕の精神です。現実世界はこんな風にかっこよくはいかないのですが、こういうものを目指したい情緒というものを人間が本来的に持っているのも又事実です。この詩はそういった部分を掬い取っているのです。4連などはそういった現実も踏まえながら地に足をつけた堅実ぶりを詩化しています。この世界から去って行く人々がこんな風に願えるならば、地球はまだまだカラフルであり続けるでしょう。この詩は内容も美しいが、言葉の扱い方も美しいです。どこを読んでも、優しさ、気高さ、説得力があります。詩とは全方位をカバーできるものではありません。この詩はひとつの方向から人間の生を照らしているのがわかります。そして僕はそれでいいと思っています。そこに美しさがあれば充分です。従っての上席佳作となります。末永く保管されるべき作品です。
8 静間 安夫さん 「モノクロ」 5/6
カラーが当たり前の現代映像文化にあって、根強く残るモノクロ、敢えて逆行してモノクロを使う人々の意志、創作意欲といったことを多角的に描いています。相変らず筆力は圧倒的ですね。
始まりを身近なところから話を起こしているのがいいですね。賛成しながら一番面白く読めるのは「報道・肖像写真」の部分でしょうか。個人的には肖像は白黒だと、渋いというか、その人の内面のようなものが、より深彫りされるように感じます。かえって「非日常性の雰囲気がある」は賛成できます。「ゲルニカ」がモノクロとは知りませんでした。さらに灰色に触れ、水墨画を例に出しているのはユニークですね。音楽と文学の喩えはちょっとご愛敬か?
全体の感想としては、少し評論文を読んでいるような感じがつきまといますね。静間さんもそれに気づかれて、ダイアログ形式を採ったと思います。これもアイデアと取るか“いかにも”感と取るか、は意見が分かれそうです。いつも通り、筆致というか書きぶりは凄いものがあります。
ただ今回は企画性がポイントだったと思います。一生懸命書いてくれて申し訳ないですが、佳作一歩前で。
評のおわりに。
「JOE」
“サンシティ”からのポストカードが
あなたの手許に届いた
砂漠のようなその地
故郷の人々は涸れてしまった
窓辺で空の不思議を見つめる
毎日がいつも初めてのように
「私をジョーと呼んでくれる人は
この世にもう誰もいない
そう呼んでくれる人は
もう誰もいない」
あなたはある境界を越えて
全てを理解した そしてもう何も考えないこと
究極とは常にシンプルなものだとあなたの目に映る
この世界の物狂いを見つめ
若者はその答えに泣き叫ぶが
老人はそうするほどおろかではない
終わりが近づくにつれ
あなたはこのうらぶれた部屋から殆ど出ることがない
ただ かつて愛した場所 日がな一日散歩したことを憶えている
何もせずゆったりと寛いで
窓辺にかかる月を見つめる
配達されてくる食事を摂り
穏やかに笑ってこう言う
「私をジョーと呼んでくれる人は
この世にもう誰もいない
そう呼んでくれる人は
もう誰もいない」
*
これは自分の作品ではありません。
「JOE」という僕の大好きなジャズバラードの
歌詞を遊び半分、暇にまかせて和訳したものです。
ただ自分の都合のいいようにアレンジはしています。
この曲を初めて聴いたのは高校一年生の時でした。
もう古い話です。
僕は歌うでしょう、この歌を。
いつか どこかで―。
では、また。
左首筋に喰らいつく
ドンとした重さ感じ
思わず顔を顰める
まるで虫が
しゃぶりつくような
薄気味の悪さ
しばらくすると
何もなかったかのように
すっきり治るが
不意打ちのように
やってくる厄介者
何だか正体のわからぬ
首筋の虫は
いつも活動する機会を
伺いながら
張り付いている