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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

評、1/3~1/6、ご投稿分。  島 秀生

年始に言った、今年の願いの一つ、ガザ停戦が実現しようとしている。
早速、発効が遅延しているし、まだ油断ならないのだが
このまま両者ともに合意を履行し、ステップ3まで進むことを願い、見守りたい。

それにしても、ネタニアフ首相をはじめとしたイスラエルの右派は、ガザをイスラエルの完全統治下に置くことを目標にしていたので、よく撤退に応じたものだと思う。
和平仲裁に努力した関係各国に謝意を述べたい。


●荒木章太郎さん「異臭さわぎ」

これねえー、いい感じを纏った作品ではあるんだけど、結局「君の町」がどこかわからないんです。

 「だから君の町は瓦礫の下敷きに」

が、この詩のキーとなる重い言葉に思うのだけど、そのキモとなる「君の町」がどこかわからない。

まず「安全神話」の言葉だが、少なくとも日本人が一番先に思うのが、福島第一原発事故のことであり、「原発は絶対安全」の安全神話が崩れた話であり、すると「ガレキ」とは東日本大震災を指してるのかな?となる。仮に「安全神話」を最大限広い意味にとってみたとしても、「災害や事故が起こらない」と過信していたという系の意味にしかならない。

一方、1~2連からの脈絡から追うと、

 ぶつかり合わなきゃ
 終わらないだろうと怒っていた

のフレーズからは、戦いに発展した系に読める。するとガザ地区など、戦闘による「ガレキ」を思うことになる。

つまり、前者で追うと後者が矛盾するし、後者で追うと前者が矛盾してくる。結局「君の町」が、どこを指してるのか、わからない。

加えていえば、「安全神話」と「消毒液」の関係もわからない。
前フリなしに「消毒液」を持ってこられても、医療現場しか想像できない。少なくとも「安全神話」と対になる言葉と思えない。ジャンルが違いすぎている。

もちろん「エタン」という名も外国人っぽいです。

これらを総合して、「君の町」を特定するのは不可能と思える。

どれかが間違っているか、あるいは最初から特定せずに、どこにでも通用させようとしてアバウトにしたことが、裏目に出てる作品と思える。

意見をはっきり言う国民性の国は多いが(日本人が言わなすぎなのだけど)、「瓦礫の下敷きに」の言葉はとても重い言葉なので、アバウトには使えない。混ぜこぜには使えない言葉なので、国を特定して、あるいは事件を特定して話した方がいいです。

この詩、場の描き方は、とてもステキな雰囲気を持ってる詩で、友情すら匂ってくるのだけど。なので、とても惜しいのですけれど、何か大きな間違いを一つやらかしてる感じで、読む側の立場で言うと、話の芯に入れずに、ひどく遠巻きに読むしかない作品になっているのです。

現状、半歩前にとどめますが、ミスが改善されれば、ぐっと良くなる、化ける作品に思います。


●温泉郷さん「空間概念」

あれですね、まずもってキャンバスの色が何者なのか?ってことがあるんですが、切り方も真ん中は、左に対して、ただ長くするだけで、穴の隙間を広げたものであるのに対して、右は真ん中に対して、角度をつけて深く切ることで、穴をさらに広げている。ただし、上と下の水平位置は、真ん中と右は、ほぼ同じです。
だんだん穴の隙間を大きくしていっているのがミソの作品なので、第一印象は「ボリュームマーク」にも見えてしまうんですけど、複数の線のものは、「期待」という単語の複数形でタイトルされてるということですから、穴の大きさから、期待の度合いが違う3つ期待、ということになるんでしょうね。
あと、邪推をすれば、この芸術家は、絵画とか彫刻とかの、芸術の垣根を取っ払いたいという思考の持ち主でもあったそうなので、「キャンバスの彫刻化」という意味で、切って見せる芸術化を図ったのかもしれないという、単純解釈も成り立ちます。
私、この絵を初めて見たので(大原に行くと、モネの睡蓮で圧倒されたところで、わたし的には終わりになるので、そっちの展示室にはたぶん行ってないんだと思う)、以上が初めて見た私の印象になりますが(全然違ってるかもしれませんが)、

しかしながら、この詩の本当の主題は、この絵のことじゃなくて、謎の小学生なんじゃないんでしょうか?
この傷ついた小学生は、たぶん作者ですよね。この詩は、今の作者が、過去の自分に語りかけてる詩なんでしょう。だから、最後にちらっと顔を出したりしたのでしょう(赤の他人じゃないから、折りあらば、いつでも出てくる)。
読者としてそれに気づいた時の、ハッと感は、この詩のとびきりのどんでん返しでした。
名作を。

絵の解釈は人それぞれ自由なものですから、そこは問いません。

まあ、ヴァリエーションとしてアリ、という意味での代表作入りとしますかね。


●津田古星さん「息子の帰省」

うーーん、文系の人間てね、大学で習ったとおりの道に進めることって、あんまりないんですよね。社会に出てからなんらかの畑違いの勉強をし直すハメになることがままあるんですけど、電気・設備とはまた思い切りましたね。

そっちの方は資格を持ってる・持ってないで、できる仕事とできない仕事ができてしまうんで、資格を持っておかれた方が、社内で安定した地位を得られていいと思いますよ。たぶん前職で、それが身に染みるようなことがあったんじゃないですかね。会社って、一所懸命働く人間よりも、資格を持ってる人間をとにかく上に扱うところがありますから。

それにしても、卒業来、一度も親を頼らず、ずっと自立してられるんでしょう? そこがまずもって偉いです。上出来の息子さんですよ。

詩は息子さんのここまでを駆け足で追うとともに、愛情をもって見守っている親のまなざしがわかる。(夫の収集品自慢に「うるさがりもせず相手に」なってくれるなんて、なんていい息子さんなんでしょう。)そして最後はエールで息子さんを見送ります。
おまけの名作としましょう。

3連の後ろの方なんですけど、詩って、あんまりセンテンスを続けない方がいいのです。そこそこで終止形を置いていった方がいいのです。
センテンスを続け過ぎると、読み流される元なんです。そうでなくて、詩はひとつ、ひとつ、意味を置いていった方がいいのです。だから、切っていった方がいいのです。

身体を壊さなきゃいいけどと
危惧を抱きつつも 見守るしかなかった
だから 突然
「転職するよ」と聞いた時も驚きはしなかった
若い時の苦労は買ってでもと言うけれど
病気になる前に気がついて良かったとおもう
それにもう そんなに若くもないのだから

これぐらいにしておかれた方がいいかな、と思います。
特に、その前で体の心配をしきりにしてますから、それの呼応として「病気になる前に気がついて良かった」の行で、一度決着をつけた方がいいです(次の行に続けない方がいいです)。

そこの部分、一考してみて下さい。


●佐々木礫さん「重明は毎夜、夢を見る」

これは何かモデルとなったものがあるんだろうか?
1つ1つのパートの映像力はとてもあるんで、全体の統一性はともかくとして、パートで読める。荒削りだけど、概要として良しとします。努力賞も含めて、秀作としましょう。

いくつか言います。
まず第1パートは、「黴びた教室~」以降は改行しましょう。
すると、

「いない。シにたい」
 そう言って、目を閉じた。



 「も少し生きて、走馬灯にでも浸ろうか」
 と、俺は言った。

が、対をなすものとなって、第1パートとしての構成が取れます。

第3パートなんですが、
「目を見開いて、俺は~」以降は、連分けにしましょう。

というのは、「俺は若者だった。」時の部分と、今の連分け以降の中学生の様子とは、明らかに別の時代と思えるので、分けた方がよい。
すると、全体構成が、「年老いた」パーツ、「病人」のパーツ、「若者」のパーツ、「中学生」のパーツ、まとめもしくは結論のパーツと、5つのパーツに分かれる。
すると、まとめを除き、詩全体が、時計を逆回しに進行したものと見なすことができる。

なので、詩全体が時計を逆回しに展開しているという前提のもとに、
「懐中時計」や「秒針の音」「西の山から太陽がのぼる」などのフレーズを、時間を逆回しにして描いていってることを暗示するものとして、(一部分だけに登場させるのではなく)各パートに分散して登場させていった方がよい。
それで全体構成が取れます。

最低限、以上のことはやっておかれるといいと思います。


●上田一眞さん「初夢」

大晦日になるといつも、「除夜の鐘をついて、百八つ煩悩を・・・」って話が聞こえてくるわけですが、あれ、百八つの分類の意味はわからなくとも、いくつかの煩悩は間違いなくあるなあーと自覚する日でもありますね。
それの続きで、「その1」のような夢を見てしまったかな?と勝手に想像したりしました。12個、よく拾い出されましたね。(私は12個かどうか、わからないや)
心の闇底を表現するに、1~2連の深海魚のようなイマジネーションがステキです。

その2について、
私も実は、一人でポツンとしてる時間が一番好きなんですけどね。でも、本当の一人にはなれない。以前、シーズンオフに初めての山に一人で登山して、途中まったく誰とも出会わなかった時、むちゃくちゃ心細かった(案の定、途中で道を間違えて遭難しかけるし、あの頃は携帯もなかったし)。フィールドで実践すると、よくわかりますね。人家もない初めての地を、途中誰とも出会わず、延々歩いていると、だんだん不安が襲ってきて、おれの孤独力って、この程度のことだったかと思い知ります。
「人は、一人では生きていけない」は、もちろん社会的にそうなんですけど、心の問題としても、本当の一人にはなれない。
その2の話は、道を極める求道者の話にも読めるので、これはこれでアリですが、もし光明が見つかるとしたら、「一人で」ではないんじゃないだろうかと、わたし的には思いました。これは評ではなく感想として。

もちろん作られた<夢>なのですが(ヒントくらいは本当にあったのかもだけど)、「夢」のポジションであれば、理屈ぬきに「夢」なので、むしろ願望という受けとめで、伺っておきましょう。ポイントは「自分らしさ」ということですね。

その1の最初の3連、特に良かったです。全体構成もおもしろかった。
秀作プラスを。


●松本福広さん「信じたいことを信じる」

うーーん、今は大店立地法の申請が滞るなんてことは、まずないと思うので、違うんじゃないですかねー 今は大型ショッピングモールは、本当の大都市の中心部か、郊外だったら、10KM圏に充分な住宅地人口を抱えてる高速の出入り口近くでないと、難しいんじゃないですかねー
そこまで大きいショッピングモールじゃないとしても、国道沿いで、キーテナントにユニクロは必須でしょう。
駅近ってだけなら、たぶんマンションじゃないですかねー ただ、住宅の一戸建てなら、整地さえすれば、さっさと売り出すので、住宅一戸建ての宅地にはしないようです。

作者の言うことは正しいと思いますよ。
噂の一人歩きは、あるあるですね。空気読めったって、違うもんは違うだろって話ですが、けどまあ、女性同士の人間関係も難しいんで、貴重なコミュニケーションネタを潰すなって意味もわからんでもない。内心思ってても、ここは黙っておくのが賢いかも、の社内の人間関係場面が想像されますね。
ほんの断片なんですけど、なんかほわわーんとした社内ムードを味わわせて頂きました。
作者的にはたぶん、「噂の一人歩き」例として書かれてると思うんですが、私は社内ムードのほわわんの方が楽しかったので、意図と違うかもしれませんが、秀作とします。

4連の、「皆行ってるよね?」と
6連の「期待しているか」の、ミスタッチだけ直しておいて下さい。

編集・削除(未編集)

荻座利守さま 評のお礼です  樺里ゆう

この度はお忙しいところ拙作「端の上の靴」にご感想をくださり、誠にありがとうございます。
とても丁寧に読み込んでくださったおかげで、自分でも意識していなかった作品の一面に気づくことができ、大変勉強になりました。
自分の見た景色を過不足なく伝えられる表現をこれからも模索していこうと思います。
ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

紙コップ 通信途絶  佐々木礫

青空が広がり、
風は緩やかに芝生を撫で、
円盤を追う犬が駆け回る。

木陰の下、
木漏れ日の光を反射する、
水色のレジャーシートの上で、
おにぎりを食べる家族が笑う。

公園の真ん中、
白い糸の向こう、
二人の通信が始まるのを待った。
「もしもし。あのね」
と、小さいが、彼女の声がする。
「◇◇君のこと、三番目に好き」
右耳に当てた紙コップが囁く。
僕はその声の意味を探した。
しかし見つからず、
「それは、どう受け取ればいいの?」
思った通りを、糸電話越しに問いかけた。
しばらく待てど返信が来ず、痺れを切らし、糸電話の先に目を向ける。
(公園?)
そこは夕暮れの田んぼ道、
山に沈む陽が空を染め上げ、
糸電話の糸は切れていた。

手に残された紙コップと、
たらんと伸びる白い糸に、
拡散する声、聞き手の不在。

空の受話器を握りしめ、叫ぶ。
「メーデー 、メーデー!」
世界の端々にでも響くように、
「Hello, World!」
そうして、僕は返事を待つが、
その日最後の微風が手に触れて、
空虚な紙コップにこだました。

編集・削除(未編集)

荻座利守様 ご感想のお礼です  温泉郷

拙作をお読みいただき、ありがとう御座いました。書き込みが不足してしまい、伝わらない作品になってしまいました。にもかかわらず、作意を汲み取っていただき、嬉しく思っております。いただいたご感想を参考に時間をかけて練り直してみたいと思います。また、次回再度チャレンジいたしますので、よろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

荻座利守様 お礼です 松本福広

はじめまして。感想ありがとうございます。

概ね読み取ってくださった解釈で間違いありません。細やかな読み取りありがとうございます。
最初の中ではアダムとイヴの2種類だった?性別が今ではLGBTQという言葉もあり、性自認、性志向、性表現で区分され、性別に対する表現が難しいと思います。
最近思うことがあって、ジェンダーの本を拝読したのですが、フェミニズムのフェミニズムには3つの波があるとか……。
政治的、法律的……社会的な参加を目指す一波。自由や権利の拡張を目指すニ波。そして、「女性」という大きな括りではなく「個々」をみようという三波。
オンラインの世界にしろ、オフラインにしろ個々の人間性にフィットしていく論は理想的ではあるけれど……と思うこともあります。
広く解釈していきたい理想的な性概念に対して、それを受け止める個人や社会は具体的で明解な答えは獲得していないように思います。そんな戸惑いを書いてみました。

最近、詩を読んでも書いても今いちしっくりこない気持ちになることが多いです。
皆様のように綺麗な表現や、巧みな表現が描けない気持ちになり、一旦視点を変えて社会的なテーマを詩で表現してみるかと試みました。
改めて感想ありがとうございました。

編集・削除(編集済: 2025年01月18日 21:13)

荻座利守さま 評のお礼です  相野零次

荻座利守さま 評ありがとうございます。
比喩がどうも苦手で、いつも説明っぽくなります。
もっと深くですか。
深く描いたつもりですがまだ表層的なんですね。
そしてそれを比喩を用いて表現する……。
ハードルの高さを感じますが、がんばります。

編集・削除(編集済: 2025年01月18日 14:41)

荻座利守様 評のお礼です 上原有栖

荻座様初めまして。
今回初めての経験でドキドキしながらここに投稿させて頂きました。
作品の表現について深くまで感想頂き大変嬉しく思います。
「きらりきりり」の表現は描きたい表現だったので感想述べて頂き嬉しいです。
また、「引き締まった緊張感のある詩/くだけた感じの詩」への表現の統一につきまして、大変勉強になりました。
次作以降、意識をもって取り組んでいきます。
改めまして今回はありがとうございました。
また次作以降にて機会がありましたら、投稿の感想及び評をお願い申し上げます。 上原有栖

編集・削除(未編集)

1/14〜1/16 ご投稿分の感想と評です  荻座利守

今回、井嶋りゅうさんのピンチヒッターを務めさせていただきます。よろしくお願いします。
なお、作者の方々が伝えたかったこととは異なった捉え方をしているかもしれませんが、その場合はそのような受け取り方もあるのだと思っていただければ幸いです。


1/14 「色について語ること」 松本福広さん

今回は初めてとなりますので、感想のみとさせていただきます。
現代社会の不寛容さをうたった詩だと受け取りました。
「個々を見れば時に混ざり合い新しい色を生み出し」というところに、個人個人を見れば理知的で創造的でもあること、「時に叩きつけられ共存を許さない」というところに、それが集団となると時に暴走してしまう、という人間の二面性を上手く表していると思いました。
また、色というメタファーを歴史の中に描いたことで、現代社会の「色」に関する特異性が強調されています。長い歴史を経て、大量の情報や価値観に我々が晒される社会が現れ、その大量な情報の処理に追いつかず、多くの人が単純化の道を選んでしまう、そんな社会の中で自由や寛容さを求める心情が、抑制の効いた中に表されていると感じました。
表現としては、
「色は夢を見るのだろうか
 色は目指す方向があるという
 色は求める方向があるという」
というところが、それぞれの色が独自の希望や志向を持っていることを上手く表しています。
ただ、3行目にある、神様が最初に作った二色が何を意味しているのかよくわかりませんでした。
禁断の果実を食べる前ですから善悪でもないでしょう。またその後に様々な色が作られたのでしたら男女の視点の違いでもないでしょう。
おそらくそれは、読者の受け取り方に任せているのでしょうが、個人的には何かヒントが欲しいところです。そこがわからないと、その後の、
「私はどちらの色のことも
 一概には語る術をもっていない」
というところが読者にうまく伝わらず、もったいないと思います。
でも、末尾の「人はその色を扱うのに不十分なのか」というところに、多量の情報処理に人間の脳が追いつかないことへの哀しみが込められているようにも感じます。その哀しみ故の優しさを、全編の冷徹な語り口の中に感じさせる詩だと思いました。


1/14 「橋の上の靴」 樺里ゆうさん

今回は初めてとなりますので、感想のみとさせていただきます。
末尾の2行が効いていますね、橋の上に残された片方の靴の、孤独や寂しさを際立たせています。
全体的に、その寂しの中に美しさを孕んだ詩だと感じました。特に西の空の「天使の梯子」と、泥の飛び散った靴との、美しいものと汚れたものとの対比がいいと思います。
そして、「天使の梯子に掴まって空に昇っていった」というところは、自ら命を絶ったことをほのめかしており、それにより何か不穏な雰囲気を醸し出しているようにも感じます。美しさの中に潜む不穏さ。それは、天上の美しい世界への憧れは現実の汚さへの嫌悪と背中合わせ、ということの現れのようにも思えます。そんな、人生や人間の心理の複雑さが表されていると感じました。
表現についても、全体的に過度に華美にならず、抑えが効いていていいと思います。ただ、4連目の「見渡す」という言葉は主に地上の景色などに用いるもので、「空」に対してはほぼ使うことがないので若干の違和感を感じます。そこは「見上げる」のような言葉を使ったほうが、天上から降りてくる「天使の梯子」のイメージにも合うように思います。また、詩には暗喩(メタファー)もよく用いられるので、「いわゆる」という言葉を入れると説明的と受け取られることもありますから、これはなくてもいいでしょう。
でも全体的に、人生の哀感や寂寥と、その中に宿る美しさを感じさせる詩だと思います。


1/15 「銀雪華」 上原有栖さん

今回は初めてとなりますので、感想のみとさせていただきます。
夜の雪の美しい情景が目に浮かぶような詩ですね。
叙景詩的な要素の強い作品ですので、主に表現についての感想を述べさせていただきます。
「銀の光を放つ幾何学模様の花びら」というところですが、実際には雪の結晶の幾何学模様は肉眼でははっきりとは見えません。ですからこの表現は顕微鏡写真などを見たことによる知識が前提となるものです。でもそれがかえって、雪を華と観る「雪華」という言葉の美しさを強調してるようにも感じられていいと思いました。「美」ということが、見られるものと見る者の内面との相互作用によって生まれることが表されています。
そして、「同じ銀色の満月が見下ろす丘で」は、満月の雪への慈しみを感じさせ、「きらりきりり」という表現は、輝きの中に宿る緊張感を上手く表していると思います。
また、「顔佳草」(かおよぐさ)とはカキツバタまたはシャクヤクの別名なのですね。知らなかったので勉強になりました。ここでの場合は「白く美しい」とありますのでカキツバタのことなのでしょう。でも「顔佳草」とは美しい名前なのでこちらのほうがいいですね。
ただ、タイトルが「銀雪華」というやや硬い言葉であり、「音を奪いしその貌」といった文語表現も混じえている一方で、
「さあこの世を白く染めよう銀雪華/見たくないものはこのまま隠してしまえば良いさ」というところは、ややくだけた感じで話しかけるような表現となっていることに、若干の違和感を感じました。これは個人的な意見なのですが、引き締まった緊張感のある詩にするか、くだけた感じの詩にするか、どちらかに統一したほうがいいと思います。
緊張感のある表現にするならば上記のところは、「この世を白く染めよ銀雪華/見苦しきものは隠してしまえ」みたいな感じにしてはどうでしょう。
でも、全体的に美しさに満ちた詩で、末尾の、
「この夜の黒を何処までも
 白く儚く染め上げるのだ」
というところは、締まりが効いていていいと思います。


1/16 「ロッカールーム」 荒木章太郎さん

お久しぶりです。以前、初心者向け詩の投稿掲示板でお会いしましたね。ここではしっかりと感想と評を書かせていただきます。
とても内省的な詩ですね。自分自身の存在意義、自分はこの人生で何を為すべきなのか、といった問いを感じさせる詩だと思いました。
でもその内省と同時に、夢の中の「登場人物の顔はすべて私」であったり、「目を開いて他者を映すことで/お前の世界は前に動く」というところから、自分という存在は他者との関わりの中で成り立っていることへの自覚、あるいは他者と関わっている生きてゆこうとする意志をも感じます。
表現に関しては、巧みなものがいくつも観られます。「通勤電車で左右に揺られ」ることが、「進むことも戻ることもできず、/ただ運ばれる体」を上手く表しています。
また、「ヒト型に膨らんだ私をしまい込み」というところは、プライベートから仕事へのペルソナの交換を感じさせます。そして、「へその緒のような命綱のコードが/床の闇から襟元に伸びていたこと」というところは、実際に生きてゆくための現実とのしがらみを彷彿させます。また、「古い神話が今日を侵食していく」というところも、内省が日常を侵食する様子を美しく表しています。
ただ、その次の「サイレンが鳴る緊急警報」ですが、巧みな表現がいくつもあるが故に、相対的にそこの表現がやや凡庸に見えてしまいます。サイレンの音の鋭さを表すならば、「鳴る」の代わりに「突き刺さる」や「切りつける」といった譬喩はどうでしょうか。
また、詩の流れという観点から観ると、サイレンや緊急警報は全体の内省的な雰囲気とやや異質で唐突な感じがして、若干の引っかかりを覚えます。この行は作者自身の内省への警鐘でしょうか。その前の部分とつなげる何らかの表現があったほうがいいように思います。
でも最終連の、「扉の向こうに広がる道が/光の中で待っていた」という表現は、日常の中に希望を見出すような美しさが感じられて、とてもいいと思います。
評については、巧みな表現が数多くあるのですが、全体の流れということを踏まえて、今後の期待を込めて厳しめに、佳作一歩手前ということにさせていただきます。


1/16 「枯れない花瓶」 温泉郷さん

今回は初めてとなりますので、感想のみとさせていただきます。
対話の形式をとった詩で、入りやすいのが特徴的だと感じました。
しかし申し訳ないのですが、タイトルにもある「枯れない花瓶」が何を指しているのかよくわかりませんでした。
参考のため前作の「新年を聴く」と、前々作の「空間概念」を拝読したところ、これら二つの詩では何を表現したいか分からない、というところはありませんでした。
それでも自分なりの解釈を書いてみようと思います。花瓶に挿した花はいずれ萎れ枯れてしまいます。この世に生を受けたものは皆、いつかは消え去ってしまう宿命を負っています。花瓶とはそのようなものである花を入れるもの、あるいは下から支えるものです。枯れない花瓶とはこの世の形ある命を超えて生死を繰り返してゆく、個々の命の根底にある形のない生命のはたらき、あるいはそのはたらきを感じ取る感性のことではないでしょうか。そして「花瓶も枯れる」とは、そのはたらきや感性が鈍ってしまうことを指しているのではないかと、そんなふうに考えました。
でもこの解釈は、無理にこじつけた理屈のような気もします。それは、今回の作品が前2作に比べて、主題に関しての描写や表現があまりに乏しいためのようにも思えます。
「涸れない花瓶」ではなく「枯れない花瓶」という発想は独創的で、とても面白いものだと思います。温泉郷さんは前2作のような美しい詩を書くポテンシャルをお持ちのようなので、今回の作品についても、もっとイメージを膨らませて、再度抒情豊かに書かれてみてはいかがでしょうか。


1/16 「妄想の海」 相野零次さん

今回は初めてとなりますので、感想のみとさせていただきます。
内面描写を主体とした詩のようですね。妄想の海に沈んでいたいのだけれども、どう足掻いても浮き上がってしまう、というのが印象的です。
この詩のキーワードとなるのが「役割」であるように思います。ここでの「役割」とは一般的に言われるような、社会の中や人々との交流の中で果たすものではなく、全ての生命が持つ交換不可能な「かけがえのなさ」のようなものなのだと受け取りました。そうであるからこそ「妄想の海へ沈むことができる」重りとなり得るのでしょう。
また、2連目の詩を書いたり読んだりすることについての「脳の深い底の方が刺激されるよう」という表現は独特で面白いと感じました。しかし、この連と、全体を貫く「妄想の海」との関連がやや薄いようにも感じます。例えば上記の表現について、「妄想の海への海図」とか「妄想の海への水先案内」みたいな譬喩などを用いて、そこをつなぐような表現を入れてみてもいいでしょう。
そして、内面描写を主体としていながらも、まだ若干表層的な感じもします。「秘められた何かを掴むことこそが妄想の海での役割」ということや、「永遠の覚醒が〜死と呼べるものかもしれない」ということが、どういうことなのかもっと突き詰めて考えて、様々な譬喩を用いて表現したり、「どう足掻いても浮き上がってしまう」ことと、重みがあるからこそ「想の海へ沈むことができる」こととの対比をもっと鮮明にして強調したりしたほうが、詩に深みが出ると思います。
でも冒頭の、「男は日々 何もしたいことがなかった」というところに共感する人は少なくないと思います。その共感に応えるような深い詩にしたほうが、人々の心に刺さるのではないかと、そんなふうにも思いました。

編集・削除(編集済: 2025年01月19日 22:17)

蛙先生  上田一眞

 あ〜 
 男子はこれから溜め池に行って
 食用蛙を採って来るように
 一人二匹以上な

先生はみなに指示した
理科(生物)の授業で使う
実習材料の調達だ

捕まえて来た
大きな食用蛙をクロロホルムで眠らせ
解剖に供した

蛙の腹にメスを入れると
腹の中は複雑な迷路のようだ
心臓がドクンドクンと動いて
生命の躍動を示す

蛙の鼓動とシンクロ
自分の心臓もドキドキして
手が震えた

生命をわが手で扱う 怖れ
神の領域に踏み込んだ
畏怖の念

ギャーと
校庭で黒い鳥が鋭い声をあげた
天に帰る蛙の魂を
弔うようだ

誰もが蛙の死を哀しんだ




 よし そこまで
 蛙はこの容器に入れて…

いきなり先生は
バケツに集めた蛙の胴体を鷲掴みして
バキバキとねじ切った

そして
太ももの皮を剥ぎ
用意していた七輪で焼きはじめた

みな あっけに取られ

  先生 そりゃ酷いよ!

と詰(なじ)った

 馬鹿を言うな
 ひとつの命を奪ったんだ
 責任を持って食べてあげなくちゃいかん
 それに
 こんなに美味いものはない
 みんなも食べてみろ

先生は炭火で蛙を焼き
ひっくり返して醤油をかけ
齧りついた
口から蛙の足が出ている

それを見て
眉をひそめる者
真っ青になって見ている者
吐きそうな顔の女子もいる

勿論
食べる者は誰一人いない
先生は蛙の太ももをほうばりながら

 あ〜美味いなあ
 このことは親御さんには言わないように
 他言無用
 いいな ガハハ!

先生の豪快な笑い声が
理科室中に響いた

食料事情の悪い時代を生き抜いて来た
蛙先生
逞しさの片鱗を垣間見たのは
舌鼓を打った
まさにその瞬間だった

編集・削除(未編集)

じいじ じじいじじい

じいじがめをつむった
めをつむっているけどわらったかお
いたそうではなく つらそうでもない
じいじはもううごかない


いま じいじはてんごくにいきました
わたしがうまれてからかわいがっとくれた
いつもだっこしてくれた おんぶしてくれた
いつもてをつないであそんでくれた
わたしがないているとみかたになってくれた

わたしはじいじがだいすき
じいじはわたしのことだいすき
「じいじ てんごくでもわたしをすきでいて」
「わたしはずっとじいじがすきだから」

じいじのかおをみているとかなしい
なみだがいっぱいでとまらない
じいじにだっこしてほしいな
「じいじ いままでありがとう」

編集・削除(未編集)
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