MENU
688,300
固定された投稿

★★ << 2つの掲示板のご案内 >> ★★

◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。

なお「MY DEAR掲示板」では、新規ご参加の際に、ペンネームとメルアドの届け出が必ず必要です。
これは掲示板内の安全を守るため、管理人に限って把握させて頂くものです(他へは一切出しません)
新規ご参加の際は、ページ一番下の「お問い合わせ」フォームから、必ず届け出をお願い致します。
*<現在「お問い合わせ」フォームがシステムトラブル中のため、管理人アドレス
  mydearmasikaku@gmail.com  へ、直メールで届け出て下さい。>


◆初めて詩を書く方や、おっかなびっくり詩を書いてみようかなあーという方、
「MY DEAR掲示板」ではハードルが高すぎるよと感じる方には、別途、

   <<初心者向け詩の投稿掲示板>>
https://www3.rocketbbs.com/13/bbs.cgi?id=mydear

をご用意しております。(上記リンクから飛んで下さい)
こちらは、「メルアド届け出不要・いきなり書き込みOK・出入り自由」ですので、
なんら気にするところなく、いつでも詩を書き込んで頂けます。
誰でも、どんな人でも、気軽に詩に親しんでもらうための掲示板です。学生さん、小中学生の方も歓迎です。
投稿された詩については、詩を読んだ感想を、レギュラーメンバーの誰かが、手短なコメント(5行程度)で返してくれます。

どうぞご希望に応じて、各掲示板をご利用下さい!!!

編集・削除(編集済: 2024年09月03日 20:54)

島 秀生様 評のお礼 上田一眞

こんにちは。上田です。

拙作「母さん教えて」を丹念にお読み下さり、ありがとうございました。
詩は読者を意識して、答えを用意しておかないと作者の意図や趣意は通じない、とのご指摘、よく分かりました。

自分の意識の中に亡くなった母への追慕の情とともに、母が僕にくれた得体のしれない僕を突き動かしている何者かがあって、それを知りたいと欲する気持ちがあるんです。つまり幼い僕の考えや行動の素となった情念です。それを知りたいという気持ちですね。

言葉で表現するには漠然としすぎて詩に適さないのかもしれませ。ただこのテーマは追求して行きたいですね。僕の中にあるラディカルな思いです。

編集・削除(未編集)

感想と評 10/20~10/23 ご投稿分  三浦志郎  10/28

お先に失礼致します。


1 妻咲邦香さん 「天敵」 10/20

これは僕の勝手な想像ですが、ふとした事から「天敵」という言葉に出くわした。(詩のタイトルにしたら面白いんじゃないか?)―繰り返します、勝手な想像です。人によりますが、僕の場合はそれで詩が成立する%は低いんですが、そこは、それ、妻咲さんです。想像を縦横に馳せることができるわけです。この詩が含む情報を整理します。

話者……ONLY枝。 木苺にとってNOT天敵。
木苺のすぐ隣で、呟きながらわずかに触れる。

内容はこれだけの事なんですがね。ただ単に木苺と隣り合わせの枝で読むのか、それとも、隠喩というか、寓話的というか、またまた僕の勝手な解釈では、ある種の人間関係―見知らぬ者同士がたまたま隣合わせたとか、そんな寓話か?そう見ていくと「あなたの天敵じゃありませんよ」が「けっして怪しい者ではありませんよ」に読めてくるから、魔訶不思議。案外、太陽が思わぬクセ者ではないか?……などなど。解釈の分かれ目はありそうです。まあ、いつもの妻咲流ではあるわけです。いつもとちょっと違うのは短めなのと、ちょっとライト感覚。特筆しておきたいのは、童話的味わいがあるのが新し目。佳作半歩前で。


2 司 龍之介さん 「疲れたら飛んじまえ」 10/20

人間、疲れたらどうするか?真っ先に思い浮かぶのは、「休息する、睡眠をとる」などですが、
「飛んじまえ」とは! もちろんこれは詩の世界のお話しであり、そこはそれ、表現の妙味ですね。
宇宙とか神様とか、世界を広く取っているのもなかなかおもしろいです。
そして、この詩の重要なところは、自分じゃない。ひたすら相手に向かって投げかけています。
相手は恋人とか、それに近い存在でしょう。そう考えるとこれはLOVE SONGとも取れそうで、
SONGといえば、この詩、楽曲の詞にも向いてそうです。形式を作っているせいもあるでしょう。
「飛んじまえ」とあるからロックンロールやJ―POPが似合いそうです。

A→B→A→B→(再度)A→コーダ(終連)。 はい、ぴったりハマります。

コーダ部は終連。この詩の全てを受けての結論でしょうね。終行は1行空けて独立連でも可です。甘め佳作を。

*コーダ……楽曲に独立的追加的に設けられる終結部分。


3 久遠恭子さん 「カモミールの白い花に寄せて」 10/20

カモミール……マーガレットに似てるかな? 可憐でありハーブティーや薬用にもなる有用な花なんですね。僕は言葉の響きが好きなんです。そんな花から導かれる父との思い出。
カモミールがニコニコとした父の笑顔を引き出したのですね。まさに薬草でしょう。
5連目がいいですね。それと「我儘な父だったけど」。とても正直に書かれています。でも僕はそれでいいと思っています。だからこそ終連が誠実に生きて来ると思っています。
久遠さん、一歩前進の一歩前で。 あっ十年前だったんですね。久遠さんの事情にもよりますが、
時期は書かず、か、ぼかしておいてもいいと思う。あとタイトルは「カモミール」だけでも、より詩的かも?


4  晶子さん 「夢」 10/20

この詩がややこしいのは「君・私・あなた・僕」が総出になって出て来るんです。少し整理しましょう。A(語り手)とB(相手)のダイアログでしょうね。
1連……2行目までがAの独白。ここの「君」はBの事。それ以降はBの直接的セリフ。中の「あなた」はA。「私」はB。
2連……Aの直接的セリフ。「僕」はA。「君」はB。
3連……ALL、Bの直接的セリフ。
4連……ALL、A。ただしここはセリフというよりもト書き的?

これで読んでみます。解釈係数としての「夢」を加味します。結論!具体的には全くわかりません(笑)。ただ、多少察することはできます。結論!悪夢を見ている。Bは初連と3連でしきりに帰りたがっている。「かりそめ」といった言葉も出て来る。そしてBはAを嫌悪しているさまが見て取れる。すなわち、Bは夢から醒めたいと願っている。いっぽうAは何者か?悪夢それ自体と捉えてもいいし、悪夢に登場する、ある特定人物かもしれない。とにかくAはBを捉えて離さない。ちょっとタチが悪い。そんな悪夢から逃げ出したい、というのがテーマでしょうか。

―以上が察したところです。「心臓・腸・内臓」の果たす役割が見えてきませんが、それらの言葉の肉感性と散見される表現で若干、セクシャルなものも感じさせるようです。
総評として、詩文自体のクオリティは問題ないんですが、この詩はどこか、自家発電ならぬ自家中毒を起こしてるような気がします。「夢」というひとつの詩世界の内部だけで、言葉がグルグル回って、あんまり外へは出て行かない。そんな気はします。まあ、夢自体がそういったものかもしれませんが。印象だけで言って申し訳ないんですが。うーん、佳作一歩前になるですねえ。


5 ベルさん 「栞」 10/20

まず初連です。思い出を栞に絡めて、このように語ります。なかなか気が利いて、しゃれていて、抒情味も感じました。全てはここから始まる、そんな印象もあるのです。5連から察すると、30~40歳代で、もちろん別々に生きている。ただ遠くながらお互い同じ時間を生きている、そんな事情でしょうか。日常の、美しいがありきたりのもの。そんな中にもかつての一瞬は蘇るのでしょう。
最後に「私にも気づいてほしい」とある。この一句は重要でしょう。僕の勝手な解釈によれば―、

私はこの詩のように思ってきました。だから、この同じ時間、あなたも私のことを、ふと気づいてください、思ってみてください、私が思っていたように―。

そんな願いの為に、この詩は生まれた気はするんですよ。 それぞれの生活があって、具体的に今後どうなる、という内容ではないんですが、ふと思ったことでしょう。そんな心理に佳作を。


6 上田一眞さん 「煉獄のニューギニア」 10/21

これは評価は外しておきましょう。
冒頭「父の実兄(伯父)の体験談だ」とあります。奇遇なので私事を書かせて頂きます。
僕の伯父もニューギニアにいて、そこで伯父は戦死しました。もちろん僕は会った事ありませんが、柔道着と軍服の両方の写真が残っています。位牌に「昭和18年1月21日 陸軍歩兵上等兵」とありました。俗に「ジャワは天国、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と言われたそうです。文中でも触れられていますが、此処での死者は戦闘よりも飢餓と病気のほうが断然多かったようです。人肉食もあったと伝えられています。この詩は戦う以前の食糧問題がいかに深刻であったかが、よく活写されています。兵站を軽んじた上層部のツケが全て兵士に負わされた悲惨が痛い程よくわかります。対して米軍は専門の調理班がいて食料は過不足なく行き渡ったそうです。特別の日にはケーキも出たとか。思考差歴然。国力差歴然。「生存率一割未満」も事実です。伯父上がその一割に入れたことは奇跡と言っていい強運だと思います。不幸中の幸いです。
文中「日本の二倍以上」は初めて知りました。当時の軍部はホントにこんな処を獲ろうと思ったんでしょうか?狂気としか思えないですね。


7 エイジさん 「音楽の言葉」 10/21

音楽を中心に据えて、言葉と絵画への想像。身も蓋もないことを言ってしまうと三者は全く以って非なるもの。そこはそれ、詩の世界です。三者を「もし」=想像で繋いで、上手く詩の扉を開けています。詩への予感を感じさせます。2連ではさらに一歩進んで、音楽は感情世界に分け入っていきます。愛する人のみならず、語り手の音楽は自然の恵みとも同化しようとしています。甘め佳作を。
ここからは僕からのささやかなリクエストになります。音楽を愛し詩を愛する人の、せっかくの作品なので、本作は全て肯定型、賛歌型を以ってしたい。そうすると……
A……なぜご自分の音楽で語らないんですか?
B……詩なんて書いても無駄じゃないだろうか

―は、ちょっと後ろ向きな気もするんですよ。Bは単純削除でもいいでしょう。Aは連の終わり2行を活かす為に……

でも 言葉は不器用な時もある
時に 感情に追いつけない
君への言葉のもどかしさを
僕はピアノに託してみよう
たとえば
弾き始めのジョン・ルイス  (あくまで参考例)

もちろん従来通りでもいいですよ。 あと森へは「君」も連れて行ってあげてくださいな。

アフターアワーズ。
ジョン・ルイス。良い趣味をお持ちです。


8 緋露雪さん 「鏖  積」 10/23   

まずは「鏖」という漢字です。 オウと読み 「皆殺し」を意味する漢字ですね。恐ろしい字です。
この詩は昨今の世界を危惧し警鐘を鳴らすものとして、この漢字が使われたものと思います。
その主峰を成すのは「0か1か、 死か生か」=ALL OR NOTHING、食うか、食われるか、といった極限性を戦争が強いてくる。そしてそれは電脳の隆盛によって、より加速化されている現代である、こういった主旨と考えられます。しかし、それらはひとつの根として過去にもあった。文中によれば、たとえばそれはヒトラーの所業であり、「カラマーゾフの兄弟」での言葉でありキルケゴールの項目を援用して説明されます。この詩の個性とされるところは、やはり電脳の介在があると思います。予め人間に生まれつきセットされてしまう闘争心に現代的な爆薬を与えてしまったような……。折からのウクライナそしてイスラエル~ガザなどの戦乱を思うにつけ一般市民を巻き込み犠牲を強いるのは、例の漢字「鏖」の影がつきまとうものであります。そういった意味で、この詩は時宜を得ながらの問題提起と言う事ができます。最後のパートは問題を身近に降ろし象徴的に語られていると思います。「けっして対岸の火事ではない」ことのメッセージにも受け取れるでしょう。
僕個人の趣味としては、このパートは冒頭に持ってきて、それを受け継ぐ形で血肉化~理論展開しても可だと感じます。僕ならそうしたかも? 理由は詩文の重量の要素が多いと思います。船の重心に喩えると、トップヘヴィーな感じです。あと、前連とタッチが違うのも気になる。あくまで参考意見ですが。あと、このパートの3行目・5行目にミスタッチがありますので直しておいてください。緋露雪さんは、僕はまだ二度目なので、佳作一歩前からでお願いします。


評のおわりに。

緋露雪さんの詩の中に、ヒトラーの引用がありました。そこでちょっと思い出したのは、少し前、
「検証 ナチスは良いこともしたのか?」といったタイトルの本が少し話題になりました。非常にきわどく、
リスキーなテーマです。僕は読んでないので、その論旨に否とも応とも言えませんが、とても気になる本ではあります。

だいぶ季節が進みました。ついこの間まで冷房だったのに!朝夕は家でも職場でも暖房を使うようになりました。今年はちょっと早い気がします。夏は猛烈に暑かった。冬は猛烈に寒いのか?季節の寒暖が極端化するのでしょうか? そんな予感。 では、また。

編集・削除(編集済: 2023年10月28日 14:50)

夏の終わりに  U.

心は、花火のよう
暗い空に、深く、深く、昇って
裂けて砕けて、そして散る
いつも昇っては
裂けて砕けて、そして散る
昨日までの私だ

今日は
空の青の青さに見とれて
高度1万メールのうろこ雲が
律儀に並んで
  静かだね

水無し川の川辺を歩く
あなたの髪にアキアカネ
首をすくめて
  フフフと笑う

私も思わず微笑んで
払うふりして髪に触れた
少しの疚しさも
こんな日は許される気がした

乾いた北の風が吹き始めた

市営プールの門に鎖が絡まり
駐車場にはカラスが数羽跳ねていた
昨日までの喧騒は
西の山を越えた

スーパーに売っていた
栗の実を買い求め
今夜は栗ご飯
あなたがそっと呟いた

少し嬉しくて
口笛なんか吹いて
子供の様に
でも控えめに飛び跳ねた

喧騒が西の山を
越えたのを知ったとき
空気の妖精達は
修道女の顔をして
私の周りで跪き
私の心を静かに抱いた

花火は終わり
そして、つかの間の静寂
  枯れた草の匂いがするね

編集・削除(未編集)

島様 詩の評のお礼  エイジ

島様 この詩に詳細な評を下さり、ありがとうございます。

「フィルター」の箇所は言葉の使い方がおかしかったですね。詩を書いていた時、感じた光の何かは嚙み砕いて比喩表現で表した方が良かったかもしれないですね。ちょうど表現の一つのクッションとなって。そのような感じで直そうかと思っています。

このところ僕が影響されている考えはやはり、三浦様の評にあった「見えないものを見る」ということで、そんな中で「愛ってどんな色」というのは自分にすごく刺さるフレーズが出てきたんですね。「愛」自身も漠然としたものですし、さらに「どんな色」となると、自分にとってとても興味深いテーマとなったのです。

いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

編集・削除(編集済: 2023年10月28日 13:39)

評、10/13~10/16、ご投稿分、残り。  島 秀生

思うんですが、全国の大都市のほとんどは条里制の名残があるので、碁盤目状に東西と南北の道が走っているし、交通網もそれに沿っている。
東京だけがそうなっていないので、他府県の人間が東京に行って迷いそうになるのは当然のことだと思う。
思うに、家康でなければ、他の武将であれば、地形のことが少々あっても強引にでも、碁盤目状に東西・南北の道を、東京に作っていたことと思う。すると今の交通網も変わっていただろうなあと思う。

以上、東京の人は、大阪の地下街が迷路だと言うけれど、大阪の人は、東京の地下鉄の方が余程迷路だと思ってるという話でした。
(それ、一緒の話か??)



●江里川 丘砥さん「言葉を」

読んでいて、ちょっとポロリきてしまった。
いい詩だねえー

この後悔は私もあるんだよね。
とりわけは若い時、我が強かったし、反発ばかりしていたから、どれだけの温かい言葉やどれだけの大切な言葉を取りこぼしてきてしまったんだろうと、自分の未熟を後悔したことが何度もあります。
なんていうのか、何ヶ月も何年も経ってから、ハッと、あの言葉はそういう意味だったのかと気づくことがある。なんであの時に、気づかなかったんだろうと思う。なんで気づいて、ちゃんと言葉を返さなかったんだろうと悔いる。
私、結構ニブイ人間なんで、そんなことがちょくちょくあるのです。
まあ、未熟な人間なんでしょうがないや。ちょっとずつ、ちょっとずつ、マシになっていくさ、と開き直るばかりです。

江里川さんのとはちょっと違うかもしれないけど、私も「言葉取りこぼし名人」なので、日頃から取りこぼしに後悔がある人間なので、この詩はとても刺さりました。ちょっと泣けました。
詩を書く人は、言葉のことを考えてる人間だから、この詩に共感する人は多いんじゃないかな。

名作且つ代表作です。文体もキレイに書けてました。文体の力量も上がったと感じる。
この詩は、このままでOKです。


●まるまるさん「キミ育て」

いくつの時なんだろう。たぶん10歳までかな? 初連から2連の頃って、ホントによくできた子だったんですね。すばらしい。
3連以降は、反抗期が続いているのか、友達にマザコンと言われたくない大人ぶりたい年頃なのか、はたまた単に無頓着なのか、といったところですね。
3~4連の態度はちょっとムカッとくるとこですね。でも、挨拶を「言わされてる」感にはしたくないという気持ちなんですね。

2連の初行、「そういうことが」より「そういうとこが」の方がいいかな? 気になったのはそこだけです。
あとは初連から8連まで、とてもよく書けていて、スルリと読め、ストンと落ちました。

9~10連は、ちょっと神経質になってる気もするけど、これも親の気持ちですね。1~2連の年齢の時にパーフェクトだっただけに、どうしても比較してしまうのかもしれません。

親の気持ちが本当にわかるのは、自分が子の親になった時なので、きっとその頃にはまあるい、いい人になってることでしょう。親への感謝の気持ちも表せる人になってるにちがいあありません。先のことは全然心配ないですけど、問題は、作者が「今」、会話する子になって欲しいと思ってることでしょうね。
うーーん、大学行くまで無理かなあー 視野が広がると変わるんですけどね。いずれまた受験勉強の時が来るでしょうから、志望校を連れて回ったげるのもいいかもしれませんよ。
とりあえず、一緒にどこかへ外出してみては?

というわけで、いらんアドバイスがくっつきましたが、秀作プラスを。


●エイジさん「愛ってどんな色」

余談から先に言います。
この詩、彼女に贈る求愛の詩だとしたら、物凄くステキだなあーと思った。用途的にはそっちに使うのがベストの詩だなと思いました。余談でした。

最近、本を読み込まれているのか、大きなテーマに挑戦して書かれますね。
タイトルは「愛ってどんな色?」ということなんですが、どちらかというと、「愛とは何?」という大きな命題を問うていってる作に感じます。
というのは、「色」だけを直接模索してるのではなく、

初連では、正・誤から → 色
2連では、距離から → 色
3~4連では、自由から → 色

という具合に、多角的に問うているので、「色」と言いつつ、本当は愛の本質に迫ろうとしているものと感じます。逆にカラーとなるものは、ほとんど登場しないので、タイトルからすれば、意外な展開です。
問いかけは、天に問うように、あるいは読者に問うように繰り返されますが、冒頭言いましたように、これが特定の人に対してのものであれば、なかなかの迫り方にも感じます。これまでのエイジさんの詩のタイプとは異なるので、この解釈が合ってるのかわからないのですが、そういう愛を語る詩への挑戦とも読めるものです。むしろ詩的には、そういう読み方をした方がずっとスルリといくものですので、今回は知的追求のものというよりは、私はそっちに読んでおきたいと思いました。

表現面なんですが、2連のドウダンツツジ。3連の滝壺は、キレイにフィットしてるなと思うのですが、4連の「フィルター」の意味がよくわからない。秋空にフィルターがあるとすれば、真夏の直射日光を遮ってくれるようになった1枚の熱防御フィルターのようなものでしょうかね(だから涼しくなった)? でもそれは「脆く儚いもの」ではないので、この「フィルター」のイメージがやっぱり想像つかない。「光のプリズム」のようなものと間違ってないですかね?? ここが一つ、意味不明の難所ですね。
あんまり長くない詩だけに、ここに一つ難所を抱えてるのは、結構ダメージ大きいですよ。
ここを直すという条件付きで、秀作プラスにしておきましょう。

ところでエイジさんはここのところ、「私はこう思う」の書き方から、「○○とは?」という知的命題から入る書き方に変わってきておられるように感じる。書き方的には前者の書き方の方が書きやすく、それが基本形でもあります。後者の書き方は、より知識・思考を要する書き方で、うまくいけば優れている反面、リスキーでもあります。
いまエイジさんは後者に、あるいは命題への問いに、自身の関心が向いておられるので、後者の形で書いておられると感じるのですが、それは自身の無駄にはならないと思う。いつかひと巡りして、また前者の書き方に戻ってきた時に、そこでの経験や技量が上積みになって、真価が発揮されることと思います。


●積 緋露雪さん「妄想が現実に膠着する日常にて」

ちょっとテーマがデカ過ぎるなあの感があって、これだけデカく構えると、このサイズでは書けないというか、書こうとすると、どうしてもディティールに踏み込まない大雑把な判断があるところは否めなくなります。本当はもっと小区分のテーマで細かくやって欲しいなあというのが希望です(「人類」に着地させようとするから話がデカくなるのであって、なにも「人類」というところに着地させなくても良いのです)。

しかしながら、このサイズなりには、よく書けていると思う。ちゃんと思考ができています。
観察力もあって、これだけいくつもの外的・内的要素を考え、組み合わせて複合的に思考できているものであれば、読むに値します。価値アリ作です。内容も概ねは賛同できますしね。

思考だけでも、ある程度詩にできる能力のある人だなあーと思った。
文体も、ちゃんと自分の文体を持ってる人ですね。

ただ終連は、思考だけではマズイと思ってつけたものか、ちょっと、取って付けた感が否めない。

この詩のあるべきをいうと、風景なり日常なりを主体で書かれた別の詩を、前に合体させた方が、バランス取れていいかもしれませんね。
イメージでいうと、行分けで4~5連くらい、前にあり、それからこの詩の1~4連は行足が他と全く違ってしまうので、いっそ散文詩の形で嵌める。それからまた行分けで終連ですね。そういうイメージです。

この詩における特筆を言えば、いち早くイスラエルとハマスの戦闘を書き、アメリカのDouble Standardに、皆がとまどっていることを書いてくれてる部分です。
おまけの秀作にしておきましょう。

それから、
私は基本的に、旧かな(歴史的仮名遣い)で詩を書くことに反対なのだけど、積さんは、きちんと旧かなを勉強されている方で、旧かなを正しく使ってらっしゃる。よく見かけるマガイモノ旧かなではなく、積さんは本物です。ここまでやっておられる方であれば、私も反対はしません。


●じじいじじいさん「たいよう」

短くしか書いてないのだから、このサイズで、はしょろうとするのは、やめましょうよ。
2連の2行目、

 たいようのえがおがみれないから

は、初連2行目を逆にしただけで、書いてないに等しい。
1、2、3連で、晴れ、曇り、雨となっているのですから、それぞれ2行目は違うことを書かないといけません。2行目も3とおりにならなければいけません。
3連2行目で、

 たいようがないているみたいだから

と書いているように、2連2行目も違うことを書かないといけません。初連を否定語で置き換えただけなんていうのは絶対にダメですね。このサイズの詩では致命的です。

で、そこを直したとしても、この詩はイマイチです。
あのね、短い詩というのは、本来圧縮形なのです。ホントはそれの2倍、3倍の中身のものが圧縮されて、そのサイズになったものなのです。
それだからこそ、作者の考え方や人間性など、そこに書かれてある文字以上のものが、バックボーンに溢れ出して感じられるような作になれるのです。
ところがこの作は、最初からこのサイズのものしか考えていない。そんなだから、その1行もおろそかに書くわけです。

なんか最近、結論に行くのを急ぎ過ぎてませんか? 詩って案外、プロセス書く方が大事なのです。プロセスを書けてない詩に名作はないですよ。
足元を書かないうちから、もうゴールを見てる気がします。ちゃんと下書きをしてから、構成を立てて、書いてみて下さい。
今回の作は、じじいじじいさんの作の中でもかなり良くない方の作ですよ。一歩半前です。

編集・削除(編集済: 2023年10月28日 05:01)

評、10/13~10/16、ご投稿分、その1。  島 秀生

ちょっと長いんで、2つに分けます。


●久遠恭子さん「空想サーカス」

うん、おもしろいね。

まず、出だしの1~3連の表現が凄くいい。もうここで引き込まれますね。

そして、4~6連。ぞうさん、道化師、白い鳩のマジックの様子が、それぞれの表情とオリジナリティをもって表現されていて、これがまた良いのです。
また、4~6連を丁寧に書いてあることが、この詩全体をすごく生きたものにしている。なにしろ「サーカス」の具体は、ここにかかってますからね。テーマであるサーカスがサーカスであるためには、この4~6連のデキがキモと言えます。無事クリアしてます。

また目覚めてからの部屋の簡素が、サーカスから一転しての作者の現実で、コントラストが浮かび上がります。これだから余計に、現実から脱出するように、サーカスの夢を見るのだろうとも、作者の心情を計り知ることができます。テーマ性がありますね。

うむ、おもしろかったです。秀作プラス、あげましょう。
まだもっと丁寧に書こうと思えば、丁寧に書き込んでも大丈夫な作品なので(骨格がしっかりしてるから)、何年か後に、内容のディティールを増幅する形で改作したら、もう一段上に上がれる作と思う。でも現時点でも必要なエッセンスは全て備えてる作品なのでOKです。

後半ですが、
目が覚めてから見るのは、「夜の続き」でなくてもいいんじゃないかなと思う。サーカスと現実との差異、コントラストのようなものを見つめてもいい気がする。だから特に「夜の続き」と言わなくて、ただ見つめてるだけで、答えはなく謎のままにしておいても、いいんじゃないかなと思います。つまり

夢見る時間は一瞬
いつの間にか
朝が来ていて

目覚めると
テーブルがあって椅子があって
ベッドがひとつ
扇風機の風でティッシュペーパーが揺れている
簡素な室内
いつもの部屋

瞬きもせず
その空(くう)を見つめる
瞳を凝らして


こんな感じでもいいかなと思います。 案ですが。


●埼玉のさっちゃんさん「熱い胸の内」

感動、空気感、鼓動、一体感、という言葉のチョイスからは、
誰か特定の人と会っているというよりは、ミュージシャンのステージとかの方がイメージしやすいものだったので、そっちのイメージで読ませてもらいました。もし、そうでないならば、言葉のチョイスをもう一度考え下さい。読む側の立場から言って、これらの言葉から想起できるものは、こっちしか浮かびません。

で、仮にその方向で合ってるとして話を先に進めますが、
書かれてある想いに間違いはないのですが、ヒントが足りません。
ある場所やあるシチュエーションを与えられた場合に、この熱情は一気に流れ込むのですが、読む側の立場からいって、場所のヒントもシチュエーションのヒントもないので、映像を思い浮かべることができません。その熱情がどこへ流れ込むものなのか、具体的とまで言わないまでも、方向性の区分として、こんな場でこんな感じの方向性と言ってくれないと、映像を全く思い浮かべることができません。
読後感としましては、場を与えられてないエネルギーが、ただ宙を舞っている状態です。
これでは共感しようと思っても、共感する術がないです。

解決策としては、この詩の前半分を書くことですね。あるいは場がわかるように、前後関係を書く、ということですね。必要なことを省き過ぎています。
書かれてある内容自体は悪くないんですよ。言えば、ただクライマックスの連だけがポンと置かれているといった感なのです。前後がないです。前後がないから、わからないんです。

文自体はちゃんと書けるようになっているので、今ならそんなにミスらないと思いますよ。
自信もって、はしょらないで、きちんと書いてみて下さい。
一歩前です。


●上田一眞さん「母さん教えて」

うーーーん、概要はいいんですが、ちょっと謎がありますねえー

なぜ僕は竹笹もって遊んでたんだろう
いつも一人で海に流してた
誰に教わった訳でもないのに

のところですが、
まあ一般に知られてるのは、七夕の笹飾りは、願いを叶えるために、川や海に昔は流したということくらいですが、ここで書かれてるのはそれとは意味が違うことのように見える。
想像するに、故人を偲ぶときにそうするのかな?と思ったりしますが、そういう風習は一般には知られないところなので、何故ここでこれが出てきたのかが、読者的にはわからない。
また、単に個人的な思い出の一例として、この遊びをしていたということであれば、ますます特殊すぎて、脈絡なくこれを置かれても、出してきた意味が読者にはわからない(お母さんと二人のあいだでしかわからない、一般に想像がつかない事柄であるので、脈絡や前置きなく出されても、読者はついていけない)。
この詩はここが最大の難関ですね。

もしここを書きたいのであれば、2連ずつ3回セットの形にこだわらず(そこにこだわるからムリが生じている)、ここはフツウにだらだらだらっと母との思い出をフツウに語っていき、その連の一番最後だけ疑問形で終わっておけばよい。でもって、そのあとに、ここの終連をつければ、それでちゃんとサマになると思いますよ。

ちなみに3~4連も、

僕はどこから来たの
なぜここにいるの
これからどこへ行くの

 母さんに聞いても笑って答えてくれない
 いつもそうだった
 母さんは星になったから
 もう笑ってくれないや

たぶん、こっちの方がいいでしょうね。
この詩は途中までできているし、全体の様相や詩情は、母を偲ぶとてもステキな詩だから、もったいないです。ぜひ自分でもう一度、作り直してあげて下さい。
現状は、残念ながら、半歩前です。


●秋さやかさん「プラネタリウム」

すばらしい!! やっぱり秋さんは逸材ですね。お見事です。
瀬未さんが書いたのかなと思うほど、よくできている。瀬未さん2世の感がしました。
パーフェクトです!!

良いとこだらけだし、構成も取れている。
順にいくと、
3連、「どこが特等席かわからず」は、まさに!です。
5連、
 子供は少し大人びて
 大人は少し子供に戻って
 待ちわびている

心の繊細な動きにも嗅覚がありますね。
6連の、
 日常の眠るとき

は、終連の「また日常へ」と構成を取り、
7連、
 ふっとこぼれた
 溜息とともに照明が消え

は、20連の、
 ふぅと
 ふたたびついた溜息が合図のように
 パッと照明が灯される

と、構成を取っています。
どちらも印象的な美しい言葉で繰り返されるから、なおステキなのです。
8~9連
 居場所は心地よく見失われてゆく
 
 そうしてふわりと放り出される
 数多の星のなか

これも闇と星のあいだに放り出されるプラネタリウムの感じ、自分の位置を見失う感じ、まさに!ですね。
13連、
 大昔のあなたを想像し
 大昔のわたしを巡る

と、続く14連は、ここでもって初めて一人ではないことがわかるけど、それも脈絡の中でいいアクセントになっている。また続く15連と合わせ、13~15連がクライマックスと思えるので、二人でその図を描くことが、ロマンチックを感じさせる。

18~19連、隣の人のいびきに怒らないで、なんておおらかな受けとめなんだろうと感心する。また、この部分を消さないで、敢えて残してるのが、星を見ながら、実は人間側を描いているリアリズム(そういえば、寝る人が必ずいる。プラネタリウム見ながら寝るのは、これ以上ない幸せな眠りであるにちがいない)に則っていて、それはそれで良いと思う。
21連、星座の解説を聞いていたであろうところからの、
 浮かび上がってくる
 あたたかく重たげな体
 弓も槍も持たない無防備な

この表現も、脈絡を引きつつ、繊細な感覚が描かれててステキです。

というわけで、いいとこ随所ですね。ほんとパーフェクト!です。
名作且つ代表作入りを。


●妻咲邦香さん「遠景」

問題点をいうと、
①場面として1~2行目は、箪笥からセーターを出したばかりで、まだ箪笥のそばにいる感じがするので、まずそこから離れないと、外にいるかまきりとは、場面として繋がらない。
②セーターの箪笥の匂いと、かまきりには脈絡がないので、そのままではセンテンスを繋げられないこと(文法的に不可)。策としては、そこに至る順序を経るか、センテンス自体を分けるか、です。
③セーターを出した段階から草の種がついていた(つまり草の種がついたまま箪笥に直していた)とは考えにくいし、それだと今、秋の中にいるという風情も出ないので、草の種がついているに関しては、一日以内でなんらかの時間経過感を持ちたい。

その3つの問題点を感じたので、
そこの解消を踏まえた案を、3案出します。

この秋最初に着たセーターは
箪笥の匂いが染み付いていて
塀の上では
茶色くなったかまきりが
しきりに向こう側を見ている

何をそんなに見ているの
一緒に見るけど
向こう側 はよくわからない
私もどうやら枯れてきた
夢見ていたことが懐かしい
弾けて飛んだ草の種が
もう袖口にくっついている


この秋最初に着たセーターは
箪笥の匂いが一日中取れなかった
夕刻 茶色くなったかまきりが
塀の向こう側をしきりに見ている

何をそんなに見ているの
一緒に見るけどわからない
どうやら私も枯れてきた
夢見ていたことが既に懐かしく
弾けて飛んだ草の種
もう袖口にくっついている


この秋最初に出したセーターは
箪笥の匂いが染み付いていた
茶色くなったかまきりが
塀の向こう側をしきりに見ていて

何をそんなに見ているの
一緒に見るけどわからない
どうやら私も枯れてきた
夢見ていたことが既に懐かしく
弾けて飛んだ草の種
もう袖口にくっついている


3つの問題点を踏まえての3案。こんな感じです。

短い詩を書く場合、センテンスはなるべく短く切る方がよいのです。なぜなら、短い詩の場合、「連ごと」ではなくて、1つの連の中においても余韻を求められるから、終止形が多い方がよいのです。そのために、体言止めの使用も必ず考えます。
また、いくら短く書くといっても、文法的におかしいものは不可です。
以上の点をおさえておけば、今の妻咲さんなら、書こうと思えば、そこそこ書けるはずです。
「扉詩」とか新聞紙面でも短いものを要求されることがあるので、覚えておいてソンはないですよ。
今回のは、初連に問題アリなので減点ですが、季節のものはこれでもかってくらい詰めてくれているので、チャラかなあー

昆虫は保護色で色が変わるものも多いのですが、カマキリの場合は、成虫になってからは色が変わらないんだそうです。遺伝的に茶色のものと緑色のものが決まってるんだそうです。ただ生育地の影響はあるようで、基本的に茶色の地には茶色のものが生まれ、緑色の地には緑色のものが生まれる傾向にあるようです。まあ、色が違うと捕まりやすいので、優性遺伝的にそれが残ったのかもしれませんが。ともあれ、時間経過による変色はないですから、老いは関係がないそうです。ただ秋に生まれる個体が、周りの環境的に茶色が多いというのはあるかもしれません。ともあれ、作者の眼にはそう見えたということで、主観もアリ。おもしろいんでセーフかと思います。

まあ秀作にしておきましょう。

編集・削除(未編集)

小さな祐と…  上田一眞

小さな祐は面白い
時々言葉がひっくり返る

 アイスクリームは あいすくむーり
 助けては たけすてー
 そして大好きな
 お魚は おかさなー

ある時 北浦の港に釣りに行った
おじいちゃんと三人だ

サビキ釣りだからいっぱいかかる
アジゴ サバゴ ときどきバリゴ
小さな祐は無我夢中

 あ 綺麗なおかさなー

小さな祐はお魚が大好き
きらきら光るバリゴが欲しかった
おじいちゃんは悲鳴を上げた

 それ触っちゃ駄目!

背びれに鋭い毒針を隠しているバリ
バリゴは小さくても凄腕の殺し屋だ
小さな祐は半べそで
必死になって叫んだ

 たけすてー
 たけすてー
 たけすてー
 ‥‥‥‥


そして三人は
静かな静かな時を迎えた

 良かったね祐 
 バリゴ掴まなくて

間一髪セーフ
おじいちゃんは安堵して
美味しいあいすくむーり買ってくれた

 良かったね祐
 大好きなお魚さんと
 いっぱいいっぱい遊んだね
 また来ようね
 小さな祐



*バリはアイゴの地方名
 バリゴはアイゴの幼魚

編集・削除(未編集)

シャボン玉  朝霧綾め

少女がシャボン玉をふくらます
慎重に息を吹いてふくらます

シャボン玉は少しずつ
大きくなっていく

少女の顔と
同じくらいの大きさになったとき
少女はそっと
ストローをはなす

あお
むらさき
きいろ
みどり

大きなシャボン玉は
きらきらと虹色にひかりながら
上へ昇っていく

ずいぶん高くまで昇って
しばらくすると
 パッ
かすかな音をたてて
割れてしまった

それを下からみていた少女は
少し寂しそうな顔をする

でもすぐにまた
ストローを液につけ
シャボン玉をふくらます

もっと大きなシャボン玉を
ずっと消えないシャボン玉を

この世界の虹色が
少しでもふえるように

編集・削除(未編集)

寂しい夜に 紫陽花

窓から
釣り糸を垂らす 
そっと糸を垂らす
釣り糸の先には
チョコレートクッキー
夜の中を探る
釣り糸に反応がある
小さな星が掛かったのだ
そっと引き上げる
しかし釣り糸の先には
なにもない
私はまた釣り糸を垂らす
寂しい夜はこれをずっと
繰り返すことにしている

ただ年に2回ほど
本当に星が釣れる日がある
星は金属的な音を立てて
私の手の中で暴れる
星は何かしゃべっている
私は星の言葉が分からない
星をなだめるのに苦労する
一生懸命な私の顔を見て
星は少し静かになる
やれやれと
落ち着いた星は
そのうち手の中で
ぼんやりと光りはじめる
こんな晩は
星を枕元に置いて
チョコレートクッキーを
一緒に食べながら
朝まで星の話を聞いている

編集・削除(未編集)

Kazu.様、おめでとうございます。  (青島江里)

この度は新詩集『あなめあなめ』のご上梓、誠におめでとうございます。

詩人だから詩を書く。書き続ける。一見、当たり前のようで、よくよく考えれば大変なことだと思います。

すこやかな日も病める日も、変わることなく注ぎ続ける詩への思い。
一作を生み続けるだけでも力がいるのに、再び、詩集という大きな新しい結晶を生み出されたKazu.さん。
尊敬の念を抱かずにはいられません。

このたびは本当におめでとうございます。
これからは寒くなってまいりますね。どうぞあたたかくおすごしくださいね。

編集・削除(未編集)
合計4324件 (投稿4324, 返信0)

ロケットBBS

Page Top