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(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
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雨音さま 評ありがとうございます
ひらがなの詩はたまに書きますけど、扱いが難しいのかなと自分でも思います。
わかりやすすぎて、読みやすすぎて表現が偏るというか……良し悪しあるかと。
ペンネームについてなのですが、アルファベットのIではなくて
漢字の「愛の0時」を「相野零次」にしたつもりです。
その辺もつたわりにくかったですね。自己紹介としては無理やりすぎました。やっちゃってますね。
三浦志郎さま 評ありがとうございます
今回は自分でもめずらしく前向きな詩ができました。佳作頂けてうれしいです。
詩というと悲観的で難解なものが多いような気がしますが、こういうわかりやすく前向きな詩が書きたいです。
精進します。ありがとうございました。
くれさん、新詩集『持ち物』ご上梓おめでとうございます。
お祝いが遅くなってすみませんでした。
くれさんの作品を読むたびに、くれさんの声や優しい横顔が再生されるんですよ。
本当におめでとうございます!
1 巣本趣味さん 「連作三編 清らかな猫の唄」 5/17 初めてのかたなので今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。結論から申しますと解釈的なことは全くわかりません。というよりも、この詩はわからないように書かれているということです。作者さんは自分なりの必然があって書いているのかもしれませんが、第三者・他者的読み手は(わからない)と思う。こういった詩はそういうものでしょう。こういった種類の詩を書くかたは、詩人でも、又別の才能を持っていると僕は考えています。多少分析的になりますが、比喩表現や言葉の組み合わせはかなり突飛なのですが、それを支えてバックボーンとなっている文体というか、構文は意外とオーソドックスに展開しているのがわかります。オーソドックスと言えば、「Ⅲ」が一番それに近いものを感じました。
ところで、掲示板冒頭の「掲示板ご投稿に関するお願い」を一読ください。「MY DEAR」はこういう処です。この作品は僕は少しタイプが違うようにも思いました。ただ初回だけでは何とも言えませんので、軽く書くに留めます。対して、5/1付「完璧な日々」は此処の範疇にあるようです。このあたりの作風や趣向設定の指針をどうするか?作者さんにおかれましては、ご自分の作風との相性を考えてお決めください。
2 森山 遼さん 「君 僕 わたし」 5/17
まず5/16付、水無川氏の森山さん作「永遠の影」の評を引用します。そしてホンネで書きます。
「同じ語が繰り返されていく表現は、人によって評価が分かれるかもしれませんが、(以下略)」
全くその通りです。そして僕はこのこと(同じ語が繰り返されていく表現)の反対派に属します。
連呼の句を全て除外して書いてみました。
****************************************
「君 僕 わたし」
僕は こうして 生きてきた
愛する
なぜ
生きる
あなた
生きて
あなた
信じる
あなた 生きる
わたし うれしい
君 いきて
永遠
そこにある
見て
永遠 見て
わたし 悲しい
そうして 僕とあなた
生きる
幸せ
君も僕も 手をつなぎ
ここに座って
立ち上がり
ダンス 幸せに 踊る
ありがとう
君 僕 わたし
〇 原文は全28行
連呼句と2行連続句がざっと20行あります。
強調としての1句、2句ならば問題ないが、これは明らかに多過ぎです。
終わり近く、わずかにフレーズ感あり。ですが少ないです。
それと、いわゆる「助詞抜き」も少し気になる。
***************************************
何故こうしたか、というと連呼句が障害となって、上手く内容が掴めなかったからです。
おそらく、これがこの詩の芯、と僕は思っています。感知されることは永遠を含めた両者のパートナーシップのことでしょう。それ以上細かくは入り込めませんでした。おそらく言葉がブツ切れ状態でフレーズで繋がっていないからです。当然、詩の*歩留まり率も下がります。それに連呼句が加わると理論上、歩留まり率はさらに下がります。この現象は抽象とは違うと思います。
端的に例を出すと―
「なぜ なぜ なぜ」
「生きる 生きる 生きる」
「あなた あなた あなた」―こういったものです。
僕のエリアに投稿する場合、こういった書き方はやめて頂きたい。あまり良い癖とは思えません。
さて、それだけではキツイので、今後の策としては―
① ストーリーを書いてみる。 ② 叙景をしてみる(映像化)。
① ②は詩のエクササイズとして基本中の基本です。多くの詩人がこれらを過去にやり、おそらく
今も心掛けている事だと思います。僕も然りです。これらをするには、当然フレーズを作り、繋ぎ、
流れを作る必要があります。とにかくフレーズとして成立させないとどうにもならないです。
あるいは平文でサラサラと書いて、それらを詩的に加工し昇華していくのもフレーズ作りの練習になるでしょう
(僕はあんまりやったことないけど)。
アフターアワーズ。
ここのサイトの評者さんは皆優しいので「評が感覚に合わない場合は、スルーして」的主旨をよく言われます。僕も基本的にはその考え方ですが、時によりけりです。今回の例は僕は変えたほうがいいと思う。以前も書いたようですが、同じような詩ばかりできる。いつか壁にぶつかる。そんな気がしてならないのです。それでもスルーされる場合は、もはや詩に対する考え方の違い、詩作アプロ―チの違い、としか言いようがありません。評価は保留します。
*歩留まり率……産業界のいわゆる「費用に占める効果割合」。詩に比喩するならば全詩行に占める解釈度・イメージの感知度。完成度。その割合のようなもの。
3 上田一眞さん 「みょうがの詩(うた)」 5/18
ああ、こういう作品があってもいいのです。いつも大作、硬質だけでは疲れてしまう。そこはそれ、“箸休め”。そこにこの詩の存在価値があります。けっこう逸話の多い野菜ですが、それも上手くエピソード化されましたね。まあ、そうバカバカ食うモンじゃないから、そういった逸話も出たのでしょう。「イン~」の部分はケッサクです!(笑) 他作と同様、妹さんが出てくるのが印象的。仲の良さは相変わらずです。最後がキマッてますね。詩的クオリティでは佳作一歩前ですが、楽しく読めました。“あって嬉しい”詩でした。
アフターアワーズ。
スーパー側の都合で言うと、花が咲くと商品価値無しなんです。(小松菜と同様)けっこう東京が大産地であったりします。みょうがで思い出されたのは、何故か家紋でした。「抱き茗荷」は日本の定番な家紋で、真っ先に思うのは出雲松江・堀尾家(後、絶家)の家紋でした(ナンのこっちゃ!?)
4 じじいじじいさん 「愛」 5/18
え、とー。どうしました?じじいじじいさんが大人の詩を書くのは賛成なんですが、これは実体験かフィクションかによって、評の書き方が全然違ってくるので、今の時点ではちょっと書きようがなくて。
ただ「人が何と言おうとー」といった強い意志はよくわかります。3,4連がそうですね。当然悩んだ結果の意志でしょう。相手はどうなのか?が気になるところではありますが、終連「絶対に二人で~」とあるので、うまくいっていると取れないこともない。詩の技法面では―失礼ながらー取り立てて言うべきことはないのですが、それだけ直截だと言えると思います。ちょっと驚きながら、ちょっと困りながら、評はパスさせてください。すいません。
5 相野零次さん 「祈り」 5/19
前回「歩く男」という詩がありましたが、今回はあの男の思考・行動のバックボーンになりそうな風があります。人が羨むほど前向きで希望に満ちた詩です。鼓舞・激励がそのまま希望に繋がっていくようです。(悲観的に)「明日はどうなるかわからない」といった考えがある一方で、こういうのもあっていい、いや、無きゃ困るでしょう。具体的に見ていきましょう。4~6連がいいですね。
まずひとつずつあるもの「昨日―今日―明日」そして積み重ねによって過ぎていくもの「一週間―一か月―一年」。ひとつとその積み重ねの大事さですね。「心は君の味方だ」―これは意外と斬新な捉え方と思うわけです。思考もしっかりしているし、文体の言葉ひとつひとつ、腰がぐっと据わっている感覚があります。それは思考にも反映したことでしょう。なんだか、読んでるこちらも元気になってきます。励まされた結果でしょう。こうありたいものです。勢いありで佳作ド真ん中です。
6 静間安夫さん 「ある革命家へのオマージュ(あるいは、風変わりな身の上話)」 5/20
大変良いお話を読ませて頂きました。さっそくですが、初期に出て来るある革命家(あなた)は、チェ・ゲバラで合ってますかね?それ以降「春に例えられ」は「プラハの春」を連想しますし、「人間の顔をした社会主義」は明らかにチェコスロバキアの変革のことです。してみると、ゲバラとそれらが僕の中で上手く結びつかなかった、といったことがありました。ともかく「わたし」は時代の影響を受け学生運動に身を投じた。しかし、やがて下火となり、皆、転向してサラリーマンになって行く。
そういった世相も当時はありました。遅まきながら「わたし」も会社勤めをする。ここまでで印象に残るのは就職先を世話してくれた友人たちです。良い友人じゃありませんか。以降、ひとつのヤマになる会社内エピソードです。課長を救うくだりです。「もういいかげんにしたらどうですか!」このセリフはかっこいいの一語に尽きますね!これを境に主人公は(ヒラのままだけど)境遇が好転していく。ただ、以前からこういった下地はあったと僕は見てます。ちょっと古い言葉で言うと「苦労人」というアレです。世故に通じ人間に通じ、淡々としつつ空気を読む、みたいな―。そう考えると若き日の学生運動もまんざら無駄じゃなかったと思えてきますね。若い頃にやったことはたとえ老境になっても形を変えて再生されるものかもしれません。それと、この作品には名言が含まれています。独立的に抜き書きしておきます。
「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする」
「成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする」
最後は短いながら冒頭部分を回収しています。事績、行動は全く違いますが、生き方のエッセンスは通じるところがあった。そんな思いであり結びであります。考えさせられながら読みました。佳作です。
アフターアワーズ。
読みながら思っていたことに以下があります。
全て実体験か?
実体験+フィクションか?
全てフィクションか?
例えば、会社場面が登場人物・出来事がややステレオタイプ的であり予定調和なものを感じたからなんです。
フィクション、フィクションしてる、とも言えるし、しかし事象の典型例として、こういうことは実際にあるだろうとも思うし。
このあたり、微妙ですね。しかし作品の大勢に影響あるものではありません。
ところでリクエストがあります。普通の連分け詩も、たまに書いてみてもいいかな?と思うしだいです。
評のおわりに。
野生のアジサイが準備段階に入っています。来週はもう六月。
―ということは雨も近い。 では、また。
が遅れて申し訳ありませんでした。気長にお待ちいただいたことお礼申し上げます。ありがとうございます。
「花心」じじいじじいさん
じじいじじいさん、こんにちは。大変お待たせしました。
ひらがなの詩をいつも拝見しておりますが、今回は大人向けの作品、拝見させていただきました。書き続けられると慣れていかれると思います。どうぞぜひ続けてくださいね。というのもじじいじじいさんのお人柄、そしてお気持ちの美しさが作品にとてもよく映し出されていると感じました。花への気持ち、花から受け取る気持ち、そういったものをいろんな思いを投影しながら描かれています。詩に横たわる想いがなんといっても素敵でした。
ただ、やはり慣れていないのかなと思う点が、二連以降見られてきました。一連目は導入部で、リフレインや重なっていく「私」などはこのままでも良いと思います。ただ、二つの連に分けてもいいかもしれませんね。連を分けることで逆にテンポが良くなると思います。そして、二連目以降ですが、こちらは少し推敲してみてはどうかなと感じます。今は、じじいじじいさんの想いが全て文字にして書かれているように思います。それは私、花、という二つの主人公の登場の多さからも、一行の長さから伝わってきます。これを詩というものとして凝縮していく、どちらかというと引き算になりますが、さらに足すものも出てくるかもしれません。どうぞ何度も何度も推敲されて、読んでみてください。きっと素晴らしい作品になると思います。
「小さきものへの哀歌」上田一眞さん
上田さん、お待たせしました。こんにちは。
とても良い作品だと思います。佳作です。
やどかりを眺めながら深まっていく思考、内側へ内側へと続いていきます。それは、引いては返す波のようでとても壮大なものにつながっていきますね。
ただ、一つだけ気になったことがあります。それは冒頭の「潮溜まり」なのですが、潮溜まりって干潮のときに水がひいたときにできる磯などの岩のすきまにできる水たまりのことですよね。そうすると、ここに砂があってそれを掘って水溜りを作るっていうのは少しおかしいので、潮溜りができた岩に座って砂浜に向かって足を投げ出しているのかな?と思ったんです。そこが冒頭なので、そこで引っかかってしまうと情景が浮かびにくくなってしまいます。そこを上田さんの描きたいものに近づけるために工夫して見て欲しいと思います。
「ワニを焼く」荒木章太郎さん
荒木さん、お待たせしました。
とても面白いタイトルでどんな話になるのかなとワクワクしてしまいました。そして、作品はその期待を裏切らないものでした。佳作一歩手前です。
さて、まずは出だしがいいですね。ワニって言われてみたら甲殻類みたいな気がします。あの皮をかぶっているし、ゴツゴツしていますものね。で、うっかり焼いたら赤くなるのかと勘違いしそうになりました。エビやカニみたいに。中華屋さんという設定も良いです。そして、この赤つながりは最後まで続いていきます。そこもとてもいいなと。ユーモアがありながら、考えてしまう、日常でありながら非日常である、そういった対比が感じられてその立体構造が短い作品に「ため」を作りますね。
ところで、レッドロブスターというチェーン店があるのご存知ですか?そこに昔行ったときに「ワニ」がメニューにありました。シーフードなんだなと思ったんですよね。というわけで、この作品は決して唐突ではなかったんですよね。
「僕の名は」相野零次さん
相野さん、お待たせしました。
こちらの作品はひらがなでした。ひらがな表記については少し思うところがありますが、ご自身のこだわりがあると思いますので、その点については自由です。ただ、少し厳しくなってしまう面があるということだけお伝えしておきますね。
実は、私も最近「始まり」と「終わり」について考えたところでした。そして、相野さんの1連に似たようなことを考えました。始まりは終わりで終わりは始まり、みたいなことをです。相野さんはそれを時計に見立てて考えられたのですね。だから、時計のはりがI(アルファベットのアイ)になる午前0時、終わりで始まりのその時間、からペンネームを取られたということで、とても素敵な自己紹介になっていました。そんな由来のペンネーム、とても素敵ですね。
「終わりの終わりはゼロ」ふわり座さん
ふわり座さん、こんにちは。
相野零次さんの作品を読んだ次が、ふわり座さんの「終わりの終わりはゼロ」というタイトルだったということに何かとても縁を感じます。やっぱりふわり座さんも終わりは始まりというテーマで書かれています。こちらの作品はおまけの佳作です。ふわり座さんよく頑張っていますね。一生懸命試行錯誤して書かれたのが伝わってきました。直すところはないのですが、一つアドバイスするとしたら、少し力を抜いてみてください。少しサラサラっと力を抜いた作品もたまには書いてみたりして、ふわり座さんの詩作の幅を広げていって欲しいなと思います。というのも、ずっと一生懸命真摯に書かれてきて随分と書けるようになってきたのですから、その先へ、と詩作を楽しまれていくために、提案します。
続けて二作、始まりや終わりについての作品を拝見して、実際私も最近そういったものを書いたんですが、そうしてみると、その人の人生観っていうのがすごく反映されるんだなと感じます。どれが良くてどれが悪い、とかではなくて、どれもいいんですよね。みんなそれぞれの死生観みたいなものを持っていて、みんなそれぞれの人生を持っていて。私も若い頃と今では全然違いますし、感覚って常に変わっていくものなのですよね。
「お大事に」温泉郷さん
温泉郷さん、こんにちは。
日常のほんの束の間を切り取った作品はとても温かいですね。良い作品だと思います。作品を最後まで読むと、その一言が「お大事に」だということがわかりました。まず、この作品は前半部は私をそわそわさせてくれました。どっちだろう、と主人公と一緒にそわそわしドキドキし、そして、くしゃみメインの風邪ひきさんかなというのがわかります。さらに、その後の、主人公の心模様がなかなか乙に描かれていて、よく構成されリズムの良い作品でした。佳作です。とても力を感じました。これからも楽しみにしていますね。
「影法師の歩く道」人と庸さん
人と庸さん、お待たせしました。
まだよく存じ上げない方なので、評価はつけませんが、作品はとても素晴らしいものでした。大きな力を感じながら読ませていただきました。構成や設定、そして、描き出すものの力、いずれもとても強く印象に残るものでした。これからもとても楽しみです。
影法師が淡々と歩いていきながら、徐々に生き生きとし始める、そして、さぎ草の場面が訪れます。白い小さな花が羽ばたいていくところが目に浮かんできました。影法師も一緒に羽ばたいていく。今はもうお祭りの日にしかいない影法師が何を示唆するものなのかははっきりとはわかりませんでしたが、もしかしたら誰かなのかもしれませんし、誰でもないかもしれません。けれど、それは別にどうってことないんだなと最後まで拝見して思いました。とてもよかったです。
「ていねいに」まるまるさん
まるまるさん、こんにちは。今日のトリはまるまるさんです。
今回もとてもいいですね。佳作です。
まるまる節、と言いますか、まるまるさんの独特な優しい世界が作品にいつもあることが私にはとても嬉しいです。今回も新人さんが運んできた「丁寧」を愛おしみたずさえて暮らすことになったことがとても素直に優しく、押し付けがましくなく、さらりと語られていました。とても素敵だと思います。こういう優しい世界がどんどん広がっていけばいいのにと思ってしまいました。
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力作揃いで、読ませていただきながら、「みんな上手だなあ」とつくづく感じました。
毎日の生活は、待ったなしで進んでいきますが、ここに集まる方たちは詩情を胸にみんなそれぞれの場所で日々を送られているのだなと改めて思います。
梅雨がやってきますね。雨も良いものですよ。
まなうらに閃く光は
春先 最初に見た燕
行く先を見定め
遠く海を越えてきたもの
はるか昔 進化の道を分かたれた人は
地に縛られ 時に道を見失っては
まよい子のように彷徨い歩く
街角のざわめきが
ふと 波の響きのように聞こえてくるのは
さらなる昔 太古の海に棲んでいた
魚だった記憶の名残りからなのだろうか
口すぎのために働く 慌ただしい一日の終わりに
疲れ切り ようやく眠りにつく時
ここは違う、となぜか思う
別のどこかに
安息の場所があるのだと感じる
足りないものは 自ずと満たされ
日々生じる煩いも 不安や恐れも消え失せる、
そのような 知るはずのない楽土の在り処を
どうにか思い出そうとしている
これは多分 神様のはかりごと
鳥になれず 魚に戻ることもできない 人は
天に描かれた見えない座標の
どの位置にいるのだろう
夏が過ぎると
燕は 新たに産まれたものたちを連れ南へ帰る
自分の在り方、在るべき場所を
いつも迷いなく知っている 変わることのない姿
鳥も 魚も そのままでいいのだ
通りですれ違った 下校中の小学生たちが
ふいに無邪気に挨拶をしてくる
「こんにちは」「こんにちは」
とっさにこんにちは、と返す間に
子供らはもう 人混みにまぎれてしまっている
行き交う見知らぬ人々も
職場でせわしく働く知り合いたちも
顔を認めている暇もなく 視界を通り過ぎてゆく
時間とは
無限に短く区切ることができるものだという
けれども例えば
無限の彼方へ遠ざかる一瞬のような時間を
そこにある風景を
記憶に留めおくことは 人には到底できそうにない
それとも 普段は気付かない意識の底の深みが
秘かに 大切に憶えているだろうか
夜ごと心で探し求める場所は
そんな認知の先の領域に 立ち現れるのかもしれない
おそらく人がみな 誕生の時から憧れ
いつか辿り着くよういざなわれる世界
(足らざるもの満たされ──)
本当は 分かり始めていることがある
私自身が足りていないのだ・・・
道端に咲いた 名も知らない花が
風に揺れてうなづく
神様は きっとほくそ笑んでいる
ピンクの野花がテーブルを飾り
お花畑になった
くるり くるり
と 花茎にそって螺旋状につく無数の花冠
ひとつの大きさは五ミリほどだろうか
実に愛らしい
娘が摘んできた沢山のネジバナ
小さいけれど
これも 蘭
カトレアや胡蝶蘭と同じ仲間だ
七月 娘の誕生日を迎える頃
毎年 ロゼット状の葉っぱから
つんと伸びた花茎にピンクの小花をつける
初夏をいざなう花の香
ネジバナの季節だ
この花 別の名をもつ
忍捩摺(しのぶもぢずり)
なんと風趣に富む名なことか
こんな歌がある
陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり
誰(たれ)ゆゑに
乱れそめにし われならなくに *1
歌人は
千々に乱れる心 忍ぶ恋のあり様を
花柄に見たのであろう
耳を澄ませば
遠く
平安の時代 陸奥 信夫の地に因んだ *2
いにしえ人の声が聞こえる
忍ぶ恋の苦しさ
甘さが 匂うように届く
娘はこのネジバナが好きで
よく 庭に咲いた花を摘んでは
花瓶に放り込んで
飾っていた
ある年 誤って
除草剤で庭のネジバナを全部
枯らしてしまった
大失態
娘は悲しんだが その後
花季(かき)になると
湖畔の草叢へ行き
ネジバナの花を摘んで来るようになった
知ってか知らずか
ネジバナの花言葉は〈思慕〉
恋の花を飾る娘
その 切なげな姿が愛おしい
父の知らぬ間に
手弱女に成長した娘
さては 忍ぶ恋を覚えたか
陸奥の信夫の地でも
ネジバナは
いや しのぶもぢずりの花は
今は盛りと
咲き誇っている
*1 河原左大臣こと源融(みなもとのとおる)
作 古今集より
*2 信夫(しのぶ)は福島県信夫郡のこと
ぼくは わかった
いいや、大したことはないよ
ぎこちなかった訳とか
あの日の君が何を思ってたかとか
そんなこと
ぼくは わかった
たぶん、大したことはないよ
つかれてた嘘とか
君の嘘が何を守っていたかとか
そんなこと
なにかがわかった途端
からだのどこかが透き通る
そして通り抜けてゆくんだ
わからないままでも
きっと生きてゆけたようなことが
からだじゅうに広がる
しびれ 甘み たしかな火照り
ああ これがたぶん、ユリイカ
いつかの天才の気持ちも
今ならわかる気がする
裸はまだしも
下着でベランダくらいなら
出てもいい気がしてくる
わかるって
それくらい勢いのあること
わかって すっとして
わからなくなって もだえて
なんにもわかってなかったことがわかって
またわかって、かわって
くりかえす
生まれくる季節とともに
ふるびながら あたらしくなって
ひとみが いっそう深くなって
いつか そのひとみが
しんとした
ふるさとの海のようにしずまった時
本当にぼくがわからないといけなかったことが
ようやくわかるのだろう
そして わかったそばから
ひとみから 光は消えて
最後の深みへと
人は沈んでしまうのだろう
人はそういう切ない生きものなんだろう
なんて
なんだか悟った気になるベランダ
夕風がつめたい もちろん服は着ている
めったに吸わないけど煙草がほしいな
ただなんとなく
ひとみの海は ゆらゆらと波打って
ときおり まぶたの浜に
ぽろぽろと打ち寄せる
頬に 熱いものが過ぎ
その跡に 冷えた小径ができる
ぼくは わからない
どうして 今になって
君のことなんか 思ったりしたのか
ぼくには わからない
たぶん、大したことはないよ
散歩から帰ってきた母と入れ替わりに
私も外へ出た
6時を過ぎたばかりの夕方の空は
まだ明るい
スロープ状の坂を下って
土手へ降りると
むうっした草独特の臭いが
マスク越しでも鼻についた
手入れもされず伸び切った雑草が
風で揺れている
思わずマスクの上から鼻を手で押さえ
土手沿いの白い道を早足で歩く
川は少し陰り気味の陽射しを浴びて
白く襞を帯びながら輝いていた
川に沿って土手に設置された
コンクリートのベンチの側では
若い男性が手足を動かして
何やら屈伸運動でもしているようだった
少し過ぎると
小型の可愛らしい犬を連れたご婦人とすれ違う
犬は飼い主にリードで制されているためか
吠えもせずに大人しく付き従っていた
桜の木が何本も聳え立つ草むらで
外国人の男性が訝しげに
私の顔をジロリと睨みつけてきたが
私は構わず脇を通り過ぎ
とうとう橋の下を二箇所潜り抜け
北大路橋の袂までやってきた
もうかなり日も落ちてきていたが
橋へと繋ぐ階段を登り
そのまま橋を渡る
明るく賑やかな光に彩られた
北大路通りへとは向かわずに
自宅の方角へと向かうため
黒く繁った土手に降りると
暗くなりはじめの景色は
行きの頃とは一変し
流石に不気味さを醸し出していた
歩いていても
ゴミを一纏めに入れたビニール袋が
闇に蹲る白い獣のようなものに見えたり
暗闇のベンチの上でお互いの体をノリのように
くっつけ合っていちゃついている
若いカップルのけたたましい嬌声が
背筋を凍らせるほど悍ましい
怪物の声に聞こえたりする
こういう時なぜかほっとするのは
ランニング姿で元気に通り過ぎる
初老の女性だったり
俯き加減で冷たい椅子に腰掛け
携帯を触る男性だったりする
人なのか物なのかそれとも物怪なのか
判別しにくい暗がりで
ただ人が少しでもそこにいることの安心感
私は歩くペースを早め
できるだけ暗くなり切る前に
家に着きたい一心で歩く
我が家へと続く橋へと辿り着いた時の達成感
しかし家路に着いた途端
腰に巻いたカーディガンを落としてしまったことに気づき
また来た道を戻り探す羽目となる
地面に落ちてないか俯きながら探し回った結果
紺のカーディガンは自宅近くの橋を降りてすぐの
土手のところに
暗い地面に溶け込ますかのように
本体をべったりつけて待っていた
私は家に帰ってすぐさまカーディガンを
洗濯カゴに放り込み
温かい湯船へと飛び込んで
気持ちよく汗を流した
分厚い精神分析の書籍に
私情を挟んだ
しをりを失くした
俺は父性を探し求めていたが
幼少期は父の顔をよく間違えていた
たまに目の前に現れる父は
いつも未来から訪れる俺の姿だ
心の井戸を掘り進めるのはやめることにする
真っ暗で母の香りにしか辿り着けないから
全ての井戸は海へと繋がることを知ったから
人生のページを捲るうちに
言葉のナイフは鋭くなり
解釈が上手くなった
頭を切る仕事ではないのに
愛することができず
花ばかり切り落としてしまう
暗いソファの上で分析に明け暮れていたから
しおりは出て行ったのだ
地上に上がり海辺のカフェに入った
久しぶりに分厚い四季報を捲った
色彩の眩しさでテーブルが現実に染まる
痛みは解釈では切り取れない
抱きしめて受け入れるしかないのか
分厚い精神分析の書籍に
詩情を挟んだ
前の席に座っている
しをりをみつけた