◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
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左首筋に喰らいつく
ドンとした重さ感じ
思わず顔を顰める
まるで虫が
しゃぶりつくような
薄気味の悪さ
しばらくすると
何もなかったかのように
すっきり治るが
不意打ちのように
やってくる厄介者
何だか正体のわからぬ
首筋の虫は
いつも活動する機会を
伺いながら
張り付いている
大空の消失点にある
青と雲の湧いてくる泉
内側から膨らんでるような
せり出して青く力んだ空
すっと空横切った落雷
彼は夕立の使者で
レイ・コンマの輝きが
人々のまぶたを撫でた数秒後
雷鳴を轟かせ てっぺん杉に落ちた
鋭い葉、太い幹、根の先と
触れるものすべてを焼き尽くして
深く地の奥へ
暗い地の網目に
ほどかれゆく高圧の束
やがて散り散りになって
密かな地下水脈を痺れさせて
何かに触れる事も
何かを愛する時間も
許されなかった刹那のからだ
さみしい、さみしい落雷
定めを恨んだ さみしい落雷よ
天から地まで
あまりにせわしい旅だったろう
燃える電圧を
悠久の沢で冷ましながら
どうか地の底では
豊かな土に包まれて
安らかに消えてゆけますように
思えば
空を揺らしたあの雷鳴も
彼の悲痛な叫びに聞こえて
再び閃光、そして雷鳴
刹那のからだが空を斬る
生き急ぐ恋人たちは固く手を握り
小児病棟の蛍光灯がちらつき
この街にもうじき、夕立が来る
人類の進歩につれて
森が子供が減ってきた
どこでも電気がつけられて
明るくなった
世の中に妖怪なんて
怖がられもしなくなった
そんな森がつまらなくなった
バーバ・ヤーガはついに山を下りた
勿論これからも子供を食べるつもりだが
子供がいなくては話にならない
さあて どこで子供を選ぼうか
5歳くらいのこどもが一番美味しいが
贅沢なんて言ってられない
小学校なんてどうだろう
それも放課後児童クラブ
きっと子供があふれている
その上モンスターペアレントなんかが
いるようで働く人が不足らしい
先に町に下りてた
バーバ・ヤーガつながりで
すぽんと入れた児童クラブひなた教室
もちろん1年担当だ
そうして今日は新年度1回目の教室だった
しんたろう君に まおちゃんに
総勢10名名前も覚えた
命だ命だ 元気な命だ
吸い込もう溢れんばかりのエネルギー
森を下りたバーバ・ヤーガが食べるのは
あまり余った子供たちのエネルギー
教室始まりの大きな挨拶
音読や計算カードを読む元気な声
ドッジボールで跳ね回る音
縄跳びを取り合っての喧嘩
転んで泣きじゃくって
いつの間にか笑い転げて
一年生たちはもう止まらない
町に下りたバーバ・ヤーガは
しんとしたあの森を
あの一人ぼっちの孤独を
だんだん忘れつつある
………………………………
バーバ・ヤーガ
子供が好きな魔女ですが。色んな書かれ方をされてます。良い魔女の時も悪い魔女の時も。
視線をずらして
立ち位置を変えて。。。
それでも 見えない
それでも 納得できない
そんなとき
私の大事な物は何だろう
そう 考えます
大好きな愛する人が一番大事
息子は そう答えた
えらそうな母は それは違うよ・・・って 言った
この世で自分が一番大事なのは自分なんよ
大事な自分が愛する人だから だから大事
だって 自分で自分をすきじゃなかったら
自分で自分を大事じゃなかったら
そんな自分に愛された人だって 迷惑ジャン
自分のことをちゃんと好きで
自分のことを大事にする人が 愛してくれるからこそ
愛されることが 嬉しいんじゃん
理屈にもならないような理屈並べながら
だから 自分を大事にしてよね
自分をうんと好きになってよね
偉そうな母は あれは 息子に言ったんだろうか
自分に言いたかったんだろうか
私の大事な物は何だろう
そう 考えたとき
そうか
あの人だって
あの凄く嫌な奴だって
自分が 大事なんだよね
でも だからお願いだ
自分を 好きになって
自分が大好きになれる自分でいて
そう願っている声
どうやったら 届けられるんだろうね
鳥の様に飛びたい?
鳥はね
羽ばたいて飛んではいない
風に乗って飛んでいるだけ
だからね
無理して羽ばたこうとしなくて良いんだよ
世間や世の中の風に乗って
飛んでみたら?
それだと自分を捨て去ると思ってない?
無理して羽ばたいていても
いつかは力尽きて落ちてしまうよ
争うのではなくて
流れに乗ってみたら
新たな自分が見つかるかもよ
そしたら数回だけ羽ばたいて
進路を変えれば良い
好きな方へ 行きたい方へ
何度か羽ばたいて違う風に乗れば良い
そんな生き方もアリじゃない?
W:「この前のことですが、五歳になる娘に古いアルバムを見せてやっていたら『ねぇ、むかしは おようふくとか おうちとか みんな いろ がなかったの?』って聞いてくるんですよ。そのアルバムに貼ってある写真がみんな白黒だったから、そう思ったんでしょう。それにしても、あまりにも率直な感想なので、ちょっと驚きました。子供は見たまま、ありのままに世界を受け容れる、というのは本当ですね」
B:「いや、きみの娘さんに限った話じゃないさ。わたしだって、似たような錯覚を起こしたことがない、と言えば嘘になる。もちろん、昔の世界には色彩がなかった、などと本気で思ったことはないけれど」
W:「なるほど、繰り返し繰り返し、過去の人々や事物を、白黒写真と白黒映像を通して見てきたために、モノクロがいわば過去のデフォルトであるかのような錯覚に陥る、ということですね?」
B:「まさにそういうことさ。こうした錯覚というか習慣のせいだろう。最近、流行りの『白黒映像のカラー化技術』なるものに対しても、さっぱり馴染めない。明治・大正時代の世相や19世紀ヨーロッパの繁栄の様子など、モノクロフィルムに後から色彩を施した映像を見る機会が増えたけれど、その度にわたしは何とも居心地の悪い気分になる。色合いが不自然だとか、派手だとか、そういうことじゃない。ただひたすらに違和感を感じてしまうんだ。どうやら、わたしの脳内には『過去=モノクロ』という固定観念がしみついているようだ」
W:「でも、そうした固定観念は、案外みんなが持っているかもしれません。なぜってモノクロは、過去への郷愁を呼び起こすために、けっこう広く利用されていますから。例えば、レストランや喫茶店で、街角や人物のセピア色の写真を客席の壁にかけて、古風な情緒を醸し出そうとしているのを、よく見かけます。映画の世界でも、あえて白黒で撮影することで、懐旧の念に訴えようとするのは、おなじみの手です」
B:「確かにそうだね。ところが、だ。こうしてつらつらモノクロの利用について考えていくうちに、必ずしも『過去=モノクロ』の図式に当てはまらないものに突き当たるんだが、何だと思う?」
W:「え-っと何だろう?わかった!『今このとき』を伝える報道写真ですね。カラ-写真が一般に普及した後でさえ、ごく最近まで報道写真と言えばまず白黒写真が思い浮かびましたから」
B:「報道写真だけじゃない。肖像写真でも白黒で撮影されたものは多い。何しろ、モノクロ写真にしぼったコンテストだってあるくらいだ」
W:「意外にもモノクロの世界は広いということか…なぜだろう?コスト上のメリットとは別の理由がありそうですね」
B:「一言で説明するのは難しいけれど、まず、報道写真の場合には、あえて色彩のない世界で表現することによって余分な修飾を排し、写真で切り取られた一瞬の事実の重みに観る者の注意を引きつけようとするねらいがあるだろう。また、日常的な現実には基本的にあり得ない、色のない世界で表現することで、日常とは隔絶された非日常的な事態が生じたことを強調する意味もあると思う」
W:「なるほど。『事実の重みに観る者の注意を引きつける』ねらいがあるということですね...写真ではなくて絵画ですけど、ピカソの『ゲルニカ』がモノクロであることを思い出しました」
B:「そうだね。戦争の惨禍を告発するあの作品では、白と黒のそれぞれで生と死を象徴させながら、ゲルニカで何が起きたか、ということを観る者に訴えかけているんだよ。」
W:「どうやら、白と黒が暗示するイメ-ジの根底には、日常からはっきりと区別された非日常性の雰囲気があるようですね。劇的な演出と言ったらいいか…」
B:「確かにそう思う。肖像写真の場合にも、モノクロにして『余分な修飾』を取り去り、被写体である人物の内面にまなざしを向けさせる、という点に加えて、白と黒が織りなす陰影が、その肖像にドラマチックな印象を与えるのをねらっているのかもしれない」
W:「だいぶ、モノクロの世界の多様な姿が見えてきましたね」
B:「いやいや、まだまだ。もう一つ、おろそかにしてはならないことがある。」
W:「えっ、それはいったい?」
B:「灰色の部分をどう表現するか、言い換えれば白から黒にいたる諧調をいかに表現するか、ということなんだ。水墨画を思い起こしてみれば、きっとわかりやすいだろう。純白と漆黒の両極の間を多彩に描き分けることで、あの精妙な世界が生れてくるんだ。それが表現できないと、モノクロはいかにも平板なものになってしまう。さっき言ったモノクロ写真のコンテストでも、その点は重要な評価の対象であるらしい」
W:「水墨画とモノクロ写真の比較ですか…おもしろいですね。ジャンルを超えた比較と言えば、先日、ある作曲家が、弦楽四重奏曲を作曲するのは、黒鉛筆でデッサンを描くようなもの、と例えていました。両者とも使える手段は限られているにもかかわらず、思いもかけないほど豊かな作品を生み出すことができるから、というのがその理由です。
B:「なるほど。因みに文学の世界で、水墨画やモノクロ写真と比較できるジャンルは何だろう。詩だろうか?俳句だろうか?そうしたアナロジーを考えてみるのも、文学を味わうときの楽しみ方の一つかもしれないね」(了)
人生の役目を終えて
眠りにつく時
ほっとした気持ちになればいいな
自分が生きた証は
風のように消えても
はたまた残っても
今を生きる人々にアップデートできたと
信じるから
わたしを支えてくれた
たくさんの命よ
月並みですが
ありがとう
もしもこれから行く世界で
こちらの星を眺めることができたなら
そっと見守るから
そして闘うから
穏やかな日々であれと
架空の明日より
現実の未来のために
種を蒔こう
風が吹いたなら
また立ち上がろう
世界中に花が咲くように
地球という星が
カラフルに彩られるように
くれ様、この度は新詩集「持ち物」ご上梓おめでとうございます!
くれ様の精力的な詩作は大きな励みであり、詩作でくじけそうになった時
の力強い支えでもあります。
これからも益々のご活躍をお祈り申し上げます。
夏生
くれ様、新詩集『持ち物』ご上梓おめでとうございます。私にはどうしてもキム様という方がしっくり来るのですが、Twitterでいつも製作途中?の作品が流れて来るのですが、これがまだ完成じゃないの?と驚愕することがままあります。妥協せず高みを目指す姿勢、見習いたいです。
ひとりの男が歩く
どこへ向かおうというのか
夕日が沈む先へ歩く
水平線の向こうまで歩く
手には国語と算数の教科書を持っている
男はもう一度勉強したかったのか
空っぽのリュックサックには乾いた砂ぼこりが入っている
何十年前に買ったリュックサックなのか
乾いているのは男の心かもしれない
心の砂漠に水を与えよ
男は一心不乱に歩く 迷いがない
かつかつという音が聞こえてきそうな歩みだ
男は未来へ歩こうとしている
過去の自分と決別するために歩いているのか
男は薄汚れている
シャワーを浴びせて身体を清めてやれ
汚れているのは心か
心は澄んでいた 表面は汚れているが 中まで浸透していないらしい
男は微笑んでいた
最初は悔しそうな表情で歯をくいしばっていた
今は違う 何が男の笑みを誘発させたのか
風が吹いていた とても柔らかな風が
そよそよと春の森の木陰から吹いてくる風だった
誰が贈ったか知らぬが男は大層うれしそうだった
男が歩いている
猪突猛進に近い歩き
ずんずんという音が聞こえる
これはいけない張り切りすぎである
ふさわしい歩き方がある
もう少しゆっくり落ち着かせねばなるまい
雨を降らせた
小雨程度だ
男は張り切りすぎたせいでだいぶん汗をかいている
汚れていたし暑いようだ 涼しくしてやろう
男の歩みは決して止まらない
常に歩いている
そう心臓が常に動いているのと同じように
男の行く道は穏やかだったり険しかったりする
自然な歩みで乗り越えてゆけたなら……
と安らかなまなざしで歩めば正解である
男を支えるのは二本の足だけだが
手伝ってあげるのは我々の役目だ
男の行く末に 幸あれ