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編集・削除(編集済: 2024年09月10日 18:37)

君にはじめて手紙をかくよ  ベル

雨がきらきら降りしきるなか
僕らは夏のど真ん中にいた

釣り糸を垂らした麦わら帽子
釣る気満々で顔を見合わせる
今日のポイントはどこだ
僕らがきらきら輝いて見えるのは雨のせい?
まるで夢のなか 
雨に濡れてもへっちゃらさ
僕らの心は晴れ模様

自転車を走らせ
ちょっと森をくぐったところのオアシス
ここが秘密の穴場さ

今日はたくさん釣れたなヘラブナ
またなと放流する
泳いでいく魚たちは水を得た。。。
そりゃ、そうだろ

それは僕らにも似ていて
それはあの日にも似ていて

今、あの森のオアシスはあのままだろうか
ヘラブナ釣りに夢中になった季節
今、もう一度あの扉を開いたら
あの夏の不思議な雨の日に会えるのだろうか

はじめて手紙をかいている
君にはじめましてと

編集・削除(未編集)

三浦志郎様の「歌えない歌」の評に寄せて

批評、ありがとうございます。
確かに題名がおかしいですよね。
自分の頭の中にあるものにピッタリとした表現が、これしか思いつかなかったんです。
少し、自分勝手な詩になってしまった様ですね。
地図の表現は宮沢賢治の影響です。
宮沢賢治も私も仏教徒なので人生観が似てると思います。
定められた道があって、そこを真っ直ぐ行く事が大事、という感じでしょうか。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様 コメントのお礼です  上田一眞

こんばんは。上田です。

貴重なコメントありがとうございました。「なるほど」と唸るところがあります。
総花的になっていては詩としての深みは得られないということでしょうか。
以前も同様の指摘を受けたことがあります。「一作品にそう沢山の事は盛り込めない」良く分かりました。肝に銘じておきたいと思います。

MY DEARのワンウェイの原則を破ってしまったことお詫びいたします。ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

上田一眞さんへ。 三浦志郎 

詩としての完成度がいかほどのものか、留意することはないか、そうした批評が頂きたいのですが無理でしょうか。
(上田さんコメント)

なるほど、そうですよね。例えば、ドキュメンタリーとか戦記文学といったものは、こういう書き方をするでしょう。詩として把握する、詩の完成度を測定する、となると、こういったものは少しズレると思います。いっぽうで、これは僕の一方的な考え方ですが、世の全ての文章とそのジャンルは詩に変換し得ると思っていて、「自分が詩と思えば、それはすでにして詩なのだ!」といった強引な立場で押し通って行きます。ただし「詩的“純度”」には留意したいと思っています。スタイルは問わずに「詩的かどうか?」がその尺度になります。上田さん言うところの「“詩としての”完成度」です。
キツイことを書いてしまうと、(以前の同列作品も含めて)対象を調べて、戦記を多少知っていて、文章に心得がある人なら、ある程度書けてしまう、ということです。総論的でウィキペディア的なんです。これは多くの詩人が言うところですが、「一作品にそう沢山の事は盛り込めない」です。この詩は「沢山」であり総論であり概観です。僕が考える策としては、もっと局地・局限したほうがいいということです。この詩で言うと、「捨て置き」のこと、「部下の亡霊」のこと、終連のこと、これらのどれかだけをピックアップして、それだけについて書いて、自己の考え、思想を色濃く入れて深化させる。わかりやすくするために極端に書くと「狭く深く」書くことでしょう。もちろん詩的な修辞は必要になります。もちろん、どういった場所か、背景かは書かねば読み手はわからないので、ほんの数行書けばいい。注釈化だけでもいい。もっと知りたい人はおのずと調べるはずです。この悲惨な状況を総論的なエネルギーに乗せるのではなく、もっと絞り込んだ個別性の中で深めたほうが、詩としては得策と思えるのです。例えば……です。

その島の名はあまり知られていない
太平洋戦争で悲運にも
地獄に見舞われてしまった
どのような地獄だったかもあまり知られていない
知らせたくなかったのかもしれない
それほどの悲惨

*メレヨン島  (以下、注釈に任せる)
ある人が手記を残している

~~~以降、一事象ピックアップで惨状、自己の感慨を披瀝する

僕の歴史好きに戦記も含まれるのですが、やはり、かえってこういうのは難しいです。
これは自分の立場含めて書きました。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様 評お礼

ありがとうございます。
指摘の件お恥ずかしい限りです。不勉強を恥じ、次回詩に活かします。
佳作は、有難いけれど、甘めの評価でしたね。
原点回帰が、理解されたこと、嬉しく思います。
多分多くのベテランお年寄りは、正直を通そうとする青臭い時代があったんじゃないかな? と思うのです。
僕の世代は精神的年寄りが多く、そこのズレが僕への怒りとか反発とか、共感につながってるのだと思うのです。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様  評のお礼です  上田一眞

こんにちは。上田です。

この度も僕の作品を丁寧に読んで下さりありがとうございました。
若い頃元中尉の上司の家に招かれて、メレヨン島の話しを直接聞いたときは鳥肌がたちました。いつか、僕もこの話しをテーマに書きたいと思っていましたからとても満足しています。

詩としての完成度がいかほどのものか、留意することはないか、そうした批評が頂きたいのですが無理でしょうか。

また、投稿しますので宜しくお願いします。

編集・削除(未編集)

感想と評 11/17~11/20 ご投稿分 三浦志郎 11/26

お先に失礼致します。


1 鯖詰缶太郎さん 「ふゆがれ」 11/17

主要部を成す子ぎつねさんとのやり取りが、可愛くて面白くていいですね。ほのぼのとしてユーモアもあります。おとぎ話のような雰囲気が味わえます。いっぽうで「僕だけのようで あります」の初期部分がそれ以降~詩全体とどのように関わるか、がちょっと見えてきませんでした。この部分と終わり近くにも「あなた」とあるので、何らかの繋がりがあるはずなんです。そういった意味で、この初期部分は解釈上、もそっと地に足つけた表現をされるといいかな、と思うわけです。
僕が一番好きなのは最後のふたつの連です。季節の移ろいとほのぼのとした気持ち。
こういったハートウォーミングはこの詩全篇に感じられます。冬は寒いものですが、この詩は言葉によって暖かくなれるのを感じます。それを思うと上記の初期部分はなおのこと、全体にもう少し寄り添ってもらいたい気になるのです。 佳作一歩前で。


2 妻咲邦香さん 「ゴールを揺らす」 11/17

これは僕だけの読み方かもしれませんが、タイトルとゴール云々の記述ですが、この部分をサッカーの事と思っていては、この詩を読み誤る気がします。(サッカーに騙されちゃいけない!笑)であります。これはおそらく何かの象徴、隠喩。じゃあ何の事でしょうか?強いて言うならば、ゴールとは主人公の考える目標、あるべき姿、差し当たっての到達点?多少、勝ち負けの記述が出てきますが、これも人生に関わる事かも?ただし詩上でさほど深入りする必要なし。個別性の代表として「あなた」が登場します。そして主人公の「私」がいます。これだけでも最低限、社会は成立します。二人の関係性、アプローチの仕方、そこに同心円上に、拡大解釈上に広がっている世間があり、社会があり、万物が控えている。そういった諸々へとの自己のあり方―共存のような―ではないかと思ったりするわけです。「星と話す」云々はこの詩にとって、特に大勢に影響はないでしょう。頭の中で自動的に浮かんだものを捉えたに過ぎないかもしれない。サッカーの件もたまたまサッカー中継でもあったのかもしれない(たしか、日本代表VSミャンマーだったかの試合あり、日本大勝)。へんな評文を書いてますが、逆に言うと、それ以外は全てこの詩にとっては最重要部分。すなわち自己を取り巻く全てのものを対象として、その接し方を”反世界・不条理“の表現スパイスを効かせて再現した、そんな風に見てます。相変らずユニークです。佳作です。


3 上田一眞さん 「メレヨン島の悲劇」 11/18

文中「メレヨン島 聞かない名だ」―全く同感です。知らなくてごめんなさい。逆に教えて頂きありがとうございます。あの戦争を通史で見ていくと、軒並み、こういった現象そして悲劇が生起しています。すなわち米軍は戦略的価値が低いと見るや、そういった島を置き捨てどんどん北上、先を急ぐ。絶対国防圏に迫る。結果としてのマリアナ~フィリピン~硫黄島~沖縄といった具合です。
置き捨てられるとはどういうことか?敵も来ないが補給も来ないということです。結果としての立ち腐れ、孤立無援。大本営は見捨ててしまうということです。餓死・病死・自決・処刑・同士討ち、この世の地獄の全てが現出した。その典型が同島であることがよく理解できました。もしかすると、あまりにむごくて歴史も人々も、あまり語りたがらない、もしかすると終戦まで箝口令が敷かれたかもしれない。そんな観測を僕は持っています。それを考えると文中の職場の上司は戦後とはいえ、ある意味、勇気ある行動をしたと言えそうです。終わり近くの亡霊譚と終連は印象的です。これは誇張ではない気がしています。

アフターアワーズ。
それらに似た話を読んだことがあります。引用します。「アッツ島はすべての人達が死に、キスカ島のほうは全員救出された。かれらをのせた艦がアッツ島沖を通ったとき、島からバンザイの声が湧くのをきいたという人が、何人かいた。私は、魑魅魍魎談を好まないが、この話ばかりは信じたい。」 (街道をゆく 四十二 三浦半島記 「鎌倉とキスカ島」 司馬遼太郎)


4 えんじぇるさん 「ロバートジョンソン」 11/18

これはまず、ロバート・ジョンソンの「クロスロード」伝説を一応押さえておいたほうがいいでしょう。すなわち、国道が交差する「十字路」で、彼は悪魔に魂を売り払って、その引き換えにブルースのテクニックとフィーリングを手に入れた、という伝説です。冒頭のクラプトンの分析はこの詩の推進力として、最後まで持って行った方がいいように思い、そのように読みました。立川談志の件もこれと同調と見ていいでしょう。対して、そうではない人々の例が提示されます。これは表現者の初動期である健全で純粋な表現欲求から、ショービジネスの発展に伴い夾雑的要素が入り込み、純粋な心が押しやられていく過程を、この詩は「私」の独白を借りて伝えようとするかのようです。その際、「だろうか?」「懐かしい」「だったろうに」等、けっして声高ではなく、マイルドに伝えるところがいいですね。ちょっと気になったのは終わり3行で、ちょっと論旨がズレるようにも思えるんですが。それはともかくとして、僕自身は冒頭のフレーズこそ、この詩において持っていたいものですね。原点回帰の提唱を感じて佳作を。


5 エイジさん 「音を紡ぐ」 11/18

たとえば、ただの一音。それのみだと、まだ物質的な要素が拭い取れない。しかし音楽の始まりには違いない。しかし、しだいに音数が増え音楽は育ってゆく。そんな主旨を感じさせる初連です。旋律⇔和音という要素、とりわけ5連。和音の積み上げの上を旋律が駆け抜ける感覚、そして主題→変奏→コーダという要素。詩の中で音楽が立ち上がってくるのがよくわかります。音楽のタイムと構造をよく理解され、譜面が進むように詩も歩み、それぞれのパートが印象的な表現で装飾されていますね。層々と積み上げていく感覚がいい。詩音の大伽藍です。この詩であたかも一曲といった趣きです。終連は冒頭を回収しきっている。この詩に似合うのはジャズでもロックでもポップスでもない。クラシックでなければならない。それもオーケストラですね。文体もテーマにふさわしく気高く荘重にセットされています。もし読み手の中でクラシックの好みの曲があれば、それを思い浮かべて読むと、言葉の中に音も立ち上がってくることでしょう。ここ最近、ちょっと指摘もあったのですが、今回は全くなし。上席佳作と致します。

アフターアワーズ。
僕の場合なんだろ? 瞬間的に浮かんだのは繰り返しで積み上げていく感覚は「ボレロ」かな?


6 凰木さなさん 「歌えない歌」 11/19

おそらく、何か落ち込むことがあったんでしょうね。ここの歌の件ですが、悲しさ、落胆の度合いを表す隠喩と取ってもいいし、実際、歌が好きだけど歌えなくなった人を思い浮かべてもいい。両用に読めるように書かれています。「~時には」→「何もないところへ」「思いついた事をする」。後者の―つまり受け皿としての心理、行為がおもしろく、かえって詩的なものを感じますね。
僕が一番好きなのは「生まれてきた責任~地図を渡されて来た」です。そうですねえ、責任ねえ。
地図を渡されて……。ここは、ホント考えさせられる名フレーズですね。なんか遠い目をしたくなります。ひとりびとり、地図を持っているのかもしれません。それを頼りに自分に忠実に生きていく。そんな終連でしょう。持って生まれたもので生きていく、そんな解釈ができそうです。最後に軽く申し上げるとタイトルです。これだと、ちょっと「具体的に、この曲が歌えないんだ」ってニュアンスを多量に含みそうです。この詩の方向性は別の処にあり、心理的にもっとワイドレンジでしょう。たとえば「歌えない時にはー」なんて余韻を含んでも、ちょっとしゃれてて、いいかもです。佳作半歩前で。


7 小林大鬼さん 「上総亀山の秋」 11/19

丹波亀山(現、亀岡)は知っていましたが、上総にもあるとは知りませんでした。勉強になります。
調べると久留里線の終着駅だとか。駅舎はポツンと鄙びていて、とても雰囲気があります。3連独立連が、この土地の閑寂さを伝えているかのようです。近くの亀山湖の画像を見ましたが大変美しいところですね。ところで4連がよくわかりませんでした。
それ以外には地名記述が無い限り、風景が浮かびにくいというのは、いかにも惜しい気がします。現地映像が大変美しいだけになおさらです。対象に対してあまり深入りしない淡白さが大鬼さんのひとつの持ち味なんですが、これは詩の中に、風景の中に、もう少し入り込んで書いて欲しいというのが正直な感想です。佳作一歩前で。


評のおわりに。

すでにして12月が近い! こ、これはいったい何たること……?! では、また。

編集・削除(編集済: 2023年11月27日 06:21)

上総亀山駅

久留里線の終点は無人駅だった

客は降りても駅員は降りず
汽笛を鳴らして
ディーゼル列車は引き返す

日に焼けて褪せたままの観光案内板

シャッターを閉ざし
看板の字も消えた店の跡が
点々と続き錆びれてゆく

終点で声をかけられ出会った人と
一緒に話して歩いていたら
道に迷って後戻り

遠くで響く列車の音
突然に銃声が響く

ここは猪も熊も鹿も出る
温泉とホテルは知らないと

地元の人は畑を覆う電気柵を指差しながら
先の見えない里山とダム湖の道を
ぶっきらぼうに伝えるのだった

編集・削除(未編集)

井嶋様へ 訂正の件  エイジ

拙詩「秋雨が映すもの」の最終連を二連に分け、大幅に訂正しました。
訂正の方、宜しくお願いいたします。

                    エイジ

編集・削除(未編集)

神の意思  えんじぇる

愛よりも、優しさである。
そう思えない大人は、優れた大人ではない。
自らの愛に溺れ、敗れてそのことを知る人もいる。
自らの愛の不潔を悟り、敗れずにそのことを自覚できる人間もいる。

多くの女性は、愛を優しさと勘違いしている。
それは、多くにおいて男が騙したのではなく、両者の倫理観が崩壊しているからである。

優しさの正体。それは欠落である。
蚊が痒みを残して血を吸う。
カニが横にしか動けない。マグロが止まれない。
ありとあらゆる欠落と、それを埋めるためのハーモニー。
同調し続けていくと、無敵性を制御するために、脳内にある自爆装置が働く。
愛は動物的意思である。
しかし、優しさは、神の意思である。

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