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通りに面した小さなすみれ公園には
2本の桜の古木が立っていた
毎年春には見事なペアの桜が咲いた
大通りに近い方の桜が少し小さかったが
満開時の咲きぶりでは
大きい方の桜に勝って花が密に咲き
ヒヨドリをより多く寄せた
台風13号の突風で
小さい方の桜の大枝が一本だけ折れてしまい
地上すれすれまで垂れ下がった
大きい方の桜が心配そうに見下ろしていた
桜の幹の中はスカスカになっていると
駆け付けた区の専門家が診断した
子どもの手をつないだ近所の女性は
風で折れるような桜は子どもに危険だと言った
小さい方の桜は根本付近から伐られて
後には切り株だけが残った
切り株は確かに中心から外側に向けて
8割くらいは空洞になっていた
虫が食ったような歪な模様を描いていた
年輪は内側から徐々に朽ちていくそうだ
それでも水分は外側を通って吸い上げられ
中がスカスカになっても
何年でも花を咲かせることができるのだそうだ
やがて
切り株も公園で遊ぶ子どもがつまずかないよう根こそぎ撤去された
その跡には桜の若木が植樹された
若木はまだ棒で支えられ 枠にはめられている赤ん坊だ
大きくなるのにあと何年かかるのだろう
残された古木が枝を伸ばして見守っている
残された古木も
中はやはり空洞だ
何十年も台風に耐え
何十年も花を咲かせ続けてきた
堂々とした抱えきれないほどの太い幹
空に向かって伸びる威厳に満ちた枝
石のような硬さと痛いほどの手触りの樹皮
今年の春は
悲しく寂しい春になったけれど
枝を思いっきり伸ばして
道行く人が思わず足を止めるような
花をまた
意地でも咲かせてくれるだろう
北向きの部屋に
お花は風に俯いて
お父さんはベッドに横たわる
昔は南向きが好きだった
お父さんは最近薄暗いを
好むようになった
私はそこに同じように
日陰を好むお花を活けた
お父さんは最近
水が上手く飲み込めない
そしてうとうと寝ている
お花はその横でいつのまにやら
花瓶の水を飲み干して
やっぱりつやつやしている
お父さんはよく喋る人だった
今は一日中黙って寝ている
お花も同じように黙って
エアコンの風に時々揺れる
これでいいのだろう
これでいい
お父さんもお花も水だけ飲んで
また自然に帰るその日まで
私はお父さんにもお花にも
頑張って生きてるね
なんて声かけて
枕カバーを替えたり
水を替えたり
お父さんもお花も
同じ部屋で同じ風にあたって
やっぱり今日も静かに生きている
堀は そよ風に触れ
槌目のように細かにされて
あくびの空を 朧に映し出す
鯉は気まぐれにうねり
風がほどこした意匠を崩してゆく
少しすれば そよ風がまた
堀を仕上げに帰ってくる
水辺の立ち木に カワセミが一羽
空を煮詰めた背と ひだまりの腹を抱いて
水面をじっと睨む
鉄砲もなしに 打ち出された青い弾丸は
やごを啄み 風に逆らい消えていった
のどかなようで 厳かな彼の昼食
ここには 僕のほかに
誰もいない 誰もいないよ
誰のためでもない
ただここにある景色
街が入り組んでゆく その陰で
ひたむきな命が重なっただけ
せめて邪魔しないように
僕は静かにいるよ
像にでもなったつもりで
僕は静かにいるよ
二十二歳の夏だった
出かける直前に話しかけられ
ぞんざいな言葉遣いで返した姉を
父が怒鳴りつけた
わたしはその怒鳴り声を
洗面所で聞いていた
髪をとかしていた手は硬直し
両眼から反射的に涙が湧き上がる
わたしは忍び足で自分の部屋に逃げ込み
ベッドの上でしばらく泣き続けた
幼い頃からそう
父が誰かに怒鳴っている声を聞くと
自分が怒鳴られたわけでもないのに
勝手に涙が出てきて止まらないのだ
だけど二十二にもなってまだ泣くなんて
自分でも驚いてしまう
——インナーチャイルド
昼間の星のように存在する
その時々のわたし
父を大切に思い
父に怯え
父を軽蔑し
父に共感するわたし
父の言うことに忠実であろうとした わたし
父と己の考えが違っていてもいいと気付いた わたし
これらの思いを何一つ
父に言っていない わたし
これからも言うつもりはない わたし——
ふとした拍子に掘り起こされる
無数のわたし
それをみな連れて
わたしは今日も生きている
鯨のお腹の中で
ボクは見つけたんだ
赤ワンピースの女の子
金色の髪が少し汚れてるけれど
笑顔が可愛くて
ボクを見つめてる
ボクはね 人間になりたいんだ
キミは 人間もなりたくないかい?
……なりたいんだね
だから笑ってて ボクを見つめてる
人間になれたら太陽の下でお散歩しよう
おじいさんも一緒に三人で
ピクニックも良いね
楽しみだな
その赤いワンピース 少し汚れちゃってるね
大丈夫 ボクがここから出たら
大丈夫 ボクがキミと人間になれたら
洗ってあげる
破れた所は おじいさんに直してもらおう
ボクの名前 言ってなかったね
ピノキオ ピノキオって言うんだけど
キミは?
何か話してくれない?
キミはボクと同じ人形なのに
キミはなぜ話せないの?
キミはなぜ動かないの?
なぜ僕は動けるんだろう
なぜ僕は考えるんだろう
考えるって寂しくなるよ
その笑顔も赤いワンピースも
今の僕には寂しくなるよ
夏が 来た
梅雨も 上がった 曇り空に
眩しい 太陽が 隠れている
そういえば 去年の 夏の始まりも
わたしは この バス停に いた
熊ん蜂が 旋回して いたので 避けて
よけて いたなぁ
この 1年は長かった 様々な事が あったよ
往来する 車も 忙しい
バスが来た 乗車する ひどい 混みよう だ
と なんと
運転席の後ろの一段 高い座席が空いてる
わたしは 躊躇わずに よじ登った
エンジン音が 小刻みに 心地良い
エアコンの送風口を向けた 猛暑に 涼風だ
すると その時 乗車口の 外側から
小学校1年生の 子供達の声が聞こえて来る
「 16時 59分 、です!」
わたしは腕時計を見た 当に 16時 59分 だ
やはりそうだったのか時間は連鎖していた
この子達とわたしの年齢差56 未来人だな
そして そうだ 彼らにとっては この今は
かけがえない1年生 としての 記憶 なんだ
わたしに とっては 初老の 63歳
バスが走り始めた 過去の人生を 置いて
進んで 行く
フロントガラス には
黒と 白と ピンク色 の
アゲハ蝶が 舞っていた
いつだって
日常という板の上では
落ちないように
皆必死です
次こそから次へと来る悲しみを
抱えていては
生きていけない
大切な人を失った悲しみも
その人を失って悲しむ人が亡くなっていけば
少しずつ少しずつ
かたちを変える
だからせめて
同じ時代の悲しみに
悲しんだっていいだろう
同志の皆様へ
取り急ぎ一筆申し上げます。
皆様には、長きに亘って私の逃亡生活を支えて頂き、厚く御礼申し上げます。
思い返せば、爆弾製造の専門知識を買われて、私がこのグループにスカウトされたのが、50年前のことでした。しかし、私が加わって活動を始めたとたんにグループのアジトが摘発されてしまい、その後は、ただただ公安・警察の目をかいくぐって逃げのびることだけが、わたしの「任務」になってしまったように思います。
しかし、誤解しないで下さい。わたしはこの任務に意義を認めていなかったわけではないのです。たしかに、破壊活動を通じて社会不安を引き起こし、やがては混乱に乗じて現状の体制を転覆、理想社会を招来するという我がグループの成功のシナリオと比較したとき、この50年の結果は、決して受け入れられるものではないでしょう。ただ、たとえそうであったとしても、刻々と輪を狭めるようにして管理と警戒を強める現在の社会の中で、同志の助けを得ながら官憲の手をかいくぐって逃げのびる、という任務を遂行することで、何ものにも拘束されることのない生き方を貫く、というグループの美学を多少なりとも実現できる、とわたしには思えたのです。
例えば、運転免許証にせよ保険証にせよ、一切の公的な証明がない状況で日々の生活を営むことが、いかに困難であるかは、よくご存じでしょう。しかし、逆にこの試練を克服すれは、既存の国家や社会の枠組みが必ずしも絶対的なものではないと証明できる、とわたしは捉えたのです。そして、こうした幾多の問題を乗り越えて地下生活を生き抜くことが、同志の皆さんの支援に応える唯一の道、ひいては、われわれの目指す理想社会の一側面も示すことができる、と考えたのです。
ところが、わたしがこうして自らを納得させることができたのは、まだ若く気力もある年齢まででした。言い訳がましく聞こえてしまうかもしれませんが、逃亡生活も後半にさしかかると、これまでに経験したことのない孤独感に苛まれるようになったのです。もとより支援者の皆さんと直接会うことは許されていませんし、偽りの名前と経歴を使って何とか入り込んだ職場の同僚と、親しくつきあうこともままなりません。周囲の人々との交流を避け、ひっそりと生活し、文字通り、砂を噛むような孤独を耐え忍ばなくてはなりませんでした。
それでも、わたしは耐えました。耐えに耐えました。しかし、ついにわたしの忍耐も限界に達するときがきたのです。きっかけは、最初はただの腰の痛みと軽く考えていたものが、悪化し始めたことです。医師の診察を受けられないわたしにとって、やがて飲酒に頼る以外に痛みを紛らす術がなくなりました。そんなときです。勤め先からの帰り道、痛みを抱えながら一刻も早く隠れ家にたどり着いて強い酒をあおろうと急ぎ足で歩いていたそのときです。いつもはただ通り過ぎるだけの居酒屋の中から漏れてくる灯りと人々の声が、なんと懐かしく魅力的に思えたことか!
気がついたとき、わたしはすでに酒場の他の多くの客と酒を酌み交わしていました。彼らにとって、わたしがどこの誰であろうと、別にどうでもいいことであり、お互いに楽しく呑めればそれでよかったのです。そして、わたしが何より驚いたことは、そんな酔っぱらいたちの世界に、いや、これまでわたしが意識的に遠ざけてきた市井の幸福な世界に、自分が全く違和感なく溶け込んでいることでした。
もう、おわかりでしょう。そのとき、わたしを長きにわたって閉じ込めてきた自意識過剰の牢獄が崩壊したのです。わたしが人生の大半を捧げて闘ってきたものとは、一体なんだったのでしょう?結局のところ、わたしは独り相撲を取っていたに過ぎなかったのです。
それから、ほぼ毎日その酒場に通い続けた結果、腰の痛みは、耐え難いほど悪化し、もはや酒で紛らわすこともできなくなりました。命を縮める行為であることは、わかっていました。それでも、わたしはやっと掴んだ人々との交歓の日々を手放すことができなかったのです。もう孤独な世界には戻りたくなかった…それだけです。
そして、いよいよ、わたしにとって最期のときがきたようです。わたしは、これから、この50年間を通じて初めて病院に行き、せめて鎮痛剤を処方してもらおうと思います。本名も名乗るつもりです。なせなら、そのことによって初めて、自分の人生にケリをつけることができ、また、深い孤独からわたしを救ってくれた酒場の人たちに義理を果たすことができる、そう思うからです(もちろん、これもわたしの独りよがりかもしれません)。
同志の皆さん、最後の最後で裏切ることになり申し訳ありません。ただ、安心してください。警察の取り調べに応じて、何らかの情報を話せるほどの明瞭な意識は、わたしにはもはや残されていないでしょうから…。
○田△夫
普通の日が
普通でなくなり
あった景色や人集りが
消えたあの日を思い出す
あれから13年が経つが
街は癒えることなく
悲しみや後悔で埋め尽くされ
立ち上がる気力さえ消えた
応援ソングやチャリティーで
「勇気づけられた」と言っているが
それは本心だろうか?
無理をしていないか?
原発反対を合言葉にして
住んでいた人々を疎外し
「あそこは危険だ」などと言い
助けようとしない集団がいる
もはや慈悲はなく
操られている方々だ
距離を置くべきと
僕は思っている
行方不明者は見つからず
ただ時間が過ぎるまま
荒波いよいよ落ち着いて
やがて静かの海となる
こんな悲しい景色は見たくない
こんなことが起こってほしくない
心の中で皆共鳴して
しっかり目を閉じる
卒業というひとつの点に向かって
私たちは日々を過ごす
そして弾けてそれぞれの未来へ行く
もうすぐその日はやってくる
仲良しグループのみんなで言う
卒業してもまた会おうね
そんな寄せ書きを贈り合う
あれから十数年の時が流れた
もうすぐ私も結婚する
住み慣れた部屋の整理をしていると
あの時の寄せ書きが出てきた
タイムマシンに乗ったかのように
あの頃の思い出が蘇った
みんなの顔が、声が、浮かんだ
そしてこれからの私に
勇気をくれた
卒業してもまた会おうねは
嘘じゃなかった
あれからさらに時が流れた
娘が今、卒業に向かっている
羽ばたいて行け
今が大切な思い出になる日まで