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本作「自由の研究」を丁寧に読んで下さりありがとうございました。最初は思春期の男子と女子の微妙な時期における不安を表現したかったのですが、不安を解決するための大人の対処法まで書いてしまいました。友達から異性を意識する境界線、体の変化、反抗期といった心身ともに不安定な時期における大人と子供の境界線。これらの境界線に対する不安を夏休み最終日に喩えて表現すれば、青島様がおっしゃるように、もう少し子供達にあった、生活の表現ができたと思います。「自由についての研究」として、ターゲットを子供達だけに絞らず、多くの世代を広く網羅しようとして固い表現にしてしまいました。
炎天下、朝の通勤路で
僕の後ろを歩くのは、見知らぬアジアの人
カタコトの日本語で
(アナタニ アエテ
ダイジョウブ デス)
カタコト——
電話かリモートで話しているのか
それとも独り言のように呟いているのか
僕は——君の前で
昨日から肉声を失った日常を
AIの助けを借りて拾い集めて
俯きながら
カタコト文字を打ち込む
君の戸惑いの断片が
風に乗って
僕の指先に届く
後ろから道を尋ねられ、僕は指を差した
最寄り駅が眩しく滲む
うごめく哀しみ、騒ぐ苦しみ——
翻訳しなければならない
君と僕の感情の気配を
母国語すら未だ不器用で
それなのに「インバウンド」に夢中になり
他の言葉を覚えることで
僕らはからだの声を置き去りにしていた
ああ、追い立てられていたのだ
喪失の傷を癒すことばを求めて
「大丈夫」と応えてくれる仲間を
僕らは不器用に探している
お待たせいたしました。
9/9〜9/11にご投稿いただいた作品の感想・評でございます。
素敵な詩をありがとうございました。
一所懸命、拝読させていただきました。
しかしながら、作者の意図を読み取れていない部分も多々あるかと存じます。
的外れな感想を述べてしまっているかも知れませんが、詩の味わい方の一つとして、お考えいただけたら幸いです。
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☆「まきびとひつじを」 松本福広さま
松本福広さま、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。
ノエル (Noël)はフランス語で「クリスマス」を意味する言葉ですね。
補足のご指摘通り、この言葉は「誕生」を意味する言葉に由来すると考えられているようです。
この詩では「誕生」の喜びが優しく描かれていますね。
ひらがなの「のえる」の呼びかけ、詩全体がかな文字の持つ柔らかさや温かな雰囲気に包まれて、心地よく響きました。
バッハのカンタータ「羊は安らかに草を食み」を聞きながら拝読しましたが、穏やかな情景が一層鮮やかに浮かび上がり、心に響きました。
教会での子ども視点による初連の導入から、イエスの誕生を祝う場面へと自然に展開してゆく構成が見事です。
内容的には、特に3連目の
みんなは
生まれてきた子に
なんて言葉をかけたのだろう?
という問いかけにはっとさせられました。
この素朴で深い問いは、特定の宗教を超え、あらゆる誕生の瞬間を考えるきっかけとなります。
さすが松本さんらしい視点に感心しました。
母子の対話を通じて、「名前」や「初めての言葉」の大切さが温かく描かれ、私も自身の「ことばの歴史」を振り返りました。
このような意識をもたせてくださったことに感謝しています。
たいせつな りんごのように
生命の象徴であるりんご〜赤いりんごが心の中にポッと灯を灯してくれたような穏やかな温かさに包まれて読み終わりました。
ありがとう
おめでとう
シンプルな言葉が、誕生の喜びをまっすぐに伝えています。
先にも述べましたが、ひらがなのリズムと優しい言葉選びが、詩を愛おしく感じさせますね。
いのちの誕生を祝う温かさと、ことばの深い意味を静かに教えてくれる、柔らかな光のような優しさに満ちた、素敵な詩だと思いました。
構成も精緻であり、内容の豊かさも詩としての洗練された技量も見事な作品だと感じました。
御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。
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☆「トンボ」 喜太郎さま
喜太郎さま、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。
トンボが死んでいた
をきっかけとして、喜太郎さんが伝えたかったことは
誰も彼もが何かを背負って
誰も彼もが何かを落として生きている
以降にあるのではないかと思いました。
「墓穴を掘る」という行為は、慣用句としての意味を超え、実際にトンボを丁寧に葬った作者の繊細な心を映し出していると思います。
きっと自分も この季節感の無さの暑さに
まったく持って関係のない寂しさを感じたからなのだろう
自分の心と体の感覚も 全くズレている
秋の気配漂う空を飛びたかったトンボが、夏の暑さに命を落とした。その季節のズレは、都会のカラカラに乾いた土や寂しさと響き合い、作者の心身のズレ、内なる孤独を浮かび上がらせているように感じます。
季節にはぐれたトンボの死を通じて、様々なズレとそれに伴う寂しさを詩的に捉えた素晴らしい作品だと思いました。
ただ それだけのことだから
締めの詩文は、命の儚さや記憶の淡さを静かに受け入れる姿勢が示され、深い余韻を残します。
誰も彼も、わずかな土を洗い流すかのように、小さな命の記憶を忘れて
誰も彼もが何かを背負って
誰も彼もが何かを落として生きている
のでしょう。
深く共感いたしました。
御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。
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☆「お叱り」 社不さま
社不さま、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。
逆説的な視点を貫きながら、自由と反抗の精神が鮮やかに描かれていると感じました。
後ろ向きに歩くことを選び、流されることを拒む姿勢が、詩全体を通じて力強く響きます。
欲しいのは 後ろ向きで歩くコツさ
流されるのは 楽だからつまらない
この冒頭の宣言は、世間の常識や流れに抗う俺の心情を鮮烈に表現していますね。
「黒い目より白い目」「線より点」「卒業より入学」という対比は、既存の価値観をひっくり返す独自の視点を際立たせ、読者に新鮮な驚きを与えます。
「砂漠では電柱を探す 」俺は、無味乾燥な世の中で、人とのつながりよりも「点」として孤独な俺を貫こうとするのでしょう。
そして母さんに叱られる
そして先生に叱られる
そして父さんに叱られる
繰り返される「叱られる」というフレーズは、周囲の期待や規範との衝突を象徴しつつ、どこかユーモラスな皮肉めいた響きを持っています。
叱られながらも、お叱りを嘲笑い、自分の信じる道を進む俺の不器用な強がりが印象的です。
後ろ向きで歩く俺を見かけたら
誰か叱ってくれないか
最後のこの願いは、単なる反抗ではなく、他者とのつながりを求める小さな叫びのようにも感じられました。
旅の中、広すぎる世界を、あえて後ろ向きに歩く姿は、自由と孤独の両方を抱える人間の複雑な心を、象徴しているように感じました。
常識を逆転させ、自由を追い求める心情を鮮やかなイメージとリズミカルな言葉で描いた力作ですね。
はじめての方だと思われますので感想のみで失礼いたします。
また、お書きになってみてください。
ありがとうございました。
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☆「いま ここ」 人と庸さま
人と庸さま、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。
刹那の瞬間と自己の存在を静かに見つめる詩ですね。
シンプルな言葉、リズミカルな呼吸のカウントの中に、深い内省と普遍的なテーマを織り交ぜられ、心に響く一篇となっているなと感じました。
いま
ここ
よこたわる
わたしのじつぞんもよこたわる
この冒頭の簡潔な表現は、「いま」「ここ」という瞬間に自己を重ね、存在の儚さと確かさが同時に捉えられています。
横たわるイメージが、静けさと内省の雰囲気を伝え、詩全体の基調を築いていますね。
こきゅうをかぞえる
1、2、3・・・
「いま」にわたしをつなぎとめ
「ここ」にわたしをかきしるす
呼吸を数える行為は、日常のささやかな動作を通じて「いま」「ここ」を意識するわたしの姿勢を象徴しています。
この繰り返しが、過去や未来から切り離された「現在」の純粋さを際立たせ、読者にも静かな気づきを与えます。
「きづかれにくいが たしかにある」という詩文は、存在の微妙さと重みが表現されていますね。
おもいきってひっこししても
そこが「ここ」にかわるだけ
「いま」はいつでもそばにいる
7、8、9・・・
「ここ」がどこであっても「いま」と共にあることが簡潔に捉えられています。引っ越しで場所が変わっても、新たな「ここ」が生まれ、「いま」が常に寄り添う⋯この流動性と不変性が、呼吸のカウントとともに静かに響き、存在の連続性を美しく表現していると思います。
ここにはだれもいないから
わたしはわたし
すぐれていても
おとっていてもいいわたし
この連は、自己肯定の清々しい宣言として心に残ります。他者の視線から解放された「わたし」の自由さが、シンプルながら力強く描かれていると思います。
最終連で描かれる電気のスイッチを入れたり切ったりす る日常の動作は、明るい自分も暗い自分も受け入れる柔軟な心を象徴し、詩に穏やかな受容の響きを与えているようにました。
10までかぞえて またさいしょから
最後のこの行は、呼吸のカウントが繰り返されるように、人生の瞬間が循環し続けることを示唆しているように思います。
シンプルな日常の中で「いま」「ここ」を生きる姿勢が、静かで力強い余韻を残します。
瞬間と自己を丁寧に捉え、日常の動作を通じて普遍的な存在の美しさを描いた素晴らしい詩だと思いました。
御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。
**********
以上、4作品、御投稿いただき、誠にありがとうございました。
それぞれに、素晴らしい作品でした。
十分に読み取れていなかった部分も多かったかと存じます。
読み違いはご指摘いただけたら嬉しいです。
厳しい残暑が続いております。
皆さま、くれぐれもご自愛くださいませ。
三浦志郎様 今回もお読みいただき、ありがとうございました。また、佳作をいただき、うれしい限りです。この作品は、今年の酷暑で初めて、水草が枯れて腐臭を放っている状態を見てつくりました。ほとんど、そのままの情景ですが、水鳥の羽ばたきがずっと続いているのを見て、思わず、スマホで撮影していると、ランナーが立ち止まって、一緒に眺めてくれました。そこにいろいろと感慨がありました。深く考察していただき、作者冥利につきます。引き続き、よろしくご指導ください。
三浦様
こんにちは。
詩の評お礼です。
ご指摘のとおり、2連目は種明かしになってしまいますね。
今回の様な細かいところを気をつけていきます。
これからもよろしくおねがいします。
天気予報の日本地図にコロッケのアイコンが並ぶようになったのは、いつ頃からだろう?
台風によるネガティヴなニュースで危機感を煽るのではなく、台風によってコロッケが売れるようになるポジティブな経済効果に目を向けよう。そんな意図で台風を意味するアイコンがコロッケになった経緯がある。訳がわからない。
気象予報士が子ども向けに台風発生の仕組みを簡単に説明をし始めた。
蒸したポテトからたくさんの湯気。皮を手で剥く。すごく熱い。そんなアチチになった湯気が洗わないシンクの水分を蒸発させてしまう。家庭用の雲がまず出来る。そこに炒めた玉ねぎとひき肉を足すことで、さらに熱が足されてカロリーゼロになる。そんな訳がないと、食べる専門この道数十年のダイエッターが頬を膨らませる。プックプー。食欲と我慢。それらは抵抗して渦を巻く。中心の料理人だけが冷静だ。彼だけはテンションが下がる。その気圧の差が激しくぶつかり合い、風速を増した状態のことだとの説明だった。
もちろん、訳がわからなかった。
どうしてもコロッケに繋げたいのは誰の差金なのだろう?
農林水産省なのか、経済産業省なのか、気象庁なのか。挟まれるCMもタレントがコロッケを食べている。サブリミナル効果は本当にあるようで、これだけ見ると食べたくなって……来るわけもなく、見ているだけで胸焼けしてくる。そんな気持ちになったのでテレビを消す。
ご飯ができたよ。そう呼ばれて食卓へ。もちろん我が家もコロッケオードブル。牛肉コロッケ、カレーコロッケ、クリームコロッケ、かぼちゃコロッケ、コーンコロッケ、明太子コロッケ、素朴なポテトだけコロッケ……が渦を巻き五段くらいに山盛り重ねられている。
人はいつからこんなにコロッケを欲するようになったのだろう? 訳がわからないことばかりだ。
台風が来るから、今日はコロッケだよという声。一口かじる。まぁ、美味しいには美味しい……。胃にコロッケのあたたかさ。先ほどの胸焼けで台風ができそうだった。
外はフワフワの黒い雲に覆われ、雷がカリカリしている。サクサクサクサクと降る雨風が窓を激しく濡らしていく。雨粒までが茶色の粒を飛散してコロッケの衣を撒き散らせているようなのに。
ひとつ、嬉しいことがあれば
心はすぐに 「もっと」を求めて
それを追いかけ、走り続ける
けれど、満たされぬまま
指の隙間からこぼれ落ち
残るのは 無力と焦燥
深い息が水底へ沈みゆく
少しの自信、勇気、
それを掴んで──束の間
言葉の光が眩しすぎて
私の声はかすんで消える
期待は裏切られ
肌に凍りつく指先が触れる
ひそやかに忍び寄る影
冷たい夜気に肩を抱かれる
空虚な日々の中に漂い
答えのない問いが
巡り巡って
無意識に過ぎ去った時間は
二度と戻ることはなく
なぜ、私は見逃してしまうのか
目の前にひっそりと咲く
ささやかな喜びを
そして、私は気づく──
跳べないままの
ハードルを緩やかに下げ
握りしめていた
手のひらを開けば
あたためていた想いの欠片が
静かに煌めき始める
私は ただ一歩ずつ、
確かに歩いていく
足音を深く刻みながら
遠く響く風の歌声が
私を導いている
未だ見ぬ色彩の果てを
照らし出すように
学生時代の日記を手に持ち
記したとおりの浜辺を歩く
すこし欠けた月の昇る
そんなよくある夜明け前のこと
断捨離ついでにひらいた日記に
書かれていたのは海原の約束
思い返しても記憶にないので
書かれた通りの浜辺にひとり
夜明けの前に来た次第です
暗い浜辺はこんなにも静か
昼の喧騒とは遠い場所
あの頃のわたしは一体ここに
何を残して去ったのでしょう
誰と約束をしたのでしょう
ぽつねんと
黒々とした海を眺めて
街では消えた夜空を眺めて
段々と思いだしたあの日のこと
こっそりと窓から抜け出して
この海に来たあの夜のこと
ここに座って海原を眺めて
海の色が変わるのを
じっと……じっと見続けて
……わたしは何を思ったのかしら
ちかりと何かが光ったような
そんな気がして
諦観していた今の私が
ふわりと前を向きたがっている
そんな感じがして
ふと目を向けた水平線の向こう
今日の宵が深くなった一瞬
真っ暗だった海が一面
星々の煌めきを水面に映した
途端眩い光が見えて
瞬きのうちに橙に染まる
それは蝶の鱗粉が舞うように
まるでダイヤモンドダストのように
きらきらと輝く海原でありました
静かに いっとう静かに息をひそめて
感嘆とともに眺めていると
あの時は忘れていたかった
わたしの心が帰って来たのです
今日の涙はここへ置こう
明日のことは分からないから
今日より良くなると信じていこう
たぶん きっと 私は戻る
今日を迎えにここに来るから
その時までに受け止める準備を
整えておくから 約束ね
もう一度私がここへ来たら
わたしが流した最後の涙を
きっと私にかえしてあげてね
つぅと流れる涙の雫
ふっと肩の荷が下りたような
そんな気がして笑ってみました
相も変わらず息はしづらい世の中で
空しくなれども時は進む
けれど きっと
明日は明日の夜明けが来るので
それを楽しみに生きて行こう
涙を流したい時には再び
この海原を見に来よう
思い出の日記を手に持って
思い出の浜辺に寝転んでみる
水平線から朝日が昇った
そんなよくある夜明けのこと
そんなよくある日々のこと
恥ずかしがる後れ毛が震えながら光を弾く
今日から晴れて夫婦なのだからというも
うつ向き言葉も発しないお前がいとおしい
肩を引き寄せ抱きしめればか細い声で
「灯りを……灯りを消してくださいませ」
と懇願してきたのだがそれは出来ぬ願いだ
一生に一度の、まさに一度きりのその時の
わたしの妻になる瞬間を見据えたい気持ちが
その時、その瞬間のお前の表情が見たい
それはわたしが妻に贈る唯一初めての証
そう、刻印ともいえる証を与える時のその
その時のお前の顔がわたしの一生の記念となる
もう、誰も見ることの出来ないその表情を
見えなくすることは出来ぬ、断じて出来ぬ
赤く染まった顔と寝巻きはわたしの一生の宝