MENU
1,306,499
固定された投稿

★★ << 2つの掲示板のご案内 >> ★★

◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。

(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)

なお「MY DEAR掲示板」では、新規ご参加の際に、ペンネームとメルアドの届け出が必ず必要です。
これは掲示板内の安全を守るため、管理人に限って把握させて頂くものです(他へは一切出しません)
新規ご参加の際は、ページ一番下の「お問い合わせ」フォームから、必ず届け出をお願い致します。


◆初めて詩を書く方や、おっかなびっくり詩を書いてみようかなあーという方、
「MY DEAR掲示板」ではハードルが高すぎるよと感じる方には、別途、

   <<初心者向け詩の投稿掲示板>>
https://www3.rocketbbs.com/13/bbs.cgi?id=mydear

をご用意しております。(上記リンクから飛んで下さい)
こちらは、「メルアド届け出不要・いきなり書き込みOK・出入り自由」ですので、
なんら気にするところなく、いつでも詩を書き込んで頂けます。
誰でも、どんな人でも、気軽に詩に親しんでもらうための掲示板です。学生さん、小中学生の方も歓迎です。
投稿された詩については、詩を読んだ感想を、レギュラーメンバーの誰かが、手短なコメント(5行程度)で返してくれます。

どうぞご希望に応じて、各掲示板をご利用下さい!!!

編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

ナニカたちの世界  aristotles200

・予定調和という言葉、好きではない、そこに言葉の暴力を感じる
・調和は大切だ、しかし、予定とされた、強制された調和とは、もはや調和ではない
・調和の対義は、不調和、或いは軋轢、衝突、要は全体が整っていないの意
 ✳
・何故、私は調和という言葉を嫌うのだろう、全体への強制、普通の押し付けを感じる
・真綿で首を絞められるような感覚、世界は順調で正しいが、私一人違和感を抱いている
・勿論、私は慎ましく笑顔を浮かべる、調和を乱す者、社会の異端者にされたくはない
・永遠に調和は予定される、ある種の薄笑いを浮かべて、皆と同じように奇声を上げる
 ✳
・こここそ、狂気の世界である
・無意識の集団調和なるナニカが、個人を、社会を支配している
・ここでは私は衝突である、軋轢である、不調和である
・私は声なき悲鳴を上げる、ここは間違っている、皆、狂っている、薄笑いを止めろ
・微笑みの仮面を被ったナニカたちに囲まれた、私は絶叫する、助けてくれ
・悲鳴を上げながら街へ飛び出す
・瞬く間にナニカたちが追ってくる、同じ微笑みを浮かべている
・異分子は許されない、街中のナニカたちが私の周りに立っている
・何もしない、ただ、同じ微笑みを浮かべて待っている、ひたすら待っている

・私は
・私ではない
・間違っていたのは
・私だった
・ ⋯⋯⋯

・調和、世界は調和で出来ている、確たる予定された整った世界
・私もナニカである
・皆と同じ微笑みを浮かべ、同じ奇声を上げる、心は満たされている
・私たちはナニカである

編集・削除(編集済: 2025年05月22日 11:25)

感想と評 5/6~8ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。5/6~8ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。

なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。

●森山 遼さん「生命について」
 森山さん、こんにちは。これは哲学的な内容を持った作品ですね。タイトルからも生きるとはどういうことか、自分の生命をどのように感じることができるのか、といった問題意識が伝わってきます。社会において人間性が圧殺されていく危機感と、自然における生命の力への憧憬というテーマは古来多くの詩人たちが取り上げてきた主題であると思います。私はウィリアム・バトラー・イェイツの「湖の島イニスフリー」を思い起こしました。
 この作品では3~5連の森の情景が、そのような生命の神秘を感ずることのできる理想的場として描かれているようです。けれども現実の「僕」はそのような環境にはなく、(おそらくは都会の)「日々の喧騒のなか」で生命の深みを感ずることができずないまま、「表層をすべる」ような生活の中でただ疲労のみをつのらせていく・・そんな諦めにも似た嘆きで終わっています。
 2点あります。一つは、現実の「僕」がいる状況と理想的な「森」の関係が曖昧に感じられました。3連からの部分は一読すると「僕」が実際に「森」にいるように読めるのですが、この詩の後半を読むとそうでないことが分かります。しかし、その理想(夢?)と6連(「僕は知っています~」)以降の現実とのギャップが分かりにくいために、6連でも引き続き「僕」が「森」にいるかのように読めてしまい、「僕は鏡の前に座り」で何だかおかしいなと気づくことになります(これは森の中の情景ではありえないので)。したがって、6連で「僕」がどこにいるのかを明示し、5連との間の断絶をもう少し分かりやすく表現した方が伝わると思います。
 もう一つは、細部にもう少し具体的な描写を入れた方が、よりリアルに実感を持ってそのメッセージを受け取れるのではないかと思いました。評価は佳作一歩前です。

●じじいじじいさん「永遠の家族」
 じじいじじいさん、こんにちは。冒頭にお断りしていますように、私は投稿された作品はあくまでも一つの文学作品として読み、評価をさせていただいております。この作品で描かれている内容がじじいじじいさんの実体験に基づいているかどうかは分かりませんが、たとえそうだとしても、作中の「私」とじじいじじいさんは区別して読んでいます。通常このような内容の詩がもし実体験に基づいたものだとすると、その良し悪しを「評価」することは憚られます(他の評者の方々も、こういった作品は「評価保留」になさることが多いです)。ただし、この投稿掲示板は特に断りのない限り評を希望して投稿するということになっていますので、この作品に関しても、ひとつの文学作品として読み、評価させていただいているということをご承知おきいただければ幸いです。当然ながらその「評価」とはあくまでも作品としての完成度に関するものであり、その背後にある作者の感情や体験についてのものではありません。今後もし評を望まれない場合がありましたら、投稿時にその旨お知らせください。
 前置きが長くなりましたが、この作品は幼い息子を亡くした夫婦が子供の日を迎えるという、誰もが共感できる悲痛な思いがストレートに描かれた詩です。笑顔と涙の対比も上手く使われていると思います。
 特に最終連、柏餅を「3人で」食べた、というところが胸に迫りました。もちろん実際に柏餅を食べたのは「私」と「妻」の2人ですが、2人の気持ちの中では亡き「息子」と3人で食べた、ということなのでしょう。読者はこのことを容易に想像できますので、ここであえて「2人は」と言わない方がかえって効果的かもしれないと思いました。また「笑顔を見ながら思い出話をしながら」という表現は日本語としてのつながりが不自然に感じますので、たとえば終連は次のようにしてみてはいかがでしょうか。

妻と私は思い出話をしながら
笑顔の息子と3人で柏餅を食べた
3人家族は永遠だから

あくまで一案ですので、ご一考ください。
 細かい点ですが、5連の「見にまとい」は「身にまとい」の誤字ですね。あと、同じく5連の「遺影の息子は~」の行と、終連の最初の行はやや長すぎますので、適当な長さで改行した方が形が整うと思います。内容的には素晴らしいものがありますので、細かい部分に手を入れれば、詩作品としても良いものになると思います。評価は佳作半歩前です。

●喜太郎さん「偽り」
 喜太郎さん、こんにちは。この作品は喜太郎さんお得意の、女性視点から描かれた恋愛詩ですね。3年間の交際の後に別れた相手に対して、これまでの気持ちのすれ違いを後悔を込めて振り返る内容になっています。このような状況は恋愛においてはよくあることだと思いますので、共感を持って読める詩だと思います。語り手の切なさがひしひしと伝わって来ます。
 ただし、細かく読んでいくと少し分かりにくいところがありました。「私」は「あなた」に嫌われたくない一心で、あえて素の弱い自分ではなく「強い自分」を演出していた。けれどもその甲斐もなく、「あなた」は去っていってしまった。別れに臨んで「私」はついに素直に弱さをさらけ出して涙を流す……そういう展開だと思いますが、そうするとこれまでの三年間、「私」は自分を偽って強がっていた、と考えるのが自然ではないかと思います。
 ところが、「私」はこれまでの三年間について、「自分を偽っていた訳じゃないの」「いっそ素直を捨てて全てを偽っていたなら……」と言います。これは逆ではないでしょうか。
 「自分を偽っていた訳じゃないの」はまだ分かります。好きだからこそ弱さを見せずに強がっていたのはまさに「私」の本心から出た真摯な行為であり、それは「偽り」という否定的な言葉では表現できないものなのでしょう。それでも「いっそ素直を捨てて全てを偽っていたなら……」はやはり分かりませんでした。これは相手の前に弱さをさらけ出すことを指していると思われますが、それが素直ではない偽りとは思えないのです。
 タイトルの「偽り」からして、もしかしたらあえて「真実」と「偽り」を逆転させたアイロニカルな表現を狙っているのかとも思いましたが、この詩のストレートな感情の表出にはそぐわない気もしました。もし喜太郎さんの意図が読み取れていなかったらすみません。
 あとこれは以前の評でも申し上げましたが、個人的には連分けをして頂いた方がストーリーの展開が分かりやすくて好感が持てます。あくまで好みの問題かもしれませんが。評価は佳作一歩前です。

●谷口文章さん「あいうえおそうじ」
 谷口さん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
 これはアクロスティック詩(折句)ですね。各行の冒頭の字が五十音順に並べられています。これは言葉遊びの一種と考えられますが、こうした遊びの要素が幼稚園児の視点からひらがなを多用して描かれる内容によくマッチしていますね。絵文字や記号の使用も子どもらしい楽しい雰囲気に貢献していると思います。先ごろ亡くなった谷川俊太郎さんの一連の作品を思い起こしました。
 細かい点を申し上げると、「みんな、なまか。」とあるのは、「みんな、なかま。」の間違いではないかと思いました。あと、タイトルの「おそうじ」が本文の内容とどのように関係しているのか、よく分かりませんでした。
 ともあれ、あまり難しいことを考えず、ことばのリズムや響きを楽しむ作品と受け止めました。またのご投稿をお待ちしています。

●温泉郷さん「無音の叫び」
 温泉郷さん、こんにちは。連休の平和な街を歩いていると、突然その街が崩壊していく……そんなSFじみた描写で冒頭から引き込まれる作品ですね。このイントロはとても効果的だと思います。
 結局街の崩壊は語り手の白昼夢であることが分かり、一瞬後に現実に引き戻されます。この現実と幻想の区別が音と無音の違いで描き分けられているのが特徴的でした。しかもこの詩で素晴らしいのは、この「無音」が実は普段は隠されている街(そこに住む人々)の無言の叫びを表している、という作品の核心的なテーマにつながっていくことです。この組み立て方はとても巧みだと思いました。
 現代社会に生きる人々の様々な心の叫びは物理的な音としては聞こえないけれども、それがたまり溜まって空に放出され、やがて降ってくる。その無音の叫びは聞く耳のある人にだけ聞こえる、ということなのでしょう。
 社会批判的な重いテーマ性を持った作品ですが、「世界中で誰かがそれを受信する」「声は世界中をめぐって/必要な場所に確実に戻っていく」といった詩句からは、作者の希望も伝わってくるような気がしました。
 一つ分からなかったのは、「空中から見下ろす者」の存在です。これが何を指しているのか、読者の想像力に委ねられていると思いますが、私は神のような存在を表しているのかもしれない、と思いました。続く連の「無音のイメージの後を追って/かすかに 声が聞こえてくる」という部分からは、旧約聖書の預言者エリヤが神とまみえた時、神がエリヤの前を通り過ぎると突風や地震や火が起こり、その後にかすかなささやき声が聞こえた、という物語を思い起こしました。
 比較的短めの作品ですが、とても中身の濃い素晴らしい作品でした。評価は佳作です。



以上、5篇でした。早くも日中は汗ばむ陽気になってきましたね。今年の夏も猛暑になるのでしょうか。みなさまどうぞご自愛ください。

編集・削除(未編集)

関心を持つ  樺里ゆう

「歴史学をやる上で大切なのは 人間に関心を持つことです」
大学時代
私の指導教官だった先生が言った

先生
人間に関心を持つって
一体どういうことなんでしょうか
当時の私はそれを 先生に聞けなかった

先生 私は
絵が好きです
音楽が好きです
本や物語が好きです
歴史が好きです
人の創り出すもの
人の遺したものが
私は好きです
それは 人間に関心を持っていることに
ならないでしょうか
ならない気がしているんです
私の中では

作品を愛しても
作者に恋はしない
歴史上の人物に勝手な関心を注いで
解き明かそうと思えるのは
その人がもう 生きてはいないから

先生 私はどうして
目の前にいる人たちのことを
もっとよく知りたいと思えないのでしょうか
知ろうと思えないのは 悪いことなのでしょうか

こうやって考えていることも
いま実際に先生に問いかけたりはしない
私は自分に疑問を投げかけて
自分とばかり喋っている
顔を見知っている相手に
打ち明け話をするのは苦手だし
コミュニティに属して
人付き合いするのも億劫だと思ってしまう

でもほんとうは
あの時
私は先生に尋ねるべきだったのだ

この世には
自分一人では出せない答えが あるのだから

先生
いつの日にか
あなたのお考えを 聞きに行ってもいいでしょうか

編集・削除(未編集)

君の膝はパッションだった  荒木章太郎

向こう側の駅のホームに
立っている君のパンツの膝が
破れていたのは、
通勤時のファッションだった。

俺も恋破れ、夢破れて、
布切れにしてうたにした、
日常のファッションだった。

ファッションは
パッションになり、
爆発力となる。
やくざの刺青も、
海賊の顔の傷も、
かつての髑髏の旗のもとで
同じ道を辿ったが、

迫害者に押された
烙印から逃れるために
ルーツはルートとなり、
死神からも天使からも
人間からの逃げ道を作った。

今は、ゆりかごの頃から
当たり前のように自由があるから
ジャリジャリと食べ物を求めず、
金に執着する必要もない。
墓場には何も持って行けないと断捨離しても
ただ満たされないのは、その存在だった。

膝をかかえ、
爆弾を抱えて。
時限爆弾、
自暴自棄、
自己犠牲、
自爆テロ、
無差別テロ。

じぶん、じぶん、
じぶんばかりだ。

輪郭だけが
くっきりと浮かび上がる。
深みも奥行きもない人生。
自分さえ良ければ、
無秩序にことばの山が連なる。

喉が渇いて、砂を噛む。
ジャリジャリと、
奥歯に挟まることばが
違和感となった。

もう、人のせいばかりにしない。

自己犠牲?

「馬鹿じゃないの」と
腹を抱えて笑い飛ばして、
全て吹き飛ばしてしまえば
俺の存在が飛び散って
他人に当たり、大迷惑だ。

ざまあみろ、生きとし生けるもの達よ。

(投げやりに投げつけるのなら、
丁寧に捧げれば良いものを)

愛するものに捧げるパッションを
粗末に扱うのではなく
服に染み込ませてみた。
冷静にファッションにして
着こなしてみる。

まず、自分を大切にするのだ。

「おーい。なかなかいいんじゃない。」
ある日、ホームの向こう側から
君が声をかけてくれた。

線路に落ちようとする
俺のパッションを、
しっかりと掴み取るように。

編集・削除(未編集)

ライフ  喜太郎

このまま生きてて良いのかしら
産んでもらったし
育ててもらったし
それなりに恋も愛も経験したわ
悲しみの涙も
嬉しさの涙も
いろんな涙も流したわ
そんな思いに包まれたある夜
私も歳なんだなと感じて苦笑い
ああ あの頃に戻れたらなって思ったら
私は戻りたいと思える過去がある
それはそれなりに良い人生を送れたって事なのかな
苦笑いが微笑みに変わってた
何か少し解けない問題の答えが
少し見えた気がした
少し感じた気がした

編集・削除(未編集)

テトリス詩  松本福広

「明日の天気は晴れ 後 テトリスとなるでしょう」
食事中の味噌汁を吹き出した。
そんなことある訳ないだろうと
他のチャンネルを確認せずテレビを消した。

翌日になると四つのブロックが
それぞれ、正四角形、Sの字、Lの字を描いて
回ったり、左右に移動しながら
ゆっくりと降っていた。

ブロック一個分は小さく
意識しないと分からない。
隙間なく綺麗に長方形が作られると
積み上げられたブロックが消えていく。

道端には隙間だらけの
ブロックの積み損ないが転がっている。
完璧な配置のものだけが世界へと消える。

不完全なものは
そのまま くすぶったかのように
揃えられないままで形を残す。
局地的に私の上を降り始める。

揃えられないまま
積み上げるとゲームオーバー。
テトリスの雨で
埋め尽くされる、自分の詩。

与えられた環境が
私を待たないように
テトリスも速度を増していく。
世界へ消えたものは誰かへと届く。

残ったままの
私の言葉は
私にしか残らない。

消費されるに耐えうる
ブロックの積み上げ方を
私は知らない。

I(アイ)が降ることを祈るように待つ。
そこに当てはまる言葉を見つけられないまま
雑然と塊が積まれていき
私は埋められていくのだ。

編集・削除(未編集)

雨音様 評のお礼です。  荒木章太郎

本作「不毛の町」を読んで下さりありがとうございました。佳作の評を頂きとても嬉しいです。ご指摘の通り、実は最終連がとても難しくなりました。ほおほおとフクロウが出てきた頃は、私の心も空に舞い上がることができたのですが、育てることと壊すことへの葛藤が生まれた時に失速してしまいました。もう少し作品を寝かせても良かったですね。でも投稿したかったんですよね。次に壊すことと失うことテーマに再度この作品と向き合ってみたいと思います。

編集・削除(未編集)

だっそうけいかく!  白猫の夜

洗濯物が揺れるのを
窓の中から眺めます
しっぽを揺らしてゆらんゆらん
黒いしっぽがゆらんゆらん

飛ぶ鳥の動きを追いかけて
とてとてとてん
とてとてん
風に舞う木の葉を追いかけて
とてとてとてん
とてとてん

なんて面白い景色でしょう!
透明な窓に反射して光る
太陽のあかりも素敵なの!

一緒に住んでいる同居人さんが
窓を開けた時に吹いたかぜ
少し雨の香りが混ざった
涼しげで自然いっぱいの風

隙あり!
とてとてとてん
とて とてん
これが地面というもの
思ってたよりも固いのね

小さな悲鳴と軽快な笑い声が
耳をくすぐったすぐあとに
ひょいっと抱えられて
またまた窓の中に逆戻り
それでも今日ははじめての
お外に出られた記念日なの!

しっぽを揺らしてゆらんゆらん
黒いしっぽがゆらんゆらん
ねえねえ あたしの同居人さん
またまた隙をみせないかしら……?

編集・削除(未編集)

雨音さまへ 評のお礼です  樺里ゆう

ご多忙の中、この度は拙作「憧れ(一人暮らしⅡ)」に丁寧であたたかい評とご感想をありがとうございました。
この作品は思いついたままに書いたため、話し言葉にしてみるという発想がありませんでした。確かに前作に合わせて語り掛ける口調にしてみても面白いですね。大変参考になります。
また、この作品の世界観や雰囲気を素敵と言っていただけて嬉しいです。
読んでくださり誠にありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

洗濯  静間安夫

休日の朝、
ため込んだ洗濯物を
まとめて槽に突っ込む
スイッチを入れると
洗濯機がしゃべりだす

「オセンタク、オツカレサマデス。
 コレカラ、センタクヲハジメマス。
 センザイリョウハ、2杯デス」

指示どおりに
洗剤を入れてやり
漂白剤も加えて
蓋をしめる―
すると
水音が聞こえ
やがて回転し始める

ウィーン、ウィーン
カッタン、コットン
チャプチャプ、チャプチャプ

ウィーン、ウィーン
カッタン、コットン
チャプチャプ、チャプチャプ

たっぷり張られた水が
渦潮のように回転し
一週間分の汗と汚れを
洗い流してくれる

しつこい染みがついた
ワイシャツも
漂白剤のおかげで
真っ白になる
酸素系だから
他の服の
色落ちの心配もない

ウィーン、ウィーン
カッタン、コットン
チャプチャプ、チャプチャプ

ウィーン、ウィーン
カッタン、コットン
チャプチャプ、チャプチャプ

この単調な音の繰り返しを
休日の朝に聞くたびに
あぁ、やっと一週間が
終わったんだな…
しみじみ、そう思う

だから
洗い流しているのは
なにも 身体の汗や
汚れだけじゃない

一週間の間に
こころが ため込んだ
営業回りや
クレーム対応の
疲れも苦労も
後味の悪い記憶も
一緒くたに
洗い流しているのだ

たしかに
昔の洗濯みたいに
井戸水や
掘割の水で
ざぶざぶと
洗い流すわけじゃない

それでも
この洗濯機の
つつましい
水音を聞くだけで
何かしら
清々しい気分になってくる
目まぐるしい
一週間を乗り切って
ホットした気分になってくる

「オセンタク、オワリマシタ。
 フタヲアケテ、
 センタクモノヲ、トリダシテクダサイ」

了解!
それでは
洗濯物を干すとしよう
おかげさまで
今日はいい天気だ

アパートの窓を開け
物干し竿に
洗濯物を
一枚一枚
ていねいに
引き伸ばしながら
かけていく
初夏の朝の空気を
胸いっぱいに吸い込みながら

細い路地を見渡すと
あちこちの家やアパートで
洗濯物を
干している人たちがいる
「いい『洗濯日和』になりましたね!」
思わず声をかけたくなる

色とりどりの洗濯物が
さわやかな風にはためき
若葉の緑と
粋なハーモニーを奏でてる…

さぁ、干し終わった

午後は久しぶりに
入谷に出て
商店街で掘り出し物を探そう

その後は
銭湯でひと風呂浴びてから
行きつけの居酒屋に入ろう
酒と肴を楽しみながら
「いのちの洗濯」といこう

編集・削除(未編集)
合計5662件 (投稿5662, 返信0)

ロケットBBS

Page Top