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お疲れ様です。上田です。
ご指摘頂いた「体臭」という言葉、作品が余りに綺麗に仕上がってはいけないと思い、試験的に使いました。
当初は下記の表現としており
風に運ばれた/馥郁たるあなたの体臭
/ああ あなたは遠く/西海の小島にいるのだと…
これを
/潮の香に似たあなたの体臭/
と替えたものです。
ちょっと生々しく、浮き上がった表現になったようですね。
ご教授頂いた
浜育ちで浅黒く/潮の香に似たあなたの体臭
は彼女をピタリと表していると思います。島育ちの健康的な女の子でした。また、懐かしさがこみ上げて来ました。
ありがとうございました。
「家守」の評をありがとうございます。
「金属の箱」と言うのが、やはり分かりにくかったかと思います。台所のシンクを、家守ならどう言うのかと考えたのですが、良い言葉が見つかりませんでした。「四角く深いくぼみ」でしょうか。
この家守は粗忽者です。一度死にそうになったのに、懲りないのですから。
懲りたのはわたしの方で、しばらく、服を脱ぐ前に浴室の壁や天井をよく見るようになりました。
爬虫類は苦手ですから、自分の手では掴めません。夫の所へ行って、「あのう、家守がいるんだけど。」
この年になって初めて家守に遭遇しました。田舎の実家で暮らしていた時でさえ、見たことがありませんでしたから、驚いたの何の。上から何かが落ちたと思ったら、湯の中をスーッと泳いだのですから。心の中では「ギャーッ」っと叫びました。
息子は京都で暮らしているとき、家守を見たというので、都会にも居るのだと知りました。
ストーリー性は家守の方にあるのです。
二度とも命は助けたのですから、良いことがあると思います。
私事ですが、日本ペンクラブの会員を、今月いっぱいで退会します。
単に個人的な節約です。他意はありません(ヒラメもありません)。
去年から事務局長が変わったけど、ペンクラブの今の事務局長さんはとてもよくやっている。評価してます(辞める身の私が言うのもなんですが)。
ちなみに私をペンクラブに入会させてくれたのは、故・辻井喬さん(当時、副会長)です。
そして私が入会当時、会長だったのは、故・井上ひさしさんなんですが、入会して最初に話したのも、実は井上ひさしさんなんです。入ったばかりの一会員の私に、いきなり気さくに話しかけてくるんでビックリした(新入会員歓迎の場というわけではなく、100人くらいのふつうの会合の場でバッタリ顔を合わせただけだったのに、ですよ)。井上ひさしさんのお人柄が偲ばれるエピソードです。
●白猫の夜さん「きぼうに縋って」
なるほどーー。ISSの「きぼう」を持ってくるとは思いがけなかったです。ビックリでした。こりゃ本当に、希望となる「きぼう」ですね。ISSって、私意識したことありませんでしたが、本当に観測できるんですってね。この詩、読んで、マジで観測したくなりました。
序盤は、親から虐待を受けた子供の様子が描かれています。それはこの詩のストーリーに最後まで尾を引いて出てくるので、そこは真剣に描かれていると感じるのですが、
終連、虐待する親は、頭を撫でたりフツウしないので、初連と終連だけに限って対比を見るならば、実行動ではなく、比喩なのかな?と受け取れないこともないのです。
終連のそこに違和感があり、他の解釈を与えてしまうという意味では、終連は一考が必要かもしれないです。
あと、6連の2~4行、「煙草の名前」「作り話」の下りは、そもそも知らない話(知ってる人しか知らない類いの話なのでは? 私はナンノコッチャ状態です)なので、書くならば、もうちょっとわかるように書いて欲しいし、
あるいは1行目は、前の連にくっつけてしまって、2~4行目は削除でもいいのでは?と思います。
あと、後ろから2連目の「なまぬるい風」という、風の質感を書いたところは良かったです。
うむ、まずもって全体をしっかり書いてるのがいいし、とりわけISSの「きぼう」の登場が良かった。ちょこちょこ引っかかりはありますが、秀作を。
ところで、私も学生の頃は、早く卒業したい、早く就職して、親から離れたいと思っていたものです。新卒時が親から独立する一番の機会ですね。あるいは大学を、親元から離れた大学に行くのも、良い機会になります。
ともかく、「親から褒められる・褒められない」とか、「自分の評価をするのは親」「親があっての自分」みたいな、親対子の構図に縛られているかぎりは、このループからは抜け出せません。
「自分の評価はするのは、自分だ」「親は関係ない」「がんばった時は、自分ほめ」みたいな、精神的に独立した存在にならないとね。
親とずっと同居の場合も、30歳あたりになると、同期の友達とかが、所帯を持ったり、子が生まれたりして、その友達自体がもう親になる年齢になってくるので、そのあたりの年齢になってくると、実際に結婚しないまでも、精神的に準備が必要で、いつでも家を出ていけるぞ、親から独立できるぞ、一人でも生きられるぞ、の精神状態になっておかないといけない。
いずれかのタイミングで、「親対子の構図」の縛りから脱却して、独立した存在になることですね。自分の人生を評価するのは自分なんです。(親であろうとなんであろうと)自分の人生を他人に評価させちゃいけない。
まあ、作者がキャラクターとして、描いてるだけかもしれませんけどね。幸せを願いたい登場人物でありました。
●相野零次さん「妄想の海リメイク」
おもしろいね。いい作品だと思う。
海のようであり、眠りのようであり、人生のようでもある。
また、自分だけの一本道で描く人生図でなく、他の動物、他の機械、他の死体などが出てきたり、自分の役割も出てきたりで、多角的に捉える社会性がある。
また子供を授かったシーンは、この大きなストーリーの中のクライマックスと感じる。こうしたクライマックスシーンをちゃんと備えてるのもいい。また、想い出を真珠の玉と喩えるのも、海の中のことなので、とてもそぐうし、「また大きな真珠を手に入れる」を目標としてることに、人生の希望が見えている、とも感じる。
いい詩だと思う。名作&代表作入りを。
その上で3つ言います。
まず、絶対変更しないといけないのが、詩の後ろの方ですが、
明日の仕事のことを考えた
明日は大事な取引がある
これを成功させれば
もっと深く潜れるようになれるかもしれない
と
今日は大事な取引の最中ということもあって
潜ることに集中していた
取引が成功すればまた大きな真珠を手に入れることができるにちがいない
その光景を思い浮かべ男ははにかんだ
この2つが矛盾して読める(大事な取引は、今日なのか、明日なのか、わからなくなる)ので、解決しておかないといけない。
これ、たぶん後者で今日のことに触れるからいけないんだと思う。今日のことにはもう触れなくていい。今日のことはスルーしていい。
よって、後者の
今日は大事な取引の最中ということもあって
潜ることに集中していた
を
明日は大事な取引がある
に、変更することで解決すると思います。
それから出だしの15行目
人間もいれば犬や猫がいる
→ 人間もいれば犬や猫もいる
に修正ですね。(ミスタッチかもしれんけど)
で、最後の要望は、
これ、できたら、行分けではなく散文詩形態にした方がいい。その方が映えます。
散文詩型のやり方ですが、句点を入れていく人もいるのだけど、この詩はひと文字アキで、行を詰めていく形の方が合うと思う。
で、1行は30字で折り返しが基本です。
HP「新作紹介」の井嶋りゅうさんの詩の書き方を参考にして下さい。
●荒木章太郎さん「俺が創るのは君の額縁」
なるほど。
部分、部分の比喩はいろんな例に向くのだけど、ストーリーはすべて、一つのベクトルに向かっている。それは「君のアート」(たぶん初連のこと)に対して、答えようとする自分の姿勢のこと。
定規による細密は、機械的でおもしろくない(定規の線引きをして「刺青」と言っているのだろう)。あばら骨まではずして、ハート(むきだしの心臓)で受けるってことでしょうね。
ただ、あばら骨をはずして、むきだしのハートで受けるというのは、ハート(もしくは心臓)に、自分の魂があるけれど、4連及びタイトルでは、「自分は額縁になる」と言っていて、こちらでは額縁(あばら骨)側に魂がある。
両者は食い違っていると感じる。
また、額縁ということになると、被写体のそのものの美を生かし、自分は引き立て役に回るといった意味を想像させ、自分が相手のすべてを正面から受けとめるといった意味とは異なってきます。
どっちかにした方がいいですね。
あるいは、額縁は引き立て役ではなくで、額縁こそがハートであるということなら、そこのロジックをなにか書いておく必要がありそうです。なにもないと既成観念で読むことになるのですが、既成観念だと「引き立て役」なので、そうではないということなら、ロジックをなにかつけておく必要があります。
ちょっとそこ、整理してみて下さい。
いいセンまでは行ってる詩です。半歩前を。
●秋さやかさん「眠り」
なるほど。
幼児期に、眠りに落ちる寸前のまどろみから、眠りに落ちる瞬間が怖かったんですね。
眠る側に素直に行けない。境目にいる時の得体の知れなさというか、もう半分寝てるにもかかわらず、全部そっち(睡眠)に行って本当にだいじょうぶなんだろうかと思う、ためらいというか恐れというかで、一部だけ覚めてる意識があったんでしょうね。
なんとなくわかります。すんなりと眠るに任せないで、自分で途中でブレーキかけようとしちゃうんでしょうね。でもその意識って、残り1~2割みたいなもんだから、結局すぐ寝ちゃう方に転ぶんですけどね。
9連の、虹やひこうき雲の表現も、ステキですね。
10連ですが、これくらい書いてもいいかも、です。
何度やっても
残酷なほど眩しい朝日で目覚め
意識と無意識の境目を
知ることはできないのだと
諦めたとき
そして大人へ。現在へ。
疲れてるのか、結構眠りが深そうですね。
今が朝なのか夜なのか
ここは一体どこなのか
わたしは
誰だったのか
からっぽな空へ
放り出されたような感覚に
早く脈打つ鼓動
これ、すごくわかるグッドな表現ですね。
一瞬ですが、今が昼なのか夜なのか、自分はどこで寝てるのか、探すことがあります。(日頃から、自分のベッド以外で仮眠を取る習慣がある人は特に、どっちにいるか一瞬わからなくなる。)
16連から17連への橋渡しのとこですが、修飾語取った方がスッキリしていいかもしれませんよ。
からっぽな空へ
放り出されたような感覚に
脈打つ鼓動
遠のいていく
今しがたまで浸かっていた夢の
名残惜しさを振り切って
こんな感じ。
終連。自身の幼児期の話から始まったこの詩ですが、ラストでは今は自分の子が幼児であり、お迎えに飛び出していくところでエンディングとなります。
これ、映像だと二人の幼児が重なってて、おもしろいでしょうね。表現上も、故意にそこを強調してもいいかもしれません。
うむ、細かいところちょっとありますが、名作を。
まどろみから寝落ちするところの瞬間、この意識と無意識の境目って、一度は書いてみたいテーマですね。果敢な挑戦が好感でした。
まったく余談ですが、眠ったら、このまま起きないんじゃないかという恐怖は、老人になると再燃しますよ。(まんざらウソでもなくなるので・・・。)
●温泉郷さん「我らのボール」
いいねえー 実にいい。
情景がすごく浮かんでくる。
ずっと前から楽しみにしていたんだろう旅行が、台風でフイになった時の、少年のやり場のない気持ち。少年の立場でそれをどう発散するのだろうと思う。
この詩はそうしたケースを一つ体現したものだが、まだ少し波が高い海と、海に怒りをぶつける少年たちの砂浜での行動が、ささやか過ぎて、その子供ごころがいとおしくもある。少年の情感を表すのは難しいと思うが、見事に表現してくれています。
また、波が引いてから折り返してくる時の波頭にてっぺんにボールを当てるというピンポイントも、情景をより映像化してくれました。
「黄色」という色彩を入れたのもいいし、「われらのボール」という命名を入れたのも、3人の連帯感を表すにピッタリでした。
ボールを投げるのを失敗した時の皆の無言も、少年の心らしくていい。こうした場合、投げたものはたいてい最後に行方不明になるものですが、沖にむかう黄色いボールを描いてみせたのもキレイでした。
うむ、言うことなしです。旅行の予定がフイになった時の少年の気持ちも、ボールをなくした時の無言の気持ちも、その感情は直接的にひと言では言い表せないものです。複雑化してる部分の気持ちを、この詩はよく定着してくれていると思う。
名作&代表作入りを。
まあ、今の子供たちは、こういう発散の仕方はしないだろうから、ちょっとノスタルジックではあるんですが、このピュアで素朴な行動は、むしろ現代人の大人の中に、こころの故郷としてあるんじゃないでしょうか。
個人詩集出す時には、この詩を先頭にしてもいいかもしれないよ。皆それぞれ、子供のころ休日がフイになった時の思い出と重ねて、共感してくれそうな気がします。イントロにするに向いてます。
●上田一眞さん「追慕」
文意から、青春のピュアな恋物語であったように思いますし、「瑠璃色の蝶の如く脱皮したあなた」の美しいフレーズもあります。
ただ、それと3連の「体臭」という、ちょっとなまなましくて、いい意味に使われることの方が少ない言葉が、そぐわないんですよね。ここがこの詩の一番の違和感で、まずもって、これをなんとか合わせたい。
ちょっと3連を変えてみるので、前後関係を確認してみて下さい。
西の彼方から白い雲
風 わが身に迫るとき
そのなかに
美しいあの人の香りを嗅ぐ
浜育ちで浅黒く
潮の香に似たあなたの体臭
ああ あなたは遠く
西海の小島にいるのだと…
十四のとき知り合い
二十二で別れたあなた
少女からめくるめく大人の女に
瑠璃色の蝶の如く脱皮したあなた
こんな感じはどうですか?
体臭に言及する理由としての「浜育ち」(だから当時から潮の香りがする女の子であったこと)。ついでに「浅黒く」としておくと、蝶のように脱皮したというところで、大人の女性への変化が出ます。
まあ、一案です。もしこれが、事実と余りに乖離してるようなら、別案を考えて下さい。
ともかく現行、「体臭」が、他の部分と合わなくて、すごく違和感あるので、なんらかの処理をしないといけない。(「体臭」という言葉自体を変えてもよい)
この詩は上田さんには珍しく短めで33行の詩。ちょうど同人誌なんかで、2ページ見開きサイズですね。そういう場を想定しての一作かと思います。
私、この詩の1~2連の序盤の入り方もキレイでいいと思います。
うーーん、おまけの秀作プラスで。
●上原有栖さん「人月譚(じんげつたん) 」
いや、全くその通りですね。月自体がなにかしゃべってるわけではないのに、古来より人は、月を見て、どれほどの物語を生んだことでしょう。月は時には神でさえあったのですから。今もって人は、精神的に月なしには生きられないのでは? とさえ思います。
人間生活に広く深く関わってる月なので、「創作」観点に絞り込まなくても良かったんじゃないか、という気もしてるんですが、後ろの3連では、彫刻、絵画、詩、音楽などの「創作」の観点に絞りつつ、それはそれでよく書けていると思います。後ろから2連目、好きですよ。月明かりが、苦悩の先に希望を生み出すように終わるのがいい。
起承転結に、思考を加えた構成力もしっかりしてますね。
うむ、いいでしょう。秀作あげましょう。いい詩でした。
● 天さん「ぶれっしんぐ」
なかなか筆が立つ人ですね。これ一作で文章力があるのがわかる。
もちろんこの詩の構想もおもしろいのですが、どっちかというと作者の文章力でもって引き込まれるものがある。
詩の解釈については、大きく分けて3通り可能ですね。
冒頭の「幾年も快晴」というところからして、非現実空間を予感させるし、「誰も彼も土の下」を(比喩ではなく)そのまま真に受ければ、この空間自体が天国か、と思えるものがあります。
別の解釈としては、誰も鐘を鳴らさない。誰も空を切り裂こうとしない。みんな寝てるのか、みたいな社会風刺的なニュアンスですね。
さらに言えば、「鐘」「讃美歌」「神」「ブレッシング」は、全部、「教会」に関わるものとも読めるので、ウェディング(だからその人個人に選択権がある)のことを言ってるとも読めます。
ただ、この場合であれば、「朝の讃美歌」は余計です。これがあると、ウェディングの話ではなく、「日曜になっても、みんな教会に来ない」の話に変わってしまいますので(「讃美歌」だけならOK)。
まあ、いずれにせよ、読者の方で好きに取って下さい、の書き方ですので、読者の方で好きに取ればいいと思います。明確にこれを主張したい、の書き方にはなってないので。
初回ですので、評価はつけず、感想のみ述べました。
三浦様、評をありがとうございます。
ご指摘ありがとうございます。タイトルと具体事例…ですね…。
恥ずかしながら、フレーズタイトルというものを初めて知りまして、新しい選択肢が増えたことを嬉しく思います。
行間に合った、柔らかめな言葉を考えてみます。
具体事例は、実は入れるか迷っていた部分だったので、先生のお言葉を頂きまして、書き改めてみようと思います。
ありがとうございます。
また、よろしくお願い致します。
こんばんは。上田です。
なるほどよくわかりました。設定に少し無理があったようですね。
父が療養していたとき私は3歳でした。ご指摘のように、光のサナトリウムに行ったこの場面の他は祖父の葬儀以外にこの頃の記憶は全くありません。ただ不思議のことに、このときの光駅のプラットフォーム、首振りバス、療養所、虹ケ浜などは明確に覚えているのです。
その後母から聞いたことなど、記憶を補うものがあったことは確かです。母は看護婦でしたから父の病状に危機感を持ち、目の前が真っ暗になったとよく零していました。そのあたり詩作にあたって混在させてしまいました。不自然さが出てしまった原因だと思います。
現在の私が語るように変えることで不自然が消えるのならそれに越したことはありません。
この点考慮して書き直したいと思います。ご指摘ありがとうございました。
今回も私の詩に丁寧なご感想を頂き、誠にありがとうございます。佳作
との評をくださり、とても励みになります。
「この詩に流れる気分は共感度高そう」と仰って頂き、
本当に嬉しく存じます。
「大垣夜行」懐かしいですね!わたしの学生時代の先輩ですが、
したたか酔っ払ってから、この電車に乗って、すっかり眠り込み
小田原で降りるつもりが大垣まで行ってしまったそうです。
今後とも、どうかよろしくお願い致します。
評をいただきありがとうございます。
この詩は時間と人間との関係を意識して書きました。
ご指摘のように時間とは人知を超えた何かによって動かされているという視点を持っていればより大きな世界を書くことができたかもしれません。勉強になります。
あと擬音の使い方も今後考えていきたいと思います。
ありがとうございました。
1 森山 遼さん 「裏側のないそれ」 3/7
冒頭、唐突ながら抜き書きします。
僕は君から逃れたいが/そうすると僕もいなくなる/僕は知っているらしいのだが/君を使って/
僕は/生きているようなのだ
上記部分が、この詩の最も肝であり重要であり解釈の助けになると考えられるからです。
人間の性格・心情・行動は実に多面体であります。その局面、局面に応じて”僕の中にもう一人の(あるいは多数の?)僕がいる“。極端に言ってしまうと、そういった主旨の作品と言えます。
そういった「君」への分析そして接し方、折り合いの付け方が全篇で表現されています。最後は微笑ましくていいですね。佳作を。
アフターアワーズ。
現状、これでいいと思いますが、ちょっとしたことを―。
「僕・君・それ」―いわゆる人称代名詞が多い場合です。小説ではさほど気になりませんが、小説以上に一語一語に芸術性が求められる詩において、これらが多いのは少し気になるところです。なるべく(意味を損なわない程度に)省略や言い換えを検討したいところです。僕の場合、仕上げの段階で人称量を最終チェックします。多ければ当然、省略を考えます。時によっては文体を換えることもあります。あと、これは好みの件ですが、僕の中で(連分けしてもいいかも?)の考えが浮かんだのですが、ひとマス空けが多いので、連分けすると、かえって散漫な印象になるかもしれない。今のようにギュッと詰まってたほうがいいのかもしれない。このあたり微妙ですな。参考までに。
2 津田古星さん 「家守」 3/7
擬人化・現実性・ストーリー性、三拍子揃って楽しく読ませて頂きました。
場面はふたつ。
① 女が風呂に入りに来たが湯舟の中にヤモリがいるのに驚き、男を呼びに「あなた、取ってよぉ~!」。ヤモリのいた風呂など気持ち悪いから、やむなくシャワーのみ。
② (「金属の箱の中」がやや不明なるも)おそらく台所の流しの排水口に落ちたと思われる。
まずは、風呂場に台所、日常ありがちな場所をセットしヤモリを落としたのは上手いですね。
その詳細な様子も面白く書けていてとても良いです。
やっぱり最後が重要ですね。ヤモリは文字通り「家守」。縁起物ですね。そういった風習に基づいた家守の思案です。甘め佳作を。
アフターアワーズ。
「ヤモリ君、勝手にヒトの家に入って来た君を助けてくれたんだから、まあ、幸運を授けてやってくださいな」
3 上原有栖さん 「羽化」 3/7
ヤモリの次が揚羽蝶。
(父親ではなく)「お父さん」と呼びましょう。いいお父さんですね。ふと見た羽化の様子を息子さんに伝えたくなったのでしょう。その一部始終が克明に語られます。豊富な知識と丹念な調べが感じられました。非常に勉強になりました。非常なリスクを抱え短い命でありながらも自立してゆく揚羽蝶の生き方に触発され、息子さんのことを思い手紙を認める。気遣いに溢れたものです。なかなか感動的で、上記したように、いいお父さんです。心情的に感動した裏側で、詩の技法的なことを、客観的に考えています。もちろん揚羽蝶の件と息子さんの事は充分比喩的に繋がっているのですが、揚羽蝶の筆力が非常に盛んで、作者の意図がこちらにあったような気がしないでもない。
両者はそれぞれ独立してひとつの詩になれるほどのものが接続されています。もちろん、すんなり読めるのですが、この詩作品を人間に喩えた場合、わずかに、ほんの数%、居心地が悪い気がするわけです。そんな製作背景が少し気になった次第です。佳作一歩前で。
4 上田一眞さん 「父の背中」 3/8
まず「1」です。昭和三十七年を現在形として書かれています。たまたま父と入った風呂で見つけた傷跡。何気ない始まり方ですが、少し暗雲が垂れ込むかのようです。そんなムードを反映してか、「1」の終連。一滴の雫がもたらす記憶の幕開け、このあたりの書き方は上手いですね。
「2」。昭和三十七年を起点として遡ること五年、すなわち昭和三十二年。母(実母?)とサナトリウムに見舞いに行きます。「お父ちゃんの顔を/よく見ておきなさいね」と「病状は重篤で/命の灯火は揺らいでいた」を読むと死の影がつきまといます。父は生還しますが、この当時は危なかった、ということでしょう。
「3」。父の病の行方と前途を憂う母の姿が描かれて終わります。沈鬱さがあります。
さて、この詩、ちょっと疑問が残ります。「1」はともかくとして、さらに幼い歳の「2、3」で、これだけ鮮明な記憶と大人びた筆致をするかどうかの疑問です。原因のひとつに「1」の主格「僕」です。
これは昭和三十七年を現在形に置いたような書き方なので、以降に無理が来ている気がします。
やはり現在の上田さんの回想にしたほうが話は通っていきそうです。つまり「身体が小さかった私とはいえ」「私の脳髄に」のように2カ所だけ換えれば、話はまずまず通って行きます。同じように「3」も「僕→私」に換えます。そうすれば、現在の上田さんが書いているのだから大人びた筆致は全然問題なくなります。ただ、「2、3」、「1」より幼い年齢でこれだけ克明な記憶が残っているかどうかの疑問は残るわけです。まあ、それはいいでしょう。あとは「1」と「2、3」の関係性です。もちろん父の病気繋がりで繋がっているのですが、―言葉で言うのは難しいのですが―、なんと言いますか、両者の持つ筆致、トーン、場面、ニュアンス、etcが微妙に噛み合わない気がするんですよね。策としては、もうひと単元(ex「4」)設けて、タイトルに向けて、もう一度、父の背中に(父の病後に)、戻ってきたほうがいいように思います。物語を循環させるといいでしょう。今回は時制の扱いの難しさがあったようです。
今回は佳作一歩半前で。
アフターアワーズ。
僕もうっかりしてましたが、過去作にも、時制についてこういった症状がなかったかどうか、チェックをお勧めします。
5 こすもすさん 「時間と気動車」 3/8
今回から評価が入ります。
気動車とは、平たく言えばディーゼル車のことですね。「一両だけ」とか擬音とも関係しているかもしれないです。主旨はおおむね理解できますが、もう一台、オレンジ色が出て来るところがよくわからないですね。「やがて~~見えなくなった」だから、まあ、いいでしょう(笑)。この詩を人間(あるいは一個人)と時間との関係と読んでも構わないでしょうが、僕はもっと大きいものをイメージしてもいいような気がします。たとえば時間という線路があって、それを動かしているのは、人知をはるかに超えた偉大な存在の「何か」です。そうでないと「前世紀 今世紀 来世紀」といった言葉はなかなか出てこない。ざっくり言うと、まあ「時間の神様」みたいなものでもいいんですがね。
擬音はごくフツーなんですが、どこか可愛く響きます。ついでに言うと、この詩、どこか可愛いのです。余地を見て佳作二歩前からでお願い致します。
6 相野零次さん 「大事な人」 3/9
まずは、この圧倒的な筆力に驚きます。それだけでも「佳作です」……というわけにもいかないので、読んでいきます。まず2つのエッセンスを挙げることができるでしょう。そして主人公は2つの概念の違いを意識し、違うからこそ一致させたいと願うわけです。以下のように……。
① 「君」
② 「大事な人」
① は出会う前は「不特定多数、匿名性のある誰か」。
第一段階……出会って初めて、他の誰でもない、指を差して「君のことだよ」と特定できる。
第二段階……お互い心を耕し合って
最終段階……①=②になる。
*ここでポイントになるのは相手である「君」も同様の精神作業をすることが条件になることです。
この主人公は、上記のような流れを重々認識して書いています。ところがまだ「①=②」の人は現れない、そこでこの詩のわけです。大変失礼ですが、繰り言や堂堂巡りが多く”閉じた考え“なんです。しかしヘンな言い方になりますが、かえって逆にそれらが、この詩の読ませ所であり、個性なのかもしれない。これは一種の”褒め“に近い。そんな紆余曲折を経ながらも、この詩は案外、事の真理を言っています。少し長くなりますがピックアップしてみます。
〇君と仲良くすることでだんだん大事な人に近づいていくんだ、そうだ。君を大事にすることによって君と大事な人は近づいていく。やがて一緒になる、そうすると僕も君も大事な人も同じように幸せになる。
〇大事な人には何度か巡り合っているんだ、でもそれが君にはならなかったんだ。
〇僕を大事な人かもしれないって思ってくれる人が必要なんだ。僕が君にとって大事な人かもしれないって思わせなくちゃいけないんだ。
〇甘えているうちは大事な人にも見捨てられるんだ。
これらは事の本質を見事に言い当てていると思うわけです。逆に言えば、これらを主軸に据え、
詩文を少し整理整頓・省力化することも可能でしょう。粘り強く考え書いてくれて、甘め佳作を。
アフターアワーズ。
時折、差し出される場面描写がなかなかよかったです。特に自転車シーンですね。
7 静間安夫さん 「書斎」 3/10
まずは枝葉から。興味深い点がありました。「東京駅10番線・熱海行・6:30発、戸塚駅まで40分」―これ、調べましたが、全て事実なんです。そういうところから浮かび上がって来るのは、この詩が(実話かフィクションか?)といったことです。たとえフィクションであっても、調べればこのようには書けるんです。けれども、戸塚駅は両方向とも「てくてく線路ぎわを15分」歩けるので、このリアルさ、実話かもしれない。失礼しました。これは詩の本質には関係ないので、脇に置いといて……。
さて、本題です。昨今の車内はスマホいじりが主流で読書する人、本当に減りました。毎日1時間20分、けっこうな読書量になります。よほどの本好き。書斎になぞらえるのも無理はない、さしづめ”動く書斎“とでも申しましょうか。たまたま読んでいた小説が今の静間さんの職業の厳しさ、辛さと、ダブルイメージ的に連想されます。ここが読みどころ。もちろん戦争時と今とでは状況は全く違うのですが、底流するものに共通点はある。そんな思いの静間さんです。「戸塚駅で降りずに/それこそ小田原でも熱海でも大垣でも」―これ、ある、ある!ありました!(海でも眺めてのんびりしたい)―「ここではないどこか」はいい言葉ですね。気分を実によく表しています。そこにはやはり葛藤があって、まずは世間的なこと、いやそれ以上に自分を繋ぎとめるための読書という行いでしょう。
どうやら結論が出たようですな。このあたりがこの詩の華でしょう。最終連も印象的。小説主人公と自分とのダブルイメージでしょう。この詩に流れる気分は共感度高そう。佳作を。
アフターアワーズ。
大垣で思い出しました。昔、東海道線で夜11:30頃大垣までの普通電車がありました、夜を込めて走るヤツです。飲んで帰ったりすると、(いっそ、大垣まで行ってやろうか!)と思ったこともありました。
8 荒木章太郎さん 「猫の目と檸檬の光」 3/10
はい、この詩は初連と6連がくせ者であります(笑)。ここにある現代的抽象的難解的隠喩的修辞的連が何を示唆し読み手がどう反応し、どう遇するか、なんです。僕はわからないので仕方がないです。そのままにしておきましょう。ただ少しコメントするならば、ここは荒木さんの真骨頂かもしれない。
他の連で感知できることは、自己の精神論・行動論、あるいは「世代の」と置き換えてもいいかもしれない。そしてそこにまとわりつくのは忸怩たる思いではないでしょうか。そしてこの精神の影は前作「いの中の蛙」で僕が感じた精神性と、当たらずとも遠からず、の気が僕はしてます。
ところで、くだんの難解な初連と(6連含む)最後部分は呼応している。ポイントになるのは……
「路面電車が眠る→路面電車が走り始める」 「波打ち際で瞼閉じれば→波打ち際で瞼を開ければ」などは、静から動へ、閉塞から展開へ。何ごとかが動いていくのを感じます。猫の解釈も難しいのですが、ほぼ全篇で随伴するところを見ると、あるいは盟友などの象徴とも取れそう。
最後の朝を、気だるいものと取るか、前向きなものと取るかは読み手それぞれに任せましょう。
僕は?……と言えば、せっかく「走り始める」んだもん。後者で取りたいですね(笑)。佳作ですね。
9 白猫の夜さん 「価値観」 3/10
喫茶店とか飲み屋さんで久し振りに会ったのでしょうか。久し振りに会ったのだから旧交を温め合うのが自然で、「変わらないなあ」とでも言ってしみじみするのが人情なんですが、これまた“ずいぶんな”人ですねえ。対して2連目の後半は実に“大人対応”です。机ひっくり返して席を蹴立てて帰ってもよかったのに(笑)。まあ、それは冗談ですが……。作者さんにおいて、デフォルメ・アンド・フィクションも含みながらも似たようなことがあったのかもしれない。
単純に言ってしまうとタイトル通り「価値観」の違いで、物別れといったところなのですが、主人公は自分の生き方が嫌いじゃないようです。従って、こういった人と付き合う必要はさらさらございません。ただ、ちょっと残念なのは、この人、ちょっと気弱というか、おとなしいというか……。行間からもそれが伝わってきます。終連の場面は悲しくも印象的。甘め佳作を。
アフターアワーズ。
タイトルはちょっと硬いですね。行間の雰囲気に合わせて、少しソフトにしてもいいでしょう。
フレーズタイトルなんかもアリかも。あと、その場面としての具体事例を軽く描いてもいいでしょう。
評のおわりに。
早いもので三月も半ばに入ります。そろそろ虫たちも動き出す頃。
けれど、僕は恐くてさわれない(汗、涙、笑)。家守も 蛹も 幼虫もー。
では、また。
遅ればせながら私からも、水無川 渉様、日本詩人クラブご入会おめでとうございます。
踏み出した新たな一歩に乾杯! 私も地道に歩んでいきます。
はじめまして
次の千年紀を生きるあなたへ
私はこの手紙を残します
これが読まれるのはいつの日でしょうか
人間はまだ愚かで醜い生き物かしら
争いを好み他人を蹴落として
成功者を妬み誹謗中傷を繰り返し
各地の紛争は止まず人々の血は流れ
富める者と貧しき者の格差は拡がるばかり
私は絶望しているの
私の生きているこの時代に
そして世界を変える術をもなく
声を上げて助けたいのに行動できない
自分自身に酷く絶望しているの
どうかお願い
この手紙を読んでいるあなたの世界が
私が生きていた時代の
絶望と悲しみを乗り越えていますように
最後になるけれど
あなたの身の回りの人間たちは
まだ他人を
慈しみ信じることが出来ているかしら
人間は愚かで醜い存在だけれど
それらはとても美しいこと
忘れたり疎かにしては絶対駄目よ
叶うならば 私も生まれ変わって
あなたの生きる千年紀を共に生きてみたい