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ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。

(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

水無川様へ 評のお礼です   喜太郎

今回も読んで頂き、ありがとうございました。
アドバイスの件、どうしても連分けが上手くいかず申し訳ありません。同じアドバイスを頂きながら、ちゃんと出来てない、反省と恥ずかしさでいっぱいです。すみません。でも、佳作半端手前まで頂けたこと、とても嬉しく思います。ありがとうございます。今後もアドバイスを気をつけて頑張ります。

編集・削除(未編集)

水無川 渉様 評のお礼です

感想いただきありがとうございます。

初投稿にも関わらず、よい作品とのご評価をいただき、光栄に思います。

ご指摘の通り、投稿した作品は、萩原朔太郎の影響を受けていると思います。
一方、一人の創作家として活動を続けるなら、真似ばかりしていてはいけないとも思います。

次は朔太郎の影響を消化しつつ、独自色を出せるよう工夫したいと思います。

編集・削除(未編集)

水無川 渉様 評の御礼です  温泉郷

水無川 渉様 今回も丁寧にお読みいただきまして、誠にありがとうございました。通行止めになっていた歩道上でふと遺跡で見た黄色いクレーンを想い出しまして、そこから描いてみた作品です。わたってしまうと、あちらは異世界なのですが、遺跡がそもそも作品の中でどのような位置付けなのか、ここの書き込みが不足しておりました。この部分を改めて考え直して、改作してみたいと思いました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

編集・削除(未編集)

秋 喜太郎

葉が一枚ひらひらと散った
枯れ果てて散りゆく葉
青葉のまま風に煽られ落ちる葉

一枚一枚の葉は
色も形も同じものは無い
ただ一本の木の木末にか弱く揺れている

太陽を浴びる葉もあれば
葉の影になる葉もある
雨に濡れる葉もあれば
葉の傘に守られる葉もある

やがて葉は色づき枯れを感じるのだろうか?
枯れて舞い落ちた葉は大地を色付け
やがて大地の糧となり木を育て
若い葉の糧となる

小さな葉が足元で舞った
まだ色づきは浅いが
カサっと耳に届いた音は
少し遅い秋の訪れを教えてくれた

編集・削除(未編集)

水無川渉様  評のお礼  松本福広

ありがとうございます。励みになります。

紅林麻雄。袴田巌さんの冤罪にも関わっていた人物です。彼のことを初めて知った時は衝撃を受けました。
彼のことを取り上げるまでもなく、日常には「それ、どうなの?」ということに溢れています。
職場の新人にきつい言葉で当たる先輩とか。(自分の新人指導は一回言って効果を出して欲しいけど、それを自分に求められたくないし、自分への報連相は「一回だけじゃ分からないよねー」などとのたまうことも現実ではあったり……)
生娘を牛丼漬けとかどうとか言った吉野家常務とか。
どちらの例にも当てはまること。そして、紅林麻雄にも当てはまること。「周囲の誰も止めず、本人は悪いと思っていない(ように見えてしまう)」ことのように思えたので、日常の些細な積み重ね、そこに暴力の選択肢が増えてしまうことで……最悪の結果に至っていく。
理性は人間の長所ですが、内省なき理性や、自浄作用なき集団においては、どうなんだろう? などもあり……『誰にでも起こりうる』方向性に持っていきました。
紅林麻雄を否定するだけだと、それだと自分の正義に酔っているだけかも?と自己矛盾を感じてしまうのもあったり……。
扱うのが難しい内容でしたが頑張りました。
またよろしくお願いします!

編集・削除(編集済: 2025年09月17日 06:52)

紗野玲空様  評のお礼  松本福広

ありがとうございます。励みになります。

バッハのカンタータ「羊は安らかに草を食み」。
初めて聴きました。優しい調べの曲ですね。
こちらの詩を投稿する前に二作品ほど悲しい内容をあつかったので、自分の中のバランスをとるため、平仮名多めの優しい詩を作ろうと心がけました。
その人にとって初めての言葉って何だろう?って素朴な疑問から生まれました。

目標の一つは書きたいことを詩に落とし込めること……まだまだ遠いなぁと思います。長期戦になりそうなので、気長に構えて頑張ります。またよろしくお願いします。

編集・削除(未編集)

水無川様 評のお礼です

水無川様 評をいただき、ありがとうございます。ご指摘のとおり、今回は本作の肝をスルーしてこのようなホラーテイストの骨組みを作っていたように思います。そこは大いに納得いたしました。
そして、その今回スルーしたところを、新たな出発点とすることが、あれば、そこからもう一つの詩を立ち上げられるか、などと思っております。
ともあれ、重ねてありがとうございます。また、書きます。

編集・削除(未編集)

感想と評 8/26~28ご投稿分  水無川 渉

 遅くなり申し訳ありません。8/26~28ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
 なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。

●松本福広さん「紅月(やみ)に酔う」
 松本さん、こんにちは。タイトルから酒の詩を期待して読み始めると、その期待は見事に裏切られます。これは正義についての詩です。詩中に登場する紅林麻雄についてはこの作品を通して初めて知りましたが、拷問によって自白を強要し、証拠を捏造して数々の冤罪を生み出した実在の刑事だったのですね。
 タイトルの「紅月」は、地平線近くの赤みがかって見える月を指すようです。最初の「月下」の連にある「真っ暗な夜」と「真っ赤な月」は一見矛盾するように思えます。月明かりがあるなら真っ暗とは言えないからです。しかし、真っ暗な夜の中にぼんやり血のように赤い月が浮かんでいる様子はちゃんとイメージできるのが不思議です。この後の展開を見ていくと、紅林はすでに死去していることが分かりますので、これは実在の場所ではなく、死後の世界を表しているのかもしれません。「紅月」の「紅」はもちろん「紅林」から取られていると思いますが、タイトルではわざわざそれに「やみ」とルビを振っています。含蓄のある良いタイトルだと思います。紅月の下で会話する二人の男。一人は紅林と思われますが、もう一人は私には作者の分身に思えました。
 嘘によって造られた偽りの「正義」に酔い、多くの人々を不幸のどん底に突き落とす、というのは理性や人倫を「忘れる」ことによって初めて可能なものですが、最終連の「闇夜」では、それは特別な「悪人」だけに起こるものではなく、私たち誰にでも忍び寄ってくる誘惑であることが語られます。この最終連は私自身襟を正させられるような気持ちで読みました。
 暗く重い主題を幻想的に描いた読み応えのある作品をありがとうございました。評価は佳作です。

●トキ・ケッコウさん「内覧にて」
 トキ・ケッコウさん、こんにちは。新築でもない限り、新しいアパートを借りる際には、前に住んでいたのはどんな人たちだったのだろうと想像をめぐらしてしまうことはありますね。この作品はそのような内覧の様子を描いた詩です。
 この詩の前半では部屋には前の住人の人生の痕跡がさまざまな超自然的な形で残っていることが描かれていきます。ちょっとホラー風味もありますね。実際には先住者の持ち物が残っているということはありえないのですが、冒頭から現実の話ではないことがはっきりしているので、そこはあまり読んでいて気になりませんでした。
 後半はその部屋で暮らす際の注意事項が大家さんの存在に言及しながら語られます。最終連でその大家さんも出て行きたがっているということで、もう一度ホラー感を出して終わっています。
 とても読みやすく面白い作品で、評価は佳作とさせていただきます。このままでも良いとは思いますが、個人的にはもう少し変えてみても良いのではないかと思います。
 この詩の中で、「床の凹み」について書かれた第5連は、ご自分でも書いておられるように重要な意味を持っているように思いますが、そこは割とさらりと触れるだけで、後半に移っていってしまうのがもったいないと思いました。そこをもっと掘り下げて、床の凹みから先住の夫婦の人生に思いを馳せるような内容を読んでみたいと思いました。構成的にもこの部分を結末にして、大家さんが出て行きたがっているという部分は前の方に移したほうが良いように思いました。そうすることによって、単なる不思議なお話に終わらない深みと重みが出てくるように思います。
 これはあくまでも、私だったらこうするという話ですので、参考程度にしていただければ幸いです。 

●喜太郎さん「路の標識」
 喜太郎さん、こんにちは。人生を旅にたとえる詩は古来無数にありますが、この作品は道路標識に注目した詩ですね。
 道路標識や交通ルールによって自分が欲するように進めないフラストレーションは、車を運転したことのある人なら誰しも経験があると思います。一方通行や進入禁止、駐停車禁止等の標識は、思い通りにならない人生のさまざまな局面の実に分かりやすいメタファーになっていますね。もちろん、実際にはそれらの標識は交通の流れに秩序をもたらし、事故やトラブルを軽減するために考えられた社会の知恵であるわけですが。
 けれども語り手は気づきます。そのような標識は、実は自分の頭の中で勝手に作り上げていたものだと。そして人生も終わりが見えてきた今、残された時間は標識のない一本道を歩いていこうと決意する・・この内容は同じく人生の後半に足を踏み入れた私自身の心にも迫ってきました。
 2つコメントがあります。一つは詩の前半と後半で旅のモードが変わっていることです。前半では車を運転していたのに、後半ではいつの間にか徒歩に変わっています。このイメージの転換自体は効果的で良いと思うのですが、その変わり目がどこにあったのか、暗示の形ですら出てこないので、車から歩きに変わった意味が伝わりにくくなっていると思います。どこかで車から降りるあるいは乗り捨てる内容を入れると、人生に対する向き合い方が変わったことがより強く印象付けられると思います。
 もう一つ、これはこれまで何度も申し上げてきたことですが、連わけをすることをおすすめします。今回の詩で言うと、「でもやっと気づいたんだよ」の前、「これからはゆっくりとこの一本道を」の前、そしてもしかしたら「もう標識も無い一本道をひたむきに歩いている」の前でも、一行空けたほうが良いかも知れません。
 毎度同じようなアドバイスですみません。ご一考ください。評価は佳作半歩前です。

●光山登さん「猛獣と死神」
 光山さん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
 この作品では夜道の独り歩きが先の見えない人生の道行きを象徴しているようです。行く手を阻む月は敵意に満ちた世界、後からついてくる病気の犬は死に至る病に犯された人間存在を表しているのでしょうか。「私」は月に吠える犬を見ながら、その勇気に力づけられ、絶望的な状況の中でも進み続けようと決意する。非常に暗く病的なイメージの中にも人生への励ましを感じる、とても良い作品だと思いました。
 文体やイメージが全体的に萩原朔太郎を思わせます。朔太郎がお好きなのでしょうか。個人的には好きなスタイルですが、ここから独自の世界を追求していっていただけたらと思います。またのご投稿をお待ちしています。

●温泉郷さん「横断」
 温泉郷さん、こんにちは。この作品は、温泉郷さんお得意の、日常生活と超現実的な世界の交差を描いた詩ですね。
 クレーンで作業中という理由で交通誘導員に導かれるまま横断歩道で通りの向こう側へ渡った後に振り返ると、いつの間にかクレーンは消え、別の世界に変わってしまっている。信号は赤になり、もう戻ることはできない……。
 私の理解では、「わたし」を含めた人々が横断歩道を渡りきった時に、それまでいた元の側だけが異世界になり、「わたし」たちは現実世界に残っているということかと思うのですが、それで合っているでしょうか。
 詩中に出てくるエフェソスは世界遺産にもなっている小アジアの古代都市で、新約聖書にも出てきますね。おそらく「わたし」が誘導棒とクレーンから、かつて訪れたエフェソスの情景を思い出していると、その記憶によって現実の工事現場が古代のエフェソスに変容してしまったということなのかと思います。
 不思議な白昼夢のような情景が美しいイメージで描かれていて、それだけでも楽しめるのですが、詩の中でエフェソスが持つ意味合いがよく分かりませんでした。そこが分からないと、「あなたたち/なぜ/踏み越えた?」という問い掛けの意味も分からず、詩の全体が焦点の定まらないまま終わってしまう、不完全燃焼感が残ってしまいました。
 私の読み込みが足りないだけかも知れませんが、日常世界に侵入してきた異世界について、もう少し詳しく描いていただくと、より切れのある作品になるかと思いました。評価は佳作一歩前です。

●人と庸さん「偏頭痛のあと」
 人と庸さん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
 私は偏頭痛というものになったことがないので、実体験としてその痛みを知っているわけではないのですが、家人に頭痛持ちがいるので、大変なのは分かります。この作品が作者の実体験に基づいているのかは分かりませんが、おそらくそうなのでしょう。
 痛みや病は人が世界をどう見るかに大きな影響を与えると思います。この作品では偏頭痛のさなかではなく、その後に「わたし」の目に写った世界の様子――というより、世界から引きこもった部屋の様子――が描写されています。「わたし」の孤独感が抑制された叙情性をたたえた文体で美しく描かれていて、心に迫ってきました。頭痛の痛みを表す「点滅しているカーソル」や「世界の授業」など、印象的な表現も散りばめられていて、とても味わい深い作品でした。またのご投稿をお待ちしています。



以上、6篇でした。今月も素敵な詩との出会いを感謝します。

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青島江里様 評のお礼です。

本作「自由の研究」を丁寧に読んで下さりありがとうございました。最初は思春期の男子と女子の微妙な時期における不安を表現したかったのですが、不安を解決するための大人の対処法まで書いてしまいました。友達から異性を意識する境界線、体の変化、反抗期といった心身ともに不安定な時期における大人と子供の境界線。これらの境界線に対する不安を夏休み最終日に喩えて表現すれば、青島様がおっしゃるように、もう少し子供達にあった、生活の表現ができたと思います。「自由についての研究」として、ターゲットを子供達だけに絞らず、多くの世代を広く網羅しようとして固い表現にしてしまいました。

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カタコト  荒木章太郎

炎天下、朝の通勤路で
僕の後ろを歩くのは、見知らぬアジアの人

カタコトの日本語で

(アナタニ アエテ
 ダイジョウブ デス)

カタコト——
電話かリモートで話しているのか
それとも独り言のように呟いているのか

僕は——君の前で
昨日から肉声を失った日常を
AIの助けを借りて拾い集めて
俯きながら
カタコト文字を打ち込む

君の戸惑いの断片が
風に乗って
僕の指先に届く

後ろから道を尋ねられ、僕は指を差した
最寄り駅が眩しく滲む

うごめく哀しみ、騒ぐ苦しみ——
翻訳しなければならない
君と僕の感情の気配を

母国語すら未だ不器用で
それなのに「インバウンド」に夢中になり
他の言葉を覚えることで
僕らはからだの声を置き去りにしていた
ああ、追い立てられていたのだ

喪失の傷を癒すことばを求めて
「大丈夫」と応えてくれる仲間を
僕らは不器用に探している

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