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今回も感想を頂きましてありがとうございます。
子どもは本当に親の事をよく見ていると思います。タイトルの「じゃないパパ」も子どもが言い出したもので、これは良い言葉だ!と採用しました(笑)
毎日大変ですが、今しか出来ない苦労だと思って子どもに頑張りを見てもらいます。
いつの日か子どもが私の背中を超えて行くでしょう。
お疲れ様です。上田です。
ちょっとした寒が戻っていますから、体調を崩されたのではないかと案じておりました。
私は自分の個人史的な作品を書いて来ましたが、島さんのご指摘とは逆に直近の出来事から幼い頃へ遡及してテーマを選んで来ました。一通り書いた後はアトランダムに想い出を元に作品を作り上げて今に至っています。
個人詩集については上梓することは夢ではありますが、まだまだ力不足であると考えています。この二年弱、先生方から教わったことは非常に大きく、今後新たなステージでさらなる高み目指して力を蓄えたいと思っています。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
感想、そして前に書いたものまで読んで、細かい分析をありがとうございます。
あと、自分はよく同じ部分を繰り返して使ったりもするんですが、そんな名前があるんですね(調べて分かりました>対句
仰られる通り、いつもその時に思いついたものをばーーっと一気に書き上げて、
あとでちょこちょこ細部を直したり付け足したりしてます。
余白は、時間経過の表現になったらいいなーと。
今回だと、夜に夢を見て醒めるまでの時間や、
おもったことを心情的に飲み込むための時間です。
例示された、音楽の話の変化、になるんですかね?(汗
読みやすさのためではなくて、言葉以外でも、
行数で、時間経過や、状況の変化を表せてればいいな、と思ってよく使ってます。
またお言葉いただけると嬉しいです。ありがとうございました。
いつも遅くなって、すみません。
※本期間は、4/8の免許皆伝前の期間になりますので、免許皆伝者についても、投稿作に評価をつけております。(4/7の三浦さんの担当日まで有効)
●人と庸さん「花の咲く道」
うーーん、さすが!ですね。
ベテランの域でないとできない表現ありますよ。
2連ステキだし、3連の1~2行目もそう。4連も思慮深くて、いいです。
このあたりはちょっと、ベテランでないとできない域の表現です。すばらしい。
(3連の4行目は、余分にひと文字落とさなくてもいいかなと思いますが・・・。)
後ろ2連と「※」で繋いだのは、人と庸さんに適した、いいアイデアだと思う。
繋いだことで、詩が大きいものになりました。
名作あげましょう。
終連ですが、3つ並列と考えなくてもいいんじゃないかな?
順に思考が前に進む、という考え方でもいいような気がする。
きみたちがこれから進むさきでは
風はどこに向かって吹いているだろう
みち過ぎた季節の底で息はできるか
不意に風が下から吹き上げてくる
そんななにかの意志のように
花は何度でも
芽吹き出すのだろう
こういう考えもアリです。
初連も、今のままでもOKですけど、もうちょっとスマートにして
息つくことのない季節は
だれかに話したいことをどんどんふくらませる
でも話すことはできないので
かわりに花を咲かせる
これもアリです。
ただ、「息つくことのない季節」自体が、花が次々に咲く様子をニュアンスに含むところがあるので、4行目と意味がかぶりぎみではあるんです。1行目の表現は変えた方がベターかもしれません。
●akkoさん「約束」
私自身、親友との「約束」を守って、ここを始めた人間なので(彼のお墓に行って聞くと、もういいよって言ってくれるんですけどね)、このお気持ちはとてもよくわかります。つまるところ、誰かの心の中で生きているかぎりは、その人は死んでないんじゃないですか?
ただ、魂になった以上、物理的なことはできないから、代わりにやってあげたらいいと思うんです。むしろ、まだ生きてると思って、ブログ続けてあげて下さい。
うーーん、ところでね。
この詩、ちょっとだけマズイところがあるんです。
後ろから2連目のような置き方をポンとすることもあるのだけど、全体の流れからすると、そこだけがあまりにも飛びすぎている。これはさすがにちょっと無理があります。
なにを間違っているかというと、初連に、のちの出来事を先に出して始める場合には、
あとの本文中のどこかでもって、必ず初連と同じ時点のものを出して、合致点を作って合わせる必要があるんです。
いえば合致点を作ることによって、初連の内容が本文中に合流していくわけです。
ところがこの詩は、合致点がない。
元々が途中にあったものを → 最初に持ってきてるだけ、で、持っていったあとの部分には、穴が空きっぱなしなのです。そこのやり方を間違えておられる。
ついては初連を元の位置に移動させ、一部のみをリフレインとして残します。
こんな感じです。
ブログは命を繋いだ
病んだ夫の体に 魂を注いだ
断捨離中の夫が「溜まったスケッチブックどうしよう?」
彼の余命が数か月とは知らず私は提案したものだ
「絵をパソコンに取り込んでブログに載せたら?」
コピーしたスケッチ画像を編集し短文を添えて投稿
得意でもない一連のパソコンワークは酷だっただろう
試行錯誤の数日が過ぎて
「何とか格好ついたよ・・」
夫が書斎から解放された表情で降りてくる
「ええ? できたの? あなた、すごい!」
初日の風景は真っ青な海に灯台が聳え立つ石廊崎
誇らしいスケッチブログデビューだった
投稿の度に目まぐるしく変わる国内外の風景
アクセス数の変化に夫は声を弾ませ
「ブログは生き物だね!」
ブログは命を繋いだ
病んだ夫の体に魂を注ぎ
通院の電車で
入院の病室で
オブジーボ治療に疲れた夜も
来る日も来る日も生きた証を更新し続けた
けれど とうとうその日は来てしまう
静かな午後が静かすぎて怖い
残された命を根こそぎ持っていかれ
目は閉じ 声を失い 呼吸はかすれ
窓の外は無情にも満開の春
「あなたのブログ続けますからね・・・」
夫の唇がかすかに動いて約束は交わされた
一部言葉を変える必要があるかもしれませんが、概ねこういうことです。
参考にして下さい。
あとの出来事を先に初連に持ってくる場合の、全体構成の取り方を、知っておいて下さい。
まあ、これは経験積めばいいだけのことです。中身はしっかり書けてます。
「絵をパソコンに取り込んでブログに載せたら?」と言われたのは、ナイスアイデアでした。これがどれだけ励みになったことでしょう。これのおかげで(病気のことばかり考えて)鬱々と暮らす日を過ごさずに済んだのでは?
とても良いことをされたと思いますよ。
●秋さやかさん「雉」
キジか、ステキですねー。あれはキレイだ。たぶん鳴いていたあたり、巣があったんじゃないですかね。宅地開発された一帯は、元は山だったということなんだと思います。
ちょうど小山の上端をスパッと切ったような台地にして、新しい町ができることがありますが、そのパターンかも。
特に地上動物より、鳥の方が、空からの位置関係で場所を覚えてるみたいで、開発されて様相がすっかり変わっても、なかなかその場所を離れない傾向があります。
なんにしても、キジが見られたのはステキだ。貴重です。
詩ですが、1~9連までが転居されて最初の頃の話で、10~12連が時の経過を表す部分、13連からのラスト3連が現在なんだと思って、読みました。
10~12連のところと
風景に開けた穴を
灰色に塗り潰しながら
わたしたちの生活は
どこまでもどこまでも
便利になっていく
の6~7連のところ、
特にステキな表現ですね。ちゃんとした意味を持ちながら、抽象性をもった比喩表現で描かれています。このあたりのステキさは、さすが!です。
重機のシルエットのとこも、なかなか。
もう雉の声は聞こえませんか? 雉の寿命は10年もないらしいですから、あたりの開発が進んでることもあるでしょうが、まずもって前の個体が亡くなった可能性があります。3連からすると、繁殖期のオスの声だと思うのですが、声が聞こえないのは、繁殖期のオスが、その後は誰も来なくなったということであり、生息数自体が減った、ということで間違いないと思います。それは残念ですね。
山側だけでなく、案外と、河川沿いの草原なんかも好きなんですけどね。たぶん河川沿いの環境も変わってるんじゃないですかね。
御作、名作です。
後ろから2連目。今残ってる風景を写真に収めた、というのは、たぶん事実としてそうなされたのだと思いますが、時系列のことだけ言いますとね。
様変わりした町並み
ここがかつてどんな風景だったのか
思い出せないことについて
残されていた
写真を眺めた
耳を澄ましても
もう
雉の鳴き声は
聞こえない
過去の写真を眺めた、とする方が、話としてはくっきりするので、アリはアリです。
現行の後ろから2連目って、やりたい意図はわかるんだけど、具体的な様子がわりと掴みにくいんですよ。
「何もない場所」がどんな場所を指してるのか、映像としてわからないからだと思う。
●松本福広さん「おいなりさん ふつうに好き」
キツネノマゴの花言葉は、「この上なくあなたは愛らしくかわいい」のほかに、「可憐美の極致」「女性の美しさの極致」などあり、これらがみんな同じニュアンスのものだとすると、あまり小さい子に言う言葉ではない気がします。親子の例に使うのはホントは少し違うかもしれませんよ。
しかしながら、こんなすばらしい花言葉があるからと言っても、プロボーズの時にこの花なんか渡したら、「こんなもんでごまかすんかい!!」とぶっ飛ばされそうな気がします。
キツネノマゴに、何故このようなとびきりの花言葉がつくことになったのかは本当に謎です。そもそも紫の小花というだけなら、他にいくらも野草はあるんですが、キツネノマゴは、紫の花弁の中央部に星形の白い模様があり、もしかしたらこれが関係してるのかもしれません。
いなり寿司っていろいろあるんですね。発見でした。
HPのオーケーフードというのは、オーケーストアとは、なんら関係ない会社なんですね。味付け油揚げを専門に極めてる会社があるっていうのも、ビックリでした。)
さて、キツネノマゴといい、おいなりさんといい、この詩の脇役には名優が揃ったんですが、主役たる二人のストーリーがイマイチ決まり切ってない感じがするんです。それがこの詩の吸引力がイマイチ弱い理由かなと。
終連ちょっと気になるのは、相手を「ふつうの君」と言ってしまってることです。その言葉は自分に向けた方がいいような気がする。例えばこんな感じ、
それは、君も伝えたい言葉だと思ったんだ。
おいなりさんって聞いて、「ふつう」のおいなりさんを想像した君だけれど
そしてやっぱり「ふつう」にしか見えない僕だろうけど
君は好いてくれているのかな?
花言葉を知ったら、どう思ってくれるかな?
「ふつう」にしか見えない僕でも、僕の好きはきっと「ふつう」の好きじゃない
(以下略)
こういう言い方の流れの方がいいような気がする。一考下さい。
ただ、この流れだと、
好きって言葉の形に「ふつう」はあるのか
の名言は、使えないかもしれませんので、あしからず。
(ちなみに、「おいなりさん、好き?」の時にも「好き」使ってるよ)
それから、
尻尾をふりふりして、フフッと微笑む彼女。
は、4連で使わずに、現行の終連のあとに連分けして、独立行で置いて終わるのもアリです。
メインストーリーをピリッと終われてない点だけ一考下さい。
でも、会話やりとり自体はうまいもんですね。秀作を。
●白猫の夜さん「さくら」
なるほど。樹木葬を思ってもいいが、樹木葬ならずとも、墓地にも桜はよく植えられていますね。そういう桜を、本作の主人公に思って読めばよいでしょう。
序盤、「私の根元」というのも桜のことだし、花びらも、桜である主人公が故意に落としているようです。
桜の森の満開の下は怖ろしいのだと
や
この国の人々が思う通りに
は、無論、梶井基次郎の「桜の樹の下には」の有名な一節からひいています。
詩中ずっと、誰と話してるんだろう???という、謎を引き摺ったまま(謎かけをされたまま)読みますが、
ラストを読むと、よもやの赤ちゃんを捨てていった話だったんですね。(作者のこれまでの作からすると、もう少し大きな子供を想定していて、親の愛情放棄をテーマにしてるかもしれませんが、終連をフツウに読むと、赤ちゃんを捨てている方に読めます)
実は、「びいどろの瞳」が出てきた時に、カラーがあるような気がして、猫かな?とも一瞬思ったんですが、赤ちゃんのピュアな瞳をして言っているのであれば、そこも納得いきますね。
白猫の夜さんは、前からセリフ遣いが上手だなと思ってましたが、本作ではそれがとびきり生きています。良いと思う。
ストーリーもとても良かった。
名作&代表作入りを
こまかーいところ2点いうと、
桜の森の満開の下は怖ろしいのだと
の表現ですが、原文には「森」の言葉はないということと、本作自体もここ以外に「森」は登場してこないので、かなり唐突です。
満開の桜の樹(木)の下は怖ろしいのだと
くらいにしといた方がいいと思います。
それと終行
どうぞ おとといいらっしゃって?
は、イントネーションとして語尾を上げたい気持ちはわかるが、
意味的に疑問形の要素は全くないので、末尾の「?」はいらないと思います。(巷で乱用されてるかもしれませんが、つけない方が正しいと思う。ニュアンス的なことを言えば、むしろ「!」の方が近いので、つけるならこちらだと思います。)
●上田一眞さん「子どもの情景」
ゴンズイ、あれはいけません。はっきりと毒針。
和歌山の浜で育った、元・海の男の友人が、多少の病気やケガでも平気な顔をしてる人が、ゴンズイだけはさわったらイカンと厳重注意をくれました。彼をもってしても、「ヒドイ目にあった」と言わしめる毒針であるようです。刺されたら、病院ものです。重症化する場合あり(彼は子供の頃、知らずに何回も刺されたのを放置したらしくて、重症化したようです)「危険生物」に入れてもよいかも。
注意してくれた、島の女の子に感謝です。「天使の声がした」の表現もグッドでした。
クラゲって、刺さないのもあるんですね。先のゴンズイみたいなことはありませんが、クラゲも触れたら刺すもんだと思ってました。遊んでるんでビックリ。私の知識不足のだったようです。この島の子はきっと、クラゲの識別もついてるんでしょうね。
子供同士、すぐ仲良くなるところや、夕焼けの浜辺での三人のシルエットがステキです。
それにしてもキレイな魚もいろいろいて、豊かな海ですね。そしてこの詩全体が、子供が小さかった頃に遊んだ、大切な想い出の情景であるようです。
秀作プラスを。
もしかしてですが、上田さんは記憶の一番古いところから順番に、新しい方に向かって、順を追って書かれている、というのが一つのシリーズなんですかね? そのシリーズの中で、今この位置にいるわけなんでしょうか?
なにを言っているかというと、個人詩集などを出す場合に、作者の半生や人物像を追うところがあるので、多数ある作品の中で、場面の時系列把握が、ある程度は必要になるのです。個人詩集を出す場合に、その点を考慮した編集が、いま難しいことになってないかな?と、危惧したまでです。これまで書いてこられた作品のメインストリームについて、自分なりに一定の系列化や、一定の整理がついているならOKです。
さらに噛み砕いていうと、個々の作品を書く時には、別にランダムに書いていいんですよ。
ただ、あとでまとめて人に見せるような時には、それを、作品の舞台の時系列で編集するか、大枠のテーマ別で編集するか、ということになってくるので、それを考えて、ある程度整理しておくというか、全体構想を持っておくというか。
もう作品数がかなり溜まってきてるはずなので、そういうことも考えていい時期なんじゃないかな、と思ったのです。
●荒木章太郎さん「はぐれ桜」
「同期の桜」という戦争中よく歌われた軍歌がある。お国のために死ぬ姿を、華々しい桜が散る姿に喩え、賛美した歌である(原曲の歌詞は別にあり、軍隊内で軍隊用の替え歌に置き換えられたとする説が有力)。この歌から転じて、戦死することを、桜が散るという意で「散華」と呼ぶこともある(もともとの仏教用語である「散華」は、これとは全く別の意。そもそもあれは蓮の花である)。この歌が戦中から戦後初期の時代まで非常に流行したため、言えばこの歌のせいで、桜を軍国主義の象徴だとして嫌う向きがあった。特に、60年安保の学生運動華やかなりし時代の人には、桜の花は嫌われた。もちろん桜自身に罪はない。桜を利用した軍国主義が悪いのである。それに気がついてその後、改宗(?)した人もいれば、当時の考え(こだわり)をずっと引き摺ったままの人もいる。
詩中の、桜に色を与えない、モノクロに閉じ込めたままで見る、というのも、このことを背景としている。また、対照的な存在として、平和の象徴である鳩を登場させているのも、同じ意だろう。
ただ、この詩は戦争反対の意だけでなく、だからといって先鋭化するテロとも距離を取って、「グレーで見る」という自らのスタンスも述べているようです。
この世代の人が、いま桜を見るための葛藤を描いてくれているようなところもありますし、再び桜が利用されないための注意喚起のようでもあります。
「桜」の歴史を踏まえた、深い思考がある詩だと思いました。名作&代表作入りを。
一点だけ言いますと、2連の後半、
桜の群れが狂気に変わる
花弁は炎となり
昔は散華を誇りと呼んだ。
今は、揺らされるのではなく、自ら踊る。
それはやがて燃え広がり
焼け跡に残るのは、死の灰だった。
ここなんですけど、「今は~」の行だけ異質なんじゃないですかね?
「今は~」の行を入れちゃうと、話がそこで、今の時代の話に転じてしまうんですが、これ転じちゃいけないんじゃないですかね? 「今は~」の行の次、下2行も散華の話からの続きの話のように思う。
「今は~」の1行は話が逸れて邪魔するだけなので、この1行は削除した方がいいと感じる。
そこだけ一考下さい。
1 天さん 「晴天行進」 4/4 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
予備知識として過去2作を読ませて頂きました。概観すれば、シリアスの大部分と“くだけ調”の散見が認められました。いわゆる現代詩寄りのかたでしょう。
本作が基調としているのは、上記2種のうち、比較的、後者でしょう。案外、この詩は朝、起きて出勤前を書いたのではないか?と思ったりするわけです。「今日も行きたかったところとは違うところに」とあるから。「降水確率0ぱーせんと」とあるけど、どんより曇って、雨降り無しとしない雰囲気。そんな微妙さもあります。注目したいのは、初連と終連の対句的対応性です。この採用は作り手の心理として、強調したい、(ここを読んでもらいたい)にあると思って、ほぼ間違いない。「夢をみた」「夢を見たい」を介在させて、その時の気分を勢いに乗せたい、そんな心理が窺えるのです。
ところで、大き目の余白の意味は何でしょうね?音楽の話をします。音楽の余白=音の全休止(ブレイク)があると、その曲に「個性・変化・テンション」をもたらします。(奏者にもテンション?)。
それと似た効果と想像されます。あるいは、ここで時間の流れをいったん切る効果。まあ、適材適所で願います。なかなか面白い書き手さんのようです。また書いてみてください。
2 上原有栖さん 「じゃないパパ」 4/4
微笑ましい「作風変え」ですね(微笑)。お子さん目線で書かれていますが、この詩、けっこう情報量もあるのです。早朝出勤。月水金は寝かしつけてから出勤。夜勤もあるのでしょう。
その不規則を、「お疲れさまです」と言いたいですね。この詩はお子さんを介しての自分詩、と同時に自分からお子さんへの愛情詩。その相互の中から生まれたものでしょう。「じゃないパパ」―このネーミングも絶妙でした。この詩に評価など、不粋というもの。感想のみ、そっと書きました。
アフターアワーズ。
「*」コメントに大変好感が持てました。評者にとっては遠く過ぎた時代。とても懐かしい。
3 森山 遼さん 「春がきた」 4/4
冒頭佳作です。
森山さんも難解、シリアスから、こういったものまで、領域が広がりました。
2連。文中の言葉通り、読んでるほうも、うっとりしてきます。「眠気眼」も活きてます、こういうのは、書けそうで、なかなか書けないものです。「ぼくは自我の中心点がふわふわして危うく」―ここもいいですね。明るく軽やかな春にあって「ぼく」には少し痛みがあるようです。
「逃げている」「許している」あるいは幸福と憂いの交錯。そのさじ加減、バランスも見事に詩に溶け込んでいます。
一見、サラリと書いているようですが、自己の心情内奥をよく吟味し言葉として再生しているのがよくわかるのです。大好きな詩ですね。
アフターアワーズ。
大勢に影響ないので、こちらで―。
「寂しい」「嬉しい」の直接表現は少し考慮の余地を残すかも?4連~6連の主旨が充分伝えていますから。
4 白猫の夜さん 「またね」 4/7
まず「イマジナリーフレンド」を調べてみました。語り手はこの言葉に否定的ですが、僕はどうも、この相手は「~フレンド」のような気がする。それに関連して、この事態を実話とするか、フィクションとするかは、議論の分かれるところでしょうが、それは読み手の自由に委ねられていいと思います。
僕としては「イマジナリーフレンド」心理で書かれた想像、幻想といった立場を採りたいです。つまりフィクションです。
実話としては、あまり信じたくないというのが正直な気持ちで、実話として読むには、3連目まではあまりに悲惨です。詩の本領はそれ以降にあると思いたい。それは「貴女」と世界との関係、「わたし」の「貴女」への愛惜でしょう。
実際の死者にも「再び世界」「再び笑いかけて」「産声」「待っているわ」といった思いは修辞として書けるものですが、僕は、どうも幻想の友人への語りかけのイメージが抜けきらないのです。
タイトル「またね」は恐ろしいほど。実に事態や心情の深みにまで達しています。佳作にします。
評のおわりに。
お待たせ致しました。
4名のかたには、大変ご迷惑をおかけ致しました。
お詫び申し上げます。 では、また。
ほんのり甘い佳作ありがとうございます、励みになります。
アフターアワーズも為なりました。
パクリにならないように、インスパイア元の空気はオマージュしたい。
とは考えていました。
言い方は違えど一致しているのかな?と思いました。
以下、少し訳のわからない話をします。
「想い出がいっぱい」にインスパイアされて少女目線を想像してみようと。
松本自身は生まれてこの方、少女になったことはないし。
少年少女の年を数十年前に通り過ぎたし。
「手に届く宇宙」がカラフルに思い出の色で散りばめたら素敵だろうけど。
その下の少女はシルエットでしか描けない解像度にしかならない。
今の子と時代も違うしなと手探りで書いていました。
ありがとうございました。またよろしくお願いします。
冬の旅は寒さで凍り雪道に馬車は止まる
(血色のいい娘はセーターをを編む 小鳥の声を聴きながら)
はるか向こうに見える山そこに宿屋があるらしい 氷の女の家。そこへ行くしかないのか。
(娘は散歩する 冬の庭 小鳥は軽やかに飛ぶ あの方はいまどこにいるかしら)
家来はいぶかる氷の女の屋敷は帰ったものがいない
(娘は踊るように思うあのかたこのセーターを気に入ってくれるかしら)
殿様は言う家臣よ寒い着るものはないのか
(娘は夢見る、春になってこのセーターを着たあのかたと踊るのを)
殿様は思うあの娘がいてくれたら、暖かくなって氷の女のところなどへ行かなくて済んだのものを
(娘はとび色の衣を着て窓辺で殿様のことを想いながらお茶を飲む。なぜかお茶に一滴の血がにじむ)
殿様は馬車の中で、あまりの寒さで凍傷にかかる
(娘は不吉なことにびっくりする。殿様に何かあったのかしら)
殿様は家来に命令する、あの氷の女は、魔女だ。あの女をひっとらえよ。
氷の女は美しい血色のいい娘と、体を入れ変えることを呪文でとなえる。
(美しい血色のいい娘は、どうしたのか、顔色が悪くなり、血の気も失せる)
殿様は言う、早くあの女を成敗せよと。家来が言う、殿様火急のふみがございます。
娘が、急に身まかってございます。
ああ。あの氷の女が、娘を道ずれにしたのじゃな。
いまとなってはしょうがない。ええい。この里のすべてと言うすべてを焼き払え。娘よ天上に!
(天上に行く娘は思う。ああ なんて暖かいのでしょ春のセーター,もうすぐあの方が
元気に帰られる。わたしは、なんて幸せなのでしょう。)
詳細な評をいただきありがとうございます。
確かにプロローグについての考慮はありませんでした。
また、詩の傾向が近似しているとのご指摘は耳が痛いです。
これらのことを意識して詩を書いていこうと思います。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
お疲れ様です。上田です。
江藤淳の「一族再会」ではありませんが、自分の作品に旗を立て、一族再会を期すことは私の望みでありました。
一昨年七月以来、常に私の作品に寄り添いサポートして下さった三浦さんには深く感謝しております。私の詩に「文学的香華を感ずる」と言われたのは三浦さんが最初です。この言葉にどれほど勇気付けられたことか。本当にありがとうございました。
本作にも佳作を頂戴しました。よき餞であります。
今後は同人として恥ずべきことのないよう作品を書いて行きたいと思います。
今回も私の詩に丁寧なご感想を頂き、誠にありがとうございます。佳作
との評をくださり、とても励みになります。
ただ、読み返してみると、考えたことをそのまま筆に任せて書いた感じで、
詩というより文章になってしまっています。仰るとおりだと思います。
改めて考え直してみます。
「元禄快挙録」の件ですが、今、下巻まで読み進めたところです。
読めば読むほど読み応えがあるのはいいのですが、その分、読み終わった後、
本当に旅立たせることができるかどうか?不安になってきました。
今後とも、どうかよろしくお願い致します。