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青島江里様様
拙い詩の感想、ありがとうございます。
潮の匂いがしたもので、そこから言葉を考える内に海戦のイメージが湧き、詩になりました。
丁寧な感想、ありがとうございます。
不可知というか、倫理転生とか、現実では否定されるべきものを、詩では広げてみました。
代々繋がる血の記憶、があっても良いんじゃないか、あるなら、どんな記憶だろう、と一気に書きました。
丁寧に読み込んでいただき、感謝します。
初心者ですが、続けて行こうと思います。
so ULTRA PANDEMIC
事の発端 全ての崩壊
セント伏魔殿パンデモニウム
悪魔降臨 天変地異にて
ULTRA PANDEMIC
人類平等 左に倣え
右から数えてクシャトリヤ
我らが銀河の中心は一つ
生命平等 光に倣え
人は光らない
禿げるしかない
地上が指先程度になって
巨大な巨大な世界と宇宙と
ULTRA PANDEMIC
so ULTRA PANDEMIC ‼︎!
事の発端 全ての崩壊
セント伏魔殿パンデモニウム
悪魔再来と 天地開闢で
泥の惑星は更に淀む
人類平等 右に逆らえ
左から数えてサピエンス
一つの銀河の中心は我ら
いつか叶うと良いね
少しずつで良い
雨漏りみたく
少しだけで良い
宇宙に反響板を
少しずつで良い
傷が積もれば
死に至るから
だから続けよう
事の発端 小さくて良い
悪魔降臨 天変地異にて
巨大な巨大な世界が宇宙で
事の発端 全ての崩壊
セント伏魔殿パンデモニウム
悪魔降臨 天変地異にて
ULTRA PANDEMIC
人類平等 左に倣え
右から数えてクシャトリヤ
我らが銀河の中心は一つ
生命平等 光に倣え
ULTRA PANDEMIC
【5月13日(火)~ 5月15日(木)ご投稿分、評と感想です】
☆告白 喜太郎 さん
タイトル通り、ストレートなくらいストレートな告白シーンを描写してくださいましたね。『』の後の()・・・・・・告白する側の心の声がそのまま読み手に透けて伝わってきました。言いたいけど、最悪の場合は友達関係も何もかも崩れてしまう不安も伝わってきました。
告白してからの彼女の反応。読み手からしたら、かなり驚いてしまいました。ただただ驚きの連続となるわけですが、最終行で「素直でその場行動的なところに惹かれたんだ」といまとめていることで、そうなのだなと思えるようになっているところはよかったと思いました。ただ、彼女の行動を【「私も好き!好き!大好き!』/突然に抱きつかれて/キスされてる】の部分は、本来なら、僕にとって感動的シーンであるはずなのに、読み手からすれば、流れに従っての描写ですが、早急な展開すぎて、置き去りになってしまいそうな感じのするところが気になりました。
そこで一案として、考えてみました。最終行を移動させて、最後に逆光にあたる二人の影に焦点を当ててフィニッシュする感じではどうでしょうか。また「その場行動的なところに」という表現も少し固い感じがするので、「まま」という語尾でそろえることができる、代役の言葉たちを考えてみました。
私も好き!好き!大好き!』
突然に抱きつかれて
キスされてる
そうだ
僕は君の心のまま
ありのままなところに惹かれたんだ
君の顔が逆光に包まれている
僕は直立不動のまま息ができない
何かのお役に立てればうれしいです。しあわせそうな二人の姿が印象的でした。今回は、佳作一歩手前で。
☆アクアリウム 上原有栖 さん
癒しを求めてアクアリウムをつくるという様子を思い浮かべると、夢があって楽しそうだと感じました。一連目の最後にある「桃源郷」という言葉が更にそう思わせてくれました。手作りで自分の理想郷をつくるなんて、おっしゃる通りに癒しになりそうですね。
癒しだ!と思っていると、二連目では空気が変わってきましたね。理想郷に放たれた二匹のアロワナ。存在感が半端ないです。メダカや金魚とは違う大きな魚。とても強そうです。そこからつながりの「アロワナの餌」というワード。理想郷を泳ぐ主。悠然とした姿に見惚れるというまでは、前連の空気を受け継いでいましたが、ここからは一気に、煩い上司や嫌味な先輩関連のワードが。一気に夢の世界から現実に引き戻された感がでているところ、そしてアイロニー。この詩にいい味をもたらせていると思いました。
実はこの理想郷のカラーは、癒しオーラがカラーではなくて、日頃のモヤモヤから現実逃避したいというようなカラーなのです……と、言っているかのようにも受け取れる表現の仕方でした。最終連では更に追い打ちをかけていますね。この追い打ちの表現方法が、また面白かったです。理想郷で大きな存在感を示すアロワナ。その『大きな目』によって、表向きの自分を通り越して、裏の自分の本音を見透かされているような気がすると持っていくところもよかったです。「冷たい視線で突き刺しておくれ」は、本人の誠実さや反省を感じさせてくれる表現になっていると思いました。アロワナの細い顎髭を持ってくるところ、まるで、本音の部分を感じ取るセンサーのように思わせてくれました。お上手だなぁと思いました。
アクアリウムを手作りしてアロワナを飼育しているカッコいい自分ではなく、表向きとは違う、歪んでいるように思えてしまう、カッコいいとは言い難い、劣等感のかたまりの自分を、くすっと笑えるアイロニーを織り交ぜつつ、水槽にまつわるものを取り入れながら、上手に表現されている作品だと思いました。佳作を。
☆潮風の匂いと血の記憶 aristotles200さん
初めましての方ですね。今回は感想を書かせていただきますね。
深い霧、何処に立っているのか、古びた海賊船の看板という表記から、作中の場面はこの世ではないのだなと感じました。大砲だったり、砲弾だったり、義手、義眼という言葉があるので、戦って命を落とした戦士の姿が湧いてきました。さらに、潮の匂い、四国、伊予国の生まれという言葉から、日本人であるのかというイメージも湧いてきました。
一行目にぼんやりとした背景を展開させ、無駄のない言葉で、徐々に、この世ではない世界をはっきりと明かしながら広げてゆく表現の方法が、わかりやすくてよかったです。また、血の記憶と潮の記憶を関連付けることで、輪廻転生のようなものを感じさせてくれました。
最終連では、登場人物に関する戦いについての考え方について記されており、こちらの方は、私自身が前連で感じた輪廻転生と結びつけて拝見すると、国や民についての個々の「魂」の境地について考えさせてもらえるようにも思えました。そして、何らかの記憶で、本能のようなものが感じることができる意味についても、考えさせてもらえる作品になっていると思いました。
☆饗宴 温泉郷 さん
※投稿作品中の「ダンポール」→「ダンボール」への誤記訂正、伝わっております。ご連絡ありがとうございます。
不思議な空間です。砂漠の屋敷ということですから、地盤は強くなさそう。またまた、このような辺鄙とも取れそうな場所で、人を大量に招待して、建物の二階に酒席を設けるとは、付近に砂漠のない一般庶民の感覚からすれば、珍しい光景です。身元を明かさない仮面舞踏会ということもミステリーです。また、こちらの酒席への招待客が無制限に膨らんでいくのもミステリーです。
二階は踊り狂って大騒ぎ。そして一階では、酒席を縁の下で支える方々も踊りまわるという、一見すればどの階の人間も幸せ気分なシーンを想像させてくれるのですが、一転して、二階の大騒ぎに建物の強度が耐え兼ねて、天井が抜けるという結末に。これには驚きました。このシーンで目が離せなかったのは、この天井が抜ける寸前まで縁の下で支えてくれている人々が、どうにか倒壊を防ぐために尽力するということでした。そして、倒壊はしてしまったものの、二階の客は、一階の人が支えてくれたおかげで助かったということ。さらに強調されていた「二階の客だけは・・・・・・」という点。こちらの表現は、この詩の核になっていると感じました。
この表現から、詩の周辺の意味のようなものをひらってまとめてみると、上層階級の人たちの好き勝手なマネーライフ。自分たちへの見返り中心のマネ―政策。その今だけ自分だけの元で暮らす一般庶民。好き勝手やっている顔を合わせたことのない人間に、いつのまにか、どんどん吸い取られていくもの。しかも地盤の緩い政策で国がひっくり返りそうになっているところや、真面目に働いている人間が、命の忖度をされたり、辛い目ばかりしているというようなことを、彷彿させてくれました。もしもこのような読み方が、ひとつとしてあるならば、この作品は社会の今、庶民の立ち位置を意味する作品として光彩を放っていると感じました。
ほんの少しですが、気になったのは、最終連でした。床に広がる残骸を描いてくれているのですが「美しい模様」や「怪しい光」でまとめてしまうだけは、足りない気がしました。印象に残りそうな、独自の表現の考察が必要な気がしました。抽象的な世界を通じて現代社会の現実を彷彿させてくれる異色の作品。今回は佳作半歩手前で。
☆たびだち じじいじじい さん
タンポポのタネのたびだち。川崎洋さんの「たんぽぽ」を思い出させてくれるような、タンポポの綿毛の飛び立つ様子が浮かんできました。川崎洋さんのたんぽぽは、原っぱでタンポポの綿毛を見送る子の目線で描かれていますが、こちらの作品は根を張るタンポポ自体をお母さんに見立てて描いてくれていますね。愛情たっぷりの作品。
気になったところは、全体的にひらがなとカタカナのみの短文的な書き方を連ねるような形になっているため、読み上げる時、意味を取りにくい部分が、幾つか見受けられました。単語と単語の間に空白を置く書き方をしてもいいかと思いました。例えば「あっちでもこっちでもおおきなこえの」→「あっちでも こっちでも おおきなこえの・・・・・・」にしてみたり。
もう一案としては、子供さんに読み聞かせてあげる目的を強化したパターン。もちろん内容は全く変えず、タンポポのタネさんや、お母さんが、何をするのか、動作を連の先頭に持ってきて、情景を浮かべやすくする方法です。この方法はリズム感も出てくるので、読む方も、聞く方も、また見た感じも、比較的、入りやすくなるのではないかと思います。あくまで一案です。説明文では伝わりにくい感じがしたので、実際に書いてみますネ。
「いってきま〜す!」
「いってらっしゃい」
「いってきま〜す!がんばるね!」
「いってらっしゃい!がんばってね!」
きこえる
あっちでもこっちでも
おおきなこえのごあいさつが
とんでいく
タンポポのタネさんたちが
とんでいく
しろいわたげにつかまって
おかあさんタンポポから
「きをつけてね」
「こわくないよ」
「わたげにしっかりつかまって」
しんぱいがおと
がんばれがおが
まざってる
おかあさんタンポポ
「だいじょうぶだよ」
「わたしはあっちのやまにいこう」
「ぼくはむこうのかわらにいこう」
わらってる
タンポポのタネさんたち
てをふってる
みんなおかあさんタンポポに
たびだった
おかあさんタンポポから
みらいをゆめみて
たびだった
りっぱなタンポポになるのだと
こころにきめた
タンポポのタネたち
てをふった
しんぱいがおの
おかあさんタンポポ
なみだをながしても
さいごはえがおで
そっといった
こころのなかで
「だいじょうぶ がんばれるよ」
風に吹かれて飛んでゆくタンポポの風景がとても美しい作品。優しさを感じさせてくれる作品でもありました。今回は佳作一歩手前で。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
すずめの親子と遭遇しました。おかあさんよりも大きなこすずめ。羽をパタパタさせておねだりする姿が愛らしすぎて。
一雨ごとに一気に伸びてゆく草の背丈。あちらこちらで、いのちの姿を感じるこの頃でした。
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。
水無川 渉様 拙作「無音の叫び」を丁寧にお読みいただき、ありがとうございました。いつも深いところまで読んでいただき、うれしく思っております。人の強烈な想念、特に不当な目に遭った人の想念は、決して消えることなく世界中をさまよっているのではないか、そうして因果応報を繰り返しつつも、いずれは良い方向に進むのではないかといったことを考えつつ、ぼーっと歩いていた際に浮かんだイメージを基にした作品でした。旧約聖書のエピソード、ご指摘のとおり、割と最近読む機会があり、描いているときには意識していませんでしたが、影響を受けていたのかもしれません。引き続き、ご指導くださいますようお願い申し上げます。
先日はありがとうございます。二度目の投稿は趣向を凝らして「分かりやすさ」、「快活さ」をテーマに書きました。題名、副題、文の我流で自作した(文章=創作物の)散文詩です。ネットに作品を公開するのは経験済みですが大変参考になりました、日々精進します!いつしか大輪の花を咲かすまで……
水無川様
こんにちは。
詩の評、お礼です。
この詩は作品です。
これからも評価を希望させて頂きます。
詳細までご指導頂き感謝です。
これからもよろしくおねがいします。
・予定調和という言葉、好きではない、そこに言葉の暴力を感じる
・調和は大切だ、しかし、予定とされた、強制された調和とは、もはや調和ではない
・調和の対義は、不調和、或いは軋轢、衝突、要は全体が整っていないの意
✳
・何故、私は調和という言葉を嫌うのだろう、全体への強制、普通の押し付けを感じる
・真綿で首を絞められるような感覚、世界は順調で正しいが、私一人違和感を抱いている
・勿論、私は慎ましく笑顔を浮かべる、調和を乱す者、社会の異端者にされたくはない
・永遠に調和は予定される、ある種の薄笑いを浮かべて、皆と同じように奇声を上げる
✳
・こここそ、狂気の世界である
・無意識の集団調和なるナニカが、個人を、社会を支配している
・ここでは私は衝突である、軋轢である、不調和である
・私は声なき悲鳴を上げる、ここは間違っている、皆、狂っている、薄笑いを止めろ
・微笑みの仮面を被ったナニカたちに囲まれた、私は絶叫する、助けてくれ
・悲鳴を上げながら街へ飛び出す
・瞬く間にナニカたちが追ってくる、同じ微笑みを浮かべている
・異分子は許されない、街中のナニカたちが私の周りに立っている
・何もしない、ただ、同じ微笑みを浮かべて待っている、ひたすら待っている
・
・私は
・私ではない
・間違っていたのは
・私だった
・ ⋯⋯⋯
・
・調和、世界は調和で出来ている、確たる予定された整った世界
・私もナニカである
・皆と同じ微笑みを浮かべ、同じ奇声を上げる、心は満たされている
・私たちはナニカである
お待たせいたしました。5/6~8ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。
●森山 遼さん「生命について」
森山さん、こんにちは。これは哲学的な内容を持った作品ですね。タイトルからも生きるとはどういうことか、自分の生命をどのように感じることができるのか、といった問題意識が伝わってきます。社会において人間性が圧殺されていく危機感と、自然における生命の力への憧憬というテーマは古来多くの詩人たちが取り上げてきた主題であると思います。私はウィリアム・バトラー・イェイツの「湖の島イニスフリー」を思い起こしました。
この作品では3~5連の森の情景が、そのような生命の神秘を感ずることのできる理想的場として描かれているようです。けれども現実の「僕」はそのような環境にはなく、(おそらくは都会の)「日々の喧騒のなか」で生命の深みを感ずることができずないまま、「表層をすべる」ような生活の中でただ疲労のみをつのらせていく・・そんな諦めにも似た嘆きで終わっています。
2点あります。一つは、現実の「僕」がいる状況と理想的な「森」の関係が曖昧に感じられました。3連からの部分は一読すると「僕」が実際に「森」にいるように読めるのですが、この詩の後半を読むとそうでないことが分かります。しかし、その理想(夢?)と6連(「僕は知っています~」)以降の現実とのギャップが分かりにくいために、6連でも引き続き「僕」が「森」にいるかのように読めてしまい、「僕は鏡の前に座り」で何だかおかしいなと気づくことになります(これは森の中の情景ではありえないので)。したがって、6連で「僕」がどこにいるのかを明示し、5連との間の断絶をもう少し分かりやすく表現した方が伝わると思います。
もう一つは、細部にもう少し具体的な描写を入れた方が、よりリアルに実感を持ってそのメッセージを受け取れるのではないかと思いました。評価は佳作一歩前です。
●じじいじじいさん「永遠の家族」
じじいじじいさん、こんにちは。冒頭にお断りしていますように、私は投稿された作品はあくまでも一つの文学作品として読み、評価をさせていただいております。この作品で描かれている内容がじじいじじいさんの実体験に基づいているかどうかは分かりませんが、たとえそうだとしても、作中の「私」とじじいじじいさんは区別して読んでいます。通常このような内容の詩がもし実体験に基づいたものだとすると、その良し悪しを「評価」することは憚られます(他の評者の方々も、こういった作品は「評価保留」になさることが多いです)。ただし、この投稿掲示板は特に断りのない限り評を希望して投稿するということになっていますので、この作品に関しても、ひとつの文学作品として読み、評価させていただいているということをご承知おきいただければ幸いです。当然ながらその「評価」とはあくまでも作品としての完成度に関するものであり、その背後にある作者の感情や体験についてのものではありません。今後もし評を望まれない場合がありましたら、投稿時にその旨お知らせください。
前置きが長くなりましたが、この作品は幼い息子を亡くした夫婦が子供の日を迎えるという、誰もが共感できる悲痛な思いがストレートに描かれた詩です。笑顔と涙の対比も上手く使われていると思います。
特に最終連、柏餅を「3人で」食べた、というところが胸に迫りました。もちろん実際に柏餅を食べたのは「私」と「妻」の2人ですが、2人の気持ちの中では亡き「息子」と3人で食べた、ということなのでしょう。読者はこのことを容易に想像できますので、ここであえて「2人は」と言わない方がかえって効果的かもしれないと思いました。また「笑顔を見ながら思い出話をしながら」という表現は日本語としてのつながりが不自然に感じますので、たとえば終連は次のようにしてみてはいかがでしょうか。
妻と私は思い出話をしながら
笑顔の息子と3人で柏餅を食べた
3人家族は永遠だから
あくまで一案ですので、ご一考ください。
細かい点ですが、5連の「見にまとい」は「身にまとい」の誤字ですね。あと、同じく5連の「遺影の息子は~」の行と、終連の最初の行はやや長すぎますので、適当な長さで改行した方が形が整うと思います。内容的には素晴らしいものがありますので、細かい部分に手を入れれば、詩作品としても良いものになると思います。評価は佳作半歩前です。
●喜太郎さん「偽り」
喜太郎さん、こんにちは。この作品は喜太郎さんお得意の、女性視点から描かれた恋愛詩ですね。3年間の交際の後に別れた相手に対して、これまでの気持ちのすれ違いを後悔を込めて振り返る内容になっています。このような状況は恋愛においてはよくあることだと思いますので、共感を持って読める詩だと思います。語り手の切なさがひしひしと伝わって来ます。
ただし、細かく読んでいくと少し分かりにくいところがありました。「私」は「あなた」に嫌われたくない一心で、あえて素の弱い自分ではなく「強い自分」を演出していた。けれどもその甲斐もなく、「あなた」は去っていってしまった。別れに臨んで「私」はついに素直に弱さをさらけ出して涙を流す……そういう展開だと思いますが、そうするとこれまでの三年間、「私」は自分を偽って強がっていた、と考えるのが自然ではないかと思います。
ところが、「私」はこれまでの三年間について、「自分を偽っていた訳じゃないの」「いっそ素直を捨てて全てを偽っていたなら……」と言います。これは逆ではないでしょうか。
「自分を偽っていた訳じゃないの」はまだ分かります。好きだからこそ弱さを見せずに強がっていたのはまさに「私」の本心から出た真摯な行為であり、それは「偽り」という否定的な言葉では表現できないものなのでしょう。それでも「いっそ素直を捨てて全てを偽っていたなら……」はやはり分かりませんでした。これは相手の前に弱さをさらけ出すことを指していると思われますが、それが素直ではない偽りとは思えないのです。
タイトルの「偽り」からして、もしかしたらあえて「真実」と「偽り」を逆転させたアイロニカルな表現を狙っているのかとも思いましたが、この詩のストレートな感情の表出にはそぐわない気もしました。もし喜太郎さんの意図が読み取れていなかったらすみません。
あとこれは以前の評でも申し上げましたが、個人的には連分けをして頂いた方がストーリーの展開が分かりやすくて好感が持てます。あくまで好みの問題かもしれませんが。評価は佳作一歩前です。
●谷口文章さん「あいうえおそうじ」
谷口さん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
これはアクロスティック詩(折句)ですね。各行の冒頭の字が五十音順に並べられています。これは言葉遊びの一種と考えられますが、こうした遊びの要素が幼稚園児の視点からひらがなを多用して描かれる内容によくマッチしていますね。絵文字や記号の使用も子どもらしい楽しい雰囲気に貢献していると思います。先ごろ亡くなった谷川俊太郎さんの一連の作品を思い起こしました。
細かい点を申し上げると、「みんな、なまか。」とあるのは、「みんな、なかま。」の間違いではないかと思いました。あと、タイトルの「おそうじ」が本文の内容とどのように関係しているのか、よく分かりませんでした。
ともあれ、あまり難しいことを考えず、ことばのリズムや響きを楽しむ作品と受け止めました。またのご投稿をお待ちしています。
●温泉郷さん「無音の叫び」
温泉郷さん、こんにちは。連休の平和な街を歩いていると、突然その街が崩壊していく……そんなSFじみた描写で冒頭から引き込まれる作品ですね。このイントロはとても効果的だと思います。
結局街の崩壊は語り手の白昼夢であることが分かり、一瞬後に現実に引き戻されます。この現実と幻想の区別が音と無音の違いで描き分けられているのが特徴的でした。しかもこの詩で素晴らしいのは、この「無音」が実は普段は隠されている街(そこに住む人々)の無言の叫びを表している、という作品の核心的なテーマにつながっていくことです。この組み立て方はとても巧みだと思いました。
現代社会に生きる人々の様々な心の叫びは物理的な音としては聞こえないけれども、それがたまり溜まって空に放出され、やがて降ってくる。その無音の叫びは聞く耳のある人にだけ聞こえる、ということなのでしょう。
社会批判的な重いテーマ性を持った作品ですが、「世界中で誰かがそれを受信する」「声は世界中をめぐって/必要な場所に確実に戻っていく」といった詩句からは、作者の希望も伝わってくるような気がしました。
一つ分からなかったのは、「空中から見下ろす者」の存在です。これが何を指しているのか、読者の想像力に委ねられていると思いますが、私は神のような存在を表しているのかもしれない、と思いました。続く連の「無音のイメージの後を追って/かすかに 声が聞こえてくる」という部分からは、旧約聖書の預言者エリヤが神とまみえた時、神がエリヤの前を通り過ぎると突風や地震や火が起こり、その後にかすかなささやき声が聞こえた、という物語を思い起こしました。
比較的短めの作品ですが、とても中身の濃い素晴らしい作品でした。評価は佳作です。
*
以上、5篇でした。早くも日中は汗ばむ陽気になってきましたね。今年の夏も猛暑になるのでしょうか。みなさまどうぞご自愛ください。
「歴史学をやる上で大切なのは 人間に関心を持つことです」
大学時代
私の指導教官だった先生が言った
先生
人間に関心を持つって
一体どういうことなんでしょうか
当時の私はそれを 先生に聞けなかった
先生 私は
絵が好きです
音楽が好きです
本や物語が好きです
歴史が好きです
人の創り出すもの
人の遺したものが
私は好きです
それは 人間に関心を持っていることに
ならないでしょうか
ならない気がしているんです
私の中では
作品を愛しても
作者に恋はしない
歴史上の人物に勝手な関心を注いで
解き明かそうと思えるのは
その人がもう 生きてはいないから
先生 私はどうして
目の前にいる人たちのことを
もっとよく知りたいと思えないのでしょうか
知ろうと思えないのは 悪いことなのでしょうか
こうやって考えていることも
いま実際に先生に問いかけたりはしない
私は自分に疑問を投げかけて
自分とばかり喋っている
顔を見知っている相手に
打ち明け話をするのは苦手だし
コミュニティに属して
人付き合いするのも億劫だと思ってしまう
でもほんとうは
あの時
私は先生に尋ねるべきだったのだ
この世には
自分一人では出せない答えが あるのだから
先生
いつの日にか
あなたのお考えを 聞きに行ってもいいでしょうか