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令和6年能登半島地震で亡くなられた方、ご遺族に、追悼の誠を捧げます。
そして、これ以上、災害関連死が増えませんように、祈ります。
孤立集落があらかた解消されたのは良かったです(道路はまだまだ開通してなくて、ヘリコプターで脱出しただけのところもままありますが)
仮設住宅は、平坦な土地があってこそ、建てられるものなので。
しかしながら土地事情をみると、すぐに充分な量が建つとは到底思えない。
仮設住宅は絶対まだまだかかるので、避難所で仮設住宅を待たずに、二次避難をお勧めしたいのだけれど……。
●妻咲邦香さん「ホルスタイン」
四方を山に囲まれているので、大都会の真ん中より空が狭く感じるという、「広くて狭い空」の話はおもしろかったです。ちょっと私の頭の中の想定に全くなかったパターンでした。
私も数年前、母から畑地を相続したら、もうとうの昔に耕作放棄地だったんですが、畑地の所有者にはもれなく、町内の端から端までの水路掃除がついてくるのでした(農業用水利用者だという見なしになる)。3年間動員されておりました。自治会のゴミ拾い、お察し致します。お疲れさまです。
タイトルの「ホルスタイン」ですが、どこで出てくるのかと思ったら、吸盤付きのカーマスコットでしたね。しかもケンタウロスの下半身。交通事故を想起させるエンディング。例えば本当に事故が起こったとしたら、そのあとでこのマスコットがカメラにクローズアップされることでしょう。そういう印象的に映像に残す一品という感じでの登場でした。この使い方もおもしろいです。
車の運転て、奥が深いです。いろんな事故パターンがあるので、年数乗るほど、危険予知事項が増えていきます。ヒヤッとすることが3回あると、次は本当に事故るんだそうですよ。ヒヤッとは予告編のようなものだから、その段階で運転を見直すべきと、元・ヤマトの運行管理者だった先輩から、なにかと口うるさく、運転を指導されたことは、あとになって、ずいぶんと役に立ちました。プロは、注意してるレベルが、シロウトとは全然違うもんだなーと思った。
信号機のない交差点(T字路ふくむ)は、一番事故が多いところなので、特に注意して下さい。何するかわからん相手もいますので、思い込みは禁物。
それ、間際にアクセルの力を抜いてたから止まれたんですね。この話はかなりのところまでリアルなんじゃないかなと思い、読みました。
うむ、よく書けてますよ。全体ストーリーがスリリングな上に、「広くて狭い空」と「思いがけない場所にあるホルスタイン」も付加価値効いてます。
名作&代表作入りを。
●麻月さん「日常」
麻月さんは、前に麻月更紗さんの名で来られてた方ですね。一年くらいのブランクかと思いますが、戻ってきてくれて、本当に嬉しいです。またよろしくお願い致します。
この詩は、表面上は消えてるんですが、深いところに実は哀しみが沈澱していて、それがときどき突発的に、思いがけないタイミングで、オモテに湧いて出るのでしょう。それで涙が出て、視界がゆがむ。そういう心の状態を書かれてるのかなと思います。
それで、いっそのこと攻勢に出て、出る涙は、玉ねぎで強制的に、さっさと先に出し尽くしてしまおうとしているようです。荒療治ですね。私はそんなふうに読みました。
この読み方でだいたい合っているようでしたら、4連で玉ねぎを切る様を効果的にするためにも、初連においては玉ねぎは出さない方がいいです。初連のそこは、洗濯物を干す前ですから、時系列的にいって、「朝ごはんを作る時」くらいでいいのでは、と思います。
あと、韻を踏んでるのはわかるけど、意味的にいえば、4連初行の「淡々と過ぎていく日常の中」は、3連にくっつけた方がいいもののように、私は思いました。
ちょっとそのへん、一考してみて下さい。
哀しみを相手に書いているけど、暗くならず、後半はユーモアさえ交えて終わろうとしてるスタンスはステキです。
詩行的には一考してほしいところがありますが、全体意図はわかる。おまけ秀作にしておきましょう。
ところで、まったくの余談ですが、良性発作性頭位めまい症という三半規管のトラブルによる病気(あまり若い人はならない)があって、マジで不規則にくるめまい(正確にいうと、平衡感覚が急に飛んで、視界が回る)があります。今回の詩とは全く関係ない話ですが、そんな病気もあります。
●エイジさん「コラール」
パイプオルガンでなくても、教会でのオルガンの響きは、なんであのように厳かなのかと思います。亡くなられたのはお母さんのようです。場面はお葬式かと思ったのですが、「今しがた」とあるので、まだお葬式前に来てるのかもしれません。そのせいか、讃美歌(コラール)が歌われている感じがなくて、オルガンだけの感じがします。
また、奏でられる音楽が、故人の魂とともに、天に昇っていくのかと思いましたが、彼女は先に天にいて、作者(あるいは主人公)の祈りと哀惜の念が、音楽とともに天に届けと奏でられているようです。5連からは、そんな感じに受け取れました。そのあたりもお葬式とは違う感じで、作者は一人で、教会に来てるのかもしれませんね。
いずれにせよ、御霊安かれと祈るばかりです。亡くなって、初めてわかることもあります。作者の想いが故人に届きますように。
名作を。
●上田一眞さん「湖西雷鳴」
その雷は、雪が降る前の雷のようですね。琵琶湖の北側はかなり積雪のあるところと聞くので、冬空の雪雲の薄暗さと雷鳴といった、空模様のようです。
そうか、安曇川って、旧朽木村の方から流れてきてるんですね。その琵琶湖側の河口に作者はいるようです。友人は、旧朽木村生まれで、故郷につながるこの河口からの琵琶湖風景が好きだったようです。竹生島も琵琶湖の北側だから、近くに見えるのでしょう。龍神の登場は、この竹生島の龍神伝説に由来してるようです。
作者はそこで、友との約束を果たすべく、湖に散骨します
いろいろ迷惑を被った部分もある友のようなのに、義理堅いですね。しかしながら、その友にとっては、託せるのは作者しかいなかったようです。
この散骨の儀式と、その地の天候が、(一見すると悪天候なんですが)作者には両者が噛み合っているもののように思えたのでしょう。水墨画のような風情(時に昇竜図も)の美しさで描いてくれています。良いと思います。
また、強調行の実験も、問題ありません。うまくいってると思います。
作者にとっても、記憶に残る一作なのではないでしょうか。名作を。
●理蝶さん「か細い祈り」
この詩は、すべての弱い者たちへ、という感じで書かれていて、能登半島地震の被災者の方々も含んでのことと思われますが、正直、どっちかというと、自死を考えてしまいそうな人たちへ向けて、命の大切さを呼びかけているような詩に感じて読みました。
6連の4行目以降、懸命の祈りがステキですね。
傷ついた全てのものへ
手向ける祈りの束
生きていて どうか
いのちを握っていて
いのちは訪れる幸せ
いのちは帰り来る幸せ
そのものだから
2連で「あかり」のことを述べていますが、2連自体は、「あかり」を主語に置いているだけなので、それが3連以降にどう係るのか、文章として続きがあるはずなんですが、そこがイマイチわかりにくいです。
3連を読むかぎり、そのあかりがどうかした、という話があるわけではなく、要は、電気がついて、夜になって、くらいの意にしか、係ってないように思います。
3連の主たる意である、「涙が落ちる」ことに、あかりが絡んでるわけではなさそうです。
となると、せっかく2連で取り上げながら、あまり機能のないことになってる気がして、奇妙な置かれ方だなと、気になりました。
そこだけ一考してみて下さい。
命のエールに熱意を感じた。そこは良かったです。秀作プラスを。
●秋さやかさん「大樹」
きれいな叙景と情感で、秋さんワールドに浸ってるだけで、もう気持ちいいってものがあるので、そこでまず評価は立つのですが。
この詩はね、ちょっと主人公が輻輳してるんですよね。そこがスッキリしないところでして。詩においては主従関係はハッキリした方がいいのですよ。主役が二人になると、混乱して、足を引っ張り合うというか、マイナス効果になるのです。
何回も読み返したんですが、この詩はやっぱり大樹そのものが主人公だと思うのです。描かれた詩行のボリューム感から言っても、絶対そうだと思う。大樹はのち、世界そのものであったり、命の根源の宇宙にも喩えられてきます。これら、大樹というものへの考察表現や叙景が、この詩のまずもっての読みどころです。あくまで大樹を主役として読んだほうが、この詩はスッキリします。
しかしその観点に立った時、邪魔をする者があるのです。
かつては
小さな一本の双葉だった
わたしたち いま
どうしてこんなに遠いのだろう
この連ですね。これが、主役級の重い意味をもった連なので、この連の登場で、意識が「わたしとあなた」の関係性の方に向いてしまうのです。しかしながら、これを主役で読もうとすると、次にこの人称が登場するのは、後ろから2連目しかなくって、その間の伏線が途中でぶっつり切れてしまっているので、ストーリーが立ってなくて「わたしとあなた」を追うと混乱してしまいます。
ですので「わたしとあなた」を混ぜたいのはわかるが、「主従」の「従」に徹すべき(脇役案件に徹すべき)、というのが私の意見です。上記の主役級に見える連は、これだけ見ると魅力的な連ではありますが、別の方向性に引っ張っちゃっていく連なので、あとのことを考えずに不用意に入れてはいけない連というか、削除したほうが、詩全体のためにはいいと考えます。
この連を抜くことで、たぶん混乱を回避できます。主役及び主たる視線は、あくまで大樹に置いて、進行した方がいいです。ちなみに、この連を除いた前半は、ぐいぐい畳みかけてくるようで、凄くいいです。
そこだけ一考して下さい。おまけ名作を。
●晶子さん「鳥舞」
これは令和6年能登半島地震で被災された方へのエールと取りました。
詩は、地震を起こした悪霊たちが、ひそひそ話をしている感じに描かれています。地震で潰れた家屋の上で、鳥の舞いを踊る者が現れる。それは邪気を祓い、その地の復旧・復興を目指す、人々の狼煙のようであります。悪霊がいくら潰しても、人は滅びない。蘇り、生きていく。人間の強さを示すようであり、そうあってほしいと願う作者の祈りのようでもあります。
名作を。
不思議な鳥舞に喩えられたこの作品、おもしろいのですが、強いていうと、「鳥舞」を知らない人が鳥舞をどう想像するかというところに、少々の難があります。
私がいちおう思ったのは、東北地方に伝わる「鶏舞」が、元は、悪霊を踏み鎮める呪法に則った足さばきをルーツにしてるのだそうで、これの意に取るのが一番近いかなと思いました。鳥の姿で舞う神楽などでも、邪気を祓う意のものが多いようです。
まあ、後ろに注釈で、鳥舞の意図するところについて、少し補足した方がベターかもしれないです。
あるいは、同じく注釈位置に( )付で、「能登半島に捧ぐ」あるいは「令和6年能登半島地震で被災された方々に捧ぐ」と、こちらの方の意を注釈位置で書いてもいいですね。今はタイムリーだから想像つきますが、何年か後になってから読んでもわかるようにの補足です。
また、これがこの詩を読み解くヒントを置いてることにもなります。
「私、恥ずかしがる男は、嫌い。優しくなくてわがままで自己中だから」
そう言って女は恥ずかしがらない男と恥ずかしがらない女の群れを作り、光の世界で輝き続ける。
楽しい楽しい、こんな素敵な時間が永遠に続くんだわ。
高級バッグにルイヴィトン、エルメスのバッグに鰐皮のパンツ。
完璧過ぎる人生に、翳りは見えず、常に完全無敵で彼女はいつも最高にクールで、サイコーだった。
スカイハイ。彼女の心は永遠にいつまでも空を飛び続け、永遠に最高であり続けるだろう。
それを描写する恥ずかしがり屋の私も同じように、クールで最高であるはずなのだが。
彼女が闇に目を張った瞬間、私が光を拒否した瞬間。
恥じらいには二つの性質がある。
お互いに認識していない心の闇がある。
書くということは実はそれを知っていたということ。
読むことによってわかるということは、それを本当は知っていたということ。
表に出したか裏に隠したか?
恥じらいには、どちらを選ぶのが正解だと思ったかという違いだけがあるのです。
責任の回避と責任の放棄。
引き受ける時ができるときだけ、恥じらうことをしない人。
無責任を通して、成功し続ける人。それは巨大な資本を生むことがある。
どちらが正解だったかは、本当はわからない。
この度も評をいただきありがとうございます、
共感していただき嬉しいです。
自分的には終連は必要だろうと思っていたので、それが受け皿となっていることを言っていただけてよかったです。
佳作飛翔一歩前。
励ましのお言葉ありがとうございます。
精進いたします。
茹でたシャコをせっせと食べる
親子四人で食卓を囲み
笊いっぱい盛り上げて食べる
さっきまでゴソゴソ動いていた
活きの良いやつだ
好き嫌いの激しい僕が
シャコなんか大嫌い 卵焼きがいい
と喚いたばかりに
食べるまでシャコしか出さん!
と宣言され シャコ三昧の日々
シャコに目がない母は
毎朝うきうきして魚市場へ通ってる
そんなこと言われたって
嫌いなものは嫌い
第一 あの形が駄目
団子虫みたいだもの 気味が悪い
それに小さいやつは釣りの餌だよ
何が悲しくて
人が食べなきゃいけないのさ
嫌だけど母が恐い顔して見てるから
チュチュっと吸って
ポイと捨てる
また食べたふりして捨てる
まだ身のついた大ぶりなシャコの残骸が
山のようになっている
このエビカニさん美味しいね
母に子持ちシャコの身を剥いてもらって
ほお張る小さな妹は
すっかりご満悦
パクパク食べている
よく食べるなあとばかりに
あきれて
手を止めて見ていると
とうとう
親父の頭が桜島のごとく大噴火した
我儘は許さん
灸(やいと)すえちゃる!
散々逃げ廻ったが
抑えつけられてお尻にお灸をすえられた
お尻が桜島になった
まあ 熱いこと痛いこと
酷い災難
鬼のような親父だ
(幾歳月かが経った後)
見せたことも
触らせたことも
食べさせたこともないのに
いま東京にいる
僕の息子はシャコが大好きだ
シャコの身体能力について語り始めると
薀蓄傾け 止まらなくなる
さかなクンばりの研究家
きっとおばあちゃんのシャコ好きが
乗り移ったんだ
天界でおばあちゃんは
美味しい
子持ちシャコに舌鼓をうちながら
孫の薀蓄に聞き入っているに違いない
ちなみに僕はいまでも苦手
あの姿
ああ おぞましい
不穏な空よ
腹落ちできない毎日よ
慢性的な疲労を抱え
あちらこちらが揺れている
噛み合わない体温と
すれ違う言葉達
みんなうつむいたまま
つながろうとして
ぶつかってはいらついて
打ち寄せる心の波よ
こんな空の下で
涙流せるわけないじゃない
怒れるわけないじゃない
ぶつかり合う肉体が
魂を拒み始めた
周りはもっと大変だから
休めるわけないじゃない
目を閉じて口を閉ざしてしまう私も
被災者なのかもしれません
閉じていく空に私は何を言ったらよいのか
瞼みたいな雲が垂れ下がり
ついつい微睡んでしまえば
ここで誰かを待ってた気もするし
もう待たなくていい気もする
そうしてお終いにしてしまいたいけれど
どちらを向いても同じ色の風
これ以上歩きたくなかった
次第に閉じていく
ガラガラピシャリと
音も立てずに降りて来る
まぼろしとか夢とか
綺麗
やっぱり
綺麗だ
しょうがない
全部私の色だから
勿体ないから食べてしまおう
誰かが教えてくれた空と
私の知っている空はそっくりなのに
綺麗な容れものに綺麗じゃない心
公平にひとつずつ
でもそれが本当に欲しかったものなのか
今ではうんと怪しい
だから明日よ
あなたは迷いながら来て欲しい
私は此処だよと呼びかけたなら
その時はじめて一歩を踏み出して欲しい
まだ息のある今日の邪魔をどうかしないで
私を信じて待っててくれて欲しい
そして
力なく瞼が閉じられて
終わりのない物語は私の力では
終わらせられないのだと気付いた時に
深々と丁寧に
頭を下げる
本日は閉店いたしました
またのご来店をお待ちしております
かわいそうに春が来た
君のいない春が来た
今年開いた花達は
君を探しているけれど
君はどこにも見つからない
君が見つけてくれたから
きれいねぇ
と言ってくれたから
寒い冬にもじっと耐え
春が来るのを待ったのに
やっと開いたその先に
君の姿が見つからない
だからせめて花達よ
散りゆく時は君のもと
春など来るなと
泣く人の
想いをのせて舞い落ちろ
そしてせめて花達よ
何度も過ぎゆく春のたび
散りゆき君に会いに行け
*****************
※題名の嘆春歌(たんしゅんか)は造語です。
詩の感想をありがとうございます。
新年から、心がざわつく出来事に、想いを馳せたいと思い詩にしました。
次回は、自身の経験談を交えて投稿させていただきます。
はい私は野良猫でした
定職はありませんでした
屋根があるところなら
大体のところで寝ました
ご飯は気が向いたように
調達しました
少し愛嬌があるので
寂しそうな人を見つけては
少し近寄ってあげました
喜ばれました
なるべくか細い声で鳴きました
優しい誰かが撫でてくれました
こんな毎日でよかったんです
結構気に入っていたんです
目覚めた時の一人ぼっちの寂しさを除いては
だれかと一緒にいるのは本当に怖かった
次に会うときに嫌いって言われないか
急にいなくならないか
私に飽きないか
だから孤独な野良猫でよかった
どこにでも溶け込む静かな野良猫だった
優しいあなたにだけ見える野良猫だった
そしてあなたにとって都合が悪くなると
そっと消える野良猫だった
そんなことを思い出したのは
そうさっき我が子から
お母さん お母さんは
なんか野良猫感が強いよ
うん お母さん野良猫だ
と宣言されてしまったから
ああどんなに洗っても取れない野良猫感
私お友達からカステラもらって
子供にあげただけなのに
子供は言う
お母さんは外にふらっと出ると
絶対なんかもらって帰る
それ野良猫だからね
そういうことらしい
はい私は新しい野良猫です
定職あります
住所あります
ご飯はクックパッドで計画立てて作ります
PTAの辺りをテリトリーにしてます
お菓子と情報のやり取りが得意です
寂しそうな人をフォローします
大きな声を出します
新しい野良猫はこんな毎日が
すごく気に入っています
でも本当は飼い猫と言われたいです
元旦の青天の千葉神社
私には記憶すらない
亡くなった祖父が
毎年初詣に行っていた
それだけである
赤々とした二階建ての本殿の
眩しさに見惚れながら
龍のような行列を並んでいた
参拝にも御守を買うのも
蟻のように並び続けて
敷地内に無数にある
末社摂社を巡っていたら
時間がかかってしまった
正午頃に来たはずなのに
近くで一軒だけ大晦日から
営業中のラーメン屋に入り
大将から正月の神社周辺の
愚痴をいろいろ聞きながら
濃い目の醤油ラーメンを
啜っては腹を満たし
帰りに角の酒場で
甘酒を立ち飲みする
すると客達の携帯から
けたたたましい虫の音のような
地震警報アラームが一斉に鳴り出して
電線や電柱がゆらゆらと
地面とともに揺れ出した
揺れているの?と
酒場で働く少年も
自分に尋ねた
震源地は能登半島付近と
携帯画面が真っ赤になる
嫌な予感しかなかった
関東大震災から百年
卯年から辰年へ
呪われた年月日と数の呪縛
私は思い出した
あの東日本大震災の
立ち上がれなかったあの揺れを
そして能登半島を襲った
火と水と地の大災害と犠牲を
誰も知る由もなかった