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青島江里様、「かへる」に評をいただきありがとうございました。
このタイトルは悩みまして二転三転して最終的に苦し紛れにこうしたのですが、結果として良かったと思っています。「蛙」なのか「帰る」なのか、はたまたいつの時代の表記なのか、そういうのがわからないように意図的に仕掛けたのですが、日本語の面白さに思わず気付かされました。書いていて楽しかったです。
丁寧に読んでいただきありがとうございます。また次回よろしくお願いいたします。
朝の出かける準備を終えて
時計を見ると7時00分
あれ いつもより5分早い
そんな日がたまにある
いつもどおりに準備したのに
別に急いだわけじゃないのに
なぜか時間に余裕がある日
なぜだろう
5時に起きてから2時間くらい
ちょうどマラソンと同じくらい
それを5分も縮めたら世界記録だ
なぜできたんだろう
そんな偉業を軽々と
もしかして時間のスピードは
必ずしも一定ではないのでは
早い日 遅い日があるのでは
時計に直撃インタビュー
ねえ 君ってさ
実は一定じゃないでしょ?
楽しいとき つらいとき
毎日微妙に変わるでしょ?
もちろん時計は知らん顔
17 18 19 20
神妙に秒を進める
怪しい
逆に怪しい
先生が見てるときだけ
まじめを装う小学生みたい
目を離したらきっとサボりだすだろう
もうやってられないよ なあんて言って
見てみたいな その素顔
とかなんとか言ってたら
いつのまにか7時05分
しまった 時計の逆襲だ
あわてて家を飛び出した
三浦様へ
この度は「話し合い」をお読みいただきありがとうございます。
題名については「サミット」にしようと考えていましたが、書き終えて見てみると、「話し合い」の方がしっくりくるなぁと思った次第です。
また、あえて広島のことや大統領についてを書かずに表現しようと決めてましたが、見返してみると、何について書いているのか伝わってこないなぁと思ったので、次回からは一つ一つの描写を大事に書いていこうと感じました。
ロマンも確かに重要ですね(笑)以後気を付けていきます。
佳作一歩前の評価も感謝です。次回も宜しくお願い致しますm(_ _)m
詩の評価をありがとうございます。
言葉を伝える事の大変さを痛感しています。
詩を書く上で、方向性を色々と試行錯誤した事があったので、これからは、ありのままの表現をしていきたいと思いました。
私の作品の持ち味が分かってきたように感じます。
三浦様、詩の評をありがとうございました。
今回僕の方でミスがありまして、「アウラ」という語をある書物で見つけました。そこで、一度調べました。僕のブラウザは検索すると、検索結果と同時にAIも答えてくれるようになってまして、AIの答えは「光り輝くもの」というような答えでした。AIの答えだけ見て検索結果を見ていなかったのです。改めて調べてみると「アウラ」は美術・批評・哲学の用語ということが分かりました。「オーラ」とすると、シャーマンが出てくることから、安易なスピリチュアルと思われそうだったので、書物で見つけた「アウラ」としました。佳作の評をありがとうございました。以後、気をつけるようにいたします。
三浦志郎様
『母であること』に評をいただきありがとうございます。
前回いただいたアドバイスから、初めて友人たちに読んで感想を教えてもらい、そこから自分がどうしたいのかを考えて今回の詩を書いたので冒頭上席佳作と評価してくださってとても嬉しいです。友人たちにもおかげさまでまた詩を書くことができたよとお礼を言いました。
もっと自分といろいろなことやものを見つめなおして勉強していきたいと思います。
ありがとうございました。
「ふるさと」に評をいただきましてありがとうございました。
7連が好きと言っていただけたのがうれしかったです。
実は、7連が一番難しかったので。
全体が水彩画みたいな雰囲気なので、あんまりこてこてにならないように、
でも、ちゃんと「空」感が伝わるように、というさじ加減が。
いつも本当にありがとうございます。また投稿させていただきます。
青島様 おはようございます。ご指摘ありがとうございます。いつもの癖を思い出しました。本当に伝えたい事がある時、私は恥ずかしさが募って。何を表したいのか分からない書き方になることがあります。そして実は何を隠したいのか私自身も分からなくなってたりしていて。本当は伝えたいのに。この複雑な感情を伝えたいのに。
場面かな?まとめ直すとしたら。と、この過去1番気になっている気持ちを整理し直したいです。
青島様に読んでいただいてよかったです。今回の評は実は1番嬉しかったりしています。
◎5月16日(火)~ 5月18日(木) ご投稿分の評と感想です。
☆海へのデート 喜太郎さん
海でのデートの一場面を綴ってくれたのですね。砂地に文字を書くことは、ドラマでもよくみかけますね。どこかロマンチックな雰囲気が漂っていますよね。だから、詩の中の彼氏が彼女のくさかんむりの文字を書く様子を見て、夢という文字を書いているのかな?と想像する様子、たしかに、たしかに頷けました。それに、夢という文字ではなくて、葛根湯って書くのは想像がつかず、笑わされるっていうところも。
このようなデート中のなにげない様子を通じて、日頃の彼女の感謝を文字に込めていく。誰に何を言われようと、詩を書く人間にとっては、とてもしあわせな瞬間であると思うし、特権であるようにも思えるのです。そして、この瞬間を自分なりの表現で記憶にして刻むこと。何年かのちに振り返るとき、ふたたび、自身の胸の中で、その当時の様子を動かせることもできますよね。これからも詩にしたいという気持ちを大切になさってくださいね。とてもよいことだと思いました。そんな気持ちにさせてくれる作品でした。
☆かへる 妻咲邦香さん
タイトルから目をみはりました。「帰る」でもなく「蛙」でもなく「変える」でもなく、「かへる」なのです。このニュートラルなタイトル。さっきあげたそれぞれの言葉、どれにあてはめても、詩の中で思い当たる節に接することができますね。「かえる」はあっても、「かへる」は、なかなか浮かびませんね。「かおり」を「かほり」とするような感覚にも似て、ノスタルジックなものを感じさせてくれそうな気もしました。
立て込んだり、詰め込んだりする部分は見当たらず、とてもすっきりとした感じになっていますね。「わたしのこころに雨がふる」ではなく、「だいじなところに」としているところは考えさせられますね。
六連目の「ひとりぼっちで」ですが、もしも「こんどこそ」にかかるのでしたら、「今度こそひとりぼっちでしてみせる」という意味合いになってしまいそうなので、もしもそうでしたら「ひとりぼっちでも」とする方が自然だと思いました。
あめ
雨
かへるがないたら
わたしもなくから
あめよふれ
この部分が、今回の作品の中で一番心に残りました。
注目は「かへる」という言葉でしょう。いろんな文字に変換できることで、読み手のそれぞれの胸の内に訴えかけてくるものを生み出していくように思えました。読み手全員に思い起こさせるものとしては、梅雨時の蛙の鳴く場面でしょう。その場面を浮かべつつ、更に個人個人のかなしみやさびしさを重ねながら読んでいけるということで、詩の味わい方にふかみを呼び起こすような気がしました。
季節感もあり。数々の心情を思い浮かばせてくれる隠し技もあり。いろんな意味で味わいのある作品に仕上げていらっしゃると思いました。佳作を。
☆天道虫 埼玉のさっちゃんさん
気持ちのよい風景が目の前に広がりました。
目がチカチカするほど
眩しい陽の光が
背中の七つの星を照らしている
この部分、タイトルの天道虫を伏せても、テントウムシだということが、すぐにわかりますね。陽光が背中の星を照らす。しかも七つも!大きな眩しさと小さな生き物の命の大きさが象徴されているようで印象的ですね。
これまで、何作か埼玉のさっちゃんさんの作品を拝見させていただく機会がありましたが、私の中での詩の印象は、純粋な思いに満ち溢れている作品というところです。今回の作品にも同じようなことを感じました。そうだからか、そうでないのか定かではありませんが。今回の作品中の「なんて/ロマンチックな事を語ってしまった」の部分については、作品の中に浮いたものを感じてしまいました。私は、この部分は必要ないかと思いました。せっかくの純粋な思いがへしゃげてしまいそうな気がして。
四つ葉のクローバーと天道虫のコンビネーションについては、ロマンチックが語られる場合もありますが、いいなと思ったことを詩にする時くらい、自由に思いを馳せてみてもいいのではと思いましたヨ。変に照れ隠ししなくても大丈夫かと。それに余談ですが、四つ葉のクローバーって、人通りの多いところでたくさん踏まれて茎の先端などの成長の速い部分が傷つけられることが原因でできたりしますから、ロマンチックとは真逆だったりシマス(笑)苦難を乗り越えて生きているってとこが幸せのしるしかなって思ったりしています。
思ったことをまっすぐに書いて、人に伝えるってなかなか勇気のいることだと思います。こんなこと書いて子供っぽいって思われたりしないかなとか。或いは、生真面目なことを書いて、そんなこと当たり前じゃんって変に突っ込まれたりしないかとか。純粋な気持ちって、本当に単純なようで、そのまま伝えることは、かなり難しくて、時には恥ずかしくもあり。もしかすると、辞書を探さないといけないような言葉や、わかりにくいようなかっこいい比喩の鎧で固めてしまったりする人の方が多いかもしれませんね。昨今は、カラオケさえも点数化されるような競争中心の社会なので、自己表現をコンテストうけするような作品に表現を傾けることも多くなっているようにも思えてきます。なので、堂々と自分の表現でもって、純粋な気持ちを伝え続ける方をみると、それこそ、四つ葉のクローバーを見つけた気持ちになれます。
幸せなアイテムを手にすると
ポジティブな考えが浮かんでくるから不思議だ
この不思議、なぜだかわかりますか?私は拝読している中でふと思いました。
「うん。それは、人には心があるからだと思う。信じてみるっていう心が。」だと。
当たり前の事などどこにもないのだから
・・・・・・本当にその通りですね。これからも埼玉のさっちゃんさんの詩の持ち味を大切にはぐくまれてくださいね。今回は、ふんわりあまめの佳作で。
☆記憶 紫陽花さん
私を通して見つめる二人分の心情。複雑なものを感じました。
そんなに長すぎることもなく、短すぎることもなく。ほどよい長さで読みやすいはずなのに、今回は読み進めていくのに時間がかかってしまいました。
一つ目は、代名詞関連。登場する代名詞は「私」「あなた」「彼女」の三つ。これで、普通は三人が登場するとわかるのですが、読み物によっては、「あなた」と表現していたものを途中から性別を表すために「彼女」と移行していくものもあり、今回、読み手としての私は、そのようなものと勘違いして途中まで読み進めてしまいました。「あなた」をはっきりと差別化できる名詞に変えたりするとよいかもしれないと思いました。
二つ目は、一度頭の中で様子を整理してからでないと、詩を味わえないと感じたところ。そちらにばかり目がいってしまって、いつもよりもじっくり詩を味わえなかったところ。ただ単純に、読み手の私の力不足なのですが。
① 私が見ている、泣いているあなた。②泣いているあなたに想像されている彼女
② 日向のような笑顔をあなたに向ける彼女④私を睨む彼女⑤彼女のために泣くあなた
⑥彼女のために泣いてあなたを見るのが嬉しい私⑦あなたを好きな私⑧彼女を好きかもしれない私⑨私のことを彼女に愛してほしかったかもしれない私
これをザッと書き出すだけでも、結構ややこしくなってしまうのですよね。あくまでも、読み手の私の中で、ですが。
う~ん、どうなんでしょうね。○○が○○を愛してナントカという表現が続くので、私の胸の内から発するものだけに限定せず、三人一緒の場面での出来事に場所を変えたり、もう少しわかりやすい設定にする方法を考えてみるのもよいかなと感じました。
最終連があってよかったです。薔薇の花の意味深さは伝わってきましたし、登場するのは三人だということもはっきりわかしましたし。この連のような表現を活かしながら、また、連にもそのような技法をとりいれながら、できるだけ簡単な方向で三人の様子を書き進めていただいたら、三人の中にある複雑なものや大事な記憶を、より詳しく表現できると思いました。今回は佳作二歩手前で。
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投稿者のみなさま、いつも力作を拝読させていただきありがとうございます。
私の評のお当番の日は、毎回、お手紙を届けるような気持ちで書かせていただいています。
「こうした方がいいかもしれないですね」ということに関しましては、あくまで私ならこうするかもということなので、今のままが好きと思ったら、そのままでOKだと思っています。読み手に、作品を味わう自由があるように、作品を生んだご本人には、その作品を育てる自由があると思います。私の評については、反省やごめんなさいは必要ないです。詩を書くことは孤独な作業が多く、他の誰かに感想をもらう機会の少ない人も多いと思います。私は、ただただ、誰かに読んでもらいたいなって思う方のお手伝いができたら嬉しいと思っています。
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。明日がいい日でありますように。