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三浦様の詩は、いつも大変楽しみに拝読させていただいております。
4/7の「文学の糸」…殊に感銘を受けまして、ご迷惑になりはしまいかと不安になりつつも、お礼の筆をとらずにはいられませんでした。
私も、文学館閉館のニュースを耳にし、三月末に、しばしのお別れの挨拶に行ってきたばかりだったのです。
雨ではなく、日本中が野球の快進撃に沸く薄曇りの日でしたが…、私の心情は三浦様の詩と全く同じ。
代弁していただいているようで、深く胸に刺さりました。
土地ゆかりの文学者の展示の中、小さな部屋でひっそりと開かれていた追悼展…
歴史学界の新しい研究にも常に目を配られ、多面体としての歴史の姿を、正に「時空を越えて」「手書きで」届けてくださった作家さんでした。
詳しい生い立ちを初めて知り、偉業に改めて感動し、久しぶりに著作を読んでみようと考えていた矢先の「文学の糸」との出会いでした。
三浦様が紡ぎだしてくださった「文学の糸」…畏れながら、私にもつないでいただけた事、大変嬉しく感じております。
目の前に『炎環』があります。
文学館が長いお休みから目覚めるのを待ちながら、稀有な歴史作家が遺してくれた文学の糸と、三浦様からいただいた「文学の糸」で、刺繡をしたり、編み物をしたり…楽しんでまいりたいと存じます。
素敵な詩をありがとうございました。
島様へ。
この度は「嘘の日」をお読みいただきありがとうございます。
この詩は「嘘を楽しむ様子」を表そうと思い、書いた詩です。
ただ、嘘について深く書けておらず、貧相な詩になってしまいました。
もっと内容や題名を重視して、細かく書いていきます。
アドバイスも感謝です。次回も宜しくお願い致します。
雨の打つ 草木の声に誘(いざな)われ
この世の裏へと我至る
裏か表か雨の向こう 雲を貫く真(まこと)あり
澱んだ鏡の内に入(い)る
水紋幽かな音を打つ
思うに、私の場合、
禰豆子を背負うと、一歩も動けずやられると思う・・・(体力の低下を実感中)
いつもお待たせして、すみません。
●朝霧綾めさん「闘志を燃やす春」
うーーむ、文体がキレイになってきた。前5連で違いがわかる。
朝霧さんて、読書量が豊富なんじゃないかな。そういうのが素地になって、自然と出てくるものです。長い詩を書いて崩れないのも、そのあたりに由縁があるのかもしれないね。
内容も、気取らず、驕らず、このやる気は限られた期間だと自分でわかっている。でもその想いに今は素直に従う。それでいい。それがいい。自らのやる気でやってる時が、一番楽しいです。
そこで素直になれる自分て、結構ステキなんですよ。へんに「古い大人」になってくると、そういう大事な時にも素直になれなかったりするんで。
それから、この詩、さりげに桜が出てきますが、桜の木のそばにいる場面て、実は1回もないんです。全ての場面が、季節としての桜であり、心の中にある桜との対話。そのあたりがこの詩をステキにしてる、もう一つの要因でしょうね。
ラストの3連も良いね。正直、1連ずつはちょい弱めなんですが、「闘志」で2回書いたのは、まさに正解です。これで引き締まりました。
6連だけちょっとバタバタしてますけど、ここにリアルがあるから、ほかの連が生きてるってことがあるので、私はここはこれでいいと思うんです。
ですので、私からの修正希望はナシです。
うむ、名作を。そして代表作入りを。
若者のこの季節の気持ち、新入学でないところの新学期の気持ち、かくあって欲しい。
●江里川 丘砥さん「桜になる」
金木犀も、咲いてはじめて、あ、金木犀だったんだと、あの匂いで気がつくことがありますね。この詩はそれの桜ヴァージョンて感じで、咲いて始めて、あ、桜だったんだとわかった大木があったんですね。
2連で、十ヵ月間気づかずという強調があるので、それで初連側に「夏」から通り始めた(夏から数え始めて十ヶ月)、という旨の言葉があるわけですね。
桜には、人それぞれの思い出があるでしょうけど、桜とわかった時から、作者にも重なり合う想いがある。それが5連ですね。
6連の、
ほんのひととき
世界を手中におさめるように
見事に咲いては
の桜表現は、まさに!ですね。この表現良かったです。
で、この詩が特にいいとこは、8連~9連(終連)です。
何年も前からある桜は、今年から私にとっても「桜」になり、来年もまた誰かの「桜」になる。この思考のステキさですね。
私はここに、さりげなく、漫然とした人の移り変わりというより、雇用の移り変わりを感じる。作者は、来年ここにまた新たに雇用された人が通るのを知っている。単にそこがオフィス街だからっていうだけではない、なにかがあるような。なにかの確信を持っているような気がして読みました。
まあ、それはちょっと深読みかもしれないんですけど、終盤になって、この詩に社会性が生じたのは間違いがないです。ここでこの詩は一段アップしました。
ということで、秀作プラスを。
3点ありまして、
まず5連、あっさりと行ったけど、もしもうちょっと書けるなら、書いたほうがいいです。(書けるなら、です)
あとの2点は複合で、1点は、冒頭言ったように十ヶ月強調のために、「夏」をくっきりした方がいいのと、もう1点は、「球場の網」の意がわかりにくいことです。
で、両方を加味した私の案が下記です。まず初連を
大きな木がある
夏に通い始めた
毎朝歩く道に
球場の外側
防球ネットを突き抜け
葉を茂らせる
大きな木がある
こうします。で、ここに記した「防球ネット」の意を受ける形で、
7連3行目の「球場の網」も → 「球場のネット」としておいて下さい。
それで解決するかな、と思います。
●大杉 司さん「嘘の日」
うーーん、おもしろい考えもあるし、縦横無尽に思考を展開しているところもいいんだけど、「また来年」のとこみたいに、漫然と2回くりかえしてるように見えるところもあるし。つまるところ、嘘について、もっと丹念にいろいろ思って、考えて、内容量を増やして、詩にした方が良かった感じがしました。
内容量が少なめなのに、長く伸ばしたので、全体うすーく伸びた感じの詩になった気がしました。
たとえば、
新しい商品?
新しいアニメ?
のところも、これで終わらず、もっといろいろ多面的に展開しても良かったと思う。(たとえば、新しい彼女、新しい車、とか、大富豪になったとか)、
で、さんざん吹いておいてから、
夜になっても
嘘は出て来る
朝になれば
嘘は消えていく
を終連して、終わったらいいと思う。来年の話なんかしなくても、この連がこの詩で一番ステキな連なので、この連をシメの連にして構成する手もアリに思いました。
うむ、中身を豊富に書く、という心がけでまた書いてみて下さい。
●雪柳(S. Matsumoto)さん「見送る夏」
ぎっしりと詰めてきましたねー
子供の頃の夏の想い出を軸として、その後に歩んだ人生観や今の自分のこと、亡くなった父母への謝意、夏というものへのイマジネーションなど、連ごとに盛りだくさんの中身です。
特に終連は気合いが入っていて、とてもキレイです。この終連、バツグンにいいですね。
正直、終連以外は、そう美文でもないんですが、これだけびっしり中身を書き込んでこられたら、有無を言わさず状態ですね。味わうというよりも、考えさせられること一杯で、そっちの充実があります。それが雪柳さん流のやり方なんだと思う。それはそれでOKですね。
雪柳さんて、普段、ペーパーの詩誌で活動されてる人なんじゃないですか? このぎっしり感を見て、そう思いました。3ページ51行までとか、見開き2ページ、2段55行までの誌面には、この詩、ピッタリのものですからね。
うむ、良いと思う。名作を。
幼き日の夏の想い出を巡る、思考の集大成という感じです。
1点だけあります。
べつに美文に至らなくてもいいんですけど、でも邪魔する文にだけはなってはいけない。
初連、出だしの2行で、早速つまづかせるのは、非常に良くないですね。最初の2行は、読むのを邪魔してます。
あのーー、本当の読者ってもっと冷たいですから、出だしで蹴躓いたら、もうその先、読んでくれないですよ。出だしのスムーズさって、とても大事です。
考え方ですが、終連において「夏」は擬人化のイマジネーションになりますが、それは終連をきっちり書いてるからで、そこに至るまでは夏のイマジネーション化はできていません。したがい初連にそれを持ち込んではいけない。初連の段階では、ふつうに一般的な扱いとしての「夏」で書き始めないといけない。読む側にしてみれば、出だし段階では白紙なんですから。
20行くらいの短め詩だと、全部読み終えてから、もう一度最初に戻って考えてくれる(読み直してくれる)ってのがあるんですけど、このサイズになると、それはないです。故意に最初に謎かけを仕掛ける場合を除いて、このサイズは前から読んでおしまいになる、と思っておいた方がいいです。そこが短め詩とは構造が違う点なんです。
私の案としては、3行目に気合いの入った行が来るので、気合いはそこに任せて、1~2行目はスルッといったほうがいいです。すると初連は、
子供の頃
ふるさとにあった夏は
百日草や向日葵や ダリアの花が咲き競う
まばゆい空の下
日ごと 海で波と戯れ
野や山を駆けめぐる
言い尽くせない楽しさを
思う存分 掴み取らせてくれた
それはきっと
憂いのない 気ままな幼い時期だけに
約束されていた 至福
こんな感じ。この方がキレイでしょ?
センテンスとしてキレイであればいいので、すべての行を凝る必要はないのです。緩急も必要です。
出だしだけ一考して下さい。
●まんまるの森さん「ゲーム~モノクロのフクロウ~」
テトリスで夜を明かしてることをして、「モノクロのフクロウ」と自称してるんでしょうね。ちょっと失礼言うかもしれないけど、この詩の中で一番の表現の冴えは、これなので。タイトルに置かないで、詩中にこれを取り込んで詩にするといいですね。
まさに「モノクロのフクロウ」コンセプトで、時には自身がフクロウにもなりながら、この詩を描き直すといいと思います。
まあーー、なまじウマイんで、ゲーム終わんないよって話ですね。で、惰性でやってる感もあって、記録更新してもさほどの達成感もない(でも少しはあるから続けてるはず)。なんかただ抜け出せないループに入ってるって感じの話なのかなと思って拝読しました。
コンビニのとこ、おもしろかったです。
3連の、叙景シーンはちゃんと書いた方がいいですよ。
月明りで
半分になった麦茶が
キラリ
くしゃくしゃの髪と
自身の影だけが
長くのびる
こんな感じに、言葉を大切に。
まんまるの森さんは、私は初めてみたいなので、感想のみになります。
エッセンスはいいものお持ちなので、丹念に描く、ということをされたらいいと思います。
また書いて下さい。
●エイジさん「かくれんぼ」
雪柳を挟んで、桜の種類2種で描いたのはおもしろいですね。
色のコントラスト的にも、この順番はおもしろいです、
もういいかい
もういいよ
の言葉で全体の構成を取っており、3種の花が展開されます。
そしてこの言葉が意味するところはラスト3連で語られます。と同時に、ここまでわりとライトに来てますので(それはそれで良いですよ)、余計におしまいのシメは重要となるところです。
後ろから3連目の方は、これが悠久の時の流れのかくれんぼであることが語られ、壮大でいいですね。この連はグッドです。
後ろから2連目なんですが、これがちと問題ありですね。
「晩春に逃げて」と書かれているんですが、この言葉がかなり謎で、桜が終わりかけである中を、残りの花を探して歩いている、みたいな意味合いで、書かれてるんですかね?
この詩の実際の制作時期的には終わりかけの時期あったかもしれないんですけど、この詩自体は、この連に至るまで、桜が終わりかけである、みたいな様子は全くカケラもないんですよ。むしろソメイヨシノよりやや早咲きの寒緋桜が出てきてることで、桜の咲き始め~満開至るまでの間の印象で、この詩、ここまで読みました。
なので、「晩春に逃げて」がものすごく唐突で、この後ろから2連目だけが、時期を違えた話をしてる感じがしてしまうんですよ。
私の案としては、これ逆の方がいいと思いますね。
冬のあいだ
枝の中に 茎の中に
隠れていた花々を
僕は花盗人となって
次々に捕まえていく
この方がいいと思います。後ろに逃げる話でなく、その前の話をした方がいい。
ここだけ要検討です。秀作プラスを。
●秋さやかさん「冬未明」
うん、いいね。
今回は特に人工物が、たくさん登場するのだけど、浮いてしまうことなく風景になじんで見えるのは秋さんのワザですね。「人間のいとなみ」とも言うべき視点の中で、自然のものも、人工物も、なじんで見える。違和感がない。どちらも風景として消化&昇華できるものを、技量としても、作者の内面としても、持ち合わせているということでしょう。すばらしいね。
順に行くと、
2連の沈澱した夜に「紫」の色を与えたところから3連の落ちてしまいそうな感じ。
どんな時間帯でも何故だか走り去る車があるエンジン音、深夜でも変わり続ける信号機、この時間に歩いてるのは自分一人だという静寂感がわかる
9連の、影に重なる影。
10連の、「言葉が眠る」という言葉と「星の瞬き」の対応の美しさ。
11連、「名も知らない星と星とを/結びつけたくなる」というフレーズと想いの美しさ。
そこからの想いを12連の「木々のざわめき」に着地させるところ。
14連、冷え切った「ドアノブ」
17連、銀色のフェンスに降り立つ鳥
が、特に心に留まった表現で、美しい表現がキリないくらいにあります。さすがやね。
「冬未明」という、夜明けが遅い季節。まだ真っ暗で、うんと冷え切った早朝を描いてくれています。まあ、通勤にはサイアクの季節なんですけどね。秋さんが描くと、こんな季節の朝も美しい。
うむ、名作を。今回は特に働く生活感があって、人工物が多くあって、にもかかわらず美しい。こういう叙景も現代的でいいですね。親近感、生活感がありながら美しい。
代表作入りです。
一点だけ気になったのが、7連で、まあ、フツウ見かけない車がだだっ広いとこ止まってたら、昨夜から止めっぱなしの車かな?と思うとこなんですが、お仲間の車だとわかっているのか、早い出勤を想像している。そこが違和感。
「知ってる車だ」的なアプローチなしに、この想像に入ってるとこですね。
「知らない車」にしてしまうか、何かを添えて「知ってる車」扱いにするか、どっちかにした方がいいと思う。そこだけです。
●奈々さん「二人称」
おや、ステキな詩ですね。それに上手です。
内面の話をする時、書く事柄も、内へ内へと行きがちなんですけど、ちゃんとその人のクセや顔の特徴(気になるところ)や背格好など、外観から入ってくれていて、その人の人物像みたいなのを読みながらまず頭の中で特定することができます。
それから、端的に心の奥深くを述べています。きっと問うてから、ずいぶんと考えて、時間が経ってから答えた「生きたい」の返事だったのでしょう。
それだから、
幾重にも積み重ねられた
生きたい
の答えだったにちがいないと、作者も気づいています。
ステキな詩ですね。
詩に大事なことは「人間」を描くことで、この詩は短いけれど、ちゃんとそれができている。絶賛!!
あ、奈々さんて、私初めてなんですね。初めての人は感想のみになるんですが、
ざくっと、この詩は二重丸ということで。
見たことのない気持ちなら
いつか見つけることが出来る
見たことのある気持ちなら
一緒に連れて行ける
新しい営みを始める彼らは
人の姿をしていない
かつては例外なく人だったのに
今は翼が生えている
今は毛皮に覆われている
無数の鱗に包まれて
暗い穴の中、息を潜めてる
どのように愛を伝え合うのか
少ない言葉で
乏しい表情で
美しいものなら知っている
私たちよりも遥かに多く
教えて欲しい
若葉の囁き
嘴の祈り
鋭い牙の告白
触覚の呻き声
口にする度、目減りしていく意味の
頼り無さを嘲笑うかのように
雲が交差する
出会い頭に重なって
さらに高い場所を目指す
見ているしか出来ない私は
まだ巣の作り方も知らない
思い出せることでさえ
今にも捨てようとしている
似たような気持ち
お前は許してあげよう
許されなかった悲しさなら
知ってるつもり
これでも
みんな過去を持っている
古い過去を持っている
たとえばそれは泣きながら
川原の道を帰った夕暮れ
あるいはそれは傘もささず
雨の鋪道にくずおれた夜
思い出せば
今も涙がにじみだす
字のごとく過ぎ去ったのが過去ならば
あの過去はまだ過ぎ去ってはいない
今だ
今もいまだに今なんだ
みんな今を持っている
古い今を持っている
今夜も今を思い出す
人間関係に疲れた
のが
原因だろうか
ふと植物園に行きたくなり
休日の昼時に行ってみた
此処に来るのは何年ぶりだろうか
もう20年近くは来ていない気がする
自宅から徒歩で30分以内の距離だが
足が遠のいていた
趣味で野菜の栽培はしているものの
特段植物に精通しているわけでもない
それでも何故か急に行きたくなった
煩わしい人間関係から
ほんの一時でも解放されたかった
のかもしれない
2時間以上は観て回っただろうか
植物の生態系などには無知に等しいが
どこか気持ちが軽くなったような気がする
ヒーリングミュージックを聴いて感じる
癒しの効果にも似たものがあったように思う
僅かな時間ではあったが有意義なひと時であった
また今度そう遠くない日に行ってみよう
※今回の投稿は詩ではないので、評と感想は不要で構いません。
私は小さい頃から看護師になりたかった
でも周囲の猛反対と私の気の弱さから
看護師を目指せなかった
ようやく ようやく?
コロナで事務職を解雇になれた
心の中はほんのり嬉しかった
職業安定所に行った
介護なんていいんじゃありませんか?
そうね 私
いままでずっと
辛さと生きてきたように
感じるから
誰かの辛さと一緒にいるのも
いいかもしれない
看護師ではないけれど
誰かの辛いを見守って
見送ろうと決めた
私学校に行くことにした
夜だけだけど
変わっていくこと
川が訳もなくその岸を削ってゆき
岸もそれを受け入れて
川幅が広がっていくこと
変わっていくこと
人気のないの公園に手持ち無沙汰に座り込む
スーツが姿を消したこと
変わっていくこと
哀しみが鳴り止まない暮らしの中に
許されない抜け道を見つけた夜のこと
変わっていくこと
風の前に佇んだ心と川面が
同じように流れてとめどないこと
ふとその川面に桜のひとひらが降りてくること
変わっていくこと
変わっていくということ
春の夜 僕は変わっていくことに思いを馳せる
春の夜 耳をすませば冬の間固く閉じた全てが
少しずつ変わっていく音がする
変わっていくそれは考えるということ
今という場所から歩き出すために迸る血潮の行進のこと
人と人とが向かうべき幸せの為時にぶつかるということ
その衝突は美しく悲しい汗が光っていたこと
僕は忘れはしないだろう
後生忘れはしないだろう
この先何が変わっても
僕は忘れはしないだろう
冷たい風が吹きつけていた1973年2月
214番教室の前で僕は君を見たと思う
僕はいつものとおりタバコをくわえていた
長く伸ばした髪の毛が風にさわいで
なかなかつかないマッチを何本も擦った
僕のかっこうがおかしかったのか
君は笑っていたと思う
今思えば
あれは君ではなかったか
あの優しい微笑みは君ではなかったか
何でもない一つの情景を
覚えている僕は
愛したのではないか
異常に暑かった1973年9月
一時間も遅れてしまった授業に急ぐ僕が
201番教室の前で見つけたのは君ではなかったか
寂しそうにゆっくりと歩きながら
手にもっていたアジビラを丸めて屑籠に捨てた
あれは
君ではなかったか
コトコトと
人生なんて
そう聞こえそうな靴音をたてながら
214番教室へ向かっていたのは
君ではなかったか
幸せな日々が続いていた
1973年11月
生協の書籍部で僕が見つけたのは
君ではなかったか
あの日がもう一度来るなら
僕はあんな馬鹿なまねはしません
もうあんな馬鹿な僕じゃありません
そして今
また2月ですね
もうすぐ試験ですね
3月4日5日6日
あの214番教室の前で
僕は君を見つけられるでしょうか
あと2年ですね卒業まで