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(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
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1 秋冬さん 「ひらがなで」 11/18
う~ん、正直に書かせて頂くと、僕は漢字のほうが好きなんですが、ピンポイントで変化をつけたい時使いますが、それほど頻度は高くないように思います。しかしこれは現実のはなし。ここからはこの詩のはなし。この詩の世界に入り込んで読むと、フィーリングも論旨(というか動機)も充分通っていて納得できるものです。上段に「動機」と書きましたが、まさに「漢字テスト~」から「難しい顔をする」の動機の部分がおもしろく読めました。結果としての「ハードルが下がった」「こころがしずかに」「へいわになる」の提示も当を得ています。この詩では「ひらがなで書く」とはひと言も言ってなく「ひらがなで考える」です。ここがこの詩の由縁たる部分でしょう。考え方として「肩肘ばらずに、静かに、しなやかに、ゆっくりと」そんな提唱があるでしょう。詩の手順としても「状態→原因→結果」と踏まえていて、流れも正調で、わかりやすさを得ていると思います。敷居の高い詩ではないのですが、そうですねえ、あまめかさくで。
アフターアワーズ。
漢字って時に狷介(けんかい)で気難し。時に僕らを困らせる。
ひらがなって、柔らかい表情で僕らにそっと耳打ちしてくれる。
2 山雀詩人さん 「空」 11/19
この詩は佳作です。「*」を境にして、この詩は明らかに分断され、別物に位置付けされますが、
“そうであればあるほど、しっかり繋がって”います。別種のマテリアルにより、ひとつの魅力的なストーリーを醸しているのです。
こんな感じ。
前半→→「テーマあるいはストーリー」←←後半。
前半は、あくまで小鳥自身の可愛い独白。まだ元気ハツラツです。このパートはメジロの飛ぶことへの喜びに溢れています。それだけに全く暗転の後半です。透明なアクリル板とメジロの視力。ズバリ書かなくても、誰しも一目瞭然でしょう。その事態を取り囲む詩行が、光景も交えながら、主人公の心情が痛いほどわかる。メジロの無念も痛いほどわかる。死んだ小鳥は「黄緑色の小さな小鳥」とあるから、前半独白の“あの小鳥”なのでしょう。「痛かったね/びっくりしたね」と語りかけながら葬るこの人の愛惜と優しさがこの詩を美しいものに押し上げます。最後も印象的。涙が出たのでしょう。前半が朗らかであればあるほど、後半の痛みには絶望がある。救いはないのか?
いや、あるのかもしれない。葬り葬られるものの存在でしょうか。タイトルもこれでいいです。
3 晶子さん 「震える~誰かの声が吊るし上げられる時~」 11/19
おそらく、この詩の対象になっているのは、いじめとか虐待を受けている人々で、この詩のご本人はメディアを通して―テレビとかSNS等―接しているのが推測されます。(自分ならどう接してあげられるだろう?)そんな疑問から世の風潮のようなものを考えて行く姿勢が感じ取れます。
初連でやや腑に落ちないのは、冒頭の「友達」と「抱っこします」の相関関係です。前者はどうしても、ある程度歳のいった人間を想像させます。それと後者との繋がりにやや違和感を感じました。
ひと昔前だと「頑張れよ」で済ませていたのですが、今は必ずしも、それだけでは片づけられない正当性と複雑性を、この詩を読んで感じています。まずは相手の立場に立って誠実に話を聞いてあげる。さて、その先は……?正直、僕はわかりません。そのあたりの難しさが、この詩にもあるような気がする。そんな雰囲気が終連に出ている気がしました。そして、この部分は論理が少し掴みにくいと裏腹の関係にある気もするのです。結論めいたものは見当たりませんが、それでいいと思います。結論は急ぐべきではないと思います。 佳作一歩前で。
4 エイジさん 「舌足らずの短文」 11/19
やや結論を急いで書いてしまうと、全5連。2連~終連まで、非常に気高く意味深い事が書かれているのですが、初連のみ、負の方向でやや異質……な気がしました。そう考えると、まずタイトルが少し違うような気がします。それに影響され、初連を改良する必要を感じます。2連以降に合わせる感覚が欲しいと思います。2連以降はどういった心情か?おそらく言葉を扱う者―詩人―への協賛となるべき励ましの詩であるという点です。当然、この中の最初にエイジさんが含まれることでしょう。以下は評を離れるかもしれませんが、体験談を書いてみます。
2、3連に関して。今年の初めに僕はある曲を聴きました。すると脳内にあるものが浮かんで来ました。それは「あるもの」としか言いようがなくて、言葉とは全く別物で、言葉による翻訳は不可能だと強く感じました。結局、僕はその曲を詩にしましたが、脳内にあったその「あるもの」の近似値にかすったかどうか、そんなラインだと感じたのでした。そして終連。これは、ある意味、詩の本質を衝いてるような気がします。「貴方独り」とある通り、詩は“エゴ”と言ってもいいほど極めてパーソナルなもの。いっぽう、「人の心は読めない」とよく言われますが、詩もそれに準ずるもの。極端に言えば読み手が作者自身に変身しないとわからない。でも、それでは困るので、詩は解釈の許容度を広めに準備している。よく「詩は作者を離れると、一人歩きする」と言われますが、作者の意図と読み手の解釈に違いが出て当たり前。出ない方がおかしい。そう考えると作り手と読み手は「近似値」という世界でやりとりしているのかもしれない。そういった不完全性の中でも詩は気高く成立していますが、その不完全性に焦点をあてると、この詩のタイトル「舌足らず」も一面、真実を衝いているように思えてきました。殆ど評になってなくてすみません。微妙な作品に微妙な評でありました。とりあえず、佳作半歩前で。
5 じじいじじいさん 「キラキラテラテラ」 11/19
オ、オノマトペ、そう来ましたか……。しかし、オノマトペ一発で詩全篇をキープするのはなかなか難しい。そのあたりを見てみましょう。初連は概観的ないわゆる“つかみ”ですね。2連で踏み込んだ星のありよう。オノマトペも利いてます。3連は後半がちょっと手持ち無沙汰な印象です。僕のリクエストとしては、後半2行をもう一歩踏み込むか、あるいは「わたしとほしのがっこう」を受けて、具体的描写的にもう1連あってもよかったかな、と……。「ほしとわたし」みたいなニュアンスです。
「キラキラ ちいさいほしさんと 〇〇〇」
「テラテラ おおきいほしさんと〇〇〇」
みたいな感じですかね。 佳作一歩前で。
6 おおたにあかりさん 「土曜日の公園で」 11/19
ペカペカとは、どういった塗り方だったのか、大変興味がありますね。それと、ペンキ塗りたてで、
お子さんが滑って大丈夫なのか?(普通は避けないか?)ちょっと気になるところです。このあたり
推敲力が関わって来そうです。まだ塗って日が経ってない(つまり真新しいの意)のことだと思われますが、混乱を避けた書き方が望ましいですね。「嗚呼」はこの詩のキャラからいって「ああ」がいいでしょう。「この服には、こっちのアクセサリーのほうが……」の感覚ですね。逆に5連の助詞抜きはすごくかっこいいです。過去作と比較すると、今回はちょっと平板だったかな?といった思いがあります。お子さんの事もさることながら、たとえば、自己に思いを致すシーン、エピソード的にもう少し広げて山を作ってもよさそうです。佳作一歩前で。
7 荻座利守さん 「小さな中庭」 11/20
大学病院の、それも法医学教室から、何故ピアノの音がしてきたのか?それら建物とピアノが結びにくいものなので、少し奇異に思いました。事実ならば、その場面や因果関係に大変興味がありますし、、もしフィクションならば、ピアノ自体がこの詩に与える影響は薄いので、何か入れ替えたほうがいいように思いました。そのくすんだ表示板、確かに衝撃的です。今も遺族の苦しみ、悲しみ、無念が沈殿しているような気配があるのでしょう。そこから荻座さんは想念を抱き詩化していきます。場所の性質上、事故や事件に関わる死が多かったでしょう。当然のように、この詩のように「正義」が問われるでしょう。その隣在としての事実も探求されたに違いありません。重いテーマを臆することなく書かれています。そこをまず尊重したい。その考えの裏側で以下の事も考えています。「遺族待合室」のみでも充分書けた。事実、そういう部分が多いのです。しかし「中庭」をタイトルとし、部分において役割を果たさせている、ここに僕は僅かな意外さを持ったのですが、おそらく、この陰惨なテーマを少しでも中和させ、穏やかなものにしたかったのかもしれない。そうすることによって、死者への鎮魂と遺族の慰めとしたのかもしれない。そうなるとピアノの音もそういった心情に参加させたものかもしれない、そんな風に思えるのでした。甘め佳作を。
8 紅桃有栖さん 「恋愛論」 11/20 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。ペンネーム何と読むのでしょうかね。「こうとうありす」さんですかね。
詩の内容はよくわかりません。代わりに散文詩について書いてみます。全く僕個人の勝手な考えですが……。
散文詩が小説と違う点は“予定調和しない(あるいはさせない)”ことだと思います。話の筋、論理、修辞、表現、全てにおいてです。現代の散文詩はこの点が顕著だと思います。何が言いたいかというと、この詩は上記路線に沿って書かれていると思えます。傍証を挙げると……「恋愛→美の看板」「氷のような炎」「水晶のナイフ→火を抱いて眠る少年」「突然出て来る酒のモチーフ」など。ところで散文詩にはふたつのスタイルがありそうです。
〇 小説寄りの散文詩
〇 詩寄りの散文詩(散文詩も詩であるのに“、詩寄り”とは論理矛盾ですが、あくまで便宜上で)
この詩は後者で書かれているのがよくわかります。そして、これは詩人の誰もが書けるものではないことを、この作品、この作者さんに向けて、ひとつの評価としてコメントしておきたいと思います。
ところで、後者の散文詩を、詩人でなく(詩を書かない)一般人が読んで、どういった感想を持つかは、また別問題になりそうです。 また、書いてみてください。
9 白猫の夜さん 「過ちへの備忘録」 11/20 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。ペンネーム、それ自体が詩のタイトルのような―個性的ですね。
まず、中途半端についている(と感じられる)句読点は全て外して構いません。よくひとマス空けると、心理的に不安になるのか、句読点打つ人がいますが、個人的には静観しますが、無用な事と思っています。初連と2連「へどろ」「砂利を食んで砕く」このあたりが比喩的におもしろいです。気持ちのトーンにも合っています。トーンと言えば、この詩はある事への激しい後悔に塗られていますが、「初めて自分を~」以降、注目しておきたい。何かが少しずつ変わろうとしているような……その総括として終連がありそうです。ここは秀逸。タイトルを回収しに来ました。タイトルを迎えに来れたのです。また、書いてみてください。
10 大杉 司さん 「さがす日々」 11/21 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。
無用に飾ることなく、素直に書かれた雰囲気に好感が持てました。玩具や絵本に象徴される子供の頃を探すということは、“大人になってまだ間もない”年代が想起されます。過去とは懐かしく、好んで良かった事、美しかった事を思い出すように出来ているようです。この詩もそんなレールに乗って書かれていることがわかります。(大人になった)現在は進行形であるので、評価が定まらないということはあると思います。そのあたりの屈折が書かれているように思えます。終わり2連目前半あたりが、この詩の落しどころでしょう。終連はこれでいいです。切り返し方がおもしろいです。気分転換にもなるでしょう。また、書いてみてください。
11 朝霧綾めさん 「日曜日のピアノ弾き」 11/21
「ピアニスト」ではなく「ピアノ弾き」としてくれた点、味わいあり。多少自嘲も入ったか?まずは歓迎したいです。ピアノこそ、この上無き楽器の女王。唯一無二。小さなオーケストラ。このような気高い道具と、このように可愛く、お洒落に付き合ってしまうのも、また小粋と言うべきでしょう。弾けないながら、指は置けるようですね。僕なんか、和音さえ置けないですよ。(チューニング時、何処の鍵盤を押すのかも忘れた)このあたりが詩の情景としての肝かもしれないです。訥々となる音が雨音や雨垂れと溶け合う感覚があります。事実、雨のトレモロのようにピアノが聴こえることは多々あります。この詩は音階や擬音も登場させてます。擬音は軽めで可愛い。「ドー」はむしろ、ひょうきんに聴こえて僕はおもしろかったです。軽くメカニカルな点も、臨場感ありアクセントにもなってる。実におもしろいですね。習っている家族がいるそうなんで、軽く教わりながら、しゃれた会話も弾みそう。こんな日でも一日過ごせそう。ピアノと雨の日をカップリングしたのは正解だったと感じています。 甘め佳作を。
評のおわりに。
あるイベントの会場取りを任されたのですが、これが大変難しい。日程、駅近、人員キャパ、格安、時間帯、コロナ対策、装備一式、他者との競争率、他会場との兼ね合い、会場としてのステータス。全て叶うところなど、ありゃしない。まあ、何とか取れて、
よかった、よかった。その後のみんなの評判は? それは措いときましょう。 では、また。
島さま。
「家族写真」に名作を頂きとても嬉しく思います。どうもありがとうございました。おっしゃる通り少し脚色した感があるので、もしかしたらこれは「詩」とは呼べないもので評価には値しない、とご指摘を受けるのではないかとドキドキしておりました。
幸せでない家族写真は他の方々も実は持っていて、それぞれの家族のドラマがあって外からは想像もつかない事もあると思います。今回は親に優しくしてもらえない、捨てられた子供の(私自身の類似した経験から)想いを書いてみました。子供は自分の何が悪いのか、どうしたら良いのかが分からなくて悲しみ、大人になってからの家族との関係にも影響してくる事もありますね。
島さまの「子は全く悪くない」という言葉に癒された気がしました。丁寧に読み解いて下さりありがとうございました。
「団地暮らしの自転車通勤」に評をありがとうございました。
毎日極々細々とやってますが、実は幸せかもしれない自分を
見つけたような気がしています!
「団地の出口」に「で」を追加、わかりました。
ありがとうございます。
文字数から、「この出口で」にすることにします。
また、よろしくお願いいたします。
真冬の太陽のような
石蕗の
小さな黄色い花の足下
秘められた
愁いを顕すかのような
暗い緑の葉の面は
虫も訪れぬ
この季に咲く花の
孤独を映して
その深い光沢は
たとえ日陰に在っても
堪え忍ぶことの尊さを
己の姿を以て
伝えようとしている
身を切るような冷たい風も
心を凍らすような寂しさも
石蕗の花のような
奥ゆかしさや
石蕗の葉のような
深い輝きを
もたらすものならば
それらは皆
己に与えられた
尊い恵みと思い
いまこの季を
もの言わぬ石蕗の顕すが如く
心ゆかしく生きてゆきたい
「流星群」(11/14)に評をいただきましてありがとうございました。
おっしゃるとおり、確かにしつこい感がありますね。
自分でも作りながら、くどいな、と思っておりました。
最初は、ご提案いただきましたラストの3連がない状態に近かったのですが、
物足りない気がして、ラストを足した次第です。
「物足りない」と「しつこい」の間の、ちょうどいい落としどころがなかなか見つからなかったです。
10連の指摘もおっしゃるとおりです。
分かっていながら、イメージのおもしろさで、つい採用してしまいました。
いつも的確な評、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
11/30から、ぐっと冷え込むみたいですから、服装や体調管理に、充分お気をつけ下さい。
関西詩人協会総会、無事に終わりました。
講演は左子真由美さんのジャック・プレヴェールの詩についてのものだったんだけど、
正直、それ誰やねんと思ってました。
私は、名曲「枯葉」をビル・エヴァンスのピアノでよく聴いていたから、作曲のジョセフ・コスマの名は昔から知っていたんだけど、
「枯葉」の作詞をした人というのが、よもやのこの方でした。
(私のJAZZコレクションにはヴォーカルがないから、とんと知らんかった……。)
左子さんはフランス文学の研究家でもあり、シャンソン好きだから、シャンソンでよく「枯葉」を聴いていたそうです。
「枯葉」は、JAZZにおいても、シャンソンにおいても、名曲なんですね。
●朝霧綾めさん「魔法のお菓子屋さん」
うむ、今回もしっかり、丁寧に書けましたね。
お店の雰囲気が、たぶん実際以上に、夢を持って描かれています。例えば私がそこに行っても、全体のカラフルに「うわあー」くらいは言うだろうけれど、こんなに細かく見ないし、そこまで執着も湧かない。夢も見ない。
この詩は作者の眼を通して見てるから、ファンタジックでいいんです。興味をもって見る度合いが違う。度合いが違うから見えるものが違う。そこがいいんです。
とはいえ、このまま最後まで行くと、ゆるーくなりすぎるかなと懸念したところで、お菓子の国の飛躍が出てきました。この飛躍はナイスでした。創造力は思考力でもあるので、これがクライマックスとなって、話をしめてくれました。
良いと思います。
最後も、また改札探す話で、うまく構成を取りました。
クリスマスに向かうシーズン。飴のサンタクロースの話は、季節にもピッタリでした。
ちょい甘だけど、名作あげましょう。
●cofumiさん「最後の朝食」
2連は、ちょっとだけ変えて、
私はあなたの影ではない
愛って何ですか?と問えば
二人の答えは
夏と冬くらい違うはずだ
この方がいいかな? この連、ステキでした。印象に残る連でした。2人の密な関係性と、反面で心の離れ具合とが、一度にわかる、いい連です。
うーーん、少しシチュエーションを変えて書いてるんだろうなあと思うんだけど、
初連の、「相変わらず」や「当たり前のように」は、年数を経たような長いつきあいの時に使う言葉なので、夫婦かな?って第一印象になります。もし違うなら、もう少し書き方に工夫が必要です。
2連はこれ単独で、良い連なんですが、食い違ってても夫婦を続けてるところも、ままありますから、別れるも別れないも、どちらにでも転ぶ連って感じです。
3~5連になると、明らかに別れる方向の話ですが、
ところが終連(6連)の1行は、逆に親しげな間柄が言う言葉の印象です。そうやって世話を焼いてるあいだはまず別れないので、別れる方向でない話に聞こえます。
こうやって、1つずつお話すると、ちぐはぐ感があるのが、わかって頂けるでしょうか?
たぶん、想像で書いてる部分があるからなのかなあと、思います。
もしかしたら、なにか別れを想起するような契機となることがあったのかもしれませんが、本当なら、哀しみにせよ、怒りにせよ、詩全体を貫くもっと強い情念みたいなものがありそうなものなんですけど、そこにちょっと疑問符がつくんです。だから、あまり迫ってくるものがないのです。弱いというか。
まあ、元々そこまで深いつきあいじゃなかったって場合もあるのかもしれませんが。
うーーん、個々の連には見るべきものがそれぞれあるので、全体に1本、芯をしっかり通すつもりで、もう一度作り直されたらいいと思いますよ。個々にはもったいないものがあります。
cofumiさんは、少し前進してるなあと感じてはいるんですけど、これはちょっと半歩前かなあ。
●白猫の夜さん「朔月の光」
荒削りなんですけど、おもしろい部分の方が多いから、この詩はマルですね。
詩全体を通して貫いてる情念がある。部分に?があっても、全体の情念で読めます。情念の持続性がいい。この詩においては、自分の内にある、行き場のないような想いでしょうね。
部分で良かったのは
のびる朔月の手
大地をふわりとひと撫でして
私の黒い涙をそっとさらって
この連、ステキでした。
たどり着いて見上げたよぞらは
一面の鉱石が
流れる鉄屑が
こういう見方もあるんだなあと、ここもちょっと感心した。
うむ、いいものあると思いますよ。しばらくここで続けられたらいいと思う。
白猫の夜さんは、初回になので、今回は感想のみとなりますが、ぜひまた書いて下さい。
●山雀詩人さん「流星群」
1回目の「本当にここはどこだろう」で夢想し、2回目の「本当にここはどこだろう」で、実際そこに入り込んでる、という展開です。
やりたいことはわかるんだけど、やっぱりちょっとしつこい感じがするよなあー テレビの「世にも奇妙な物語」で、夢が何重にも重なってるような話もあったけど、そこは映像と文字の違いなのか、文字で繰りかえされると、しつこい感があるなあ。
これたぶん、最初、外は星のない闇の夜で、2回目は外にもう流星群が来てるという差異を出そうとしてるとは思うんだけど、どっこい最初も流星群の話が出てしまうので、外が星のない闇だという印象は全く消えてなくなっている。結果的に、外の景色=流星群のイメージが、2度繰りかえされている感になる。そこがしつこく感じる主因かもしれない。
これ、それこそ映像だったら、説明なんかなくても、ビジュアルで両者の差異が明瞭になるんだろうけどねえー。
それと、10連の、
それこそ無数の流星が
君から落ち
僕も落ち
だからみんな止まって見えて
僕をぐるっと囲むだろう
のところが、私にはクライマックスになる美しいシーンに思えたんだけど、すぐあれっ? となってしまうのは、傘を落下傘がわりにしてる作者は他よりスピードが遅いので、そうはならないだろうと、すぐに思い至ってしまうことなんです。そんなわけで、このクライマックスもちょっと空振り感があって、100点ではないんだよね。
うーーん、結論としまして、今の状態だと、やっぱり2回目のくりかえしはヤメて、
12連で、
本当にここはどこだろう
今日ちゃんと帰れるのかな
の2行だけ置いて、終わる案ですね(ラストの3連は削除)、わたし的には。
1~5連はパーフェクトです。この序盤の3分の1はとても良かったです。
ゴトゴトゴト ゴトゴトゴト
ココハドコ ココハドコ
のオノマトペも最高!でした。
力作なんだけど、秀作にとどめます。
●まるまるさん「団地暮らしの自転車通勤」
超いい詩じゃありませんか!!
ちょい甘だけど、名作あげましょう。
新川和江さんが座右の銘にしてる言葉の1つに、「私は傷を書かない。私は傷を治す傷薬を書く」というのがあるのだそうですが、
そんなふうに、この詩は読んだ人間を温かくしてくれる、いい詩ですね。人の傷を治す詩だと思う。
私事ですが、昔、うちのオフィスが入るビルに、ある日、元は気位の高い人だったんだろう面影が残るオバチャンがお掃除の会社の新人としてやってきて、ものすごーーく落ち込んだような真っ暗な顔して、ずっとうつむいて掃除されてたんだけど、
私は、どんな仕事でも働くことが尊いことなのであって、仕事の種類は関係ないと思っていたから、卑屈になることはないよと言いたくて、毎朝積極的に大きな声でその人に挨拶してたんだけど、最初しばらくは黙ったままで挨拶も返ってこなかったんだけど、それでも毎朝挨拶し続けてたんだけど、そしたらだんだん顔あげて、挨拶を返してくれるようになった。何ヶ月かそんなことがあったのち、私は職場が異動になったんだけど、2年ぶりにそこの職場に顔を出すことがあって、行ったら、そのオバチャンは掃除の会社の主任さんになっていて、私の顔を見たら喜んでハイタッチしてくれた。
ああ、通じたんだと思った。良かったと思った。
(すっかり、ペラペラよくしゃべるオバチャンになっていた)
そんなことがありました。以上、余談でした。ちょっと思い出しちゃった。
作品ですが、6連1行目、
通るはずのない団地の出口
この行は、体言止めすると、違う意味を持ってしまい、言いたいことを損ねるので、
通るはずのない団地の出口で
と、「で」を加えた方が、意図がマッスグ伝わっていいです。
そこだけ直してといて下さい。
●エイジさん「花が花のように咲いている」
正直なとこ、うしろ2連目(第4連)になって、やっと話の本題に入ったなって感じなんです。で、話はここからと思って読み続けようとすると、次の連でストーンと終わってしまう。ちょっとガッカリですねー。
言うと、2連からスタートで、2~4連を前半として、後半の残り3連を新たに書いてみてって感じなんです。
現行の4連は、結論に持ってくる重みはなくて、課題レベルなので、前半に置くのが相当です。そしてそこから考えること、感じること、をもっとアタマに巡らせてみて下さい。それでやっと作品が成立するという感じです。
花の詩って世の中にいっぱいあるので、ナメない方がいいです。書くならこのレベルから始めるか、あるいはもっとしっかり観察眼を発揮するとか、何かが必要です。世の中にたくさんあるものだけに、しっかり自分の切り口を持たないと、ただ単に題材に取り上げたというだけでは用を成さないですよ。
ほかに主となるものがあって、副として書く、あるいは添える程度のものなら、気楽に書いたらいいんですけど、「花」を主で書くというのは、水準が高いので案外難しいです。気合い、いりますよ。
今回は半歩前とします。
島様、この度はご批評ありがとうございました。
冒頭のドイツ語はまさに銀英伝を思い浮かべて書いたものです。銀英伝の登場人物の名前が何ともカッコよく、それを真似して色んなものにドイツ語風の名前をつけて遊んでいた思い出を元に書きました。
また後半の4連や6連のフレーズも、銀英伝の連とは違う年代の思い出を思い浮かべて書いてしまっていました。
それが読み手の方にブレとして伝わってしまっていたのですね。
まだまだ推敲が足りなかったです。
とても勉強になりました。
またよろしくお願い致します。
この度は私の詩の「小さな花束」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
秀作プラスとの評をいただき、たいへん嬉しく思います。
まだまだ細かな点に考えが及ばず、詰めの甘さを痛感しております。
今後とも宜しくお願い致します。
島様
お世話様です。
詩の評、お礼です。
有難うございます。
家族にする。は飛躍しすぎかましたか。なるほど、確かにそうですね。島様のご指導のとおり他に一味加える必要ありました。
これからも宜しくお願い致します。
大変お待たせしております。
とりあえず半分行きます。
残り6作は、明日の夕方に。
●森山 遼さん「存在は その恐るべき 姿を 剝き出しにしてる」
思考の持続性があるので、つまりロジックは通っているので読めますが、一方でロジックだけのものって、詩として不完全なので、これが今後、どう具象とマッチングしてくるか、調和してくるか、でしょうね。
人って、誰も説教されるのキライだから、説教がましい書き方になるのは禁物ですし、一方で自己完結してしまうのも違う。まだ課題アリですね。
机上で内に向かって書くのでなく、外の対象物や、世情の題材に対して、その思考力を発揮した方が、つまり直接的論述ではなく、対象を挟んだ間接で思考の応用編を見せた方が、詩としてはうまく行くかもしれませんので、また試してみて下さい。
森山さんは私は初回ですので、感想のみになります。
●紅桃有栖さん「千葉の空」
1連と2連、対比で気づく空と雲の景色のところは、とてもステキだと思います。自転車でないと見えない風景があります。飛行機はもちろんのこと、スピードが早い車では見えない風景がある。そこをきちんと書いてくれました。
この1~2連は丁寧に書かれてて、いいなあと思うんですけど、後半がねー、やけに大雑把な言い方になりましたねー。
なにも4連で終わらなきゃいけないことはないので、後半の内容についても、気が済むまで丁寧に書き込めばいいのに、と思いました。
言ってる内容は悪くない、むしろ良いことを書こうとされてるんですけど、こんなにざっくりやられたら、読む方はスジもロジックも追えないです。
「短いのが詩だ」って観念は捨てられて、日常において人を説得するのと同様に、必要ならいくら長くなってもいいから、「人に伝わるように」を優先して、書いてみて下さい。
後半については概ねそんな感じなんですが、3連で「ホワイトノイズ」という新しい言葉を1つ織り交ぜようと試みは、悪くないです。
また4連も、1~2行目については良い言葉でした。
部分、部分では良いものを発揮されてるので、しばらくうちで書き込まれたら、進化すると思いますよ。また書いて下さい。
初回ですので、感想のみとなります。
余談ですが、国内線の西方向から羽田に向かう便は、いったん東京湾を東向きに突っ切ってから、房総の上空で、時計回りに90度(← 失礼しました。270度でした)旋回して、機首がまっすぐ南方向から北向きになるよう、姿勢を整えてから、羽田に侵入するので、房総の中央部から南半分上空をウロウロ飛んでるのは、たぶん国際線より国内線の方が多いと思います。
●荻座利守さん「小さな花束」
とりわけ4~6連のところが、凄くいいんですが、私が荻座さんが定義するところを正確には把握できていなかったり、また託されるのは、はたして「花」なのか、「花束」なのかを迷うところもあり、3連以下は下記構成に変えてみてはどうか、というのがちょっと浮かびましたので、記します。
小さな白い花束
誰がどんな想いで置いたのか
わからないが
花束はいつも
人の想いを担う
摘み取られ
根から切り離された花は
数日のうちに萎れ散りゆき
決して実をつけることはないが
そこに託された想いが
誰かに届いたとき
花束はその人の心のなかに
実を遺す
たとえそれが
喜びでの実であっても
悲しみでの実であっても
我らのうちに
深く深く沈みこみ
時を経て
更に熟して
形を変えて芽吹きだす
交差点の片隅に置かれた
小さな花束が
どれだけの実を宿しているかは
わからないが
それは
消えゆく命の
ただ滅するのではなく
いつかどこかで
形を変えて芽吹くことへの
切なる祈りを
担っているのだろう
たとえ眼に見えず
気づかれなくても
我らの内には
誰かから託された想いと
担った花束とにより稔る実が
常に届けられているのだ
ちょっとのことなんですけどね。この方が、より深いとこに行けるかな? と思いました。
でも、前回申し上げた、「どこかで具象と繋がらないといけない」「題材はむしろ具象の方がいい」を早速実践してくれていて、今回の方がぐんと良くなったと思います。
ああ、それから2連の「原動機付自転車」は、日常的な言い方で「原付バイク」でいいんじゃないでしょうか? こっちはたぶん、「バイク」という括りの中での排気量を識別する意の言い方なんでしょうけど、こっちの方が日常的な語に思います。
ちょっと細かなところあったんで、現状、秀作プラスにしますが、方向性はこれで合ってますよ。私の案を一考してもらったら、名作になれます。
●ゆきさん「家族写真」
少々ドラマチックに脚色しすぎた感はありますが、いいでしょう。名作を。
たぶん写真を撮ったのは、このタイミングじゃないんじゃないかなと思うし、家族の設定も、もしかしたら少し変えてるかもしれないのですが、これに類似した経験と、想いとして同じ想いを経験されてるのかなと思い、読みました。いずれにせよ、イヤな思い出、思い出したくもない種類の出来事でしょうに、しっかり捉えて書き上げてくれました。OKです。
祖母のところに行くというのは現実的ですし、
必要のない家族なら初めから
ない方が良かったのに
は、自分も含めて言ってる言葉だから、ものすごい肉声で、胸が締め付けられます。
心の奥底に隠してきた泥を
吐き出すように
写真の父を睨みつけた
の言葉もありますが、「幸せでない家族写真」ってあると思う。察するところあります。
また、
私達の何がいけなかったのか
は、親がやさしくしてくれないのは、自分が悪いからだと考えがちな子供の心理がよく描かれています。
でも本当は、子を虐待する親や子を捨てる親というのは、そことは全く違う、自分の都合だけを考えてる人が多いです。本当は、理由はそこじゃないです。子は全く悪くないんですよ。
心理的なところ、想い、よく考え、よく書けてると思います。
大雨のところとか、写真館からすぐ祖母宅へ行くところとか、無理に繋がなくてもいい気がしたけど、後半の心の部分、肝心なところはよく書けてるのでOKです。
むしろ子供の頃はよくわかってなかったけれど、大人になってから、よく状況がわかってその写真を見ると、苦々しく思う家族写真て、あると思う。この詩もそのへんがスタートかもしれません。
●じじいじじいさん「なつのわすれもの」
なんとなく翌朝起きたら、お母さんに捨てられてしまってそうな予感がしますが、まあそんなリアルは余談として、お話はおもしろいです。
砂浜に落ちてて、家に持って帰ろうと決めたところまではいいんです。そこまでは上手に書けてると思う。でも、それだけで「かぞく」とは呼ばない。「かぞく」とまで呼ぶには、まだ何かが足りない。もう一段上がる、何かがないとダメですね。
そこを作るか、作れないんだったら、着地点を「かぞく」とは違うところに落とすか、でしょうね。
このお話、「かぞく」という言葉がすごく重いんです。そのため、そことの不一致感が気になる。
たとえばね、その子にはお母さんがいなくて、お父さんしかいなくて、しかもお父さんはいつも仕事行ってていない。ひとりぼっちだから、なんでもすぐ家族にしたがるんです。たとえば、そういった必然性ですね。それならもう一段昇れます。
なので、この童話詩は、もうちょっと詰めないといけないと思います。
半歩前です。
●理蝶さん「夜のムード」
うーーむ、やっぱり理蝶さんて、何者?って感じだなあー 前回もなかなかセンセーショナルでしたが。
初連を読んで、銀英伝を思ってしまった私は、ちょっとオカシイかな……。あれもドイツ語の名前が多かったからなあー
それは余談かもしれないんですけど、なんでそんなことを思ったかというと、「小さい頃」で「原作・ドイツ語」となると、まずもってグリム童話を思うべきなんだけど、どっこいグリム童話って、短いお話が多くて、エンドレス感は全くないので、「一代記」とイメージが合わなかったからなんです。となると、何を想像すればいいのかわからなくなって、迷子になったあげく、銀英伝に行きついてしまったというお粗末でした。
というわけで結論、初連の「ドイツ語」は、なにを想起したらいいのかわかりませんでした。
なので、初連は1行目削除が私の案です。
「ドイツ語」を出してきて、特定の物語にするのでなく、むしろ1行目削除で、自分の将来の夢を天井に描いていたという意に変えてしまった方がいいと思います。
あと1点、
終盤の、「頭の良い子供」についてはOKなんですが、
あの頃は
理由もなく恋に落ち
キスだけが頬を染めたっけ
僕は寂しい目をしてた
フレームの外にある
何かを見ていた
友が戯れる様子か
ただの遠景か
の2つは、「小さい頃」の話ではないと思う。昔ではあるだろうけど、年代が違うものに思う。少なくとも読む側として、そう感じる。
初連で「小さい頃」とあったけど、詩全体を見た時に、年代がそこに定められていないと思う。そこがこの詩の難です。
もし、ざくっと昔の話として書きたいなら、そのような出だしにすれば良かったけど、これ、「小さい頃」で始めちゃってるから、読む方がそこの照準で、その後も読みにかかってしまいます。すると、途中で、年代の違和感が出る。
2ヵ所のうち後者については、前3行はいいけど、「小さい頃」基準で書くなら、後ろ2行の言葉は、そこ基準の言葉に変えた方がいいです。後者については修正可能です。
この詩は、3連の
もはや義務的に
明日に備えている
の視点が良くて、それと対照的となる子供時代の話を出してきた、このお話の骨格はとてもステキなのだけど、軸にブレがあるのが、ちょっと惜しい。
半歩前にします。
理蝶さんはレベルが高い人だとわかっているので、いきなりですが、そこに合わせてお話をしました。ちょっとキビシかったらゴメンナサイ。