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1 上田一眞さん 「清人伯父のこと」 9/7
「やぁ 義姉さん/兄貴はどこですか?」―僕にとってのこの詩は、このセリフから始まったように思います。本来、深刻で困難なのにこの呼びかけです。一般論で言うと、次男さんはこういったハシハシした面や、すばしっこさやあっけらかんとした面があるようです。そんなことを思っていました。この脱出行もこの天真爛漫さが成功に導いた、そんな気がしています。系図を考え地図を確認しながら読んでいました。ある意味、それらもこの詩の醍醐味なのです。脱出行の様子は微に入り細に及び、記述として申し分ないように思われます。結果、小説や映画に接するような気分になります。手に汗握るものがあります。大佳作、としたいところですが、この作品は多少問題を抱えているように思います。
A……1、2連と最終連―つまり一眞さんと清人さんの行きがかりの件です。この話の行方がない。
ぷっつり切れて全くわからないのです。本作を単独作とするならば、又、プライベートに属するもので、これ以上語らないならば、この件は全く要らない。削除すべきです。脱出行のみに見合ったイントロを振るべきです。ただ清人氏はこの作ではキーパーソンなので、慎重・丁寧な扱いが必要ですね。
B……そうではなくて、これは連作予定作で、くだんの清人さんとの件も継続させるならば、次作以降で明かされるか?Bはあくまで僕の推測です。もしそうであるならば、この件は伏線のひとつとして本作でキープされていい。ただ、Bにも問題はあって、もし、そうであるならば、今度はタイトルが考慮の対象になりそうです。壮大な詩なので、総タイトルは別途、修辞的に高みに持って行って、「清人伯父のこと」は章タイトルに降ろすとか……。
A or Bの判断、それに伴う再加工を条件に暫定佳作と致します。
アフターアワーズ。
参考までに。 過去にこのサイトで連作はたまにありました。最近はないですね。僕も本にした分は全て此処で連作(連載?)しました。僕の場合、例えば1作品が5つの小詩予定として、5つ全部出来てから、日を決めて小出しにしてました。分野は違いますが、新聞や週刊誌の連載小説だと、その都度書くしかないのですが、僕の場合、その都度だと方向がブレたり、行き当たりばったり、
支離滅裂になりそうなので、そのようにしてました。
2 詩詠犬さん 「あさの そら」 9/7
物事の二面性、裏表を表すのは対象の周辺にあって、部分的に使うことが多いのですが、全篇、それで通したこの詩は珍しいケースと言えそうです。その分、賛否も出やすくなる気はするのです。当然、空にも多彩な表情があって、個人によって見方は違うし、一個人でも見方は各種変わるものです。この詩はまず空の多彩な表情・属性を洗い出して、二面軸の中で整頓してみせた、と言えそうです。少し気になるのは、大部分が空の形容ですが「だから あさのそらは」以降は自己の最終的意見・感想になります。形容と違って感想だとこの書き方だと―下世話な言い方ですいませんが―「じゃあ、どっちなの?」といった読み手もいるかもしれない。ここはそういったことは避けたいので、たとえば―。
あさのそらの表情は 多彩で
時に違って見える時もある
わたしの気分に合わせて
見せてくれる
そんなそらが
やはり すきだ (あくまで参考例です)
要は最後は予定調和的に着地するのが良いのではないか といった示唆です。 佳作一歩前で。
3 荒木章太郎さん 「空白の街」 9/7
タイトル、一発で好きになりましたね!―して、中身は?
シャッターがキーワード。最近、閉店・閉鎖している小売店など不景気な商店街をよく「シャッター街」と呼ばれますが、タイトルと共に、そんなイメージがまず浮かびました。9行目と終行が、その傍証のように思えました。そんな環境+自己の内面を感じて読んでいました。2番目のシャッターのみがカメラ関連のようです。(後に来る監視カメラと呼応するかも?)
「シャッターを開けなければ、生きられない」―その通りです、しかし―
「ヒソヒソと、人が遠ざかっていく」 このあたりに苦悩は存在するのでしょう。
いつも通り想像力が飛び交っていますが、僕なりに受け取るものがあったのです。佳作。
4 秋乃 夕陽さん 「鴉」 9/7
大変申し訳ないのですが、この詩の成立の背景とか製作意図がちょっと掴めなかったのです。
2連まで読むと、餌にありつけなかった、アホでかわいそうな鴉と読めます。本来、鴉は抜け目ない鳥ですし、例えば二羽で餌を争って負けちゃった、そんなわけでもないですし―。あと3連。プチトマトをあげてもよかった。なぜ衝動を抑えたんだろ?そんな疑問も残るわけです。もう少し何がしかの意図を盛り込んでほしい気はするのです。それには、この倍以上のスペースが必要になりそうです。「あ、そうですか」で読み手を立ち去らせない。しっかりつかむ感覚とでも言いましょうか。佳作一歩前で。
5 じじいじじいさん 「へんなきもち」 9/8
え―と。全てひらがな篇と漢字混じり篇がありますが、これはいったい!?便宜上ひらがな篇で書きましょう。まずは登場人物二人の歳を考えていました。小学校5~6年か中学1年生。モチーフ年齢を少しあげたのが、この詩の特色だし目新しい点ですね。エピソードもそれに見合っています。
漢字篇のほうから「いつも無口で目立たない~」「わたしどうしたんだろう」をひらがな篇のほうへ移植してもいいかもしれない。
よりくっきりするかもしれない。ビックリ感と、もやもや不思議感がこの場面の気分をよく表しています。ホント、どうしたんでしょうね?思春期の入り口に立って、この詩価値あり。甘め佳作を。
6 温泉郷さん 「縄文の足型」 9/8
この詩はちょっと辛い部分があって、殊に1,2連あたりは、調べて写真で見てみないと「えっ、どういうこと?どんなしくみ?」と戸惑う読み手はいそうです。僕もどうも釈然としなかったのです。簡単に言うと、死んだ子供の足型を粘土の板のようなものに写し取ったもののようです。2連目の「紐を通す小さな穴」は紐で、その粘土板を吊るして死者を偲んだようです。親も死ぬと一緒に葬られたようです。ただ謎なのは、この風習が函館・石狩地区に限られているそうです。
―ここまでが調べた結果です。思うに、生まれて間もない子どもは弱く、医療の思想も場所もない時代に多くは死んでしまったのでしょう。その事がこの詩の骨子になると言っていいでしょう。詩は現代と4000年前を共に考えることで進んでいきます。子への思いは時を越えて共通のものがあります。詩にもそう書かれています。ただ縄文の昔は、“ただなす術もなく”死なせてしまった、その悲しみでしょうね。そこが現代とは違う。4連の「~できない」に、それを感じました。
この詩の為のアドバイスとしては、1,2連の読み手の理解を促進すべく注釈をつけるといいでしょうね。今の僕だと、2マスほど下げて散文で書いちゃいますね。そういったパーツは説明調になることを厭わないことでしょうね。レベル高の為、一歩前で。
7 松本福広さん 「僕の名前をご存じですか?」 9/8
これは面白い! 調べた結果、名前がわかりましたが、ここで書いてしまうのは粋ではないでしょう。 書きません(笑)。
業界用語で「ニッチ」というのがありますが、市場の「隙間」を狙っていく戦略ですが、この詩も“詩のモチーフ業界”の隙間を上手く狙ったものでしょう。
1連の終わり4行はすこぶる貴重です。「あるある!」と同時に、ふと忘れていたことに気づかされます。この道具を出した詩の精神にも通底しています。5連以降の謙虚と優しさは貴重。最後の一句が凄くいいです。逆に4連の、その他用途は”調べもの“に準拠し過ぎ?甘め佳作を。
アフターアワーズ。
初連最後4行に関連して。「なあ、JOE。それは〇〇〇〇さ」などと、外国人は誰と話してるか、わかりきってるのに名前を言うのが、日本人よりも多い気がします。日本人の曖昧さ、外国人の具体性でしょうか。
8 相野零次さん 「愛しい君へ」 9/8
これは二通りの解釈があって、ひとつは生身の人間への思いを高踏的に書いたもの。もうひとつは人間ではない無形の対象―例えば神とかー。後者を僕が考えたのは、以前のコメントに「神については書き続けていく」といったものがあったからなんです。僕の中では前者:後者=4割:6割みたいな感覚です。たとえば「偶像崇拝」といった言葉も脳裏にちらついたんですが、神として代表されるキリスト、その教えでは偶像崇拝は禁じられているんです。ここで僕は袋小路に陥るわけです。前者にしても、もう少し具体に降りて来てもいいように思うんですが。―といったわけで結論はつきませんでした。従いまして、評価は保留とさせて頂きます。
9 静間安夫さん 「虫たちとわたし」 9/9
いやあ、虫の勉強をさせて頂きました。やはり読みどころは、カマキリとバッタの件で父に諭されたこと、その父が事故に遭ったくだりです。ただ読み手としては「わたしが無力な小さな虫に対してしたことと、父を見舞った災難が関係ない、とはどうしても思えなかったのである」のくだりです。
ここは読み手はたぶん(そうかな?)とか思ったりするんです。ただ書きの主導権は作者にあるので、ここは静観します。と同時に、僕は以降の詩行にその因果関係を見出したい。
すると、ありました、ありました。劇作家の名セリフです。バッタがカマキリに喰われたのも、大局からみれば運命、神の摂理。父上の交通事故も神の仕業。繋がりました。読み応えがありました。佳作を。
アフターアワーズ。
良い趣味をお持ちです。
評のおわりに。
静間さんに触発されてオオスカシバを調べ、その姿を鑑賞(?)しました。なんか可愛い!
僕は飛ぶものはたいてい好きです。僕はトンボが好きです(特にギンヤンマ)。井嶋さんも
トンボが好きです(蝉と共に)。 では、また。
ご批評ありがとうございます。
久しぶりに詩が書けたので投稿しました。
切ない気持ちが言葉になり、それを書き記しました。
本当に久しぶりに言葉が生まれました。
滝本政博様、「待合室」に関する評と感想をありがとうございます。
「よく書けている」と褒めて頂き、更に「佳作」にもして頂き、大変嬉しく思います。
一連目から四連目にかけてはイントロダクションとしてあえて日常の風景を描くことで、五連目への導入と日常と回想との状況の落差を描きました。
滝本様にも「何かが始まる予感と不安を感じさせます。」と仰って頂けて良かったです。
汗の描写については実際の体感として描きました。
これも少しでも読者に伝わるように描けたなら嬉しいです。
「悪辣な雇用状況」についてもすごく共感して頂いたようで、同じ思いをしている仲間のためにも詩に描いて良かったと思いました。
この部分について「自分がいまおかれている状況を、不安や怒りも含めてバランスよく表現出来ていて、平易な言葉で率直な感情を正直に描いている」と評価して頂き、いたく感謝しております。
この作品が私にとって、「どうしても書かなければならない、のっぴきならないものだった」のは確かなことで、強い主張はしなくとも強い思いは必ず伝わることを知りました。
構成についてもおっしゃる通り、読む人のことを考えて出来るだけわかりやすく描きました。
ただ、わかりやすく描いたがために、「行分け詩でありながら、やや散文よりであり、ちょっと平板な印象」との評価になってしまったのが残念です。
以前こちらでどなたかに「抽象表現ではなく、もっとわかりやすく丁寧に描いて下さい」との指摘があったため、そのようにしたのですか、表現としてなかなか難しい問題だなと感じました。
六連目の「常に重い責任を負わされ」の部分は、投稿してからすぐに訂正させて頂いたのですが、その前に読んで頂いていたようで、こちらも残念な結果となりました。
また、いつか用事を済まされた際に読んで頂ければ幸いです。
最終連について、「すこし救われる気がした」と私のことについて思って下さり、なんだか救われたような、あったかい気持ちになりました。
ありがとうございました。
私用でしばらく家を離れるので、お先に失礼いたします。
「昼と 夜の 雫」 益山弘太郎さん 10月10日
どのような意図で書かれた詩なのか今ひとつわかりませんでした。
書かれているイメージ、感覚をそのまま楽しめばよいのでしょうか。
私は詩は必ずしも意味がなければいけないとは思っていません。そのような(意味を持たない)詩があっていいし、というか、どのような詩表現も許されると考えます。イメージ重視の詩があってもいいし。リズム重視の詩があってもいいし。
だだ今回は楽しめなかったです。
第二連がいいですね。
「私は 仮の世という 存在
この湖の 水面に映る すべてのものだ
命と大自然と愛を 知る
時間に 繋がりを 持ちたい」
ここは一級品だと思います。
ここから始めて、関連性のある描写を広げていったらよいのではと思いました。
いろいろな色彩描写が出てきますが、私にはぴんときませんでした。
言葉の喚起力が弱いのか、私の頭の中で像が結ばないのです。
すみません、私の感覚が鈍かったり、益山さんと合わないだけなのかもしれません。
これに懲りずにまた書いてください。
逃げているわけではないのですが、他の評者の意見を聞くのも手だと思います。
「後書き」 喜太郎さん 10月10日
今回も快調です。発想良し。展開もスムーズです。
欲を言えば、内容にあまり飛躍が感じられず、次の展開も読めてしまいがちなのが気になります。
これはどうしても損ですね、もったいないと思います。
詩の中に、思いがけない一行、光る展開があればと感じます。そういう行が一、二行あれば、ワンランク上の詩に変身するとおもうのです。言うは易しですね。
少し時間をとって考えてみました。どうかな、参考になればと思います。
「あなたの声は花でした
でももう私の中で咲くことはないでしょう
反響と香りだけが幽かに残っています」
これを、元の詩に入れ込んでみます。
もしも二人の物語に
後書を書くとしたなら
私はなんて書くのだろう
二人で綴った想い出の物語を
否定してしまう様な内容で締めくくるのだろうか
それともそこには確かな愛があったと
前向きな言葉で涙を拭うのだろうか
あなたなら二人の物語に
どんな後書を書いてくれるのだろう
読む人の心の中の隅の方にでも
二人の愛が残る様な1ページを書いてくれますか
もう物語は終わってしまったけれど
あなたの声は花でした
でももう私の中で咲くことはないでしょう
反響と香りだけが幽かに残っています
あなたはまた読み返してくれますか
そんな気持ちにさせる後書を私は書きたい
もう二度と物語は続く事はないけれど
お互いに新たな物語を綴る時に
せめて参考書ぐらいにはなれたらと願います
それがわたしの後書だから
勿論、一例ですのでご自分でも考えてみてくださいね。
ここまで書けるのですから、いい意味であえて「引っかかる箇所」を作成するのも意味のあることかと思います。「引っかかる箇所」とは、あえてスムーズに流れすぎずに、作者の内面を見せる場所を一部作る等のことです。
今回の評価は佳作一歩手前といたします。
「待合室」 秋乃 夕陽さん 10月12日
よく書けていると思います。佳作とします。
私も精神科に通って十年たちますが、最初に受診した日はよく覚えています。
第一連目、良いですね。何かが始まる予感と不安を感じさせます。
汗の描写等、リアルです。
会社によって酷い仕打ちをされ、精神を痛めたのですが、その悪辣な雇用状況は読んでいて腹立たしくて胸が痛みました。そもそも非正規雇用などとゆう仕組みが出来た時点で日本はおかしな方向に舵をきりました。
自分がいまおかれている状況を、不安や怒りも含めてバランスよく表現出来ています。平易な言葉で率直な感情を正直に描いています。構成もわかりやすくて、読む人のことも考えていると思われます。
最終連は少し希望を抱かせるように書かれていて、これ私はセンスがよいと感じました。作者の事を思い、すこし救われる気がしました。ここは絶妙な匙加減の描写だと思います。
少し難があるとすれば、行分け詩でありながら、やや散文よりであり、ちょっと平板な印象があります。
この作品は秋乃さまにとって、どうしても書かなければならない、のっぴきならないものだったのでしょう。それは伝わってきました。
作中<常に思い責任を負わされ>
は、「重い責任」の間違いかとおもいます。
「味噌汁の味が 変だったことで」 まるまるさん 10月12日
佳作とします。
毎日のご飯の用意、ご苦労様です。お仕事もおありなのに、本当に頭がさがります。
「夜までに悪くなってしまわないか
気になってはいたけど
この頃は火を通す頃合いを
肌で感じられるから
まあ 問題ない
自分で突きとめたオリジナル基準
やってきたから わかる」
プロの主婦VS大自然 の対決
味噌汁の味が変だったことで、軍配があがったのは大自然。
後半は怒濤の自然(宇宙の存在)の賛歌となります。
「宇宙の存在は
途方もなく 豪快で
強さも 優しさも
誰にも 抗う事なんてできないんだな
私自身も
大自然の恵みによって
生きている
不思議と 清々しかった
少しだけ 嬉しかった」
大きな気づき、発見が待ち受けていました。
日向性とそこはとないユーモアがある文章で好ましい感触です。
日常を描く生活詩ではじまり、大きく壮大な世界に抜けて行く書きぶりが素敵でした。そこには詩の発見があったのでしょう。インスピレーションが降りて価値観の書き換えがあったことが綴られています。読者としてそれを追体験することも意味のある事でした。
お疲れ様です。上田です。
素敵な評をいつも頂き、ありがとうございます。
毎度のことながら雨音さんの感性の鋭さに舌を巻いています。
フルートの音色の変化、そこの部分が今回のテーマでした。ハンガリー田園幻想曲は大きく二つの変化をみせます。
特に曲の初めの瞑想的なあるいはアジア的な曲想から転じて半ば近くで明るく転調するさまはロマの音楽に影響を受けているとか。チゴイネルワイゼン的ですよね。
この辺りの流れ、詩の展開に活かせないか考えました。ただ、若い恋人の登場はなかなか難しい。ご指摘の点なるほどと思いました。工夫するべきところは多いですね。
また、投稿いたします。
評をありがとうございます。
いつも最後に悩みます。持久力の無さと言いますか、最後にまとめなくてはと考えてしまうと、私の結論は何?となってしまい、書けなくなります。
もう少し丁寧な気遣いが必要なんですね。
夫は先月の誕生日に後期高齢者になって、至って健康です。これが、病に伏していたりすれば、この詩の印象もまったく違う物になるわけですし、妻である私の健康状態も加われば、別の世界になるということも、頭の隅にはありました。のほほんと単純な夫婦であるところを書けていませんでした。
雨音様、おはようございます。おめでとうをありがとうございます。こちらに投稿を初めたきっかけが、何ともsnsでショックを受けすぎて、でもどなたかと繋がっていたいというとんでもない動機からでした。しかし、一貫して読んでいただくからには一生懸命伝えたいことをまとめる!にはこだわってまいりました。そしてだんだん妄想詩になってきましたが。なくしていた、無理やり押さえ込んできた感情が日々書くことで浄化されております。ありがたいMYDEARMYDEARとの出会いでした。私、何時投稿したか訳分からなくなるのと仕事が緩やかなのが火曜から木曜なのであまり雨音様のところにいけておりませんでしたが、今後ともよろしくお願い致します。
今回も丁寧な御感想ありがとうございます
圭作とても嬉しいです。とても言いづらいのですが
島様に先生になってもらうことはできません。
と言うのは僕は色々と病気を持っている中で
男性恐怖症もあるので、雨音様以外と言う事であれば、適当に女性の方に先生になってもらいます。
アドバイス本当にありがとうございました。
拙作『怒りの弾丸』についてありがとうございます。
もう辞めてしまった職場の話です。
不機嫌になると他人に対して無視したり、きつい当たりをする方がいて
「人間だから怒ることがあるのは仕方ないにしても、その表現として、あの態度は目に余る」と苦言を呈したことがありますが……抽象的だったかな?と今では思います。
詩らしく、自分だったらどう表現するか考えてみました。
自分の中で怒りを冷静に分析する。そんな風な態度がとれればと思い書いてみました……とはいえ、読まれるものなので。読者置いてけぼりなのは、よろしくないですね。
怒りとか、弾丸とか強い表現を使っているから誤解される危険は孕んでいるなと思っていましたが。自分の世界に浸り過ぎもよくないですね。