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三浦様、佳作の評を頂きありがとうございます。とても嬉しく励みになりました。しかし、私の妻は厳しく、書いた詩は、どれも先生方の評がないと、何が言いたいのか分からないというものでした。本作の言いたいことは最終蓮です。「閉塞感のある空も、人間は人が作った物語(劇場)を生きている。だから救世主みたいなものに頼らず、自分の物語を作って生きよう。すると空は必ず開くものだ。」でした。しかし、言ってる張本人が「奇抜な発想」に頼ってしまった。難しいな。最後に「空」を「夜空」に変えたりして叙情系に寄せてみたのですが。まだ、自分の心を掴みきっていないうちに、表現で誤魔化そうとしています。焦っていますね。何をそんなに焦るのでしょう。
青島江里様、井嶋りゅう様、山下英治様、妻咲邦香様、かすみじゅん様、瀬未様、紗野玲空様、澤一織様、山雀ぐり様、三浦志郎様、水無川渉様、荻座利守様、富士伊真夜様、秋冬様、島秀夫様、お祝いの言葉をありがとうございます!
フラフラと好き勝手に書いてしまう僕のことをここまで温かく見守って下さった、評者の皆様をはじめとするMYDEARの皆様には本当に感謝しかありません。
MYDEARという素敵な場所の一員に加えていただいてとても嬉しく思いますし、一つ新しいステージに進んだような気持ちでとてもワクワクしております。
これからは新作紹介でお世話になります。
MYDEARでの毎回の評が僕の詩作の血肉となり、少しずつながら成長できたと思っております。これからも皆様からたくさん勉強させてください。
改めてお祝いありがとうございました!
これからもどうぞよろしくお願いします!
お待たせいたしました。8/20~22ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。
●森山 遼さん「悲しみ続く」
森山さん、こんにちは。この作品は夜の新宿を舞台に、都会に集う人々の哀愁を描いた詩と受け止めました。「明日の天気(は)くもりのち晴れ」、「わたし(は)もう悲しい」と助詞を省略した文体は意図的なものでしょうか。舌足らずでぎこちない語り口が、悲しみというテーマに不思議にマッチしているように思います。
「ピーピーピーピピピピピ」という「鳴き声」が何を表しているのか、よく分かりませんでした。虫でも鳥でもないような気がするし、もしかしたら何かの機械音かとも思いましたが、都会の夜を彷徨う人々の心の声なのかもしれません。それが何にせよ、この鳴き声が詩中で繰り返されることによって、都会の夜の描写の中に悲しみの主題が通奏低音のように現れる構成になっているのかと思いました。
だとすると、そのような繰り返しを最後まで徹底してやっていただいた方が良かったかもしれません。特にこの詩の後半では一見悲しみと無関係そうな描写が続いて終わりますので、それがないとまとまりが無くなってしまう印象を受けました。たとえば最終行を「ピーピーピーピピピピピ」で締めくくるというのはいかがでしょうか。ご一考ください。
全体として、連分けをしていただくとより読みやすくなると思います。評価は佳作一歩前となります。
●喜太郎さん「ケンタ」
喜太郎さん、こんにちは。これは初デートの様子を描いた詩でしょうか。どんな店で何を食べるのか、食にはその人の好みや性格、経済状況など様々な要素が反映されますので、デートの食事をどこにするかはお互い悩むところですね。ところが「彼女」の口から出て来たのは「ケンタッキー」。デートの場所にお洒落なレストランではなく、どこにでもあるファーストフード店を希望するところに、「彼女」の庶民的で飾らない性格がよく表現されています。
何を食べるかだけでなく、どう食べるかにもその人の性格は表れます。「彼女」と「僕」の食べ方の違いが上手に描き分けられていますし、「彼女」が「僕」の食べっぷりに最初は驚きながらも、すぐにそれに合わせてくれる心優しさも伝わってきます。ファーストフード店の片隅で心を通わせるカップルのほのぼのとした情景がとてもよく描かれた作品だと思います。「ケンタ」や「カエル化」といった表現から、おそらく若いカップルと思われますが、青春を感じる一篇ですね。
ところで、タイトルにもなっている「ケンタ」は「ケンタッキー」(正式には「ケンタッキーフライドチキン」)の略称ですね。この詩の本文ではこの略称は最後に一度出てくるだけで、それまではすべて「ケンタッキー」と表現されています。「ケンタッキー」が最後になってよりカジュアルな「ケンタ」に変化するのは、二人の心の距離の変化をも表していると受け取りました。だとすると、この詩のタイトルを「ケンタッキー」ではなく「ケンタ」としたのは正解だったと思います。
全体的にとても良い詩だと思うのですが、いくつか気になった点をコメントします。まず冒頭で「僕の質問に」と始まるのに、その質問の内容がどこにも書かれていないのが不自然に感じました。もちろん、その後を読んでいけば、どこで食事をしたいかという質問だということは容易に推測できるのですが、ここは詩の舞台設定をするためにも、しっかり書いたほうが良いと思います。あくまで一案ですが、
「ケンタッキー…食べたい」
初めての二人だけの食事
どこに行きたいかと尋ねる僕に
彼女は少し照れながら呟いた
のように、「彼女」の言葉から始めるのも良いかと思います。
もう一点、この詩は全篇連分けなしで書かれていますが、場面の転換や時間の推移を表すために、いくつかの連に分けることをおすすめします。たとえば現行3行めの「テーブルを挟んでケンタッキー」から始まる部分は、その前までのやりとりから時間的にも場所的にも隔たっているはずですので、その前は一行空けるべきだと思いますし、最終行も結論として一行空けて独立の連にした方が良いかと思います。ご一考ください。評価は佳作半歩前になります。
●松本福広さん「ディスクオルゴール」
松本さん、こんにちは。私はオルゴールと言えば小さなシリンダー状のおもちゃのようなものしか実際に見たことはないのですが、昔はディスク型のオルゴールがかなり流行したようですね。YouTubeで実際に演奏する動画を見てみましたが、音の心地よさもさることながら、穴や突起が一見ランダムに散りばめられた金属製の円盤がゆっくりと回転していく様子が夜空を巡る星々のように見えて、とてもロマンティックでした。このディスクを「円盤に配置された星空」と喩えたのは秀逸だと思います。
この詩で興味深いのは、タイトルからオルゴールで音楽を奏でる情景を描いていることは明らかなのに、どこにも「音」に関する描写が出てこないということです。それなのに、確かにこの詩は音楽について語っています。音楽が徹底的に暗喩化され、あるいはその物理的音響的側面をすべて剥ぎ取られることによって、かえって音楽が人の心に及ぼす影響、すなわち何らかの「世界」を創出していく様子が効果的に描かれているように感じました。音によらずに音楽の本質を描き出した、素晴らしい詩だと思います。評価は佳作です。
●秋乃 夕陽さん「或る貧困労働者の祈り」
秋乃さん、こんにちは。この詩の語り手の「オレ」は45歳という設定ですので、就職氷河期世代の典型的な人物と言えますね。「一億総中流」と言われたのは過去の話で、現代日本社会においてますます拡大する貧困の問題は決して無視することのできない現実であり、また今そのような境遇になくても、明日は我が身という人も多いのではないかと思います。その意味で、この主題を取り上げてくださったことに感謝します。ここに描かれている「祈り」に共感する人も多いのではないでしょうか。
このように、本作品のテーマの重要性とそれを取り上げた作者の真摯さについては疑問の余地はありません。またそこで語られているメッセージも、まったくの正論です。であればこそ、それを散文ではなくあえて詩という形式で表現するためには、並々ならぬエネルギーが必要になってくると思います。なぜなら、詩とは世界に対する新しい視点を提供し、読者の常識的な期待を裏切って新鮮な方法で現実を見つめ直す機会を与えるものだと思うからです。少なくとも私にとって、良い詩とはつねにそのような「ひねり」や「驚き」「逆説」といったものをどこかに有しているものです。茨木のり子さんの表現を借りれば、「言葉が離陸する瞬間」とも言えます。けれども、大きな社会問題に対する正論をストレートに述べようとする時には、これはかなり難しいことだと思います。
そのような意味で、この作品で描かれる「オレ」の姿やその言葉には、そういった詩的な「驚き」や「言葉の離陸」というものは残念ながらあまり感じられませんでした。非常に失礼な言い方になってしまいますが、どこかで見聞きしたことのあるような既視感を持ってしまうのです。語られているメッセージには賛同する他ないのですが、詩としてのインパクトはあまり感じられませんでした。別の言い方をすれば、扱っている主題があまりにも重くて大きいために、詩の方が力負けしてしまっていると言えるかもしれません。一案ですが、説明的な長い独白を省いて、貧困に苦しむ人々の日常生活のごく小さな一コマの具体的な描写に集中するなら、同じテーマでも新鮮な切り口で見せることができるかもしれないと思います。
いろいろ厳しいことを申し上げてすみません。繰り返しますが、これは秋乃さんの問題意識や真摯さ、メッセージの妥当性とは全く無関係で、あくまで「詩作品」としてどうかということです。個人的には、この主題についてさらに詩作を重ねて言ってくださることを願っています。評価は佳作一歩前となります。
●温泉郷さん「街路灯」
温泉郷さん、こんにちは。老朽化した街路灯がある日突然倒れて撤去された――要約してしまえば、たったこれだけの小さな事件を描いた作品ですが、なぜか強烈なポエジーを感じる不思議な作品ですね。
ニュース報道の引用のような文体で、事故の起こった様子やその原因究明について、客観的に淡々と語られていきます。この抑えた筆致がとても効果的だと思います。
この詩の中心は、倒れた街路灯の電球が割れずに灯り続けたというところでしょう。私は電気関係に詳しくありませんので、街路灯が倒れても点灯し続けることが実際にあるのかどうかは分かりません。けれどもこの作品の中では、倒れてもなおアスファルトを虚しく照らし続けるその姿は、何かを象徴していると思われました。長年社会に尽くしてきた人物がついに力尽きても、その努力が報いられることなく忘れ去られていく様子を表しているのかもしれません。
作中で繰り返される「29年」という期間にも、何らかの象徴的な意味が込められているような気がして、いろいろ考えても分かりませんでしたが、そういった興味を呼び起こすこと自体、詩として成功していると思います。評価は佳作です。
●紫陽花さん「耳元にはたこくらげを」
紫陽花さん、こんにちは。改めまして免許皆伝おめでとうございます。
紫陽花さんの作品は海が出てくるものが多いですが、今回もその一つですね。たこくらげを知りませんでしたので調べてみましたが、丸い可愛らしい形で、水族館でも人気のあるくらげのようですね。一般には褐色をしているものが多いようですが、中には緑色や、この詩にあるような青色をしているものもあるということです。
さて作品ですが、まず「きっとまたこの夏を私は忘れてしまう」という冒頭の一行がとても良くて、これだけで詩の世界に一気に引き込まれました。好きなものなら忘れないかというと必ずしもそうではなく、とても愛着があるはずのものでも、日々の忙しさに追われていつの間にか忘れてしまい、ふとした機会にそれに気づいて愕然とすることはありますね。「私」にとって夏の海はどうしても忘れたくない、大切なものであることが伝わってきます。
そんな「私」がいつものマルシェに野菜を買いに行くと、ふだんある花屋の代わりに移動販売店が出店していて、しかもその売り物は「夏の海」。店の男性は「私」の眼の前で「店先に海を並べ始めた」……。日常から非日常への移行がとてもスムーズで見事です。店先で海を売るというアイデアも秀逸ですね。
そして「海」の描写も砂やシーグラスから始まって様々な海洋生物が現れて楽しいです。視覚と聴覚に訴える描写によって、夏の海のイメージが鮮やかに浮かび上がってきます。(個人的にはここに嗅覚の要素も加えて、磯の香りの描写を入れても良いかなと思いました。)またこの部分にはオノマトペが多用されています。とくに独創的なものはありませんが、軽快なテンポが明るく楽しい夏の海の雰囲気を創り出すのに役立っていると思います。
店先の「海」で出会ったたこくらげがイヤカフになり、「私」の耳元でほのかな海鳴りとともに揺れているという終連も良いですね。最終行「この夏を忘れませんように」が詩の冒頭と対応していて、着地もばっちりです。
夏らしい明るく爽やかな一篇で、とても気に入りました。この作品が、私が評を担当させていただく最後になりますが、最後にふさわしい、読み応えのある作品をありがとうございます。評価は佳作です。
*
以上、6篇でした。今回も素敵な詩との出会いを感謝します。私事ですが、先週土曜日は横浜詩人会のイベントで朗読させていただきました。MY DEARの三浦さん、井嶋さんともご一緒できて、今年の夏を締めくくる良い思い出になりました。みなさまの夏はいかがだったでしょうか。
俺の住んでる家は
少し電波が悪い
悪いと言ったが
電波に罪はないし
この家にも罪はない
この家も電波も大好きだし
感謝してる
さて俺のスマホだが
この家にはワイファイがない
そして先日スマホの通信速度が低速したのだ
もちろんこれは毎回のことで慣れてるが
来月まで後一週間残ってる
そして俺はよく寝転がりながら
スマホで動画を見てるのだが
今日も例の如くそうしていた
この家の居間は
床から一メートル上に近づく程
少し電波が良くなり
その時の調子にもよるが
通信速度は低速になっても
動画が再生されるということがある
さっきラジオ形式の動画を観ていた
正確には聴いていたのだが
床にスマホを置いて寝転がっていた
最初は調子が良かった でも
止まってしまった
俺は慣れたもので
スマホを五センチ高く持ち上げた
そして動画再会
やっぱり調子良いかも
五センチでいけたんならいけるっしょと思って
再び床に置く
停止
画面の中央でぐるぐる円が回ってる
再び五センチ持ち上げる
動画再会
床に置く
停止
これを何回か繰り返して
ついおもしれぇスマホだな!
と笑ってしまった
スマホを五センチ上下させる度に
女性の綺麗な声が
止まったり流れたりして
俺の腕の動きと連動してることに
少し滑稽に思えて笑ったのだ
こんなことを詩にしてしまったが
他意はない
ただ面白かったのだ
こんな些細なことを
詩に出来るのは楽しいね
次は仰向けになって
胸にスマホを置いて
動画を再生してみようと思う
そうする時も多々あったけど
ラッコさんみたいになって
少し滑稽でやりたくはないんだ
でもやるよ
女性の綺麗な声を
寝転がりながら聴きたいから
紫陽花さま 理蝶さま
このたびは免許皆伝おめでとうございます。
童話テイストを含ませた世界が印象的な紫陽花さん、
独自の季節感の織りこみ方が印象的な理蝶さん、
これからもどんどん新しい世界が広がりますように!
改めて、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
紫陽花さま。
理蝶さま。
この度は免許皆伝おめでとうございます!
おふたりさまからは、いつも新鮮で深いものを感じておりました。
特に紫陽花さまからは、共通の何かを感じます笑
これからは掲示板でご一緒できますね。
どうぞ宜しくお願いいたします。
それにしても、、、今年は色々な出来事がありますね。忘れられない年となりました。
手紙を書くとき 必要な物が三つある
はがき または便箋
相手の住所
伝えたい気持ち
彼のアドレス帳に
私の住所が記してあったんだね
それを持って海を渡った
新しい生活の中で 絵はがきを何枚か求めて
その一枚に私の住所を書いた
細かい文字を書き連ね
自分の住所もきちんと書いた
私が返事を書くと思ったんだろうね
それまで私が返事を書かなかったことは
一度もなかったのだから
エアメイルが毎月来て
四通目は絵はがきではなく封書で
日本に帰って働きますと言って
最後に何て書いてあったかな
See youだったか
So longだったか
そこにも彼の気持ちが表れていた
だから 私の勘違いではなかったと思うよ
彼がロンドンにいた時
私の便りを喜んだのは確か
私の送ったお煎餅を
お米で出来たジャパニーズクッキーと言って
下宿のミセス何とかさんにもお裾分けしたと
楽しそうに書いてきたもの
彼が帰ってきて
新しい住所と職場を知らせてきて
そのうち私への返事が間遠になり
ついに届かなくなった
彼のペンからは二度と
So longは書かれなかったけれど
あの夏 彼も幸せだったことは
信じていいんだよ
紫陽花様、理蝶様、お二方ともこの度は免許皆伝とのことで、おめでとうございます。
これからは共に新作発表でご一緒させていただきます。大変光栄に思います。宜しくお願いいたします。
この度は本当におめでとうございます。
はじめて詩に出会った時のことをいつでも思い出してください。それは最も遠いかもしれませんが、だけどあなたの一番近くにあります。
神様の意地悪に負けてしまった言葉たちを忘れないように。彼らは去っていったのではなく、道を空けたのです。
詩が欲しているのは揺りかごではなく茨の道。共に歩む人を探しているのです。これから血を流すであろう人に手渡す手紙を預かっているのです。
紫陽花さん、理蝶さん、この度は免許皆伝おめでとうございました。
紫陽花さん
理蝶さん
この度は免許皆伝おめでとうございます。
長きにわたる御二方の努力の成果ですね。
喜びもひとしおだと思います。
これからは新作紹介の方でご一緒に
学ばせて頂きます。どうぞよろしくお願いします。
これからのご活躍を心よりお祈り申し上げます。