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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

小夜啼鳥(さよなきどり) 三浦志郎 7/28

二人の
恋の証しに
ナイチンゲールは歌ってくれました
ロンドンの
バークレー公園での時間でした

二人の
小さな夜のために
その鳥は鳴くのでした
眠ることさえ忘れたように―
美しく鳴き終わった後は
血を吐いて
命を捨てかねないようにー

鳥のことは
そこまでにしましょう
むしろ
私たちの恋のことです

恋の始まりは俗に
”落ちる“とか言われますね

でも 私たちは
落ちませんでした

あの鳥の歌に誘われて
翼のように舞い上がったのです

そして 一緒に
何処までも行けるのでした
そう それは
恋の目的地のようでした
抱擁と接吻という
二人の営みのようでした

やはり鳥の話に戻しましょう
私たちの恋の行方を
ナイチンゲールは占い
祝福を歌にしてくれたのです

それは夜が美しい
バークレー公園の出来事でした



*          *          *          *          *


「ア ナイチンゲール サング イン バークレー・スクエア」
という曲がある。その昔、一度だけビッグバンドで演奏したことがあった。
つい最近も、ある女性シンガーが歌ったのを聴いた。それがきっかけで思い出した。
私はこの曲についてふたつの誤解をしていたのだ。

ひとつ目の誤解は、主題が歴史的に偉大な看護師ナイチンゲールの事だと思っていた。(あのナイチンゲールが「サング」―歌ったのか?)。しかしよくよく調べると、ナイチンゲールとは鳥の名前だった。
(あ、だから「ア」が付いてるわけだ。鳥が公園で鳴いたのか?)

ふたつ目の誤解は、私はこの曲をジャズのスタンダード・ナンバーと思っていた。
そうには違いないのだが、元々はイギリスの流行歌~LOVE SONGであると知れた。どうりで歌詞に「ロンドン」が出て来るわけだ。しかもこの曲の成立は1940年。時あたかも「BATTLE OF BRITAIN」。国家の存亡がかかっている時期に、こういった曲が生まれたのは、明らかに日本とは違う。本来「不謹慎」とされるべきだが、逆に「英国人の不退転・タフネス」として、私は感じ入ってしまう。ともかく元々は、アメリカの曲ではなかったのだ。しかし、こんな美しい曲なら、英米関係なく聴いていたい。ノスタルジックを味わうなら、ナット・キング・コールのフィーリング。モダンな雰囲気なら、ロッド・スチュワート・バージョンがわかりやすい。

ちなみに、ナイチンゲールという鳥は日本には存在しないそうだ。美しい歌声のわりには地味な装いの鳥。そこにある奥ゆかしさ。
ただ日本語訳だけはあって、「小夜啼鳥(さよなきどり)」という優しい名詞が与えられている。恋人たちと、この鳥のためだけに日本語は用意されている。そんな風にも思えて来る。曲を聴きながら調べて、私はなんだか嬉しくなって来たのだった。

編集・削除(編集済: 2025年07月28日 14:41)

荻座様 お礼です 上原有栖

今回も丁寧な感想と評を頂きまして誠にありがとうございます。
この詩はタイトルが何故「鱒」なのか?というところからもう、読み手の方に考え方を自由に委ねる詩となったような気がします。ご指摘の通り、「この詩は〇〇として読んで欲しいです!」とは私も言語化できない詩ですが、そこが自分でも気に入っています。
見えないところで泳ぐ魚をどのような形でも、この詩から感じて頂ければ幸いです。
美しい作品と言って頂けて嬉しいです。これからも楽しく詩に寄り添っていきます。次の投稿の折にも、どうぞ宜しくお願いいたします!

編集・削除(未編集)

人工衛星  静間安夫

物心ついてまもなく
彼方に美しく
青く光るあなたを
見つけたそのとき、
わたしは有頂天になり
たちまち、あなたの魅力の
虜になってしまった

それ以来
あなたの周りの軌道を
ただひたすらに
回り始めたのだ

ところが
いつまでたっても
目指すあなたには
たどり着けない

定められた軌道を
幾たびも
繰り返して
回るより仕方がない

それでも
わたしは幸せだった
何よりも
美しいあなたを
いつも見守ることができ
常に手の届くところに
あなたがいてくれるように
思えたから

しかし
いつしか時は過ぎ去る

そして、とうとう
わたしの寿命が
尽きようとする今になって
かくも数奇な運命が
待ち受けていたとは…

なぜなら
最期のときを迎えて
わたしは初めて
軌道の中心へ
引き寄せられるのを感じ
「ようやくあなたの懐に
たどり着ける」
と歓喜したにもかかわらず
その刹那
こともあろうに
わたしの身体は
むなしく燃え始めたのだから

まるで恋に殉じる
一人の人間のように…

編集・削除(未編集)

荻座利守様 評の御礼です  温泉郷

今回も丁寧にお読みいただきありがとうございました。私の住まいの近くにあって放置されている空き地が気になっております。夜はかなり不気味でして通るときに浮かんだイメージを作品にしてみました。最後の部分、ご指摘のとおり尻切れトンボでした。いただいた案、とても素敵です。能舞台が浮かんで来ました。ありがとうございます。今後とも宜しくご指導下さい。

編集・削除(未編集)

荻座利守様 御礼  aristotles200

荻座利守様
評とご感想、ありがとうございますいます。
佳作とのご評価、とても嬉しいです。

ご指摘の
「やがて飽きる、全て色褪せてしまった」
ですが、確かに、
「程なく訪れた倦怠が、全てを褪色させてしまった」
とすると、詩、全体の格調も上がります。

しかしながら、
「程なく訪れた倦怠が」という言葉、
繰り返し、省みましたが
今の私では、逆立ちをしても出てきませんでした。
如何せん、私の詩作の力不足です。

詩作は、難しいですね。
この一線、凄く大きいと感じています。

毎回、同じことを書いていますが、
今回も、まだまだです。

ご指導、ありがとうございます。
これからも宜しくお願いいたします。

編集・削除(編集済: 2025年07月27日 16:10)

7/22〜7/24 ご投稿分 感想と評です  荻座利守

7/22〜7/24ご投稿分の感想と評です。宜しくお願い致します。
なお、作者の方々が伝えたかったこととは異なった捉え方をしているかもしれませんが、その場合はそのような受け取り方もあるのだと思っていただければ幸いです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

7/22 「虚無主義にはなりたくない」 荒木章太郎さん

お寺のお子さんが、親御さんとは違う道を進み、ざざまな経験を経て、実家のお寺を継いだり、似たような職についたりする、といった話をいくつか聞いたことがあります。血は争えないということでしょうか、それとも、幼い頃の成育環境の影響でしょうか。
それはともかく、今回の作品ですが、全体的に以前の突っ走ったような感じが少し抑えられて、やや落ち着いた感じになったような印象を受けました。
まず1連目の「顔の右半分を吊り上げて/ニヒニヒと笑うようになった」という表現が独特で面白いです。また、ワニの剥製の逃亡とネットでの聖地の噂は、現代の都市伝説の発生の経緯を現しているようで、これも面白いです。
ここで重要なのは「聖なるものは/人の噂が作り出すもの」ということなのでしょう。それは聖なるものを人々が求めていることの現れなのだと思います。そしてそのことが「ニヒリズムに陥りそうになった俺は」「まだ見たことのない神に祈る」ということに繋がるのでしょう。
さらにその背景には、工学や自然科学の世界に入っても、ニヒリズムの克服にはつながらなかった、ということがあるとも受け取れます。
そして最終連で、「四葉のクローバー」という、語り手がまだ希望を捨てていないことの象徴とも思えるものがでてくるのが良いですね。
ただやはり、8連目と11連目と12連目の隠喩と、全体の流れとの接点が、いまひとつよくわかりません。
「本物のワニを焼いている」、地下倉庫の下の「稲やレタスや人工肉」、「工夫してきた親父たち」、これらが何を意味しているのでしょう。
自然をコントロールし、聖なるものを白日のもとに曝そうとする人間の浅知恵を「親父たち」と表しているのでしょうか。
このあたりに何か、読み手のための「補助線」になるような部分が欲しいような気もします。
それでも最終連の表現が、うまく抑えが効いていて、詩全体を美しく締めています。
評については、佳作半歩手前とさせていただきます。


7/23 「鱒」 上原有栖さん

どこか内省的な印象を受ける作品ですね。特に1連目の括弧書きの部分は、自分自身との会話のように受け取れます。そうであるならば、タイトルの「鱒」とは現実に存在する魚としての「鱒」ではなく、自分の内面にある何かの象徴であると思われます。それが「心ヶ淵」という淵の名前に表されているのでしょう。
ただ、この「鱒」や「心ヶ淵」が何を象徴しているのか判断するのは、とても難しく感じました。「心ヶ淵」については1連目の「(恥じらいを知った頃から)」というところがヒントになっているような気もします。そして「鱒」については、最終連がヒントになっいるなかなとも感じられます。
しかし、それらについて「自我意識」とか「生命力」とかいった言葉がフッと頭に浮かんだのですが、そんな言葉で表してしまうと途端に陳腐になってしまいます。強いて言えば、はっきりと言語化できないからこそ詩の題材となり得た、詩として表現できたもの、ということになるのでしょうか。
全体的な表現については、抑えの効いた落ち着いたものとなっていて、秘密の場所である「心ヶ淵」という雰囲気に合っています。
特に3連目の、左端を一文字分開けた配置や、「大きな 鱒」や「美しい 鱒」といった、形容詞の後に一文字分空白を置いている表現が、鱒の存在感を表すのにとても効果的だと感じました。
ただ、5連目や最終連でも同様な、一文字分空白を置く表現を用いていますが、3連目の「大きな 鱒」「美しい 鱒」という表現を際立たせたいのであれば、5連目と最終連は普通の配置でもいいのではないかなとも思いました。
でもそれは些細なことであって、全体的に静謐で均整のとれた、美しい作品だと感じました。
評については、佳作としたいと思います。


7/23 「変換」 喜太郎さん

子供の頃は感じるままに動けたのに、大人になって様々な人間関係のしがらみに絡め取られて、心が勝手に言葉を変換してしまう。そんな悲しみや苦しみが丁寧に描かれていますね。
言葉を選んだり笑顔を作ったりすることに疲れるというところは、多くの人が共感することなのではないでしょうか。
そして、何も考えずに踏み出した右足を左足が追いかけてきたといった表現を用いて、それを、一歩踏み出すにも勇気が必要となっている現状につなげているのは巧みだと感じました。
それからその後の、「自分さえ我慢すればって」「見えないふりして心から視線を外す」「もう何度も繰り返すから勝手に動く薄笑い」「綺麗な人生なんて短いから輝くのかな?」といったところは、多くの人が抱えている思いを代弁しているかのようです。
さらに末尾の2行も、苦しみの切実さをうまく現していると感じました。
ただひとつ、タイトルが「変換」であるのに、本編では「変換」ということが、やや隅に追いやられているような印象を受けます。言葉の変換、そして真実と嘘との変換、それらの望まぬ変換、強いられる変換が、どのように心や魂に歪みや痛みをもたらすのか。そこのところを何らかの比喩や、擬音語、擬態語などを用いて表現したならば、その苦しみが読者により感覚的に伝わるのではないでしょうか。
でも最後にもう一つ感じたことは、こんなふうに自分の中の葛藤や醜さを表すということは、自分自身への誠実さの現れなのだろう、ということです。
評については、佳作一歩手前としたいと思います。


7/24 「静けさの世界」 aristotles200さん

静寂に覆われたディストピアを描いた作品ですね。2連目にある「塩の柱」とは旧約聖書にある「ロトの妻の塩柱」から得た着想でしょうか。
ソドムとゴモラの滅亡の際、ソドムから逃げる途中に振り返るなとの神の言いつけに背いたロトの妻が、塩の柱にされたという伝説。
でも、恥ずかしながら私は、まず最初に有川浩によるライトノベル、「塩の街」を思い浮かべてしましました。これは、突如として空から巨大な塩の結晶が落下し、同時に人々が塩へと変わる「塩害」と呼ばれる怪現象が発生した世界の物語です。
それはともかく、全体として厳かな感じで統一されていて、美しく仕上がっていると感じました。
また、三分された世界観により、この詩の構成がとても良く整えられていると思います。
そして8連目の、人々がその愚かさ(?)から塩の柱へと変わってゆくのが良いですね。ロトの妻が振り返ったのも、悪徳の街ソドムへの執着が残っていたからなのかもしれません。また、「最後の声は/ありふれた/母を呼ぶ声だった」というところも、信仰を失ったもののよりどころが母親だったというのが、シニカルでありながらどこか哀愁も感じられて、とても美しいと感じました。
ただこれはとても些細なことなのですが、7連目の「やがて飽きる」や、8連目の「業とか」という表現が、全体の雰囲気にややそぐわない感じがしましたので、それらにもう少し工夫があれば尚いいかな、と思いました。
例えば、「やがて飽きる、全て色褪せてしまった」というところを「程なく訪れた倦怠が、全てを褪色させてしまった」みたいに、また、「業とか」を「あるいは 業」みたいにしてみてはどうでしょうか。
全体を通した文体が厳かな感じなので、これらのような些細な点がかえって目立ってしまうような気がしました。
それでも、それらは本当に些細なことで、この作品に流れる「厳粛なる静けさ」の雰囲気を損なうものではありません。
ですから評については、佳作としたいと思います。


7/24 「深夜の能舞台」 温泉郷さん

都会の中の限られた土地で懸命に生きる、いわゆる「雑草」と呼ばれる草の姿を描いていますね。その、周囲を人工物に囲まれた土地を、能舞台に例えているところが斬新だと感じました。
いくつか植物の和名が書かれていますが、それらの中で一番印象的だったのが、なんといっても「ヘクソカズラ」です。実際にその臭いを嗅いだことはないのですが、何だか身も蓋もない名前ですね。この草からしてみれば、その嫌な臭いも生き残るための大切な手段だったのでしょう。ちなみにこの草には、かわいらしい花を咲かせることから、サオトメバナとかサオトメカズラといった呼び名もあるそうです。
それはともかく、もう一つ印象的だったのは、「外側までは進出できず」「人に踏まれながら」「ぎりぎりの際で/小さな花を咲かせている」といったところが、いわゆる撹乱地に生きる、そして、撹乱地でしか生きられない「雑草」の姿をうまく表していることです。そしてそのことが、次の連の「ここだけが/彼らの舞台」というところをスムーズにつなげています。
さらに、6連目の能の描写が幻想的で良いですね。特に「冬枯れの/幕間に見た夢を披露する」というところが、草たちの生の厳しさが巧みに表されていて美しいです。
ただひとつ気になったのは、その後の終わり方です。なんとなく詩の途中で途切れてしまっているような印象を受けました。その後に詩全体を締める部分があったほうがいいように思います。例えば、
 昼間の街に犇めく
 喧騒の裏に潜む
 誰も観ることのない
 深夜の能舞台
 しめやかに
 ひそやかに
 風の謡に
 緑の装束が舞う
みたいな感じで締めてみてはいががでしょうか。
評については、佳作一歩手前としたいと思います。

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夫婦の運命  津田古星

毎日同じ屋根の下にいたら
相手の嫌なところも見える
相手も私の嫌なところを見ている
だったらお互い様だね

夫婦は一心同体とか
いえいえ そんなことはない
わたしの心はわたしのものだし
わたしの身体はわたしのもの

他愛のない会話や事務的な報告
それで毎日が過ぎてゆく
何で二人は結婚したんだっけ
何で人生を共にしているんだっけ

苦しく困難な時
わたしはあなたの誠実な姿勢と
へこたれない強さと
家族を思うやさしさに
頭を下げ
あなたはわたしの
素早い決断力と
確実に物事を処理する能力を
認めてくれたから
車の両輪のように働いて
前へ進めてきた
その歴史が夫婦ならば
まあ合格点をつけても ばちは当たらないね

と思っていたら あなたが 
人として最高のふるまいを見せた
75歳にして自分を省みず
人の命を救うという行動を

わたしは こんな日が
いつか来ることを
実は知っていた気がする
だから わたし達夫婦なんだね

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学生時代

寂しさを伝えます
友達ででもあれば女のあなたに伝えます

日暮らしが鳴いていた
夏の終わりも
寂しかったです
風の強かった三月に見た
飛行機雲も
寂しかったです
後ろの陸の方が
曇天でした

昔 ひとりで歩いた
東京の夜道も
寂しかったです
二つのヘッドライトが
僕を照らして
行き過ぎました

そう言えば
九月に足が冷たくって
ドイツ語の勉強をしていたときも
寂しかったです

冬の夜に 猫が鳴いていたときも 
友達が帰ると言ったときも
休みになって東京を去る時も
いつも 寂しかったです

こんなことは誰でもなんでしょうが
僕は 今までずっと寂しかったです

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終着駅  こすもす

ある駅のホームに立っていた
辺りには霧が立ち込めている
霧の中から列車がやって来た
行き先のプレートには「未来」と書かれている

重い足取りで列車に乗る
すぐ後にもう一人乗ってきた
私と同じくらいの年の女の人だった

彼女は少し離れたところに座った
顔色が悪い
かなり疲れているようだ
話しかけようとしたが
思いつめた表情を見てやめた

出発した
私と彼女は何も喋らないまま
窓の外を見ていた

トンネルに入る
かなり長そうだ
列車の照明が消えた
辺りは真っ暗になり
走る音だけが響く
その音を聞いているうちに
私は眠りに落ちていった

目が覚めると
列車はトンネルを抜け
ターミナル駅に着いていた

彼女はいなかった
窓の外を見ると
別のホームに立っている
顔色は戻り
笑みを浮かべている
さっきとは別人のようだ
「何があったのだろう」

ホームに列車が入って来る
行き先のプレートには「希望」の文字があった
彼女はその列車に乗った

羨ましく思いながら
去ってゆく列車を見ていた

列車はターミナル駅を出発した
私だけを乗せて
「未来」に向かって走ってゆく

私を待つ終着駅
駅の名前はまだわからない

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洗濯物的日曜日 詩詠犬

日曜日の朝
洗濯物を干した
黄色や緑のシャツやパンツ

その向こうには
公営住宅がみえる
そして その向こうには
うす青色の空があり
その上には灰色がかった雲が
浮かんでいる

日曜日の朝の気分
洗濯物の匂いのような 朝の気分
これまで何度 この気分をあじわったことだろう

小さい頃は 
野球教室や世界の旅が
ブラウン管に映っていた
今は ほとんどテレビをつけないが
頭の中で 依然その音が鳴っている

とりたてて 何がどうということはないのだが
無性に 虚しく哀しいのは
なんでだろう

昼前になると
炒飯の匂いが
午後の憂鬱を連れてやってきた
そして その憂鬱は
汚れたティッシュのように
わたしのなかに 
徐々に折り重なっていった

やがて 辺りは
暗く沈みかけ
わたしは
夕日のホリゾントをバックに
ひとり 佇んでいた

そして 私は
いまも ひとり
夕日に 佇んでいる

編集・削除(編集済: 2025年07月28日 13:22)
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