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(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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誰かの手首につけられた腕時計。あの腕時計の中身は覗いたことはあるだろうか?
あの小さな機械の中に、複雑な約束事で重ねられた世界が広がっているのをご存知だろうか?
ムーブメント。時計と呼ばれる星の街に降り立つ。
見上げれば空一面に広がる、どこまでも透明に近い青の月。この月は街一面にかぶさるコンタクトレンズのような形をしている。
透明な月の奥に誰かの瞳が見える。あの瞳は表面をなぞることしか出来ない。内側にいる私のことをうかがい知ることは出来ない。
リューズ(※1)を巻くと、星は自転し始める。神様が定めた物理法則を従って世界は正しく働きはじめる。ぜんまいや歯車が規則正しく回る。その静かな営みは、壁掛け時計の秒針の音が響くような一人きりの夜と相性がいい。手をかけることによって、この星は時を刻む。歯車が噛み合い、連動して、時の調(しら)べが流れる。
瞳から見える表面には時間の表示しかされない。こちら側からは機械仕掛けの街並みが広がっている。鈍色と銀色(しろがねいろ)が広がる冷たく硬い街並みに不釣り合いなメリーゴーランドのように回り続ける歯車。ゼンマイが噛み合い、軋(きし)む音は絶えず動くのに心音のように意識されないノイズ。
自転する世界の正しさを何も考えずに眺める。鋭利な時を刻む針が規則正しく、止まらず空を薙なぎ始める。一秒、一分、一時間ごとで一日をはかる。限りある時間が削られ始めるのを感じる。永遠の独り言のような音が響く。
もっとも、この星が自転をやめたら、時間が止まるかと言えば、そういう訳でもない。単に星の寿命がより短くなるだけ。動かしてやらねばならない。
システムめいた世界の営みに美しさを感じるが、時折、その営みが無機物のように感じられる。
無機物が刻(とき)を産み続け、それを育はぐくみ続ける生き方の有りように歪(いびつ)さを感じることもある。極たまに。
そんな時は私のゼンマイの動きが鈍っているのかもしれない。退屈、雑念、諦観……リューズを巻かなければ動けないのは、私も世界と同様なのかもしれない。
彼の地でリューズを巻く人と等しく夜の中に、一日の終わりを愛おしむ必要が私にもあるのだろう。指先は目的のない静寂を埋める為にある。
機械仕掛けの星が人々の腕に宿り、その星は点々と点在している。同じ時に作られた星もあるけれど、近くにあるとは限らない。
例えば、リューズを巻かない星の街が向かいに見える。その星の北極星を凝視すると水晶のきらめき。(※2)ルビーがいくつか煌めく星(※3)。
離れ離れの星々は、人という宇宙の孤独に、それは似ている。手をかけなければ、緩んで、ほどけてしまう星ばかり。
不確かな人の絆という魔法の構造も覗いてみれば、手首に巻かれた星の街と変わらない程、精密で、緻密な仕組みで作られているのかもしれない。
違いは……リューズを回す数が大幅に多くなることと、回してもあなたにとって正しく働くとは限らない。
それでも耳を
すませてほしい。
私にも
あなたにも
この街も
生きている。
刻まれるものが
私と、この街は数字で
あなたは物語という
違いがあるけれど
我々は
等しく律動の音を産んでいる。
この星に住む私から
街の静かな時間を
彼の地の瞳の方に。
一時というものが
形にできるのなら
綺麗にラッピングして
差し上げたいと思う。
絆が刻む不確かな時間の有り難みは
星の街が刻むような時間の中で
感じられるものだから。
この冷たく感じてしまう静けさは
過ぎるだけの温度の数字ではなく
刻み積もる余熱の数字なのだと。
この星より
あなたの瞳に届けられる
数字は
あなたに流れる
生きる鼓動の数なのだということを。
腕時計の音すら
聴こえるほどに
寂しい夜は
星に住む人が
あなたに
そう訴えたい声なのかもしれません。
【備考】
※1 リューズ→手巻き式時計のゼンマイを動かすために定期的に回さなければいけないネジ。
※2 リューズを巻かない星→クオーツ式時計。水晶の振動によって時間を測っている。
※3 ルビー→軸受けなどに使われる人工ルビー。摩耗を耐えて、硬すぎないことで選ばれているそう。
今回、参考にしたURL
https://www.ne.jp/asahi/kuruma/garou/ts-04-watch-7.htm
色艶良く 粒揃いの
シャインマスカット
その中に隠れているのは
より甘くて熟した黄色く色づいた粒、
あるいは、
まだ熟しきれていない青く小さい粒
夜毎、密やかに囁き合うのは
夢の続きを映し出す声
遠い記憶の欠片を抱えたまま
月の雫を吸い込んで光る皮は
ひとつひとつの願いの結晶
誰かの秘めた望みを叶えるために
この世に実ったのだろうか
指先でひと粒ずつ 確かめるたびに
時がふっと揺らぎはじめて
果汁と共に溶け出す
未来の希望と過去の忘却
口に運べば、
戸惑いと懐かしさが交差し、
それでも止められぬその手は
果実を選ぶように
自分もまた選ばれていることに気づく
この小さな粒の中に
知らず知らず閉じ込めてきた
本当の自分がいることを
私はまだ知らぬふりをしている
台風の後の改修が間に合わず
競技場のトラックは
半円形のまま
ゆえに
そのリレーは
往復形式で行われた
一旦左から右へと走り
右端でバトンを受け取ると
今度は左へと戻る変則リレー
しかも
トラックの外側から
徐々に内側のレーンへと
リレーされるのである
競技ではないから
チームは一つ
観客は満員
号砲!
第一走者は
赤いトマトのバトンをもって
握り潰さないように
注意しつつ疾走
バトンを第二走者に渡すと
第二走者のバトンは
ニンジンに代わって快走
第三走者にバトンを渡すと
バナナに変わり順調な走り
第四走者にバトンを渡すと
え?キュウリじゃないの?
キャベツに代わり
腰折れで走っていく
エースの第五走者にバトンを渡すと
普通のバトンで再加速
青色ダイオードで輝き
人工光線が腕の振りに合わせて
シリウスの水滴のように
客席に怪しく交差する
歓声は最高潮
第六走者にバトンを渡すと
ああ!
シリウスの水滴が
ブルーベリーに代わり
ボロボロこぼれ落ちる
拾い集めて
両手に持って懸命に走る
アンカーの第七走者に
ブルーベリーを渡すと
バトンは よし!
ナスに代わり
直角肘で爆走
角度のついた弧の
最終コーナーを
はみ出さないように周り
ゴール
虹のリレーの完成!
トマト、ニンジン、バナナ
キャベツ、粒々ブルーペリー、ナスの面々が
歓喜で集まり
やがて涙で溶けて
境界がぼやけていく
青色ダイオードだけが
勝利の光線を
いつまでもくっきりと
観客に投げかけていた
観客の去った競技場に
青色ダイオードが一人
孤独の光を
全力であいまいにしながら
最初は誘われても断っていた
夕日の中に
ゆっくりと溶けていった
俺のはしたない記憶など
見えぬ鳥どもの
カッコウの餌食だ
俺の独りよがりの夢など
聞こえぬ鳥どもの
カッコウの餌食だ
小さきものに食われる
惨めさよ
巣に残ったのは
我が子ではなく
背をそらし
口をひらき
もっと、もっとと
餌をせがむ影
格好ばかりの俺は
落とされたものに
気づきもしない
カッコウの餌食だ
親代わりの俺も
孤児も
欲しがってばかり
欲しい 惜しい
いと惜しい
惜しくて悔しくて
愛おしい
愛おしさを捧げるほどに
この身は空にならず
むしろ満ちていく
捧げるたびに
形はやわらぎ
満たされる
捧げることで
生きている
——もはや餌食ではない
黄色い花 黄色い蝶々 黄色い葉っぱ
赤になる前に黄色が謳歌する今年の9月
去年の9月も黄色が溢れていただろうか?
写真ホルダーを開いて確認すると
8月のひまわりが潔く散った後
稲穂が黄金色にたなびく
田んぼの風景が収められていた
曇天の空模様ながら
穂は誇らしく黄色かった去年の今
眠っている
いつ寝たのかは記憶がない
いびきをかいている
という夢を見ている
気持ちよく眠っている自分を
見ている夢を見ている
いびきをかいている自分を見ている
自分を見ている
いびきが本体の夢なのか
いびきを見ている方が本体の夢なのか
見ている夢を見ている夢が本体なのか
深層にいる
いびきをかいて寝ている自分と
夢を見ているいびきを見ている自分
その、自分を見ている自分
三つの夢を見ている
トイレに行きたい、しかし
深層の夢の訴えは
夢のベールに覆われて外側に届かない
そもそも、トイレに行きたい
ということ自体が、夢の可能性がある
お腹が空いた、表層の夢を見る自分は
上、下の夢に空腹を訴える
最下層はトイレに行きたい
中間層の夢は、気づく
深層の夢は、深刻である
全ての夢は覚めねばならない
と、中間層が先に目覚めた
深層の夢はパニックを起こす
もはや、耐えられそうにない
表層の夢と合体せねばならない
届かない
ここで
目覚めた中間層は
賢明にも肉体をトイレへと運ぶ
ことを為して
穏やかな表情を浮かべる
しかし依然として
表層と深層の自分は眠っている
起きる、を決断するのは
深層でなければならない
肉体を動かす、自体が怪しい
ならば
これが第四の夢なのかも知れない
四つの夢は交差し
本体は何処かへと消えてしまった
永遠に眠り続けるのかも知れない
困った、と四つの夢は相談する
中間層はいう
いる
この四つの夢を見ている
五つ目の自分がいるはずだ
全員で、叫ぶんだ
起きろ、起きろ、起きろ、起きろ
目覚めない
何故なら
この夢は、六つ目の自分が見ている
いびきをかく夢を見ている
本体こそ、この夢の起点
そこから、それぞれに分岐し
分岐した夢は前後の分裂を重ねる
もはや、数十億の眠れる自分が
それぞれ夢を見ている
起点の夢に変化が訪れる
目覚める、夢を見た
そこから
もはや数千億を超える夢は
次々と目覚める、夢を見る
しかし
夢の中で目覚めた起点の夢は
夢の中であることに気づけない
夢の中で目覚めた夢たちは
やがて
再び眠り
夢を見る
数京兆まで増加した夢は
永遠に
増殖を続ける
永遠に
奥さんと別れたことがある友人から聞いた話だ
彼は冷蔵庫に別れた奥さんの髪の毛を一本
ラップに包んでしまっておいた
そのまま長いこと放置して
再婚が決まり次の奥さんが越して来るときに思い出した
すぐに捨てようとした
でもゴミ箱に入れる間際
気になってラップを開封して鼻を近づけた
そのとき子供の肌のような匂いがしたというのだ
冷蔵庫なんかに入れるからだ
そう思ったが
もしかして彼の未練が熟成したのかもしれないな
ならばいまの奥さんの預かり知らないことでよかったなと思った
これで話はおしまいだった‥‥はずだがこの続きがいま気にかかっている
もし私が奥さんの髪の毛を拾ったとして
冷蔵庫に入れたり匂いを嗅いだりするだろうか
する訳もなくただゴミ箱に放るだろう
実際に普段からそうしているし
でもそうやって捨てたあと
なにかのためらいが残ったりはしないかと
実は‥‥拾ったばかりの奥さんの髪の毛を
私もラップで包んでみたのだ
そして冷蔵庫のどこか目立たない場所に入れたらどうなるか
そう思っただけで扉にかけた手が止まったことが
まだ大丈夫ということなのだなと安心したようで
ただどうも気持ちの座りどころが悪くて
まるで不穏なものを捕まえるというあのインディアンの蜘蛛の巣のように
その一本の髪の毛が
どこかの夜に勝手に網目を広げたりはしないかと
ラップから取り出し
ただの一本の髪の毛に戻して
これからゴミ箱の一番底に捨てようと思うのだ
悲しみの向こう岸に
笑顔があるのなら
辿り着いたら僕の目には
何が見えるのだろう
辛くて寂しくて切なくて
この流れを横切る力なんて
無いんだ
たたずんで流れを見つめてるだけの僕に
『流れが緩やかになるまで待てばいいさ』
誰かが呟いた
僕は大きな岩に腰掛けて
流れる涙もそのままに
ただ待つだけ
時が過ぎ
辛さも寂しさも切なさも
雪解けのようにぽたりぽたりと溶けた時
立ち上がり足を流れに入れた
まとわる流れが穏やかで
また一歩また一歩と歩き出す
まだ向こう岸は見えないけれど
期待が心の中に芽生えた
流れが強くなろうとも
きっと僕は歩ける気がした
向こう岸には何があって
向こう岸には誰がいるのだろう
それがどうであれ
僕は渡りきった
笑える気がした
麦茶とぼとぼコップにこぼれ、
茶色の液体ざぶんと満ちて、
僕は苦い思いがどくどくと水流のようにあふれてきた。
なんとなく見ていたテレビに映った偉人の背番号に、
恋に憧れた日々を思い出した。
過ごした年月は川の水が流れて別の水脈へ行くようだった。
彼女は偉人がボールを打つ速度でやって来て、偉人がボールを投げる速度で去っていった。
ある晴れた日、
僕は左手にビール、
彼女は右手に麦茶、
偉人がスタジアムで偉業を成し遂げたのを祝福しあった。
こぼれた液体を拭き取ると、
ひとりになった部屋で僕は彼女が置き忘れた偉人のキャップを見つけた。
ゴミ箱に入れようとしたら、冷えた麦茶よりも冷たい涙が溢れてきた。
年々厳しくなる猛暑に加えて
大型台風、竜巻、線状降水帯…
異常気象の影響は計り知れない
中でも
近ごろ頻発する内水氾濫は
都会の密集地に住んでいる
わたしたちが、とつぜん
向き合わされた脅威なのだ
なぜって
市街地の中小河川は
どれを見ても
河床が深く掘り下げられ
川幅も広げられ
そのうえ護岸工事が行き届き
洪水が起こるなんて
まったく警戒していなかったから…
そんなわたしたちにとって
降水量が予想をはるかに超え
排水機能が追い付かず
処理しきれない雨水で
道路が冠水し、建物が浸水するなんて
これまで決して
想像できなかった事態なのだ
あちこちで
膝上まで水に浸かりながら
ずぶ濡れになって歩く人たち、
水浸しになってもう動けない自動車、
共同住宅やクリニック、
それにレストランの入り口から
わが物顔に流れ込む濁流
まるで「日常」とか
「普段の生活」とか
慣れ親しんだ世界の
底が抜けてしまったようだ
そして
何よりわたしが恐ろしいのは
マンホールの蓋が
空中に吹き飛ばされ
水柱が上がる有り様だ
たしかに、これは
異常気象を象徴する
ひとつの現象かもしれない
ただ、この水柱が わたしにとって
いっそう恐ろしく感じられる理由は
―いささか突飛な比較かもしれないが―
凶暴に出口を追い求める濁流と
ストレスに追い詰められて
とつぜん路上や乗り物の中で
他人を傷つけてしまう人々が
重なり合って仕方がないからだ
そうした出来事は、やはり
わたしたちの身の回りで急に増え
偶然、巻き添えになった人たちに
悲惨な結果をもたらしている―
一瞬にして
平穏な日常を壊してしまうのは
内水氾濫と同じなのだ
パワハラ、カスハラは言うに及ばず
日々の仕事、生活のあらゆる場面で
自己の感情をコントロールして
演技し続けなければならない重圧、
そのうえ
世の中に蔓延する同調圧力などなど…
夥しく増え続ける降水量のように
人々の心を押しつぶす
ストレスの種は尽きない
こうしたストレスと、どう向き合うか?
容易に答えの出ない問いを前にして
わたしたちは、ただ
立ちすくむよりほかはないのだろうか?
ひとつだけ
かすかでおぼろげな手がかりがあるとすれば
この場合も、やはり
内水氾濫との比較が教えてくれる―
それは、今
都会のあちこちに作られている
「調節池」、つまり
豪雨の時、膨大な量の水が
流れ込むことができる
巨大な貯水槽だ
まさに洪水対策の
最後の手段と言ってよい
結局,人間も
これと似たようなところがあって
こころが大きな湖のような
容量を持っていれば
ストレスだのなんだの
様々な問題が流れ込んでも
決して溢れないのでは?
と思うのだ
ましてや
その湖が深く広々として
いろいろな魚が住めて
おまけに岸辺を豊かな森林が
覆っていたらどうだろう?
これほど静謐な内面の持ち主ならば
余程の事態に直面しても
受けとめることができそうだ
きっと
自分が自分になれる時間を
努めて大切にしている人の
こころの中には
そんな風景が広がっているに違いない
いや
それだけではない―
ひとりひとりが持っている
こころの中の湖は
決して孤立してはいないのだ
なぜなら
それぞれの湖は
奥底の深いところで
お互いに地下の水路で
つながっているから
富士の麓にある
本栖湖、精進湖、西湖の三つの湖が
渇水の時も、豊水の時も、いつでも
湖面の標高が一致しているように、
ひとりひとりが
お互いに喜びと苦難を
分かち合っているからだ