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論語でジャーナル’24

 儀の封人(ふうじん)、見(まみ)えんことを請いて曰く、君子の斯(ここ)に至れるもの、吾(われ)未(いま)だ嘗(かつ)て見ることを得ずんばあらずと。従者これを見えしむ。出でて曰く、二三子、何ぞ喪(そう)することを患(うれ)えんや。天下の道なきこと久し。天は将(まさ)に夫子(ふうし)を以て木鐸(ぼくたく)と為さんとす。

 衛の儀(=地名)の国境役人が(孔子に)面会したいと願って言った。「ここを通過した人で立派な君子である人と、私はまだお会いしたことがないのです」。そこで、孔子の従者が、国境役人を孔子と会わせてあげた。孔子のもとを退出してから国境役人は言った。「諸君、亡命して流浪しているからといって、どうして心配することがあるだろうか(いや、心配する必要などない)。世界が道徳を失ってからずいぶんになります。誰か救済者が出なければなりません。天(天上の神)は、あなたがたの先生(孔子)を、天下に正しい道徳を打ち立てるようにふれ回る木鐸にしようとしているのだから」。

※浩→「封人」とは国境線の防衛に当たっている役人のことです。日本で言えば「防人(さきもり)」です。忠恕と礼節を備えた真の君主である孔子に見えた(まみえた)国境役人の感動と興奮が伝わってきます。国境役人は故郷の魯を追われて亡命している孔子の弟子たちを励ますように、孔子の稀有(けう)な才能と天下を支える人徳について賞賛します。故国を失ったことは悲しむべきことですが、天下の逸材である先生(孔子)に従っている以上、あなたたちは何も心配することなどないと。現代でもマスメディアを「社会の木鐸」と言いますが、古代中国では政府が民衆に何かを周知するときに木の鈴を鳴らしました。これが木鐸です。武事には「金鐸」、文事には「木鐸」です。政治の先行きや社会の問題を客観的に見通すことのできる知識人や文化人が「社会の木鐸」ですが、情報革命(IT普及)の進展で、今は、マスメディアや知識人への素朴な信頼がぐらついて、社会の木鐸として完全に信頼できる権威は成り立たない状況にあるようです。なるほど、日本の大手の新聞社には、どこの国の利益を考えているのかわからなくなるような動きをしているところがあるみたいです。さいわい、インターネットで、そういうメディアの報道を厳しく批判している記事に接することができますから、私たち市民はメディアの変更記事に惑わされることが少なくなっていて助かります。今日10月31日は「ハロウィン」です。
 ハロウィンは、毎年10月31日に行われるイベントです。キリスト教では、ハロウィンの翌日(11月1日)は「諸聖人の日(万聖節)」という祝日にあたります。諸聖人の日とは、キリスト教におけるすべての聖人を記念する日です。ハロウィンは英語で「Halloween」とつづりますが、これは諸聖人の日(All Hallows' Day)の前夜(All Hallows' Evening)が短縮されたものです。つまり、ハロウィンは「諸聖人の日の前夜祭」といった意味の言葉になります。
 ハロウィンの起源は、2000年以上昔の古代ケルト人までさかのぼります。古代ケルト人とは、アイルランドやスコットランドを始め、ヨーロッパの多くの地域に居住していた人々のことです。古代ケルト人の宗教であるドルイド教では、10月31日に「サウィン祭」というお祭りを行っていました。サウィン祭は、ケルトにおいて1年の終わりである10月31日に収穫物を集めて盛大に行う、夏の終わりと冬の到来を告げるお祭りです。その後、歴史の中で古代ケルトの文化はキリスト教文化に吸収されていきますが、10月31日をお祭りとする風習は残り続け、現在に伝わるハロウィンへと変化していきます。もともと古代ケルトの宗教的なお祭りからスタートしたもので、キリスト教由来のイベントではないことから、キリスト教では宗教的な意味合いは持たないイベントの1つとして扱われています。ハロウィンは、発祥の地とされるアイルランドから多くの国に伝わっていますが、それぞれの国の文化と融合して独自の発展を遂げているのが特徴です。アメリカでは世俗的なイベントとして親しまれていて、ハロウィンの日は家をホラー風に装飾してホームパーティーを開催したり、仮装をしたりして楽しんでいます。近年日本で親しまれているハロウィンは、アメリカから伝わった楽しみ方です。アメリカを経由すると、ろくなことにならないことが他にもあります。
 ハロウィンの起源である古代ケルトでは、日本のお盆と同様に、10月31日は死後の世界との扉が開き、ご先祖様の霊が家族に会いに現世へ戻って来る日と考えられていました。しかし、ご先祖様だけでなく、悪霊や悪さをする精霊なども一緒に現世に来てしまい、子どもを攫ったり人の魂を取ったりするとも言われていました。そこで人々は、仮面を被ったり化粧をしたり、魔除けの焚き火を焚いたりして、悪さをする悪霊や精霊を驚かせて追い払っていたとされています。この風習がもとになり、ハロウィンの日に仮装する文化が生まれました。また、仮装する目的は悪霊の仲間だと思わせ、災いから身を守るためという説もあります。日本では、ハロウィンといえば仮装を楽しむイベントとしてのイメージが強く持たれています。魔女や悪魔、モンスターといった定番の仮装だけでなく、アニメや漫画、映画のキャラクター、芸能人などのコスプレをして楽しんでいる方が多く見られるのが特徴です。ハロウィンの際に、目・口・鼻をくり抜いて顔の形にしたかぼちゃの装飾を見ることも多いはずです。このかぼちゃには「ジャック・オー・ランタン(ランタンのジャック)」という名前が付いていて、アイルランドのジャックという男の伝承が由来とされています。しかし、ご先祖様だけでなく、悪霊や悪さをする精霊なども一緒に現世に来てしまい、子どもを攫ったり人の魂を取ったりするとも言われていました。ある日、いつも悪さばかりしているジャックという男が、ハロウィンの日に魂を奪おうとする悪魔と遭遇します。ジャックは悪魔を騙して魂を取らないことを約束させましたが、生前の悪行がたたって、死後は天国に行けませんでした。また、仮装する目的は悪霊の仲間だと思わせ、災いから身を守るためという説もあります。しかし、悪魔との約束により地獄に落ちることもできないジャックは、カブをくり抜いて作ったランタンに灯をともして、死後も現世をさまよい続けているというのが、伝承のあらすじです。この伝承がもとになり、カブのランタンを作って飾る習慣ができました。現在はかぼちゃが一般的なのは、アイルランド人の移民から伝承が伝わったアメリカではカブに馴染みがなく、かぼちゃのが手に入りやすかったからと言われています。スコットランドなど一部の地域では、現在もカブの中身をくり抜いたものでランタンを作っているそうです。
 これだけの歴史を知ると、何も「異教徒のお祭りを日本でやらなくてもいい」と思えます。意味も歴史も関係なく、ただ何かにかこつけて騒げばいいというのが、今の日本の風潮だとすると、とても嘆かわしいです。ハロウィンと類似の行事としては、日本では「お盆」が立派にあります。異教徒のお祭りをわけも知らずに騒ぐのではなくて、日本本来の「お盆」をもっともっと大切にしようとは思わないんでしょうか。

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中国語講座10/30

第34課 「どのように」「どうやってに」の「怎么」
<スキット>
Nin2 hao3! Qing3wen4, qu4 chao1shi4 zen3me zou3?
您好!请问,去超市怎么走?
こんにちは!おたずねしますがスーパーへはどう行ったらいいですか?
Cong2 zher4 yi4zhi2 wang3 nan2 zou3, zai4 di4 yi1 ge lu4kou3 wang3 dong1 guai3.
从这儿一直往南走,在第一个路口往东拐。
ここからまっすぐ南に歩き、一つ目の交差点で東へ曲がります。
Wo3 zhi1dao le. Xie4xie nin2!
我知道了。谢谢您!
わかりました。ありがとうございます。
Tang2tang, nei3bianr shi4 nan2?
糖糖,哪边儿是南?
タンタン、南ってどっち?
Shi4 zhei4bianr. Kuai4 zou3 ba!
是这边儿。快走吧!
こっちだよ。急ごう!

<単語>
@请问qing3wen4= ちょっとおたずねしたのですが
@超市chao1shi4= スーパーマーケット
@怎么zen3me= どのように、どうやって(動作の方法や手段をたずねる)
@走= zou3 歩く、行く
c.f. 「走る」= pao3 跑
@从 cong2= ~から(動作の出発点)
@在 zai4= ~向かって(方向)
@往 wang3= ~で(場所)
@路口 lu4kou3= 交差点
@拐 guai3= 曲がる
 zuo3= 左
 you4= 右
@哪边儿 nei3bianr= どちらのほう(疑問詞)
@这边儿 zhei4bianr= こちら

<キーフレーズ>
去超市怎么走? スーパーへはどう行ったらいいですか?
 @ 怎么~ = どうやって~するか
※文型:「去+行きたい場所+怎么+動詞?」
 あなたの名前はどのように書きますか?
Ni3 de ming2zi zen3me xie3?
 你的名字怎么写?
「わかりましたか?」Ming2bai le ma? 明白了吗?
「わかりました」Ming2bai le. 明白了。「わかりません」Bu4 ming2bai.不明白。
※文型:「怎么+ 動詞フレーズ?」=「どうして~?」「なんで~?」(不思議に思うとき)
 Ni3 zen3me bu4 zhi1dao4 ne? 你怎么不知道呢?
 あなたはどうして知らないんですか?

「すみません」Dui4bu qi3. 对不起。

「気にしないで」Mei3 guan1xi. 没关系。

<発音>
 「qu4去」の[u]は「ü」:口を突き出して丸めて、中では「イ」を言う。

<聞き取り>
Ta1 zen3me hai2 bu4 lai2?
他怎么还不来?
彼はどうしてまだ来ないの?

<エクササイズ>
中国語でどのように言いますか?
Yong4 Han4yu3 zen3me shuo1? 用汉语怎么说?
去超市怎么走?
 ↓
まっすぐ行って、二つ目の交差点で左に曲がります。
Yi4zhi2 zou3, zai4 di4 er4 ge lu4kou3 wang3 zuo3 guai3.
一直走,在第二个路口往左拐。

<ピンイン> 無気音と有気音
b(o) / p(o)
d(e) / t(o)
g(e) / k(e)
j(i) / q(i)
zhi(i) / ch(i)
z(i) / c(i)

お腹がいっぱいになった。
Du4zi bao3 le.
肚子饱了。
ウサギが走って行った。
Tu4zi pao3 le.
兔子跑了。

<漢字日中相違 “哎呀!”> 「祭」
「祭」は日本ではFestival
中国では「祭ji4」は「祖先をまつる」(喜び騒ぐものではない。)
 「学園祭」は中国語では、「xue2yuan2jie2 学园节」 (节←「節」)
 四字熟語に「guang1 zong1 yao4 zu3 光宗耀祖」=「祖先の名を上げる」
「宗」と「祖」は“祖先”“家族の系統”に“光”を当てる
(恥をかかせない。跡継ぎがしっかりやっている)。

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論語でジャーナル’24

 子、魯の大師に楽を語りて曰く、楽は其れ知るべきなり。始めて作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。これを従(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり、皦如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり、以て成(おわ)る。

 魯の音楽団の楽長と音楽について論ぜられたとき、先生が言われた。「音楽の仕組みはだいたいわかります。最初に、(金属の打楽器である)鐘が高らかに響き渡り、次いで(諸楽器の)合奏がなごやかに流れ、さらに管弦楽器の各パートが別々にはっきりと旋律を奏で、最後に心地良い余韻を長く残しながら終わるのですね」。

※浩→社会秩序や民心の安定に役立つものとして、礼節を伴う音楽をこよなく愛した孔子が、魯の音楽団の楽長に対して音楽を語った部分です。「翕如(きゅうじょ)」とは、勢いよく盛大に鐘のような打楽器が鳴り響く様子である。「鐘」からリストの「ラ・カンパネッラ」を連想しましたが、これはピアノ曲です。『パガニーニによる超絶技巧練習曲』を改訂した『パガニーニによる大練習曲』の第3曲で、嬰ト短調です。飛躍してしまいました(笑)。
 次の「純如(じゅんじょ)」は、管弦楽のいろいろな楽器が、静かに調和を保って鳴り響く様子です。協奏曲だと、独奏楽器に絡むオーケストラの部分でしょうか。「皦如(きょうじょ)」とは、管弦楽のそれぞれの楽器が独奏のようにはっきり聞こえる様子です。これも協奏曲だと、各楽章の終盤の独奏楽器のソロ(カデンツァ)でしょう。「繹如(えきじょ)」とは、長い余韻を残しながら音楽が流れている情緒的な状況である。最終楽章のフィナーレが演奏され終わった後に残る余韻は、やはり生演奏でないと味わえません。
 野田先生も音楽好きですが、かく言う私も大の音楽好きです。ただ自分の場合は、レパートリーがめちゃくちゃ広く、そのためにどの分野も深みはないです。「かじる」程度と言えます。クラシックから、ポピュラー音楽(特にイージーリスニングのインストゥルメンタル)、日本の歌謡曲(演歌)、邦楽(特に歌舞伎由来の長唄&端唄)、コンチネンタルタンゴ、アルゼンチンタンゴ、一時はイタリアのカンツォーネ、フランスのシャンソンと、何でもござれでした。端唄に関しては、何曲が自分で唄えます。大学を出たころ、美空ひばりさんの「縁かいな」と「さのさ」をレコードで聞いて感動して、何度も何度も聞き直して覚えました。よく忘年会などで披露させていただいて、けっこう好評でした(笑)。あとは、市丸さんの「槍さび」が絶品です。中に「黒田節」が挿入されています。それから、艶っぽい「鬢(びん)のほつれ」とか、「都々逸」を何曲がレパートリーに持っています。退職してからは、お座敷の宴会に出ることがなくなって、いつしか唄うチャンスを失ってしまいました。今は、ときどき台所で洗い物をしながら、一節口ずさんでいるくらいです。隣家の人がびっくりするでしょう(笑)。生演奏を聴く機会も、在職中にはありました。最高の体験は、いつだったか、岡山市民会館に「イ・ムジチ合奏団」が来演したとき、聴きに行きました。おなじみの『四季』に感動しました。CDで聴くのと較べようがないです。中村紘子さんが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏されたときも、聴きに行きました。珍しいところでは、大阪の厚生年金会館の大ホールで、東音会の長唄演奏会にも行きました。岡山にはシンフォニーホールという立派な施設があるのに、そこへはどういうわけか、いまだに行っていません。岡山市には昨年秋、旧市民会館と市民文化ホールを合体させた岡山芸術創造劇場(ハレノア)ができました。大中小と3つの劇場を持つ大規模な劇場ですが、その大劇場に回り舞台も花道もないようで、歌舞伎好きの私にはこれが不満です。で結局、観劇は大阪や京都へ行くでしょう。

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しごとの基礎英語10/28

<ジョブキソ20>
#テーマ
 仕事の締め切りが間近の同僚に「本当に間に合いそう?」と確かめるには?
Do you think we can meet the deadline? Are you sure?
締め切りに間に合うと思う?大丈夫?
 @ meet the deadline = 締め切りに間に合う
 「間に合わない」はmiss the deadline。
 ※Do you thinkを付けるとあたりが柔らかくなる。

#相手の応答
Maybe an extension of three days would be smart.
3日ほど先延ばしにしてもらうほうが賢明かもしれないな。

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論語でジャーナル’24

 子曰く、管仲(かんちゅう)の器(うつわ)小なるかな。或(あ)る人曰く、管仲は倹なるか。曰く、管氏に三帰あり、官事摂(かね)ず、焉(いずく)んぞ倹なるを得ん。曰く、然らば則ち管仲は礼を知れるか。曰く、邦君(ほうくん)は樹(じゅ)して門を塞(ふさ)ぐ、管氏も亦(ま)た樹して門を塞げり。邦君、両君の好(よしみ)を為すに反貼(はんてん)あり、管氏も亦た反貼あり。管氏にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん。

 先生が言われた。「(天下の名宰相と言われる)管仲の器量は小さいね」ある人がたずねた。「管仲は倹約だったのですか?」先生は言われた。「管氏には三つの邸宅(三人の夫人)があり、家老の家では、1つの職掌ごとに1人の係を置かず、いくつかの職掌を1人の家臣に掛け持ちさせるのに、それぞれの仕事ごとに1人の使用人を置いた。どうして倹約と言えようか(いや、言えない)」。ある人がたずねた。「それでは、管仲は、礼を知っていたのですか?」先生は答えられた。「君主は、目隠しの塀を立てて門の正面をふさぐのが礼ですが、管氏も(家臣の身分でありながら)やはり塀を立てて門の目隠しをしました。君主が他国の君主の訪問を受けたときには、座敷の両側の2本の大黒柱の中間に盃を置く特別な台を設けるが、管氏も(家臣の身分でありながら)それを作った。管氏が礼を知る人間と言われるなら、礼を知らない人間なんてこの世の中のどこにもいやしない。

※浩→『管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)』の故事成語で知られる斉の名宰相であった管仲ですが、孔子は管仲が「家臣としての分をわきまえず、君主・諸侯と同等の権限を振るった」という理由で管仲の器量が小さいと苦言しています。管仲は、孔子より200年ばかり前の春秋時代の初期に、斉の桓公(紀元前685-643ころ)を助けて、桓公を春秋の覇者にした忠臣です。あとの「憲問篇」では、賞賛の辞を贈っているのですが、ここでは批判しています。管仲が臣下の身でありながら君主・諸侯だけが持つ特権を侵していて、礼の何たるかをまるで理解していなかったと。君主の特権とは、「三国から夫人・夫人の妹・夫人の姪をめとることができ、合計9人の妻(正妻と側室)を持つことができること」「門の中央に目隠しのための塀を立てることができること」「他の諸侯(国君)と酒を酌み交わす場合に、特別な台を置けること」です。斉の覇権確立に対する功績(貢献)が大きい管仲は、特例として、家臣の身分でありながらこれらの特権を許され、その特権を行使していたのでしょう。現代の政治家の「礼」の実践はどうでしょうか?高い地位につくほど、一般市民からかけ離れた特権の行使を極力少なくする工夫が必要でしょう。ドラマ「相棒」の最近作に、内閣幹事長が絶大な権力を持っていて、自由自在に首相を入れ替えることができるように描かれていました。何となく実在の人物を思わせて苦笑してしまいました。その幹事長は衆議院が解散されると直ちに辞任していました。演じる役者が憎たらしいほど名演でした。折しも本日が衆議院選挙です。さて……
 「管鮑之交り」の故事はよく知られていますが、おさらいしておきます。出典は『史記』です。「管鮑の交わり」とは、互いによく理解し合っていて、利害を超えた信頼の厚い友情のこと、きわめて親密な交際のことを言います。「管」は春秋時代、斉の名宰相の管仲で、「鮑」は鮑叔牙(ほうしゅくが)、単に鮑叔とも言います。管仲と若いときから仲が良く、仲を斉の桓公に推挙しました。春秋時代、斉の桓公に仕えた宰相の管仲と大夫の鮑叔牙とは幼いころから仲が良く、ともに商売をして管仲が分け前を余分に取ったときも、鮑叔牙は管仲が貧しいのを知っていたので決して非難せず、管仲が鮑叔牙のために事を計画して失敗し、逆に鮑叔牙を困窮に陥れたときも、鮑叔牙は時には利と不利があるとして決して非難しませんでした。また、管仲が戦に敗れて逃げてきても、鮑叔牙は母を養っているのを知っていて決して悪口を言わなかった。のちに、桓公に管仲を推薦したのも鮑叔牙でした。管仲も「我を生む者は父母なり、我を知る者は鮑叔なり」と言って、鮑叔牙の厚意にいつも感謝し、二人の親密な友情は終生変わらなかったそうです。出典は『十八史略』です。
 似た熟語に、「刎頸の交わり」(ふんけいのまじわり)がよく挙げられます。他にも、「知音」、「水魚の交わり」、「竹馬の友」(晋書)など、似た意味の語は多いです。最近のドラマなどを見ていると、信じていた友に裏切られて、それに対して復讐を企てるような陰気なお話が多いですが、見終わってイヤな気分が残ります。私はやはり「美しいお話」がいいです。心が浄化されます。

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