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論語でジャーナル’24

 子曰く、禘(てい)、既に灌(かん)してより往(のち)は、吾これを観るを欲せざるなり。

 先生(孔子)がこうおっしゃった。「禘という祖霊を祀る国の大祭で、祖霊に捧げる神酒(みき)を地面に注いでからあとは、私はそれ以上の儀礼を見ようとはしなかった」。

※浩→ここはとても難解です。古注によれば、孔子が魯国の士大夫として仕えていたとき、国の大祭である「禘(てい)」が六代目の文公によって行われました。そのとき文公は、自分の父親である五代・僖公を四代の閔(びん)公よりも高い地位に立てるために、「禘」の礼法に背いて不正に、僖公の祭りの順番を閔公より前にして位牌(木主)の配置も入れ替えたのです。これを見た孔子は、古代から連綿と続く礼法を無視して、都合の良い祭祀を行なった文公に憤慨しましたが、家臣の身分としてこれを正すわけにもいかず、お神酒を注いで以降の儀式をじっと目を閉じて見ないようにしたのです。うーん、言いたいことも身分を考えて我慢したということでしょうか。聴覚と視覚について、野田先生から聞いたことがあります。「見たくもない人がいたり、物があったりする。どうしたらいいか?」という質問に、先生は「眼をつぶればいい」とおっしゃいました。続けて、「音は耳を塞いでも聞こえるが、人や物は眼を閉じれば見えない」と。納得しました。ただ、自分の責任を回避するために、「あれが、あるいはあの人が邪魔になって~ができない」と、聞こえるものや見えるものを「口実」にしていることがあります。アドラー心理学の用語で言うと、「劣等コンプレックス」です。これは本当は「できない」のではなくて「したくない」のです。こうはっきり言うと「自己責任」がしょうじますし、ときに角がたちますから、言い訳として「~のせいで」と言うのです。いわば「欺しのテクニック」ですから、アドラーは「自己欺瞞」とも「人生のウソ」とも言いました。

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しごとの基礎英語10/2

<ジョブキソ16>
#テーマ
 取引先から注文されたサンプルが納期に間に合わない。1日待ってもらうには?
Sorry, we need to check on that. Are you able to wait until tomorrow?
すみません、その件に関しては確認させてください。明日までお待ちいただくことが可能でしょうか?
 @ be able to ~ = ~することが可能、~する能力がある
#会話
Sorry, we need to check on that. Are you able to wait until tomorrow?
Yes, that is fine. I will await your update.
ええ、いいですよ。またの連絡をお待ちしています。

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論語でジャーナル’24

 子曰く、夏礼(かれい)は吾(われ)能(よ)くこれを言えども、杞(き)は徴(しるし)とするに足らざるなり。殷礼は吾能くこれを言えども、宋は徴とするに足らざるなり。文献、足らざるが故なり。足らば則ち吾能くこれを徴とせん。

 先生がこうおっしゃった。「夏王朝の礼制(制度)を私は十分に説明することができるが、夏王朝の子孫である杞の国には(自説を証明するための)夏の礼制の証拠が足りない。殷王朝の礼制を私は十分に説明することができるが、殷王朝の子孫である宋の国には(自説を証明するための)殷の礼制の証拠が足りない。なぜなら、杞の国と宋の国には(過去の制度を知るための)史料文献と博学な賢人が残っていないからである。それらが十分であれば、私の礼制にまつわる自説の証拠とできるのだが」。

※浩→現在の河南省にある「杞」は、夏王朝の後裔が封ぜられた国で、「宋」は殷王朝の後裔が封ぜられた国です。夏(前23~18世紀)は孔子の時代の周より2つ前の王朝で、聖王・禹によって創設されました。殷(前18~12世紀)は周のすぐ前の王朝で、聖王・湯(とう)によって創設されました。
 「徴(しるし)」は、孔子の礼にまつわる自説を実証する「根拠・証拠」という意味です。「文献」の語源がここにあります。現代では一つの単語ですが、古代中国では「文」は木簡や竹簡に書かれた史料文献を、「献」はその土地に住む古老など物知りな賢者のことを意味していました。
 孔子は夏・殷王朝の礼、つまり制度などは周の制度からさかのぼって類推することができると考えましたが、それらの子孫の国には史料が保存されていないし、学者もいないために、理論を実証することができないことを嘆いています。孔子はこの点で、今の歴史学者のように、確かな史料による実証がないと、礼も理論倒れになることを知っていたのです。孔子の学問の態度が、「実証」を尊重していることがよくわかります。根拠のない理屈は妄想に近いです。ますます増加傾向の「特殊詐欺」の被害者は、根拠もなく犯人の言葉を信じて、騙されています。16~17世紀のイギリスの哲学者・フランシス・ベーコンは「4つのイドラ」といって人が陥りやすい偏見を述べています。
 1.種族のイドラ…例:朝日や夕日の直径は南中時の太陽の直径より大きい
 (=実際には同じ。ただの目の錯覚。)
 2.洞窟のイドラ…例:日本食こそ世界で最も美味しい料理である
 (=食べたことがないだけで、世界にはもっと美味しい料理があるかもしれない。)
 3.市場のイドラ…例:新しい担任の先生はとても生徒に厳しい
 (=とクラスの友人が噂しているのを確認もせずそのまま信じている。)
 4.劇場のイドラの…例:人気キャスター曰く、「某アイドルの衆議院選挙立候補は国民的な関心事だ」。
 (=と影響力のある人からテレビで連日言われれば信じてしまう。)
 というように、人間には偏見や思い込みによる事実誤認がしばしば起こるので、絶えず帰納法(=実例を一つ一つ拾い集めて真理を追求するやり方)を用いて事実かどうか丹念に検証していく必要がある。
「イドラ」は英語のidolです。日本語で「アイドル」というとまったく別の意味になりますが、もともと「偶像」という意味から「偏見」「思い込み」という意味になったのすから、アイドルは「作為的にでっちあげられた幻影」なんです。これに浮かれているファンはある意味気の毒かもしれませんが、人のことは言えません。

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ハングル講座9/30

第26課 基本の構文
<前半>
#「~は…です」
名詞 + 는 /은  (パッチムなし/あり)
語尾に?を付けると疑問文
これはトッキグィですか?
이것은 토끼귀예요?
トッキグィは化粧品ですか?
토끼귀는 화장품이에요?
違います。
아니에요.

#「~があります」「~がいます」
「名詞 + 가 /이 있어요」
※語尾に?を付けると疑問文
コーヒーがあります。
커피가 있어요.
時間があります。
시간이 있어요.

#「~がありません」「~がいません」
「名詞 + 가/이 없어요」
※語尾に?を付けると疑問文
本がありません。
책이 없어요.

#「~がいいです」(形容詞)
「名詞 + 가/이 좋아요」
天気がいいです。
날씨가 좋아요.
気分がいいです。
기분이 좋아요.
トッキグィがいいです。
토끼귀가 좋아요.
 @토끼=うさぎ + ㅜ기=耳 → うさぎの耳の形のカチューシャ

<ワンポイント>
声が好きです。
モkソリルr チョアヘヨ
목소리를 좋아해요.
歌が好きです。
ノレルr チョアヘヨ
노래를 좋아해요.
ダンスが好きです。
チュ’ムr チョアヘヨ
춤을 좋아해요.
全部好きです。
チョンブ チョアヘヨ
전부 좋아해요.

<後半>
#「~を…(し)ます」
「名詞 + 를/을 + 動詞」
料理を作ります。
요리를 만들어요.
ビビンパを食べます。
비빔밥을 먹어요.

#否定の構文「~(く)ありません」「~(し)ません」
「만 + 動詞 形容詞」
天気が良くありません。
ナrッシガ アン ジョアヨ
말씨가 안 좋아요.
料理を作りません。
ヨリルr アン マンドゥロヨ
여리를 안 만들어요.
勉強しません。
コンブ アネヨ
공부 안 해요.

#副詞
 @本当に=정말  とても=아주   たくさん=많이   よく=자주
チャン先生はよく韓国料理を作ります。
장 선생님은 자주 한둑 여리를 만들어요.
甘くありません。キムチではありません。
안 달아요. 김치가 이니에요.
そのままでは食べられません。先生はキムチを作ります。
그 대로는 안 먹어요. 선생님은 김치를 만들어요.
重くありません。
안 무거워요.

#数詞
・漢数詞
일 이 삼 사 오 육 칠 팔 구 십
・固有数詞
ひとつ~とお
하나 둘 셋 넷 다섯 여섯 일곱 여덟 아홉 열

※~個、~時ではひとつからよっつまでは変形
  一個=한세、 二個=두게、 三個=세게、 四個=네게

粉とおがらしを3つください。
고추가루를 세게 주세요.

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論語でジャーナル’24

 子夏問うて曰く、巧笑倩(こうしょうせん)たり、美目盼(びもくはん)たり、素(そ)以て絢(あや)と為す。何の謂(い)いぞや。子曰く、絵の事は素(しろ)きを後(のち)にす。曰く、礼は後なるか。子曰く、予(われ)を起こす者は商なり。始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。

 子夏がたずねた。「笑窪(えくぼ)あらわに、可愛い口元。白目にくっきりとした美しい黒い瞳。白さに対して際立つ彩りの絢(あや)。という詩は何を意味しているのでしょうか?」先生が言われた。「絵を書くときに、胡粉(ごふん=白)をあとで加えるということだ」。子夏が言った。「(仁が先にあり)礼が最後の仕上げになるのですか?」。先生が言われた。「お前こそ私の啓発者、お前とこそ初めて詩の論議ができる」。

※浩→「商」は子夏の実名。子夏が孔子に、「巧笑倩兮、美目盼兮、素以為絢兮」という『詩経』にある「衛風」の「碩人篇」中の句について質問しています。孔子はこの『詩経』の詩の解説を通して、子夏に他者に対する思いやりとしての「仁」がまず先にあり、最後に徳の完成として「礼」があることを気づかせたのです。
 「巧笑倩」の「倩(せん)」は口元のえくぼに愛嬌があること。「美目盼」の「盼(はん)」はぱっちりと黒目と白目が鮮やかなこと。
 いつも言いますが、現代社会の最大の欠陥は「礼」の欠如と不足でしょう。どこに行っても、「傍若無人」、ほんとに「傍らに人なきがごとし」です。人と人も、車と車も、国と国も、とにかく、「譲る」ということをしない。「マナー」という緩やかなレベルでなくて、しっかり「法令」で定められているルールさえも守られない。世間を騒がせている「あおり運転」なんかする人は、いったい何を考えてやっているのか!クレイジーとしか言いようがない。“江戸しぐさ”という素敵なマナーがあったそうです。江戸時代は、260年以上もの間、経済の繁栄と戦争のない平和がもたらされた時代です。そこには江戸商人のリーダーたちが築き上げた、よりよく生きるルールのようなものがありました。その基本は思いやりの心(惻隠の情)を持って、みんなが仲良く、平和の下で共に生きるために争いごとを少なくし、人に対する言葉遣いやしぐさにも気を配るというものです。次第に江戸の町に住む人たちにも浸透していったと言われています。そのような日本の心、特に江戸ならではの心映えが、のちに芝三光師(江戸時代から6代にわたって続いた家系。曽祖父、祖父が江戸の講の講師)によって「江戸しぐさ」と名付けられ、芝師に師事した越川禮子氏が「江戸しぐさ」の語り部として今に伝承してきたそうです。江戸時代からあったという説には異論がありますが、「礼」がすっかり消えかかっている現代ですから、素直に参考にしてもいいと私は思います。ネットに例が載っていましたので引用しておきます。
・傘かしげ
 雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと。
・肩引き
 道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと。
 肩が触れあってトラブルになることは今もしょっちゅう起きています。
・時泥棒
 断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる。
 うわー、これも「あるある」です。当時は確か十両盗んだら死罪だったはずです。
・うかつあやまり
 例えば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと。
 今はこういうことはないですねえ。絶対踏まれたほうはキレます。
・七三の道
 道の真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のためにあけておくこと。
 全然こんなことはありません、今は。すれ違う人も車も1ミリも譲りません。いつも私のほうが端へ寄っています。向こうは当然のように知らんふりして通り過ぎます。
・こぶし腰浮かせ
 乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること。
 電車に乗っていると、お行儀の良い人はこうしてくれます。悪い人は2人座れる椅子に荷物を置いてふさいでいます。
・逆らいしぐさ
 「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。また、年長者への啓発的側面も感じられる。
 私は、以前はよく「でも」と反論していました。最近はしません。アドラー心理学と相棒K先生のおかげです。
・喫煙しぐさ
 野暮な「喫煙禁止」などと張り紙がなくとも、非喫煙者が同席する場では喫煙をしない。
・ロク
 江戸っ子の研ぎ澄まされた第六感。五感を超えたインスピレーション。江戸っ子(江戸しぐさ伝承者)はこれで関東大震災を予知したという。
 これは、母が亡くなったとき、東京へ研修出張していた私は、その日の午後の部をさぼって、早めに帰宅しました。そうして良かったです。母がコンロでお湯を沸かしている最中に台所に倒れていました。予定どおり深夜に帰宅していたら、とても大変なことになっていたと思います。
・お心肥やし
 知識・機能を増やすだけでなく心・感性を磨く。
 毎月の講座のあとの「懇親会」がこれになっています。
・見越しのしぐさ
 先を読む。

 思いやりの心(惻隠の情)というのは、『孟子』の「四端の心」の1つです。
 「四端の心」は、
1.惻隠…他者の苦境を見過ごせない「忍びざる心」(憐れみの心)
2.羞悪…不正を羞恥する心
3.辞譲…謙譲の心
4.是非…善悪を分別する心
 孟子の「性善説」の根本思想で、仁義礼智という四つの徳の根本となる心のことです。
孟子は「惻隠の心は仁の端なり、羞悪の心は義の端なり、辞譲の心は礼の端なり、是非の心は智の端なり」と言い、この四つの心は功利打算などによるものではなくして、人に本来備わる「忍びざるの心」であり、それを拡充することで仁義礼智が成就すると考えました。
 それでも、ときどきは、路上でもスーパーの店内でもスポーツジムでも、きちんと会釈される人に出会えます。こういうとき、「世の中捨てたもんじゃない」と嬉しくなります。

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