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選句鑑賞

26 桑の実や十五歳まで木に登り (玉虫さん)  5
   昔は当たり前、子供の遊び場は山か川、それに海。大府の我が鞍流瀬川も例外なく立ち入り禁止。勿体ない。先日
上流で数人の子供たちがタモを持って川に入っているのを見て何故かほっとした。公園不足の今大自然を教育の場とし
 ての活用が望まれる。
  この句、「15歳まで」とあるので昔のガキ坊主かお転婆が幼い日への追憶か。いずれにしても桑畑やお蚕さんまでも
 想像され楽しく鑑賞させていただいた。

29 蛍火の向うに父の大工小屋 (ヨシさん)   7
作者の解説で下五は実景と知った。知ったとしても鑑賞は変わらないが実景と知ってより句が身近に感じられたこ
  とは否めない。父の大工小屋に「蛍火」の季語をあしらったために作者の意図が伝わりより印象が深まった。

34 筒鳥や母の小言のリフレイン (かをりさん) 2
かをりさんの引き出しを見てみたいものだ。まさかこの句も。筒鳥の声は「筒の底を掌でたたくような鳴き声」と
  歳時記にあった。姿はかっこうにそっくりとも。「母の小言」との取り合わせを「リフレイン」と表現、何とも心憎
  い。
44 ちゃん付けで呼び合ふ老や水見舞 (子燕さん) 5
   水見舞いの季語に出会い懐かしく思った。ときしも梅雨の真っ最中、心配な予報も相次ぐ。ちゃん付けで幼なじみ
  と読み取れるこの句の二人、水見舞いにかこつけてお互いの老いを労り合っている様子が垣間見える。心引かれる句
  だ。
60 空梅雨のダムの湖底の暮らし跡 (森野さん)  6 
ダムの建設には必ず賛否両論のせめぎ合いの歴史がある。どうしても犠牲を伴う。そしていつか忘れ去られ満々と
  注がれたダムの恩恵のみが世代を超えて受け継がれる。そこへ空梅雨、湖底が露わになった。悲しいかな昔の生活の
痕跡が目の前に。その一時を詠み止めた一句の印象が強烈。やがて満々と湛えられた水の湖底は何事もなかったよう
に忘れ去られていくのだろうか。

80 夏帽子すぐ腹の減る五年生 (ヨシさん) 3
 五年生はギャングエイジと言って洋の東西、地域性別を問わずやんちゃ世代。群れるのが特性。好奇心が旺盛、中に  
  必ずガキ大将がいて集団で突っ走る。ただ、六年生になると落ち着くのが一般的。この句、「腹の減る」の表現で言
 い尽くしている。季語も適切。

98 アイリスを短めに切る夫の供花 (いちごさん) 2
アイリスは輸入されたもので種類も多く立弁と垂れ弁が際立って長いのが特徴、と歳時記にあった。作者はこの花
 を仏花に選び丈も短く切りそろえ仏前に供えた。この句から夫の人柄も読み取れ来し方の夫婦仲の良さも彷彿とさせ
 る。迷わず特選にいただいた。

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[ちゃん]の句を評して頂きましてありがとうございます。
 中旬の線状降水帯は豊橋~豊川~設楽にかかり、余波は岡崎、西尾、南知多までの範囲で各所に河川の氾濫をひきおこしました。
 白桃句友の多い地域ですから、妻があちこちに電話をかけまくって「◯◯ちゃんのところ、水こなかった?」と見舞いしておりましたが、その電話を聞きつつ「にゃ! もう75にも近いのに ◯ちゃん」と言ってるわ  と掲句になった次第です。
 男というものは案外淡白な生き物ですから、余程のことでもなければ電話をしないけれど、スマホという便利なものがあるので、月末の電話代金のことなんぞは考えもなしにジャンジャンと電話。 一面、女はいいなあ と考えてしまいます。
 故郷から遠く離れているため、同級生との交流は途絶え、身近なところの友人は皆んなあの世へ行ってしまった。春日井に昔の恋人も住んでいたけど、10年前に死んでしまった。 2番目の恋人は故郷へ戻って行ってしまった。 今の女房は10番目ぐらいだよ
 難聴で友達も出来ないし、今は一人ぼっち  ちゃん付けで呼べるような恋人    今からは無理だんべ。 ふふふ

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アイビーの俳句鑑賞で取り上げた俳句も割愛した俳句も、幅広く取り上げていただき有難うございます。同じ句でも選者が違えば、また鑑賞も違ってきます。これが正解と言うことが無いのですから、百人百通りの鑑賞があって然るべきです。特定の投稿者ばかりでなく、広く意見交換がされるとよいですね。

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五右衛門風呂、懐かしい・・・!

85 梅雨寒や五右衛門風呂に薪を継ぐ(玉虫さん)
私の生涯のうち3日間だけ五右衛門風呂に入ったことがあります。
昭和45年の冬、岡山に住んでいた伯父が亡くなり、お悔やみと手伝いに行った折、当時の葬儀は一切合切家でするのが習いでした。 遠方の親戚は泊まっていきますし、祭壇から料理まで全て家でするわけですから大変でした。 丁度伯父の家の近所に空き家があり、そこを寝泊まり用にお借りして。 その家に見るのも入るのも初めての五右衛門風呂がありました。
50年程前のことで、あまり思い出せないのですが、ずいぶん広い浴室であったような・・・? 浮板に乗って揺らぎながら沈み肩までお湯に浸かり、忙しかった一日を思い起こし感慨にふけったこと思い出です。 玉虫さんは薪を継いだようですが、私はどこから薪を入れたのか思い出せません。
懐かしい五右衛門風呂の句、選句させていただきました。

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五右衛門風呂とは懐かしい。今でもあるのですね。薪を焚く風呂自体が絶滅したとばかり思っていました。燃料効率のことを言えば無理かもしれませんが、風情のある五右衛門風呂は残しておきたいものですね。俳句の題材にもなるし。

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アイビーの俳句鑑賞 その4

アイビーの俳句鑑賞 その4

沙羅の木や兄の法会に白き花 (和談)
沙羅は一名夏ツバキとも言う。夏の季語として多くの俳人に取り上げられている。お兄さんの法事があった時、丁度沙羅の花が盛りだったのであろう。清楚な沙羅と兄の法要の取り合わせは雰囲気があってよいと思う。難を言えば座五の「白き花」で少し俳句が緩慢になったきらいがある。上五に切れ字「や」を使っているのだから、沙羅のことは言わなくてもよいように思う。切るということは、以下省略という意味だ。空いた5文字で、お兄さんの人となりとか、参会者の様子が描写できる利点がある。しかし、これはあくまで私の個人的な意見で、異論も当然あると思う。

クチナシや幸せ届く香り持ち (ヨヨ)
梔子は独特の芳香がある花で、生け垣などによく見る。梔子がただ薫っているとだけ詠めば、いわゆるただごと俳句になってしまう。その危険性を作者は見事に解決した。それは「幸せ届く」との楚辞を入れたことだ。この字句を入れたことにより詩が生まれた。ただ、梔子をカタカナ表記にしたのは何か意図があったのだろうか。難読漢字だから、という配慮だったら無用にしたい。

梅雨湿り軋む雨戸を蹴つてをり (尾花)
木造建築では湿気の多い季節は、軋みや滑りが悪くなることがよくある。そんな日常のなんと言うこともない一コマを巧みに描写した。ある方が選句の際に、「蹴っ飛ばす」だったら文句なしに特選に採ったと言っていたが、私も同感だ。「蹴っ飛ばす」ははしたない、そういう気持ちも分らんではないが、俳句が生き生きしてくるのだ。まあ、嗜みある淑女ならそんな無作法はしないか。

花石榴活けて難儀な手紙書く (尾花)
難儀な手紙とはなんだろう、なんともミステリアスな句になった。石榴の花に何かヒントがあるようにも思うが、分からない。焦らさずに教えてくれてもいいじゃないかとぼやいてみても、作者は素知らぬ顔。読み手の側があれこれ想像すること自体が楽しいのであって、ことの実体が判ってしまえば、なーんだと言うことになりかねない。言わぬが花か。

愛猫もちゅーる欲しやこの暑さ (茶々)
猫好きもいよいよ病膏肓に入った感がありますな、これは。チュールは伸縮性に優れた薄手の織物素材を言うらしい。この暑さでは猫が可哀そう、猫にもチュールを上げたいという。人間だって暑いはずだが、人間はさておき、まず猫を心配する辺りが茶々さんの面目躍如たるところ。俳句鑑賞よりも何よりも、恐れ入りましたと降参するほかない。中七が6文字しかなく字足らず。字余りは往々にしてあるが、字足らずは避けた方がよい。字足らずの句で成功例をまず見ないから。

通夜の座を外して白き花卯木 (ナチーサン)
親しくしているどなたかが亡くなったのであろうか。しめやかに通夜を営む会場に、故人の想い出に浸る会葬者一同。作者は、用足しか何かで席を外した。ふと庭に目を遣ると、丁度卯の花が盛りだ.夜目にも卯の花の白さが一際鮮明で、独特の芳香があたりに漂う。通夜の席と一転して庭の卯の花、この場面転換の鮮やかなこと。これがこの句の要諦で、格調を高くしている。

夏帽子確(し)かと押さえてロカ岬 (無点) 
ロカ岬とは何処にあるのか、そこから調べたら、なんとユーラシア大陸の最西端、ポルトガルではないか。ポルトガルへ旅行されたのであろうか。と、思ったら日本にもロカ岬があった。本州最東端の銚子・犬吠埼にロカ岬の碑というのがある。最西端と最東端の対比させたのであろうが、この句の場合はどちらのロカ岬だろうか。いずれにせよ、岬は強風が吹きつけるイメージがあり、夏帽子をしっかり手で押さえるのは肯ける。無点句となってしまったが、この句が無点とは信じられない。

アイビーの俳句鑑賞 完

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アイビーさん、鑑賞をありがとうございました。

梅雨湿りの句   
今は雨戸もサッシになり年中スルスルとよく動きますが、木造の雨戸は雨期になるとやっかいです。普段使わないのでなかなか動きません。押したり引いたりしてもビクともしない時は足で蹴るしかないのです。
嗜みも何も有ったもんではない! ガン、ガーンと蹴っ飛ばして開け閉てしてます。
でも句にする時は少し温和しく・・・。

花石榴の句
石榴の花は鮮やかなオレンジ色で、葉が艶々の緑でとても美しい。一輪飾ると机辺が明るくなり気持ちも明るくなります。
「難儀な手紙・・・」最近はあまり手紙自体書かなく(書けなく)なりましたが、若い時は、お見舞い、お詫び、お悔やみ等の手紙、義父、義母へも気がすすまなくても書いていたものです。出来るだけ明るい花を机に置いて書いていました。

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アイビーの俳句鑑賞 その3

アイビーの俳句鑑賞 その3

薫風や陸前高田に松育つ (てつを)
陸前高田の松と言えば平成23年3月11日の東日本大地震による津波にも生きながらえた、奇跡の一本松のことだろう。全国的な感動を呼び、復興のシンボルとなった松の木。その後、一本松を守るプロジェクトの活動などあり、健在が報道されているところだ。上五に「薫風や」と置き、切れを入れたことで句全体を引き締めている。陸前高田という固有名詞を出したのも流石だ。百万言を費やすより説得力を持つ。

蛍火の向うに父の大工小屋 (ヨシ)  
今月の互選トップに輝いた句。作者の述懐にもあったが故義父様を偲んで詠んだ句。大工の棟梁で、仕事場も実際にあったとのことだが、俳句の雰囲気からしてメルへン調で、読み手は様々な想像を掻き立てる。儚げで幻想的な蛍火のイメージを最大限に活かしたのがこの句だろう。季語自体が大変な力を持っていることを再認識した。それと、この句の成功の根底には、亡き義父へのヨシさんの敬慕の気持ちがあったことは間違いない。

信玄と夏の甲府に飲み明かす (かをり)
戦国武将の武田信玄と酒を飲み明かすという楽しい想像。嫌いな人と飲み明かす筈が無いから、かをりさんは武田信玄贔屓なのであろうか。信玄のどういうところが好きなんだろうかと、要らざる詮索をしてみたくなる。信長は機嫌の悪い時に当たったらとか、信玄のライバルの上杉謙信は性格がストイックすぎるところがどうも、とかとにかく楽しい一句になった。
筒鳥や母の小言のリフレイン (かをり)
けたたましい筒鳥の鳴き声に、母の小言をオーバーラップさせた。そこで母の小言だが、お約束の「くどくど」とか「ねちねち」とか言わず、ごく穏当に「リフレイン」とした。このあたりは、自身に後ろめたい何かがあるのかな。非が自分にあり、小言を言う母を疎ましく思っているわけではない。母を蔑ろにはしないが、さりとて猛省して心を入れかえるわけでもない。まことに微妙な「リフレイン」なのである。

ギラギラの昭和を醸す夾竹桃 (ちとせ)
暑い盛りに咲いて花の時期も長い夾竹桃。しかも花の色は自己主張の強い紅色である。その夾竹桃を作者のちとせさんは、苦しかった戦中戦後、苦しかったけれど皆が頑張った高度成長、つまり昭和という時代に重ね合わせた。しかも作者は「ギラギラ」と把握した。この感覚は私にはよく分かる。平成、令和と時代は進み、もうかつてのような一本調子の価値観の時代ではなくなった。同時にかつてのギラギラの時代も終わった。

獅子と化し富士を嚙むなり夏の雲 (鎮岩)
雲の形を何かに擬えて言うことはよくある。夏の入道雲を、なんと獅子に擬えた作者。これだけでも十分に迫力ある比喩だが、なんと富士山に噛みつかせた。俳句と言えども文学作品だから、こうした比喩はアリだと思う。しかし、秀峰富士を噛むとは恐れ入った力業、客観写生もヘチマもあったものではない。無論これは貶しているのではなく、誉めているのだから念のため。

向日葵や犬の企み知らぬまま (無点)
惜しくも無点句となったが、面白い。犬の企みとは一体何なにか、それが向日葵とどういう関わりがあるのか、作者は一切明かしていない。なんともミステリアスな俳句だが、実は読み手が知りたいのはそこなのだ。どなたか絵解きを。
 
以下次号、不定期掲載

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アイビーさん、感想ありがとうございます。
甲府で飲んだのは確かですが、よく憶えておりませぬ。
まあ、挨拶句で東北に行ったら  正宗と夏の陸奥まで飲み歩く  と詠むまでのことです。

筒鳥はひねもすよくもまあ、同じ鳴き声で呟くなあ。
つつ鳥や涙箸する母のこゑ  うんうん、お互い様ではないか。一生に反抗期www

おやすみなさいませ。

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7句観賞

アイビーさん、お纏め感謝です。
今月は邪道ですが、七七につなげたい句を選びました。

18 一日に一つの予定草を引く (玉虫) 
厠にめくる墨のみつおと
すみません相田みつをおもいだして。
前半、教訓かなあ、境涯もうっとしいなあと読んで最後に作者の日常を託した季語が出た。
草を引く 輝いた。特選でもかまいません。

26 桑の実や十五歳まで木に登り (玉虫)
初潮知るの夜のさみだれており
勝手に女子として、桑の風を感じます。

29 蛍火の向うに父の大工小屋 (ヨシ)
灯火消したる母子の手探り
これは良い句ですねえ。童話なんです、この風景。
童話には、万人納得です、家族も見えて、もっと点がはいっても・・・

57 花石榴活けて難儀な手紙書く (尾花)
役所に届く楷書うつくし
これは実感です。難儀な手紙の内容でまた一句浴びたいです。私は野暮ですが。

67 でで虫の葉裏にありて深眠り  (ナチーサン)
王手飛車差す孫の挨拶
深眠りがいいですねえ、作者の語彙の斡旋に乾杯。
ひとつお孫さんに登場していただきました。

73 白靴やこの世すべてがうさん臭い (ABCヒロ)
バブルの頃も生きていたらし
白靴にうさん臭いとは、よう詠んでくださいました。スカッとしました。
最近、株高ですね。

107 六月や実に分厚き三国志 (玉虫)
薄化粧して読む紅楼夢

季語がぴったり。私は横山光輝の三国志、ゲームの三国志。
スマッシュヒット、良い句ですねえ。

ひどい観賞ですが、お許しを。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年06月18日 17:20)

アイビーさん、おっしゃるように、短歌の七七というより、連句を意識しました。
短歌は575の後へ階層して言葉を積む感じですが、今回はつかず離れず、酔っ払いなりに「発句の残像」を意識しました.
そしてもう一回発句に遡り、振り返ると「付け句の遡像」の不出来が見えてまいります。外山しげひこ風w
あーー、小難しいこと言ってごめんなさい。
すぐれた俳句は切れ字等で これを17文字でするのですから,大した詩形です。
付け句もどきをさせていただき、皆様の素晴らしい17文字に感謝です。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年06月18日 21:18)

こんにちは。
かをりさん、ありがとうございます。
まさか、七七を付けていただけるとは!開けてびっくりでした。
しっとりと寄り添ったりパシッと響いたり付句の変化が楽しいです。

引用して返信編集・削除(未編集)

かをりさんの七七を付けて頂き景色が深まりました。
自分自身の想いを引き算、引き算として作句しますが、この七七は
18
草を引く想い。
26
木に登った想い。
107
三国志の分厚い四巻を机に並べた時の
読み切れるか?
の想いを付けきれない焦燥を消してもらえたような充足感があります。
ありがとうございました。
俳句とは自らが裸になったときに共感を得られる・・・としみじみ。
凡退続きの玉虫の小さな悟り。

一寸だけ語ります。
桑の実や十五歳まで木に登り
今の十五歳とは違う十五歳が有りました。
すし詰め教室から解放されても、進学するのはほんの少し。
後の大方は実社会に触れるわけです。
木に登るのも、桑の実を好きなだけ食べるのも。

生きてきた訳で・・・桑の実が実ると想いが。
より、かをりさんの七七を付けて大人になる頃の女子!が美しいです。
素敵な観賞していただきました。
ありがとうございました。

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花石榴活けて難儀な手紙書く 
役所に届く楷書うつくし
七七をくっつけて頂き、またまた違う世界が広がってきてビックリ!
皆さんの作品もそれぞれ素敵で驚きです。楽しいですね!
ありがとうございました。

引用して返信編集・削除(未編集)

67 でで虫の葉裏にありて深眠り大手飛車差す孫の挨拶
 気に入ってます。面白いですね。この試み。
 短歌から7,7をとったらどうなるか。・・・ダメか。

引用して返信編集・削除(未編集)

邪道どころか実に面白い趣向です。上の575に違う人が下の77をつける、まさに連句の世界ですね。思いがけない方向に行く、自分では制御できないところが面白い。今後もちょいちょいやりましょう。

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私の無点句

95 鱗粉を美しくちりばめ夏の蝶
  少しばかり難しかったのでしょうね。  
 蝶々を捕まえると必ず羽根の部分をつまみますね。すると指先に羽根の粉がつきます。この粉のことを鱗粉(りんぷん)といいます。半透明の羽根の部分が羽化した段階で鱗粉に変化し、その模様がその蝶々の独特の美しさを作っているのですが、蝉にはこの鱗粉がありませんから粉が着くことはありません。モンシロチョウ、クロアゲハ、シジミチョウなどの蝶々の種には必ず鱗粉があるのですが、普段聞き慣れない言葉なので、皆さんの心には響かなかったのでしょう。
 そして重要なことは<美しく>のことです。 この言葉を「うつくしく」と読んだ方なら、この句は5・8・5の字余りになるので、選の対象外になってしまいますね。 俳句用語には色々難しい読み方の文字があるのですが、<美しく>は「はしく」と読むのが正しいのです。 りんぷんを/はしくちりばめ/なつのちょう となりますので5・7・5に収まります。
 春先には眠りから覚めた蝶々やモンシロチョウ、黄チョウなど、小型のものが殆どなのですが、梅雨前の、いわゆる俳句上の「夏」が来ると大型のチョウチョウが見られるようになります。勿論小型のものも飛んでますが、大型がよく目につくようになる。 我が家の庭にも時々アゲハチョウがやって来て、庭の草花に止まることがあるので句にまとめましたが、残念ながら無点となりました。
 美しき羽根の模様や夏の蝶  とすれば点を頂けたのかも知れませんが、平凡過ぎるので掲句のようになった次第です。
 

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年06月14日 20:19)

子燕さん、すみません、生意気書いてしまいました。
来月もパリッとした句を楽しみにしております。

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鱗粉の美しさを詠んだつもりなのですが、説明で余計ややこしくしてしまったのかな?  トホホ

引用して返信編集・削除(未編集)

ただ今帰環。
ちょっとそれは違うとおもいます。
蝶という季語に美しさがありますので、子燕さんが桜を詠んで、美しき花とは詠まないとおもいます。
羽根の部分をつまんだ感触とか、羽化した姿、それをおよみなれば。
対象が蝿、毛虫なら 月並みですが 鍬先に毛虫の腸の美しき 悲しさよ でもいいんですけど。
あくまでも、俳句は喜怒哀楽の形容詞はむずかしいです、上位の句にはそういう形容詞入っていませんよね。
自分に言い聞かせる意味で。別にHN変えなくてもlいいですよ。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年06月14日 23:02)

No.1813 かをり 6月14日 23:48

かをりさんへ
 以下の句、作者が入れ替わってますよ。悪しからず。

67 でで虫の葉裏にありて深眠り  (ABCヒロ)
大手飛車差す孫の挨拶
深眠りがいいですねえ、作者の語彙の斡旋に乾杯。
ひとつお孫さんに登場していただきました。

73 白靴やこの世すべてがうさん臭い (ナチーサン)
バブルの頃も生きていたらし
白靴にうさん臭いとは、よう詠んでくださいました。スカッとしました。
最近、株高ですね。

引用して返信編集・削除(未編集)

大変失礼いたしました。
訂正し、お詫び申し上げます。
大手→王手 でした。
ワインの飲みすぎでした。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年06月18日 17:22)

アイビーの俳句鑑賞 その2

アイビーの俳句鑑賞 その2

一日に一つの予定草を引く (玉虫) 
桑の実や十五歳まで木に登り (玉虫)
玉虫さんの高点句2句を取り上げたい。句意は単純明快。要は、作者の玉虫さんと読み手の感性が一致するかどうかだけの問題だ。失礼ながら玉虫さんは私と同年代とお見受けする。いわば何とはなしに、人生のこの先の見通しが読める年代ではなかろうか。この齢になってあれこれ欲張ることもない、一日に一つのことしかできない。またその必要もない。やれることを淡々とやる。やれるのにやらないのは横着だ。2句目。十五歳まで木登りをするのは、別に珍しいことでも何でもなかったのが私らの年代だった。女の子となるとかなり活発な子だが、あり得ないことでもない。今では男も女も木登り自体を見かけなくなったが。

空梅雨のダムの湖底の暮らし跡 (森野)
作者自身の解説でこの句の舞台は御母衣ダムと分ったが、なるほどと首肯される。渇水期にはダムの底からかつての生活の場がそのまま浮かび上がる。しかし村が再びかつての生気を取り戻すことはあり得ず、廃墟は廃墟で、いわば死の世界なのである。あたかも往時の村が復元したように見えても、似て非なるものだ。それほど時の経過は不可逆で容赦が無い。ふと、そんな事どもが頭をよぎった。色んな意味で感慨を催す句だ。

軽鳬の子はうしろが好きでママが好き (ABCヒロ) 
軽鳬は「かるがも」、あるいはこの句のように縮めて「かる」と読む。毎年今の時期にテレビなどで取り上げられ、夏の風物詩になっている。中七、座五と、とんとんと畳みかける調子が軽快で読みやすい。声に出して読みやすいということも、俳句では大事な要素だ。おまけに「好き」を二回繰り返し、リフレイン効果も狙ったあたりが作者の老獪なところ。

岡寺に万の紫陽花咲きそむる (ふうりん)
岡寺は奈良県明日香村にある紫陽花で知られる寺。長谷寺、壺阪寺とともに大和三観音・あじさい回廊として知られる。紫陽花は花の季節が長く、何時までも楽しめる花だが、作者が訪れた時は少し早すぎたか、咲き初めの時期だったようだ。それでも名にし負う紫陽花の名所だけあって、見事な景観だったことだろう。実際に数えたわけではなかろうが、万という具体的な数字が効果的。数字を出す時は少々オーバーな方がよい。こういう場合のリアリズムは無用。

お喋りな庭師三人若葉風 (弥生)
職人の典型としては、寡黙、一徹、律義などの人物像が思い浮かぶ。ところがこの句に登場する庭師は、ものの見事にステレオタイプの人物像を覆してくれた。なんとお喋りな庭師が、それも三人。これは私の想像だが、それほど年配でもなく比較的若い庭師ではあるまいか。これも想像だが、お喋りの内容がなんとも可笑しいのだ。下手な芸人よりよほど笑わせてくれる。一人一人顔や気性が違うように、職人にも様々なタイプがあって然るべきだ。おかげで客のこちらまで楽しいひと時が過ごせた。と、勝手な解釈をしたが、まるで見当違いかもしれない。

次の色悩む姿は七変化 (無点) 
紫陽花やピンクが青に色変わり (無点) 
ともに紫陽花を主題にして惜しくも無点句となったが、無点句となった理由を一緒に考えてみたい。全ての歳時記には、紫陽花は時間の経過により色が変化することが記載されている。つまり読み手は、紫陽花の色が変わることは予備知識として承知しているのであって、そこへ色の変わる様子をそのまま詠んでも、なかなか感動を呼びにくいのではあるまいか。同じ紫陽花の色の変化をテーマにしても、そこに独自の視点があれば詩になる。その実例を歳時記から抽出してみた。
あぢさゐの色にはじまる子の日誌  稲畑汀子
水鏡してあぢさゐのけふの色  上田五千石

以下次号、不定期掲載

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アイビーさん、句の鑑賞ありがとうございます。
これは有名な日本庭園を訪れた時に作りました。
まさにアイビーさんの言われるように若い庭師が数人お喋りしながら手入れをしていました。
寡黙な庭師が黙々と作業をするのも魅力的ですが、楽しそうに仕事をしている様子は微笑ましく
今風だと思いました。

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自句自解

1たらればの人生行路夏来る
  2008年、市の高齢者の居場所づくり事業(サロン活動)に係っていつの間にか15年目を迎えた。現在40名ほどが歌とボッチャなど
 を楽しんでいる。その間他界された方もあり入れ替わりがあったが現在の平均年齢は83歳、ほとんどが昔の淑女である。90歳代3
 人、最高齢は97歳で当初からの常連。平均年齢はやや下がり80歳に。月2回の活動を紹介する「ふれあい」を発刊しており300号を
 超えた。会員の俳句、川柳、短歌や絵、エッセイなどを紹介しているが、今回309号の94歳の作「若いネと主治医に云われ今一度百
 歳目指し勇気湧き出づ」にあまり自己を押し出すことも無く何となく流されてきた人生を振り返り赤面しきりの昨今である。

23 少年は泣き顔見せず今年竹  1
  子供は意地っ張りである。特に男の子は。発達障害を持つ孫は両親の離婚に心を痛めているはずだがわが家の一員になってからは
 弱みを見せない。主治医の診断に反発し薬を拒否したりした中学、高校時代。数学が得意で数独などお手のもの。その彼も昨年成
 人し現在障害者枠で市の職員として主にコンピューター担当として勤務している。この4月に生活の場もグループホームを出て独立し
 た。私も田舎を飛び出したのも21歳。まだ経済観念や人間関係に問題があるが克服して社会人とし成長してほしいものだ。

49 通夜の座を外して白き花卯木 4
  花卯木は卯の花、「卯の花の匂う垣根にホトトギス・・・」の唱歌で懐かしい。コロナで通夜も家族のみ。葬儀も家族葬が主に
 なった。この句、はるか昔親類の通夜に出た折の追憶である。確かお寺での通夜だったと思う。潮騒の聞こえる海辺の寒村での一
 コマ。定年直後のいとこの死である。まじめ人間で村の行事にも率先して切り回し体を壊してからも無理を重ねたらしい。刀剣収集
 の趣味があり大府まで借金に来たことも。運動会も村総出、寒村での校長だけに気苦労が多かったのだろう。

67 でで虫の葉裏にありて深眠り 3
  梅雨に入った。今年の夏は暑いと聞くがどうだろうか。梅雨はどうか。傘を差した通学団など情緒たっぷりだ。月一度の「あい
 さつ運動」では校門での出迎え。一年坊主もだいぶん落ち着いてきた。最近気が付いたことだが面門と裏門とでは子供の様子が異
 なるようだ。元気さが違う。片や商家、片や民家の集落の違いか。マンションなどの子はどこか落ち着いている。思い過ごしかも知
 れない。帰路植え込みに蝸牛を見つけた。初めて見たので触れてみたがじっとしていたのでそのまま通り過ぎた。いつの間にか雨
 は止んでいた。

91 自画像のゴッホの髭や北斎忌
  今はディズニーの子供向けだが以前読売新聞の付録に浮世絵の複製画が付いた。北斎の富獄三十六景もその一つ。添付の解説
 などで楽しんだものだ。一方ゴッホと言えば炎の画家と言われる情熱家、わずか10年間を走り抜けた。残された自画像37点の特徴
 は髭、何故かその中に髭の無いものも。また自死の前に耳切事件を起こしている。左耳を切り落としたと有るが絵はどれも本人の右
 耳に包帯が。本人に向かっての表現なのか不思議だ。いずれにしてもはっきりしているのはゴッホが日本画特に浮世絵にあこがれ北
 斎の「神奈川沖浪裏」を通してコラボレーション(合作)していることだ。北斎忌は陰暦4月18日。

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67 でで虫の葉裏にありて深眠り
この句とても好きです。 かたつむりを最近あまり見かけないなぁーと思っていました。きっと葉裏にいるのですね?しかも深眠り中。今後葉裏で見付けてもそっとしておきます!

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ありがとうございます。

皆様こんにちは。
アイビーさん、いつもありがとうございます。

蛍火の向うに父の大工小屋
高得点をくださりありがとうございました。この句は義父を思い詠みました。
家の前には田圃そして水路がありこの季節には蛍が飛び交いました。その斜め前に義父の大工小屋がある。義父は大工の棟梁で大変働きました。蛍火の向こうには夜なべをする義父がいる。義父は早くに逝ってしまいました。もっとゆっくりとして欲しかったと思います。聞きたいこと話したいこともあったのに、、。
若さで駆け抜けた頃とは違い立ち止まり考えることが多くなりました。
今になって気付くことがあります。

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蛍火の向こうに・・・の1句とても素敵です。
元気でいらした頃のお義父さまを、ヨシさんがどれ程尊敬し親しんでいらしたかがよくわかり、心に残る1句で選句させていただきました。

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幻想としての大工小屋ではなく実際に大工小屋があったのですね。でも蛍火は幻想を誘うほどに儚いものです。亡き義父様を追慕するヨシさんのお気持ちが、あたかも仕事場で黙々と作業する義父様の姿を見たとしても、何ら違和感を覚えません。季語の力を最大限に活かした秀句だと思います。この度の互選トップ、まことにおめでとうございます。

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