Q0396
夫婦仲良くできない娘です。上の女の子(小1)はそれを日常的に見ています。昨年暮れにママがパパに突き倒され、大声で怒鳴り合っているのを見てしまいました(良い生活ですね=皮肉)。この子は5歳で下の子が生まれてから、爪噛みや夜尿が今も続いています。上記のころ、しばらくトイレでボーッとしているようになっていました。娘が暮れにわが家へ2人の子どもを連れて家を出てきたときに、じっくり話を聞き、夫婦仲良くすることの大切さがわかったらしく、はじめて「パセージ」を受けてくれました。娘の夫婦仲は相変わらずですが、私は娘の苦悩を共有していくことが今の私の仕事ではないかと、今朝の講演から学びました。具体的に、「夫婦仲良くしたいの?したくないの?」と何度か聞こうとしましたが、思いとどまって引くことに徹してきたのですが……。
A0396
あのー、まあ、両方とも馬鹿ね。男はやっぱり男尊女卑の時代の後遺症というか遺伝というかを引きずっていて、女性を尊敬するとか女性と一緒にやっていくとかいう意識がとても少ないと思う。しかもマザコンだったりして、女から求めるだけ求めて、ちゃんと返そうとしないと思うんですよ。だいたい日本のママがいけないんです。日本のママが息子のためならどんなことでもしますから、あれは息子たちを馬鹿に育てているんです。息子を溺愛してはいけませんよ。そうすると今度は嫁さんに溺愛されないと怒る男になりますからね。そういう男の意識の遅れというのはすごくあると思う。女のほうも良くないと思うんですよ。フェミニズム運動のあおりで、女性本来の働き・機能を忘れてしまい、変な劣等感の補償をして、猛々しく、男っぽくなれば、それで自立したんだと誤解し、顎をピッと張って暮らし、無慈悲に男の欠点ばかり指摘する女が増えました。どっちにも問題あるんです。男と女が一緒に暮らすやり方を学び直さないといけないと思う。ところが、男と女が一緒に暮らすやり方を学ぶのに集団ではできない。
1つは、育児というのはあまり個性がなくて、どこの家でも似たような問題をかかえて、似たようなトラブルを起こすんです。でも夫婦のトラブルはすごく個性がある。夫婦ごとに全然違う形で起こるんです。育児はたいていの問題を、公開の場でおおやけにできるんです。夫婦の問題はおおやけにできない問題が、セックスの問題もありますし、それ以外にも経済的なこととかたくさんあるんです。だからグループセラピーができない。治療者たちがいろんな実験をいろんな機会に今までやってきましたが、結局うまくいかない。だから、夫婦のための「パセージ」は作れない。夫婦の場合は、個別に、夫婦2人がやって来て、カウンセラーと夫婦再建の相談をするしかしょうがない。それは昔はわりと簡単だった。20年くらい前は、夫婦カウンセリングの打率はすごく良くて、「離婚します」と両方が言っている夫婦でも、「3か月くらいゆとりをください。離婚はいつでもできますから、慌ててしなくていいから、みつきくらい両方が工夫をしてみて、暮らし方を改善しませんか」と言ってみてやったら、6割くらいの打率で仲良くなりました。1980年代は。今は駄目です。とてもそんなに打率は上がらないです。女性のほうが別れても困らない状況ができてきていることもあるし、離婚があまりにもありふれた事柄になって、離婚を抑止する力が社会的にすごく弱まっているということもあるし、さまざまな要因で、すごく安易に離婚できるんです。だから、夫婦再建がうまくいかないんです。よっぽど両方熱意がないと。夫婦両方がまず仲良くしていこうと決心をすれば、それはできないことはない。ただ、夫婦の治療というのはかなり痛い。なんでかというと、夫婦仲が悪いときは、相手が悪いからわれわれの仲が悪いと両方が思っている。あの人さえ変わればわれわれはうまくやっていけると思っている。違う違う。悪いのはあんたや。両方ともね。両方とも、相手を変える努力をやめて自分が変わる努力をしないと絶対に変わらない。双方に問題がある。双方が子どものままで性的に成熟しました。幼形成熟です。結婚はしましたが、心は子どものままなんです。その心をある一定期間に大人にしないといけない。だからちょっと大変なんです。だから、両方に責任があって、相手が悪いからわれわれは不幸だと絶対に思わないようにしないといけないから痛いんです。自分の不幸が他人のせいであればどんなに楽か。私の不幸は全部私のせいなんですよ、残念なことに、アドラー心理学によれば、まったくそのとおりだと思います。そのことを両方が認識するまでにだいぶ時間がかかります。認識してくれたら、それを変えて成長していくのにまただいぶ時間がかかるんです。その間、相当つらい目に遭わないといけない。なるべくつらい目に遭わさないように工夫するけど、夫婦両方は治療の中で一番痛いと思う。それを堪える気があればかなり仲良くなるでしょう。おばあちゃんとしては、そんなこともできないから、娘さんが帰ってきたら、おばあちゃんの世代の知恵を言ってあげたらいいと思う。男の人は立ててあげんといかんとか。と思ってないで、きっとばあちゃんは(爆笑)。問題は。もう1つ上のばあちゃんがいたら思っているんだ。それは世代の問題ではなくて、もう1つ上のばあちゃんになれば、そう思えるようになるんだ。男の人は立ててあげんといかん。女はやっぱり従わんといかんと、しみじみ言えるようになる。直接の母親はしみじみ言えない。自分はそう思ってないから。そのことが子どもたちの不幸の1つの始まりなんです。そういうふうに教えなかったから。女性は女性、男性は男性としての夫婦の中での役割を僕たちは子どもたちに教えてこなかったんです。間違った男女平等、男女共同参画概念ね。人工的な、まるでこの辺に立っている建物みたいな、頭でこしらえあげた男女平等思想を子どもたちに教えてきたんです。デカルト・パラダイム(理性主義)というのは結局何かというと、大阪の街です。今ではもう農村へ行ってもないんですけど、地下鉄に乗ってちょっと行くと、服部緑地というところがあって、そこに民家博物館というのがあって、昔の民家をそのまま保存しているんですけど、あれは人間の暮らしですね。木で作ってあって、腐らないように、ずっと囲炉裏に火が入っているんですよ。それでずっと燻製されているから、ほんとはトラホームなんですよね、人間が。目の病気。でもまあ、ああやって燻製されていて、屋根も茅葺き屋根で、60年に一度葺き替えるんですけど、あれは村の仕事で、村で茅を育てるんです。で、60年ごとに1軒ずつ建て替えて、村中の男が出て女が出て、「来年はあんたとこやで」と言って、60軒で持っていれば60年に1回ずつ葺き替えできる。今はそういう手がなくなったから、みなトタンで貼ってしまいました。あれはナチュラルな、この国の中で一番風土に適した暮らし方を何百年か作ってきたんです。ですから地震が来てもあんな家は絶対に潰れないし、台風が来ても潰れない。で、今いるここは地震が来たらパコンと割れます。実はここは壁紙が貼ってあって見えませんが、中はいっぱいひびがが入っているんです。鉄筋コンクリートなんて弱いもんです。これ何年保つと思いますか?鉄筋コンクリートはだいたい50年くらいの耐用年数で考えているんですね。建築家は。それくらいするとコンクリートが駄目になっちゃうんです。たかだかそれくらいしか保たない偽物の建物なんです。でも農家だと200年、300年保っている建物はざらにありますし、お寺・薬師寺の塔なんか1200年ちゃんと保っているんです。それはこの国の風土に適したナチュラルはものだから。それは夫婦とか親子関係でもそうなんで、僕たちが作ったものはアドラー心理学も含めて偽物なんですよ。人工物なんです。理性が作ったもんなんです。男女参画思想なんていうのも、頭で考えてこねくったもので、人間の本姓に根ざしてないんです。男と女が尊敬し合い信頼し合って暮らすのはいいことなんだけど、今みんなが言っている男女参画思想をパックリ鵜呑みにして、それこそ真理だと思わないことです。やっぱり女性は男性に譲ったほうがいいです。男性は女は弱い者だと思って守ったほうがいいです。古臭いことを言うなと言われるかもしれないけど、それはしょうがないじゃないですか。女は子どもを産むとか、男は立ち小便ができるとかと同じで、自然な出来事にすぎないんだから。(回答・野田俊作先生)
Q0395
鬱のとてもひどい60歳台の女友だちとどうつきあえばよいですか、教えていただきたいです(野田:縁を切るのがいい)。彼女は15年ほど前、職場の銀行の金庫内に誤って閉じ込められ、鬱になりました(野田:ほー、金庫に入ると鬱になるか。珍しいな)。退職後、娘さんの外国人のパートナーさんが、彼らの離婚問題で、私の友人である両親に暴力を、家庭損壊を繰り返し、警察沙汰にも何回かなりました。そのために引っ越しも何回かし、彼女の鬱はひどくなりました。この事件のほうは、裁判で今は解決しました。
A0395
縁をお切り。なんでこんな人にかかわるの?たぶん、職業的神経症者だと思う。プロの神経症者っているんですよ。僕らの世界にもよくおいでになります。僕らは、「こいつプロかなアマかな?」って患者さんを見るんです。それはそうでしょう。プロにエネルギーかけてもしょうがないもの。砂漠に水を播いているみたいなもんです。ちゃんと収穫のある人にエネルギーをかけてあげないとね。医者というのはすごく金がかかっているんです。国家が僕に金をかけてくれたんです。私の時代の医者で、昭和30年代の医者で、国は僕に年間250万円使ってくれたんだそうです。その時代、文学部の学生さんが20万円で、工学部の学生さんが110万円くらいで、医学部の学生が250万円くらいかかったんです、年間。顕微鏡買ったりなんかするので。今は1000万以上かかっているんだって、年間に。だから6年大学にいたら6000万、そのあと大学院まで行ったら1億くらいの金を国家が1人の学生のためにかけているんです。しかも僕らは給料をもらいます。給料は当時高くて、医者の給料って実はごまかしで、終身給与は高くない。一生ずっと全部の給与の総額を勤務医で計りますと、工学部や理学部の大学院卒と同じ学歴ですから、工学部修士課程を出た子がもらう給与より、終身給与は安い。初任給は高いけど。初任給高くて、ほとんど昇級しないで一生行く。だから、途中で追い越されるんですけど。終身給与はともかく、初任給は高いですから、若いうちにこれもだいたい国立病院とか地方公共団体が作った病院から金をもらっていますので、国民の税金を億単位でもらったんです。そうやってやっと医者になったんです。そのエネルギーを、「絶対に治らない神経症者にちょっとでも分けてたまるか」と思うんです。思いません?だから、僕たちがつきあってあげて、ちゃんと反応して収穫がある人たちにはどんな苦労でもしてあげますが、「絶対治らないぞ、神経症から吸える甘い汁は徹底的に吸って暮らす」と決めている人には、一切手伝いをしないことに決めているんです。もちろん、絶対治らなくても、例えば統合失調症の患者さんにはたくさんエネルギーをあげようと思うんです。統合失調症の患者さんは、彼らには収穫が何もないんです。彼らは今の社会からはねのけられ差別され、社会がもっとゆったりしていれば、社会に彼らの居場所があれば、暮らせたのに、近代資本主義は彼らを隔離収容して、気違いというレッテルを貼って、疎外しようとしていて、そこに誰かお守りをしてあげる人がいないといけないから、それも精神科の神聖な役割ですから、統合失調症者にはエネルギーかけようと思いますが、プロの神経症者、いわゆる人格障害、神経症から吸える甘い汁は吸い、一切の責任は取らず、そこから得られる利益は全部得ようとしている人たちには、何一つしてあげようと思わない。だからまして、アマの方はその人たちに対してなんの責任もありませんから、縁を切りな。(回答・野田俊作先生)
Q0394
「何のために勉強するのかわからない。やっても無駄で」と言う小5の子に何と言えばよいでしょう。
A0394
そりゃあ、あんたが無駄飯を食わないためよ!世の中のゴミにならないためよ。勉強もしないで、食べたいだけ食べて、やりたいことだけして暮らすのは、害虫です。何の役にも立ってない。ゴキブリと一緒、ウンカと一緒ですよ。そんなものは存在する価値はない。僕たちは、自分の力を世の中のために使い、人から必要とされ、みんなが私を求めている存在にならないといけない。全員。それしか僕たちが生きていく道はないんです。それが人間の一番楽しい、ワクワクする暮らし方なんです。僕らは楽して暮らしてはいけない。楽して暮らす暮らし方は地獄なんです。生まれてすぐに保育器に入るとしましょう。その保育器は暑からず寒からず、ちょうど良い湿度で、お腹が減ると食べ物がどこからか出てき、排泄物はどこかへきれいに流され、何にもしなくても快適に暮らせる場所で、それでそのままずっと一生送ったとしましょう。この人は幸福か不幸か。最高に不幸だと思いません? やっぱり、恋をして破れてみたり、財布を落としてクヨクヨしてみたり、お母さんに怒られて家出してやろうかと思ってみたりするほうが、ずっと幸せだと思いません?だから、僕たちは、身体的な快楽・安楽と、幸福とをいつか混同したんです。僕はいつも保育器の中で育てられているのをイメージして、それだけはやめたいって。そこは人間の最も地獄な場所で、 勉強を何のためにするのかわからないと言っている不登校児の、何となくイメージする幸福って、そういうのです。保育器の中で、自分が何にもしなくても、欲しいものが手に入る暮らしね。それは人間の最高の不幸です。人間の幸福というのは苦労の中にあるんです。人間の幸福というのは、苦楽相半ばする、ないまぜたところにあるんです。その味は子どもにはなかなかわからないかもしれないけれど、でも僕たちがちゃんとイメージしているべきだと思う。子どもに楽させようとか、子どもが苦労しないようにとか考えるべきではないと思います。(回答・野田俊作先生)
Q0393
子どもを勇気づける以前に、私が勇気づけられないと日々しんどくてたまりません。私は私をどう勇気づけられたらいいでしょうか?
A0393
さっきの続きなんでしょうかね。人生の意味ってなーに?大人にとって。僕らはなんでこの世に生きているんでしょう。アドラーはずっとそのことを問い続けていたんです。僕らは世のため人のために生きているんですよ。僕らが存在することで誰かが助かっているんです。僕たちは、朝起きたとき、「あー、今日一日人々が私を必要としているな」と思うから、元気に起きられる。朝起きたときに、「誰も私を呼んでいない。誰も私を必要としていない」と思うと、元気に起きられない。だから、僕らの勇気、勇気というのは「チャレンジする心」ね。勇気というのは、リスクを引き受ける心ね。勇気というのは、人からけなされたり嫌われたりすることを恐れない心ね。勇気というのは、自分の安全だけを求めない心ね。でしょ。「私は必要とされている」という信念から出てくる。誰が何と言おうが、私が暮らし、私が働き、私が生きていくことが、ある人々から求められているんだって。私がいないと困る人が出てくるんだと思うから、勇気が出てくる。だから、そういう暮らし方をしてよ。人から好かれ、苦しいことは避け、自分の欲しいものだけ手に入れ、イヤなことはやめ、それで勇気溢れる暮らしをしようというのは、初めから矛盾している。言ってることが。食べたいだけ食べて痩せたいと一緒なんで、無理よ、そんなの。(回答・野田俊作先生)
Q0392
1年生(7歳)と引っ越ししたばっかりのマンションで2人暮らしで、息が詰まりそうです。楽しく過ごすコツを知りたいです。
A0392
うーん。細かくはわからないんですが、子どもの相手をしなよ。子どもとそっと向かい合っている必要はないじゃないですか。(回答・野田俊作先生)