MENU
64,286

論語でジャーナル

2,子張曰く、徳を執(と)ること弘からず、道を信ずること篤(あつ)からずんば、焉(いずく)んぞ能(よ)く有りと為さん、焉んぞ能く亡しと為さん。

 子張が言った。「徳を守って固くなく、道を信じて誠実でなかったら、世に生きても何の影響なく、死んでも何の影響もないだろう」。

※浩→「弘」は「広」とか「大」とか訳されますが、貝塚先生は「強」と解釈されます。このほうが、「徳を執ること弘(かた)からず、道を信ずること篤(あつ)からずんば……」とバランスが良くなるそうです。子張の断定口調の道徳観を示しています。徳目を守ることの重要性、人道を誠実に踏み行うことの価値を主張していて、人としての仁徳や人道を軽視して生きるのであれば、生きていても死んでいても大差ないと、子張は孔子よりもやや中庸を欠いた激烈さ(気性の激しさ)を持っていたのです。弟子によって教義が次第に固定して教条主義の傾向が強くなっています。古今東西、新たに創造的思想が誕生したのち、創始者がいなくなって後継者に受け継がれていくにつれて教条化していきます。野田先生は「土着化」するとおっしゃっていました。1992年の横浜総会での基調講演は「心理学における土着思想と反土着(創造的)思想」というタイトルでした。この講演は終了後直ちにカセットテープが販売されました。もちろん購入して、その後何度も聞き直しました。東西の哲学思想を引用されていて、ある程度の素養がないと理解できない内容でしたが、岸見先生は哲学者ですからとても好印象を持たれたようでした。私は岸見先生の足下にも及びませんが、授業で少々哲学分野も扱っていたこともあり、すんなり受け入れられる部分がかなりありました。のちに機関誌『アドレリアン』に一部手直しされたものが掲載されました。これは文字で残っていますので、冒頭部を引用しておきます。↓
 1,創造的思想と土着思想
□文化への治療としての創造的思想
 エーリッヒ・フロムは、「創造的思想は常に批判的思想である」(『フロイトを超えて』)と書いています。何に対して批判的であるかというと、社会が共有している自明性に対してであると思います。「共有された自明性」は、通常「文化」と呼ばれています。それは、多くの場合無意識的であって、言語化されることがなく、したがって反省してみられることがありません。それを意識化し言語化して、理性にもとづいて批判を加えるのが、創造的思想の役割です。創造的思想とは文化批判なのです。
 文化は個人のライフスタイルに相当するものですから、そこには、良いものも含まれているでしょうが、問題のあるものも含まれているはずです。それを批判的に再検討して、問題点を明らかにし、代替案を用意することは、個人の心理療法に相当する作業です。創造的思想は、文化に対する治療的アプローチなのです。これがなければ、人類の精神的進歩はありません。
 創造的思想は、例えば地位や財産についての成功のような、世俗的に容認され、さらには偶像化されてきた価値を批判して、代わりに、より人間的な価値を発見しようとします。その結果、必然的にスピリチュアルなタスク、すなわち、「私は誰であるか」「生の意味は何であるか」にかかわることになり、真に人間的な生き方は何であるかを問題にする思想になります。アドラー心理学もまた、世俗的な偶像化された価値を批判しつつ「人生の意味」を問い続ける、批判的で創造的な、本質的にはスピリチュアルな思想であると思っています。
□文化批判への治療抵抗としての土着思想
 創造的思想が文化の価値観を批判する時、それへの反動として、文化が本来持っていた価値観を擁護するための思想が形成されてきます。これを土着思想と呼ぶことにします。土着思想は、批判の否定ですから、「考えることをやめて、現状をそのまま受容せよ」と主張します。これが土着思想の基本的メッセージです。
 土着思想の例として、例えば、神道の思想をあげることができるでしょう。古代日本の文化的自明性が言語化されたものが神道ですが、これは仏教という外来の思想に触れてはじめて思想化されました。仏教が批判的創造的な役割を果たした時代があったのです。神道は、日本古来の価値観を反映していると思われますが、歴史的に見れば、仏教への反動としてはじめて言語化されたものです。こうして言語された神道の思想は、おおむね次のようなものです。
 世の中に生きとし生ける物、鳥虫に至るまでも、おのが身のほどほどに、必ずあるべきかぎりのわざは、産巣日神(むすびのかみ)のみたまに頼りておのづからよく知りてなすものなる中にも、人は殊にすぐれたる物として生まれつれば、また、しか勝れたるほどにかなひて、知るべきかぎりは知り、すべきかぎりはする物なるに、いかでかその上をなほ強ひることのあらむ。教へによらずては、え知らずえせぬものといはば、人は鳥虫に劣れりとやせむ。いはゆる仁義礼譲孝悌忠信のたぐひ、皆人の必ずあるべきわざなれば、あるべきかぎりは、教へを借らざれども、おのづからによく知りてなすことになるに…。
 これは江戸時代の神道思想家・本居宣長の『直毘霊(なほびのたま)』の一節ですが、ここには、「考えることをやめて、現状をそのまま受容せよ」という土着思想の特徴が端的に言い表されています。
 しかし、ただそう言ったのではいかにも説得力に欠けるので、土着思想は、この主張の正当性の根拠として、根元的な秩序形成力(ここでは産巣日神)を持ち出します。そして、それと人間の意志的努力との葛藤という図式を描き、人間の不幸の原因をこの両者の対立に帰しておいてから、秩序形成力を十全に働かせるためには、人は意識的な努力を放棄しなければならないという結論を導き出すのです。すなわち、
1. 根本的な秩序形成力が存在する。
2. 意識的努力は秩序形成力と対立し、混乱を引き起こす。
3. したがって、意識的努力を放棄すれば、おのずと秩序が現れる。
 というように論理を構成します。
 このようにまとめると、これは日本独特の思想ではまったくなくて、世界中にある思想であることがわかります。例えば、中国にもこういう思想はありました。
 虚無の道を極めて静寂の境地に入ると、この世に起こるさまざまのことは、結局は窮極の実在である道(タオ)の現れであるとわかる。事物は変動するが、その元に根本がある。その根本に帰ることを静寂と言い、静に帰ることを天命に復帰すると言う。
 聖人の教えなど捨てれば、民の利益は百倍になる。道徳など捨てれば、民は親を敬い子を慈しむ。名誉欲や物欲を捨てれば、盗賊はいなくなるであろう。
 これは『老子』からの引用です。老子の思想は、当時の文化への批判であった孔子の思想への、文化の側からの反動であると考えることができます。ここでも批判的思想が先行し、それへの反動として文化的自明性が土着思想として言語化されているのです。また、ここでも、根元的秩序形成力(ここでは道)の存在と自己放棄の必要性を根拠にして、楽天的な現状肯定が主張されています。
 ここには、盲目的な現状肯定があるだけで、批判精神も創造的発想もありません。それはそうで、土着思想は、文化への治療である批判的思想に対する、文化の側からの治療抵抗であり、伝統的慣習の自己弁護、自己保存努力であるにすぎないからです。

□創造的思想の土着化
 批判的な創造的思想も、継承されるうちに批判性を欠くと、容易に土着思想に呑み込まれてしまいます。思想の歴史は、批判的創造的思想が現れては、やがて土着思想に呑み込まれ、それに対する批判としてまた新しい批判的思想が現れる、ということの繰り返しであったと言ってもよいでしょう。
 ある時代の日本と中国においては、仏教が批判的思想であり、神道や道教が土着思想でありましたが、仏教はやがて土着思想に呑み込まれてゆきました。例えば、日本中世天台宗の論書である、伝源信『真如観』は、
 今日より後は、わが心こそ真如なりと知り、悪業煩悩も障りならず、名聞利養かへりて仏果菩提の資粮(しろう)となりつれば、ただ破戒無慙(はかいむざん)なり懈怠嬾惰(けたいらんだ)なりとも、常に真如を観じて忘るることなくば、悪業煩悩、往生極楽の障りと思ふことなかれ。
 と述べていますが、これは仏教用語で書かれた土着思想です。ここでは、仏教は神道に呑み込まれているのです。
 中国では、例えば、唐代の禅僧臨済が、
 諸君、ブッダの教えは工夫を用いることがない。ただ、平常無事で、排泄したり、着替えをしたり、飯を食ったり、疲れれば寝たりするだけのことだ。愚か者はこういう私を見て笑う。しかし智者ならばわかる。昔の人も言っている。「外に向かって工夫するなどというのは、大馬鹿者だ」とな。君たちが、どこにいても自己自身でおれば、することなすことみな真だ。外から何がやって来ても、君たちを引き回すことはできない。これまでの無限の生涯に蓄積した悪いカルマがあっても、そのままで自然に解脱の世界に生きることができるのだ。(秋月龍民『臨済録』)
 と言っています。これも仏教用語を用いてはいますが、まったく道教的であり、土着思想に呑み込まれた仏教なのです。
 ちなみに、このようにして、元来は批判的思想であった仏教が土着思想に呑み込まれてしまった結果、われわれが日常何となく「日本的」なり「東洋的」であると感じているものは、神道であれ仏教であれ、今やすべて土着思想なのです。これらが安易な現状肯定でしかないことを見落としてはなりません。そこには創造的変革的な力は微塵もないのです。
(引用終わり)
老子・荘子は「土着思想」と知って以後、次第に遠ざかっていきましたが、しばらくして「いいとこ取り」をすることにしました。この動きこそ「土着化」だと言われそうですが、心理学にも「折衷主義」という立場があって、元の恩師・國分康孝先生はその立場でした。クライエントの提起する問題ごとに、その人個人にもっともふさわしい理論&技法を用いるというものです。次の恩師・野田先生は、「技法の折衷はOKだが、理論の折衷は不合理」だとおっしゃいました。実際、アドラー心理学も、技法に関しては他の心理学からたくさん借用しています。心理学の技法は、いわば人類共有の財産だと言えるからだそうです。でも、理論の折衷は意味がないと。カレーと善哉は別々に食べるとおいしいが、混ぜると変な味になると。
 何だかんだと理屈をつけて、また老子・荘子を読み返そうとしています。常々言っていますように、まさに今は乱世の感がしてきたからです。

引用して返信編集・削除(未編集)

「人生目標は1つ」というのがわからない

Q0362
 私的感覚は複数あるが、人生目標は1つしかないというのが、よくわからないのです。具体的な例があれば挙げていただけますか?

A0362
 何でしょうね。今、私は何をしているかというと、皆さん方にアドラー心理学の初歩をわかってほしいというのが、キラキラした目標なんです。もう1つつけ加えると、ちょっと中毒になって、幾分依存症になって、今後も機会があったら、アドラーの話を聞きに行こうと思ってほしい。すでに依存症の人はもう少し重症になって、一度「合宿」にも行ってほしいと思っている。このへんが、今のキラキラした目標なんです。でも、人生は、皆さんを巻き込んで合宿に来てほしいか、そんなことはないんです。人生の究極目標は、たぶん、人をびっくりさせたいんです。昨日、私のお誕生日だったので、上等のお饅頭をいただいたんです。餡子(あんこ)の好きなスタッフに分けてあげたら、「いただきます。社長の“とばっちりを受けて”」と言ったんです。“おすそ分け”と言わないで。そうすると、みんながびっくりする。こういうのが好きなんです。あらゆるところで、まわりの人の予想外のことを言ったりしたりして、あんまりひどい目に遭わせる気はないけど、「えーっ!」とびっくりさせて暮らしたいものだと思っていて、人騒がせに、みんなをびっくりさせて、小さい波乱を巻き起こすにはどうしたらいいかというのが、私の大きな人生目標なんです。これはあらゆる場合に顔を出すんです。今日も話の中でずっと顔を出し続けているんですけど、でも、さしあたっての私的感覚はそこじゃない。みなさんにびっくりしてもらうのが究極目標では、今日は、ありません。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル

第十九 子張篇

 この篇には孔子の語は1章も収められていません。この篇の主流は、子夏、子貢、曽子によって占められています。諸子の説には、孔子の語をもととした言葉が多く、孔子の語が弟子・孫弟子によりいかに発展され、伝承されていくか、その過程を示している、と貝塚先生の解説です。

1,子張曰く、士危うきを見ては命(いのち)を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思わば、それ可ならんのみ。

 子張が言った。「君に仕える者は、危機にあたっては生命を捧げ、利益を前にしては取るべき筋合いかどうかを考え、祭礼には神への敬虔を第一と考え、葬儀には死者への悲しみを大切と考える。それでまずまずと言える。

※浩→「士」は道を求める者、学問を学ぶ者などのいろいろの側面がありますが、ここでは「才能によって主君に仕える者」という根本的な意味で使われている、と貝塚先生の解説です。吉川先生は、特に、「祭には敬を思い」を傾聴すべき説である、と書かれています。
 儒家集団は孔子の死後、国家に仕えて有用の材となれるように、人間的に完成された人物を形成するという教育の目標が次第にはっきりとなっていました。子張のこの言葉はこの理念を明らかにしたもので、その意味でこの篇の第一に置かれたのでしょう。1つ前の篇には随所に“隠者”の老荘思想が語られていましたが、この篇で、もとの儒家本来の生き方が孔子の弟子たちの言によって語られています。ここでポイントをおさらいしておきましょう。「格物致知~誠意~正心~修身~斉家~治国~平天下」(←『大学』。
 物を格してのち知至(格)る。知至りてのち こころばせ誠なり。こころばせ誠にしてのち心正し。心正してのち身修まる。身修まりてのち家斉う。家斉いてのち国治まる。国治まりてのち天下平らかなり。
 知を致すには、物に格ることをおろそかにしてはいけない。物に格れば、しかるのちに知に到る。知に到ってのちにこころが誠になり、そののちに心が正しくはたらく。心が正しくはたらけば身が修まるところがわかる。身が修まれば家が斉のう。そうやって家が斉って初めて、国が治まる。国が治まれば必ず天下は平らかになるだろう。
 アドラー心理学は、老荘でなく儒家に近いと言われます。「共同体感覚」という思想を持ちます。共同体あるいは社会に貢献的な形で所属することを説いています。ところが、逆境にいるときは、孔子自身も「隠る」と言ったように、隠遁生活もありうるようです。私も逆境のとき『老子』『荘子』で救われた体験があります。今の世の中、どう見ても“治世”でなく“乱世”のようです。道徳・人情地に落ちて、凶悪犯罪多発して、どこもかしこも“規制”だらけ。親は子どもを虐待し、子どもは親にも教師にも反抗し、教師の多くが鬱傾向、なり手も少なくその質低下。学校今や修羅場と化し、この先いったいどうなるの?この世相を乗り切るのは、やはり老荘思想で身を守ることでしょうか。

引用して返信編集・削除(未編集)

サイコドラマの参考書

Q361
 カササギ座(サイコドラマ)に向けてお勧めの戯曲か本があれば教えてください。

A361
 何でしょうね。一応、芝居の本を読んだほうがいいと言っているんですけど、古本屋へ行くと、昔の戯曲名作集が筑摩書房などから出ていて、安い。数百円くらいです。そんなのを1冊買えば、だいたい有名戯曲が載っている。お勧めは、やはり日本の作品がいいです。しかも古いのがいいです。新しいの、例えば井上ひさしなんかはお勧めしません。井上ひさしという劇作家の作品が、はたして50年後くらいに観られているかどうか疑っている。一応「古典」と呼ばれるには、50年という時間を見ないといけない。司馬遼太郎は古典にならない。あれは忘れられつつあるもの。僕らの年代ではインパクトを持って覚えていますが、今は大学生も知らない。あるときに流行作家であったことが古典になる条件にはならない。50年たってもまだ普通に読まれているもの。太宰治は古典です、完全に。菊池寛は古典じゃありません。亡くなって50年たったら古典です。なんで古典になれたかというと、どの時代にも共通する人間の心を描ききれているから。古典になれなかったのは、ある時代の人間の風潮に乗っかった人間の心しか描いていないから。「古典戯曲名作集」で50年以上前の作家、小山内薫だとか岸田国士とか載っている。そういうのを読めば、「芝居ってこういうものね」とわかります。
 芝居というのは滅びつつある芸術です。合唱と戯曲(芝居)は今ほとんど忘れられつつある芸術です。合唱は「カラオケ」が滅ぼしてしまった。芝居はテレビが滅ぼしてしまった。テレビドラマや映画は、全然芝居じゃない。芝居独特の緊張感が何もない。芝居で有名な台本を映画にしてもまったくダメ。芝居特有のいろいろなもの、例えば、所作(しょさ)。目のちょっとした歩き方とか顔の角度とか動きで何もかも変わる。そういうのがテレビドラマや映画では描けない。だから、ほんとに舞台演劇でないとダメです。舞台演劇でも最近できたものは、良いのか悪いのかわかりません。評価未定です。古典的な舞台は、これは観るのが難しい。東京にでも出ればあるが、大阪でもかなり難しい。古典演劇を観ようと思ったら、年に2,3本来るかなというくらいですから。今盛んに生きている芸術でないから、台本を読むしかしょうがない。台本を読んでも、所作とかはわからない、いっぺん観たことないと。それでもないよりマシです。
 私は、祖母がすごく芝居が好きだったんです。歌舞伎も好きだったんですが、一番好きだったのは「新国劇」という変なものです。島田正吾とか辰巳柳太郎とかいうおっさんが、「国定忠治」なんかやる。小学生くらいで観ました。新国劇は良い芝居でした。台本はほとんどヤクザの話なんですけど、所作がすごく良かったし、あそこは殺陣(たて)が良かった。斬り合いね、チャンバラ。今テレビの時代劇でチャンバラなんかできたのは新国劇からです。歌舞伎では殺陣がない。ほんとに斬り合いないんですが、新国劇はほんとに斬り合いやります。怪我せずにやっているのは大したもんだと思う。殺陣も所作も台詞回しも良かったし、台本はまあ長谷川伸のヤクザものだっただけです。ユーチューブなんか探すと、部分的にだと出てきます。昔の芝居がチラッと。私はその影響もあって、私自身は大学生のころ、芝居のファンになりまして、劇団にもちらと書きましたが、あれは地獄です。劇団に書くと、その先破滅が待ち構えている。バックリとそこに破滅の口が見えたので、あれはほんとに中毒してしまって、麻薬のように恐ろしい世界ですから、あそこにはかまないことにしようと、早々に離れましたが、観には行きました。やっぱり、役者ってすごいと、何度も観て思いました。一番すごいのは、宇野重吉さんです。晩年、死にかけのよぼよぼのおじいさんで、大阪へ来て、フェスティバルホール(今はなくなりましたが)の舞台の一番奥におじいさんの役で座っていて、ピアニッシモで語るのが、2000人入る大劇場の一番後ろの席で聞こえる。これはすごい。ほんとに声ができている。役者は体を楽器・道具にして、全身でもって人間の運命を表現しますから、面白い。いっぺん台本を古本屋で探すのが一番よろしい。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル

11,周に八士あり、伯達、伯适(はくかつ)、仲突、仲忽(ちゅうこつ)、叔夜、叔夏、季随、季騧(きか)。

 周に八人の優れた人物がいた。伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季騧である。

※浩→8人の事績はよくわからないそうです。名字が同じ4組なので双子だという説があります。荻生徂徠の説では、双子はその一方をころす風俗があったにもかかわらず、この4組の双生児は立派な社会人となったと、悪い風俗への戒めだとするとありました。日本では、双子の一方をころしはしないまでも、里子に出したというお話が映画やドラマによく出ていました。ひどいことをするもんです。そういえば、うちの母がよく、双子のことを「畜生腹」なんて言っていたようですが、差別意識で言ったのではないと思います。昨今の連発する残忍な事件から、人間はほんとに「万物の霊長」などと誇れなくなりそうです。サバンナの肉食猛獣でも、飢えていなければ他の動物を襲ったりはしないのに、平気で人をころす人間は、猛獣以下ということになります。
 「微子篇」はこれで終わりです。次回から「子張篇」です。

引用して返信編集・削除(未編集)
合計664件 (投稿658, 返信6)

ロケットBBS

Page Top