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論語でジャーナル

20,子貢曰わく、紂(ちゅう)の不善も、是(か)くの如くこれ甚だしからざるなり。是(ここ)を以て君子は下流に居ることを悪(にく)む。天下の悪皆な焉(これ)に帰すればなり。

 子貢が言った、「殷の紂王の悪事も、それほどひどいものではなかった。だから、君子は下流に居るのを嫌う。世界の悪事がみなそこに集まってくるからだ」。

※浩→「紂」は殷王朝三十代目の最後の天子で、その暴政によって周の武王に滅ぼされます。『史記』「殷本紀」に悪事が列挙されています。
 「帝紂は資弁捷疾(しょうしつ)にして、見聞甚だ敏なり。財力人に過ぎ、手もて猛獣を格つ。知は以て諫めを距(ふせ)ぐに足り、言は以て非を飾るに足る。人臣に矜(ほこ)るに能を以てし、天下に高ぶるに声を以てす。以て皆己の下に出づと為す。酒を好み楽に淫す。夫人に嬖(へき)し妲己を愛して、妲己の言にのみ是従う。是(ここ)において師涓(しけん)をして、新たなる淫声、北里の舞、靡靡の楽を作らしむ。賦悦を厚くし、以て鹿台の銭を実(みた)して鉅橋(きょきょう)の粟(こめ)を盈(み)たす。益(ま)すます狗馬奇物を収め、宮室に充ち仭(み)つ。益すます沙丘の苑台を広くして、多く野獣飛鳥を取って、其の中に置く。鬼神を慢(あなど)り、大いに楽戯を沙丘に最(あつ)む。酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為し、男女をして裸ならしめ、其の相逐(お)わしめて、長夜の飲を為す。百姓絶望して、諸侯畔(そむ)く者あり。是に於いて、紂乃ち辟刑を重くし、炮格の法有り」。
 と、まあ、およそ中国人の予想した限りの悪事すべてを書き連ねています。「酒池肉林」はここから出ています。司馬遷より400年ほど早い子貢のころにもすでに伝説として発生していたのだろうと、吉川先生。
 そこで子貢は言います。紂の不善もあれほどひどくはなかったに違いない。だから、君子は道徳的に不利な地位にいるのをいやがる。世界中の悪事のすべてが、彼に押しつけられることになるから。
 現代で言うと、一旦マスコミで悪事が報じられた人は、人々はそれを先入観として、その人のすることはみな悪いことと信じてしまうでしょう。人間は一度悪い評判を集めてしまうと、すべての事績を悪い方向に解釈されてしまうようになってしまいがちです。こわいことです。偏見や誤解であっても一旦「悪いレッテル」を貼られると、その人の歴史的評価は極悪なものへと変質してしまう危険がある……だからこそ、君子は悪い噂の標的となる下流(悪意の集積地)に立つことを嫌うのです。名優・長谷川一夫さんの代表作に「銭形平次」シリーズがありました。その一作に、武士が殺人か窃盗の嫌疑を受けて捕まりそうになって逃げますが、結局捕まり、逃げた理由を問われて、「武士が一旦縄目の恥をうけたら、たとえあとで無実と証明されても、汚名は消えない」と弁明していたシーンがありました。あれを思い出します。武士社会でない現代でもありそうです。そういえば、ネット社会での誹謗中傷が絶えないです。おぞましいことです。

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「集中してしまわない暮らし」への教育側からのアプローチ

Q0380 
 集中してしまわない社会、暮らしというのは、教育の側からはどのようなアプローチがありますか?

A0380
 1つは、「手作り」をするというのが大事だと思います。まあ、ある範囲ね。今僕、「アドラー・ニュース」というメルマガを出しています。あのやり方は良くない。なんでかと言うと、メルマガを作るには1人の人間がかかりっきりでやらないとしょうがない。分業ではなかなかできない。何十ページもあるホームページなら分業でできる。それでも統一方針が欲しいから、結局、1人の人がやるわけ。その人はホームページに関するある技術を持っている人。残りの人は全然それに関わらない。昔は、あれを印刷してまして、印刷だとみんなで分業してやります。最初の原稿は誰か1人が書くかもしれないけど、「これ印刷してね」と言って、ガッチャンコガッチャンコと印刷して、紙折機で紙折りして、あれすぐ故障したけど、それで封筒貼りをして、机の上に積んで、2千通も3千通も出すから、何日もかかって、いろいろしゃべりながら、送るわけです。それって、昔の農作業で、稲を刈って脱穀していく作業と一緒です。豆を採ってきて皮を剥くのと一緒です。その中に農民の暮らしが生きていた。今、コンピュータ化したおかげで、農民さんの暮らしは死にました。コンピューターを使うこと自体は、もうやめられなくなったけど、コンピューターへの依存度は減らすべきだと思います。この間、某国のスパイが、国会議員さんのメールを管理しているサイトへ侵入して、国会議員さんのメールをみんな見られたみたい。どんなメールのやりとりをしているかは知らないけど、かなり機密情報も入っている気がします。あるいは、三菱重工業へ侵入して、ここは戦車や戦闘機を作っている軍事産業ですが、そこの情報も盗られたみたい。アメリカ国防省も入られているみたいで、どんなコンピューターでも簡単に侵入できる。そんなところに国の重要な機密を置いておくこと自体がそもそも間違っている。コンピューターの上に乗っかった文明は、基礎が無茶苦茶もろいと思う。武器も何もいらない。数人のハッカーがいたら、相手の情報を簡単に攪乱できます。今この国のコンピューターが全部止まったらどうなるか?あっという間に国は麻痺します。何もかもそれで動いているもの。水道だってガスだって来なくなるし、電気も来なくなる。新幹線も動かなくなる。町中の信号機はコンピューター制御しているから動かなくなる。それってバカげていると思いませんか。国中のコンピューターを破壊するのはたぶんそんなに難しくない。ある種のウイルスを入れて、「壊れなさい」と言ったら壊れますから。それに対するプロテクトは理論的に不可能だと思う。
 手動で動くって、すごく大事なことで、手動で動かせる部分は手動で動かす、本当に必要なところだけコンピューターを使う文明がいる。
 原子力発電にしても、今、原子力発電なしで暮らすのはナンセンスだと思う。必要だけど、最小限にする工夫をしないといけない。どうやって最小限にするか。このものすごい消費量をそのままにおいたまま議論するからややこしい。電気を消せばいい。コンビニをあんなに明るくしなくていいと思う。パチンコ屋さんもあんなに明るくしなくていいと思う。僕らの子どものころは暗かったけど、みんな「こんなもんや」と思って暮らしていた。「暗くなったら心が鬱になる」と言うけど、ならないよ。しばらくしたら慣れますから。
 機械化とかコンピューター化とかに、過度に頼らないことが大事。学校でコンピューターの教育をするのはナンセンスだと思っている。今、ワードやエクセルを教えているけど、子どもたちが卒業したら、たぶんないですよ。昔、コンピューターが始まったころ、学校で「ベーシック言語」というのを教えた。このごろ誰も使わない。学校で習ったことが将来役に立たないことの見本だと思う。私なんか、学校で1回もコンピューターについて習ったことはない。卒業するまで。卒業した途端に、「今度研究室にコンピューターが入った。何とかせい」と教授に言われて、「あいよ」と言ってやったら動きました。試行錯誤で動かしたら動きました。実はいけるんです。いける人はいける。いけない人は、どんなにたくさん習っても、いけない。ハローワークで、ワードやエクセルを教えている。あんなんでいい。大人になって、必要になった人が習いに行けばいいんで、学校教育の中に入れなくていい。学校教育では、手作りで生きていく方法を教えたほうがいい。何であれ。遊び半分でいろんなものを作ります。ローソク作りするとか。機織りするとか。あれってほんとは大事だと思う。被災地・仙台市だったかでイルミネーション作るのに、電気を使わないで、廃油を、天ぷら油に使ったのとかを集めてきれいにして、それでディーゼルエンジンを回して発電して、イルミネーションをしようと言っていた。これはすごく面白い。子どもたちに、廃物をどうやって利用するかとかを学んでもらうのは大事だと思うし、今の文明を絶対視し礼賛してはいけないと思う。廃棄物、ペットボトルなんか具合悪いと教えるんだけど、ペットボトルなしにどうやって暮らすかのアイディアはもうなくなっている。僕らの子どものころは、お豆腐を買いに行くにはボウルや鍋を持って行った。お醤油やお酒も、瓶を持って買いに行った。そういう暮らしができるということ自身がもう伝わってない。だから、ペットボトルをなくした途端に、どうしていいか困ってしまう。
 学校で教えないといけないのは、生活のために何が必要なのかという「ミニマム・リクワイエメント」。「これは知ってたほうがいいよ」ってこと。全部、現代文明・機械文明を前提にして、「そこについていけ、後れるな」教育をしているけど、それは違うでしょ。現代文明は必ず滅びるでしょう。こんなの長持ちしないことは、みんな知ってるもの。やがてパニックになる時代がくるでしょう。そのパニックの時代に生き残れるかどうかは、食糧生産できているかとか、廃物をどう利用できるかとか、機械に頼らないで人間にどこまでできるかにかかっている。そんなのを教育の中で教えてほしい。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

19,孟氏、陽膚(ようふ)をして士師(しし)たらしむ。曾子に問う。曾子曰わく、上(かみ)その道を失いて、民散ずること久し。如(も)しその情を得れば、則ち哀矜(あいきょう)して喜ぶこと勿(な)かれ。

 孟孫氏が、陽膚を司法長官に任命した。陽膚がこの役目についての心得を先生の曾子にたずねた。曾氏は言った。「為政者たちが政治の道徳を見失ったため、人民の心理も中心を失ってしまってからずいぶんになる(人民たちがなかなか本音を吐かず、取り調べに困難を感じるのは、為政者がその道を失ったことに原因がある。あるいは犯罪の発生も為政者の責任でないとは言えない)。もし取り調べの結果、真実がわかったならば、まず同情しないといけない。うまく事実がつかめたからといって、ゆめゆめ得意になってはいけない。

※浩→家老の孟孫子が曾氏の弟子・陽膚を「士師」つまり司法長官に任命しました。陽膚が曾子に心得をたずねたのに対して、曾子は、「徳治主義」の原則をわかりやすく説いています。
 私は映画が好きで、テレビのCSを愛用しています。定年退職したころ「衛星劇場」をオプションで契約していました。そのころは、往年の名画が毎月放映されて、大満足でした。ディスクにもたくさん録画もしました。ところが、その後次第に私が好む名作映画がすくなくなって、ほとんどドラマが放映されるようになりました。特に韓国ものが氾濫状態です。自分が年を取ったせいでしょうか、最近の映画にはあまり満足しません。往年の名監督・野村芳太郎さんの作品で推理ものは特に大好きでした。「ゼロの焦点」「張り込み」などは何度も繰り返して観ています。洋画は「ザ・シネマ」という局を観ることができます。このチャンネルは「ドラマ化」していなくて、全部映画です。ときどき往年の名画が放映されます。他の楽しみは、「相棒」「タクシードライバーの推理日記」「京都地検の女」などです。かつて地上波で放送されたモノがBS&CSで再放送されます。これらの作品を観るにつけ、犯罪を犯した人への“同情”ではないですが“共感”することがよくあります。「相棒」の杉下右京警部は常に、犯人ののっぴきならない事情に共感しつつも、「法を犯すこと」を絶対に許容しない厳しさを貫いています。そもそも、殺される人は、欲を出しすぎたか、知ってはならない秘密を知った場合が多いです。タクシードライバーの推理日記の夜明けさんの場合は、最初に載せた女性客が必ず犯人であるという、ワンパターンであるとわかっていて、それでも何度も観ます。このパターン化したものを飽きないで何度も観ることができるのは、歌舞伎や古典落語と同じ魅力を持っているからなのかもしれません。最近の凶悪犯の言う「誰でもいいから殺したかった」なんていうのは、絶対にいただけません!これでは野生動物以下です。

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子どもの職業選択のモデルとしての親

Q0379
 子どもの職業選択に関して、親はモデルとしてどのようにしたらいいでしょうか?私(母親)は水田を少しやっています。このごろは産業化で機械ばっかりで、手作業はほとんどありませんし、父親はサラリーマンです。

A0379
 自分自身も先祖もお百姓さんでなかったから、よくわからないけど、僕は村医者をしようと思った。できたらこの世にいる間に村医者ができるといいと。田舎でワークショップをしますね。だいたい山奥の田舎の村では、Iターンと言って、都会の人に「住みついてくれ」と言っている。「医者は住んでもいいか?」と言ったら、だいたい歓迎してくれるはずです。あいうところでやる医者は「低度医療」です。「高度医療」じゃなくて。低度医療というのは、スクーターに乗って、ポテポテポテと往診に行く。「おじいちゃん、今晩は」「ああ、先生いらっしゃい」「血圧高いね」と言いながらお茶を出してもらって、ごそごそ話をします。嫁の悪口の1つも聞き、「もうすぐ干し柿できる。できたらあげるから、そのころまた来てね」「来るわ」と言って帰る。こういう医療が僕はすごく好きなんです。病院でカッコ良い機械に取り囲まれて、患者さんに来てもらってしゃべるより、医者が患者さんの家へ行って、患者さんの生活の中へ入り込んでする医療が、医療の原点だと思うし、そうでないといけないと思う。残念ながら、今の医学部はそういう教育をしてない。今の医学部は、基本的に、“病院にいるお医者さん”を育てている。検査機械がいっぱい入ってないと動けない医者を育てている。僕のころはまだそうじゃなかった。僕のころの教授さんたちは軍医さんだった。みんな軍医経験者で、中国かどこかの前線にいて、聴診器を1個持って、兵隊さんと一緒に中国の大草原を歩きまわっていた人たちで、怪我をしても何にもない。そんな中で治療をしてきた人たちだから、僕らにもそういうこともあるかもしれない。君たちの一生に何が起こるかわからない。聴診器とか打診・触診とかをバカにするけど、「これしかない場所もあるんだから、ちゃんと覚えときなさい」って、厳しく教えてもらいました。だから、僕は触診の名人です、自分で言うのも何ですが。このごろお腹を触るお医者さんは少ない。カッコだけ触っているけど、わかってない。今も、週に半日だけお医者さんをしていますが、ほとんどの患者さんにお腹を触らせてもらいます。漢方薬を合わせるために。触りながら「ここ何か感じます」と言ったら「どうしてわかるんですか?」と言われる。そーっと触ったらわかるんです。そーっと触ると、何かあったらわかるんです。そういうのを先生たちから習った。今の教授たちにはそんな技術はない。低度医療ができるお医者さんはいない。でも、医学部にそういうイメージができれば、低度医療の教育を、当然します。田舎の村医者として働ける医者の養成だってやる。工学部だって、村の鍛冶屋さんはいります。ちょっとした修理ができる人って、近所で、電器だって、機械だって、何でも修理できるお商売のできる人って、絶対に必要なんです、農村で。今みたいに大企業があって動くわけじゃない。僕が最初に乗った自動車は、故障したら自分で修理できた。ヤバいなと思ったら、前を開けて、「あ、これやな」言って、プラグを磨いたら動いたりして、あれはほんとはあの時代にはもうしてはいけなかった、排気ガス規制で。でも、理系の人たちは機械に触るのが好きですから、自分で勝手に自動車のチューンアップしていた。ある時点でできなくなった。プロもできなくなった。あるとき、ドイツ製のアウディに乗っていたことがあって、何かトラブルが起こって、「あそこにガソリンスタンドがある」と、ガソリンスタンドへビューッと入って、「ちょっと見て」と言ったら、若いお兄ちゃんが出てきて、前を明けて、「どないなってるねん。あーうまいことできてるねえ。これ凄いわ。うちではできません。“ヤナセ”呼んでください」。確かにそうなんです。コンピューターで燃料噴射することになっていて、凄い精密機械、測定器がないと、修理できない。町のガソリンスタンドで修理できない機械になった。日本の車もそのあとすぐそうなりました。若いころ、僕はラジオ修理屋さんをいていた。テレビやラジオがうまく動かなくなったら、修理に行きます。同級生の家とかに。テレビを分解して、裏の抵抗器かなんか1つ付け替えると動く。原価30円くらいを3000円くらいもらって、だいぶ稼いでいた。でも、電気屋さんへ出したらもっと取られた。今のテレビは全然修理できない。完全に一体化プリント基板で。この機械の作り方をやめないといけない。町の鍛冶屋さんが自分で修理できる機械を作る。そうするとそこにイメージができてくる。工学部で何を教えればいいか。そうやって、ほんとに手作りの世界をもう1回作るんだということを、日本人がだんだん決心していったら、そんな中で、自分にできることが決まっていく。全員がお百姓をするわけじゃない。昔から全員がお百姓さんだったわけではない。お百姓さんも大事だけど、お百姓さんを支えるいろんな人たちが必要。そういうイメージで話し合っていってください。なるべく、手作り化した動きができるほうが賢いと思う。そうしたら、いろんなところで暮らせるでしょう。うちの父親は往診するお医者さんで、ずっと医療の原点で暮らしていましたが、僕は残念ながらあまり医療の原点にいられなくて、良かったのは、震災のとき、ボランティアで西宮市の避難所へ行っていたこと。あのときはほんとに医療の原点で、看護師さんと2人で自転車の乗ってコキコキと避難所を回って、おじいちゃん・おばあちゃんの長い長い話を聞いて、みんな暇ですから、ああやって暮らしていた。あれはいい仕事だと思った。「医者とは何か」という迷いが完全に取れた。医者というのは、要するに患者さんに手当をする。手を当てるもんだと。患者さんに触れない医者はダメ。患者さんのほうを向いて、患者さんの話を聞いて、患者さんの体を触って、話をする間に、だんだん治ってくる。漢方医学はずっと前からやっていたけど、今はチベット医学の勉強をしている。なんでチベット医学かというと、話が怪しい。病気の原因は4つある。1つは「不養生」。ちゃんとご飯を食べないとか、日常生活のリズムが乱れているとか。2番目は微生物、バイ菌とか。「虫」と言う。3番目は「呪い」。誰かがあなたのことを呪っている。魔術。4番目は「過去生の祟り」。医者はどれか見分けないといけない。食習慣の乱れ、生活習慣の乱れなら、生活指導をする。微生物ならお薬を使って生活指導する。呪いはおまじない、ご祈祷をする。だいたい医者が祈祷師を兼ねている。「では只今からご祈祷します」と言ってご祈祷する。過去生の因縁で悪事をなしたのは、ご祈祷くらいでは治らない。本人が巡礼に行くとか、お寺に寄付するとかしないと治らない。それのお手伝いもする。手広く全部やる、どの医者も。医療機械も何もないし、薬草も乏しい。中国のようにたくさん草が生えている場所ではないから、わずかの薬草を工夫して使いながら、ほんとに「手当て」で、体を触りながら医療する。ほんとに医者の原点だし、医者と魔術師の中間というのは実は曖昧で、僕の仕事なんか、「お前はまじない師か」とみんなから言われているけど、ほんとは中間はない。このごろのお医者は「まじないって何?」と言うけど、ほんとはチベットの医者みたいに、過去生の祟りもあるかねと思う。医療の一番原点のところで考えることが、やがて絶対に役に立つと思う。今すぐにチベット医学をやりなさいとは言わない。ただ、あれは残さないといけない、将来に。いつかああいうふうな発想をもっと新しくして、使っていく時期が来るのではないか。医者がどこまで面倒をみるかというと、やはり生活の全体の面倒をみないといけない。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

18,曾子曰わく、吾(われ)諸(これ)を夫子(ふうし)に聞けり、孟荘子の孝や、その他は能(よ)くすべきなり。その父の臣と父の政とを改めざるは、是(これ)能くし難きなり。

 曾子が言われた。「私は先生(孔子)からこう聞いている。『孟荘子殿の親孝行ぶりは、たいていは、他人もそれをできるけれど、亡くなった父の家臣と政治の仕組みとを改めずにそれを引き継いだことは、誰でもができることではない」。

※浩→「孟荘子」は魯の家老・孟孫(仲孫)、諡(おくりな)が速で、父・孟献子の地位を世襲しました。孔子がその人物を批評した言葉について曾氏が語っています。伝統主義者の孔子らしく、父親の政治の方針や家臣の使い方をそのまま変えずに継承することを正しい「孝の道」だとしています。彼の在政期間が短く、在喪期間だけでなく彼が死ぬまで続いたので、これほどほめられたのかもしれない、と貝塚先生の解説。
 不肖ながら私が父のやり方を受け継いでいることとしては、ずば抜けて“几帳面”なことです。ほとんど神経症的でした。家の中のものはほとんど全部まっすぐに置かれています。斜めになっているものはほとんどありません。今では笑えますが、それでも無意識にそうなっています。あえて乱暴にする必要もないので、なるがままにしています。これは遺伝か学習によるものか?遺伝の影響は確かめようがないですから、学習によるものとして考えると、子どものころのあれが“外傷体験”になっているのかもしれません。トラウマというほどでもないのでしょうが、小学校のころ、母屋の4畳半ほどの和室の隅に小さな机を置いて勉強していました。あるとき、それまで物置だった玄関土間の横の3畳の間を父が整備して勉強部屋にしてくれました。机の他に小さな本棚も置いて、田舎の家にしては立派な勉強部屋になりました。嬉しくて、勉強したあとそこでそのまま寝たりしていました。ある日のこと、机の上に勉強道具をほったらかして外で遊んでいて、帰ると部屋中のものが床にひっくり返っていました。途方に暮れていると、母が「あんたがちゃんと片づけんから、お父ちゃんが怒ってひっくり返したんよ」と言いました。私は泣きべそをかきながら、床に散らばっている本や文具を拾い上げて、元の場所に片づけました。あれはこたえました。父自身の身の回りのものはどれもきちんと置かれていました。圧巻は机の引き出しの中です。すべての文具類が、きちんとまっすぐ置かれているようで、1つだけ少し斜めに置いていました。母に理由を聞くと、「誰かが触ったらきっと元に戻すときまっすぐに置くから、それで誰かが触ったことがわかるんだって」と言いました。恐るべし、オヤジ!母親っ子だった私は、「大きくなったらお父ちゃんみたいになりたくない」と言っていましたが、なんのことはない。父のまんまを今もやっています。ああはなりたくないと思いながらそのままになったということは「反面教師」だったわけですか。そういえば、名匠・小津安二郎監督の映画の構図は直線的で、いろいろなモノがまっすぐに直角的に配置されていました。監督はわが父のようなライフスタイルだったのでしょうか。

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