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言ったほうがいいか言わないほうがいいか

Q0351
 子どもが何かしたときに、声をかけたほうがいいか、放っておいたほうがいいか迷うことがあるんですが、何か言うと勇気をくじくような気もするんです。

A0351
 まず、「言ったほうがいいか、言わないほうがいいか」ではなく、「言いたいか言いたくないか」で考えます。次に、言いたいけど、「言うと喧嘩になるかならないか」で考えます。「言うべきか言わないべきか」、または「言ったほうがいいか言わないほうがいいか」という考え方は「タテの関係」です。相手の立場を考えて、私が決めてあげるんですから。子どもがちょっと夜遅く帰ってきたとして、「ここで何か言ったほうがいいか」、「言わないほうがいいか」という考え方自体が「タテの関係」です。そうではなくて、言いたいか言いたくないかで考える。これは「タテの関係」ではないです。
 で、この場合に「バカたれ!」と言いたいとします。第2段階は、「バカたれ」と言ったら、ますます彼と仲良くなれるかますます喧嘩になるかを考える。彼が勇気をくじかれるかくじかれないかではなくて、“われわれの関係”がより近くなるか遠くなるかで考えます。
 実は、「勇気づけてあげよう」というのは「タテの関係」なんです。相手を勇気づけて、立ち直らせてあげようという発想は、それ自体やはり「タテの関係」です。
Q
 勇気づけることが「タテの関係」だとしたら、それじゃあどうしたらいいのでしょうか。勇気づけをしてはいけないということなんでしょうか?
A
 「相互に勇気づけ合える“関係”を持ち続けること」が、勇気づけです。私とつきあって」いることで、自然に勇気づけられるような私になろうとすること。勇気づけというのは、作為的なものではないです。ただ、最初は確かにお稽古がいるかもしれない。「この言葉を言ったほうがいいか、言わないほうがいいか」ということは、言ってみて相手の反応を確かめるしかないです。僕らが、これは勇気づけだと思っている言葉でも、その人にとって勇気づけになるかどうかは保証がないです。
 だから、子どもたちとつきあっていても、配偶者とつきあっていても、より仲良くなる方向につきあいさえすればいい。そうしたら、お互いに勇気づけ合えます。
Q
 ウーン、お互いに仲良くできる状態をいつも保っていれば、そのこと自体がお互いを勇気づけているということですか?
A
 あなた自身はどう思いますか?友だちと仲が良かったり、ご主人と仲が良かったりすると、それだけで勇気づけられませんか?
 「勇気」というのは「元気である」ということです。一々個別の行動に、それがいいとか悪いとかと言ってもらわなくてもいいです。小さい子どもだったら、知らないから言ってあげたほうがいいですが、中学生ぐらいになるとみんな知っています。
Q
 小学生の高学年だったらどうでしょうか。
A
 本人に聞いてみたらどうかしら。僕は子どもに聞いてみていました。「ちょっと言いたいことがあるんですが、お聞きになりますか?」って。
Q
 勇気づけようとして小学校6年の子どもに言うと、私が期待しているほど明るい表情ではないですね。
A
 ということは、あまり勇気づけになっていなかったということですね。本人にインタビューしてみたらどうですか。「今の私の言い方はどうでしたか?」って。
 人間というのは100人いたら100人みんな違います。だから、一般的な勇気づけメッセージというのは、本当はないんです。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

26,子曰く、年四十にして悪まるるは、それ終(や)んぬるかな。

 先生が言われた。「年齢が四十歳にもなって人に憎まれるというのでは、どうしようもないね」。

※浩→孔子は三十にして独立し、四十にして心が惑わないようになるというのを一つの目安にしていたから、四十歳になっても他人の気持ちや欲求を察することができず、人に恨まれるような人物はどうしようもないと考えたのです。当時は平均年齢が低かったですから、四十歳といえば現在の五十歳以上にあたるでしょう。社会的に成功している人物ほど、他人の怨恨や嫉妬を受けずに生きるのは難しいです。儒教的には、不惑の四十の年齢になるときまでには、他人の恨みをいたずらに買わないような生き方をせよということになります。今は、小学校からして「いじめ」が多発し、妬み、誹り、悪口雑言だらけの世の中になってしまいました。日本は世界的に見て安全な国だったはずが、それもどんどん怪しくなっています。これを食い止める方策は、適切な育児と教育しかありません。その家庭と学校がこれまた怪しくなってきては、もうお手上げ状態です。野田先生がかつて、「大きな物語は崩壊した」とおっしゃっていました。「人類・国家・地域」規模での「ヨコの関係の構築」は至難の業です。残るは、もっとミクロな規模での「あなた・私」ペアでの「ヨコの関係」構築だけという情けない有様です。(「陽貨篇」完)

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家族のルールが守られない

Q0340
 家族でルールを作ったがちっとも守ってくれない。どうしたらいいか?

A0340
 守られないのは、そのルールの「制定手続きの民主性」がどれくらい保障されていたかということ。そのルールの合理性、ほんとにそのルールが絶対必要だという必要性を納得したか。あるいは本当にそのルールが必要なのか。特権階級はいないか。みんなが権利と責任の量に応じて、ルールに縛られて暮らしているか。全員が少しずつ不便をし合っているか。そのことをチェックしないといけない。
 民主的な手続きで作られ、内容が合理的で妥当であり、平等に適用されるようなルールは必ず守られるはずです。そのような手続きが行われているにもかかわらず守られないとすれば、そのルールの中に、違反に関する責任の処遇を問う項目を作ってもかまわない。それによって、社会的結末を引き受けてもらうこともできる。多くの人が守らないルールはルールが悪い。ごく少数が守らないであれば、ルールは正しくて守らない人に問題があるのかもしれない。
 ルールというものは人間の道具です。人間がルールの道具ではない。このルールは実際的でないと思えば改正する。ルールは絶えず改正していい。1つのルールが決まったからといって、守られもしないのに、金科玉条、壁に書いて貼っておくのは不合理な行為です。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

25,子曰く、唯(た)だ女子と小人とは養い難しと為すなり。これを近づくれば則ち不遜、これを遠ざくれば則ち怨む。

 先生が言われた。「女子と小人とだけは取り扱いにくいものである。親しみ近づけると無礼になり、疎遠にすると恨みをいだくから」。

※浩→現代の倫理観では、男尊女卑や差別になります。吉川先生は、『論語』の教えの全部が現代には通用しないと。今、こんなことを言うと、大問題です。そもそも孔子の時代は階級社会ですから、そこを勘案して、貝塚先生は、もう少し丁寧に、ここでの「女子と小人」は、家庭内で使役している女子と男子の使用人(大阪ふうに言えば、「おとこしゅ」と「おなごしゅ」でしょうか)を対象にしていると解説されます。孔子の時代の貴族は多妻制でしたから、家庭内では多数のお妾さんがその召使いとともに同居していて、そういう多数の女子と使用人の取り扱いが難しいと言っているので、この言葉から孔子が恐妻家であったとか女子を蔑視していたと主張するのはおかしいとも述べられています。
 ただ、「女子と小人」にこだわらなくても、こういう人は存在しそうです。特に日本では、親しい人にはぞんざいになり、つきあいを切ると恨まれたりすることはあります。対人距離を考慮して、距離にふさわしいつきあいができれば、それにこしたことはないです。アドラー心理学では、対人距離の遠近で、「仕事のタスク」と「交友のタスク」と「愛(家族と性)タスク」に3分してつきあい方を考えます。距離が近づくほどに、“協力関係(共同体感覚)”の必要性が高まります。「愛のタスク」の距離になると、生理レベルでの嫌悪が生じるでしょうから、一層、相手への理解と配慮が必要になります。そのことを「永続し、運命をともにする関係」と表現します。「どのレベルのタスクか」を明らかにすることで、人間関係のこじれも少なくなりそうです。「仕事」なら「仕事」と割り切れます。「友だち関係」なら、かなりお互いが譲歩し合わないとうまくつきあえません。「愛のタスク」を、野田先生は“向こうがこけたらこっちもこける”関係、とか、“うちかてアホやけど、あんたかてアホや”という関係だと、面白い表現をされていました。

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学級会で子どもが変なルールを作ったら?

Q0339
 学級会で子どもたちにルール作りを任せると、実際困るような変なルールを作ってしまう。どうしたらいいか?

A0339
 学校では先生も発言権がある。先生の立場として、主張的に意見言葉で説明すればいい。民主的だからといって、先生がまったく引っ込んでしまっては子どもたちに任せてしまうのは、民主的ではなくて無政府状態(アナーキズム)です。先生が全部決めるのは独裁(ファシズム)です。先生も1人の仲間として、子どもたちよりも経験を積んでいて知識の多い仲間として、しかし対等な平等な関係で参加して自分の意見を堂々と述べる。万一否決されてしまえば、それは滅多にないが、それまでの先生との関係が非常に悪い。中学校等で先生との関係が権力闘争構造を取っていて、何がなんでも先生の意見に反対してやろうという雰囲気のクラスなら、それは起こるかもしれない。ルール作りは、良い人間関係がなければできない。良い人間関係ができているなら、先生の意見が否決されることはまあない。万一、否決されたら「自然の結末」に任せる。そうすると必ず具合の悪いことが起こり、改正の動きが出てくるでしょう。(回答・野田俊作先生)

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