Q0419
アドラー心理学はすべての人間関係に有効だと思いますか?「パセージ・プラス」は夫婦関係や高校生上の子どもには使えないと聞きましたが。アドラー心理学はすべての人間関係に有効だとは……
A0419
思いません。ある人間関係では有効だとは思いません。アドラーは、1つは神経症の患者さんの「心理療法」について、1つは親が子どもを育てるときの「育児」について、1つは学校で先生がクラス運営をするときの「クラス運営方法」について、研究しました。それ以外の場所では保障がありません。例えば、会社の人間関係とか、社会全般だとか、そんなところで使えるか使えないかは、実績がないから保障がないんです。頭で考えたらできるかなんて、やってみないとわかりません。人間の頭の考えなんて当てになりません。実際にやってみてはじめてわかるんです。実際にやってみてはじめてわかるのは、神経症の治療、それも扱えないタイプの神経症があります。このタイプはダメよというのはわりとよくわかるんです。このタイプはいけるよというのはよくわかるんです。もしも「どんな人間関係にもいける」と誰かが書いていたら、その人は嘘つきです。きちんと科学的に確かめられたことを言っていないです。だからわれわれが保障できるのは、ある種の神経症の心理療法です。これも私、研究中なんです。過去7,8年くらい、アルバイトしているクリニックで、われわれが見て、「この人は心理療法に向いているよね」っていう患者さんと、「これは心理療法をやっても絶対ダメね」っていう患者さんがいるんです。医者の目で見て。「向いているよね」っていう患者さんだけ選んで心理療法に回して何パーセント有効か見ていると、結構有効でない人たちがいるんです。例えば、最近話題になっている新型鬱病なんでいうのは全然ダメです。まったく効きません。それから発達障害で来ている人たちもダメです。アドラーの心理療法は効きません。ですから、すべての人間関係に使えません。それから、アドラーの子育てというのは、学校教育は、一応中学を出るまでを基本に全部こしらえられているんです。そもそもアドラーの時代には、中学を出て高校へ行く人なんて、そんなにいなかったんです。ごく一部の上流階級の人しか行かなかったから、そもそも研究対象にならなかった。そのころにいわゆる旧制高校に行った子たちは、そんなに問題のない子なんです。問題のあるような子は旧制高校へ行けないんです。アドラーの時代もそうで、人格的にちゃんとした人たちですから、子育てに問題なかった。だからこれを高校生以上に使えるかどうかというと、僕は無理だと思う。大人の人間関係として、一部は使えるけれど、フルスケールで100%は使えない。だから、「アドラー心理学はどんな人間関係に使える」と言っている人は下心がある。つまり売りたいんだ。本なり何なりを。私は違う。「パセージ・プラス」も、高校生以上に使うと、かえって人間関係がこじれるような方法があります。小さい子だから使えるけれども、高校生以上だと、使ったらかえってこじれる。特に、配偶者で使うと無茶苦茶悪くなる。夫とか妻に向かって使うと。われわれは心理療法家なんですけど、心理療法家の絶対的な責任は、今より悪くしないことです。効果の弱い方法は、悪化させる危険もないけれど、効果の強い方法は悪化させる危険があるので、それで「パセージ・プラスは高校生以上や配偶者や会社の人間関係では使わないでね」と言っているんです。(回答・野田俊作先生)
Q0418
次女が車を運転しながらメモ用紙を見ていたので、「運転に集中して」と注意した。メモを手から離さないので、2回ほど「運転に集中して」と繰り返すと、突然キレて大声で怒り始めた。「注意されたからメモ用紙を置くのをやめようとしても『運転に気をつけて』と、お母さん勝手に決めつける!」と、ぎゃあぎゃあ大声で繰り返して、手がつけられなくなった。どう対応すればよかったのかと考えます。そもそも最初の言葉のかけ方が悪かったのでしょうか。
A0418
原理に遡って考えないといけません。前のホワイトボードに原理が書いてある。「どんなときにもプラスを見て…」だから、プラスを見ましょうよ。どんなプラスか?「器用やね。運転しながらメモを見られるって。走ってるけど、運転中はメモを見んほうがいいんと違う?」とまずこう言うと、だいぶ出だしが違うじゃないですか。でもメモを離さないで運転していたらどうしましょうか。「そうか、下へ置く間は危ないから持ってるんやね。この次、交差点で止まったら置いたらいいかもね」と言うといいかもしれない。いつどんなときでもプラスを見る。マイナスから話を絶対に始めない。いつも起こっていることの肯定的な側面を見ます。これは修業です。僕たちは普通の状態だと、マイナスはまったく無意識的に見えるんです。プラスを見るのは、しっかり訓練しないと見えない。「プラスはなんやろ」と考え始めたら、あとが違ってくる。(回答・野田俊作先生)
Q0417
怒ることは動物的な行為であり、してはいけないと思います。では、そんな怒る人を相手とする場合、どのように対処すればよいのでしょうか?
A0417
「どのように対処すればいいのでしょうか」に答えがないんです。およそ、ある日あるところで起こった出来事にどうふるまえばいいかは、答えがあるんです。怒る人といってもいろいろあるし、怒る場合もいろいろあるし、一般的な答えなんかないですよ。だから、こういう問いの仕方をする癖を改めるのが最初にすべきことです。物事をこんなふうに考えている限り出口はないよ。ある日あるところで、あのとき、ああやったらああなったね、というところから考え始めると、出口がある。いつもそういうふうに考える、まあ習慣を身につけてください。(回答・野田俊作先生)
Q0416
息子が中学生のとき、ある医療大学の文化祭で、「あなたの脳のストレスを調べます」と言って、ストレス度を計ってもらったら、「あなたの脳は85%ストレスを感じています。85%のマイナス思考です」と言われました。主人も息子も偏頭痛持ちです。何か関係がありますか?
A0416
全然関係ないと思う。ストレスは、心理学的なストレスは、それそのものが嘘です。もともとスリエという政治学者がストレスの研究をした。その先生は、ネズミを冷たい水の中につけるんです。で、血圧とか脈拍とかを測って、ひどい環境と生理変化の関係を研究した。その場合は、ひどい環境も測定できる。温度が何度とか。その結果の血圧とかも測定できる。測定できるものと測定できるものの関係だから科学的です。でも、人間のストレスは測定できない。「嫁さん死んだ」と言って、ごっつい悲しむ人もいるけど、無茶苦茶喜ぶ人もいる。心理的な反応も測定できない。だから、喩え話なんですよ、心理的なストレスというのは。本気にしないほうがいいです。心理的ストレスを測定する方法は、心理的ストレスそのものがないんだから、測定法もない喩え話です。まあ遊びです。「あなたの過去性は…」というのと同じです。本気にしなくていいです。
偏頭痛は、はっきり言って遺伝疾患です。遺伝子があるんだと思います。確かに身体疲労だとか、脳の生理的疲労だとかで起こるだろうと思いますが、そうでないとき、血圧変動とかで起こることもあります。だから、ストレスと必ずしも相関関係はあるようなないようなです。疲労と関係していると言えばしているし、してないと言えばしてない。はっきりしません。偏頭痛もいろんなタイプがあります。喉がカサカサするだとか。あんまり深刻に考えなくていいです。痛いけどどういうことないです。痛いだけで。しばらくしたら治りますからね。
アドラー心理学の話をすると、「冷たい」と言われる。これは「冷たい」んじゃなくて「涼しい」んです。皆さん方がいつもやっているのは、「暖かい」んじゃなくて「暑苦しい」んです。暑苦しい生活から涼しい生活へ変わりたい。みんなが暖かいと思っているものは、実はそうじゃない。いろんなお話を聞くと、どれも暑苦しい人間関係を作っている。それが結局問題をこじらせている。最終的に人間の人生の責任は、その人自身にあります。私の人生の最終責任は私自身にある。当たり前のことでしょう。私の代わりに、腹減ったから飯食って、トイレ行きたいから代わりに行って、と言えないんですよ。腹減ったら自分で飯を食う。トイレ行きたかったら自分で行く。それはしょうがない。何でもかんでも肩代わりできると思い込んでいる人がいて、そんなのできません。自分の人生の責任はそのご本人にあります。生きるとか死ぬとか究極のところもそのご本人にあります。だから自さつだとか腎臓の透析だとか老衰して癌になって死んでいくとかいうのも、最終的にご本人だけの問題なんです。それが1つ。もう1つは、人間は1人で生きられない。人間は社会的動物であって、まったく他人と孤立することはできない。ここでこうやってお昼ご飯を食べました。あれは自分自身が畑を耕して作ったんじゃないんです。どっかのお百姓さんが作ってくれたものを、どっかの流通業者がどっかの小売店に売ってくれて、それを私が食べたので、みんなの助け合いでお昼ご飯が食べられたんです。あらゆることにおいて、人の助けを得なければ暮らしていけない。人の助けを得るためには、お互い同士が決まりを守るというか、道徳を守るというか、そういうことを学んでいかないといけない。人間は生まれながらに社会的な動物なのですが、その社会性=共同体感覚をちゃんと発達させるには訓練がいる。ちゃんと人と一緒にやっていける人間になれる練習をしないといけない。その練習はわれわれは、残念ながらまだ不十分です。私たちの時代は、昔に比べればそれなりに進歩しました。昔の人に比べれば、私たちは道徳的に暮らせるようになっていると思います。外国に比べれば、日本人って凄い道徳的だと思います。東日本大震災のとき、世界中のアドラーの人が心配して、僕にメールをくれました。僕は、「心配は何もないです。この国はああいうことがあっても、掠奪も起こりませんし、暴動も起こりません。みんなで助け合って生きてます」と言ったら、「うっそー!」です。だいたい世界中どこでもあそこまでの震災があると、泥棒でいっぱいですよ。何でも持って行ける、何でも盗れるんだもの。でも、実際にはみんなで助け合って暮らして、大強盗事件なんてありませんでしたよね。それがこの国のいいところです。そういう日本人が何百年とかかけて作ってきた道徳というものがあって、それは今後も良くなっているでしょう。でもまだ発展途上です。だからつまらない人間もいっぱいいます。でも、アドラー心理学を学ぶことによって、もうちょっと大人になります。もう少し、動物レベルから人間レベルに近づきます。もう少し、感情じゃなくてちゃんと理性でわかって分別で動けるようになります。それはいつも練習がいる。今日のお話を聞いていただいて、ちょっと進みましたが、話を聞くだけでは頭が動いただけで、体は動いていない。アドラー心理学って、基本的に“体育”です。今日は泳ぎ方の講習をしましたが、プールに入らないと泳げない。絶対。是非、「パセージ」とかを受けてください。実際に自分の生活の中で、これをどう使っていくか。1人1人みんな違いますからね。それから地域の学習グループがたくさんあります。全国に学習グループを作るのが私のやった仕事だと思います。アドラー心理学をどうやって日本全国に根付かせていくかというときに、まあ大きく3つのやり方があります。1つは、大学でアドラー心理学の講座を作るやり方です。大学はアドラーをやりたいから入ってくる学生さんじゃない。学生さんて基本的に子どもでしょう。子どもたちにやってもしょうがない。自分が子どもを育てているとか、働いているとか現場の人のほうが、実感がある。企業を中心にアドラー心理学をやるというやり方もある。それは、そこが潰れたら終わりじゃないですか。今、アドラーギルド社をやっているけど、僕が死んだら即解散ですわ。ずーっと続いてやっていけるというと、地域の学習グループです。それを世代交代しながらやっていってほしい。その背後にバックアップとして、学習グループの元締めとして日本アドラー心理学会がある。その3番目のアイディアを梅崎さんや服部さんと相談しながら採用してきました。で、全国どこにも学習グループができています。茨城県にもできました。次、福島県と山形県だと、国盗り物語です。青森県もできました。北海道も岩手県も宮城県も秋田県もあります。あと宮崎県と鹿児島県です。長崎もまだないか。その元締めとして日本アドラー心理学会がありますから、まだ入っていない方は是非入会してください。(回答・野田俊作先生)