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論語でジャーナル

3,斉の景公、孔子を待たんとして曰く、季氏の若(ごと)くせんことは則ち吾能(あた)わず。季・孟の間(かん)を以てこれを待たん。曰く、吾老いたり、用うること能わざるなり。孔子行(さ)る。

 斉の景公が孔子を招こうとしてその待遇について言った。「魯国の季氏のような手厚い待遇はできませんが、季氏と孟氏との中間くらいの待遇をしましょう」。しかし、しばらくすると、また言った。「私は年老いてしまいました(六十歳くらい)。あなたを採用することもできなくなりました」。孔子はこれを聞いて斉の国を立ち去った。

※浩→斉の景公は、孔子を高官として採用したいとする考えがあったが、天命が近づき年老いてしまったという理由で、孔子を採用しなかったのですが、斉の賢者として聞こえた晏嬰(あんえい)が、孔子の任用を邪魔立てたとも言われます。これが孔子の政治生活における最初の挫折です。今ふうに言えば、「就活」の最初の不成立ということでしょうか。孔子の弟子たちの中には諸侯に任用された人がいましたが、師匠の孔子自身はほとんど「本採用」のようなことはなかったみたいです。その理想が高邁すぎたのでしょうか。昔の東映時代劇では、悪代官が「水清ければ魚棲まず」とほくそ笑んでいました。今の時代も政治はどうもどす黒い。大臣や議員の不正が続々露見します。古今東西、綺麗な政治の例はないのでしょうか?
 この条に続いて、孔子が失意落胆して、国を去る場面が次々出てきます。今の私は、お仕事やる気満々です。真剣に私の講義を聴いてくださる方がかなりの人数いらっしゃいます。他にいろいろ不満はあっても、その方たちを見捨てるわけにはいきません。来年度も現職を続行しようと、昨日決心しました。同僚のK先生が喜んでくださいました。

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おしゃべりや雑談が苦手

Q0353
 今日の講演「相談する」の第一レベル「おしゃべりをする」「雑談する」のことですが、私は小さいときからおとなしすぎていろいろあって、おしゃべりや雑談がなかなかできなくて友人を作れず、仲間に入れず、いつでもどこでも孤立してしまいます。おしゃべりや雑談ができるにはどうしたらいいでしょうか、とても悩んでいます。

A0353
 きっとこの人は、話が面白くないんだ。面白い話の材料を作らないといけない。まず、人生に興味を持つこと。この世に生まれて死ぬまで生きているのは、面白いことだと思いませんか。生まれてこなかったらつまんないし、学校へ行ったのは面白かったし、結婚したのは面白かったし、子どもを育てるのも面白いし、歳取った親とつきあうのも面白いし、仕事をするのも面白いし、みな面白い。面白いというのはファニー、おかしいというのではなくて、興味深いこと。やってみて、しんどいことも楽しいこともいろいろあって、やりがいのあることだと、まず思ってほしい。おしゃべりがヘタな人は、人生がつまんないと思っていると思う。だから、おしゃべりのネタがない。人生がどんなに面白いかというのを練習してほしい。團伊玖磨さんという作曲家がいて、「どうも自分は心の底から笑えない」と思った。これは笑うお稽古をするしかしょうがないと思って、テレビの前にマットレスを敷いて、ちょっとでもおかしいと、わざと転げ回って笑う。2,3か月もすると、凄く笑うのが上手になったと、彼は言う。笑うことひとつでも修業がいる。人生を面白がるには、相当修業がいると思う。人生は何なのか、若いときにはよくわからない。僕は大学生のころに、面白いと思った。とにかく。生きてみるということはやってみる値打ちのあることで、生きてみると、楽しいことが次々と起こる。楽しいこというのは苦しいかもしれない。失恋するとか、友だちに裏切られるとか、お金を落として、「あーなくなった、10万円が」とかかもしれないが、それはそれで興味深い出来事でしょう。まず、人生を面白がること。
 アドラー心理学って、そのへんが当たり前だと思って作ってある。アドラーがそういう人だった。人生を楽しむ人。彼の生徒さんたちももともとそうだったのか、アドラーとつきあっているうちにそうなったのか、人生って面白い、子育てって面白い、夫婦生活って面白いと思うことにしちゃったので、あまりアドラーの本の中で強調されていないけど、でも、そうなんです。人生は生きるに値するものだと思ってほしい。その中でも特に面白いものを見つけてほしい。いろいろあるけれども、スポーツネタでも、芸能ネタでも、政治ネタでも、何でもいい。自分が心動くものを決めてほしい。誰に向かってもその話をすると、イヤがる人と喜ぶ人といる。喜ぶ人は友だちになれます。イヤがるか喜ぶか、話しをしてみるまでわかりません。話をすると、結構ついてくるかもしれないし、誰もついてこないかもしれません。
 私は基本的に、人生忙しいので、スポーツネタはない。ゼロ。野球とか、まだやってるのかと思っているくらい。サッカーもどっかに書いてあったから試合したんだと思うくらいで、オリンピックも次は、どこが出るか知らないし、これは、私は話のネタにしないから、いらんところにエネルギー使わないから、スポーツ切り捨て。芸能も切り捨て。「こういう俳優知ってる?」と聞かれたら「知らん」で、そこで話は終わり。今時の俳優さんも歌手も何にも知らない。それでちっとも困らない。まったくそれでもって人生不自由しませんし、それでもって私とつきあってくれなければ、つきあってくれなくていいです。誰かとつきあうためにわざわざスポーツや芸能に興味を持とうと思わないから。みんな興味のないことにすごく興味があるんです。それでいいです。それでもつきあってくれる人はきっといるから。ゼロではないから。
 だから、自分の好きなものを見つけることです。楽しい人生の中で、特にことさら楽しいものを見つけること。それを話題にして、向こうの話も聞く。「こんな面白い話があるんだけど」と言うと、「何それ、つまんない」と向こうへ行く人もいる。それでOK。傷つかない。うちの父親は変な人で、内気かな、無口かな、ただ彼は人生を面白がっている人です。とにかく。ネタが変わった人で、「とんでも古代史」が好き。古代についてのすごい嘘話みたいなとんでもない話で、超古代の文書(もんじょ)とかあって、超古代文字というのがあって、日本は実は宇宙人が降りてきて作った国だと書いてある。それを本気で読んで、「面白い話がある。聞けー」と言うから聞いていたけど、あれでも結構友だちはいたみたい。だから“モノ”は何でもいい。ネタを1つ作っておくこと。そうすると、お話できるようになるんじゃない。で、人生楽しんでない人と友だちになりたくない。いつも暗い顔して、「つらいんやー。友だちおらんしなー」と言っている人の話は絶対聞きたくない。精神科医をしていると、「人から嫌われる。誰にも好かれない」と言う患者さんが結構来るんです。「なんでかわかる?」と聞くと、「わかりません」。「あんたの話がつまらんからだ。ここへ来るときは、暗い顔をして『私は不幸や。みんなは私をわかってくれない』という話は聞き飽きてつまんないから、次から来るときは絶対面白いネタを持ってきて」と言うんです。「面白いネタを言わなかったら診察してやらん」と。大阪に住んでいる限りは、これは必修科目です。大阪でネタをふれなかったら、これは「しね」ですから。楽しいネタを探してください。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

2,柳下恵(りゅうかけい)、士師(しし)と為り、三たび黜(しりぞ)けらる。人の曰く、子未だ以て去るべからざるか。曰く、道を直くして人に事(つか)うれば、焉(いず)くに往くとして三たび黜けられざらん。道を枉(ま)げて人に事うれば、何ぞ必ずしも父母の邦(くに)を去らん。

 柳下恵が司法の官職に任命されたが、三度も罷免されてしまった。ある人が言った。「あなたはなぜこんな扱いを受けているのに、この国を去らずにとどまっているのですか?」。柳下恵が言った。「(良心に従って)まっすぐに道理に従って人に仕える限り、どの国に行っても三度罷免されるでしょう。良心を曲げて仕えるのであれば、罷免にはならないであろうが、それならどこの国に行っても同じだ、どうして父母の国を去らなければならないのですか?)」。

※浩→孔子より百年ほど前の魯の賢者・柳下恵は、罷免・降格されると知っていながら、自己の道理や良心を曲げていい加減な仕事をすることはありませんでした。「士師」は司法官のかしら。悪政府のもとで仕える賢者の態度が示されています。
やはり『荘子』の思想に注目したいです。「人間世(じんかんせい)篇」です。「人間世」というのは、人間の社会という意味です。この現実社会は、ほかならぬ当時の中国の社会で、権力がどす黒く血を噴く暗く険しい世界です。そこでは、権力が人間を君と臣に峻別し、君主の恣意が人民の生命を気紛れに玩び、栄誉と刑戮が人間の運命を定めなく翻弄しました。古代ローマの「カリギュラ」をも連想します。この現実の暗さを険しさを現実として生きていくうえで、現実を生きながら現実に傷つくことなく、人の世に交わりながら自己を喪うことのない智慧を荘子が明らかにしています。ここでの登場人物の名は、孔子一派から借用しています。
 顔回はいとまごいをしようと,孔子のもとに行った。師は「どこに行くつもりだね」と訊いた。
 「衛に行こうと思います」と答えた。
 「そこで何をしようというのかね」と孔子が訊く。
 「私が聞いておりますのは」と顔回は答えて言う,「衛の君主は分別盛りながら,正常な人物ではないといいます。人民など眼中になく,自分の欠点には目もくれません。人の生活など歯牙にもかけず,民は飢えています。そして死体がごろごろと沼地の草陰に放置されている有様です。人々はどこに助けを求めればいいか,途方に暮れています。
 私はかつて先生から,よく治まっている国では通り過ぎなさい,しかしよく治まっていない国へこそ訪ねるべきだ,とうかがったことがあります。医者の門には大勢の病人が群がります。そう考えますと,あの国であるいは役立つことが出来るかも知れません」
 「なんてことだ!」と孔子は叫んだ,「君は凶運(破滅)に会いに行くようなものだ。そもそも,道というのは,あちこちとふらつかないものだよ。もしそんなことをすれば,はじめの意図からはずれたことになるし,意図がはずれては,焦燥がつのるだけだ。焦燥はやがて悲しみを産み,悲しみはやがて希望を通り越してしまう。
 最初の段階は「他人の性格をよく強くしよう」とする前に,まず「自分の性格をしっかりとよくしようとする」だろう。ところが自分の性格を改め強くする前に,よこしまな他人の仕草に出くわすことだろうよ(しかし,そんなことにかまっていられまいよ)。かてて加えて,徳というものはときに雲散霧消するものだし,知識もおしまいになると知っているかね。徳は名誉への渇望の中で消えゆくものだし,知識など言い争いの中で消え失せる。
 人々は名誉を求めてお互いに争い合い,彼等の知識はお互いを傷つけ合うばかりだ。名誉心も知識も悪の道具であり,とても生きるための源泉などではないのだよ。
 その上にだよ,人の性格が育ちしっかりしたものになって他人を感化する前に,あるいは名声などには無関心な人なんだと他人の心に届く前に,心ゆがんだ人に慈善や義務,生き方のルールを教えに行かねばならないとしたら,その善行がもとで,そうしたやからは,その人を憎むようになるだけなんだよ。この種の善意のことをやろうとする人のことを,「災いの運び手」と言ううんだ。この災いの運び手は他人から悪の仕返しを受けるだろう。そうして,何たることよ!君はお終いというわけだ。
 「その一方で,かりにその君主が善を愛し悪を憎む人であったとすると,どんな目的で彼のやり方を変えるために君を招き入れるようなことをするのだろうか。君が口を開く前に,その君主は君を(議論で)うち負かすための機会を掴まえることだろうよ。君の目はくらみ,君の表情からつやが失せ,君の言葉はぎくしゃくしたものになり,君は狼狽の色を隠せず,そして君の心は内側に閉じこもってしまうようになろう。それはちょうど,火を鎮めるのに火をもってし,水を防ぐのに水を加えるようもので,事態を悪化させる挑発行為として知られるよ。
 そして君が譲歩をし始めても,お終いではない。君がこのまっとうな忠告を無視して多言を弄するなら,君はそいつらの凶暴な手にかかって死ぬ羽目になるだけだ。
 「昔,夏の)桀(けつ)王は(忠臣の)関龍逢(かんりゅうほう)を殺し,殷の紂王は(忠臣の)王子比干(ひかん)を殺した。王たちの犠牲となったこれらの人たち(忠臣たち)は,徳を修め,下の人々のために尽くし,そのことで上の人を怒らせてしまった。だから,善行がかえってあだになって,上の人がこれらの人(忠臣たち)を排除したんだ。
 これは彼ら(忠臣たち)が名誉を愛した結果なんだ。
 「また昔,堯帝は叢枝(そうし)や胥敖(しょごう)の諸国を攻め,禹王は有扈(ゆうこ)を攻めた。これらの国々は荒廃に帰し,住民は虐殺され,支配者は殺された。というのも,攻められた国々は,最後まで止むことなく抵抗して,物質的利益のために戦い続けたからだ。
 これらの場合は,名声と実利を求めて戦った例だよ。君は,聖人たちですら名声への愛着の念,あるいは支配者にとっての物質的利益に執着する思いに打ち勝てなかったことを,聞いたことはないかね。
 ところで君は自分が成功すると思う?そうは言ったが,当然君には計画はあるだろうよ。それを聞かせてくれないか」
 「沈着な行動と謙虚さ,目的に向かって持続し,純一に脇道にそれないこと。これでいかがでしょう」と顔回は答える。 
 「ああ何と,それは駄目だ」と孔子は言った,「それで,何ができる?あの君主は傲慢な人物で,うぬぼれがひどく強く,気分はいつも気まぐれだ。だれも主君に異を唱えないし,他人の感情を逆撫でするのが大好きだという。そしてもし彼が型どおりのありふれた徳行をしそこなったら,彼がより高い徳の実践に向かうのを期待するとでもいうのかね。彼は自分の流儀に固執し,うわべでは君に賛成するかに見せかけて,内面ではけっして悔い改めない。そんなとき,どのように彼のやり方を改めさせるのかね」
 顔回は答えて,「それならですね,私は内心では真っ直ぐな気持を保っていて,表面では従っているような態度をとり,そして古い時代の事にことよせて,考えを具体化するようにしましょう。心の内面で真っ直ぐである人は,神のしもべです。そしてその神のしもべである者は,天の子どもと己自身が等しく神の子どもであると自覚するのです。このような人であるなら,彼の言動で周りの人の賛成不賛成の悶着を引き起こすものでしょうか(そうではありますまい)。
 このような人は通常は無垢の子どものように(まわりに)認められます。これこそが神のしもべとなることです。外面で従順な者は人のしもべです。彼は頭(こうべ)を垂れ,膝を屈し,手を控えめに保つ,‥‥このようなことは臣下としての礼儀です。このようなことは皆がやっていることですし,私もやってよいことでしょう。皆がやっているとおりなら,私をとがめだてする人などおりますまい。これが人のしもべであることです。その人の意見を故事になぞらえて説得することで(主張を)実現させる人は,古代の聖人のしもべです。
 私が訓戒の言葉を発し,彼に実行させるとしましても,言葉を発したのは古(いにしえ)の聖人であって,私ではありません。こうして私はその直言のかどで非難されることはないでしょう。これが古の聖人のしもべである所以です。これでどうでしょう」
 「駄目だ!うまくいくものか」と孔子は答えた,「君の計画はあまりにこまごましすぎている。君は堅実だが分別が足りない。しかし,君はこまごまと細心だから,トラブルに巻き込まれることはないだろうが,それだけのことだ。君はその君主を感化するにはほど遠い,というのは君の考えはぎすぎすと融通がきかない」
 「と,おっしゃられれば」顔回は言う,「私はお手上げです。どんな方法がよいのでしょうか」
 孔子は言う,「禊ぎ(精進)することだよ。君がせせこましく考えるのは安易なやり方だ。物事を安易に扱う者は,聡明な天は認めまいよ」
 顔回が答えて,「私の家は貧乏です。何か月も酒も肉も口にしていません。これは禊ぎすることになりませんか」 
 「それは宗教上の(形の上では)禊ぎではあるよ」と孔子は言う,「でも心の精進ではないね」
 「それなら,おたずねしますが,心の精進とはどんなことでしょうか」と顔回。
 「気持を集中させよ。耳で聞くのではなく,心で聞け。心で聞くのではなく,気で聞け。耳で聞くのを止めて,また心で思い描くのを止めよ。しかしその上で気を空しくして,素直に外界に開いておく。このように開かれた受け身の心の状態のみが,道と共にあることが可能となる。すなわち,その開かれた受け身の心の状態こそが心の禊ぎなのだ」
 「そうでしたら,と顔回は言った,「私にこの考えが浮かびませんでしたわけは,自己を意識しすぎていたからです。もし先生の方法が実践できれば,自己へのとらわれは消えるでしょう。この状態なら受け入れられますか」
 「まったくそれでよいよ」と師は答えた,「さらに説明しよう。奉仕活動をする,その際に,名誉のこと度外視しなさい。進言が聞いてもらえるようなら話し,相手に聞く耳がなかったら止める。行いには自己宣伝の気配はまったくないようにする。己を持し,自然の成り行きにまかせる。そうすれば,君に成功のチャンスも生まれてくるだろう。
 誰でも歩くのは止められる。地面に触れないで歩くことはむずかしい。人に使われる場合は,偽りの策略はいつでも使えるが,神の使いとしてなら,それは不可能だ。君は翼のある生き物が飛ぶのは知っていよう。でも,翼無くして飛ぶもののことは聞いたことはないだろう。知識を身につけた賢者のことは耳にしていよう。でも知識に無縁な賢者など聞いたことはないだろう。
 「空(くう)を見よ。空なる部屋に光が満ちている。幸運は安らぎの中にある。心の内に安らぎがないと,君の心は座ったままなのに,走り回ることだろう。
 耳を澄ませ,目を見開き,心から知の働きを空しくせよ。そこで気は(人にはかかわらず)内部に宿るのだ。これがすべての創造物と感応する変換の方法なのだ。これこそがかの禹(う)舜(しゅん)が人々に影響を与え,伏戯(ふくぎ)と几□(ききょ)が成し遂げた極意である。(こうした天才たちに及びもない)凡人は(言うまでもなく)なおさらこのやり方に従うべきであるだろう。

 まさに現代の職場でも通用しそうな智慧が詰まっているようです。ここは時間をかけてゆっくり咀嚼していきたいです。

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朝、ギリギリに家を出る中3長男

Q0352
 中3の長男について。いつも学校に行くとき、8時5分ころに起きて8時10分か15分ころに家を出ます(野田:オー素晴らしい。さすが長男、末っ子はこうはいかん)。遅刻はしていないようですが、もうすぐ受験です。受験日にもそのまま行くのではないかと少し不安がよぎるのですが、任せるだけでいいんでしょうか?本人は「自分でやるから口を出すな」とよく言います。

A0352
 大丈夫でしょうね、きっと。昔、アドラー心理学会の総会が岡山であって、岡山駅前の怪しい旅館、ラブホテルじゃない、昔の行商人が泊まるような旅館に、安いし、みんなで泊まった。そしたら、全員ぐっすり寝込んで、9時から始まるのに、起きたら8時10分くらいで、そこから会場まで20分くらいかかる。「わー大変だ、バタバタと用意して10分後に出た。朝一番の催しに出番があったので、何食わぬ顔をして話をした。そのとき、私と一緒に行った人が全員第一番目の子で、中間の子や末っ子は、朝一緒に起きたけど、10分間では外へ出られず、遅れて来た。だから、一番上の子は朝起きるのが得意だから心配しないで大丈夫です。この人は何番目か知りませんが、あまり心配しなくていい。どうして10分で出られるか。消防や軍隊の非常招集が10分なんです。「起きろー!」と言われてから10分です。人間は10分で出られますから、あまりご心配なさらないように。受験の日は起きるでしょう。もしも受験の日に起きなかったら素晴らしい。そこから学ぶことはすごくたくさんあるでしょう。人生について深く学べるチャンスで、受験に成功して入るよりも、遅刻してしくじるほうが、一生にとってプラスになるから、どっちへ転んでもいい。
 概して、「相互信頼」です。アドラー心理学の育児は基本的には、人間は自分自身の人生には自分で責任を取るという原則で動く。他人の人生の責任の肩代わりはできない。だいたいそのことを育児の中で子どもにもわかっていってもらうのがいい。口で言うのではなくて、実際の生活の中でわかっていてもらうほうがいい。朝起きられないなら起きられない責任を子どもに取ってもらおう。われわれが子どもの朝起きを請け負うわけにはいかない。子どもが自分で起きるか起きないかの問題です。ただ、子どもが自分の力で起きられないから手伝ってほしいと頼んでくることはあるかもしれない。頼んできたら、共同の課題にして一緒に解決してもいいかもしれないけど、頼んできたから「よっしゃ、引き受けた」と何もかもするものではなくて、最小限のお手伝いをしよう。
 「パセージ」へ来るお母さんはどんなお母さんか。子どもをほったらかしにしたいと思うお母さんは、アドラー心理学を学ぼうと思わない。育児講座へ来ようと思わない。ということは、来る人は手を出したくてしょうがない。共同の課題にして手伝っていいと言うと徹底的に手伝う。徹底的に手伝うと、子どもの責任の肩代わりをしている。基本的な原則は、子どものことは子どもが、夫のことは夫が、妻のことは妻が、自分で責任を持ってきちんとやる。ただ、自分でやり切れない部分だけちょっと他の人に手伝ってもらう。原則を見失わないでほしい。そうやって、なるべく手間少なく効果のある育児をしたい。手間暇かけたってそんなに効果は良くない。あまりにも手間暇かけると、無責任になっていくだけ。
 今の子は、間違っている。今朝、電車に乗っていたら、高校生くらいのケバい化粧をしたお姉ちゃんが2人座っていて、1人はハンバーガーをガガガと食い、もう1人は細巻の寿司をガーと食い、食べ方が下品。(差別的に言うけど)女の子ともあろうものが、寿司をガーと食べてはいけません。食べ終わったら、お化粧を始めるんです。お化粧セットを膝の上に並べて、顔中塗りまくる。隣のおじさんがそっと離れて別のところへ立った。見てはいけないものを見てしまった。なんであんな子が育ったか?子どもの社会的責任を何も教えていないから。電車の中でものを食べるのはお行儀のいいことではないし、他の人たちに不快感を与えるかもしれないし、女の子がお化粧するのを見るのが好きな男性はいないと思う。電車の中でよくまあ睫毛なんかを付けるよね。化けてる最中を人に見せるものでない。化け終わってからも見たくないけど。ちゃんと化けてから出るか、どこかへ隠れて化けなよ。あれは家庭と学校の合作なんでしょう。子どもに過保護して何してても許容している。許容的な育児が大変問題だと思う。かつての育児は権威主義的育児で、子どものやることを規制して、あれしてはいけないこれをしてはいけない、この場合にはこうする、この場合にはああすべきだと、一個だけのことを言って、するかしないか迫っていく。それは子どもに背かれた。なぜ背かれたか。なぜ子どもたちは親や教師の言うことを聞かなくなったのか。ジェーン・ネルセンが面白いことを言った。「それは妻が夫に従わなくなったからよ」。昔の子どもは妻が夫に従っているモデルを見ているから、人は人に従うことがあるんだと知ったけど、このごろの妻は絶対に夫に従わないから、子どもはどこでも人が他の人に従っているモデルを見たことがないので、親や教師の言うことなんか聞く必要ないんだと思っちゃった。モデルによる学習にはかなり大きな力がある。見本を見て学ぶということ。従う人がいないから見本を見なくなった。子どもに何も教えないで、人に迷惑かけなければあなたの好きなことをしていいんだよと、自由とか権利とかいう言葉で何も規制しなくなった。
 自由とは何か、権利とは何か。もともと意味があった。自由というのは、歴史的に遡ると、政治的な強制を受けないこと。政治的な強制とは、法律に定まっていないような規制を上の人のご機嫌で受けること。日本は今自由な国(?)で、法律で定まっていない規制を政府が国民に対してすることはない。警察が逮捕しようとしたら「逮捕状見せろ」と言う。どの法律にもとづいて逮捕するか向こうが言う。「刑法何条にもとづいて逮捕する」とか、全部法律的根拠がある。根拠なしに逮捕監禁できる大きな国がすぐ隣にある。信教の自由とか集会結社の自由とかあるのに、チベット人がチベットの仏教を信じて集会をやると、突然、武装警察が来て虐さつする。あれは法律に書いてない。「法律に書いてない権利を政府がふるうということからの自由」を本来言っている。日本は(そういう意味で)自由な国です。法律に規制されているから、勝手なことはできない。法に規制されていないような拘束を受けることがない。自由というのはもともとは、「政府が国民を……」です。「国民が別の国民を……」じゃない。「権力あるものが権力のないものに」、「政府が国民に」という意味で使う。権利も同じ。あくまで、政府が国民の権利を奪ってはいけない。権利は自由とほぼ同じ意味で、法律に定められていない不自由をしてもらってはいけない。法に定められいる範囲での自由があるというのが、国民の権利です。嫌煙権は法律にない。喫煙権もない。喫煙するとか喫煙嫌いとかいうのは、そもそも政府と個人の問題じゃない。個人と個人の間の問題です。本来権利の問題じゃない。電車の中で寿司食っても自由と言うが、そこで自由とか権利とかいう言葉を使うなよ。これは政府は関係ない。マナーの問題です。マナーとかお行儀とか礼儀というのは、自由や権利とは別にある。法律に書かれてなくて、慣習の問題であり文化の問題です。権威主義的な育児が崩壊して、権威主義的な学校教育が崩壊したときに、マナーとか礼儀とか伝統とか慣習も同時に崩壊して、自由とか権利とか人権とかいう名前でもって、全部を無視して自分の好き放題にふるまっていい世界ができた。世界中で日本が一番極端です(そうそう)。でも、西洋文化、欧米社会全体がそうです。大変不道徳な世界を作ってしまった。イスラムとアメリカが喧嘩するけど、イスラムが一番嫌うのは西洋人の不道徳さです。伝統とか慣習とか良い習慣とかを無視して、何でもかんでもありにしてしまうこと。イスラムは伝統的な社会で、昔からの暮らし方を続けていきたい。あれをアメリカ人がイヤがる。女の人がチャドルを被って目だけ出していると、あれは不自由で人権を侵すと言う。イスラムの人が好きでやっているんだから、いいじゃない。アメリカの女の人たちは、自分たちが顔を出しているという理由だけで、人権を侵すと言う。もしもキリスト教がチャドルを強制して、イスラム教が強制しなかったら、きっとキリスト教の女たちは、イスラムの女の人が顔を出しているのは人権差別だと言うでしょう。まったく恣意的に、勝手気ままに言っているだけのことだと思う。アメリカ人もヨーロッパ人も、自分たちのやり方が自由で人間の権利を認めていると思い、それ以外のやり方は違うんだと思うクセがある。
 日本人はかなり洗脳された。戦争に負けて洗脳されてしまった。悲しいことです。その洗脳から抜け出して、もう1回、モラル、人の暮らしを大切にする社会を作ったほうがいいと基本的に思う。
 どうやって作るか?家庭と学校で作る。家庭と学校で、子どもと話し合いをしたい。「そうやって電車の中でものを食べるのをどう思う?」と。うちの子どもにしてほしくないので、ご飯たべることはいいことだけど、わざわざ電車の中で食べなくていいと思う。モラル、今までわれわれがしてきた良い暮らし方というものを続けていきたいと思うので、そういう話をしたほうがいいと思いますが、もとの話は、朝起きる話で、これはモラルとか社会的慣習と関係ない。子どもは困ってないし、親が勝手に心配しているだけですから、これは子どもを信頼して任せて大丈夫です。一番上の子は大丈夫。ちゃんと起きていく。特に男の子は。将来、徴兵制になって軍隊へ行っても苦労しないですみます。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

第十八 微子篇

☆篇のはじめに
 この篇は、乱世を逃れる隠士を主人公とする物語が中心になっています。孔子は、ここでは、いくら努力しても効果が上がらないに決まっている政治運動に身を粉にして働いている、おめでたい人物として戯画化されています。無為の生活を至上とする老子学派の影響が濃厚に見られます。しかし、春秋時代の末期の中国は、内乱と戦争に明け暮れ、貪欲な豪族と、それを囲む権力亡者の佞臣(ねいしん)とによって、醜悪な権力闘争が繰り返されていました。この乱世に絶望して、政治の舞台から逃れて隠士の生活を送る賢人がたくさん出たました。乱世において、一身の降伏をはかるには、隠士の生活が最も適しているからでしょう。
 そういえば、古代ギリシャでも、ソクラテスやアリストテレスの「ポリス」時代には、その“善き市民”のあり方が倫理の規範でした。アレクサンダー大王によるマケドニア大帝国の時代になって、ポリスが崩れると、エピクロス派やストア派など、個人の安心立命を主とする哲学が登場します。そのエピクロスも「隠れて生きよ」と、隠遁生活を提唱していました。
 戦国時代の儒家の教団は、道家の無為思想を批判することで、自らの権威を保持しようとしたのでしょう。(←貝塚先生の解説)

1,微子(びし)はこれを去り、箕子(きし)はこれが奴(ど)と為り、比干(ひかん)は諌(いさ)めて死す。孔子曰く、殷に三仁あり。

 (殷王朝の末期にあたって)微子は殷国から逃げ出し、箕子は奴隷に身と落とし、比干は(殷の)紂王を諌めたために死罪となった。孔子がこの三人を評して言われた。「殷には三人の仁者がいた」。

※浩→この「微子篇」の特徴はまず、「子曰く」で始まるものが一条もないことです。孔子の思想を直接記録していなくて、孔子の周辺の記述をあつめたものである点が、この篇の特殊性です。
 「微子」の「微」は国の名で、「子」は爵位だそうです。殷の暴君・紂王の兄ですが、紂王の悪逆非道な政治に愛想を尽かして殷から逃げ出してしまいました。微子は、殷が滅んで周の時代になってから宋国の君主となります。「箕子」は紂王の叔父ですが、紂王の悪政を諌めて殺されかけたので、狂人を装って逃げ出し、奴隷の中に紛れ込んで一命を取り留めました。のちに周の武王によって朝鮮に封じられます。比干も紂王の叔父でしたが、正義感が強く知性に優れていた比干は、紂王を必死に諌めて怒りを買い、遂に処刑されてしました。三人の忠臣、あるいは命を犠牲にし、あるいはしなかったのですが、孔子はいずれも仁者であると評価しています。現実の政治から隠遁した微子と箕子の評価には、道家の「隠棲・無為自然」が影響しているのでしょう。
 老荘思想を好んだ私には、儒家に申し訳ないのですが、魅力を感じる「微子篇」です。「泰伯篇」に、「危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道有れば即ち見はれ道なければ則ち隠る」とありました。これについては、発見があります。「実験論語処世談」(渋沢栄一)です↓
 次に「危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道有れば即ち見はれ道なければ則ち隠る」といふのは、人の去就について採るべき態度を明かにされたものであるが、これ等字義から見ると、周の封建時代には難なく適用できるのであるが、我が国の如きに向つては俄にその儘当て嵌めるといふ訳には行かぬかも知れぬ。
 危邦といふのは将に乱れ亡びんとする国であつて、そのやうな国には足を踏入れるなといはれるのであるが、日本等に於て国民たるものは、国家が危くなつたからといつて足を入れないで逃げ出す等といふことは到底有り得べからざること、又、許すべからざることである。若し不幸にして国家の危急存亡にでも関するといふやうな時でもあつたならば、それこそ一命を賭してもその回復再生に努めねばならぬ。これは字義通りその儘では一寸日本に応用でき兼ねるのである。然し恐らく孔子の意志はそこには有るまいと思ふ。同じ論語の中に子路の問に答へて、「今の成人とは、何ぞ必ずしも然らん。利を見て義を思ひ危きを見て命を授け」と孔子が言はれて居る。これに依つて見れば、既に自身の仕へて居る国が危くなつた時には、一命をも授けるのが即ち成人であり、君子であるといつて居られるのである。日本が危くなつたからといつて、亜米利加に籍を移す等といふことは、断じて許すことができぬのである。
 然しこれは孔子が、人といふことに重きを置かれて言はれた言葉であつて、周のやうに封建時代には止むを得ぬことである。互に諸侯が覇を唱へんとして居る時で、真に安んじて一命を托し兼ねるといふ時勢であつて見れば、先づ成る可く危きに近づかないで己れの身を全うすることが君子としては正しい道であるとしたのである。然し我が国に於てはそんな消極的のことは許されぬ。若し危邦乱邦であつたならば、自ら陣頭に馬を進めて国家の改造善導に努めねばならぬ。そこで私の考へとしては、一歩を進めて積極的に常に国家の為に努め、危邦たることから避けしめねばならぬとするのである。
 天下道有れば則ち見はれ、道無ければ則ち隠る、とは上に述べた如く危邦乱邦があつて何処でも見はれるといふ訳には行かぬが、天下は広いもので、若し何れか道が具つて居る国があれば宜しく行つて天下に見はれるがよいといはれたのである。然し何程乱邦であり危邦であつたにしても、その人が真に賢者であり偉人であつたならば、その人自身が見はれまいとしても必らず世間一般の尊敬が向けられ、知らず識らずの中に天下に名を為し見はれて来るのであつて、孔子自身が其通りである。孔子自身は乱邦であれば、格別自ら求めて見はれようとされた訳でもないが、自然と周囲のもの、後世のものが、賢者として崇敬の念を払ひ、何時とはなしに見はれて了はれたのである。
 が然し孔子の如きは特に優れた人であつたから勢ひさうであつたのであるが、それ迄に行かぬ人は乱邦に居ても他から自然と見はして呉れるといふ訳には行かず、さういふ時に臨めば却てその身を傷けるやうになるから、本当に道があればこれに依つて名を為すもよいが、道の行はれぬ所には行かないで、寧ろ隠れてその身を全うするに如ずかと戒められたのである。徒らに危きに近づいて遂にその身をも亡し、然も何等世の中に貢献する所もないといふのは、如何にも君子たるものの恥とせなければならぬ所である。今日の世の中には之れと等しいことはよくあることで、孔子のこの戒めは今も昔も応用できるのである。

 ・・・うーん。NHKの大河ドラマ「青天を衝け」で、渋沢が『論語』を大切にしていたことを知りましたが、さすがです。明治時代の語り方ですから、繰り返して読まないと理解しにくいですが、「国を思う気迫」が感じられて、今のアナーキズムに堕した社会にあって、身が震える思いがします。

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