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潔癖症の不登校中学生に親としてどう関わるかの相談に

Q0360
 不登校の中学生の息子さんが潔癖症で、除菌シートを大量購入消費するとのことで、母親としてお金もかかるし、困ったことだと思いながらも、彼が気がすむように対応しているとのこと。負担に思いながら、家族が彼に気を使い我慢している暮らしがちょっとしんどい。どんなふうに息子と関わっていけばいいか、何かヒントがあれば教えてほしいと言われました。野田先生だったら、どんなふうにされますか?

A0360
 これはねえ、お母さんと関係が良くならないとダメですけどね。お母さんが、「汚いねえ。わー汚い!拭こう。そこ。あ、まだ消えてない。拭きなさい。汚い!もっと拭こう」といっぱい言って、子どもよりもっとたくさん拭くと、子どもがあきれて、「お母さん、そんなバカなことやめなよ」と言うから。そこまで徹底的に、お母さんもお父さんも、家族全員その子以上に潔癖症になって、その子の居場所がなくなるくらい潔癖になるのはどうですか?僕、どっちか言うとそういう治療が好きなんです。ただ、お母さんが、これで治るということを本気にしてくれないといけない。「なんで治るんですか、そんなことで治りませんよ」と言われたら、「いやそんなことはない」と言う。潔癖症というのは、無意識的に不随意的に、自分でもいかんと思いながら、そう感じてしまうものです。不随意的なものを随意的にコントロールするには、いっぺん意識的にすればいい。貧乏揺すりは、「ああ、貧乏揺すりしているな」と思えば止まる。意識的になったら止まる。潔癖症をいっぺん意識的潔癖症にして、わざとみんなで、「ああ汚い、ここも汚い。汚い、汚い」と言って、1日暮らしなさい。それを3週間してみなさい。3週間したら、みんな精も根も尽き果てて、やめるでしょう。
 昔、逆さまもやったけど、あれはあまり効かなかった。診察室の机の中に、汚なそうなもの、プラスチックでできている大便の模型とか入れてある。患者さんに「手を出して」と言ってにポット乗せると、「うわ-!」。「大丈夫です模型です」と言っても、「うわー、うわー」と言って、治るかと思ったが治らなかった。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

10,周公、魯公に謂(い)いて曰く、君子はその親(しん)を施(す)てず、大臣をして以(もち)いられざるを怨ましめず、故旧(こきゅう)大故(たいこ)なければ、則ち棄てざるなり。一人(いちにん)に備わらんことを求むることなかれ。

 周公が(魯に赴く)わが子の伯禽(はくきん)に向かって言われた。「君子はその親族のことを忘れず、大臣であまり用いられない者も、怨むことのないようにし、古い縁故のある人物は大きな過ちがなければ見捨てはいけない。一人の人間に完全を求めてはいけない」。

※浩→周公は、孔子が理想と仰ぐ周公旦です。文王の子、武王の弟として、周王朝創業の聖人の1人であるとともに、諸侯としては魯の国の最初の君主です。魯公とは、その子・伯禽(はくきん)で、父の周公は中央の政務に忙しかったため、魯に国入りしないで、子が魯公として国入りしました。父は子の国入りに際し、君主たる者の戒めとして語った言葉です。
 親族を大切にと言うのは、周の封建主義は王の親族を各地を治める諸侯として派遣していたから当然です。日本の中世~近世には、その親族による下剋上が多発しました。源氏の鎌倉幕府は、創始者頼朝の妻北条政子の実家・北条家に乗っ取られました。室町幕府ができるときの、足利尊氏兄弟の争いもすさまじかったです。ドラマの「太平記」で見ましたが、弟の最期は、兄・尊氏が差し入れた毒入りまんじゅうを食べて死にました。徳川三代将軍・家光とその弟の争いも激しかったです。家光は乳母の春日局が育てました。弟の徳川忠長(幼名=国松)は実母のお江与(またはお江、二大将軍・秀忠の妻、織田信長の妹・お市の方の次女、豊臣秀吉の側室で秀頼の母・淀殿の妹)が育てました。秀忠夫妻は才智に恵まれた忠長を寵愛し、次期将軍になるとの風評がありました。それに危機感をいだいた家光の乳母・春日局 は、駿府在住の家康に嘆願して、家康の指示で家光が世子(お世継ぎ)と決定されます。忠長は、甲斐国領主~駿府藩主になり駿河大納言と称されました。その後忠長の行動が荒れ、家臣を手討ちにしたり、仕えていた少女を闘犬に食わせたりという異常な行動が目立ち始めて、江戸で頻発した辻斬りも忠長の仕業であると噂されたしりました。秀忠は忠長を家老・鳥居忠房の領地甲斐谷村に蟄居させます。秀忠の死後、親政を行っていた家光が重病に陥ると、世間には忠長与党の大名が反乱を起こそうとしているという噂が飛び交い、危機感をいだいた家光は病気回復後、忠長を安藤重長の領地・上野高崎に移し、阿部重次を派遣して自害を命じました。自害の場所は高崎の大進寺です。NHKの大河ドラマ「春日局」でも忠長卿の最期は丁寧に描かれていました。

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すべて受け入れていたら思春期の行動が長引きやすい?

Q0359
 心理学カウンセラーさんのお話で、思春期の子どもとの接し方で、親が子どもの壁になってラインを引かず、すべて受け入れていたら思春期の行動が長引きやすいと聞きました。アドラー心理学ではどう考えるのですか?

A0359
 どう考えるんでしょうね。ラインを引かないと子どもはどんどん悪い子になるだろうと思いますし、ラインの引き方が問題だと思います。
 親子関係が良いとしましょう。「相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致」の状態で思春期は入ったとすると、子どもは親のイヤがることはしないでしょう。親子関係が悪いと、子どもは親のイヤがることを選んでするでしょう。問題は親子関係が良いか悪いかです。ですから思春期より前に、できたら小学生くらいでちゃんと大人としての「相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致」という関係を築きます。それで、中学あるいは思春期に入ると、いわゆる「反抗」はありません。別にこちらは何も強制しませんから。ただ意見は言いますよ。「勉強したほうがいいよ。どうしてかというと、あなたはほんとに才能はあるけれども、才能は磨かないと絶対に伸びないからね。今のままでずーっとおじいちゃん、おばあちゃんになるだけだから。勉強したほうがいいよ」と言いますが、親子関係が良ければ、「そうね」で終わり。親子関係悪いと、「フン、勉強してやるもんか」と思う。「関係」の問題であって、「ライン」とかいう問題じゃないと思う。親の願いを子どもに冷静に伝えれば、子どもはたぶん話を聞くでしょう。聞かないかもしれないけど、それは子どもが判断する。
 子どもが自分の人生を決めていくときに、親の意見とか教師の意見とかは参考資料としてとても重要だと思う。友だちの意見も重要だと思う。方々から意見を聞いて、その中から子どもが選ぶしかないわけで、誰の意見も聞かずに、自分で考えられるわけがない。人間て、どこからか学ばないと、材料がないからね。情報を外からインプットしないと、中に作り付けの情報発生マシーンはないから。そこで、悪い友だちの言うことを聞くか、親の言うことを聞くかは、関係次第です。友だちとの関係が良ければ友だちの言うことを聞く。親との関係が良ければ親の言うことを聞く。要は、良い関係を保つこと。良い関係を保った中で、親の道徳観念というか、モラルというか、そういうのを折に触れて話していく。ラインを引くとか引かないとかいう考え方そのものが、あまりアドラー心理学ふうでないと思う。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

9,大師摯(たいしし)は斉に適(ゆ)く。亜飯干(あはんかん)は楚に適く。三飯繚(さんぱんりょう)は蔡(さい)に適く。四飯缺(しはんけつ)は秦(しん)に適く。鼓方叔(こほうしゅく)は河に入る。播鼗武(はとうぶ)は漢に入る。少師陽(しょうしよう)・撃磬襄(げきけいじょう)は海に入る。

 楽師長つまり大師の摯(し)は斉に赴いた。第二の演奏者の干は楚に赴いた。第三の演奏者の繚は蔡に赴いた。第四の演奏者の缺は秦に赴いた。太鼓の演者の方叔は黄河流域に行った。第一の演者の陽と石の楽器の奏者の襄は、渤海沿岸に行った。

※浩→宮廷の雅楽は文化の象徴、ないしは文化による政治の象徴として意識されものですが、それを担当する楽士たちが、その維持が困難な政治情勢になったことを悲しみ、各地に離散亡命したというお話です。
 楽士が離散するというと、あの映画「タイタニック」を思い出します。これは、国の衰退ではなくて、豪華客船の沈没という大事に遭遇してのお話です。豪華客船ですから、サロンでは毎夜、豪華なパーティーが催されて、当然「楽士」による生演奏がついています。氷山に激突して徐々に沈没し始め、大勢の乗客が次々に救命ボートに乗り移りますが、そのボートは乗客全員分が用意されていません。半分くらいでしたか。ということは、半分の乗客は船とともに沈むことが予め想定されているという、なんとも人命軽視の豪華船でした。今も、クルージングという贅沢な船旅がはやっていて、コロナ初期に船内感染があって、物議をかもしていました。弦楽四重奏を演奏する楽士たちは、甲板で演奏を続けて、少しでも乗客がパニックにならないように配慮していましたが、いよいよ危なくなると、互いに別れを告げて解散しますが、ボートには乗れません。しばらくすると、一旦解散した楽士が全員また元の場所に戻ってきて、覚悟を決めたのか、再び演奏を始めます。曲名が定かでないですが、ドボルザークの「弦楽四重奏曲・アメリカ」の第2楽章のような感じでした。主演のレオナルド・ディカプリオがとても若いころ、もう20年も前の映画です。ブルーレイに録画していますから、また観ることにします。3時間以上の大作です。

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世のため人のために生きたい

Q0358 
 自分のことを自分でいじめることがときどきあります(野田→珍しい趣味ですな)。それと自分のことばかり考えていると思う(野田→それも珍しいですな)。野田先生のお話を聞いて、何か世のため人のために生きたいと思いますが、何かアドバイスをお願いします。

A0358
 それはね、人生を面白がることですよ。まあ、あるところから先は心理学を越えて宗教の領域かもしれない。分子が集まって、あるとき「私」を作りました。お父さんとお母さんの精子と卵子からできましたが、そのあと育ってきたのは、炭素や窒素や水素が縁あって、私の体の一部になったわけです。なんで宇宙や神や運命は私を作ってこうやって動かしているか?それは理由があるからです。宇宙や神や仏は無駄なことはしない。意味があってしている。意味は何かと考えないといけない。動物は考えなくても、一個のことしかできません。牛さんは草を食べてミルクを出すしかできません。鶴さんは魚を食べて空を飛ぶしかできません。あの人?たちは考えなくていい。人間は、何にでもなれる。兵隊さんにも詩人にも実業家にも政治家にも弁護士にもなることができて、可能性がいっぱいあって、その可能性のうちどれかは自分で考えるように設計されている。私が生まれてきたこととか生きていることについて私は知らないけど、意味があるんだと思うこと。ただ偶然に、たまたま生まれてきてたまたま生きているんではないと。それを生かしている力がある。その生かしている力の設計図は、あなたが自分で見つけなさいよという設計図で、見つけないで動物のようにただ飯食って排泄して一生を生きているのではつまらない。見つけると、この世で自分の役割を果たして生きることができます。見つけるためにはたくさん体験しないといけない。頭で見つかるものではない。体験するためには、この人生は興味深いと思って、探すといろいろある。知らないことがいっぱいあるんだと好奇心を持たないと、体験しない。神様は僕たちに好奇心というものをくださいました。あちこち覗きに行って、良いことも悪いこともいろいろやってみる。あまり年取ってやるとバカですから、若いうちにやってみる。子どもたちには旅をさせたほうがいい。だからみんな悪いことをするんです。悪いことをする中で、自分の人生を探すんです。あるときに見つかればラッキー。いつまでに見つかればラッキーか。このごろだんだん遅くなりました。世の中が複雑になりましたから、35歳までに見つかればいい。35で見つかっていないと焦る。タイムリミットが来ている。
 これは全体としては単純なことです。江戸時代や明治時代だと、普通の学校の先生とか親とかが教えたことです。あなたが生きているのはあなた1人の力ではない。神様や仏様が生かしてくださっている。あなたはこの世で役割がある。それを天命とか天職とか言うが、探さないといけない、と教えた。このごろは政教分離で、非宗教的な世の中になって、学校の先生はこれが言えない。学校で宗教教育をしてはいけないという変な法律がある。宗教教育じゃない教育なんてあるんだろうか。なかったら単なる技術教育じゃないか。思想のない技術なんてナンセンスです。技術は後ろに思想的な裏打ちがあってはじめて意味がある。思想=宗教ですから、何はともあれ。今の「教育基本法」なんて最悪だと思う。「憲法」も最悪ですけど。先生が言ってくれないから、親が言わないとしょうがない。人生には意味があって、その意味を探すんだということでしょうね。そうすると、こう自分のことばかり考えるとか、自分で自分をいじめる暇がなくなる。(回答・野田俊作先生)

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