Q0417
怒ることは動物的な行為であり、してはいけないと思います。では、そんな怒る人を相手とする場合、どのように対処すればよいのでしょうか?
A0417
「どのように対処すればいいのでしょうか」に答えがないんです。およそ、ある日あるところで起こった出来事にどうふるまえばいいかは、答えがあるんです。怒る人といってもいろいろあるし、怒る場合もいろいろあるし、一般的な答えなんかないですよ。だから、こういう問いの仕方をする癖を改めるのが最初にすべきことです。物事をこんなふうに考えている限り出口はないよ。ある日あるところで、あのとき、ああやったらああなったね、というところから考え始めると、出口がある。いつもそういうふうに考える、まあ習慣を身につけてください。(回答・野田俊作先生)
Q0416
息子が中学生のとき、ある医療大学の文化祭で、「あなたの脳のストレスを調べます」と言って、ストレス度を計ってもらったら、「あなたの脳は85%ストレスを感じています。85%のマイナス思考です」と言われました。主人も息子も偏頭痛持ちです。何か関係がありますか?
A0416
全然関係ないと思う。ストレスは、心理学的なストレスは、それそのものが嘘です。もともとスリエという政治学者がストレスの研究をした。その先生は、ネズミを冷たい水の中につけるんです。で、血圧とか脈拍とかを測って、ひどい環境と生理変化の関係を研究した。その場合は、ひどい環境も測定できる。温度が何度とか。その結果の血圧とかも測定できる。測定できるものと測定できるものの関係だから科学的です。でも、人間のストレスは測定できない。「嫁さん死んだ」と言って、ごっつい悲しむ人もいるけど、無茶苦茶喜ぶ人もいる。心理的な反応も測定できない。だから、喩え話なんですよ、心理的なストレスというのは。本気にしないほうがいいです。心理的ストレスを測定する方法は、心理的ストレスそのものがないんだから、測定法もない喩え話です。まあ遊びです。「あなたの過去性は…」というのと同じです。本気にしなくていいです。
偏頭痛は、はっきり言って遺伝疾患です。遺伝子があるんだと思います。確かに身体疲労だとか、脳の生理的疲労だとかで起こるだろうと思いますが、そうでないとき、血圧変動とかで起こることもあります。だから、ストレスと必ずしも相関関係はあるようなないようなです。疲労と関係していると言えばしているし、してないと言えばしてない。はっきりしません。偏頭痛もいろんなタイプがあります。喉がカサカサするだとか。あんまり深刻に考えなくていいです。痛いけどどういうことないです。痛いだけで。しばらくしたら治りますからね。
アドラー心理学の話をすると、「冷たい」と言われる。これは「冷たい」んじゃなくて「涼しい」んです。皆さん方がいつもやっているのは、「暖かい」んじゃなくて「暑苦しい」んです。暑苦しい生活から涼しい生活へ変わりたい。みんなが暖かいと思っているものは、実はそうじゃない。いろんなお話を聞くと、どれも暑苦しい人間関係を作っている。それが結局問題をこじらせている。最終的に人間の人生の責任は、その人自身にあります。私の人生の最終責任は私自身にある。当たり前のことでしょう。私の代わりに、腹減ったから飯食って、トイレ行きたいから代わりに行って、と言えないんですよ。腹減ったら自分で飯を食う。トイレ行きたかったら自分で行く。それはしょうがない。何でもかんでも肩代わりできると思い込んでいる人がいて、そんなのできません。自分の人生の責任はそのご本人にあります。生きるとか死ぬとか究極のところもそのご本人にあります。だから自さつだとか腎臓の透析だとか老衰して癌になって死んでいくとかいうのも、最終的にご本人だけの問題なんです。それが1つ。もう1つは、人間は1人で生きられない。人間は社会的動物であって、まったく他人と孤立することはできない。ここでこうやってお昼ご飯を食べました。あれは自分自身が畑を耕して作ったんじゃないんです。どっかのお百姓さんが作ってくれたものを、どっかの流通業者がどっかの小売店に売ってくれて、それを私が食べたので、みんなの助け合いでお昼ご飯が食べられたんです。あらゆることにおいて、人の助けを得なければ暮らしていけない。人の助けを得るためには、お互い同士が決まりを守るというか、道徳を守るというか、そういうことを学んでいかないといけない。人間は生まれながらに社会的な動物なのですが、その社会性=共同体感覚をちゃんと発達させるには訓練がいる。ちゃんと人と一緒にやっていける人間になれる練習をしないといけない。その練習はわれわれは、残念ながらまだ不十分です。私たちの時代は、昔に比べればそれなりに進歩しました。昔の人に比べれば、私たちは道徳的に暮らせるようになっていると思います。外国に比べれば、日本人って凄い道徳的だと思います。東日本大震災のとき、世界中のアドラーの人が心配して、僕にメールをくれました。僕は、「心配は何もないです。この国はああいうことがあっても、掠奪も起こりませんし、暴動も起こりません。みんなで助け合って生きてます」と言ったら、「うっそー!」です。だいたい世界中どこでもあそこまでの震災があると、泥棒でいっぱいですよ。何でも持って行ける、何でも盗れるんだもの。でも、実際にはみんなで助け合って暮らして、大強盗事件なんてありませんでしたよね。それがこの国のいいところです。そういう日本人が何百年とかかけて作ってきた道徳というものがあって、それは今後も良くなっているでしょう。でもまだ発展途上です。だからつまらない人間もいっぱいいます。でも、アドラー心理学を学ぶことによって、もうちょっと大人になります。もう少し、動物レベルから人間レベルに近づきます。もう少し、感情じゃなくてちゃんと理性でわかって分別で動けるようになります。それはいつも練習がいる。今日のお話を聞いていただいて、ちょっと進みましたが、話を聞くだけでは頭が動いただけで、体は動いていない。アドラー心理学って、基本的に“体育”です。今日は泳ぎ方の講習をしましたが、プールに入らないと泳げない。絶対。是非、「パセージ」とかを受けてください。実際に自分の生活の中で、これをどう使っていくか。1人1人みんな違いますからね。それから地域の学習グループがたくさんあります。全国に学習グループを作るのが私のやった仕事だと思います。アドラー心理学をどうやって日本全国に根付かせていくかというときに、まあ大きく3つのやり方があります。1つは、大学でアドラー心理学の講座を作るやり方です。大学はアドラーをやりたいから入ってくる学生さんじゃない。学生さんて基本的に子どもでしょう。子どもたちにやってもしょうがない。自分が子どもを育てているとか、働いているとか現場の人のほうが、実感がある。企業を中心にアドラー心理学をやるというやり方もある。それは、そこが潰れたら終わりじゃないですか。今、アドラーギルド社をやっているけど、僕が死んだら即解散ですわ。ずーっと続いてやっていけるというと、地域の学習グループです。それを世代交代しながらやっていってほしい。その背後にバックアップとして、学習グループの元締めとして日本アドラー心理学会がある。その3番目のアイディアを梅崎さんや服部さんと相談しながら採用してきました。で、全国どこにも学習グループができています。茨城県にもできました。次、福島県と山形県だと、国盗り物語です。青森県もできました。北海道も岩手県も宮城県も秋田県もあります。あと宮崎県と鹿児島県です。長崎もまだないか。その元締めとして日本アドラー心理学会がありますから、まだ入っていない方は是非入会してください。(回答・野田俊作先生)
Q0414
教育理念の違う同僚とはどのように協力関係を築いていけばいいでしょうか?忘れ物をした子どもに漢字1ページ、ひどいと毎日3ページくらい書かせている。またこの子どもたちは常に責められ続ける。時間が遅ければ早くしろ、食べるのが遅ければ早く食べろと、何をしても怒られ続けられる。子どもたちは、怒られないようにしなければということだけを学んでいる。どこのクラスにもほぼいる。私も子どもたちと同じように、毎日怒られ続けられている。毎日がつらい。
A0414
1,適切な側面を探す。どんな場合にも、イヤなことがあったら適切な側面を探す。2,何を学んでもらいたいかを考える。3,その学んでもらうために何をすればいいかを考える。これが手順です。この手順をつらいつらい3日間の体験から思いついた。今年、パセージリーダーの養成を3回しました。1回は落第生クラスで、特別支援学級みたいなクラスで、アスペルガー症候群みたいな人が多くて、どうしたらいいのか考えて、こういう人たちに助言するには、「心がけの助言」をしてもしょうがない。「もっと人の気持ちをわかりなさい」とか、「相手の立場になって考えなさい」というのは、どうしていいかわからないんです。誰にでもできる行動を積み重ねて、それで今やっていることを改善しないといけない。そうすると、「適切な側面を探しなさい」は具体的な行動です。この先生の適切な側面は、そう思って探せばあるはずです。とても熱心に指導しているとか、いい子たちになってもらいたいと思っているとか、凄いエネルギーかけてるとかいいうのをまず探しなさい。それをその先生に伝えなさい。「先生は凄い熱心に指導なさっていますね」と。で、この先生にどんなことを学んでもらいたいのかを、こっちがイメージします。子どもたちと良い関係を保ちながら教育することを学んでもらいたい。良い関係を保ちながら教育するのをどうやったら学んでもらえるかというと、その先生がたまたま良い関係を持って話をしているとき、「ああ、先生、今子どもとの関係が良かったから言うことを聞いてくれましたね」と言ってあげる。その先生が成功したときに言う。失敗したときでなくて。あるいは、自分が子どもと良い関係を持って、ちょっと子どものイヤがることをしてもらうのを見てもらう。モデルを見てもらう。そういうふうにして学んでもらう。作戦を立てる、目標を立てて目標のための手段を考える。こういうことをすると変わると思う。だから、まず何はともあれ「あの人たちは私と違う。全然違う。やっていることは全部ペケ」と思わないで、その人の良いところを探しましょう。これは凄い力です。ポジティブな側面を探さないといけない。(回答・野田俊作先生)
Q0413
統合失調症の患者さんが窓口にやって来て、「誰かわからないけどどっかの教授が僕を研究対象にしている。どうしたらいいだろうか」と、ときどき相談に来る。どうしたらいいでしょうか?(野田:「ああ、結構なことですね。世のため人のために役に立つことですから、ありがたいことです」と言ってあげてください。)「どうしようもないけど、それ以外のことでは幸福に過ごすための相談に乗れるけどいかがですか」とお答えしましたが、それには乗ってこられなくて、目標の一致がとれません。何か別の考えがありましたらお教えください。
A0413
私はだいたい、患者さんの妄想は肯定することにしているんです。「どっかの教授が研究のために…」「あー、そうですか。それはありがたいことですね。あなたもこれで人類の役に立てるなんて、とてもありがたいことです」と言います、真顔で。「先生、人のことだと思って…」「いやいや、私だってどっかの研究対象となるなら喜んでなります。僕ねえ、偏頭痛という病気を持ってるんです。ときどき発作的に頭が痛くなるんです。大学のとき、うかっと言うたもんだから、神経内科の医者につきまとわれて、「今度起こったら来い!授業中でも何でも教授に言うたるから」と言われて、「はーい」と行ったら脳波をとられてね、ずっと起こるたびに脳波をとられました。何度も脳波をとられて、たぶん何か論文になってんでしょうね。その先生は偏頭痛患者の脳波の研究をなさっていたみたい。医学部の学生で持病を持っている人はみな犠牲者です。どれかの先生のモルモットにされるんです。それは仕方ない。ちょっとでも世の中に貢献できたということで、統合失調症の人にも言ってあげてください。「私の先生も偏頭痛で協力しました。あなたも教授さんに調べてもらえたらありがたいことです。教授さんもあなたに感謝しています。ありがとうございます」と言うてあげてください。(回答・野田俊作先生)