Q
子どもは小学4年生の男子です。自分から塾へ行きたいと言い出しましたので…
A
そういうことはありますね。
Q
親がいろいろ聞いたりして、ある塾を見つけてきました。…
A
こりゃやりすぎですな。子どもが何かしたいと言ってきたときに、もともとこちらがそれをさせたいと思っていたかどうかで、親の動きも違うでしょうが、親があんまりお手伝いをしすぎると駄目なんです。「何かできることはありますか?」と聞くこととか、「子どもから頼まれたことはしてあげましょう」と、僕はいつも言っているんだけど、頼まれたこと以上に動くと、それは過剰反応で甘やかしになります。いつも、援助を最小限にしたい。小学校4年生というと、思春期の入り口にいますから、あとできっと背かれますよ。
Q
今、1か月くらい行きましたが、「宿題が多く、自分の自由な時間がなくなった」と言い出しました。最近では、「お母さんが変な塾なんか見つけてくるからだ」と責めることばかり言います。
A
ほらね。
Q
それで、親はどう受け答えしたらいいでしょうか?
A
結局こんなことになりますね。子どもをむやみに手伝ったらいけないんですよ。
そう言えば、うちの子どもが小さいときに、学校の先生が私に、「忘れ物が多いから時間割を見てあげてください」と言いました。親は、教師のそんな口車に乗ってはいけないよ。見てやると何が起こるかというと、これと同じことが起こります。次に忘れ物をしたら、「お父さんがちゃんと見てくれなかったからだ」ときっと言うようになる。それは自分の仕事なのに、親の責任にする。
「塾に行きたいなあ」と言ってきたら、「行きたい塾はあるの?」と聞いて、「ない」と言ったら、「お友だちにでも聞いて、行きたい塾が見つかったら教えてちょうだいね」と言って放っておくんです。われわれは子どもにいろんなことを教えたいと思うんですが、「自分のすることから子どもがどんなことを学ぶか」ということを考えてみないですね。子どもが「塾に行きたいなあ」と言って、「駄目よ、塾なんか」と答えたら、子どもは何を学ぶか。「塾に行きたいの。じゃあ、探してきてあげるわね」と言って、一生懸命に探し回ると、子どもはどんなことを学ぶか。それを考えてみてほしいんです。子どもが「塾に行きたい」と言ってきて、「そんなもん行かなくていいわよ」と言ったら、子どもは何を学ぶと思いますか。「親は口で言っても聞いてくれない」ということを学びます。あるいは、「親は僕の頼みなんかどうでもいいと思っている」ということを学びます。こんなことを学んでほしくないから、これはまず聞くべきですね。聞いてあげるけど、そこでそれ以上に走り回ると、「僕がしなくても必要なことはみんな親がしてくれる」ということを学びます。あるいは、失敗したときには「親が悪いんだ」ということも学びます。自分には責任がないということを学びます。ですから、この次からの教訓としては、動きすぎないということです。できるだけ多く子ども自身にやってもらって、どうしても子どもにできない部分だけ援助することです。これはちょうど子どもが「宿題のここがわからない」と言って、「どれどれ見せてごらん」と全部やってあげて、「はい、できたよ。これを先生に出しなさい」と言ったのと同じです。そして、答えが間違っていて、「お母さんが間違えたから先生に怒られちゃったじゃないか」と言ってるのと同じです。
今回の後始末としては、こうなったら塾をやめていただくしかないと思います。「どうする?イヤだったらやめる?」と聞いてみて、「やめる」と言ったらやめてもらいましょう。要するに子どもは親のせいにしていて、「塾をやめるのは自分が悪いからではなくて、お母さんが間違えたからだ」と言いたい。だから、「やめたい」と言えばやめてもらったらいいと思う。いわゆる、持続力がない移り気な子がいますね。集中力がない子というか、習字を習いに行ったかと思うと、ひと月くらいでやめて、そろばんを習いに行ったかと思うと今度は水泳、バレエ、エレクトーン……。あれはいいことなんです。そういうふうに次々と関心の変わる子は、将来、安全性が高いです。というのは、自分の力で自分に何が合うかを探すだけの積極性を持っているから。その子がそのことをイヤがっているのに、無理やり続けさせようとするのは良くない。あれは戦前のものの考え方です。昔は軍隊があって、イヤでも軍隊生活をしないといけなかったから、イヤなことでも耐えられるトレーニングをしないといけなかった。今は世の中がまったく変わって、自分に合うということ、適性ということを最大限に伸ばしてあげることが大事だと思うんです。子どもがいろんなことに興味を持って、いろいろと実験してみようとすることを、親も手伝ってあげていいと思う。そのことに腹を立てないでください。「すぐやめる」と言ったって、動揺したり腹を立てたりしないで、「この子は思い切りのいい子だ。発想の転換力がある子だ。積極的な子だ。この世の中でいったいどんな仕事をすればいいのか、自分には何が一番合っているのかを探しているんだ」と思ってください。
親にとって大事なことはたった1つです。いい親というのはどんな親かというと、幸せな親なんです。不幸な親と暮らすと、子どもは絶対に不幸です。不幸というのは伝染性の病気で、家族の中に1人不幸な人がいるとみんな不幸になっていく。幸せというのもやっぱり伝染性の病気?で、家族の中に何があっても幸せに暮らしている人がいると、残りの人もあまり不幸になれない。明るくいつも喜んで感謝して暮らしている、幸福な親になる決心をしてください。
僕たちが、「子どもを何とかしなくちゃ」と思うときというのは、例えば子どもが泥沼で溺れているようなときです。人生の問題に躓いて少し溺れかかっているときに、僕たちは子どもを助けたいと思います。そんなときに、こっちも不幸で動揺しているということは、一緒に泥沼で溺れているということなんです。2人で溺れながら、向こうを助けようとすると、結局向こうの足を引っ張って、2人でズブズブと沈むだけです。だから、まず子どもを見捨ててこっちが岸に上がる。「しばらくは、あなた1人で不幸でいてください。私が十分幸福になって落ち着いて、助けられるようになったら助けてあげないでもないから、それまではリラックスして浮いててね」。リラックスさえすれば浮くんです。焦ると沈むんです。海を泳いでいて、大きな波に呑まれたり、大きな渦に入ってしまったとき、焦って泳ぐと疲れて沈むんです。でも、どんな大きな鳴門の渦みたいな渦に巻き込まれても、泳ぐのをやめてじっとしているとスポンと吸い込まれて、2,3秒もすればかなり離れたところへポコッと浮かび上がります。
われわれの人生のいろいろな困難も同じで、われわれが冷静で落ち着いていれば、最低ムチャクチャにならなくてすみます。子どもに、「まあ、しばらくのんびりしてなさいよ。成績がガタガタに落ちたからといって、焦ってすぐ上がるものでもないし、いいじゃないの」などと言っておいて、こっちはこっちで自分の精神の健康を整える。友だちと遊びに行ったり、子どもが嘆いていようが何していようが、全然気にせずに買い物に行ったり、そういう母親のほうが子どもから見たらありがたいと思う。成績が落ちたり、友だちに裏切られたり、失恋したりして暗ーくなっているときに、お母さんにそばでオロオロされたらかなわんでしょう。それよりも、そんなことと関係なしに、「あーあ、あのオバサンは脳天気だなあ」と子どもから思われるようなお母さんでいれば、子どもはそれだけで救済されるんです。(回答・野田俊作先生)
Q
子どもを信頼して待とうと思うのですが、心がなかなか落ち着きません。何か良い方法がありますか?
A
親が不安なんですね。これは心理学の責任が大きいと思う。日本の育児を駄目にしたのは、その責任の半分は心理学者にあると思う。間違ったことをたくさん教えすぎたから。 戦後、発達心理学とか児童心理学とかがどっと入ってきて、間違った知識を広めてしまった。例えば、3歳までにスキンシップをしてあげないと一生駄目になるという知識です。あるいは、子どもの気持ちをわかってあげることが絶対必要で、子どもの気持ちをわかってあげないと子どもは駄目になるという知識です。これらはまったくウソなんです。
乳児期には母親とのつきあいしかないですね。そのときに不幸なことにお母さんが間違った育児をいっぱいして、その結果、子どもの性格に大きな傷を与えてしまったとします。そうしたらどうなるか。次の幼児期に、お父さんやきょうだいと良い関係が持てたら、母親との傷は全部ご破算です。それも駄目だったとしても、児童期に小学校で良い友だちグループに入って一緒に遊べれば、子どもの過去の傷は治ります。また、児童期にも良い友だちができなくて傷が残ったとしても、思春期になって同性の友だちができて、その友だちとじっくり良い時間が持てれば治ります。それも駄目だったら、やがて異性のパートナーができて良い関係が持てたら治ります。それでも駄目でも、良い精神科医やカウンセラーに出会えれば治ります。
これはなぜかというと、人間には「正常になる力」があるからです。僕らの体がそうです。どこか怪我をしても自分の力で治っていくでしょう。医学はすごく発達しましたが、実は医学は治してないんです。実は体が自分で治しているんです。外科手術をしても、内科の薬を使って抗生物質でバイ菌をころしますが、バイ菌をころすから治るんじゃない。バイ菌をころしておいたら、体が自分の力で立ち直っていくんです。自然治癒力を最大限に発揮できるように持っていっているだけです。
人間の精神もそうです。いつも健康になる大きな力があるんです。われわれの育児とか教育というのはときどき間違って、それを邪魔してしまう。邪魔する力をなくすれば、それは必ず正常に自分の力で戻ってきます。すべての対人関係は、それが良い対人関係であれば、人間は正常のほうへ行けます。ですから、3歳までの育児を間違えても、あるいは中学何年生かまでの育児を間違えても、今日からその子が良い関係に入っていけば、必ず良い方向に変わっていきます。
子どもが小学校1年生から4年生の間であれば、もう親の力というのは、親が悔い改めたとしても、そう大きくはない。40パーセントくらいですか。60パーセントは学校での友だちとの関係、または学校の先生との関係で変わっていく。時間的にもそうでしょう。その子たちが起きていて一緒にいる時間は、親との時間よりも学校の友だちや先生との時間のほうが長いですから。
中学生くらいになると、親友との関係とか異性との関係とかのほうが、その子たちを癒していく力が大きくなってきます。それを決して邪魔してはいけない。だから、まずその子の正常になる力を強く信じること。これが、親が落ち着く最大の方法です。
僕たちが普通イメージするいい親というのは、ほんとはメチャメチャ悪い親です。子どもの気持ちが何でもわかって、子どもに対してどんなことでも手伝ってあげる親というのは、ものすごく子どもを駄目にする親です。子どもに向かって、「あなたは大人にならなくていいのよ」と伝えているのと一緒だから。逆に子どものやることにことごとく反対して、全部やる気をくじいてしまう親も悪い親です。
子どもを援助する力がまったく低い親というのがいます。子どもに何も関心がないし、邪魔者だと思っているような親は、子どもを援助する力は低いです。
それから、ものすごく子どもに関心があって、子どもを何とかしてやりたい、子どもが心配で心配でしょうがない、かわいくてかわいくてしょうがないという親も、結局子どもを援助する力が低いんです。真ん中へんで何だかそこそこに子どもとつきあっている親というのが、子ども側から見れば一番良い親です。だから、皆さんは心配しなくても、努力さえせずに、心配さえしなかったら、いい母親でいられます。
人間の母親というのは子どもを育てる力を持っているんです。そうでしょう。われわれは今まで10万年間子どもを育ててきたんです。ですから、僕たちは子どもを育てるように作られています。焦らなくていい。慌てなくていい。
子どもは叱って育てなければいけないなどという、古い封建時代の名残りのような知識や、一方では新しい時代の間違った知識、スキンシップだけが絶対で、気持ちをわかってあげないと、理解してやらないと駄目だというような知識をまず払いのけて、自然のままでいれば、素直でいれば、心が柔らかくて子どもと一緒に暮らせることを喜べる親であれば、それだけで子どもはちゃんと育つようになっている。だから心配しなくて大丈夫です。(回答・野田俊作先生)
Q
19歳の子ですが、何か悩みがあり、食事をすると吐きます。徐々に良くなりましたが、今でもときどき吐きます。「自分で解決できるので大丈夫」と言いますが、このまま見守っていてもいいでしょうか?
A
ああ、この子もきっと注目・関心で行動しているんですね。子どもたちの間で、このごろハヤリなんです。食べて吐くというのが。面白いですね。病気にもハヤリスタリがあるんです。思春期痩せ症とか、拒食症とか、食べて吐くヤツとかは、20年くらい前にはわりと珍しかったです。あるにはありましたが、あった場合は、今より重症でした。死ぬことも多かったし、迫力がありました。ところが最近のヤツは、やたらたくさんあるわりには、みんな軽い。どうやらこれは最近のトレンディーな病気みたいです。あんまりびっくりしなくていいです。
およそすべての精神的な病気というのは、びっくりしなくていいです。びっくりしさえしなければ、一時的なもので終わります。びっくりして、その子の“相方さん”をしますと、長持ちします。
(精神的な)病気の「原因」というものはないんです。精神的な病気には「目的」がある。その目的は、さっき言った4つのどれかです。その目的は、人からいろんなことをしてもらうことです。親は親に対しての目的の部分だけ触れる。親にできることは、子どもから親に届くメッセージの暗号の意味を正しく読み取って、正しく対処することです。病気は、他人に向けたメッセージです。
注目・関心を得るという目的で、食べたり吐いたりしている子がいるとすれば、そのことに注目・関心をしないこと。その人は正常でいたり健康でいたら、親は私に注目や関心をくれないと思っている。だから、病気になることで、こちら側に注目や関心を引きつけようとしている。だから、健康でいることに親が注目・関心をするという姿勢を、親が確立しなければいけない。この病気になるまで、このお母さんは、たぶんかなり安心して育てていて、子どもが普通にふるまうことにあまり喜んでいなかったんでしょう。当たり前だと思っていたんでしょう。
子どもと暮らしていたり、あるいは子どもだけじゃなくて他の人と一緒にいて、毎日毎日繰り返し起こっていることは当たり前のことで「それをして当然」と思っている限り、その対人関係はいつも危ない関係です。さっきの、間違った4つの行動目標にいつ落ち込むかわからない状態です。毎日起こっていることが相手のすごい努力の結果であり、それは嬉しいことだと感じられるようになると、ここへ落ち込まなくてすむんです。
ですから、拒食症とか過食症状とかの場合でも、食べる食べないなんか気にしなくていいんです。こういう食べたり食べなかったりする子のお母さんは、そういう食べることに関心がある人ですね。そうでなくてもお料理だとか食べることにわりと関心がある人だと思います。自分の食べることには関心を持ってもいいけれど、子どものそういった個人的なことには関心を持たなくていいです。「あの子が食べたり食べなかったりしたら、私が痩せたり太ったりするかしら」といつも考えてください。あの子が食べなかったり食べたりした結果、太ったり痩せたりするのは向こうのほうでしょう。とすれば、たっぷりその結末を体験してもらえばいいと思います。そうすると、その子は、「これはしょうがない」と思って、きっとやめるでしょう。
生まれてから死ぬまでの一生を、ずっと健康的な暮らし方をしなくてもいいんです。ときどきは病気をやってみるといい。そうすると人間はとても賢くなる。思春期痩せ症だの過食症だのをやってみると、「これはつまんないわ」ということにやがて気がついて、あとは一生やらなくなるでしょうから、あんまり慌てて助けてあげないほうがいい。その、助けてあげようという働きかけが、かえってアダとなり悪循環となって、その病気を悪くしているのだということに気がついてほしいんです。(回答・野田俊作先生)
Q
中学1年生の女の子ですが、勉強嫌いでやる気がない。このような子への声のかけ方や対処の仕方を教えてください。
A
勉強が嫌いだとか、やる気がないこととかを、まず「悪いことだ」と決めてかかっているでしょう。勉強好きを良いことだと頭の中で理想を描いて、そこから出発して、今とは違う子どもに改造しようという計画で動くと、絶対に失敗します。
これは小学校の時代、いわゆる児童期の子どもに対しては、なまじっか成功するんです。で、思春期になると100パーセント失敗します。どうしてか少し説明しましょう。
例えば、勉強嫌いとか、やる気がないとか、1つの行動をとってみても、何か原因があってそうしているんではないんです。何か勉強嫌いの目的があるんです。人間の行動というのは目的を持っていて、しかも、その目的は、主に他の人との関係の中で、他の人に何かをさせるための目的です。勉強嫌いの目的というのは、いろいろあるでしょうね。親向けの目的もあります。教師に対してもあるでしょう。
親向けの目的は何か。誰に対しても結局はそうなんだけど、目的は4つあります。
1つ目は、注目・関心を引く。2つ目は、権力争いをする。3つ目は、復讐をする。もう1つは、無能力を装って自分のことを諦めてもらうという目的。
上ほど軽くて、下ほど重いです。普通はこの順番で悪化します。
ところで、勉強しないという1つの行動からは、今その子どもがどの目的で動いているかはわからないです。どの目的でも、勉強をしないとか、やる気がないとか、ダラダラ暮らすということになります。つまり、注目・関心を引くためにダラダラとしている子もいますし、親と喧嘩する手段として、ダラダラとする子もいます。親に復讐して、親をイヤがらせる手段として、ダラダラとする子もいます。それから、僕はもう駄目だから、見捨ててくれという目的で、ダラダラする子もいます。
では、どうやったらわかるか。親が抱く感情でわかります。例えば、子どもが注目・関心を引こうとしているのであれば、親は子どもに注目せざるをえなくなります。その結果、親はどんな感情を持つかというと、ある種のイライラした感情を持ちます。ずっとその子が気になって、うるさくてしょうがないという感じです。でも、腹は立たない。腹を立てられると困るんです。この注目・関心を引くという段階にいる子は、気にはしてほしいけれど、腹は立ててほしくない。だから、親を本気で怒らせるようには動かないです。ただ、「気になってしょうがない」というふうに動くんです。だから、親が子どものことが気になってしょうがないけれども、腹は立たないというんだったら、第1段階です。
第2段階になったら、親をできるだけ怒らせるように、喧嘩になるように動く。だから、子どもに対して腹が立って腹が立ってしょうがないんだったら、子どもは権力争いを仕掛けてきているんです。
第3段階は、権力闘争に負けたときです。親が子どもに勝ってしまい、子どもを押さえ込んだとき。そのとき子どもは復讐を始めます。復讐は、陰惨な悲惨なテロ行為ですから、親は怒ったり腹が立ったりするというよりも、傷つきます。とても暗くなって、傷ついて、憂鬱になって、落ち込んでしまう。「どうしてあの子はこんなにひどいことをするんだろう」と思う。子どもがグズグズしていることによって、親がひどく傷ついてしまうわけです。
無能力を装うというのは、「もう私を見捨ててくれ」ということです。私を見捨ててという段階になっている子どもだったら、親のほうは完全に絶望してしまって、どうしていいのかわからなくて、まったく途方に暮れてしまいます。
こういうふうに親の側の感情でわかります。それで、このお母さんの子は、お母さんがこんなふうに質問してくることからみても、たぶん第1段階でしょう。子どもは、しっかり勉強をしていて、生き生きとしていれば、お母さんは安心してしまって、自分とつきあってくれないと、きっと思っています。他にきょうだいがいたりすると、余計にそうですね。他のきょうだいとのつきあいを濃くして、私とのつきあいを薄くする。ところが、勉強をしないで無気力そうにしていると、お母さんは私のことを心配して、私のことを注目してくれます。だから、グズグズしていようと子どもは決心する。
そうすると、どんな対策を立てればいいか。こういう問題のある行動に注目して、そのことを気にしている限り、その子はそういうふうにふるまい続けます。だから、そのことを気にしないようにすることが1つです。
もう1つは、ちゃんとやっていることや、きちんとしてくれていることに注目します。ということは、たまたまこの子が勉強しているときというのも、注目すればいいですが、勉強以外のことでもちゃんとやっていることに注目したいです。いっぱいあるはずです。きょうだいの面倒を見てくれているとか、お風呂のお湯を入れてくれているとか、お手伝いしてくれているとか、たくさんあるけど、これらはお母さんにとってそんなに大事なことではなくて、勉強することが大事なことだと思っちゃっているから、そっちばっかり注目する。
そうではなくて、その子の、家族に対する建設的・貢献的なことや、その子自身にとって建設的なこと、あるいは社会にとって建設的な行いを見て、それを勇気づけてほしい。つまり、「親自身が子どもと暮らすことの喜び」を取り戻してほしいんです。子どもがちゃんと元気に生きていることとか、友だちと遊んでいることとか、テレビを見たあとそのテレビの話をしてくれることとか、ご飯を食べてくれることとか、そういうことに喜ぶ素直な親になってほしい。勉強したときだけ喜ぶような、そんなひねくれた親をやめてほしい。
だから、「勉強しなさい」と声をかけている限り、このゲームのルールは変わらない。注目・関心を引きたい子に注目している限り、永久にこれは続きます。「勉強嫌い、やる気がない子への対処や声のかけ方は何か」という質問への答えは、「対処・声かけをしない」ということです。このことに関してはね。違うところで対処・声かけをして、しかもそれは勉強嫌いややる気がないのを直すためではないんです。この子が、この子の本来の能力を最もちゃんと伸ばすため。それが勉強なのか、友だちづきあいなのか、手先の器用さなのか、心の優しさなのか、それは知らないけれど、勉強ができない自分は親にもうかまってもらえないと思っている状態からは抜け出せるだろう。(回答・野田俊作先生)
Q 子どもは高校1年の女の子です。ただいま休学中ですが、夜遊び外泊を繰り返します。
↓
http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-6-06.html