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食事中のマナー

Q 
 コモンセンセスを伝えるということで、食事のマナーのお話がありましたが、わが家の子ども(7歳)はときどき食事中席を立って歩き食べをすることがあります。負の注目にならずにマナーを伝えるにはどのような話をすればよいか教えてください。

A
 「選択肢」を与えるというのが一番基本だと思うんです。アドラー心理学の育児というのは、「これをしなさい」「あれをやりなさい」じゃなくて、「これにしますか?」「あれにしますか?」からいつも選んでもらおうと思うんです。だから、「お食事をするんだったら席へ座って食べてください。歩くんだったらお食事を終わりにしてください」と言うんです。いっぺん言うんです。もしも歩いたら、「これでお食事は終わりですね」と言って片づけます。「もうありません。今日はお食事はありません。今日はあなた、『終わり』と言いました。体が言いました。行動で終わりということを示しましたので、本日の食事は終わりです」。「まだ食べるう」と言っても、「あなたは体で終わりと言いましたから、今日はありません。また明日にしましょうね」とやさしく言って終わり。これ「結末を体験する」なんです。で、翌日からちゃんと食べるでしょう。ここで怒っちゃダメです。言い聞かせたらダメです。口論しちゃあダメです。全部終わりにして終わりなんです。全部片づけます、あっさり。どうですか?これ勇気づけです。うるさくガミガミ言うのはまずいし、ほったらかしとくのもまずい。どっちもまずい勇気くじき育児だと思うんですよ。だから選択肢を与える。選択肢を先に与えておくほうが賛成なんです。その場になってじゃなくて、家族で会議をして、「お食事中に歩き回るのは、あれは困ったことだと思いますけど、まあ歩き回りたくなる気持ちもわかんないこともありません。でも、食事中は食べるか、あるいはやめて歩きまわるかどっちかにしてほしいです。もしも食事の最中に立ってどっか行ったら、食事が終わったもんだと思います。『ごちそうさま』と言わなくても終わりだと思いますから、それ以上その日に食べられるものはなくなりますけれども、それでいいですか?」って言って、「はい、いいです」っていっぺん了解をもらう。これをやらないで、その場でいきなりやると、僕らが興奮するんです。だから冷静なときに一度会議をして了解をもらって、それから現場ではとにかく冷静にニコニコと穏やかに手続きをします。それから議論しないこと。言い聞かせないこと。目にもの見せないこと。子どもにわからせようと思わないこと。ただただ機械的に事務的に作業します。この方法、いろんなときに使えますね。どうしますか?そのときはこうします。おもちゃは、さっきおもちゃ捨てちゃう話しましたが、「夜寝るときに床におもちゃがいっぱい落ちているのは大変困ったことだと思います。おもちゃ以外にもいっぱい落ちているものがありますので、お母さんは寝る前に一度お掃除をします。寝たときに床に落ちているものは、これはいらないんだなと思って捨てちゃいますから、よろしくね」って言っておいて、それでもしも出てたら捨てます。おもちゃをちょっと捨てることになります、もったいないけど。でもちょっとだけ、まあ500円分も捨てたらあと一生出しっぱなしありませんから、捨てます。そのときも、言い聞かせないこと。「言ったでしょ」と言わないこと。「捨てたよー、ざま見ろ!」と言わないこと。先に決めといて淡々と、「あれ、おもちゃは?」って言ったら「はあ?おもちゃありませんでしたけど、ゴミありましたから捨てました」でおしまい。(野田俊作)

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こうもり(オペレッタです)    野田俊作

こうもり
2002年09月05日(木)

 午後6時から親族会議があったが、かなりヘビーな内容だった。帰宅してから、口直しに、ヨハン・シュトラウスのオペレッタ『こうもり』のDVDを見た。カルロス・クライバーがバイエルン国立歌劇場で演奏したもので、とてもとてもよくできている。パートナーさんはまだ心理臨床学会にいる。彼女がいるとオペラは聴けない。「なに、そのやかましい音は?」って言われちゃうからね。たしかに、興味のない人にはやかましい音だと思う。鬼のいぬ間の洗濯だ。
 若いころ、オペラが好きな一時代があった。大学時代の友人で、ヴェルディが大好きな人がいて、その人の影響だ。しかし、生のステージは滅多にないし、あっても高いし、一方、レコードやCDは画面がないし、TVからビデオに落とすと画質が悪いし、そんなことで、いつしか遠ざかっていた。DVDを見ることができるようになってから、映画よりもオペラを見ている。多くはアマゾン・ジャパンで買うので、ちゃんと癖を覚えられて、「おすすめ」にずらりとオペラが並ぶ。さいわい品数がまだ少ないので、破産しないで済んでいる。



こうもり(2)
2002年09月06日(金)

 職場のパソコンのしつけの続きをした。何時間かかかって、必要なソフトをセットアップして、カスタマイズが済んだ。今度のマシンはDVDを見ることができる。これまで5台あったのだが、どれもDVDは見ることができなかった。まあ、職場にはいらないからね。でも、新しいマシンは、最初からDVDドライブがついていた。昨日見ていた『こうもり』をテスト用に持ってきた。見ていると、見物人が集まって、「ふうん、オペラってこんなものなんだ。おもしろいね」と言う。かなり仕事の邪魔になったようで、「アドラー」と書くべきところを平仮名で「あどらー」と書いているスタッフもいた。そうなんですよ、セリフの意味がわかると、オペラは猛烈おもしろいんです。しかし、社長が率先して遊んでいてはいけないね。
 終わって、みんなで食事に行ったが、ワルツの旋律が耳について困った。ちょっと油断すると歌ってしまうんだ。そういう、一度聴くと覚えてしまうような旋律でできているのが、オペレッタのいいところなんだが。伝説によると、ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』の初演を聴きに行った聴衆が、帰りに中の合唱を歌っていたとか。オペラ・セーリエだって、歌う人は歌うんだ。かなり複雑な歌なんだがね。さすがロシア人だと感心したことがある。



立山
2002年09月07日(土)

 広島に来ている。仕事が終わったあと、友人たちと食事にいった。定型どおりビールで乾杯ということになるのだが、ひとりの人は日本酒党で、最初から日本酒にするという。メニューを見ると清酒『立山』があった。「これはいい酒だよ」と勧めた。おいしいだけでなく、今年のアドラー心理学会総会が開催される砺波(となみ)市の酒だ。飲んでみて、「ほんとにおいしい」と、その人も言っていた。
 知らない土地へ行くと、酒屋さんで、「辛口のあっさりした、おいしいお酒はありますか?」と聞く。「立山」はそうして見つけた。富山市でみつけたのだが、蔵元は砺波にある。比較的手に入りやすい酒なので、自宅でも飲んでいることがある。
 立山といえば、今年の総会が終わったら、富山の山に登ろうと思っている。しかし、立山(酒ではなく山)は人が多そうだから敬遠して、五箇山との境にある低山に登る計画を立てている。広島には「アドラー山岳会」の部長がいるので、打ち合わせをした。たぶん『猿ガ山』という変な名前の山に登るのではないかと思う。

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メンタルクリニックの薬を飲んでいて大丈夫か?

Q 
 子どもが不登校でメンタルクリニックに通っています(ほうほう。メンタルクリニックに通うって意味あるんやろか。まあええけど)。薬を1年近く飲み続けていますけど、大丈夫ですか?直接その先生にたずねましたが、大丈夫でした。

A
 私(野田)も大丈夫だと思います。どうして大丈夫かというと、日本のお薬は全部、厚生労働省が許認可していますね。薬物に関しては厚生労働省がOKと言わないと売れない。厚生労働省の認可の基準はもの凄い厳しいです。アメリカやヨーロッパでごく普通に売られている薬が日本では売られていません。アメリカも大変怒っております。TTPなんてのをやって、日本で薬を勝手に自分たちで制限するのをやめて、アメリカで売っているものはみな売れと言っていますが、あれは良くないですね。日本はとても厳しい基準でお薬を選んでいます。これが1。それから2番目は、精神科とか心療内科とかのお薬は、基本的な考え方として、一生飲むだろうと、少なくとも数年にわたって飲むだろうと思って認可されているんですよ。内科だと抗生物質なんか、そんなひと月もふた月も滅多に飲まないですね。だから長期連用ということをあんまり考えないで、長期連用だと副作用があるけど、まあ短期だからいいでしょうと出している薬がたくさんあるんだけど、精神科関係のお薬は少なくとも何年かは飲むだろうと思って許認可されているので、長期連用によって副作用の起こるお薬はありません。ほとんどゼロといっていいんじゃない、今現在。まったくゼロじゃないけど、ごくわずかにありますけど、そんなお薬は医者は知ってますから、「このお薬長いこと使うとヤバいよ」って。例えば、有名なんだとリタリンね。ADHDに使う覚醒剤、ああいうのあるけど、普通、不登校の子なんか来て出す薬は、危ない薬はゼロです。だから飲んでて全然問題ないと思います。そんなものに対する害より、中国製の餃子を食うほうがよっぽど危ないよ、はい。(野田俊作)

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心理臨床学会    野田俊作

復活
2002年09月02日(月)

 朝から日本橋に新しいパソコンを買いにいった。ノート型は懲りたので、タワー型のでかいデスクトップにした。このごろは、デスクトップ型もディスプレイが液晶なので、本体を机の下において、卓上はディスプレイとキーボードだけにすると、ノート型と嵩があまり変わらない。能力はまったく違うし、タワー型のだと拡張性もあるし、ご機嫌だ。
 「配達してね」と頼んでから出勤して、壊れたパソコンを、もしやと思ってリカバリしたら、あらら、生き返っちゃった。ハードの故障じゃなくて、ソフトが壊れていただけなんだ。まあいいや、パワーポイントでスライドを映すとき専用においておこう。
 壊れたのが治ったといえば、田中康夫氏も、長野県知事に復帰したな。腐れ果てた在来の政治家も困るのだが、田中氏のような環境保護派も、具体策がないと、人々は困るんじゃないかしら。環境を保護するということは、人間が辛抱をするということで、それに人々は合意できるんだろうか。「あれも、これも」はないんだよ。まあ、辛抱するといっても、少しだけ節約するのからすべてを断念するのまで、幅は広いのだが。



復活(2)
2002年09月03日(火)

 新しいパソコンが来た。なにはともあれしつけをしなければ。このごろのパソコンは、最初のしつけがやっかいだ。ウィンドウズをはじめ、さまざまのソフトのアップデートをしないといけない。それだけでずいぶん時間がかかってしまう。
 ともかく動きはじめた。クロックタイム1.7ギガヘルツで、これまでのマシンの3倍以上あるのだが、あまり速い感じがしないな。ビデオ編集でもするとわかるのかもしれない。仲良くなるのにしばらくかかりそうだ。



心理臨床学会
2002年09月04日(水)

 名古屋の中京大学で心理臨床学会総会があって、ワークショップの講師をさせていただけることになった。同大学の久野能弘先生がお世話くださった。久野先生には、むかし兵庫医大にいらっしゃったころに行動理論を教えていただいた学恩があり、その後、金沢大学を経て中京大学に移られても、ずっと私のことを覚えていてくださって、かわいがっていただいている。昨年の心理臨床学会総会でお会いしたとき、「来年は、うちでやるから、ワークショップしてや」と頼まれて、ありがたくお引き受けした。
 古典アドラー心理学にもとづくライフスタイル分析のデモンストレーションやら、参加者によるライフスタイル分析の実習をした。きわめて専門的なセッションだ。先日のカウンセラー養成でも見せなかった技術だ。アメリカにいたころ、この技術をしっかり学んだのだが、日本でやって見せるのは故意に避けてきた。このセッションをすると、生徒さんが萎縮してしまうのだ。私は、どうやら、ライフスタイル分析が上手みたいだ。自分では難しい技術だとは思わない。けれど、生徒さんにとっては、きわめて難しいみたいで、デモンストレーションをすると、みんな勇気をくじかれてしまって逃げ腰になる。アメリカから帰って2~3年の間はしばしばやってみせたが、あまりに生徒さんが怖れるので、封印することにした。しかし、気が変わった。
 日本にアドラー心理学を持って帰って、ちょうど20年になる。その期間を、日本中に、それこそ北海道から沖縄まで、自助グループを作るお手伝いに費やしてしまった。これからもし20年生きていることができるとすれば、専門家の養成が私の仕事だろう。知っていることをすべて伝えておかないといけない。相手がわかるかわからないか、できるかできないかなどは、もう考えないで、ひたすら知っていることを教えていこうと思う。わかる人はわかるだろうし、学べる人は学ぶだろう。私の頭の中に死蔵しておいてもしかたがない。こういう知識や技術は本に書けない。身体の技なんだ。やって見せるしか仕方がない。命のあるうちに、見せておこう。
 参加者の中に、アドラー心理学を学んだことのある人がいて、「ヨコの関係とか、勇気づけとか、共同体感覚の話だと思っていたのに、まったく違って、とても新鮮でした」と感想をくださった。そういう幼稚園コースは、もうやめるんだ。そう長生きはできないかもしれないからね。
 それはそれとして、お昼休みに、講師控え室で昼食をいただいたのだが、偉い先生が並ばれていて、息が詰まりそうなので、食事が終わるとすぐに逃げ出すことにした。すると受付にいらっしゃった久野先生が、「野田さん、ちょっと用事があるんや。一緒に来てや」とおっしゃる。はいはいとついていくと、中庭の喫煙コーナーへ行って、タバコを吸われる。「先生、心臓がお悪いんじゃないですか。タバコはいけませんよ」と言うと、「そうやねん。秘書に見張られてるんや。そやから、用事があると言うて、こうして抜け出さんと、タバコが吸えんのや」とおっしゃる。しょうがないな。しばらくすると秘書がやってきて、「先生、控え室で○○先生がお待ちです」と言う。なんのことはない、彼女も久野先生が隠れてタバコを吸いにきていることを知っているんだ。こういうところが憎めないんですよ、あの先生は。しかし、タバコはいけませんね。

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民主主義

Q 
 午前中のお話の中に、原発に賛成か反対か投票していたことに対して、「怒れ」とありましたが、これはどうして民主主義じゃないのでしょうか?民主主義というのがよくわかりません。

A
 はい、誰もよくわかりません。民主主義というのは名前だけあるんですが、中身は何なのかというのは実は誰もよくわかっていない。まだ発展途上なんですよ。反対の「独裁」ってのはよくわかってます。独裁ってのはある人あるいはあるグループが全部決めちゃうことね。「無政府主義」ってのもわかります。無政府主義というのは誰も何も決めないことね。別に無政府主義が悪いとも思わないですけど、福沢諭吉さんという人の書いたものをわりとよく読むんですよ。今、日本の国全体が道に迷っていると思っています。もう私も歳ですから、もうすぐ死にますから、ゆうてたら10年ぐらいは生きるかもしれませんけれど、僕たちの子や孫たちが最低限、外国の奴隷にならないといいと思っているの。日本人が日本人として民族自決をできる状態を保ちたいなあ。それを本気で心配していて、外国の奴隷になる可能性はゼロではない。皆さん方はどれだけ関心があるかわからないけど、昨日、台湾で総統選挙がありまして、馬英九という人が総統になりました。馬英九さんは中国との合併政策を一応前面に出していますので、香港型の合併をする確率大なんですね。だから台湾も中国の領土になるでしょう、香港と同じように。そうすると危ないのが沖縄で、沖縄は今中国人が土地をどんどん買いあさっているんですよ。アメリカはこの間、オーストラリアのダーウインというところに海兵隊の基地を作りまして、最終的にそこまで撤退するつもりみたい。沖縄の普天間基地の移転がごじゃごじゃ揉めているのをいいことに、アメリカとしては日本から軍隊を引き揚げたいみたい。そうすると、沖縄が中国に取られちゃうという可能性は充分あります。そうすると次は九州ですね、きっと。中国人のことですから。その次は本州ですね。僕たちはたかだか5年とか10年先しか考えないけど、中国人て100年先、1000年先を考える人たちなんですよ。だから長い目で見て、日本を属国化するというのが一応彼らのプランの中に入っているので、これはかなわん。中国人の属国になんか絶対になりたくないとまあ思います。ところが日本国全体が道に迷っていて、感じ悪いんですね。このごろ地下鉄乗ったらね、日本語と英語と中国の簡体字とそれから韓国語が書いてあるんですよ。英語はしょうがないと思う。でも簡体字と韓国語を書く理由がわかんない。在日韓国人は今や韓国語はしゃべれなくて、日本語しかしゃべれない世代です、もはや。だからあれは韓国の観光客、中国の観光客のためです。観光客はね、勉強して来いよ!日本語が読めるぐらい。僕らが韓国へ行ったって日本字は書いてないじゃない。中国へ行ったって日本字は書いてないじゃない。なんで一方的に韓国や中国の字を書くかというと、これは背後にそういう勢力があるからだ、明らかに。で、地下鉄乗ると、「私の住所は地球です」と書いてあって、かなりカチンときたんです。おかしいですよ。「私の住所は日本です」と言いなさいって。僕、国際派なだけに日本というものを大切にしたいんです。アメリカへ留学する前は、あんまりそんなふうに考えませんでした。日本で学校教育を受けますと、「日本人だぞ」ってことをあまり植え付けないように、大変注意深く教育されますので、わけのわかんない国際人になるんですが、ほんとに国際化してしまうと、外国人と旅行に行くんじゃなくて会議に出、セッションをし、まともに議論すると、彼らが求めているのは日本人としての意見なんです。「こんなとき日本人はどう考えるのか?」と訊かれるわけです。だから日本人はどう考えるのか言わないといけない。個人としての意見じゃないんですよ。だから日本の歴史も知らなきゃいけないし、日本人がある場合になぜそんなふうに考えるのか説明もできないといけないのね。だから日本人アイデンティティというのは凄い大事だと思う。午前中に言いましたが、日本人であることがアメリカ人であることや中国人であることより優れているとは、まったく思わないんですよ。ただ違うだけで。どちらも素敵な文化だと思うんだけど、われわれは住所は日本ですし、日本語をしゃべって暮らそうと思うんだけど、どうも危ない。凄い危ないって、文化共生とか国際化とかグローバリゼーションとかいう名前で、だんだんアイデンティティを薄めて、いつどこの国に占領されてもいいようになっていて、僕の生きてるうちは大丈夫だと思うけど、子どもたちや孫たちの時代には危ないかもしれないと、まあ思ってるんです。で、自分たちの生きる場所っていうか、矢印っていうか座標軸というかをもっときちっと決めたい。どこで決めたらいいかというと、まあ福沢諭吉だな。明治の初めに日本国が江戸幕府をやめて、日本という国を造ったときに、方向性を決めたのは、多くの人たちが協力して決めたけど、今からみて今の時代からみて読み返す価値があるのは、福沢諭吉だと思うので、福沢諭吉さんをよく読むんですよ。明治の続きに現在の日本国を造りたいなあ。戦争に負けて、あそこで凄い方向性を曲げられちゃったなあ。曲げられちゃった方向をちょっと元へ戻して、明治からずっと一直線のところへ少し戻したい。福沢諭吉さんがこう言うんですよ。「独裁はいかん。江戸時代の幕府は賢い将軍もいたけど愚かな将軍もいた。決められない、誰が国を統率するかを国民が決められないのは大変良くない。国民が政治家を選べるのがいいんだ」。国民が選んだってどうせロクな政治家を選ばんだろう。国民は賢くないから。でも、独裁よりちょっとマシかもしれん。修正がきくからね。でまあ一定期間やってみて、これはダメだと思ったら別の政治家にすればいいわけで、修正がきくからいいだろう。将来問題として、これから何百年かたって、人類がほんとに賢くなったら、政治というものがいらなくなるだろう。国民がみんな道徳観念を持って節操を持って知性を持って譲り合って暮らせるようになれば、政府はいらなくなるだろうから、そうなれば無政府主義でいいんだって。そうなるまでのまだわれわれが充分賢くない時代の過渡的な措置としては民主制がいいだろうと、彼が言うんですよ。私もそのとおりだと思うんです。だから無政府主義そのものがダメだとは言わないけれど、無政府で暮らせるためには、決める人がいない統治する人がいない社会を造るためには、国民がうんと賢くないとダメです。でも僕らそんなに賢くないです、はい認めます。昔も愚かでしたが今も愚かです。皆さん方は投票なさったかどうか知りませんが、橋下徹さんという知事になったり市長になったりしたややこしい兄さんがいますが、あの人は圧倒的人気なんですが、僕全然批判的なんですよ。彼の話をほんとに聞いたことがあるのかどうかわからないけど、皆さん方は彼の話を根気良く、結局彼がどうしようと思っているのか聞いたことなしに入れているんではないかと思う。聞いたことがあると、わかんないです、結局。何をしようとしているかわかんないです。反対していることだけはわかるんです。「官僚を減らせ」とか、「日教組やっつけろ」とかいうね、ネガティブにはわかるけど、ポジティブに何をしようとしているか、僕理解できないんですよ。理解できないということはつまり彼はしゃべってないということですよ。あの人も考えてないです、多分。彼の頭っていうのは、たかだか芸能人プラス弁護士なんです。政治家じゃないです。政治っていうのは1つの学問であり知識であり技術であって、政治っていうものを学ばないと政治家になれないと思う。でも彼は普通の弁護士プラス芸能人だっただけじゃないですか。ヴィジョンがないと思う。ネガティブなことを言って大衆に向けているだけじゃないかと思う。僕も間違っているかもしれんけど。でもね、圧倒的な人たちがあの人に入れるんですよ。まあどうなるか楽しみに見てるんですけど、ロクなことになるまいと思っているんですけど。で、いつもそうやって民衆は間違いを犯します。犯しますけれども、民衆全体がしょっちゅう政治に口を出し、しょっちゅう投票するよりは、一定期間、市長なり知事なり議員さんらに任せるほうがまだマシだと思う。だから今われわれが知っている、一番ベターなじゃないですね、悪くない not badな政治ね、悪くない制度が間接民主主義なんです。決める人を決めるというやり方なんですよ。「決める人を決める」からはずれたやり方は民主的じゃないんです。僕らみんなが一々の議案、原子力発電所について投票するというのは良いやり方じゃないんです。政治家が「私は原子力発電所に賛成します」とか「反対します」とか言うその人に入れるのは良いやり方なんです。だから、「決める人を決める」というやり方から外れないほうがいいと思います。今、全国的に「自治基本条例」という凄い危険な条例があっちでもこっちでも可決されている。それが住民投票条例ね。何でもかんでも住民投票にかけようと言うんですけど、何でもかんでも住民投票にかけたら、ある政治的な勢力の人たちが組織化して票を入れて、その人たちが思うとおりに動くだけじゃないですか。それって凄いまずい世の中になると思います。直接民主制反対です。小さい組織ならできますよ。学校の学級会ならできますが、学級会でも直接民主制にしないで、係を決めるほうがいいです。家族会議ならできますが、家族会議は多数決にしないで、全員一致するまで話し合うほうがいいですね。だから直接民主制による投票は非民主的だとわたくしは思っています。
 そんな、原子力発電所について、僕よくわかりません。態度保留です。なぜかというと、一番根本的には原子力発電所反対なんです。最もベースにはね。じゃあ全部の原子力発電所を止めて日本の国がやっていけるのか?その分、太陽光は無理ですね。あれは太陽光を売りたいどこかの会社と、日本を滅ぼしたいどこかの外国の電話会社のおっさんが言っているだけで、太陽光だけでこの国の電力をまかなえません。だから火力です。水力を今さら作れませんから。火力発電は、結局外国から輸入した燃料を使うわけじゃないですか。輸入すること自体は反対じゃないんですけど、今何しろ「円高・ドル安」ですから、輸入は凄い大歓迎なんですよ。ただ台湾が“ああ”なったら、シーレーンがいつでも切れるんです。台湾が中国の勢力下に入ったら、日本の輸入は水道の栓をひねるように自由自在に、すぐ石油をストップできるんです。だから石油とか天然ガスに頼って日本の国を経営するのは、とても今危ないと思います。そうすると原子力発電のほうが絶対安全なんです。リスクがあっても、国の喉首を絞められて、アッという間に窒息してしまうよりも、原子力ならシーレーンを閉鎖されても動きますからね。そのほうが今のところいいかなあ。だから長期的に見て、原子力発電所を50年、100年先に使わなくなっていくのは賛成ですが、たった今止めていくのは反対なんです。そんなふうにみんな考えてないんですよ。原発1つ事故が起こって、放射線が漏れたからと言って…何であんな事故が起こったのか考えたら、原発反対派がちょっとでも海へ寄せろ寄せろとギャーッと押して、海の側まで行ったからじゃないですか。原発反対派がなかったら、もっと内陸に作りますから、事故は起こらなかったんですよ。それってなんか“マッチポンプ”と言いますか、妙なことを僕らがやっています。だからあんまり心配ないです。それからついでに放射線について言いますと、テレビや新聞などを注意深く見てほしいんだけど、放射線の危険性について言っている医学者がいないんです。医学部出身者で、「放射線は危ない」と、「今の原子力発電所からの漏洩分は危ない」という人、1人もいないんですよ。みんなOKだ、大丈夫だと思っているの。僕も大丈夫だと思ってます。うちの大阪大学のもう定年になった中村先生という放射線科のお医者さんは、「あれぐらいだったらかえって健康になるから、福島県へ放射線浴びにいったほうがいい」と言うんです。私も若いときに、放射線科、正式に放射線科にいたのは半年なんですけど、その前後ずっと放射線のお手伝いをして、レントゲン室に入り浸って暮らしましたので、全身脱毛して手足全然毛がありません。いいですよ、放射線当たるのも。永久脱毛になりますから。体のね、どっかの部分だけプロテクターをつけていて当たらないけど、手足は露出しているんですよ。だから血管造影と言って、体の中にカテーテルを入れて肝臓の写真を撮っていたんだけど、あれ、もろに浴びるんです。もろに浴びるけど大丈夫です。みんな経験的に「これぐらいだったら大丈夫だ」と知ってますから。救命具付けて、許容限度内に浴びてみんな暮らしていましたが、未だに全然癌になりません。大体、癌になるのは20年ぐらいになっているはずですから、今ごろ白血病になっていませんので、大丈夫です。医学部の人たちは体験として放射線の怖さを知っているわけ。誰も医学部の人は危ないって言ってないんです。言っているのはみな工学部の人です。工学部の人は体験ないんです、全然。計算だけで。だから怖くないです、あの放射線。来年ぐらいに福島県でワークショップしてやろうと思っているんだけど。この間福島県産のお米を買いました、はい。買ってあげてください。福島のお米、売れなくて困ってますから。(野田俊作)

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