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高2で中退のひとり息子、フリーターやニートにならないか不安

Q
 17歳のひとり息子のことです。ご相談申しあげます。1年ほど前からファーストフード店でアルバイトをするようになり、何度も注意しましたが聞き入れず、とうとう3月末、単位不足のため高校2年生で退学してしまいました。(何度も注意したところが間違いですね。)現在もアルバイトは続けており、高校だけは卒業したいということで、友人の通っているサポート校などを探していますが(偉い子や!しっかり考えていると思う。)、将来自分が何をしたいのかわからない(十分わかっているように思うが)。友人と万引きしたりして補導されたこともあり、先生方にも「人の後ろについていく傾向があるので、それを改めて自分で行動する力をつけるように指導があり、(この世で一番信じていけないのは学校の先生と警官ですからね。だって、あの人たち幸福じゃないもん。一番大きな根拠は。だから彼らの言うとおりにすると不幸になるんです。)私たち両親はこのままサポート校へ行っても、高校の卒業資格だけ取っても、その場限りの楽なほうを選ぶ怠け癖や友人のあとをついて行動するといった習性は変わらないと思っています。せめて語学を修得するという利点をとっても、「海外留学をしてはどうか」と勧めていますが、本人は1人になるということに不安があるようで、良い返事をしません。しかしこのままフリーターやニートになってしまうことは避けたいようですが、どうすればいいかわからないようです。親もどうすればいいかわからなくなってしまいました。アドバイスをお願いします。

A
 だからまず学校の先生のアドバイスを忘れることね。あの方々は不幸な人生を送っていらっしゃる方々で、ウソつきです。僕の高校のときの担任の先生ね、まあ好人物ではあった、悪い人ではなかったけど嘘つきなんですよ。僕を呼んで、「君は1日に何時間勉強しているか?」と言うんです。僕、「してません」と言ったんですよ。「医学部志望だろうが」「そうです」って。「学校で勉強する以外に、家へ帰って6時間ぐらい勉強しないといけない」と言うんです。「ほおーっ」て、「先生そんなになさいましたか?」と訊いたの、ムカつくから。そしたら「した!」って言うんですよ。「したら山梨大学の文学部ですか」と言ったら、その先生は鬱になりまして黙ったんです。絶対そんなに勉強してないに決まってる、あの人。嘘つきなんですよ。いい人だけど嘘つきだからあんまり信じないように。息子さんのやっている「いいところ」を見つけてほしいんです。彼はとにかく働いているんです。これは凄いことです。働くって何か考えてほしいんです。働くっていうのは、この世界に自由をもたらしているんです。ファーストフード店がもし1軒なかったら、誰かが不便して不自由なんですよ。ファーストフード店があるから、誰かが自由なんです、便利なんです。だから彼はファーストフード店にいることで、社会貢献しているんです。このことを言いたいんです。「あなたがいるおかげで助かっている人がいるよね」って。それから、とにかく高校の卒業資格を取ろうっていうのは現実じゃないですか。サポート校であれ何であれ、「おらーいいんだ!」と言って精神病院へ直行するより高校へ行くほうがずっと賢い生き方だと思うんです。ニートもフリーターもいいんじゃない?私は私の子どもにたくさんに期待を一方でかけたけど、最低限「これだけはしてはいけない」というマイナスの期待を2つ言ったんです。これはみな守ってくれました。1つは「刑務所へ行くな」、1つは「精神病院へ入るな」で、刑務所や精神病院は良い選択じゃないと思うんです。精神病院は悪いところじゃないけど、人生の目標に精神病院へ入ると決めるのは良くないからね。この子、精神病院も刑務所も行く気ないみたいです。これ凄いいいことです。高校の卒業証書取るのは凄いいいことです。友だちいるのはいいことです。人の後ろついていくのも、この子の取り柄なんですよ。誰の言うことも聞かないよりずっといいことです。だから将来、ちゃんとした人の下につけば、凄い有能な部下になるでしょう。従順なのはいいことですし、反抗的なのはいいことです。活発なのはいいことで、おとなしいのはいいことです。外向的なのはいいことで、内向的なのはいいことです。すべてその子どもの宝なんですよ。その子どもの持ち味なんですよ。その子どもの特質なんですよ。なんでその子どもの特質を否定して、持ってもいないものをやれというのがわかんない。それは、薔薇に向かって「菊になれ」、菊に向かって「薔薇になれ」と言うようなもんで、毎日菊に向かって「薔薇になれ」「薔薇になれ」「薔薇にならなきゃダメだ」と言ったら、菊枯れるよ、絶対。だから凄いバカげた育児をしていると思うの。だから、お宅の息子さんのせっかくの持ち味をどう使うか、このままでこの子をどう使うかを考えてほしいんですよ。やりたくもない語学留学なんかさせるなよ。そんなん、蛇に「立って歩け」と言うようなもんですよ。蛇立たないよ、どんなことしても。この子の本来持っている持ち味を活かせる方向で彼と相談したいんです。学校の先生の持っているもう1つの間違いは、「努力すれば人生は開ける」と思っていること。努力したらつらいだけよ。自分の人生がちゃんと世界の働きの中に取り込まれたとき、自分がすべきことをしているときには疲れないもん。自分の本来なすべきことをしているだけですから、何もかも自然なんですから、努力して無理して、「今日苦労すればあした幸せになる」と思ってると、あしたになっても「今日苦労すればあした幸せになる」と思い、で、人生の最後の日にも「今日苦労すれば、あした…なかった」となって終わりますから、この子に努力して、辛抱してという育て方をやめてほしいの。今のこの持ち味だけで、できるだけキラキラと暮らせるように、親子で工夫してほしいんです。またカウンセリングしてくれる人がいれば、相談してください、是非。

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歩くことは瞑想になるか?

Q
 歩くことは瞑想になるでしょうか?私は1日に1時間以上歩くことにしています。

A
 あるんですけど、「○○は瞑想になるでしょうか?」とういう質問には気をつけたほうがいいです。「歩くことは瞑想になるでしょうか?」とか「走ることは瞑想になるでしょうか?」とか、「3B体操は瞑想になるでしょうか?」とか「太極拳は瞑想になるでしょうか?」とかは、要するに瞑想したくないんだ。ちゃんとした瞑想をしたくない言い訳にこれを言っているんだ、たぶん。だから、なりますけど、自分が言い訳に言っていないかどうかチェックしてほしいんです。瞑想して暮らすというのは、生活全部を変えていく決心だと思うんです。日本ふうに言うと、道元禅師という人が「行持綿密」と言いました。「食べることとか歩くこととか、排泄することとか眠ることとか風呂に入ることとか、あらゆることを瞑想にしなさい」って。一日中全部に目覚めて暮らしなさい。どれひとつおろそかにせずに丁寧に丁寧に丁寧に暮らしなさいということ。それが瞑想する人の目標なんですよ。マインドにライフスタイルに習慣にコンディショニングに任せて機械的に生きないこと。毎日毎日奇跡が起こっているんです、この世は。道を歩いていて、ほんとに毎日奇跡が起こっているんです、たくさんの。でもみんな何にも見えないんですよ。自分のマインドだけ見ているから。今桜が咲いて、そして散っているんですが、これは奇跡だと思いませんか?桜が咲くんですよ、あなた。世界中で、桜がソメイヨシノがあんなにたくさん生えていて、それがある季節になると咲いて一斉に散っていく場所って、そんなにないんです。私はそこを歩いているんですよ。しかも今年は寒くて、花が長くて、長く咲いた花が一斉に散るんです。これはほんとにミラクルだと思わない?それが見えるか見えないかは、そのことに目覚めているかどうかに関わるわけじゃない。「ああ、それは咲くわね、散るわね、そんなもの当たり前じゃないですか。だって春だもん」と言ったとたんに何も見えなくなる、起こってることが。究極的な目標はそこなんです。だから、「歩くことは瞑想になりますか?」というのは、それはそうなんですけど、どうもこの人は、そうじゃないことをやりたくないんですよ。何かその昔から瞑想と言われていることをやりたくない、あんなもののために時間を使いたくない、だからついでに「お皿洗うことは瞑想になりますか?」とか、ついでに「掃除することは瞑想になりますか?」とか訊きたいんです。道元禅師がそんな馬鹿者のために「洗浄の巻」という「おトイレ作法」についてのお教えを書かれていました。たまげるんですが、まず前半は「野ぐその巻」。雲水さんで旅をするのが本来の姿ですから、野原で排泄をするときにどういうふうにすればいいか、天地に感謝しながら排泄する方法を書いてあって、後半はお寺で排泄する方法ね。そんなものまで瞑想にはなりますね。毎日トイレに行きますから、トイレは良い瞑想になりますけど、そんな覚悟はないんだ。全部をほんとに祝福して目覚めて瞑想して暮らすという覚悟があれば、この質問をしないもん。何の覚悟がないかといったら、昔から定められている「何とか瞑想」を1時間やる覚悟がないんだ。この覚悟がない人は、歩くことは瞑想にならないんだ。ほんとはなるけどならないんだ。値切ったら値切っただけのものしか来ないんです。安いものを買ったら安いものしか来ないんです。僕の友だちに「とりあえず主義者」がいるんです。山へ行くとき、山の道具を買わないといけないとき、彼はとりあえず安いものを買うんです。あれ絶対ダメです。安いものを買ったらすぐダメになるんです。初めからうんと高いものを買っておいたほうがいいんですよ。やっぱりお金をかけたものは違うんだもの。だから何でも「これで済ませよう」というのは、すぐにほころびが来て使えなくなりますから、そんなこと言わないでちゃんと瞑想なさったほうがいいと思う。

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親の財布からお金を抜く息子

Q
 10歳の息子がときどき親の財布からお金を抜いて、ゲームソフトを買っていたことがわかりました。欲しいものは話し合って買いたいと思っていたのに、ショックです。母としてこの息子にどう対応したらよいでしょうか?

A
 ゆっくり話を聞くな、まず。「このことについてあなたはどう思いますか?」って。お母さんがこのことにショックだったら、「お母さんはショックだったけど、あなたはどのように考えますか?」って。「今後ともお金盗ってやる」と、もし言ったとする。あるいは「もう盗らない」と言ってまた盗ったとする。そうすると、これは親子関係が良くないんだ。つまり「お母さんは仲間じゃない」んだ。お母さんにショックを与えて傷つけることが、この子の目的なんだ。そしたらだいぶ基礎工事しないといけない。そうじゃなくて、一度話すると、「もう盗らないから」と言ってそれで盗らなかったら、子どもがこのことについて十分考えたことがなかったんだ。だから、考えた結果、正しい行動ができるようになったんだ。ケースバイケースで全然違うと思うんです。荒っぽく分ければ、ドライカースは4つの段階に分けたんです。「注目関心を引く」ということ。「権力争いをする」ということ。それから「復讐をする」ということ。「無能力を誇示する」ということ。子どもはこの4種類の目標に向かって不適切な行動をする。だからお母さんの財布からお金を盗ってゲーム買ったりするというのは、もしも子どもがそのことを悪いことだと知らないとか、大して考えてないからするのじゃなくて、確信犯としてやっているなら、この4種類のどれかなんです。無能力誇示では滅多にこんなことしないんです。もっと凄いことしますから。復讐とかもちろん無能力誇示であれば、お母さんは個人カウンセリングを受けて、甚だしく悔い改めたほうがいいと思います。相当ひどいことをやっているから。権力争いとか注目関心を引くレベルなら、「パセージ」へ出たらたぶん解決すると思います。病気の深さがどれくらいかわかりませんので、何とも言えませんが、一度とにかく話をして、それで子どもに「これからどうするか」訊いて。子どもが「やめる」と言ったら、「そう、嬉しいわ」と言って。それでどうなるか様子を見て、また盗むんだったら、これはちょっと手当がいるぞ。親子関係の基本的な信頼の部分でできていないんだから、親としてやり方を変えようと思います。どの子も1回か2回かは盗ってみるもんじゃないですか。で、みな体験から学ぶんです。「これまずいな」って。

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転職は?

Q
 最近自分にエネルギーを感じないのですが、やはり職業を替えるしか考え方がないのでしょうか?人や社会に貢献して生きるようにと思うのは自分の決心次第なんでしょうか?

A
あー、わかんないです。こんなこと言っていて、これが実は言い逃れで、どこへ行ってもこの人は逃げるかもしれないんですよ。負け犬姿勢になっていて、あらゆるところで自分は「かわいそうな私、悪いあの人」をやっていて、どんなに恵まれた状況にいても不満だけ見つけ出すというマインドもこの世にいますからね。そうかもしれんし、実はそうじゃなくて、今の職業にしがみつくのをやめて他へ行った途端に道が開けるかもしれんし、それはケースバイケースだと思うんです。僕がスピリチュアルワークでやろうとしているのはそういうことなんです。新しい仕事を探すことじゃなくて、今までのやり方を手放すこと。伝統的・古典的なアドラー心理学の人たちからは、あのやり方は危ないと言われます。僕も危ないと思います。今まで伝統的に、その人が生まれてからライフスタイルを作ってしがみついてやってきたやり方を何はともあれ手放さないことには、新しいことは始まらないかもしれないんです。いつも負け犬姿勢をとっている人は、どこへ行っても負け犬姿勢をとりますから、負け犬姿勢そのものを手放さない限りは、転職しても無駄かもしれない。どうもこの書きっぷりから見ると、転職しても無駄組みたい。この書きっぷりだけから推測していますから、わかりませんけど。われわれのマインド(=ライフスタイル)が作りだす諸々の雑念、僕らがずーーーっと自分自身に言い聞かせている「自動思考」は、「勝手に考える考え」は、世界と繋がったとこでの大きな決心がなかったら、グレゴリー・ベイトソンが「マインド」と、僕が「ハート」と言うスピリチュアリティーの中で、自分の人生の天職というか使命というか、そういうものを知ることなしに使われていると、保守的で保身的で、恐がりで、ひたすら今までの自分のやり方がどんなに悪くてもしがみつくもんなんですよ。それは場所を変えたって相手を変えたってしがみつくもんなんですよ。例えば、ある人が「この奥さんは絶対イヤ」と思って離婚して、別の女と結婚したっておんなじ夫婦を作るんですよ。ある夫婦で地獄のような毎日があった人は、離婚してガールフレンドができて、「あの女と暮らせば絶対幸せ」と思って、その女と暮らすとまた地獄になるんです。地獄の形はちょっと違うんです。前の地獄は、奥さんは朝から晩まで怒っていたんです。今度の地獄は、奥さんは朝から晩まで溜め息をついているんですよ。「これは駄目だ」と思って、奥さんを替えますと、次の奥さんは朝から晩までリストカットしているんですよ。この人がこのマインドを運んで生きている限りは一緒。だからそれを手放さない限り何も変わらない。というか、例えば自分の夫婦の中での男性としての使命・役割に気がつかないと。それを引き受ける勇気を持たないと、どこへ行っても他人を不幸にし、自分を不幸にすると思う。あるいは職業人としても、その職業の中で自分の使命、自分のすべきこと(=責任)を引き受けないと、幸福は来ないと思うんですよ。いつも幸福とか自由とかは責任というのとまったく同義語なんです。責任を取れば幸福になるんじゃないんです。責任と幸福とは同義語なんです。だって世界にどう組み込まれるか、その中で自分がどう役割を果たすかということが責任なんだからね。だからわかんないけど、職業を替えたから解決するというものでは必ずしもない。

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スピリチュアルと共同体感覚(2)


 問うてもいいのは蛋白質とか核酸とか酵素とかそういうものについては問うてもいいけど、「生命は電子顕微鏡で見えないし、試験管の中にも取り出せません。いけません、ペケ!」と、質問そのものを却下されるんです。あるいは精神医学をやったら、「精神って何ですか?」と訊くじゃないですか。「それはまあ腎臓の排泄物が尿であるように、肝臓の分泌物が胆汁であるように、脳の排泄物が精神だ」と、こう言うんですよ。脳という臓器があってそこから分泌されるものだと、こう言うんです。完全に尿とおんなじ扱い、唾液とおんなじ扱いなんです。デカルト・パラダイムからはそういう結論しか出てこないんです、結局。考え詰めれば、精神とか生命とかを物質と独立に立てると、非科学的になっちゃうんですね。出てこないんだけど、実は違うんだと。細胞一個一個が精神を持っていて、分子一個一個が生命を持っていると考えたってかまわないじゃないか。だって、それらの組み立てから出てくるかも、精神が。地球全体が生命だと言うときに、それはそうだと思う。地球全体が生命活動を営んでいるんだけど、多くの人がそう言ったときに森とか動物のことを考えるんだけど、森を支えている大地は生きているのか死んでいるのか。生きていなきゃ。死んでる土地からは木は生えない。土地は土はあれは砂じゃないんです。砂が長いことかかって土になったんです。生きているからそこから生えるわけね。では土になる前の砂は死んでいるのか?そんなことはない。その砂の上で生命が始まるわけだから、砂も生きる材料なんです。それはちょうど僕らの爪とか骨とかはそれ自体としては生きていないけど、僕たちの生命活動の一部でしょう。同じように砂とか水とかいうのも生命の一部なんです。そう考えると、何もかもデカルト・パラダイムに凝り固まって分子に還元する必要なんか全然ない。そういうふうに考えて、それで僕らの毎日の生活はいったいどうなっていくのかしら?今みたいに世界征服をもくろんで、人間の都合のいいように世界を作り替えて、夏は涼しく冬は暖かく、速い速度で移動して、大量の物資を世界あちこちやりとりして、ブラジル製の鶏の肉とかトンガ王国製のカボチャとかを食って暮らすのが、ほんとに世界のためになるのかしら?お金のためにはなる。経済というのも、資本主義経済というのもデカルト・パラダイムの産物ですから、お金のためにはなるけど、お金が儲かって物質的に豊かな暮らしから抜けようと思っているんです。お金が儲かって物質的に豊かな暮らしそのものがデカルトふうの、物と心とを分離してできてきた結果だから。昔風の言葉で言うと、分相応のというか、少欲知足というか、自給自足のというか、グローバルの反対のローカルのというか、プラネタリーという言葉をスピリチュアリティーの人たちはよく使います。グローバル、グローバリティーの反対、「生きた生命としての地球的生き方」を、長いことかかってこれから探すと思うんです。カッシーラだったか、西洋の哲学者が「思想の転換はちょうど世紀の真ん中へんで起こる」と言うんです、過去何百年かの思想史を見ると。だから、思想の転換が1050年ごろに起こるわけだ。私は1948年に生まれたから2050年まで生きていたら102歳で、まあ死んでるかボケてるかどっちかですから、新しい天才が新しいヴィジョンを出すのを見られないと思いますが、皆さん方は、若い人たちは見られるかもしれない。だから新しいヴィジョンが出てくると思います。今、思想家や哲学者たちは真っ黒けの中。ポストモダンという真っ黒な思想の中で模索していると思うの。先が見えなくなって、過去はダメだけわかって、次は何かがまったくわからないで、とにかくこの資本主義とか自由主義とか近代科学とかをこのまま進めるわけにはいかないけど、じゃあどうするのかがなんにもわからない状況の中にいて、暗いでしょう。明るくなるでしょう、もう50年もすれば。それまで地球が保てばね。だから明るくなる時代に向けて、それを子どもたちが受け入れるように育てたいんです、準備したいんです、いつも。

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