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勇気づけのタイミング

Q0330
 勇気づけに良いタイミングというのはありますか?

A0330
 原則としてはあります。すなわち、まず適切な行動をしたら、できるだけ早い機会に勇気づけること。例えば、「4日前の朝ちゃんと起きて来たのはお母さんはとても嬉しかった」というような言い方は、あまり勇気づけにならない。起きてきたその場所で勇気づけること。
 それから、相手が勇気づけを欲している場面、欲しがっている場面ですかさず勇気づけること。勇気づけを欲しがっている場面というのは、例えば何かを達成してとても嬉しそうにしているとか、逆に何かに失敗してとても悲しそうにしているとか、そのような場面です。そのときにすかさずすること。
 タイミングを逃すこともありますね。タイミングを逃してしまったからといって何もできないのではなくて、たとえ4日前の朝起きであっても、言わないよりも言ったほうがましだと思います。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

15,子曰く、鄙夫(ひふ)は与(とも)に君に事(つか)うべけんや。その未(いま)だこれを得ざるや、これを得んことを患(うれ)え、既にこれを得れば、これを失わんことを患う。苟(いやし)くもこれを失わんことを患うれば、至らざる所なし。

 先生が言われた、「下劣な(みみっちい)男とは一緒に主君に仕えることはできない。地位を手に入れられるかどうかと心配するし、手に入れてしまうと失うのではないかと心配する。地位を失うことを心配しはじめたが最後、それを守るためにどんなことでもやりだす」。

※浩→孔子は、官位・俸禄に対する欲深さも嫌いましたが、それと同等以上に一旦手に入れた既得権益への執着心を軽蔑していたのです。ここでは、既得権益にしがみつく小人は地位を守るためにどんな愚劣なことでもやりかねないという危惧の念を述べています。
 こういう人がいました。「地位」「肩書き」にこだわり、一旦手に入れると「死守する」と言った人がいます。、まだわりと最近のことで、「悪口」になりますから、感情は抑えて出来事だけ述べます。おんなじことか?(笑)。私自身は、ポストや肩書きにはほとんど執着はなくて、在職中も同室の同僚と、相談室長のポストを譲り合ったことがあります。同僚はカウンセリングをしようとはまったく考えられていなくて、事務全般を引き受けてくださしました。おかげで、私は臨床に専念できて、“職人仕事”ができました。お互いを室長に推薦し合っていることを知った校長が私を呼ばれて、「ぜひ、あなたに室長をやってもらいたい」とおっしゃいました。これ以上辞退するのは傲慢だと判断して、引き受けました。もちろん、その後も室内の分担はばっちりうまくいきました。
 一方、前にスクールカウンセラーを勤めた学校では、相棒K先生が相談室長をしていましたが、彼もまた職人芸としての臨床に専念したいため、同室の同僚(カウンセラー資格なし)に室長を譲って、事務領域全般を担当していただくつもりでいました。ところがこれが大失敗でした。彼は事務領域はそこそこに、来室生徒のカウンセリングまで始めてしまいました。当然うまくいくはずはなく、K先生が後始末に追われることになりました。相談を受けつけたら必ずK先生に回すよう説得しましたが、聞く耳持たず、翌年度も室長ポストを死守するといって、手放しませんでした。その翌年度は室長職から「学年主任」に配置換えになりました。ところがその年、“心の病”を発症して、休職となりました。
 孔子の言うとおりです。こういう人とは、ともに働きたくないです。

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人を思いやるのは

Q0329
 「人を思いやる」と、悪い人間関係をつくってしまいそうに思いますが、人を思いやってはいけないんでしょうか?

A0329
 言葉のニュアンスの問題が絡んでいると思うのですが、思いやるということが、自分が相手よりも上であること、「私はOK、あなたはNot OKであることを証明する目的で行われるなら、それは良くない人間関係だと思います。私もOK、相手もOKという対等な人間関係の中でならOKだと思います。表面上の言葉にとらわれないで、根本にある人間関係の実践をしていただきたい。自分のほうが優越であることをたとえ無意識でも、目標としているのであれば、それは良くない人間関係だと思います。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

14,子曰く、道に聴きて塗(みち)に説くは、徳をこれ棄(す)つるなり。

 先生が言われた。「道端で聞きかじったことを、他人にもっともらしく説くのは、道徳を捨てるようなものである」。

※浩→孔子の弟子の中の才子に対しての訓戒でしょう。この時代には職業的なジャーナリストはいなかったでしょうに、あまりにも現代の評論家の弱点をついていると、貝塚先生は解説されます。コロナ禍での論評でもそうでした。
 孔子は、「一知半解」や「門前の小僧習わぬ経を読む」といった中途半端な知識による教育を否定的に見ていて、自分自身が正確に理解できていない聞きかじりの知識を他人に教えることは道徳に背くと言っています。これは、私なども十分気をつけないとやってしまいます。授業でも講演でも、「題材」を準備し、内容を吟味・精査して、前後の矛盾の有無をチェックして、筋の通ったものにしてから、本番でお話しないといけません。もちろん、ときどきしくじります。話し終わったあとで、間違えたことがあるのに気づいたり、一部を落としてしまったりです。そんなとき、しばらく落ち込みますが、それを次回以後の教訓として活かしていくようにしています。もともと完璧主義だった自分が、アドラー心理学に出会って、「不完全を受け入れる勇気」ということを教わって、少しだけ成長したかもしれません。まだまだです。

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社会は競合的だから…

 「禁句」があるためアップできません。↓でお読みください。

http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-12-6.html

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