MENU
98,533

論語でジャーナル

26,子曰く、年四十にして悪まるるは、それ終(や)んぬるかな。

 先生が言われた。「年齢が四十歳にもなって人に憎まれるというのでは、どうしようもないね」。

※浩→孔子は三十にして独立し、四十にして心が惑わないようになるというのを一つの目安にしていたから、四十歳になっても他人の気持ちや欲求を察することができず、人に恨まれるような人物はどうしようもないと考えたのです。当時は平均年齢が低かったですから、四十歳といえば現在の五十歳以上にあたるでしょう。社会的に成功している人物ほど、他人の怨恨や嫉妬を受けずに生きるのは難しいです。儒教的には、不惑の四十の年齢になるときまでには、他人の恨みをいたずらに買わないような生き方をせよということになります。今は、小学校からして「いじめ」が多発し、妬み、誹り、悪口雑言だらけの世の中になってしまいました。日本は世界的に見て安全な国だったはずが、それもどんどん怪しくなっています。これを食い止める方策は、適切な育児と教育しかありません。その家庭と学校がこれまた怪しくなってきては、もうお手上げ状態です。野田先生がかつて、「大きな物語は崩壊した」とおっしゃっていました。「人類・国家・地域」規模での「ヨコの関係の構築」は至難の業です。残るは、もっとミクロな規模での「あなた・私」ペアでの「ヨコの関係」構築だけという情けない有様です。(「陽貨篇」完)

引用して返信編集・削除(未編集)

家族のルールが守られない

Q0340
 家族でルールを作ったがちっとも守ってくれない。どうしたらいいか?

A0340
 守られないのは、そのルールの「制定手続きの民主性」がどれくらい保障されていたかということ。そのルールの合理性、ほんとにそのルールが絶対必要だという必要性を納得したか。あるいは本当にそのルールが必要なのか。特権階級はいないか。みんなが権利と責任の量に応じて、ルールに縛られて暮らしているか。全員が少しずつ不便をし合っているか。そのことをチェックしないといけない。
 民主的な手続きで作られ、内容が合理的で妥当であり、平等に適用されるようなルールは必ず守られるはずです。そのような手続きが行われているにもかかわらず守られないとすれば、そのルールの中に、違反に関する責任の処遇を問う項目を作ってもかまわない。それによって、社会的結末を引き受けてもらうこともできる。多くの人が守らないルールはルールが悪い。ごく少数が守らないであれば、ルールは正しくて守らない人に問題があるのかもしれない。
 ルールというものは人間の道具です。人間がルールの道具ではない。このルールは実際的でないと思えば改正する。ルールは絶えず改正していい。1つのルールが決まったからといって、守られもしないのに、金科玉条、壁に書いて貼っておくのは不合理な行為です。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル

25,子曰く、唯(た)だ女子と小人とは養い難しと為すなり。これを近づくれば則ち不遜、これを遠ざくれば則ち怨む。

 先生が言われた。「女子と小人とだけは取り扱いにくいものである。親しみ近づけると無礼になり、疎遠にすると恨みをいだくから」。

※浩→現代の倫理観では、男尊女卑や差別になります。吉川先生は、『論語』の教えの全部が現代には通用しないと。今、こんなことを言うと、大問題です。そもそも孔子の時代は階級社会ですから、そこを勘案して、貝塚先生は、もう少し丁寧に、ここでの「女子と小人」は、家庭内で使役している女子と男子の使用人(大阪ふうに言えば、「おとこしゅ」と「おなごしゅ」でしょうか)を対象にしていると解説されます。孔子の時代の貴族は多妻制でしたから、家庭内では多数のお妾さんがその召使いとともに同居していて、そういう多数の女子と使用人の取り扱いが難しいと言っているので、この言葉から孔子が恐妻家であったとか女子を蔑視していたと主張するのはおかしいとも述べられています。
 ただ、「女子と小人」にこだわらなくても、こういう人は存在しそうです。特に日本では、親しい人にはぞんざいになり、つきあいを切ると恨まれたりすることはあります。対人距離を考慮して、距離にふさわしいつきあいができれば、それにこしたことはないです。アドラー心理学では、対人距離の遠近で、「仕事のタスク」と「交友のタスク」と「愛(家族と性)タスク」に3分してつきあい方を考えます。距離が近づくほどに、“協力関係(共同体感覚)”の必要性が高まります。「愛のタスク」の距離になると、生理レベルでの嫌悪が生じるでしょうから、一層、相手への理解と配慮が必要になります。そのことを「永続し、運命をともにする関係」と表現します。「どのレベルのタスクか」を明らかにすることで、人間関係のこじれも少なくなりそうです。「仕事」なら「仕事」と割り切れます。「友だち関係」なら、かなりお互いが譲歩し合わないとうまくつきあえません。「愛のタスク」を、野田先生は“向こうがこけたらこっちもこける”関係、とか、“うちかてアホやけど、あんたかてアホや”という関係だと、面白い表現をされていました。

引用して返信編集・削除(未編集)

学級会で子どもが変なルールを作ったら?

Q0339
 学級会で子どもたちにルール作りを任せると、実際困るような変なルールを作ってしまう。どうしたらいいか?

A0339
 学校では先生も発言権がある。先生の立場として、主張的に意見言葉で説明すればいい。民主的だからといって、先生がまったく引っ込んでしまっては子どもたちに任せてしまうのは、民主的ではなくて無政府状態(アナーキズム)です。先生が全部決めるのは独裁(ファシズム)です。先生も1人の仲間として、子どもたちよりも経験を積んでいて知識の多い仲間として、しかし対等な平等な関係で参加して自分の意見を堂々と述べる。万一否決されてしまえば、それは滅多にないが、それまでの先生との関係が非常に悪い。中学校等で先生との関係が権力闘争構造を取っていて、何がなんでも先生の意見に反対してやろうという雰囲気のクラスなら、それは起こるかもしれない。ルール作りは、良い人間関係がなければできない。良い人間関係ができているなら、先生の意見が否決されることはまあない。万一、否決されたら「自然の結末」に任せる。そうすると必ず具合の悪いことが起こり、改正の動きが出てくるでしょう。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル

24,子貢問いて曰く、君子も亦(ま)た悪(にく)むこと有りや。子曰く、悪むこと有り。人の悪を称する者を悪む。下流に居て上(かみ)を訕(そし)る者を悪む。勇にして礼なき者を悪む。果敢にして窒(ふさ)がる者を悪む。曰く、賜(し)も亦た悪むこと有るか。徼(かす)めて以て知と為す者を悪む。不孫(ふそん)にして以て勇と為す者を悪む。訐(あば)いて以て直と為す者を悪む。

 子貢がおたずねした。「君子でも憎悪がありますか?」。先生が言われた。「君子にも憎悪の感情はある。1)君子は他人の悪を言い立てる人を憎む。2)下位の者が上位の者を非難する人を憎む。3)勇気はあるが礼儀をわきまえない人を憎む。4)自己の主張を通し、頑固で他人の意見を入れない人を憎む」。先生がたずねられた。「子貢よ、お前にも憎悪があるのか?」。子貢がお答えした。「5)他人の意見を剽窃(ひょうせつ:自分のものにする)して知識人ぶっている人を憎みます。6)傲慢であることを勇気と勘違いしている人を憎みます。7)他人の秘密にしておきたいことを暴き立てて、正直であると勘違いしている人を憎みます」。

※浩→君子がどのようなときに憎悪の感情(義憤?)を感じるのかを、孔子と子貢との対話を通して知ることができます。孔子は、他人の短所や欠点ばかりを触れ回っているような小人を憎み、立場の違いを無視して上位の人物(君主)を誹謗する人物を憎み、礼節や謙譲をわきまえない自己中心的な無礼者を憎んでいたと考えることができます。
 自己点検をしてみましょうか。
1):人のことを悪く言いたくなったら自分はどうかをまず点検してみる。たいていの場合、言えなくなります。
2)非難か諫言か区別する。
3)これは親から厳しく躾けられました。自分はときどき「礼儀」に敏感になりすぎて“慇懃無礼”にもなりました。
4)これはK先生とのやりとりでかなり改善されたと思います。
5)これはしょっちゅうやっています。「講釈師、見てきたような嘘をつき」です。
6)これはアリストテレスの「中庸」でクリアしています。
7)メディアの過剰の報道にいつも憤慨しています。たとえ有名人であっても、もうちょっと「そっと」してあげればいいのに、と思っています。

引用して返信編集・削除(未編集)
合計773件 (投稿767, 返信6)

ロケットBBS

Page Top