Q0315
私はよく現実から逃げようとして時間を過ごしていることに気がつきました。不安や後悔や白昼夢に浸る時間が多いのすが、このような生活から抜け出す方法を教えてください。
A0315
現実と触れ合うチャンスを増やさないといけない。現代人はみんなそうです。
どうするか。1つは他の人と一緒にいること。お友だちを作ってお話したりすること。もう1つは体を動かすこと。体というのが現実と触れ合う道具なんです。スポーツするとか山登りするとかすると、現実感が戻ってくる。白昼夢なんか見ていられないから。だって、スイミングスクールへ行って、1500メートル泳ぎながら白昼夢見たり後悔したりできないでしょう。山登りしながら白昼夢見たら死にますよ。友だちを作るのが嫌いだったら、体を動かすことを何か始められたほうがいいと思う。僕は、今、興味あるんです。現実と触れ合うことに関して。
僕、よく山登りするんです。あるいは釣りに行ったりするんです。そのとき、世の中へ帰ると「こんなんじゃない」と思う。山の中で焚き火したりしながらお酒を呑んだりする。お酒を持って上がるクセがつきました。あれ良くないな。1800mまでお酒持って上がってへばった。すごく楽しくていい時間なんですが、「町へ帰ると現実が待っている」と誰かが言った。ちょっと待ってよ。町のほうが非現実で、山のほうが現実だと思った。どうしてかというと、人間は、山の中で焚き火するとか、海岸で釣りをするように設計されている。本来の設計思想は。神様が人間の設計図を描いたときには、ジャングルの端っこあたりで近くに海か川があって、そこで採集生活をして、魚なんか焼いて食べるような生活をすべしと僕たちを創ってくれた。体も心も基本的にはそんなふうに作られている。だから僕たちは山登りや釣りをしたがる。そこへ行くと、一番原始的な暮らしの中に身を置ける。本来の設計だから、ものすごく現実的です。心と体が一番ちゃんと働いている時間です。こっち側へ帰ってくると、文化装置、建物、電灯、クーラーとか自動車とかいう、荒々しい自然と僕たち弱い人間とを隔てて、僕たちを安全にするための鎧がいっぱいある。その中は保育器の中と一緒で、そこには現実なんかない。僕たちが作っている会社とか政府とか、心理学とか大学とか家とか自動車とか新幹線とかは、全部われわれを現実から遠ざけるための道具ですから、こっち側にいるとだんだんおかしくなる。本来の設計思想と全然違うところにいるから。
だから、現実的になって、変な白昼夢から変な不安からバイバイしようと思ったら、原始生活をちょっと立ち上げる。そしたらリフレッシュします。
「ブリガード」というプログラムを作ったんです。だいたいキャンプします。お遍路さんもする。お遍路さんも原始生活です。僕は仏教への興味より、むしろ歩き旅に興味がある。歩いて旅行するのは、電車とかバスとかで旅行するのと全然違うリアルティーがある。「こうやって旅行しないともったいない」と思う。ほんとにいいことが次々起こるから。それからほかに、キャンプや山登りのプログラムもある。僕は本来、体育会系でないから、「根性」、「頑張れ」でなく、できるだけ楽して楽しくやりたいと思う。山のてっぺんに1升瓶担ぎ上げるほど現実的ですから、禁欲的山登りしようとも思わない。ときどきリアルな世界に触れるチャンスを作ってください。(回答・野田俊作先生)
第17 陽貨篇
1,陽貨、孔子を見(まみ)んと欲す。孔子見えず。孔子に豚(いのこ)を帰(おく)る。孔子その亡きを時として往きてこれを拝す。諸(これ)に塗(みち)に遇(あ)う。孔子に謂いて曰く、来たれ。予(われ)爾(なんじ)と言(かた)らん。曰く、その宝を懐きてその邦を迷わす、仁と謂うべきか。曰く、不可。事に従うことを好みて亟(しばしば)時を失う、知と謂うべきか。曰く、不可なり。日月(じつげつ)逝(ゆ)く、歳(とし)我と与(とも)にせず。孔子曰く、諾(だく)。吾将(まさ)に仕えんとす。
陽貨が孔子に面会を申し込んだが、孔子は会わなかった。陽貨は子豚を進物として贈ったが、孔子は会いたくないので陽貨の留守をねらって返礼に出かけたが、途中で陽貨に出くわしてしまった。陽貨は孔子に重々しい調子で話しかけた。「さあ、私のもとに来なさい。私とともに語り合おう。あなたは宝石のような立派な才能を懐きながら、政治の地位につかず、国に混迷を与えいる。これを仁と言えるのか?」。孔子は答えて言われた。「仁とは言えない」。陽貨はさらにたずねた「好んで国事に奔走しつつ、しばしば好機を見過ごしている、これを知と言えるだろうか?」。孔子は答えた。「知とは言えない」。陽貨はすかさず言った。「月日はどんどん過ぎていき、歳月は、私を待ってはくれない」。孔子は答えた。「そのとおりです。私も近いうちにあなたにお仕えしましょう」。
※浩→陽貨(陽虎)は、魯国の家老・季氏の家臣でしたが、主人の季氏をもしのぐ権勢をを持ち、下剋上の代表として、応仁の乱の松永弾正的な人物であった、と、吉川孝次郎先生。孔子58歳のとき、ついに謀反を起こし、主人の季氏ばかりでなく、魯の皇室に対しても弓を引き、それに失敗すると、魯の皇室の重要な宝物である玉と弓を持ち出して、国外へ逃亡した。まだ謀反を起こす前に、この大悪人が、孔子を自分の家臣として召し抱えたいと会見を申し込んだのですが断られました。そこで一計を案じて、進物として子豚を届けました。大夫から士に進物を贈ると、士はその家に出向いて答礼をしなければならないという風習があることを利用して、面会に応じない孔子に、無理にでも会おうとして、陽貨がこの計画を立てたのです。孔子もまた相手の策略を逆用して、陽貨の留守をねらって、答礼に出かけようとして、途中で運悪く陽貨に出会ってしまいました。陰謀家の陽貨は、留守の噂を流して孔子をおびき寄せたのかもしれません。陽貨は忠節・義理の徳に背いた計算高い政治家ではありましたが、知略と武勇に優れた英傑でもあり、さしもの孔子も陽貨からの直々の申し出を厳しくはねつけることはできなかったのでしょう。主君への忠義を重視する孔子でしたが、陽貨の類稀な為政者としての才覚については認めていたという説もあるそうです。目下の孔子に向かって陽貨のほうから話しかけています。ここからは貝塚先生の解釈が面白いです。この陽貨の話しかけは、孔子一門において師匠が弟子に物語りする形式を使っています。さすが一世の政治家らしい機転の利かせ方で、孔子はすっかりあっけに取られてしまったのでしょう。結局、切り返すどころが、「いずれ時を見て仕官する」みたいなことを言ってしまいました。実際には仕官することはなかったそうです。
有能な人材を採用しようとするときのヒントになりそうです。孔子ほどの人格者で高名な人が、こういう対処をしていたことに、むしろ驚きと親近感を覚えます。私は、以前、ある高校でスクールカウンセラーを務めていましたが、相棒が他校へ転勤したことで、1人になったため、年度が替わって間もなく、5月くらいに管理職に辞意を表明しました。当然引き留められましたが、こちらの辞意は固く、粘りましたが、ふと、その管理職の前任校に筆者のかつての同僚が校長になっていていろいろ世話になったと聞いて、そのかつての同僚への懐かしさが助けて、任を継続することにしました。それでも、結局その年度中は持たないで、秋ごろには辞めました。現在はというと、10月に一旦現職を辞して、1回だけ出勤しないでいました。やがて校長から復帰を求められ、私を必要とされる熱意溢れる先生方の支持もあって、その月末に復帰しました。私が不満を抱いた事態はほとんど未解決のままですが、やはり私を必要とされる方々を無視できなくて、勤務を継続しています。この年度末にまた「継続か辞任か」の選択をすることになりそうです。
Q0314
「これでいいのだ」というものをつかむにはどうすればいいでしょうか?
A0314
そういうふうにするんです。思い上がって暮らすんです。
それから、自己勇気づけです。自分を勇気づけるときには思いきりほめるんです。「偉い!」「頑張った」「天才かも」と、普通は絶対に他人に対して使ってはいけない言葉をいっぱい自分に向かって使うんです。なぜなら、自分と自分との間には縦関係は作れないから。どんなにほめ言葉を使っても大丈夫ですから、思いきりほめる。「何て僕は賢いんだろう」「すごく頑張ったな」と、いつも心密かに思うんです。誰にも迷惑はかからないから。密かに思ってフフフと笑っていたら。思い上がって暮らすこと。(回答・野田俊作先生)
14,邦君(ほうくん)の妻、君これを称して夫人(ふじん)と曰う。夫人自ら称して小童(しょうどう)と曰う。邦人これを称して君夫人(くんふじん)と曰う。異邦に称して寡小君(かしょうくん)と曰う。異邦の人これを称して亦(ま)た君夫人と曰う。
一国の君主の妻のことは、君主がこれを呼んで「夫人」と言う。夫人が自分を称して「小童」と言う。国民が夫人を称して「君夫人」と言い、外国に向かって言うときには「寡小君」と言う。外国人が夫人を呼ぶときにはやはり「君夫人」と言う。
※浩→「邦君」は諸侯、「妻」はその正妻。その女性を君主が呼ぶときには「夫人」と言う。仮に「奥方」と訳せば、妻その人に向かっても「奥方」と呼び、他人に対しても「奥方がこう言う、こうする、こう考える」と言う。またその女性が自分自身の一人称としては、つまらぬ子どもを意味する「小童」を用いる。国民は彼女を「君夫人」、「殿の奥方」と呼ぶ。ただし、それは同国人相互の会話で、外国人に対しては「寡少君」、「うちのつたない副君主」と言う。逆に外国人がこちらの国の奥方を呼ぶ場合、これはまた「君夫人」「殿の奥方」と呼ぶ。
1人の人物が、場合場合によって、いかなる呼び方をされ、またするかは、今の日本語でも、お父上、お父さん、父、と、場合によって呼び方を替えます。
『論語』の中に突然孤立してこういうことが抱えているのは、奇異の感がする、と吉川先生は述べられています。おそらく、この篇の最後のことでもあり、他の書物の竹簡の簡の破れた頁が、ここに間違って綴じ合わされたのだろう、と、こういう解釈が面白いです。日本語は一人称も二人称も多種の呼び方があります。三人称は少ないですか。「彼」「彼女」「あの人」「あいつ」「彼ら」「彼女ら」「あれ」「あれら」、と、単数複数合わせてこれくらいでしょうか。英語は、一人称単数はI、二人称単数はyou、三人称単数はit、複数はthey。フランス語は、一人称はJe、二人称はvouとtu、三人称はilとelle。あとは知りません。おっと、中国語がありました。一人称単数は、「wo3我」、二人称単数は「ni3你 」、三人称単数は「ta1他」「ta1她」「ta1它」です。
日本の親族名称は、家族の最年少からの呼び方で呼ぶのが普通です。例えば、1人の女性の場合、独身時代は、「~ちゃん」から「~さん」と呼ばれ、結婚して子どもができるまでは配偶者からたぶん名前で呼ばれたのでしょう。まさかいきなり「おい!」はないでしょう。子どもができたら、子どもが「お母さん」と呼ぶのは当たり前ですが、不思議なことに夫からも「お母さん」と呼ばれるようになります。そして、孫ができると、孫からは当然「おばあちゃん」と呼ばれますが、夫からも「ばあさん」と呼ばれます。こういう呼び方は子育てをする上で望ましくない、と、野田先生もおっしゃいました。家族の主役は夫婦であるのが健全なのだそうです。日本では夫婦よりも「親子関係」が柱になっているようで、子育てにとっては具合が悪いのです。やはり、夫婦は互いの名前で呼び合うのが好都合でしょう。子どもというのは、その一家にとっては、親離れして独立していくまでの“同居人”だと考えたほうがいいのだそうです。夫婦は、子どもたちが独立すると、やがて2人きりの新婚時代に戻ることになります。もしも、夫婦の絆よりも親子の絆のほうを優先していたら、それが切れたとき、家にはまるで“見知らぬ男女”が同居しているような淋しい空気が漂っているでしょう。現実として、子育てには甚大なエネルギーを費やしますが、子どもが思春期になったころから、そろそろ親子よりも夫婦のほうにエネルギーを振り向けていくことを考えて実践していくほうが、老後の夫婦にとってしあわせな暮らし方ではないでしょうか。と、全部、野田先生の受け売りでした。
「季子篇」はこれでおしまい。次回からは「陽貨篇」です。
Q0313
親がどうあるべきか迷っています。どうしたらいいのでしょうか?
A0313
あるがままにあればよい。働き者の親は働き者の親、怠け者の親は怠け者の親、明るい親は明るい親、暗い親は暗い親で、自分以外の人に変われないじゃないですか。親だからどうこうしようと私はあまり思わない。
そもそもアドラー心理学は、「親」のあり方を教えていない。「人間」のあり方を教えている。「子どもと親子関係を」と、言葉としてはそう言っているけど、親子関係を問題にしているんじゃなくて、人間の仲間として一緒に暮らせるようになってほしいと思っている。だから、「親として」という発想はやめたほうがいい。
人間としてどうあるべきか。そんなん、あるがまましかしょうがないじゃない。自分の持っているものを、何を持っているか何を持っていないかを問題にするんじゃなくて、持っている力を発見して、その持っている力を有効に使う練習をしなきゃいけない。
私、持っていないものがたくさんあります。例えば、器用じゃない。わりと不器用で、細かい仕事なんかさせるとペケ。だから、なるべくそういうのは遠ざかって暮らすことにしている。誰かに頼って暮らします。それから計算がダメ。おそろしくダメ。絶対に窓口でお金を受け取らない。わけがわからなくなる。電卓なんかでピッピッとやったら、5回に2回は同じ答えで、3回くらいは違う。きっとこの2回だろうと思って書いておいたら、誰かがあとで検算して、その2回も間違っていたりする。まったく計算はダメ。そのダメなものを何とかしようとしてもそれはできるかもしれないけど、非能率でしょう。それよりも自分の持っている力を伸ばすほうがずっと簡単だし楽しいし、他の人の役に立つと思う。スーパーマンになろうと思わないで、自分がすでに持っているプラスの性質を見つけ出して、それを伸ばしてください。(回答・野田俊作先生)