15,子曰く、躬(み)自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる。
先生が言われた。「自分自身について厳しく責め、他人はあまり深く責めなければ、他人の恨みは自然に遠ざかっていく」。
※浩→「自己に厳しく・他人に優しく」という常識的な処世術について述べています。「厚」を「徳を厚くする」と読む説もあるそうですが、吉川・貝塚両先生は、これを採用されません。後半に「責」に結びつけて、「厚く自らの責任を意識して、厚く自ら反省する」と読まれます。そうすると、他人から無用な恨みや怒りを買わないと、具体的な結末まで示されて、実行しやすい教訓だと思います。ただ、自分に過度に厳しすぎると、現代では「鬱」になる可能性もありますから、少しだけ緩めて、「自己には厳しめに、他人に優しめに」と「め」を入れて、ソフトにすれば実行しやすくなると私は思います。
有名なコミックの『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の壁に両津勘吉(両さん)が「厳しく罵れ他人の失敗、笑ってごまかせ自分の失敗」というポスターが貼ってあります。これは愛嬌はありますが、実行するとトラブル続出になるでしょう。大スター石原裕次郎さんの好きだったフレーズは、確か、「人にしてやったことは水のように流せ、人からやってもらったことは岩のように留めよ」でしたか。心理療法に「内観法」というのがあります。これは、かつて国分康孝先生から教わり、実際に先生が主催された「構成法エンカウンター」に参加して私自身も体験しました。劇的な効果がありました。ちょうど手もとに、國分先生の著書『カウンセリングの理論』(誠信書房)がありますので、そこから引用します。↓
これは浄土真宗に伝わる「見調べ」という求道法から宗教的色彩を取り除いて、誰にでもできるように修正発展させたもので、吉本伊信の創始による。吉本伊信はこれをゲシュタルト療法の枠組みでとらえているわけではない。私が理論的にはゲシュタルト療法で説明がつくと思ったので、本章に取り入れたまでである。
今までの人生で深い関わりを持った人(母、父、師、先輩、上司、配偶者など)を1人1人思い出し、その人に「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3点を連想する方法である。今まで自分の母ほど冷淡な女はいない(「図)と思い込んでいた人が、母が着物を質入れして修学旅行の費用を作ってくれたことを思い出し(「地」が「図」になる)、いかに自分が愛を受けていたかということに感謝し、今までの自分のあり方を懺悔するようになる。そして何回も内観を繰り返していると、修学旅行の朝早く母が作ってくれたおにぎりの香りまで思い出し、そのときには当たり前に思っていたおにぎりの香が、20数年後の今、生き生きとよみがえってきて、その朝の母の気持ち、自分のイソイソとした気持ちを再体験するのである。それは昔の思い出以上のものである。そのときは「地」であった感情がおそまきながら「図」になって、その「図」を実感をもって味わうようになる。ゲシュタルト療法ふうに言えば、そのときの本当の自分にコンタクトできたということになる。
ゲシュタルト療法が出たついでに、その創始者フリッツ・パールズが作った「ゲシュタルトの祈り」というのがあります。人のことばかり気にして煮え切らない人、ノーと言えない人、ベタベタしている人に、喝を入れたくなると、國分先生はこれをよく利用されたそうです。↓
ゲシュタルトの祈り
われはわがことをなさん
汝は汝のことをなせ
わが生くるは
汝の期待にそわんがためにあらず
汝もまた
われの期待にそわんとて生くるにあらず
汝は汝、われはわれなり
されど、われらの心
たまたまふれあうことあらば
それにこしたことなし
もし心通わざれば
それもせんかたなし
Q0281
アドラーは年をとってからアメリカで話をしたそうですが、英語をマスターして皆の前で英語で話をしたのでしょうか?
A0281
英語を一応しゃべったそうです。英語の講演を聞いたことのある人が言っていた。そんなに上手じゃなかったそうです。講演録で残っている本は、『人生の意味の心理学』とか、『アドラー心理学講義』です。『アドラー心理学講義』は、初めから英文のが残っている。あれは英語でしゃべったのではなくて、ドイツ語でしゃべった講演録をアメリカ人かイギリス人が翻訳したものです。
ただ、オープンカウンセリングの記録は残っている。『アドレリアン』のごく初期に号にいくつか載っている。母親と子どものカウンセリングの記録が残っている。それは英語でやっています。(回答・野田俊作先生)
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