Q
午前中はお話ありがとうございました。質問ですが、アドラー心理学は40年ごとに変化すると前におっしゃっていました。アドラー心理学といっても「古典的アドラー心理学」と「現代アドラー心理学」と表現が違うこともあります。シャルマンやドライカースなどの人物像も出てきます。アドラー心理学の中での流れの変化や時代背景を参考にしたい。有名な人が強調したことを教えてください。またアドラーニュースに、1990年代に入って新しい動きがあって、コミュニケーションに焦点を当てた新しいアドラー心理学が書いてありますが、そのことについてもどうしてそんな変化があるのか教えてください。
A
そんなん、アドラー心理学史をやったらこんな時間でしゃべられへんで。90年代に入ってアドラー心理学の方向がというかトピックが変わったのは、心理学全体のトピックが変わったからです。臨床心理学の中にありますのでね、アドラー心理学も。大きな臨床心理学の流れの中でみんな研究をしています。例えば私だって心理臨床学会というカウンセラーさんたちの学会にも入っているし、精神科医の学会にも入っているわけで、そっち側の情報だってしょっちゅう入ってくるわけだから、そっち側からの影響は絶えずあります。臨床心理学全体がいろんな意味で新しい考え方に変わったんです。なんで変わったかというのは、もの凄い複合的な要因があるので、あまりちゃんと言えないけど、1つはアメリカの家族の構造が変わった。一夫一妻制で離婚せずに子どもをちゃんと育てるというやり方から、どんどん離婚して、子どもが何人もの夫の子どもが同居するというような状況があったりする。それから社会の根本的な方向性がベトナム戦争の前みたいに楽観的じゃなくなった。このまま行けば世界は、きっと幸せな明るい世界が来るだろうと思えない節がある。それが社会科学・人文科学全体にいろんな影響を及ぼしています。そんなのを心理学も受けるんですよ。それで90年代から話題が心理学がコミュニケーション、家族コミュニケーションとかを扱う方向へ変わりました。詳しいことはあんまりめんどくさいからこんなとこでお話しできません、とても専門的なお話なので。
Q
生まれつき幸せな家族に恵まれた人と、いろいろ困ったことを次々と起こす家族を持っている人とがいると思うんです(そうかねえ?)。私は後者ですが、とても重いものを抱えてしんどい思いをしています。どのように考えて暮らせばいいのでしょうか?少しでも気が軽くなる考え方がありますか?
A
軽くなるかどうかは知らないけど、生まれつき幸せな家族はないんです。生まれつき次々と問題を起こす家族もないんです。それはみんなで作っているんですよ。家族全員が協力して明るい家族とか、協力して暗い家族とかみんなでこしらえあげているわけ。協力の中には当然私も入っているわけですよ。で、私のパートはたぶんかなり大きいですよ。こんなところへ来て質問しようとする人は業が深いから、暗い家族を作ることに対する寄与率が大きいと思う。だから自分のあり方が変わればきっと変わるはずなんです。私がもし鬼婆だったら、まわりの人はきっと私が鬼婆だと思ってつきあっているから、私の鬼婆性が出るように出るように挑発しているんですよ。挑発に乗っている限り変わらないので、挑発に乗らないで。これもある日みんなが寝ている間に夜中に魔法使いが現れて、私はとても良い人に変わってしまっていたのだが、朝起きたときはそれに気がついていない。いつものように子どもが私を挑発して、私は怒ろうと思ったがなかなかそうはいかない。魔法がかかっているから。では何をするかをしばらく考えてください。
Q
アドラー心理学を習ったあと何年たっても、ムカッと怒ったあとでまた後悔するのが治らないのは、どのようにしたらいいか方法を教えてください。
A
それは、ムカッと怒ったあとで後悔しようと決めているからだ。そのルートを完全に決めている。「私は、私が怒るわけじゃないんだ。性格が怒らせるんだ」とか何とか言って、ムカッと怒る。ムカッと怒ったあとで、「私はこのままで済ますような悪い人じゃないわ。ほら、こんなに反省しているから」というふうに決めているからで、「ムカッとしないであと後悔もしない私になろう」とまず強く願ってくださいよ。怒らない私だったら、こう考えるんです。ある日、夜寝ている間に魔法使いが現れて魔法をかけてくれるんです。朝起きたら、怒らない私に変わっているんです。まだ怒らない私であることに気がついてないんですが、でも怒らない私なんです。それで子どもが何か悪いことをします。そのとき、いつもなら怒っているけど、今日は怒らない私なんです。怒らない私ならどうする?何をしますか?子どもがご飯を食べこぼすんです。前は「何すんの!」と言ったけど、今はなぜか怒ろうと思っても怒れないんです。怒らない私に変わっているから。でも何にもしないわけにはいかないでしょう。で、「ちょっと拾ってね」とか言うとかいうことをするんです。それをたくさんイメージするんです。そうすると感情を使わないで解決するレパートリーがたくさんできている。しばらくそんなイメージしていると、次に実際起こったときに無意識的にイメージしたどれかを選びますから、怒らないですむようになるでしょう。信じてください、「自分は怒らない人に変わるんだ」って。
Q
「開いた質問」と「閉じた質問」の組み合わせ方がよくわかりません。また「閉じた質問」でいくつか候補を提示するとき、1つは面白いユーモアのあるものというのは、どういう狙いですか?
A
パセージで教えているのは「開いた質問でお稽古してください」だけなんです。なんでかというと、人間は不器用だからそんなにたくさんのワザを覚えられないから。空手と柔道と剣道といっぺんに習うとどれも中途半端になるから、とにかくどれか1個上手になっておけばいけるだろうというので、もっぱら「開いた質問」で行こうやと思っています。それでアカンときはまたその都度相談に乗ろうと思います。
Q
4歳2か月男児。言語の発達は年齢以上。運動神経もなかなかのものですが、気になるのはピストルとか鉄砲に興味があり、棒でもすぐにそれに変身させて、バンバンと撃つ真似をしたり切りつける真似をします。また「ころしてやる」と向かってきたりします。穏やかでないので気になりますが、放っておいていいものでしょうか?一時的なものでしょうか?テレビは好んでバンバンやるものを観ています。
A
中島(弘徳)君のカウンセリングを受けたらどうでしょうか。彼の家のベランダには二十ミリ機関砲があるとかないとか。もの凄いガンマニアなんですよ。大丈夫ですよ、それでちゃんと大人になりますから。そんなの1つ1つ心配しなくていいと思うし、アドラーも言っています。そういう力・パワーに関心のあるということと、それでヤクザになるとか犯罪者になるとかは関係がない。関係があるのは、「私は能力がある。人々は仲間だ」と思っているか思っていないかが関係があるんです。力に関心があって、「私はひとりで生活のできない無能力者だ」とか「みんなは敵だ」と思えばヤクザになります。力に関心があって、「私はちゃんと社会生活ができる能力がある」とか「みんなは仲間だ」と思えば、例えばお巡りさんになります。大事なのは「能力がある」とか「親は仲間だ」と思っていることです。