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勉強嫌いでやる気のない中1女子への声かけは?

Q
 中学1年生の女の子ですが、勉強嫌いでやる気がない。このような子への声のかけ方や対処の仕方を教えてください。

A
 勉強が嫌いだとか、やる気がないこととかを、まず「悪いことだ」と決めてかかっているでしょう。勉強好きを良いことだと頭の中で理想を描いて、そこから出発して、今とは違う子どもに改造しようという計画で動くと、絶対に失敗します。
 これは小学校の時代、いわゆる児童期の子どもに対しては、なまじっか成功するんです。で、思春期になると100パーセント失敗します。どうしてか少し説明しましょう。
 例えば、勉強嫌いとか、やる気がないとか、1つの行動をとってみても、何か原因があってそうしているんではないんです。何か勉強嫌いの目的があるんです。人間の行動というのは目的を持っていて、しかも、その目的は、主に他の人との関係の中で、他の人に何かをさせるための目的です。勉強嫌いの目的というのは、いろいろあるでしょうね。親向けの目的もあります。教師に対してもあるでしょう。
 親向けの目的は何か。誰に対しても結局はそうなんだけど、目的は4つあります。
 1つ目は、注目・関心を引く。2つ目は、権力争いをする。3つ目は、復讐をする。もう1つは、無能力を装って自分のことを諦めてもらうという目的。
 上ほど軽くて、下ほど重いです。普通はこの順番で悪化します。
 ところで、勉強しないという1つの行動からは、今その子どもがどの目的で動いているかはわからないです。どの目的でも、勉強をしないとか、やる気がないとか、ダラダラ暮らすということになります。つまり、注目・関心を引くためにダラダラとしている子もいますし、親と喧嘩する手段として、ダラダラとする子もいます。親に復讐して、親をイヤがらせる手段として、ダラダラとする子もいます。それから、僕はもう駄目だから、見捨ててくれという目的で、ダラダラする子もいます。
 では、どうやったらわかるか。親が抱く感情でわかります。例えば、子どもが注目・関心を引こうとしているのであれば、親は子どもに注目せざるをえなくなります。その結果、親はどんな感情を持つかというと、ある種のイライラした感情を持ちます。ずっとその子が気になって、うるさくてしょうがないという感じです。でも、腹は立たない。腹を立てられると困るんです。この注目・関心を引くという段階にいる子は、気にはしてほしいけれど、腹は立ててほしくない。だから、親を本気で怒らせるようには動かないです。ただ、「気になってしょうがない」というふうに動くんです。だから、親が子どものことが気になってしょうがないけれども、腹は立たないというんだったら、第1段階です。
 第2段階になったら、親をできるだけ怒らせるように、喧嘩になるように動く。だから、子どもに対して腹が立って腹が立ってしょうがないんだったら、子どもは権力争いを仕掛けてきているんです。
 第3段階は、権力闘争に負けたときです。親が子どもに勝ってしまい、子どもを押さえ込んだとき。そのとき子どもは復讐を始めます。復讐は、陰惨な悲惨なテロ行為ですから、親は怒ったり腹が立ったりするというよりも、傷つきます。とても暗くなって、傷ついて、憂鬱になって、落ち込んでしまう。「どうしてあの子はこんなにひどいことをするんだろう」と思う。子どもがグズグズしていることによって、親がひどく傷ついてしまうわけです。
 無能力を装うというのは、「もう私を見捨ててくれ」ということです。私を見捨ててという段階になっている子どもだったら、親のほうは完全に絶望してしまって、どうしていいのかわからなくて、まったく途方に暮れてしまいます。
 こういうふうに親の側の感情でわかります。それで、このお母さんの子は、お母さんがこんなふうに質問してくることからみても、たぶん第1段階でしょう。子どもは、しっかり勉強をしていて、生き生きとしていれば、お母さんは安心してしまって、自分とつきあってくれないと、きっと思っています。他にきょうだいがいたりすると、余計にそうですね。他のきょうだいとのつきあいを濃くして、私とのつきあいを薄くする。ところが、勉強をしないで無気力そうにしていると、お母さんは私のことを心配して、私のことを注目してくれます。だから、グズグズしていようと子どもは決心する。
 そうすると、どんな対策を立てればいいか。こういう問題のある行動に注目して、そのことを気にしている限り、その子はそういうふうにふるまい続けます。だから、そのことを気にしないようにすることが1つです。
 もう1つは、ちゃんとやっていることや、きちんとしてくれていることに注目します。ということは、たまたまこの子が勉強しているときというのも、注目すればいいですが、勉強以外のことでもちゃんとやっていることに注目したいです。いっぱいあるはずです。きょうだいの面倒を見てくれているとか、お風呂のお湯を入れてくれているとか、お手伝いしてくれているとか、たくさんあるけど、これらはお母さんにとってそんなに大事なことではなくて、勉強することが大事なことだと思っちゃっているから、そっちばっかり注目する。
 そうではなくて、その子の、家族に対する建設的・貢献的なことや、その子自身にとって建設的なこと、あるいは社会にとって建設的な行いを見て、それを勇気づけてほしい。つまり、「親自身が子どもと暮らすことの喜び」を取り戻してほしいんです。子どもがちゃんと元気に生きていることとか、友だちと遊んでいることとか、テレビを見たあとそのテレビの話をしてくれることとか、ご飯を食べてくれることとか、そういうことに喜ぶ素直な親になってほしい。勉強したときだけ喜ぶような、そんなひねくれた親をやめてほしい。
 だから、「勉強しなさい」と声をかけている限り、このゲームのルールは変わらない。注目・関心を引きたい子に注目している限り、永久にこれは続きます。「勉強嫌い、やる気がない子への対処や声のかけ方は何か」という質問への答えは、「対処・声かけをしない」ということです。このことに関してはね。違うところで対処・声かけをして、しかもそれは勉強嫌いややる気がないのを直すためではないんです。この子が、この子の本来の能力を最もちゃんと伸ばすため。それが勉強なのか、友だちづきあいなのか、手先の器用さなのか、心の優しさなのか、それは知らないけれど、勉強ができない自分は親にもうかまってもらえないと思っている状態からは抜け出せるだろう。(回答・野田俊作先生)

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高1女子、夜遊び&外泊

Q 子どもは高校1年の女の子です。ただいま休学中ですが、夜遊び外泊を繰り返します。
  ↓
http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-6-06.html

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殴られて目が覚めたという生徒

Q
 ある教師が、問題行動を起こした生徒をよく殴って指導します。それで生徒はその先生を嫌うかというとそうでもなく、「殴られて目が覚めました」などと心から反省しているみたいなのです。体罰はいけないと思うんですが、その先生を見ていると、やり方しだいでは時には必要なのかなとも思うのですがどうでしょうか?

A
 それは違います。殴られた彼は結局何を学んだか?彼はきっと、「今後問題があったら殴って解決しよう」と決意したでしょう。そこが問題です。暴力で問題を解決しようということを学んだことが問題なんです。そうやって人間は暴力的になっていく。殴られたことで立ち直ったような人が、将来サダム・フセインやブッシュ大統領のように戦争をするんです。(今はプーチン大統領やメタニヤフ首相もでしょう。)
 学校の先生の中にも、きっと殴られて立ち直った人が多いのかもしれない。そして、きっとその教師たちは猛烈に殴るんでしょう。殴られて育った人は、絶対にそれでなければならないと強く思っているから、他のやり方を知らないんです。恐いんです、それ以外のやり方が。人間は知らないものを恐がるからね。
 殴られて、腹を立てる子は安全です。反発してくれるほうがいいです。しかし、反面、反省する子もいるんですよねえ。それがむしろ問題です。(回答・野田俊作先生)

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中学校で盗難事件

Q 
 中学校のことですが、去年あるクラスで全員のお金と物が盗まれるということがありました。…
A
 おおっ、すごい才能のある怪盗ですな。
Q
 そのとき担任は、「それぞれなくなったものを紙に書いて提出しなさい。しかし、結果としてなくなった物は出てこないでしょう。悪い夢を見たと思って諦めてください」と言いました。…
A
 すごい担任ですねぇ。
Q
 今年になって、また集金袋ごと大金が盗まれるという事件が起き、生徒の中で「3年生の誰それがやりました」と訴える者もいたそうです。……
A
 おおっ、とうとう密告者まで現れましたか。
Q
 担任は、「じゃあ聞いてくる」と言い、その後、「やっぱり知らないそうだ」と言いました。さらに最近も、制服や靴が盗まれるということがありました。いつも「夢と思って諦めなさい」で終わっていますが、親ができること、学校ができること、子どもたちができることについてアドバイスください。

A
 これは親のほうの相談なのかな?親の相談なのか、教師の相談なのかで、まったく話は違ってきます。
 親からの相談であれば、「誰の課題がどこにあるか」です。まず、自分の子どもはこのことについて親にどんな相談を持ちかけているのでしょうか。もしも、「学校でお金を盗られちゃったんだ」と子どもが訴えるとします。それだと、「ええ?盗られちゃったの?」と聞く。それから、「……で?」「えっ?お金を盗られちゃったんだよ」「ああ、盗られちゃったんだね」「……で?」「だから……」「だから?」「だから、盗られちゃったから、もう少しお小遣いを追加してください」。
 もしもそう言えば、その相談には乗れるかもしれないし、乗れないかもしれない。だいたい、子どもが「学校でお金を盗られちゃった」と言うと、親は、即、動き出すでしょう。これはいけない。「犯人を摘発し、厳重に処罰しなければいけない」と言うけど、これは親の仕事ではないんです。この場合の親の仕事は、自分の子どもの相談に乗ることでしょう。「冷たい言い方だけど、盗られるほうもトンマだよね。じゃあ、盗られないようにするためにはどんな工夫をすることができるかね」って子どもと話し合うこともできる。だから、この質問が親の相談だったらそれで終わりです。自分の子どもと十分に話し合い相談し合って、子どもが親に対してしてほしいと思っていることをよく理解し、それが親にとって、やってあげてもいいと思うことであれば、してあげればいい。それ以上のことには手を出さないことです。
 もしも教師の相談で、自分のクラスによく盗難事件が起きるということであれば、これはまったく話は別です。これはクラス全体の問題ですから、クラス全体で話し合わなければなりません。「盗難事件が起きるけれど、それに対してどうすればいいか」。ものすごくはっきり犯人がわかっているときは、その子が泥棒なんかをしなくても暮らしていけるように援助するために、話し合います。犯人をはっきりさせるということは、その犯人に更生するチャンスを与えて、僕らが援助を提供できるようにするためです。ただ、学校の援助力を超えているような場合、本格的な犯罪予備軍で学校の力ではどうしようもないというときは、学校では諦めて、その道の専門家にお任せしなければどうしようもないということもありますが。この程度の被害であれば、学校内で何とかなると思います。
 犯人がわからない場合。これは、犯人捜しなんかやめたほうがいいと思います。子どもたちどうしの関係をとても悪くしますから。このときは、「どうすれば被害を防ぐことができるか」ということ、もしもその犯人が誰かわかったときに、「どうやってその子と、もう1回友だちになれるか」という2つのことが、話し合いの話題になります。「その子はみんなと友だちになれなくて、みんなといい関係でいられないから、こうやって事件を起こすことで、みんなと悪い関係を持とうとしているに違いないから、だからその人が誰だとわかるときに、みんなはいったいどんなふうにしてその子を援助することができるか」ということを話し合ってほしい。教師ができる援助はこれなんです。(回答・野田俊作先生)

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ルールに罰を入れるのは?

Q
 クラスのルールの中に、「これを守らなかった場合○○という罰を与える」というルールを作ってもよいそうですが、そんなことをしたら体罰にならないですか?
 例えば、「チャイムの合図を守らなかったら教室に入れない」というようなルールは良くないような気がするのです。どういうルールなら教育的なんでしょうか?

A
 あのね、ルールの中に罰を作ることはいいことではありません。ですから、本当は罰なしのルールがいいんです。
 罰なしのルールでやっていって、どうしても守れないということが起こってくる場合があります。例えば、「教室の扉を壊さない」とか、「チャイムの合図で教室に入る」とかのルールの場合です。「チャイムの合図で教室に入る」というルールの場合、それ以前に「これがルールになりうるのだろうか、このルールの合理性は何だろうか」ということがちょっとばかり気になります。
 チャイムが鳴っても教室に入らない子どもがいたとするね。そのときに、その入らないという行為の結末は、誰の身にどのようにふりかかってくるのか。まず、その子どもの身にふりかかってきますね。勉強が遅れるかもしれませんから。教師はチャイムが鳴ったら授業を始めるという態勢でいたほうがいいです。たとえ全員集まっていなくても。みんなが来るのを待つことはないから。そういう前提での話です。1人も入っていなかったとしても、空っぽの教室で授業を始めるくらいの迫力があったほうがいい。私はそうです。私は時間になったら講義を始めることにしていますので、誰も来ていなくても始めてしまうんです。
 だから遅れるということで、その結末は本人にだけふりかかるようにしなければいけないと思います。とすれば、このことはそもそもクラス共同体の課題になりうるのだろうか。クラス全体の共同の課題になれないようなものをルールにできるかというと、これはできないんです。だから、「チャイムの合図を守ろう」ということはルールにならないんです。キャンペーンはできるけど。ルールとキャンペーンは違うんです。「チャイムが鳴ったら教室に入ろうね」というポスターを作って、壁に貼っておくことくらいはできるけど、まぁ、あんまり役には立たないと思いますがね。
 ルールにできることというのは、全員に関わること。例えば、「窓ガラスを割らない」とか。窓ガラスを割ったら、全員が困る。冬の寒いときに割れた窓ガラスは困りますよ。「教室の道具を壊さないこと」。机を壊されたら困りますからね。これはルールにできます。
 僕が、今の学校を批判している理由の1つは、ルールにできないことをルールにしているということです。そもそもルールとしてなじまないものをルールにしようとしている。これはいけない。
 話を元に戻して、「教室の窓ガラスを壊さない」というルールが決まったとしますね。にもかかわらず、誰かが壊してしまった。ではどうするか。
 その場合にペナルティを決めることができます。そのペナルティは、行為そのものと関係があることが条件です。例えば、弁償して責任を取ってもらうこと。あるいは自分でガラスを買ってきて自分で修理すること。そういうふうに、そのルールと論理的に関係のあるペナルティであるならば決めることができる。普通は、論理的に関係のないペナルティを決めることが多いんです。ぶん殴るとかね、のけ者にするとかね、それらは教育的ではないです。(回答・野田俊作先生)

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