MENU
85,433

素朴に素直になるには?

Q
 素朴になるため、素直になるために、どういう行動を積み重ねたらいいでしょうか?

A
 こんなことを考えている限り、きっと素直にはなれませんねぇ。僕たち精神科医が一番手こずる患者さんは、対人恐怖症の患者さんで、自分の顔つきが不自然だとか、目つきが不自然なので、何とか自然にしたいと思って来る人です。「私は顔つきが不自然なのでみんなに嫌われます。先生、どうしたら自然な顔つきになるのでしょうか」と言う。
 自然な顔をしようと努力すればするほど不自然になるんです。努力をやめさえすれば自然になります。でも、その人は自然になるためにあらゆる努力をするんです。で、ますます何が自然だかわからなくなる。これは、それと一緒です。
 素直に生きたいとか、素朴に生きたいとかという努力をしたらいけないんです。まず、「人間関係の正しい知識」を身につけることが必要だと思います。それから、急がないこと。それが醸し出されなくてはいけない。人から聞いた知識が頭に詰まっているという段階では、まだもうひとつなんです。
 例えば、アドラー心理学を学んだら、その学んだ知識が少しずつ時間をかけて体に染みついていくでしょう。その間は焦らないでくださいね。「できない、できない」と自分を責めないでいると、自然にできてくるんです。体に染みついてしまったら、それが自然になります。それには時間がかかる。何年もかかる。それはそれでOKです。心が自然にそのように動くようになるまで、ただボーッと待つことですね。
 禅の講話ですが、あるお弟子さんが悟りを開いたんです。それでお師匠さんに、「ついに悟りました。もう私は悟りましたので弟子を取って教えていいですか?」と言った。「ちょっとそれは早かろう。あなたが悟ったとしても、まだ人に教える力はないだろう。だから10年間まだ修行しなさい。そうすれば弟子をとって教えてもいいだろう」とお師匠さんが言った。すると、その弟子は10年間指折り数えて待っていた。早く自分も弟子を取って教えたくてしょうがない。ついに10年がたち、お師匠さんのところへ飛んで行って、「10年がたちました。もう教えていいでしょうか?」と聞いた。するとそのお師匠さんは、「君は今、下駄を玄関の右に脱いだか、左に脱いだか?」と聞いた。そのお弟子さんは覚えていないんです。10年を指折り数えて待つことばかりをして、普段の生活を全部忘れてしまっている。だから、悟ったこともいつの間にか全部ご破算になってしまった。10年間を数えないで焦らないでいたならば、きっと身についたと思う。
 知識を持つと早く人に教えたくてしょうがなくなるんですが、そういうことはやめましょう。自分の中でそれが醸し出されて、良い味になってくるのを待ちましょう。私(野田)が言ったことや書いたことを、そのままオウムさんみたいに、テープレコーダーみたいに言うのではなくて、自分の言葉になって自然に出るようになるのを待ちましょう。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

帰国子女の中1男子が無気力

Q 
 友だちの子どものことです。中1の男の子が無気力で、母親が「勉強しなさい」としつこく毎日言っていますが、ただ机の前で鉛筆を持ってずっと座っているばかりです……。
A
 瞑想状態ですね。この子は将来大物になるかもしれない。
Q
 この子は、小学校1年から5年までアメリカにいたせいで、国語力が乏しいというハンディがあります。友人としてどうアドバイスしたらいいでしょうか?
A
 このお母さんには育児の勉強をしてもらうとして、帰国子女というのは今問題になっています。外国の教育システムと日本の教育システムがいろんな点で違うので、テンポが合わない。アメリカだったらまだ幾分マシだけど、インドネシアから帰ってきた子どもたちは、とてものんびり勉強します。日本はとても急いで勉強しているので、途中で帰ってきたら、とてもしんどいです。だから、のんびり勉強して、のんびり追いつく覚悟をすること。同じ速度で走ろうと思わないこと。
 何もある年齢にある教材を一緒に勉強しなくてはならない理由はない。小学校2年生になった子どもが全員、九九を覚えなければならないという理由はない。もっと早い時期に九九を覚えたくなる子もいるし、5年生くらいまで覚えたくない子もいる。それはそれでちっともかまわないし、要するに大人になったときまでに仕上がっていればいいわけでしょう。だから、慌てなくていい。日本の場合には、原則的に留年はないし、達成度評価でないし、また子どもが落ちこぼれたときの救済策を学校は持っていないので、結局ついて行かせるという妙なことになってしまっている。
 “アドラー学校”というのが世界にいくつかあります。ここは完全な達成度評価です。6年なら6年間のカリキュラムを200か300に細かく分けてある。ある子が例えば国語が126で、算数が118で、理科がうんと遅れて55とかと評価する。そして授業は、120代のクラスに行く。だから、そのクラスに来ている子は年齢はまちまちだけど、その科目に関しては、みんな同じ達成度です。だから、落ちこぼれ0です。うんとゆっくり勉強している子もいるし、うんと早く勉強している子もいる。それと関係なくクラスを見れば同じ達成度です。だから、教師はすごく楽です。しゃべっていることをほとんど全員が理解しているから。
 現在“アドラー学校”は小学校と中学校の9年の一貫教育ですが、1週間の授業時間のうち3分の1しか授業をしていない。残りは何をしているかというと、「社会性」の時間と「創造性」の時間と言って、いわゆる勉強とは関係のないことをしている。では、おバカさんになっているかというと、なってなくて、全国共通テストをやると他の普通の学校の平均とほぼ一緒です。なんでそんなことになるかというと、能率がいいから。落ちこぼれ云々がないから。
 これは日本の制度の中では難しいからどうしたらいいかというと、自主的にやってしまうことです。うちの子は落ちこぼれたと思ったら、のんびりさせようと覚悟すること。慌てないこと。何も15歳の春に高校に入らなくても天地は崩壊しないから、そこでのんびりしてもらってもいい。今の日本の親は昔に比べるとリッチですから、子どもが17,8で働かないと餓死するということもないので、30歳くらいまでブラブラさせておいたところで、そう困ったことでもないでしょう。
 だから、「中学3年までは仕方ないから落ちこぼれてください。中学を出た時点でじっくり時間をかけて、ちゃんと水準を合わせてから、高校へ行くんだったら行ったらどうですか?高校を出た時点で、またじっくり時間をかけて、大学に行きたいのだったら行ったらどうですか?」という線で子どもと相談してみる。そうすると子どもは楽です。絶望したりしなくてすむ。
 子どもが勉強嫌いになる理由の1つに、「課題が難しすぎる」ということがあります。「この問題は僕には解けない」と思ったときには、子どもは勉強嫌いになる。いくら努力しても無駄だと思ってしまう。だから、認めればいい。そう、いくら努力しても無駄だと。今学校で習っていることはもういいじゃないか。その子にわかる問題を解いてもらいましょう。例えば、今5年生なら2年生や3年生の問題をやってかまわない。そのことで劣等感を持たなくていい。小学校6年分の内容を、大人に教えるとしたらどのくらいの時間がかかると思いますか。メキシコに住んでいるロシア系の学者さんで、発展途上国の人たちの福祉問題を専門にしている人がいます。教育問題にも大変面白いことを言っています。彼は正規の学校教育ではなくて、大人の識字教育に関心がある。メキシコでは文盲の大人がたくさんいる。その人たちに読み書きや計算を教えたりするクラスがあるんですが、だいたい週3回夜間の学級に通って、どれくらいの期間でスペイン語の読み書きができるようになると思いますか?文字を何にも知らない大人が、新聞を読めるようになるのにどれくらいかかるか。だいたい6か月です。日本でも、特に同和対策なんかで識字学級がありましたが、それも6年もかかりません。日本語はスペイン語に比べると漢字があって大変ですが、それでも小学生に教えるよりは、はるかに早く教えられます。とすれば、例えば今5年生で落ちこぼれていても、それは5年生でやるからついて行けないのだけれど、自分のついて行けるところまで遡ってやり始めると、そんなに時間がかからないで追いつけるんです。公文式ですね。だから、焦る必要はまったくないんです。
 このお母さんは不安なんですね。このお母さんに対しては、不安にならなくていいという勇気づけをしてあげると、とてもうまくいくと思います。
 みんな、乗せられているんです。政府に騙されている。教育産業に騙されているし、教師にも騙されているんです。まるで中学を出たときに高校に行けなかったら人生が破滅するかのような言葉に騙されている。中学を出たときに高校に行けなくても人生は破滅しません。
 先日、元登校拒否の子どもと会いました。彼は中学の半ばから学校に行かなくて、その後大学に行きたくなり大検を受けて通った。でも大学には落ちて、これからどうしようかという相談をしに来たんです。
 「大学はまだ行きたいの?」と聞いたら、「行きたい」と言うから、「どんな大学に行きたいの?」と聞くと、「有名大学に行きたい」。「有名大学に行ってどうするの?」と聞くと、「有名企業に勤める」。「バカなことはやめなさい」と僕は言いました。「あなたはだいたい登校拒否をするほどの人だから、有名企業の体質に向いてない」。
 有名企業なんていうのは登校拒否をしない子ども用に作られている。何事もなく、すんなりと学校というシステムの中でやってこられた人にしか、うまくやっていけないようにできている。だから、学校でちょっとでも問題があったり、「しんどかったなあ」と思うような子は、そんなところへ勤めたら不幸になるから、ラーメン屋とかキャバレーの呼び込みとか、そういう線が絶対にいい。
 「あなた、バイトしたことがあるか」と聞くと、「ない」と言う。「1回アルバイトをやってみようよ」と言った。「予備校なんか行かなくていいから、2年か3年アルバイトをしながら遊んでみよう。その間に1つの仕事を根気良く続けようなんて思わないで、世の中を広く見てみようと思って、次々と職を変わってみよう。そのうちに、きっとあなたがすごく気に入る仕事が見つかると思う。そうしたらそこに就職してみよう。そして、2年か3年その仕事をやってみて、それでもやっぱり自分には大学卒の肩書きがあったほうがいいとか、あるいは大学で勉強してみたいと思ったら大学に行けばいい。そうやって大学に行ったら、その大学は君にとって意味のある大学だから、すごくいい生活ができる。だから、そうなさいよ…… 」。
 京都大学に行こうと思って挫折した子がいます。その子は高校半ばで挫折して、3年くらいくすぶったのち、僕(野田俊作先生)のところへ来ました。初めは食堂でアルバイトをしていて、だんだん料理が好きになって、最終的には就職したのは、京都大学の前の食堂でした。京都大学生に物を食わせるという仕事を選んだ。彼はその仕事にすごく満足している。京都大学の学生とたくさん友だちができて、まるでそこの学生のように大学の事情をよく知っている。きっと彼はそこでずっとやっていくんでしょう。おじさんになっても学生たちの面倒を見て暮らすんでしょう。すごく素敵なことだと思う。
 そうやって、子どもたちはいろんなことをやっていく中で、自分が一生やる仕事を見つけていくだろうと思います。それが、一生やっていく仕事の一番幸せな見つけ方です。配偶者を見つけるにも試着があったほうがいいように、就職も試着がいるわけで、いきなりエイッと会社を決めて勤めるということは危ないと思いませんか?
 「しまった!」と思っても、大学なんか出ていると、「時すでに遅し」で、転職はなかなか難しいかもしれない。だから、みなさんのお子さんたちにもお勤め願いたいんですが、高校を出たら一度就職してみるといいと思う。ちょっと就職してみて、世の中を見てみて、やっぱり大学に行きたいと思ったら行けばいい。うちの息子はそうするでしょうね。「すんなり大学に行くのはつまらなそうだから、ひとまず就職をしてみる」と言うんです。「いったい何をするつもりですか?」と聞いたら、トラックの運転手らしいです。まあ、真夜中に宅急便で全国を走り回るのもきっと面白いだろうと思います。
 外国の高校生はそうするのが常識だそうです。ヨーロッパ諸国だったら、中学校を出たら自分の力で高校に行くのが常識なんです。中学を出たら2年か3年働いて学資を稼いでから高校へ入る子もたくさんいますし、途中で学費がなくなったら休学してまた働く。1人で暮らすと高くつくから、4,5人で1つのアパートを借りて、いろんな物を分け与え合って暮らす。アメリカは高校生まではだいたい親が養ってくれるんですが、大学になると自分の力で行くのが普通で、1年大学に行ったかと思うと、1年はバイトというのがザラにいます。大学院になるとだいたいが夜間です。昼間就職していて働いていて、夜になったら勉強しに来るというのが当たり前になっていて、昼間の大学院なんて滅多にない。みんな年を取っていて、30代40代になっています。だから、学生時代を丸抱えしてやろうと、親が思い込んでいるのは日本だけです。経済的にはいくらか見てあげてもいいですが、世の中に出すほうがたくましくなるんじゃないですか。
 私の医学部時代の同級生に、工業高校の卒業生が1人います。彼は工業高校を出て就職して工場で3年くらい働いていて、やっぱり医者になりたいと思って勉強して医大に入ってきた人です。そういう人は大学に入ってよく勉強する。自分でゆっくり考えてから来たから。何にも考えないで入った人はダメですね。大学に入ってきたとたんに解放されてしまって何もしないから。
 そんなふうに考えますので、この子ものーんびりと勉強したらいいと思います。男の子は35歳くらいまでに大人になればいいから、35歳までにはまだだいぶありますから、ゆっくりと暮らせばいい。若い時代にしかできない“おバカ”というのはいっぱいありますから、それをたくさんしてもらえばいい。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

あと一歩という気がする

Q 
 以前に比べると親子関係はずいぶん良くなりました。アドラーの勉強のおかげだと思いますが…。
A
 いやいや、あなたの努力です。
Q
 でも、あと一歩という気もする最近です……
A
 そうですね。一生あと一歩という気がする。その時がいいのかもしれない。人間というのは目標を追いかけて生きているんです。目標というのは、シャルマン先生曰く、「あれは地平線だ」。追いかけて地平線の位置まで行ったら、向こうにまた地平線が見えるでしょう。だから、そこに到達すると考えないほうがいいんだ。いつもいつも、ずっと遠い先に目標があって、それに向かって生きていくんだなぁと思っていたほうがいい。あと一歩だという気がするというのは、これは正しい状態なんです。
Q それで、息子のことで気になるのは、『根気がない』、『少々しんどくても頑張ろうということがない』ということです……
A
 これはどういうことかというと、母親の頭の中に理想の子どもがいるわけだ。これがまだ根強くいるので、現実の子を見るとどうしても引き算をしてしまう。で、マイナスの部分が目についてしょうがない。「えっ、96点なの?残りの4点はどこへ落としてきちゃったの?」と思っている。でも、最悪の子どもというのもいる。“0点の子ども”というのが。最悪の極めつけは、たぶん死んでいる子どもでしょう。それに比べれば、まず元気に息をしているというのはすごくいいことです。五体は満足に動いているし、ご飯も食べるし、大きな病気もせず、学校もちゃんと行けている。こんなありがたいことはないじゃないですか。特別支援学校に行かなくてはいけない子の親のことを考えてごらんなさい。普通の学校に行っている子どもを持ってどんなに楽か。そのことに感謝しないで、「あれが足りない、これが足りない」と言うのは、ちょっと厚かましい。
 『根気がない』、『少々しんどくても頑張ろうということがない』と言いますが、だからその子は駄目ということではないんです。そういう生き方で、この社会に対して共同体に対して、建設的に生きることもできるんです。根気良く悪事をすることもできるでしょう。
 エジプトのピラミッドは、だいたいが墓泥棒によって荒らされています。だから、中に入ってもほとんど何も残っていない。どうやって泥棒するか。地下にトンネルを掘って泥棒する。でも、1世代では掘り終わらなくて、おじいさんが掘り始めて、お父さんがあとを継いで、孫の世代にやっとピラミッドの下あたりまでつながる。すると、隣村のヤツが先に掘っていて、何もなかったりする。3世代の苦労もパアですわ。そういう根気強さもあるわけで、こんなのはあまりほめられた根気強さじゃないですから、あんまり根気強いのがいいと思わないでください。
Q
 それで、少々熱っぽければ学校を休むという具合で、自分で駄目だと思えば力が出ないようです。私としてはもう少し努力するとか根気があってもいいと思うのですが……
A
 思わないほうがいいね。 あのね、ギブアップすることもいいことなんです。メチャクチャ努力して体を壊してしまうのもどうかと思うしね。必要以上に頑張ろうというのも無理でしょう。そう思っておくと、とても楽ですね。そう思ってると、そこよりも少しでも頑張ると嬉しいから。「もっと頑張らねば」と思うと、足りない部分しか見えないから。だから、「この子はこんな子だ」と、まず思おう。マイペースで自分の好みや興味に素直な子なんです。それでいいと思う。こちらが、頑張らない子は駄目なんだと、まず決めてかかったら、実際に駄目な子になってしまうよ。だいたい、ちょっと駄目になったら、自分を大事にして少し休んでみるというのも、一方では大事なことだと思いませんか。内科のお医者さんは、ときどき頑張りすぎる患者が来て困るそうです。「ちょっと休んで休憩してください」と言っても、「いや、これくらいの病気では休めません。大丈夫です」と言って、どんどん病気が重くなって死んじゃう。だから、ちゃんと自分で自分の管理ができることは必要です。
 それから、やる気がない子どもというのは、目的があってやる気がないんです。すべての行動には目的があるわけで、やる気がないという行動にも目的があるんです。何だと思いますか?勉強しないとか、やる気がなくてボーッとしているとかというのはどういう目的かというと、頑張って一生懸命やって駄目だったら、自分に能力がないということが自分にも他人にもわかってしまうのがイヤなんです。頑張らなくてグズグズやっていて駄目だったら、本当は頑張ればできるんだと思えるでしょう。つまり、なんでそんなことを考えなくてはいけないかというと、この子は結果を気にしているんです。結果が良いか悪いか。なんでこの子が結果を気にしているかというと、親が結果を気にしているからです。途中がどうかではなくて、最終的にはやっぱり試験の成績が悪いと駄目だと思っている。親が思っていると子どもも思う。そういう中で、一生懸命頑張って良い点を取れなかったら大変です。勉強しなくて良い点を取れないのは大丈夫なんです。だから勉強しない。
 ですから、こういう子とつきあうときには、結果を気にしないこと。最終的な結果はどうでもいいと思おう。もし、ちょっとでも努力してたら、努力しているところを好きになろう。でも「努力してるから、きっと次の試験の成績は良いでしょうね」と言わないこと。試験の成績は良くなくても、「努力しているのが好きなんだ」ということを伝えてください。
 努力と結果とは関係ない。たーくさん努力して結果が悪いときもあります。かと思えば、全然努力しないのに結果が良いときもあります。試験なんてのは半分くらいが運ですから。人生というのも、ひょっとしたら半分くらいが運ですから、コツコツと努力したアリさんは木の下敷きになって死んで、遊んでばかりいたキリギリスさんは長生きするかもしれない。そうでしょう。努力は必ずしも報われるかどうかなんてわからない。努力が楽しいという人は努力すればいい。楽しく努力ができるということはいいことですから。楽しく努力できる子になってくれればいいけれど、努力が報われることとは別なんです。
 私の友だちに不幸な人がいます。大学の研究室にいて5年がかりで、ものすごい壮大な研究をして、英語で論文を書いて、アメリカの学術雑誌に送ったら、ひと月前にまったく同じ研究したものが出ちゃって、全然意味がなくなっちゃった。5年の苦労が水の泡です。彼の苦労は報われなかった。でも、彼はがっかりしなかった。彼は実験することが楽しかったんです。名誉だとかお金だとかいう、そうした最後の結果を欲しがっていると、結局そこで投げ出しちゃうんです。もう努力してもしょうがないと思ってしまうから。
 きっと、努力をイヤがる子というのは、そのタイプなんです。努力して駄目だったらもうやめようと思っている子です。努力そのものを面白がっていない。大人も、努力するのを苦しいことだと思っている。勉強することや、忍耐することというのは、とても苦しいもので、その苦しさに耐える力を身につけさせようと僕たちが考えると、それは間違いです。苦しさに耐える力なんて、人間にはないよ。自分のことを考えてみてください。苦しいことなんて、まっぴらごめんでしょう。楽して生きたいでしょう。忍耐や辛抱はイヤでしょう。
 忍耐や辛抱をしているのは下心がある。これをやっているとあとでもっと良いことがある。あるいは良いことではないかもしれないけれど、「忍耐し辛抱している私って素敵だ」と自分で思えるとか、人から「あなたって忍耐強いね」と言われて気持ちが良いとか、ちゃんと収支決算が合う。だから忍耐できるんです。それがなかったら努力なんてできない。 人間は本来怠け者なんです。努力という取引をすることはある。努力するふりをして、自分とか他人からほめ言葉をもらおうとすることはあるけれど、努力そのものは嫌いなんです。忍耐は嫌いなんです。だから、子どもも忍耐は嫌いなんです。
 勉強が楽しくなるようにすることはできます。初めから、苦しいので辛抱するというのではできません。親や教師が「勉強は苦しくてつらいものだ。それに耐えるのだ」と説教すれば、子どもはイヤになります。「これは楽しくてしょうがない」と設定すれば、子どもは乗ってきます。
 このお母さんは、「努力忍耐というのは苦しいけれど、それを耐えて頑張るのだ」という発想をしているから、子どもはまっぴらごめんと逃げている。勉強したり、学校へ行ったりするということは楽しいもので、もし楽しくなかったとしたら、どうしたら楽しくなるか工夫をする。遊びなんです。勉強なんて遊びですよ。国語も算数も理科も社会も英語もみんな一種のパズルと同じで、ゲーム感覚で遊び半分でやっていると、とても楽しい。これに私の人生がかかっているなんて思うと、ちっとも面白くない。第一、かかってないしね、本当は。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

双子に学力差があるが……

Q 
 子どもは小学校2年生の双子の男の子です。学力に差があります。

A
 そりゃあるでしょうね。双子だったら余計に差が出るんです。きょうだいというのは、競争して育っていきます。例えば、男ばかりの3人のきょうだいがいるとしましょう。どんなことになるでしょうか?
 一番上のお兄さんは、最初ひとりっ子だったわけです。ある日、お母さんが赤ちゃんを連れて帰ってきて、「これはあなたの弟よ。かわいいでしょう。あなたとは一切差別しないで平等に扱うから、かわいがってあげてね」と言う。でも、これは嘘です。だって、お母さんは徹底的に手のかかる下の子ばかりにかまいます。この人が何かグズグズ言うと、「あなたはお兄ちゃんでしょう。我慢しなさい」と言われます。このお兄ちゃんはきっと怒ります。怒ったお兄ちゃんはどう考えるか。「弟に奪われた母親を取り返さないといけない…」。母親は「平等に」と言うけど、平等でも50パーセントです。もともと100パーセント独占していた母親を50パーセントにされただけでも頭にくるのに、実際は90パーセントを弟に奪われて自分は10パーセントくらいしか残っていないから、カンカンに頭にくるので、まあ100パーセント取り返そうとは言わないものの、できるだけたくさん取り返そうと思います。
 さて、どうやったら取り返せるか。2種類のやり方があります。うんと良い子になるか、うんと悪い子になるか、どっちかにすればいい。うんと良い子になって、何でもできるお兄ちゃんになると、「偉いわね。さすがお兄ちゃんだわ。何でもできるね」と、母親の愛情がたくさんこっちに来ます。メチャメチャ悪い子になって、ずっと母親に叱られ続けると愛情は来ませんが、少なくとも注目は来ます。
 人間というものは、特に子どもは、かまってもらえないのに比べれば叱られるほうがまだ好きです。一番好きなのがほめられること。次が叱られること。かまってもらえないのが一番嫌い。かまってもらえないと思うとせめて叱られようと思いますから、うんと悪い子になる可能性もあります。
 真ん中の弟の立場は、生まれたときからお兄ちゃんがいます。しばらくすると下の子が来ます。ですから、この子は一度も親を独占した体験のない子です。お兄ちゃんには普通何をやっても負けます。お兄ちゃんがうんと悪いほうを選択してくれていればまだ楽ですが、うんと良い子のほうを選択して、お勉強もできるし、友だちづきあいもうまいし、喧嘩も強いといったスーパーお兄ちゃんだと、弟としては取れるものがあまり残っていない。それに、競争をしても年齢差がありますから、負けます。
 では、弟はどんなことをするかと。2つあります。1つはメチャメチャ親孝行の子になるか、もう1つは、親を見限って外へ遊びに行く方法です。ですから、中間の子というのは、親に大変密着して、肩を揉んだりゴマをすったりするのが上手な子か、全然親を気にしないでずっと外で遊んでいるような子かの、どっちかになる可能性が高いです。
 さて、こういうふうに優秀でバリバリ勉強をしているようなお兄ちゃんと、それから外へ遊びに行っちゃっているようなお兄ちゃんを2人持った末っ子はどんな位置でしょうか。まず、母親の態度が上2人とは全然違う。一番上のお兄ちゃんが小学校に入ると、「今日から君は大きいんだからね、全部自分でやるのよ」と言います。一番下の弟は、小学校に入っても中学校に入っても、お母さんは、「あなたはまだ小さいんだから気をつけるのよ」と言います。ずっと赤ちゃん扱いです。では、この子は何を学ぶかというと、「僕はお兄ちゃんみたいにバリバリできたり、何でも自分でする子になったら駄目なんだ。なるべく赤ちゃんをしていたらお母さんはこっちを向く」ということを学びます。だから、この子は、わりと赤ちゃんぽい子どもになる可能性が強いです。
 もちろん、きょうだいの位置でこんなことが全部決まるわけではない。けれども、生まれる位置によって選べる範囲というのはかなり決まってきます。うんと良い子かうんと悪い子とか、母親に密着する子か離れる子かとか、あるいは、可愛くて人に愛される赤ちゃんタイプの子か、ムチャクチャ世話がかかって何もできない子になるとか。こういうように、選ぶ範囲はかなり決まってきます。
 それで、なぜこういうふうになるかというと、親という賞品をめぐってきょうだいがレースをするからです。親からの愛情、愛情でなくてもせめて注目が少しでも自分のところへ来るように、きょうだいがレースをするからです。どんな親であるかよりも、きょうだいがどんなきょうだいであるかのほうが、僕たちの性格を作る上で大きな影響を与えます。このきょうだいレースは、年齢差が近ければ近いほど激しくなるはずです。
 すると、双子というのは一番激しい。競争が激しいと、きょうだい間の性格はすごく対照的なものになります。例えば、勉強という点で兄が良くできていると、弟はきっと勉強を選ばなくて、あんまりできない子になります。お兄さんが人づきあいがあんまり上手でないと、弟は人づきあいが上手になります。隣り合うきょうだいはとても対照的な性格になりやすい。双子というのはとても違う性格になりやすい。しかも、年齢の離れたきょうだいに比べて具合が悪いのは、勝ち負けがはっきりしやすい。全部勝つ子と全部負ける子に分かれやすい。年齢が離れていると、ある程度はこれでは勝ち、これでは負けということになるけど、双子だと競争が激しいから、どちらかが徹底的に勝ってしまう可能性があります。どうやらそうなりかけていますね。ですから、学力に差があるだけでなく、喧嘩をしても片方のほうが強いし、友だちも片方のほうが多かったり、いろんな点でどっちかが有利に勝っているんじゃないかと思います。
 なんでこんなことが起こるかというと、それは親が学力が高いことはいいことだと信じているからです。いい成績を取ってくると、親とつながりができると子どもが信じているからです。だから、学力をめぐっての競争が起こる。この学力差をなくそうと思ったら、親が学力というものに関心を失うのが一番です。学力というのは結局は点数のことだから、最終的にどんな点数を取ってくるかということに親が関心がある限り、このきょうだいは今後ともますます学力でもって、「賞品をもらえたとかもらえなかった」と言って離れていくでしょう。
 そんなことしたら、勉強をしなくなるんじゃないか。そんなことはないです。勉強の結果でなくて、努力のほうに親が注目するんです。勝っても負けてもいいから、途中を走っているということ自体を、すごく大事だと親が思ってほしいです。
 それから、いつも言うんですが、子どもを叱ったりほめたりして育てるという発想から抜け出てほしい。そうではなく、勇気づけというやり方に変えてみてください。小学2年生というのは、勇気づけがとてもうまくできやすい年齢です。勇気づけというのは、一番わかりやすく言えば、子どもに向かって「ありがとう」とか「嬉しい」とかと言うチャンスを探すことです。
 子どもが学校で良い成績を取って帰ってきました。さて、何を「ありがとう」と言いましょうか。あまり「ありがとう」と言う材料じゃないです。そう思いませんか?
 「良い成績を取ってくれたね。ありがとう」と言うと、ちょっとおかしいです。だから、良い成績を取ってきたというのは、勇気づける材料ではない。勇気づけなくていい。なぜかというと、子どもは良い成績を取ったことでもう勇気づけられているから。追加支援しなくていい。
 子どもが一生懸命努力しているのを見ると嬉しいでしょう。としたら、「あなたが一生懸命お勉強しているのを見ると、お母さんは嬉しい」と言ってもいいです。ただし、ほんとに嬉しかったらね。ほんとはあんまり嬉しくないけど、子どもに勉強させようと思って言っては駄目です。下心はすぐ伝わるから。だから、もう少し自分の内側の感情に敏感になって、「子どもが何をしているとき私は嬉しいか」ということを、まず感じ取ってください。「子どもに何をさせたいか」というほうを忘れてほしい。頭で、これはさせたい、こんな子にしたい、こういうふうな子どもに育ってほしい、ということをやるから、結局こんなことになるんです。それをやるから、きょうだい間の競争が激しくなって、だんだん差がついてきます。特に双子のきょうだいの場合は要注意です。
 子どもと一緒にいることを嬉しく感じ、それに感謝の言葉をあげたいと思う時間がいつもあるか。それを思ったときにその言葉をかける。それだけでいいです。すごく簡単です。そうすると子どもたちは、おのおのの個性を発揮していくでしょう。しばらく勉強にこだわらずに、その子たちと一緒に暮らす中で喜びを見つけてください。自分の中にある感謝の心とか、喜びとかというものを伝え始めてください。それが愛情ある母親です。子どもを自分の好みの人間にしようというのはサーカスの調教師であって、人間の母親ではない。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

小4男子が塾へ行きたいと言うので、親が見つけてきたのですが…

Q 
 子どもは小学4年生の男子です。自分から塾へ行きたいと言い出しましたので…
A
 そういうことはありますね。
Q
 親がいろいろ聞いたりして、ある塾を見つけてきました。…
A
 こりゃやりすぎですな。子どもが何かしたいと言ってきたときに、もともとこちらがそれをさせたいと思っていたかどうかで、親の動きも違うでしょうが、親があんまりお手伝いをしすぎると駄目なんです。「何かできることはありますか?」と聞くこととか、「子どもから頼まれたことはしてあげましょう」と、僕はいつも言っているんだけど、頼まれたこと以上に動くと、それは過剰反応で甘やかしになります。いつも、援助を最小限にしたい。小学校4年生というと、思春期の入り口にいますから、あとできっと背かれますよ。
Q
 今、1か月くらい行きましたが、「宿題が多く、自分の自由な時間がなくなった」と言い出しました。最近では、「お母さんが変な塾なんか見つけてくるからだ」と責めることばかり言います。
A
 ほらね。
Q
 それで、親はどう受け答えしたらいいでしょうか?
A
 結局こんなことになりますね。子どもをむやみに手伝ったらいけないんですよ。
 そう言えば、うちの子どもが小さいときに、学校の先生が私に、「忘れ物が多いから時間割を見てあげてください」と言いました。親は、教師のそんな口車に乗ってはいけないよ。見てやると何が起こるかというと、これと同じことが起こります。次に忘れ物をしたら、「お父さんがちゃんと見てくれなかったからだ」ときっと言うようになる。それは自分の仕事なのに、親の責任にする。
 「塾に行きたいなあ」と言ってきたら、「行きたい塾はあるの?」と聞いて、「ない」と言ったら、「お友だちにでも聞いて、行きたい塾が見つかったら教えてちょうだいね」と言って放っておくんです。われわれは子どもにいろんなことを教えたいと思うんですが、「自分のすることから子どもがどんなことを学ぶか」ということを考えてみないですね。子どもが「塾に行きたいなあ」と言って、「駄目よ、塾なんか」と答えたら、子どもは何を学ぶか。「塾に行きたいの。じゃあ、探してきてあげるわね」と言って、一生懸命に探し回ると、子どもはどんなことを学ぶか。それを考えてみてほしいんです。子どもが「塾に行きたい」と言ってきて、「そんなもん行かなくていいわよ」と言ったら、子どもは何を学ぶと思いますか。「親は口で言っても聞いてくれない」ということを学びます。あるいは、「親は僕の頼みなんかどうでもいいと思っている」ということを学びます。こんなことを学んでほしくないから、これはまず聞くべきですね。聞いてあげるけど、そこでそれ以上に走り回ると、「僕がしなくても必要なことはみんな親がしてくれる」ということを学びます。あるいは、失敗したときには「親が悪いんだ」ということも学びます。自分には責任がないということを学びます。ですから、この次からの教訓としては、動きすぎないということです。できるだけ多く子ども自身にやってもらって、どうしても子どもにできない部分だけ援助することです。これはちょうど子どもが「宿題のここがわからない」と言って、「どれどれ見せてごらん」と全部やってあげて、「はい、できたよ。これを先生に出しなさい」と言ったのと同じです。そして、答えが間違っていて、「お母さんが間違えたから先生に怒られちゃったじゃないか」と言ってるのと同じです。
 今回の後始末としては、こうなったら塾をやめていただくしかないと思います。「どうする?イヤだったらやめる?」と聞いてみて、「やめる」と言ったらやめてもらいましょう。要するに子どもは親のせいにしていて、「塾をやめるのは自分が悪いからではなくて、お母さんが間違えたからだ」と言いたい。だから、「やめたい」と言えばやめてもらったらいいと思う。いわゆる、持続力がない移り気な子がいますね。集中力がない子というか、習字を習いに行ったかと思うと、ひと月くらいでやめて、そろばんを習いに行ったかと思うと今度は水泳、バレエ、エレクトーン……。あれはいいことなんです。そういうふうに次々と関心の変わる子は、将来、安全性が高いです。というのは、自分の力で自分に何が合うかを探すだけの積極性を持っているから。その子がそのことをイヤがっているのに、無理やり続けさせようとするのは良くない。あれは戦前のものの考え方です。昔は軍隊があって、イヤでも軍隊生活をしないといけなかったから、イヤなことでも耐えられるトレーニングをしないといけなかった。今は世の中がまったく変わって、自分に合うということ、適性ということを最大限に伸ばしてあげることが大事だと思うんです。子どもがいろんなことに興味を持って、いろいろと実験してみようとすることを、親も手伝ってあげていいと思う。そのことに腹を立てないでください。「すぐやめる」と言ったって、動揺したり腹を立てたりしないで、「この子は思い切りのいい子だ。発想の転換力がある子だ。積極的な子だ。この世の中でいったいどんな仕事をすればいいのか、自分には何が一番合っているのかを探しているんだ」と思ってください。
 親にとって大事なことはたった1つです。いい親というのはどんな親かというと、幸せな親なんです。不幸な親と暮らすと、子どもは絶対に不幸です。不幸というのは伝染性の病気で、家族の中に1人不幸な人がいるとみんな不幸になっていく。幸せというのもやっぱり伝染性の病気?で、家族の中に何があっても幸せに暮らしている人がいると、残りの人もあまり不幸になれない。明るくいつも喜んで感謝して暮らしている、幸福な親になる決心をしてください。
 僕たちが、「子どもを何とかしなくちゃ」と思うときというのは、例えば子どもが泥沼で溺れているようなときです。人生の問題に躓いて少し溺れかかっているときに、僕たちは子どもを助けたいと思います。そんなときに、こっちも不幸で動揺しているということは、一緒に泥沼で溺れているということなんです。2人で溺れながら、向こうを助けようとすると、結局向こうの足を引っ張って、2人でズブズブと沈むだけです。だから、まず子どもを見捨ててこっちが岸に上がる。「しばらくは、あなた1人で不幸でいてください。私が十分幸福になって落ち着いて、助けられるようになったら助けてあげないでもないから、それまではリラックスして浮いててね」。リラックスさえすれば浮くんです。焦ると沈むんです。海を泳いでいて、大きな波に呑まれたり、大きな渦に入ってしまったとき、焦って泳ぐと疲れて沈むんです。でも、どんな大きな鳴門の渦みたいな渦に巻き込まれても、泳ぐのをやめてじっとしているとスポンと吸い込まれて、2,3秒もすればかなり離れたところへポコッと浮かび上がります。
 われわれの人生のいろいろな困難も同じで、われわれが冷静で落ち着いていれば、最低ムチャクチャにならなくてすみます。子どもに、「まあ、しばらくのんびりしてなさいよ。成績がガタガタに落ちたからといって、焦ってすぐ上がるものでもないし、いいじゃないの」などと言っておいて、こっちはこっちで自分の精神の健康を整える。友だちと遊びに行ったり、子どもが嘆いていようが何していようが、全然気にせずに買い物に行ったり、そういう母親のほうが子どもから見たらありがたいと思う。成績が落ちたり、友だちに裏切られたり、失恋したりして暗ーくなっているときに、お母さんにそばでオロオロされたらかなわんでしょう。それよりも、そんなことと関係なしに、「あーあ、あのオバサンは脳天気だなあ」と子どもから思われるようなお母さんでいれば、子どもはそれだけで救済されるんです。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)
合計732件 (投稿726, 返信6)

ロケットBBS

Page Top