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論語でジャーナル

22,衛の公孫朝(こうそんちょう)、子貢に問いて曰わく、仲尼(ちゅうじ)焉(いずく)にか学べる。子貢曰わく、文武の道は、未だ地に墜(お)ちず。人に在り。賢者はその大なる者を識(し)り、不賢者はその小なる者を識る。文武の道あらざること莫(な)し。夫子焉にか学ばざらん、而して亦(また)何の常の師かこれ有らん。

 衛の公孫朝が子貢にたずねた。「あなたの孔先生は、どこで誰について学問されたのですか?」。子貢は答えた。「文明の創始者の文王・武王の教えは、地上から完全に消え失せたのではなく人々の間に残っている。すぐれた人はその重要なものを記憶しているし、すぐれない人も、その小さなものを知っています。天下至るところに、文王・武王の教えが存在している。孔先生は、どこででも学問されなかったというところはない。そしてまた定まった先生を持たれなかったのだ」。

※浩→「公孫朝」は同名の人物があちこちにいたので「衛の」と字を加えたと言われます。伝記は明らかでないそうです。衛の君主の一族であろうと推測されます。「仲尼」は孔子=孔丘の字(あざな)。「仲尼」は他人が孔子を呼ぶときの名で、弟子たちは「夫子」「子」と尊称を使いました。
 孔子は特定個人の師匠を持つことはなく、周の礼制や音楽などを理想として掲げながら、世界各地のあらゆる場所で己れの知見と徳性を磨いていったのです。孔子の学問の師は、古代の周王朝の礼楽と文献であり、諸国を遍歴・遊説して出会ったあらゆる人たちです。孔子の人生そのものが「真剣な学びの軌跡」であったとも言えます。
 私の師匠としては、まず、教師になるきっかけをくださった丸の内中学校の社会科の先生・高崎毅先生です。とてもわかりやすい授業で、しかもいつもスーツをかっこ良く着こなして、ダンディそのものでした。お人柄は温厚で、親しみやすかったです。「わっ、かっこいい!こんな先生になりたい」と、自分も教師になる決心をしました。その後一直線に、大学は教育学部へ進み、就職事情を鑑みて高校教師になりました。カウンセリングを勧めてくださったのは、大学の指導教官・虫明竌(ただし)先生でした。先生は「倫理学」「社会学」が担当で、「一般教養」の「倫理学」最初の講義で自己紹介されたとき、お名前の「竌」の読み方を解説されました。「机が立っているのはただしい」から“ただし”だと。この漢字は先生のお名前のほかで使われているのを見たことはありません。この講義で、「倫理学」は、考古学や地理学や日本史のように、現地調査や古文書解読などが必要なく、書物を丹念に読むことで学べる、とおっしゃったことが、貧乏学生の自分には最適だと、即、「専攻科目」を「倫理学」にしました。なんて安易な決断でしょう!2番目の赴任校(高梁工業高校、当時は高橋南高校でした)で指導に行き詰まったとき、恩師虫明先生に相談に行ったとき、確か、ロロ・メイのカウンセリングに関する本を貸してくださいました。むさぼるように読みました。これがこの道に進むきっかけです。その後、岡山工業高校で教育相談室に配置になって以後、國分康孝先生や野田俊作先生に出会いますが、こちらはこれまでにあちこちで紹介してきましたとおりです。

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プロになるということは?

Q0382
 プロになるということは?

A0382
 よその領域はわからないけど、医者にはGPといってgeneral practitioner(一般医)というのがあるんです。僕はGPのプロなんです。GPというのは、“なんでも医者”。外科医とか内科医とかは今はもういない。外科医に何でもできる外科医はいなくて、脳外科医はいます。胸部外科医はいて、腹部外科医はいて、整形外科医はいて、全部バラバラになったんです。内科医も、循環器内科とか消化器内科とか専門家がいて、消化器内科の専門家は循環器のことを知らないです。内分泌を知らないです。それだと困るじゃないですか。だから、GPさんがいて初めて患者さんと会う。患者さんが病気になって、「どっか具合が悪いんですけど」「どこが悪いのかねえ、ちょっと相談しようか」と言って、「目まいしているけど、これは耳鼻科の目まいだから、耳鼻科へ行って」とか「これは脳外科かもしれないから、脳外科へ行ってちょうだい」とか、「これはうちで診られる。薬を飲んだら治る」とかいうのを見分ける、最初の段階のお医者さんというのがいます。primally careというんですが、このごろみんな英語で言いますね。プライマリー・ケアー医というのがいて、これは昔すごく軽蔑されていたんです。“なんでも医者”って、そんなの要するに開業医じゃないか。そんなのは専門家と違うって。でもねえ、一番必要なのはそういう医者なんです。何でもないような病気、病気なのか病気でないのかわからないけれど、それにつきあってくれるお医者さんとか、恐い病気を見つけて「あっちへ行きなさい」と、「自分ではよう治さんけど、これは循環器内科へ行ってください」とか、仕分けをするお医者さんのプロでいたいと、若いときから思ったんです。若いときに、外国で働ける医者がいいと何となく思ったんです。アフリカとかアジアとか、そんなところでお医者さんをしたいと。そのためには、まずGPさんでないといけない。大外科手術はできないけど、怪我を縫うくらいはできる。異常なお産は諦めるけど、お産取り上げてくれと言ったら、助産師さんと一緒に取り上げる。目にゴミが入ったと言ったら、眼科ができる。耳鼻科ができる。もちろん内科もできるというようなお医者さんになっておこうと思って、最初、そんなつもりで内科研修を受けました。わりといろんなことをやりました。あんまりスペシャリストにならないように、いろんなことをしました。ところが今は、プロはスペシャリストだと思われている。
 スペシャリストでなくてプロってあるんです。それはどの領域にもきっとあると思う。例えば、店頭で販売の売り子さんで、プロの売り子さんていると思う。特殊な技術があるわけでなくて、お客さんにただスマイル。お客さんの話をちゃんと聞くというような、それがプロの売り子さんだと思う。だから、自分が今働いている場所で、働いていることについての知識と技術と知恵を持っている人になろうと思えばそれでいいんじゃない。あまり特殊分化、専門分化するよりは、わりと手作りレベルでいろんなことができるというのは、これから大事なことだと思う。あまりにも学問が細分化しすぎました。みな全体の見通しを失ってしまいました。ものすごく基本的なことが見えなくなっているような気がする。どの領域でも。だから、さっき国債のことを話したけど、国債ってギリシャのようになりますよと、そんなん誰が考えてもなりませんよと思うけど、ほんとの経済学者なんかがそう言うんですよ。あまりにも視野が狭くて、見えてないんだと思う。今増税したら大変ことになると言うけど、財務省の官僚とか経済学者とかが増税しかないと言う。そんなことないと思う。僕たちコモンセンスで重みはないんだけど、プロ日本国民として日本国がこれから先良い国であってほしいと願っている人なので、目先の利益でなくて長期的な視野で僕らの子どもの時代、孫の時代にこの国が住みやすい国であるために、いったいどうしたらいいんだろうねと、考えます。最初切実に感じたのは、山登りをしていて、山の中がどんどん荒れていくことです。若いときから山登りしていたけど、どんどん荒れていって、山抜けといって崖崩れが起こるし、何であんなとこにゴミがあるのかというような場所にゴミがあるし、だんだん良くなくなる。まあ、砂防ダムのようなものを山ほど工事するもんだから、渓流がみんな死んでいくし、動物が住まなくなるっていうのを、何年も登っているうちに、だんだんだんだん荒れていくのを見ていたんです。でも、政治家たちは現場を見たことがない。官僚と政治家が東京で籠って、机の上のプランでやってくれているけど、それは違うよって。現場を見たらすぐわかることを、東京大学を出た偉い人が集まって考えたら、わからないんだって。だからほんとの意味での一般市民が、肌で感じている感じというものを、大事にしたいし、その中で、例えば、僕が美しい山へ登った、美しい谷へ登った、その体験を子どもたちができるようにしたいけど、もう無理。僕らの子どものころにはそれはできない。孫たちには絶対無理。僕たちにできた美しい体験を、子どもたち孫たちにできるようにと、根本のところでスイッチを掛け替えないといけない。今の政治のやり方、教育のやり方はそっちを向いていない。日本の風土を大切に子孫に受け継ごうって思ってない。日本の風土は自然じゃない。全部人工です。日本は二千何百年前に農業化して、日本中すべての土地に人間の手が入っている。山奥まで入っている。イワナというのは、昔の木こりさんが滝を昇って上へ放流した。そこで釣れたら、食べないでもう1つ上の滝へ放流した。それを何代何代もやって、万が一山の中に閉じ込められたときに、イワナを食べて生き残れるようにと、子孫のためにどんどん上へ上げていった。そういうふうに、ほんとに山の奥まで人間の手が入っている。人間の手が入って、人間と自然との相互作用で作られた美しい風土なんです。それが、人間の手が入らなくなったとたんに荒れてきている。林業を日本国が切り捨てました。単純な理由で、外国から材木を買ったほうが安いからです。さんざん植林させて、その植林させた杉の木、檜を、今、使われていない。外国の杉、檜が安いのもあるし、それから、建築用の足場を今スティールパイプにしている。あれは昔は全部木だった。杉や檜を使っていたけど、スティールにしたから、山は伐採も何もしないでほったらかしにしてある。美しい自然が、相互作用の中で保たれていたのが、その相互作用がなくなった。農村は、田畑をみんなで一生懸命手入れして、庭のように美しくしていたのが、相互作用がなくなったから、どんどん荒れていく。変な植物が生え、変な花粉が飛び、変な虫がいる。だから、自然を守るんじゃない。もう1回、僕らが国中を耕すんです。これは農業、林業、漁業の問題です。そこのところを忘れて、何か、工場として国を考えてしまったことが間違いだったと気がついた。そうしている限り、国土が荒れていって、子どもたちが良い体験ができない。国土を愛することができない。いったい何が起こったのか、自分でも勉強してみたり、それについて情報発信し続けよう。それをどう解釈してどう行動するかは、聞いた人の決めることですが、「私がしなきゃいけないのはこんなことなんですよ」と言い続けることだと思っています。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

21,子貢曰わく、君子の過ちや、日月の蝕(しょく)するが如し。過(あやま)つや人皆これを見る、更(あらた)むるや人皆これを仰ぐ。

 子貢が言った、「君子の過失は、ちょうど日食・月食のようなものである。君子が過ちをすると人民がみんなこれを見ている。そしてその過ちを改めると人々はこれを仰ぎ見るのである(褒め称えるのである)」。

※浩→日食・月食は月日の故意の行為ではないということは、君子の過ちが故意の行為でないのと同じだというのは面白い、と吉川先生。君子は、過失を隠蔽してしまうのではなく、日食・月食のように一時的に過失をすることはあっても、再びその過失を公開してそれを改めようとする。人々の尊敬や感嘆は、全く過失をしないパーフェクトな人に集まるのではなく、過失を素直に認めてそれを改善しようとする人のところに集まる。子貢の比喩の使い方は、師匠の孔子を上回るのではないか、と貝塚先生。君子といえどもパーフェクトではないというのは、われわれ凡人にはありがたいです。政治家の不正が露見したときに、謙虚に国民に謝罪する人は少ないようです。「秘書がやったことで自分は知らん」とか言って、最近も言い逃れをしていた人がいたようです。国民は確かにこれを見ていますが、次の選挙にあまり影響が出ないので、政治家はますます厚顔無恥になるのでしょうか。
 アドラー心理学では、人間は決して完全な存在ではなく、不完全な存在だから、それを受け入れる勇気を持つよう教えられています。過ちを犯したら素直に改めればいいのです。過ちを犯したときの責任の取り方は1)原状回復、2)再発防止策、3)(感情を害していたら)謝罪する、でした。

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IT時代に、ボーイスカウトでサバイバル経験できるか?

Q0381 
 子どもがテレビゲームをどうしてもしたいと言うので、小学校2年ぐらいからやっています。その代わりにボーイスカウトへ行って、キャンプなんか経験して、テレビゲームもいいけど、サバイバルを経験しほしいと言って、毎年出かけていってもらっていますが、ITの時代に、そういうことで保証できるでしょうか?

A0381
 ある程度ね。僕、海洋少年団にいたんですが、あれは、1つの原体験で、海の上は、山よりももっと限定されている。海へ出てしまうと、それっきりじゃないですか。そこで考えることはいっぱいありました。人間て何があったら生きていけるか、何があったら生きていけないか。キャンプもしたし、学校以外で一番たくさん学んだ場所としては、1つは海洋少年団で学んだことが大きいと思います。ほんとの意味で協力すること、リーダーの命令に絶対服従するのはあんなところでは大事です。リーダーって、あんなところでは大事です。「これ」と言ったら、「そんなの違う」と言えない。全員そうしないと、海の真ん中で迷子になる。リーダーになったら、しっかり勉強して、みんなが死なないように考えないといけない責任がある。
 もう1つは、大学で混声合唱団にいたこと。男子と女子全部で7,80人のグループで、そこでマネージメントに絡んでいたので、あれは勉強になった。男と女の混じった集団をとにかく無事に1年間、いろんな困難を乗り越えてね。いろいろありますよ。マネージするのは大変な修業になってよかったです。そんなのが社会へ出たら役に立ちます。まったく手作りでね。ああいうところにいると、いろんなことを学びます。例えば、宿の取り方。合宿するから宿を探さないといけない。どうやって探すか。どの季節はどこがいいか?夏はスキー宿屋でとか。夏はスキー目当ては来ないから、いろいろやっている。ピアノくらい置いている、どこも。それから、広告の取り方。演奏会するプログラムに広告を載せてほしい。それを飛び込みで頼んで回る。大学のまわりの店に。馴染みの店と馴染みでない店があって、普段から馴染みの店は、イヤイヤでも載せてくれる。普段のつきあいは大事だと思う。そんなことで、学ぶことがたくさんあって良かったです。
 他にも学べるいろいろ学べるチャンスはあると思います。そんなところへできるだけ出入りするチャンスを増やしてあげたらいい。
 テレビゲームも悪いとは思いません。そこから学べることもあるし、コミックから学べることもあるし、何でも学ぶチャンスです。
 アドラー心理学がいつも、親に向かっても子どもに向かっても問いかけることは、「そこからどんなことを学びましたか?」です。「テレビゲーム1日やって面白かった」と言ったら、「そこからどんなことを学びましたか?」と聞いてやればいい。そしたらそこから子どもは、ものを学ぶためにテレビゲームをやってくれるじゃないですか、ただ楽しみのためじゃなくてね。「ボーイスカウト行って面白かった」と言えば、「今日はどんなことを学んだ?」と聞けばいい。いつも学んでいくというのが大事なことだと思います。
 私たちは、最終的に、賢い人間になりたいと思います。「賢い」というのは、知恵のある人間になりたいということなんです。「知識」と「知恵」と「技術」に分けて、知識というのは人から聞いて学べるもの。学校で教科書を読んだり、先生の話を聞いたりすると、知識はたくさん入ってくる。でも、これ自身はまだ知恵じゃない。技術もだいたい人から学んだほうがいいです。鉛筆の削り方から始まって、ハンダごての使い方も。お裁縫も。僕はお裁縫は習ったことがない。手縫いは、雑布を1枚だけ縫ったことがある、この世であとにも先にも。ミシンは一度も使ったことがない。これを大変悔しく思って、母親に「ミシンない?」と言ったら、「捨てた」と言われて、「あちゃー!」。あれは、ちょっとだけ触るには面白そうだった。男の子で、一生自分でミシンを使いたいと思う子は、まあいないと思う。僕は珍しく、そう思ったわけで、何を作るのかはよくわからないけど、機械そのものがすごく面白そう。ミシンの中古をどこかで買ってくるとする。でも、使い方を教えてもらわないと、最初、使えない。何でも技術というのは、つまんないコツがある。ハンダごてでも、ちょっと教えてもらえると使える。まったく自分だけではなかなか上手に使えない。ハンダの盛り方があって、ある盛り方をすると、長く保つけど、ある盛り方をすると、そのうち錆びてきて動かなくなる。温度の確かめ方は、ほっぺたへ近づけてきて、これくらいなら使えるというのがある。そういうのを、慣れてる人にちょっと教えてもらうとすぐわかります。技術も人から習う部分が多い。知識と違うのは、自分でトレーニングするのがすごくたくさんいるだろうと思う。それらができてきたときに、知識でもない技術でもない「知恵」がいつしかできてくる。知恵というのは、長いことかかって、知識と技術の習得の果てにできてくる。テレビゲームで大した知識は入らない?そんなことない。技術は、動体視力がよくなったりする。それなりに知識も技術も入るでしょう。そこから次のステップへ、ひょっとしたら上がれるかもしれない。わかりませんけど。ただ、テレビゲームが好きだから、コンピューター技術者にしようとか、ゲームクリエイターにしようとかいうのは間違った発想で、全然違います。好きなことを自分の一生の仕事にしようというは違うと思う。僕は釣りは好きですけど、漁師になったらつらいと思う。漁師で暮らしていこうとすると、近海漁だと毎日翌日の天気予報を聞く。天気予報と潮の具合で、行けそうだととにかく海へ出る。風邪引いていようが、食欲なかろうが、とにかく出る。魚が来たら来ている間働いて、とにかく船が沈むまで積む。来なかったらしょぼんと諦めて帰ってくる。まあ、博打商売です。天気も潮回りもいいのに、海へ出ないはありえない。出て魚が来たら、来てる間は寒かろうが暑かろうが働くしかない。この魚は釣り味がいいとか関係ない。売れるか売れないかだけの問題で、色が好きとかは関係ない。全然釣れないと生活困るなあと思って帰ってくる。これはつらい仕事。絶対、漁師はしたくない。釣り人は釣れなくても、今日は1日良い風景を見られてよかった。あるところで、「今日はこれ以上はいらんわ、ありがとさいなら」で終わり。これは楽しい。あらゆるものは仕事にしたら地獄です。どんなものもそうです。仕事は別にきっとある。人間の仕事は、長い人類の10万年の歴史の中で、人間がやれる仕事だけ残ったと思う。人には絶対できない仕事というのは滅びた。事務仕事だって営業マンだって、人間にできる仕事です。ただ、今、選択肢が狭すぎる。机で帳簿書くか、営業に行って売るかしかなくなった。工場でも、わけのわからん機械のほんの一部分を受け持っているだけで、自分のやっている仕事の全体像が見えない。これは悲しい。フォルクスワーゲンは、車を1人の作業員が最初から最後まで全部作る。流れ作業じゃなく、車1台1台を作るようになって、すごく車が良くなった。アメリカは徹底流れ作業やって車の品質がどんどん悪くなった。全体が見えないときには人間はただの機械になってイヤなんです。日本人は変態ですから、トヨタはロボットと人間が協力しながら作っている。ロボットができないところを、人間がちょっと手伝っている。日本人はあんなのが好き。仕事の中で、自分が何をやっているかがはっきりわかるといのは、すごく大事。よく、就職してからわけがわからなくなる子がいる。大学出てわりと良い会社に勤めました。「でも、全然つまらない」と言う。「あなたの会社は何しているの?」「知らん」。「あなたが経理の仕事で帳簿つけているのはわかったけど、会社はどんなことしてるの?」「貿易商社だから貿易しているんでしょうね」。「どんな商品扱ってる?」「知らん」。「どんな国と取り引きしてるの?」「知らん」「会社便り見たら書いてあるでしょ」「だいたい就職するとき読まなかったのか」「そんなの読んでません」「就活でいくつも行く。それで雇ってくれたところへ来ているので会社について一々読んでません」「それじゃあしょうがないけど、採用になったら読みなよ」。どの会社も、自分の会社がやっていることについて書いています。ホームページ見るだけでもずいぶんわかる。そうすると、この中で私は働いているんだ。ロシアから木材を輸入して、こっちから中古車を輸出して、それで稼いでいる。うちの会社が輸出した“山田商店”と書いたトラックがシベリアを走っていると思うと、経理の仕事も色がちょっと出てくる。それがわからないで、ただ帳簿をやっていると悲しい。仕事というのは、この世が円滑に回っていくお手伝いをしている。そこには、知識と技術があるけど、もう1つ知恵というものがあって、私は世界の中でこういう役割をするために生まれてきたんだ、私がいるおかげで、山田商店の中古車がシベリアを走っているんだ。シベリアの材木がどこかの家の床柱になったんだと思って暮らせる。そのあたりのことを子どもたちに教えていきたい。巨大な産業社会の中でも、結局1人1人の人間の力が集まって世界全体を動かしている。その1人の人間なんだ、私は。ただの歯車じゃないんだと知ってもらえるように育てたいと思っています。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

20,子貢曰わく、紂(ちゅう)の不善も、是(か)くの如くこれ甚だしからざるなり。是(ここ)を以て君子は下流に居ることを悪(にく)む。天下の悪皆な焉(これ)に帰すればなり。

 子貢が言った、「殷の紂王の悪事も、それほどひどいものではなかった。だから、君子は下流に居るのを嫌う。世界の悪事がみなそこに集まってくるからだ」。

※浩→「紂」は殷王朝三十代目の最後の天子で、その暴政によって周の武王に滅ぼされます。『史記』「殷本紀」に悪事が列挙されています。
 「帝紂は資弁捷疾(しょうしつ)にして、見聞甚だ敏なり。財力人に過ぎ、手もて猛獣を格つ。知は以て諫めを距(ふせ)ぐに足り、言は以て非を飾るに足る。人臣に矜(ほこ)るに能を以てし、天下に高ぶるに声を以てす。以て皆己の下に出づと為す。酒を好み楽に淫す。夫人に嬖(へき)し妲己を愛して、妲己の言にのみ是従う。是(ここ)において師涓(しけん)をして、新たなる淫声、北里の舞、靡靡の楽を作らしむ。賦悦を厚くし、以て鹿台の銭を実(みた)して鉅橋(きょきょう)の粟(こめ)を盈(み)たす。益(ま)すます狗馬奇物を収め、宮室に充ち仭(み)つ。益すます沙丘の苑台を広くして、多く野獣飛鳥を取って、其の中に置く。鬼神を慢(あなど)り、大いに楽戯を沙丘に最(あつ)む。酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為し、男女をして裸ならしめ、其の相逐(お)わしめて、長夜の飲を為す。百姓絶望して、諸侯畔(そむ)く者あり。是に於いて、紂乃ち辟刑を重くし、炮格の法有り」。
 と、まあ、およそ中国人の予想した限りの悪事すべてを書き連ねています。「酒池肉林」はここから出ています。司馬遷より400年ほど早い子貢のころにもすでに伝説として発生していたのだろうと、吉川先生。
 そこで子貢は言います。紂の不善もあれほどひどくはなかったに違いない。だから、君子は道徳的に不利な地位にいるのをいやがる。世界中の悪事のすべてが、彼に押しつけられることになるから。
 現代で言うと、一旦マスコミで悪事が報じられた人は、人々はそれを先入観として、その人のすることはみな悪いことと信じてしまうでしょう。人間は一度悪い評判を集めてしまうと、すべての事績を悪い方向に解釈されてしまうようになってしまいがちです。こわいことです。偏見や誤解であっても一旦「悪いレッテル」を貼られると、その人の歴史的評価は極悪なものへと変質してしまう危険がある……だからこそ、君子は悪い噂の標的となる下流(悪意の集積地)に立つことを嫌うのです。名優・長谷川一夫さんの代表作に「銭形平次」シリーズがありました。その一作に、武士が殺人か窃盗の嫌疑を受けて捕まりそうになって逃げますが、結局捕まり、逃げた理由を問われて、「武士が一旦縄目の恥をうけたら、たとえあとで無実と証明されても、汚名は消えない」と弁明していたシーンがありました。あれを思い出します。武士社会でない現代でもありそうです。そういえば、ネット社会での誹謗中傷が絶えないです。おぞましいことです。

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