Q
4月に開設した託児所でこの春から勤務しています。新しい環境で、子どもたちには戸惑いや不安があると思いますが、それを取り除くにはどんな方法が良いでしょうか?また、集団の中に入っていけない子どもに、どんな問いかけをするとよいでしょうか?
A
託児所っていうのが何歳かわからないんです。その発達上の問題があって、ここでお話したようなやり方は、一応5歳児以上だと思っています。僕たちが問いかけをすることで、「あなたには何ができるかな?」と言って、子どもが「こうしようかな」と言ってくれる力ができるには、因果関係というものが理解できないといけない。「私がこうすると結果はこうなるだろう」とわからないといけない。因果関係はいつから理解できるかというと、発達心理学の先生によると、5歳なんです。しかも、5~10歳は、僕たちがそのことについて問いかけをしないと自分であまり因果的に考えない。だいたい10歳くらいから、問いかけをしなくても、自分の力で「こうやると結局こうやるとこうなるな」って因果的に考えるようになる。5歳児以上は今日ご説明したやり方で動く。それより年下の子は動かない。「あなたには何ができる?」と言えば「あー?」と言われるだけで、全然変なことを言ったりする。一生懸命考えてくれたらいいと思うのに、「それはないでしょう」というようなことを言ったりする。何か童話的な世界に生きているから、僕たちの日常的な因果関係とは違う感じのことを答えるかもしれない。年齢によってできることが違うと思います。かつ、就学時のレベルで集団に適応できないのはあまり心配しなくていいと思う。発達によって解決できる課題が結構多いから。私自身は幼稚園に2年行きました。1年目は全然不適応で、全然クラスに行きたくなかったし、馴染めなかった。2年目になると、自然に馴染めた。何でかというと、ただ発達したからです。集団生活できるところまで精神発達してなかっただけだと思う。年齢的なことを考えると、クラスに溶け込めないということをそんなに重大視しないでください。そのうちできるだろうと思っていたほうがいい。そのために特別な働きかけをいっぱいとると、特別な対応が欲しいためにいつまでも溶け込まないという作戦を取るかもしれない。
発達によって解決できる問題を大急ぎで解決しないほうがいいといつも思います。学校教育の1つの問題点が、教科の話ですが、同じ年齢の子に同じことを教えるというのが、ときどき大失敗するんです。私もそうだったんですが、中学の1年の終わりか2年の初めかに数学で因数分解というのを習ったんです。あれがわからなくて、なんでこんなことをするのか、黒板に意味不明の文字が並んでいるだけなんですよ。半年すると完全にわかりました。半年間大変だったんです。因数分解わからないから二次方程式がわからなくて、二次方程式がわからないからあれわからないこれわからないと数学の成績は最悪で、具合が悪かったんですが、6か月しないくらい、2年生の秋学期くらいになると、「あーそうか」とわかった。なんでわかったかというと、脳が発達したからです。「形式的操作」と心理学者が言うんですが、抽象的なものを抽象的なままで扱う力は脳の発達でできるんです。脳がそこまで発達しないと、ただ記号をあっちへやったりこっちへやったりする意味が全然わからない。だから半年待ってから教えてくれれば最初から数学の成績良かったのに、発達より早く教えられたもんで、私早生まれ(3月)生まれなのでちょっと早かったものですからしんどい思いをしました。それは多くの子にあることだと思う。発達で解決することを今ギュウギュウと教え込もうとしないほうがいい。少しあとでもいいことならあとにすればいい。今の、集団適応の問題も、もうちょっと様子を見てから考えたほうがいい。それから、託児というのが未就学児であれば、私は未就学児に知的な教育をする必要なない論者なんです。早期教育は無意味だと思っています。例えば、英語なんかの早期教育とか言われていますが、統計結果から見ると、早くから英語を学んだ子と、中学校へ行ってから学んだ子と、ハタチ過ぎてからの英語能力とは全然無関係です。英語を使う運命になった人は英語が上手になるし、英語を使う運命にならない人は英語が上手にならない。それだけなんです。私は一応英語でしゃべる、英語で書く、英語で読む人で、まあアメリカ人ほどとは言わないけど、英語でグループに出て、グループの中でいろんな話をしたり、討論したりするのにそんなにしんどくないんです。英語で論文も書きます。今、英語でブログを書いているんですが、そんなに苦痛じゃない。じゃあどこで勉強したかというと、学校でしかしてない。中学1年で始まって、それまでまったく知らなかった。中学で「へえ?」って思って勉強して、成績はそんなに良くなかった。まあまあ中くらいで、大学行っても、英語の文学の授業は難しかった。どこでしゃべれるようになったかというと、結局研究室へ入って英語の論文を山ほど読まなきゃならなくなって、読まなかったら全然話にならない状況に追い込まれて、そこで3年5年やっていると、イヤでも読めるようになるし、自分で国際学会なんかで発表すると、質問されるんですよ、具合が悪いことに。質問されると何言っているか聞かなきゃいけないし、こっちも答えないといけない。そしたら現場の必要で英語が上手になるだけなので、早期教育は全然関係ない。だから、楽しく遊べる時間を作ればいいと思う。あまり下心を持たないで、みんながくつろいで遊べる時間を持てればいい。それで決してバカにはならないから。(回答・野田俊作先生)
Q
22歳の娘のことですが、高校2年の終わりに、友だちのことや勉強のことで疲れて学校へ行けなくなりました。何とか高校は卒業しましたが、自分のこれからのことについて今も悩んでいるようです。今までいろいろ不適切な行動を繰り返し、大変なこともいろいろありましたが、アドラーの自助グループの皆さんの勇気づけとアドバイスのおかげで何とか乗り越えることができました。今まで支えてくださった方々にほんとに感謝しています。昨日の野田先生のお話を聞いて、私も娘の勇気くじきばかりしてきたなと思いました。今朝、子どもに私がしてきた勇気くじきについて謝りました。これからは娘の良いところと、世のため人のために尽くすにはどうしたらよいかということを一緒に考えていきたいと言うと、私の気持ちも素直に受け取ってくれたようです。今、娘は声優になりたいと言っていますが、肩肘張っているようにも見えます。娘がそのままで良いところを活かしてくれればいいと、やっと思えるようになりました。立ち直るためにもがいている娘に何かアドバイスがありましたらお願いします。
A
悩むのと困るのとは違うんです。だから、「悩み終わったら相談に乗ります」と言ってください。僕は悩まないことにしているんです。困りますけど、いつも。孔子聖人もこうおっしゃいました。孔子聖人が弟子を連れて放浪の旅に出ているときに、食べ物がなくなったかなんかで「困ったなあ」と言ったら、弟子が「聖人でも困りますか?」と弟子が聞いた。孔子は、「君子はいつだって困っているんだけど、君子は困っても乱れないんだ」と言ったんだそうです。「君子は窮すれども乱れず」で、困るのはいいんです。だって、「こうしようかな?ああしようかな?」と計画を立てないと生きていけないもの。でもクヨクヨと感情的になってもしょうがないでしょう。マイナスの感情で問題解決はしないもの。マイナスの感情を持ったときはどうすればいいですか?──止まる。落ち着くこと。それから考える。マイナスの感情を持っても何も解決しない。たくさん困ればいいけど悩まない。(回答・野田俊作先生)
Q
小6男子です。家庭科の調理実習のとき包丁を取り出して振り回したりするので、止めようとすると、今度は止めようとした先生に包丁を向けてきます。保護者に連絡すると「学校の指導が悪い」と返ってきます。3年生のときより教室で騒いだり、友だちのイヤがることをして泣かせたりしていました。5,6年生になると、棒を手に持ち振り回したり、ハムスターのお腹を握り食べたものを吐かせたり、トカゲを可愛がったり水に沈めたりしています。教室で暴れたり騒いだりする子が各学年数名います。どのように対応すればよろしいでしょうか?
A
どんな良いところがありますか?子どもの力を、良いところをまず探すのが、教育者の力です。子どもの問題点は、学ばなくても専門家じゃなくても誰にでも見える。教育技術の専門家なんだから、シロウトには見えない子どもの可能性を見つけ出してほしい。そことつながってほしい。だから誰にでも見えるシロウトの部分で質問しないでください。(回答・野田俊作先生)
Q
家族が家族として機能していないという場合があるというのを、自分の家族に当てはまると感じてとても気になりました。家族として機能するために私にできることを考えたいのですが、どこから手をつけたらいいですか?子どもは小1と年長です。(野田:夫とか妻と書いてないな。)
A
一度家族みんなで話し合いをすべきだと思います。「うちの家族は家族として全然動いていないよね」って。「1日に1回でいいから家族全員が集まってゆっくりとくつろいでお話できる時間を作りたいけど、何かアイディアありますか?」って、循環的質問をすべきだと思う。「こうしようね!わかったね。あしたからご飯一緒に食べるんだからね」って直線的に言わないで。(回答・野田俊作先生)
Q
これから歳を取ってくる両親とのつきあい方についてアドバイスをお願いします。
A
老人って話題がなくなるんです。ですから、こっちからたくさんおしゃべりしてあげることです。「こんなことがあった、あんなことがあった」と身辺のことをたくさんおしゃべりしてあげるのが一番良い。私は母親と離れて暮らしています。母親は1人暮らしです。父親がいなくなって。毎日夕方5時に携帯電話が私を呼びます。5時にその日にしていることをメールで送っている。返事は空メールでいいから、返信だけしたら生きているのがわかって生存確認できる。あの人がしているのは、いつも平仮名だけで書いてくる、源氏物語みたいに。マルも点もなしの全部平仮名で、濁点がついていないからときどき読解困難です。84歳かな。84でメールが書けたら立派なもんです。「今日は高知で学校の先生に話をしました」とか書いていると、彼女は身体の不調を訴えないんです。「どこが痛いとかこれがつらい」とか。書かないと絶対に言ってくる。頭が痛いとか血圧がどうのとか。なんでかというと、身体の不調というのは老人が持っているほとんど唯一の話題なんです。もしもなければ他人の悪口です。うちの母は他人の悪口を言わないから、1個しかない。もしもあれば、他人の悪口か、私の体の具合が悪いしか言わなくなるから。なんで言わなくなるかというと、こっちの出方が悪いからです。話題を提供していないから。だからまあ、身辺のことを言う。それから「相談」をすること。「これについてはどうしたらいいでしょう?」って。相談をするということは、彼らがこの世にいてもいいという保障をあげることです。お料理だって、「イカのお料理で何かおいしいのない?」と言うと、おばあちゃんは喜ぶ。いつもいろんなことで相談をする。(回答・野田俊作先生)